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ノート:ホツマツタヱ/うまやど氏について

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貴重な編集者

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うまやどさんは決してあらしなどではなく、Wikipeiaにとって貴重な編集者であると思います。うまやどさんのおかげで本文は見やすくわかりやすい文章に整理されています。ノートでの議論もなるだけ個人攻撃を避け反対側の記述も尊重しながら、第三者にもわかりやすいように整理しながら簡潔に進めるようになってきたと思います。このひとをあらしと呼ぶのは正しくないでしょう。--Hotsuregua 2007年1月28日 (日) 01:58 (UTC)[返信]

私は再三にわたって非行を非難叱責し、教育を試みました。また、警鐘も鳴らしました。このことは、上に書いてあります。この場は嘘で固めた発言によって、他の編集者を騙して錯誤へと誘導し、中立性を失う方向へと、自分の好き勝手に記事を改変してよい場所ではありません。このノートに並べられた嘘と、間違った情報の数を数えてみましょう。あまりにもやりすぎです。二度と嘘を書きません、人を騙しませんと約束してくれない限り、彼の言動を認めるわけにはいきません。もちろん、嘘を書き並べて、人のコンセンサスを得ることなど不可能ですから、最初から論理的に破綻した無謀なことをしているのです。

場をわきまえもせずに、嘘と間違いを執拗に書き込むことで、魔女裁判とも受け取られかねないバッシングのターゲットになった、被害者の私に対して、多大な迷惑をかけているだけでなく、ホツマツタヱの研究者のコミュニティ全体に及ぼした悪影響は、計り知れないと思います。ホツマツタヱは歴史学会などで研究対象とされていないので、「学問」という言葉を持ち出すこと自体、まだ時期尚早で、無理があるのです。誰が検証を行ったのかも不明のまま「学問的な検証が不十分」などと、人の研究にレッテルを貼る記事を書いたら、読み手を騙すことになって、ルール違反でしょう。うまやどを名乗る者が勝手に持ち出してきた「学問」という言葉自体が虚妄に過ぎず、読み手を錯覚させるために使われている、トリックの小道具だと、ノートから読めます。実際に、うまやどを名乗る者が私に対して仕掛けた議論のレベルが低すぎて、お話にならない嘘だらけなのですから、まともな「学問」として存在しないと受け取るのが、この場合は妥当だと判断します。

ホツマツタヱを崇めつつ、意に沿わない研究をしているとみなした人々を、卑下して排斥する.それが今回取った行動だと、一連の書き込みから読めます。独自調査と思われる記事の改変によって、ネット上に載せている研究文献を、学問に値しないと排斥された、被害者の方々の身になって考えてみましょう。学問に値しないと勝手に決め付けて、人の研究を排斥しているだけですから、私から見れば、嘘の記事を書いて多くの人に迷惑をかけていることになります。嘘の記事を書かれることによって傷付けられた、大勢の人がいることに、心を配るべきです。

うまやどを名乗る者は、「対象である「ホツマツタヱ」に対する敬意と感謝 」と上に書いていますが、私はこの文章の前に、たぶん「信仰」といった言葉が付くことによって、一連の非常識に見える言動を、矛盾なくうまく説明できると感じています。そうでなければ、私に対しても、礼儀を欠いた嘘で固めた、卑下するような攻撃的加害言動を、執拗に繰り返して、言葉の暴力を用いて平然と排斥出来はしないと思います。嘘の言葉で固められた彼の言葉の暴力は、度が過ぎていて、やりすぎだと感じます。私はたぶん「漢臭」の「誤訳族」で、ホツマツタヱ教の信者ではないと認定されて、迫害を受けたのでしょう。そうとしか思えないような、尋常でないと感じるバッシングを今回受けましたからね。こうした推理は横に置くとして、とにかく、嘘を書き並べていては、記事の編集に必要不可欠な、他の編集者とのコンセンサスを得ることなど不可能ですから、二度と嘘は書かない、人を騙さないと、確約しない限り、記事の編集は実質的に不可能と思います。

