ノート:プロシア公領
改名提案。
[編集]他の記事(たとえばプロイセン)などとそろえるため、記事名を「プロイセン公国」もしくは「プロイセン公領」へ変更しませんか。―霧木諒二 2008年5月3日 (土) 02:55 (UTC)
- 記事を書く際にいろいろ悩んだのですが、結局「プロシア」と表記することにしました。ドイツ語読みでは「プロイセン」、ポーランド語読みでは「プルシ」、リトアニア語読みでは「プルーシア」になります。これのどの一つを採用してもイデオロギー色(特定の民族史観)が強く出てしまいます。ヨーロッパでは陸続きなので各地の呼び方が民族ごとに大きく異なります。現主権者優先主義を採用すれば東プロシアはロシア語読みの「プルスィヤ」になってしまいますが、これは日本人にはあまりに聞きなれない呼び方なのでとりあえず却下。これは歴史に関する記事なので、ウィキペディアの「中立的観点」コードを特に意識して、英語読みの「プロシア」を採用しました。多民族が読んだり書いたりする英語のウィキペディアでも「Preussen(プロイセン)」でなく「Prussia(プロシア、より正確にはプラシア)」となっており、「プロイセン」同様「プロシア」も日本では一般的なのでこれでいいと思いました。「英語ポメラニア、ドイツ語ポンメルン、ポーランド語ポモージェ」、「英語シレジア、ポーランド語シロンスク、ドイツ語シュレージェン」、「英語ボヘミア、チェコ語チェヒ、ドイツ語ベーメン」、「英語ルサチア、ドイツ語ラウジッツ、ポーランド語ウジツェ、チェコ語ウジツェ」などに見られるように、「地方の名称」は英語読みで統一するのが最も適当かと思います。ポーランド王国から完全に独立した後の「プロイセン王国」からは「国家の名称」として「プロイセン」でいいと思いますが、それ以前の時代については宗主国や住民の言語が錯綜しているので「地方名」としての「プロシア」を使用したほうが中立的だろうと思いました。読者は当初不便な思いをするでしょうが、「プロイセン」と「プロシア」をきちんと分けて使うことで、歴史に対してより正確な理解ができます。誤解を避けるため記事本文中でもドイツ語読みからとった「プロイセン公領」とポーランド語読みからとった「プルシ公領」を併記しました。利便性を考えて「プロイセン公領」や「プロイセン公国」で検索してもこちらに転送されるようにはしました。かねがね思っていることですが、記事「プロイセン」はあの「地方」についての情報ですから、むしろ中立的な「プロシア」という記事名に変更すべきではないでしょうか。--Einbaum 2008年5月3日 (土) 05:09 (UTC)
- 大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの時代にすでに「プロイセン公国」はポーランドの宗主権下を脱しているようです。現時点ではどちらかというと統一を重んじる霧木諒二さんの意見に賛成したいと思います。--モンゴルの白い虎 2008年5月4日 (日) 02:14 (UTC)
- 「プロイセン」についてはご指摘の通り検討されてしかるべきですが、こちらについては「公領」ということは地方名というよりは領土名ですから、国名に準じて考えるべきだと思います。現代で言えばその国の公用語を優先すべきですが、昔の話なのでその認定は難しいでしょう。プロシア公領では、何語が主に使われていたのですか? プロシア公は何語を使っていたのですか? その言語を優先し、ページ名とすることに合理性を見出せます。ポーランド王領プロシアは「ポーランド王」と明記しているのですから、ポーランド語優先になるのではないでしょうか。Einbaumさんのご指摘には総論として賛成しますが、ただ末端の問題として、中立的観点を考慮すると即英語名になってしまうという点に説得力を感じられません。明らかに英語POVな英語名優先という方針は、他のページ名を探る努力によって極力避けるべきではありませんか? 無論、いくつかのページで厳密な議論努力の結果英語名が選択されているものを否定するわけではありませんが、今回に関してはまだPOV承知で英語名優先と決断できる段階ではないと思います。
- 本筋とは別ですが、ロシア語はプルスィヤではなくプルシヤまたはアクセント位置を示してプルーシヤ、ポーランド語はプルスィとする方が普通の表記ではないでしょうか。無論、これは表記ぶれの問題なのでどっちが正しいとは断言できませんが、ロシア語の「(с)си」(軟音のsi)は確かに教科書や辞書などの発音表記では「スィ」と書きますが、英語の「sea」が「she」と区別なく「シー」と片仮名表記されるのと同様、一般には「シ」で書くと思います。逆に、ポーランド語の「sy」は硬音ですから、「スィ」と書く方が適切です。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月4日 (日) 06:10 (UTC)
