ノート:プラネタリウム
「棒の両端に二つの球体を取り付けた」とありますが、子供のころ見たのは、棒の根元に旧が二つついていました。メーカなどは、覚えていませんが。 秀の介 02:16 2003年10月23日 (UTC)
- 話題の(?)メガスターなんかだとたんなる球体だったりしますよね。
- http://www.megastar-net.com/
- 0null0 02:21 2003年10月23日 (UTC)
- Wikiペとあと五島プラネタリウムとかもからめるなら、閉鎖関係は、「21世紀に入り」とかしたほうがいいかもしれませんね。0null0 03:19 2003年10月23日 (UTC)
どうやら最初のプラネタリウムは任意の場所の星空を投影する機能を有していなかったようで、ひとまず誤解のないように冒頭の文章を整理しました。浅学の私が書こうとすると大阪市立科学館の引き写しになってしまうので、どなたかお詳しい方にさらに手を入れて頂けると嬉しいです。--Gleam 2004年8月7日 (土) 13:30 (UTC)
あと、東京の方でバーチャウムという物が有ったようですが・・Miketsukunibito 2004年9月15日 (水) 11:12 (UTC)
本文中に機種依存文字を使われると文字化けするのですが・・・(Macユーザー)
上記の指摘点については網羅したつもりですが、逆に記述量が増えすぎたかもしれません。特に、「光学式」「デジタル式」の記述が入り乱れて、全体の見通しが悪くなっています。今後検討します。ただ、これでも書ききれていない事項(恒星の瞬き、スライドプロジェクター、キュー信号、SMPTE同期、演出プログラム、音響、コンピュータ化された制御システムなどなど・・・)が多々あります。 また、個人的には「光学式」「デジタル式」という分類も誤解を招く表現だと思っています。「デジタル式」でも光学系が無い訳ではないですし、「光学式」プラネタリウムも現在ではほとんどデジタル制御されています。何か良い表現は無いものでしょうか。
メーカーによっても名称が違ったり、考え方が違ったりしますので、これ以上の記述は混乱するだけだと思います。 すでに、かなりヘビーな感じになっていますね。 光学式・デジタル式・ハイブリッド式の3種類が今のプラネタリウム業界の言い方になっていますが業界用語ですね。
光学式・・・電球を使った方法 デジタル式・・・ビデオプロジェクターを使った方法 ハイブリッド式・・・光学式・デジタル式を組み合わせた方法
これが一番わかりやすいのではないでしょうか。
Projectorの訳語として「投射機」は一般的でしょうか?ひょっとしてコニカミノルタではその訳語を採用?五藤光学では「投映機」としています。一般的には「投影機」だと思います。(「映」と「影」が違う)
- 本文中に「投影」と「投射」が入り乱れて記述されています。「投影」に統一しようと思いますが、いかがでしょうか?
- Yosajin 2007年2月11日 (日) 08:29 (UTC)
- タイトルに「投射」、本文に「投影」という用語が混在して使われていましたので、「投影」に統一しました。
- Yosajin 2007年5月1日 (火) 05:10 (UTC)
最初の国産プラネタリウム
[編集]>日本で、国産として最初に開発されたものは、五藤光学研究所製の物で1959年に製作された…
>1958年には、千代田光学精工(株)(現コニカミノルタ)が市井の発明家信岡正典氏が開発したプラネタリウム…
この2つの記述は矛盾していませんか? ひょっとして最初の国産プラネタリウムは千代田光学精工(株)のものではありませんか。
- 日本で最初のプラネタリウム、ということでは大阪市立電気科学館のカール・ツァイスII型というのが定説になっていますが、「国産の」という点では議論があるようです。「メーカーが製品として」という前提を外せば、1950年に高知南国博で公開されたプラネタリウムが最初だと思われます。その後、本文にある通り、1958年に信岡氏が製作したプラネタリウムを、千代田光学精工が科学博覧会で公開します。一方、五藤光学は1950年にプラネタリウム開発を始め、1959年に一号機を完成、東京国際見本市に出展します。五藤光学は「国産初」と主張していますので、おそらく1958年の信岡式プラネタリウムが“国産”に当たらない(=個人製作)と解釈しているのだと思います。個人では、1958以前にも大西氏や金子氏がプラネタリウムを製造して公開した実績があります。