現在の記事の中にも、幾つもの嘘が書かれていると読めます。

【かつては「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも書いた。】

これはたぶん嘘でしょう。今も「ホツマツタヘ」という従来からの表記が正しいと信じている方もいます。「ホツマツタエ」と書く人もいます。どれもカタカナに「仮」に置き換えた表記にすぎないので、どれが正しいと言うことは出来ないものでしょう。ネット検索してみると、「秀真伝」と書いて研究書籍を出版している人が現在でもいるのに、【江戸時代は、・・・表記されたこともある】と書けば、これも事実に反する記事への改竄になります。統一表記はまだ出来ていないので、私は、これが正しいと、一つの表記方法を示すようなことは控える記事を書いていました。

そこに、「かつては」と付け加えれば、事実とは違う嘘の記述に変質します。「ホツマツタヱ」という表記のみが正しく、他は廃れた表記なのだと、錯覚させるトリックを行って、読者を騙していると読めます。

公平な記事を書くことを心掛けるなら、

【「ホツマツタエ」「ホツマツタヘ」と書く人もいる】

と、以前の状態に戻しておかなくてはなりません。

「漢臭」がする「誤訳族」を駆逐するには、「ホツマツタヱ」以外の表記を過去のものと書き、嫌っている「秀真伝」の表記は、はるか江戸時代のものとしておくのが望ましいという、判断が働いた結果、このような事実に反する内容の記事へと改竄行為されているものと思われます。さほど注意を払わない他の読者は騙せても、私をこの程度の姑息なトリックで騙すことなど、とうてい無理だと思います。もちろん、自説を広めるために行われた、事実に反する虚偽への記事改竄など、ウィキペディアで認められる正しい編集ではありえません。--203.168.92.153 2007年1月28日 (日) 05:41 (UTC)[返信]

上に書かれている、Hotsureguaさんの「なるだけ個人攻撃を避け」の発言は、事実と一致しないと思われます。

実際には、嘘の悪口を書いていると、かなり以前から散々繰り返し指摘され、さんざん私に叱られています。嘘は、書こうと思わなければ、書かないで済ませることが出来ます。非常に簡単なことです。そして、このノートに嘘を書かないことは、最低限のルールでありマナーです。もちろん、嘘を書かなければ、この場で私に嘘の悪口を書いていると叱られることはないし、トラブルなども起こりません。Hotsureguaさんに一つめの質問をします。嘘の悪口を執拗に書き連ねた事実をHotsureguaさんが無視して、擁護するのはなぜですか。Hotsureguaさん自身の発言をどう評価すべきかを判断する質問なので、きちんとお答えください。私が何度『迷惑』という言葉を、このノートに書いたか、お分かりですか。Hotsureguaさんは、私が著しい迷惑を蒙った事実を無視しているのではないのですか。なぜ私が迷惑を蒙った事実を無視したことを、この場に書くのか、その理由をお答えください。これが二つめの私からの質問です。もちろん事実を無視して不適切なことを書けば、場合によっては嘘を書いているとみなされることになりかねません。だから質問しているのです。私がどうしてこのような質問をするのか、意味はお分かりですね。

