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ノート:ブレードランナー

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言葉の説明

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MOBってなんですか? --Coh t 2009年8月28日 (金) 12:47 (UTC)[返信]

書籍「メイキング・オブ・ブレードランナー」を指していると考えられますので追記・修正しました。 --240fe0730c1会話2017年3月5日 (日) 03:53 (UTC)[返信]

こまごま

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時代は2019年ではなかっただろうか?0null0 05:24 2003年9月22日 (UTC)

DVD(ディレクターズカット版)では、2019年11月になってました。Baffclan 05:43 2003年9月22日 (UTC)

「わかまつ(ワカ末)」ではなく「強力わかもと」では? Fx 10:34 2003年10月4日 (UTC)

『解任』なんて言葉使われてましたっけ? [[利用者:]] 3:41 2006年1月24日 (UTC)

解任は日本語吹き替え版で使われていました。

>Nekosuki600様

Template:Infobox Filmを見ると、特撮に関する項目がないようで、テンプレートにトランブルを載せられないのでは?ノートも拝見しましたが、特撮に関してはどなたも提起しておられないご様子。--Siriusplot 2007年10月12日 (金) 04:40 (UTC)[返信]

ディレクターズカット

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>ハリソン・フォードにも納得のいく作品となったと言える。 『メイキング・オブ・ブレードランナー』で読んだ話だったと思いますが、フォード自身は監督が意図したアンハッピーエンドに不満だった様子です。2006年6月18日 (日) 17:36 (UTC)