- プロシアとするかプロイセンとするかに当たって悩んだ問題は、その地域の主権がどこにあるかということでした。その地域の支配言語が何であったかに準拠するとしたら、それは近代に出現した国民国家に対してではないでしょうか。この国の場合は国民国家ではなく、また主権はポーランド王にあります。そこでは使用言語の重要性は副次的になり、主権者の国家の公用語がまず優先されると考えました。それではじめはポーランド王国の公用語であるポーランド語に準じて「プルシ公領」、あるいはポーランドのもう一つの公用語であるラテン語に準じて「ボルシア公領」というのも考えてみましたが、このどちらもロシア語関連の「プルーシヤ」同様日本人にはあまりに聞きなれない呼び方です。これでは明らかに混乱を招きます。かといって「プロイセン公領」であると主権の存在が曖昧になります。この地域がフリードリヒ・ヴィルヘルムにより「プロイセン公国(Das Herzogtum Preußen / The Duchy of Prussia)」としてポーランド王国から正式に独立したのは1660年ですが、それまでの約200年間は歴代ポーランド王の主権下にありました。それ以後の「プロイセン公国」は主権者がフリードリヒ・ヴィルヘルムになったのでドイツ語の「プロイセン」を使用することにまったく異論はありません。ので、いろいろ考えた結果、1466年から1660年まで存在したこの公領(Prusy Książęce / The Ducal Prussia)については、日本でも「プロイセン」同様一般に浸透している英語読みに準拠した用語の「プロシア」を採用しました。中立的観点即英語でというわけではありませんのでその点はご理解のほどを。そういうわけで「プロイセン公領」でも「プロイセン公国」でもこちらの記事にリダイレクトされるようにしましたので混乱は避けられると思います。--Einbaum 2008年5月4日 (日) 10:30 (UTC)
- つまり、主体がポーランド語側にあったわけで、第一に「プルスィ公領」がページ名として考えられると思うのです。とはいえ、仰るように日本語文献での定着度を考えるとこれにはやや難があり、已むを得ず英語名を採用するというのはあり得ない選択ではないと思います。ここを「日本語で定着度が十分あるから」という理由で英語を避ける意味でドイツ語名を採用すると、今度はポーランド語とドイツ語の比較の上でドイツ語を選択したような結果を生み、それはそれで問題であるかもしれません。学術的には恐らく英語ではなくラテン語を優先する方がよほどアカデミックでよい思考法ですが、ボルシアはさすがに誰も聞いたことがないような名称なのでポーランド語名以上に難しいでしょう。
- そこで少し視点をずらしてみますと、ページ名を果たして「公領」で立てる必要があるのか、という点に目が行きます。他言語版を見ますと、en:Duchy of Prussiaはじめポーランド語版以外のすべてが「公国」でページが作成されています(DuchyとかDucatul等は「公領」、「公爵領」とも訳せますが、公国とも訳せます。HerzogtumやГерцогство等は普通は「公国」でしょう)。pl:Prusy Książęceだけ曖昧な「公のプルスィ(逐語訳)」という形になっていますが、ページ冒頭では「Prusy Książęce, Księstwo Pruskie – państwo utworzone po likwidacji państwa krzyżackiego……(公のプルスィ、プルスィ公国は、クシジャク(ドイツ騎士団)の国家が廃止された後に設立された国家である……)」と定義されており、「国家」として扱われています(太字強調は原文とは別に私が付けました)。なぜ日本語版だけ「公領」とされたのでしょうか。あえて「公領」とせずに「プロイセン公国」とし、ページ内で独立以前はDucal Prussiaだったと解説すればよいのではないでしょうか。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月4日 (日) 13:24 (UTC)
- なぜプロシア公領の記事を独立して立てたのかというご質問ですが、まずプロイセン王国という記事がすでにありますが、その記事におけるプロイセン王国の歴史の説明は1660年にポーランド王国から独立して成立した「プロイセン公国」の歴史から本格的に始まっています。そのためプロイセン公国の前史としてのプロシア公領の歴史をそこに書こうかとも考えたのですが、そうするとポーランド王領プロシアやポーランド王国(のうち、1772年から行われたポーランド分割によってプロイセン王国に併合された地域)の経緯を同時に書かないと不完全になります。ですがだからといってそうやって前史を詳しく書いてしまうと記事のバランスが崩れてしまうと思います。また地域としてのプロイセン(前述したように本当はこれは「プロシア」がいいのではないかと思うのですが)の記事もあり、そこに地域史の概説があり、記事「プロイセン王国」の「歴史」の項をあまり展開してしまうと「プロイセン」の記事とダブってしまうとも思いました。そういうことで、プロイセン王国の記事はプロイセン公国成立時から本格的に書かれている現在の状態が最も適当だと思ったのです。そのためプロイセン王国「前史」のつもりで「プロシア公領」、「ポーランド王領プロシア」のそれぞれの記事を独立させてとりあえず作ったのですが、それぞれをのちのち詳述していこうと考えていました。(どちらの記事にも現在スタブのテンプレートを貼っていないのは、とりあえず自分でいけるところまで書き進め、気力を失ったらスタブのテンプレートを貼って協力してくださる方を募ろうかと思っていましたので。)--Einbaum 2008年5月4日 (日) 15:38 (UTC)