嘘を書きたてる歪んだ認識に基づく、不適切な加害行為が、他の研究者の文献やネット上のサイトに及ぶ問題が発生すると、私が以前、警鐘を鳴らして懸念していたとおりの方向に、一方的な根拠のない視点から記事が書かれて、著しく中立性を欠いた歪んだ認識を流布するものへと大きく変質しています。『この項目に掲載する情報の質』は、この記事を編集するうえで、適切と言える判断基準なのでしょうか。「学問的に検証可能」と記事内に書いてありますが、「学問的な検証に耐える資料」の項目に分類されたものが、誰によって「検証に耐える」とされたのか、一切が不明です。もちろん、「耐えない」とされたものが、誰によって耐えないと判断されたのかも不明です。一人の人間が身勝手な考えで篩い分けていて、しかも中立性が保たれず、偏って編集されていることは明らかです。「学問的な検証に耐える資料」の項目に列せられている書籍は、江戸時代のものを除けば、たった一人の研究者と、すでに他界なさっているその師に当たる研究者の著作物だけが選別されています。大勢の人がホツマツタヱについて本を書いているのに、たった一人の研究者の書いたものだけが学問的検証に耐える正しいもので、あとは全て正しくないということのようです。これははたして事実なのでしょうか。私は、独り善がりな、著しく偏った視点からの歪んだ記事の編集になっていると判断しています。さて、三つめの質問です。Hotsureguaさんは、現在たった一人しか「学問的な検証に耐える資料」を書ける研究者がいない、などというおかしな記事の編集を、本当に信じているのか、そうではないのかお答えください。四つめの質問です。この状態で、本当に適正な中立性を保っていると、お考えなのでしょうか。もちろん、うまやどを名乗る者がやってしまったこういった著しい記事の改悪が正しいものだと思っていなければ、「このひとをあらしと呼ぶのは正しくない」とは書けませんよね。だから質問しているのです。この点についても明確なお答えをお願いします。誰が見ても、どう考えてもおかしいと感じていると思いますよ。

私は、うまやどを名乗る者に編集を任せると、こういう問題が発生すると、以前から警鐘を鳴らしていました。焚書行為への扇動は、歴史学者達の間で絶対の厳禁事項なので、これに類するとみなされかねない言動をネット上でしていれば、致命的な結果を招くことがあります。そういう、単純な理由でありながら、難しい重大な問題が見え隠れしていたので、私は明確に警告しておいたのです。これを無視して賛成票を投じて、記事をおかしくしてしまったのはあなた方です。責任を取ってください。もちろん、責任を取るとは、私の上記四つの質問に真摯に答えたうえで、中立性を保っていた正常な記事へと、Hotsureguaさん達の手で、もう一度復元するという意味です。「学問的な検証に耐える資料」「耐えない資料」という項目設定は、うまやどを名乗る者の「学問」の実が伴わない虚妄のトリックにすぎないことを、すでに私によってこのノート上で看破されていますから、「ノートを根拠にこういう設定をしました」という理屈の部分は、すでに無効になっています。根拠のない記事編集になっていることは明らかですから、即刻このような誤った設定は取り除く必要があります。これは、このような記事の著しい改悪に賛成票を投じた、あなた方に、責任を取る形でやっていただきたいと思います。--203.168.92.153 2007年1月28日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

論点がずれていっています

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203.168.92.153さんから大量の書き込みがあり、だれもトレース困難かと思います。私がまとめても、また揚げ足とりをするでしょうから、まとめることはしません。人に読んでもらいたければ自分で努力して下さい。「焚書」というのは以前彼にそんなトラウマでもあるのでしょうか。それとも、削除=焚書なのでしょうか?

さて、私は論点がずれていっているように感じます。ここまでの議論はある意味で全て「中立性」をめぐる話なのです。

  • 私がこだわっているのは、学問としての中立性
  • 203.168.92.153さんがこだわっているのは、様々にあるホツマツタヱをめぐる諸説の間の中立性

ここが違います。

ある物事について、人が様々な意見をもつことは自然なことです。物が落ちるという現象だって、様々な解釈が可能です。いわく、重いから、いわく、地球が引いたから、いわく、神の思し召し、いわく、落ちるという属性の発現、いや物は落ちてない・・・。203.168.92.153さんの主張は、この様々な解釈に対して中立であれ、ということです。私は、いろんな解釈はあるかもしれないけれど、重いから(普通の感覚)と地球が引いたから(別の感覚)は、それぞれの言い分に妥当性が高い。その他のものは、主張としてはかまわないけれど、学問としては無理がある。と言っているだけ。