どうも。ついでなんでディレクターズカットの扱いについての私的な考えを述べておこうと思う。
ディレクターズカットを持ち上げ、オリジナルを批判するという流れがあるのだが、これについておれは違和感を抱いてます。
まあ確かにオリジナルに対する批判はありました。しかし、じゃあディレクターズカットがオリジナルより上なのかというと、それはかなり疑問。というか、われわれはほぼ例外なく「オリジナルを見て、それからだいぶ経って、ディレクターズカットを見た」わけで、ディレクターズカットを単独で評価できる視点を持っていないんだな。大半の者にとって、ディレクターズカットは、オリジナルの上に立脚する異本なのであって、それだけで独立した作品ではないのです。
おれは、「最初からディレクターズカットが公開されていたら、おれはどう受け止めたか」を、いくども想像してみた。だけど率直なところ、自分がどういう感想を抱いたか、想像ができないんです。ロイ・バッティが死んだあとのデッカードのモノローグにこめられた思いは、ディレクターズカットを見るときに、もうクリアすることができないんだわ。そういう意味で、ディレクターズカットを見ていても、ぼくらはオリジナルの支配を受け続けている。
ディレクターズカットが公開されたとき、それを持ち上げるという意図で、ずいぶん比較が行われた。あたかもディレクターズカットが「正しい『ブレードランナー』なのだ」とでも言うような言辞もふりまかれた。しかし、その流れに安易に乗って解説してしまうことには、警戒的であるべきだろうと、おれは思うんでありました。
おれの見解へのお付き合いどうも。
--Nekosuki600 2006年10月19日 (木) 15:56 (UTC)[返信]
ノートなんで、駄レスを書かせてください。私も基本的にディレクターズカットよりオリジナルの方が好きです(余談ですが、「目つぶし」「釘刺し」がカットされていないバージョンを公開当時のロードショーで観ました)。
だもんで、オリジナルとディレクターズカットは、「監督特権による別解釈」とさえ受け取っています。
にもかかわらず、DVDは最終版としてディレクターズカットしかリリースされていないのが残念ですね。・・・LD版を持っているから、いいっちゃあいいんですけども。--Siriusplot 2007年7月31日 (火) 06:46 (UTC)[返信]
どうも。おれもロードショーで見ました。高校だか大学だかの新聞部がタダ券提供とひきかえに広告を取ってきて、そのタダ券がおれんところに流れてきたのだった。たしか新宿だったんじゃないかなあ。早々に打ち切られてしまい、「この映画がなんで不入りなわけ?」とか、盛大に疑問に思った記憶がございます。その後、水道橋だか飯田橋だかの名画座で『トロン』との二本立てを見るという苦行も経験しております(=^_^;=)。
いまとなっては、かなり高い金払わないと初期公開ヴァージョンが入手できないって、けっこうつらいんだよねえ。スターウォーズの一作目も、初期公開版と現行版ではぜんぜん違うしね。そういうのは、「理想により近づいたのは現行版かもしれないが、歴史として初期公開版はものすごく重要なのである」ということを踏まえておいてほしいと思うんだなあ(ためいき)。--Nekosuki600 2007年8月11日 (土) 21:24 (UTC)[返信]
きっとそうだろうと思っていたのですが、やっぱブレードランナーのオリジナルについて言及するのは同じ世代のようで。以下、やっぱり駄レスになります。
わたしは公開前、「ヤングジャンプ」に掲載された紹介記事を見て劇場へと足を運びました。ハリソン・フォードの、それまでの主演作での二枚目扱いとはうってかわったかっこ悪さとハードボイルドな魅力が混在していて衝撃を受け、ロイの最後のモノローグにSFを感じました。
デッカードのモノローグはあまりに説明的で蛇足だったかもしれませんが、「ハードボイルドなりの作風」として受け入れてましたね。その後発売されたLD(コレクターズエディション版以前のもの)などで「目つぶし」「釘刺し」がカットされているのは受け入れましたが、ディレクターズカット版を見に行ったときは『デッカードさえもレプリカントって、そりゃどうよ』と思わずにはいられませんでした。
もうひとつディレクターズカット版を受け入れがたいのは、デッカードの最後のモノローグをカットしてしまったことで、「レイチェルだけはスペシャルだ」というストーリーを変え逃避行させずに終わってしまったことでしょうか。
トロン」も好きです。(現実のコンピュータの動きとは同一ではありませんが、当時触れていた)パソコンに愛着を持ったものでした。
スターウォーズは、公開当時に十数回見に行きました。しかしこちらについては、大幅に手を加えられた現在の版の方がいいと思っています。合成のマスクが見えてたり、見えるべき機体の代わりに光点だけというのはやっぱ厳しかったですから。もちろん、だからと言って他人の意見を否定するつもりはないのですけど。--Siriusplot 2007年8月12日 (日) 05:58 (UTC)[返信]
亀レスです。1年経ってますな。でも悠久の宇宙の中で1年なんてつかの間のこと。
スターウォーズは、えーと、完成度は現行版のがはるかに高いです。おれもそっちのがいいと思う。とはいえなんだ、あのほれ、ファントム・メナスでポッドレースの胴元をやってたやつ、あいつを人間が演じていたこととの差分に、おれは「金はないけど、でもおれはこういうイメージを具現化したいんだよ」というジョージ・ルーカスの思いを感じる。だもんで、初期公開版はあれはあれでいいもんだなぁ、とかじいさまのようにつぶやいてみたくなったりするんでした。たぶん、この「差分を楽しむ」という感覚って、リアルタイムで歴史を眺めてきた者の特権なんだろうと思います。--Nekosuki600 2008年9月20日 (土) 18:12 (UTC)[返信]
この項ができてから、まる2年経ってるんですね。
本題についてはもう新たな議論の局面もないのにお付き合いいただき大変ありがとうございました。念願のUCEのリリースにより、あのITC版もDVDで堪能することができ至福の時を過ごすことができます。やはりガフの台詞を思い出しつつエレベーターに乗ったところで「Love Theme」がかかって欲しい。ハリソン・フォードは何度も追加撮影に呼び出されて辟易したかもしれないけど、ふたりが陽光のなか、車を走らせるシーンが見たいのです。余談ですが、レイチェルにセックス・シーンまでもがあるのは驚きでした。--Siriusplot 2008年9月21日 (日) 14:08 (UTC)[返信]

222.225.89.169さんのアラシ?

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私は幸運にも1982の劇場公開にオリジナルを観る事が出来ました。Nekosuki600さんがかかれていますが私はどの版も好きです。順序から言いますとナレーション版から観てディレクターズカットを観て原作に近いので感心はしましたが、今ではオリジナルが好きです。ところでIP222.225.89.169さんの無軌道な修正に手を焼いています。まあ主観だらけで勝手に書いている感じで修正メモも残さず、一度に修正せずに数回に分けて修正しているところを見るとwikiには慣れて居ない方であると推測するのですが、キチンと見解を質したい ところです。皆さんもご協力をお願い致したい次第です。(以上の発言は 2006年11月12日 (日) 14:42 Hariu さんによるものです)