- しかし考えてみれば、私のほうがプロイセン王国の記事に遠慮しすぎていたのかもしれません。おっしゃるように「プロイセン公国」の記事を作って、ポーランド王を宗主として1525年より存続した「プロシア公領」(Ducal Prussia)の時代と、1660年にポーランド王国から独立して成立した「プロイセン公国」(Duchy of Prussia)の時代の両方を書けばよかったかもしれません。DucalとDuchyはこの期間をきちんと区別するのに適当な用語だと思いますが、ご指摘の通りドイツ語やポーランド語ではHerzogtumとKsięstwoとしてそれぞれ一語で表し、名称だけで区別する習慣はありません。ちなみに日本語で言うところの「国家」を表すポーランド語にはpaństwoとnaródという2つの言葉がありますが、naródが人的概念(nationに近い)なのに対し、państwoは領域的な概念(countryやdomainに近い)になりますので、「公領」の「領」としても「公国」の「国」としても訳すことができます。--Einbaum 2008年5月4日 (日) 16:03 (UTC)
- なるほど確かに「państwo」は「領」という日本語に翻訳することも文脈次第では可能ですね。特に、「国家」の概念が「(近代)国家」ではなく「誰かの所領」であった時代には、仰るように「領」として解釈することはむしろ概念の核心を突いていると思います。
- いろいろお考えがあったのだということは理解しました。私は(表現をお借りすれば)プロイセン王国の記事に遠慮せずに全部こちらに書いてしまって構わないと思うのですが、ご指摘の重複の心配は、もし心配するのであれば確かに気にはなります。読み手にとって、「公国」時代の記述は「王国」時代の記述とくっついていた方がわかりやすいのか、「公領」時代の記述とくっついていた方がわかりやすいのか、という点が解決の決め手になるかもしれません。私は現地統治者の肩書きが「公」であるという点からすれば「公国」は「公領」とくっついていた方が理解しやすいと思います(公領->公国->公国-外国の宗主権=王国)。プロイセン王国にまとまっていた方がわかりやすいでしょうか。
- 仰るとおり、プロイセンの改名については検討に値すると思います。プロイセンというページ名は、いやおうなしに読者に「ここはドイツ固有の土地である」というメッセージを与えかねません。そこで考えたのですが、一般に「プロシア」や「プロシャ」は英語名と看做されますが、しかし厳密に言えばこれらは英語名ではなく「英語名由来の日本語名(つまり、英語発音から「England」が「イギリス」になったくらい訛っている=日本語化している)」であり、英語POVもこの理屈で何とか回避できるのではないでしょうか(POV回避の概念はウィキペディア内部の事情であり、読者側の事情ではないので内部で回避理屈をつけておけば大丈夫だと思います)。幸い、どう考えても「Pru」を「プロ」と読めというのは、日本に来て訛っちゃいました以外に説明がつきませんし。このページについても、もし「プロシア公領」に留めるとしてもこの理屈でウィキペディア概念上のPOVは回避できるのでは……(こじつけで厳しいかな?)。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月4日 (日) 16:54 (UTC)
- 取敢えず、こちらのページについては今後の発展の方向性(公領時代の記述に留め公国時代の記述は王国の方に書くのか、公領時代と公国時代の記述はまとめてこちらに書くのか)が定まってからページ名を再考するということでよいのではないでしょうか。現状ではどちらとも判断が付きません。むしろ今考えるべきはプロイセンの方をプロシア等別のページ名にするべきなのではないか、ということではないでしょうか。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月10日 (土) 09:20 (UTC)
(インデント戻します)遅くなりました。私はWikipedia:記事名の付け方#国名の「過去にあった国については、もっとも一般的な呼称を記事名にするのが適切です。」から「プロイセン公国」が適切だと考えます。
百科事典では、『ブリタニカ国際大百科事典』(1995 TBSブリタニカ)では「プロシア」を見出し語にしていますが、『世界大百科事典』(1988 平凡社)や『マイペディア』(1990 平凡社)では「プロイセン」を、『日本大百科全書』(1988 小学館)では「プロイセン王国」を見出し語にしています。
また『ブリタニカ』では「王領プロシア」「公領プロシア」という記述がありますが、『世界大百科全書』や『マイペディア』ではアルブレヒトが封じられた領土が「プロイセン公国」となっています。