- 一応、国産第一号は五藤光学として良いと私は思っていますが、業界の重鎮氏が講演で、「国産第一号は千代田光学精工」と発言したのを聞いたことがあります。いずれにしても、定義の問題かも知れません。当該記事を書かれた方がこの議論を前提にしていたかは存じませんが、「国産として最初に開発された」(1959年)、「信岡正典氏が開発したプラネタリウム」(1958年)という記述そのものは正しいと思います。(“国産第一号”という言葉を敢えて避けたのかも)
- PS
- もし仮に、ですが、信岡正典氏のプラネタリウムが「ピンホール式」であったとすれば、五藤光学が「レンズ投映式」と限定して「国産初」と主張している可能性もあります。(信岡式プラネタリウムがどのような構造のものか、分かりませんでした)
- 【参考】
- プラネタリウム白書2001(日本プラネタリウム協会)
- Twilight No.5 1994年3月(日本プラネタリウム協会)
- 星空夢(五藤光学研究所)
- Yosajin 2007年2月11日 (日) 07:03 (UTC)
その後の調査(補足)
戦後のプラネタリムの納入状況および開発状況です
年 | 月 | 製造者 | 公開 | ドーム径 |
1950 | 竹内他 | 南国高知産業大博覧会 | ||
1953 | 金子 | 東山天文台 | ||
1957 | 4 | ツァイス Zeiss IV | 五島プラネタリウム | 20 |
1957 | 4 | 信岡 | 福岡プラネタリウム | 18 |
1958 | 4 | ツァイス ZKP-1 | 岐阜プラネタリウム | |
1958 | 4 | 金子 | 和歌山天文館 | 8 |
1958 | 9 | 信岡 | 甲子園阪神パーク | |
1959 | 五藤光学 M-1 | 国際見本市 | ||
1959 | 5 | 五藤光学 M-1 | 日本平観光天文センター | 10 |
1959 | 11 | 五藤光学 M-1 | 新世界 | 10 |
Yosajin 2007年2月13日 (火) 07:57 (UTC)
NOR抵触の虞れがあるので上記は編集に反映していませんでしたが、日本プラネタリウム協会のページに「日本のプラネタリウムの機器の導入の歴史」という記載があることに気づきました。
現役日本最古参プラネ引退へカウントダウン
http://www.planetarium.jp/pub/topics/200702f.html
の「参考:日本のプラネタリウム機器の導入の歴史」を参照
なお、現在「日本プラネタリウム協会」は「日本プラネタリウム協議会」に改組されています。
Yosajin 2007年6月14日 (木) 07:44 (UTC)
コニカミノルタホールディングスのWWWページでは、同社が「国産初のプラネタリウムを公開」したと主張しています。 http://www.planetarium.konicaminolta.jp/starguide/zukai/ --Yosajin(会話) 2012年5月17日 (木) 08:22 (UTC)
「操作方法」の記事
[編集]操作方法
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
プラネタリウムは指定した日時の地球上のある地点から見た星空を再現するもので、その制御をコンソール(制御卓)で行う。制御の基本は日周運動で、地球の自転に伴う1日の空の動きを解説する。地球の観測位置を変える時は経度・緯度を変更する。また、観客に対象となる天体を正面に移動するため、方位を変更する場合がある(基本は南が正面になるが、北半球における天の北極を見せたい場合は北を正面にする、など)。また、恒星の間を動く惑星の運動を解説する場合は年周を操作する。年周を操作すると、地球の自転をキャンセルして星空を背景にした惑星の動きのみを観察することができる。さらに、歳差を操作することにより、地球の自転軸がコマ振り運動することによる天の北極(南極)の移動を示すことができる。これらは各々のダイアルまたはボリュームを操作することにより行えるが、最近のプラネタリウムでは年月日時分をテンキーで入力して直ちにその空を再現することもできる。
また、上記のオペレーター(操作者)による操作以外に、あらかじめ決められた星空を次々と連続的に再現するプログラムを組んでおき、自動的に観客に見せることもできる。最近のプラネタリウム館ではむしろこの自動演出による上映が主流である。