ども。
えーと、IPユーザを貶める意図はありませんと最初に言っておきます。しかし、IPユーザである間は議論への継続的参加が保証されず(いや、ログインユーザであったとしても全面的に保証されるわけではありませんけれども)、意見対立などの解消が困難であるという事実に鑑み、IPユーザは意見対立がある編集を強行すべきではなく、そういう編集を行いたいならばログインすべきである、というのがおれの考えです。
すでに複数回、ログインをして議論に参加することが編集コメントで求められているにもかかわらず、まだ編集の強行がなされるようならば、対話のためのブロック(あるいは対話拒否に基づくブロック)を検討すべきであると考えています。
ま、合議をするほどのこともありませんので、おれが必要だと思ったらブロック依頼を出すつもりですが、おれよりも先に必要だと思った方がおいでになれば出していただいてもかまいません。
ま、そういうわけなので、222.225.89.169さんは「ログインをすること」「編集を強行する前にちゃんと議論に参加すること」を守っていただきたい。よろしくどうぞ。--Nekosuki600 2006年11月12日 (日) 16:23 (UTC)[返信]

間違った記載が変更されない

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はじめまして。何度かこちらを見てそのたびに高画質ネガという間違った情報を修正しているのですが、元を書いている方が、こちらのシステムに詳しいのか、毎度元に戻されてます。 明らかにあれはメイキングオブブレードランナーのテキストの、知識不足による読み間違いです。 どなたかこちらに詳しい方で、あちらこちらの間違っている部分を直していただけるかたいませんでしょうか?よろしくお願いします。--Offworld 2020 2007年2月22日 (日)(UTC)

こんにちは。本件の出典に関して、私も所持していますが、出典は“メイキングオブブレードランナー”ではなく“びでおデータ”誌のBR最終版リリース記念特集からの引用ですね。結論として特製レンズによるオリジナルネガが存在していて、こちらが高画質ながらお蔵入りしていることが示されれば良いだけと思います。現状は皆が修正しているのでスッキリしない文章になっていますね。2007/02/25/Social.fools

影響を与えた作品の項について

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この項目の内容は一つも出典が示されてなく、独自研究のおそれがあります。反対が無ければ一週間時間をおいて削除します。--Annogoo 2007年7月29日 (日) 06:06 (UTC)[返信]

出典がどーのって話ではなく、ブレードランナーの項目には必要ないことのような気がしますね。ブレードランナーファンが影響力を強調したくて付け加えたシーケンスのように思えます。贔屓の引き倒しってやつだなあ。--Nekosuki600 2007年7月29日 (日) 07:33 (UTC)[返信]
ブラックレインへの言及もいらないな。ついでに消しておいてください。--Nekosuki600 2007年7月29日 (日) 07:34 (UTC)[返信]
とりあえず、自分と同じ考えを持ってる方がいてよかったです。AKIRAにはまったく出典もないし、トップをねらえ!もこじつけ臭い。ブラックレインもこれはないのでは?とにかくいったんコメントアウトします。--Annogoo 2007年7月29日 (日) 11:48 (UTC)[返信]
消しちゃったもんを戻さなくていいけど、「一週間」と期限を切ったのなら、一週間待ってから削除する方がモメる余地が少なくなってより良い手順となったような気はします。まあまず出てこないとは思うのだが、あのあたりを書いたひとがどういうつもりで書いたのか、知りたかったような気はしますね(=^_^;=)。--Nekosuki600 2007年7月29日 (日) 13:19 (UTC)[返信]
「反対が無ければ一週間時間をおいて削除します」としたら一週間置くべきでは。それはともかく、たとえばiMacの項に、

このiMacが先駆けたポップでキュートな半透明のデザインコンセプトは、コンピュータ業界のみならず、家電業界や、果ては文具等のデザインでもブームとなった。名称の頭文字「i」さえも、色々なネーミングで見かけることになる。