203.168.92.153さんが鳥居先生の本を読んでそれを信じている。これは別に問題でもなんでもない。ただ、鳥居先生の本の内容は、「仮説」としては面白い。「主張」としては面白い。でも「事実」ではない。学問的検証に耐えるかといわれればNO。このことは、学問的な訓練を受けて本を読めば、自ずとわかる事です。

学会がない=どんな意見でも取り上げるべき、ではありません。「ホツマツタヱ」が偽書のままでいいなら、そのようなアプローチもありでしょう。現に、Wikipediaでは疑似科学は、疑似科学と断った上で諸説を紹介していますから。しかし、こだわりは「真書」であることなのですよね。

そうであるなら、別に「ホツマツタヱ」に思い入れも何もない人が聞いて、自然に受け取れるものを出発点に論を構築しなければなりません。この場合の自然に受け取れるものとは、「ホツマツタヱ」の原文です。公開されていますし、日本語で書いてあります。読むのは骨が折れますが理解可能です。それ以外には、一般の学説や常識の類です。常識で「あやしい」と思われているものを根拠に真実性を納得させることは無理というものです。記紀ですらすでに「あやしい」ものの内です。

Wikiの原則に従えば「その他の学問的な検証が不十分な関連資料」は削除すべき項目かもしれません。しかし、ホツマツタヱを愛好される人たちが様々なこだわりをもって論を展開されていること自体まで抹殺するのは妥当だと思えません。例え今は学問的な検証が不十分、まだ仮説や主張のレベルに留まっていたとしても、将来それが本筋にならないとも限りません。そう思ってあの項目は残したのです。Wikiの中では無理、でもこんな意見もある。

言葉遣いはきついかもしれませんね。「ホツマツタヱを肯定的に捉えた様々な仮説についての資料」とでもいうべきでしょうか。--うまやど 2007年1月28日 (日) 16:39 (UTC)[返信]

論点をずらして、悪質な荒らし行為を誤魔化そうとしても無駄なことです。

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うまやどを名乗る者に対して、執拗に嘘と間違いと悪口を書き殴る迷惑行為を繰り返し働いてきたことに対する謝罪を求めましたが、どうやら謝罪の意思、または謝罪する能力がないように見えます。この者の倫理観がどのようなものか、これで明らかになったと思います。「誰もトレース出来ていない」と書いていることから、いまだにこの事態から逃げおおせると、安易な希望を抱いて、最後の悪あがきをしているものと思われます。再び「学問」という言葉を持ち出して、「論点をずらし」て誤魔化そうと必死のようすですが、嘘の悪口を繰り返す非行を叱られても、謝罪も言い訳も一切しないこの者の言葉に、もはや惑わされる人はいないと思います。

驚愕すべき大変御立派な御学歴を持ち、「学問」という言葉をしきりに持ち出してきていますが、実際にノートで議論してみた結果は、酷いものと受け止めるしかないようです。ホツマツタヱの言霊思想の哲学が存在しないと、平然と間違ったことを書いています。音韻の議論では初心者が数分もあれば理解できることすら知らない様子で、まったく議論の相手にならない印象を受けました。五七調の和歌のリズムについても、まともに理解しないまま、私が書いた記事を削除していることが分かります。この者が自己申告している驚愕すべき大変御立派な御学歴と、実際に持っている知識のレベル差がはなはだしいと感じられるのは何故か、多くの人の目は、そのことに向けられていると思います。

うまやどとは、聖徳太子の生前の名前、うまやど厩戸皇子の意味があるように思いますが、驚愕すべき大変御立派な御学歴をお持ちのイメージだけで、何故か、中身がないハリボテのように感じます。「学問」という言葉をしきりに用いて「論点をずらす」トリックを有効に用いるには、驚愕すべき大変御立派な御学歴が伴わなくてはやはり難しいと思われます。