木村靖二編の『ドイツ史』(2001 山川出版社)のようにドイツ史に関する書籍ではドイツ語の「プロイセン」が使われますが、以下の様にポーランド史に関する書籍でも「プロイセン」が慣習的に使われているといえるのではないでしょうか。
- 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』(1998 伊東孝之 井内敏夫 中井和夫 編 山川出版社)では、民族を指す「プルシ人」とプロイセン公国成立前の地図2葉を除き基本的に「プロイセン」で統一されています。例えば84ページには、つぎのような記述がありました。「一四六六年の第二次トルンの和約でポーランドは東ポモージェなどの海への出口を回復した。(略)王領プロイセンと呼ばれたこれらの地域は、(略)。一方、騎士団国家はケーニヒスベルクに首都を移し、ポーランド王を封主とした。」
- 『ポーランドの歴史』(2007 イェジ・ルコフスキ フベルト・ザヴァツキ 著 河野肇 訳 創土社)では、「ポメラニア(ポモジェ)」のように地名によっては併記がされていますが、プロイセンは「プロイセン」とだけ表記されています。また次のような記述もあります。「西部の騎士団領は「王領プロイセン」としてポーランドの領土となり」(63ページ)、「プロイセン東部がポーランド王を宗主とする騎士団長の世襲領土となり、「プロイセン公国」と呼ばれることになった」(65ページ)。
つまり、ポーランド語で「ポルスカ」と呼ばれる国が日本語で「ポーランド」と慣習的に呼ばれているのと同じように、ポーランド語で「プルシ」と呼ばれる地域は日本語で「プロイセン」と慣習的に呼ばれていると考えられないでしょうか。ПРУСАКИНさんはドイツ語に由来する「プロイセン」を記事名に用いることで、そこが「ドイツ固有の土地である」という誤解を与えかねないと危惧されているようですが、現在ドイツとポーランドの間にプロイセンを巡る領土問題などはないのですから杞憂ではないかと思います。―霧木諒二 2008年5月11日 (日) 10:58 (UTC)
- 調べて下さってありがとうございました。私も調べねばと思いつつ、図書館に足が向かないでいたところでした(すみません)。
- 現在プロイセンがロシアとポーランドに領有され、ドイツ領となっていない点に問題があります。特に、ドイツにとって重要なケーニヒスベルクを含む旧プロイセン領がロシア領となっていることは、多少なりとも問題視すべきです。そして、あまりその辺りの事情(ドイツとポーランドの間にプロイセンを巡る領土問題などない等)を知らない日本人が、変に「プロイセンは本来ドイツ領だ」なんて思想を抱く可能性があります。この辺りの事情をどれほど重視すべきかは、私は判断できるほど詳しくないのでちょっとコメントしにくいなというのが本音です(ウクライナ関連だったら「いやここは絶対ウクライナ語」、「いやここはロシア語でしょう」などとコメントするところですが)。
- それとは別の次元の話として、しかるべき出典があるので「プロイセン」、「プロイセン公国」、「プロイセン公領」等の記述をウィキペディアで採用することには原則的問題はないようですね。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月11日 (日) 14:41 (UTC)
- どうしましょうか?--PRUSAKYN 2008年6月4日 (水) 16:07 (UTC)
プロイセン公国
[編集]Sorry for not speaking Japanese but there is also an article プロイセン公国. NNW(会話) 2014年11月13日 (木) 14:58 (UTC)
統合提案
[編集]本記事とプロイセン公国の統合を提案します(両方とも無出典なので、実質的にはリダイレクト化+en:Duchy of Prussiaからの翻訳加筆という提案です)。
- 統合先は「プロイセン公国」を推します。理由は2008年の#改名提案。における用例調査で「プロイセン」が主流となっているため。
- PRUSAKYN (ПРУСАКИН)さんがおっしゃった「現在プロイセンがロシアとポーランド領」による問題については、WP:CRITERIA(記事名の基準)に基づいていないので、ここでは検討しません。
- 内容についてですが、現時点のプロイセン公国に準じて1525年から1701年までをカバーします。1618年(ブランデンブルク=プロイセン成立)と1657年/1660年(プロイセン完全独立)を境に分割する必要性が薄そうで、翻訳元である英語版が1525年から1701年までをカバーしているため、端折る必要があまりないと感じます(一応ドイツ語版とポーランド語版も1525年から1701年までとなっていることを確認しました)。--ネイ(会話) 2020年2月16日 (日) 12:16 (UTC)
- 済 特に反対がなかったため、プロシア公領はリダイレクト化、プロイセン公国は翻訳加筆しました。--ネイ(会話) 2020年2月24日 (月) 13:58 (UTC)