【物が落ちる現象】【地球が引いた】【神の思し召し】

いったいつから、このノートは、万有引力を解説する物理学講座になったのやら。聖徳太子の生前の名前を自称する者の「論点」は、見事に無関係な方向に「ずれていって」いるようです。

聖徳太子の生前の名前を自称する者は、自分のペースに相手を乗せてしまえば、誤魔化して御本尊を庇い立てできると思っているのでしょうが、私相手ではとうてい無理だと思います。【「焚書」というのは以前彼にそんなトラウマでもあるのでしょうか。】と、私のトラウマという想像力たくましい作り話にすり替えることで、視線を逸らして片付ける、誤魔化しを試みていると読めます。

一人の研究者を信奉していると思われるこの者は、「信奉している研究者の説のみを採り上げて他の研究者の研究内容を排斥する、著しく偏った記事編集を行って、中立性を大きく損なっている現状には問題がある」という主旨の私の指摘に対して、「学問的な訓練を受けて本を読めば、自ずとわかる事」という回答を示しています。したがって、「学問的な検証に耐える」評価が、聖徳太子の生前の名前を自称してさまざまな嘘を書いてきた者の、個人的主観に頼った独自調査による記事内での排斥行為であり、客観的事実に裏付けられたものではないという私の指摘の正しさが、聖徳太子の生前の名前を自称してさまざまな嘘を書いて今までこのノートの読み手を繰り返し騙してきた者の証言によって、補強されたことになります。結論として、「学問的な検証に耐える」といった記事内の記述は、独自調査に該当するので、削除対象になるようです。

自己申告している学歴と実際に本人が持っている知識の落差が著しいと感じるこの者は、学問としての中立性諸説の間の中立性は話が違うという理屈を持ち出せば、うまく反論して切り抜けられると考えたようですが、結果は上記のとおりでまともな反論にはなっておらず、ストレートに私の指摘を肯定してしまっています。実質的には反論も謝罪も行われてないも同然で、議論にならないレベルのやり取りしか出来ないようなので、これ以上の主要な論点はないと判断して、この者が荒らす前の均衡が取れていた状態に、記事を戻しても良いようです。--203.168.92.153 2007年1月28日 (日) 23:49 (UTC)[返信]

個人攻撃をしたいのならば、ちゃんと本名を名乗って正々堂々とやって来てください。--うまやど 2007年1月29日 (月) 04:50 (UTC)[返信]
 個人攻撃をしたいのならば、なんて、曖昧な話をする必要ないと思う。聖徳太子の生前の名前と同じと思われるものを自称して、さまざまな嘘を書いて今までこのノートの読み手を繰り返し騙してきた者というのは、特定の人物が、今までのこのノート内で、どのような言動をしてきたかということを、端的に説明している文章にすぎない。個人攻撃に聞こえるとしたら、よほどふうが悪い非行を働いてきたんだろうね。そういえば私に向かって、「まともな議論に耐えない」とか、「学門的な検証に耐えない」と、礼儀知らずなことを書き立てて、「粗雑な議論」とか「妄想」と嘘の悪口を書き立てたのは誰だったのかな。私はネット上に載っている情報からしか記事を作っていないから、少なくとも、私の妄想ではないと思うよ。こういうのを、根も葉もない悪口、つまりは個人攻撃と言うんだよね。魔女裁判じみた演出までやって、読み手を騙して記事の改悪まで行う非行に走っておきながら、今になって不利になったからといって、謝罪も反省もせずに、個人攻撃だと逆に切り返しても無駄だと思う。議論に耐えるまともなことが書き込めないと、非行を繰り返す中で実証して、自己申告している学歴と、実際の知的情報処理能力に大きな差があると示して見せたのは、うまやどを名乗る者自身なのだから。自分自身の非行を責めるべきだと思う。きちんと反省できないと、反省できるだけの教育も受けていないのかと思われて、ますます私に非行を叱られるだけだと思うよ。
 「また揚げ足とりをするでしょうから、まとめることはしません」と書いているが、間違いだらけの「まとめ」をしているから、「事実に反する、嘘が書いてある」と指摘するのは、「揚げ足とり」なのかね。間違ったまとめを執拗に繰り返すことしか出来ない、迷惑な愚か者のほうに、問題があると思うのだが。はっきり言って、このありさまでは、国語のテストでまともな点が取れないと思うし、典型的な勉強が出来ない人の傾向を示していると感じる。ノートに書いてあることがきちんと読みこなせないから、間違った要約をしてしまう、嘘を書くなと指摘される。その繰り返しで来ているようだが、そのなかに、まともな議論にもならない、論理的に破綻した記述が繰り返し認められる。となると、頭が悪すぎて迷惑行為しか出来ない人のように見られても仕方がないだろう。
 流れを見ると、「論点をずらして」いるのは、うまやどを名乗る者自身のようだね。中立性の考え方が違うなどと、今回もまともな議論にならない、実質的に意味を成さない見せ掛けだけの理屈を、再び持ち出してきたようだが、また騙すつもりかな。私は、「二度と嘘を書きません、人を騙しませんと約束してくれない限り、彼の言動を認めるわけにはいきません」と書いておいたのだが、再びろくでもない幼稚な理屈の議論を持ち出して、論点をずらそうとしてきたということは、今後も騙し続けますという意思表示と受け取っていいのかな。もう一度確認するが、『「学問的な検証に耐える」といった記事内の記述は、独自調査なので、削除対象に該当する』と考えていいんだね。これは重要なことだよ。議論を勝手に拒否するなら、ノート上で正常な議論を行ったうえで記事を編集することを、自ら放棄したと判断するよ。--203.168.92.153 2007年1月30日 (火) 17:02 (UTC)[返信]

 そうそう、「現在の記事の中にも、幾つもの嘘が書かれていると読めます」という私の指摘に対して、一切反論がなかったようなので、誤情報を含むものへと記事を改竄したことについて、反論の余地も弁明の余地もなく、こちらの指摘を全面的に認めたと判断します。--203.168.92.153 2007年1月29日 (月) 00:11 (UTC)[返信]

勝手な理屈ですね。前向きの議論ではなく、誹謗中傷自体が目的なのですか。--うまやど 2007年1月29日 (月) 04:50 (UTC)[返信]
 「誤情報を含むものへと記事を改竄した」行為を問題にしているのだが、「勝手な理屈」と書きなぐって、議論を拒否するつもりかな。ノートだけでなく、「現在の記事の中にも、幾つもの嘘が書かれていると読めます」と私は指摘したのだが、この問題に関する議論を拒否したと見ていいんだね。今までもうまやどを名乗る者は、重要な議論を一方的に拒否して来たが、議論せずに勝手な記事の改竄を行い、嘘の記事を作ってきたことを認めたと考えていいんだね。議論を一方的に拒否して、事実に反することを記事に書くのは、ルール違反などというレベルではない荒らし行為に該当すると思うのだが、違うかね。「学問的な検証に耐える・耐えない」という記事を書き込んで、たった一人しか、学問的検証に耐える文献が書ける研究者が存命していないなどという、通常ではとうてい考えられない内容の記事になっているのだが、これはうまやどを名乗る者の、根拠のない個人的偏見を書き込んだと見ていいんだね。根拠のない勝手な情報を作って記事にするのはルール違反だ。虚の情報を捏造して、記事を荒らすのをやめてくれないかな。

誰かがサブページ化してくれたようですね。ありがとうございます。多少は見やすくなったかな。とはいえ長文の投稿が多いため、全体の見通しが難しいですね。とにかく本文については、中立的で検証可能性がありわかりやすく且つなるだけ簡潔明瞭な内容となるように協力していきたいと思います。--Hotsuregua 2007年1月30日 (火) 14:58 (UTC)[返信]