……という記述があるように、ブレードランナーの未来描写の映像が「その卓越した近未来描写から多くのファンをもつ」という程度ではすまない革命的なインパクトを与えたことについては、何らかの形で書かれるべきだと思います。いまのところはどう書いたらいいか思いつきませんが。【追記】署名を忘れてました--usagito 2007年7月29日 (日) 17:24 (UTC)[返信]
ブレードランナーが後の作品に大きな影響を与えたのは明白ですし、SF映画としてかなり高い評価を得ていることは知っています。そのことは『概要』の項を新たに作って、そこでまとめて記述するのがベストかと。--Annogoo 2007年7月29日 (日) 14:22 (UTC)[返信]
うん、その影響をきっちり書くのは、ありだと思うんだ。でも独自の研究にならないようにまとめるのはすごくむずかしいとも思う。少なくとも「影響を受けた(のかもしれない)作品」を並べるなんていう方法じゃ無理だろうなあ、と。おれもまあ、思いついたら書くようにこころがけます。個人的なオマージュにならないように書ける自信は、あんましないんだけどねえ(ためいきをつきつつ)。--Nekosuki600 2007年7月29日 (日) 18:00 (UTC)[返信]
やり取りを拝見していて思ったのですが、プロデューサーや監督・脚本家などが対談記事などでブレードランナーに影響を受けたと言及したものについてのみ、記載する方針にすればよいのでは?(となると出典の明記が必須になるでしょうが・・・) 例えば「豆知識」の項に以前あった「ハリソン・フォードの不満」を書いたのは私なのですが、これは当該出典本を紛失してしまったため、削除されたことに対してRevertをしませんでした。こういった議論になる場合、出典を明記することは重要ですよね。--Siriusplot 2007年7月31日 (火) 06:46 (UTC)[返信]
どうもです。
いやあ。ブレードランナーがその後の作品に大きな影響を与えたということについて言及をするのは大事なことだと思います。ただその場合、その記述は「ブレードランナーを主体として語るべきこと」であるように、おれには感じられます。つまり、「影響を受けた作品を羅列しエピソードを連ねる」のではなく、「ブレードランナーのどういう世界観がどのように影響を与えたか」を説明すべきであり、他作品は具体的事例として作品名+リンクを記すくらいがちょうどいいんじゃないだろうかと(リンク先となる各作品に「ブレードランナーから受けた影響」についての具体的な説明があってもかまわない。ただその場合も、こんどは「それぞれの作品を主体として語るべきこと」になるため、これまたけっこうむずかしいと思う)。
Wikipediaの常として、箇条書き形式でずらずら書いたものを放置すると際限なくそういうのが増殖していってしまうという特性があるので、そういう特性への警戒感もあります。
ハリソン・フォードの不満を消してしまったことについては、どうも申しわけない。ただあれ、ディレクターズカットで書かれていたわけだけど、そういうコンテクストではなくて「ブレードランナーが当初いかに受け入れられない先駆的な作品であったか、そして商業的判断からどのような改変を求められたか」の部分にくっつけて彼の不満が書かれていただけなら、おれは気にしなかったと思う。--Nekosuki600 2007年7月31日 (火) 10:04 (UTC)[返信]
まず、こういった話はマニアなりの楽しみとして、やりとり全体を受け入れていると前置きをしておきます。
「ブレードランナーを主体として語るべきこと」はとても大切だと思いますし、書かれていた内容は憶測に過ぎないものだという批判が実際あてはまると思います。しかし出典を挙げたうえで言及しているぶんには、それは「百科事典」としては逸脱しているかもしれないが、大勢の知識の集積としての「微笑ましい蘊蓄」としてある程度受け入れてもいいのではとも感じています。堅苦しい項目解説より、余談の多い解説であっても(良くはないが)悪くないというスタンスからの意見ですけども。
もちろんそれの連鎖がNekosuki600氏の警戒するところとなるのは自明ですし、どこかで線引きが必要になるのは正しい成り行きだと思います。
ちなみに「ハリソン・フォードの不満」は、ブレードランナーについてではなく俳優ハリソン・フォードについて書かれた本の中での話なので、ディレクターズカットとは無縁の話ではないかと(当該文は、公開されたブレードランナーに対する不満としてのみ述べられており、ディレクターズカットに関する記述はありませんでした)。--Siriusplot 2007年7月31日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
あ、申し訳ない。間にディレクターズカットの話がはいってたもんで一体だと思ってしまいました。「初期公開版とディレクターズ・カット」の前半あたりに戻しておきましょうか?
映画などの項目については、「微笑ましい薀蓄」があってもいいと、おれも思います。まあ、なにが微笑ましいのかという対立はいろいろありましょうが、学問系項目のようにがっちがちに固めてもつまらないし、印刷物の百科事典とかでも作品項目だとちょっと遊んでたりしますからね。ただ正面から「遊びがあってもいい」なんてことを言うとどうなるかというと・・・(=^_^;=)。--Nekosuki600 2007年7月31日 (火) 12:29 (UTC)[返信]
いえ、本文に戻すのは出典を発見してからでよろしいかと。Nekosuki600氏が戻した後やってきた方が見て「根拠のない主観論だ」と思って削除する光景が目に浮かびます。
間違っても本文には書けませんw<遊びがあってもいい
--Siriusplot 2007年7月31日 (火) 12:37 (UTC)[返信]
どこかで見たんですが、「ブレードランナーと2001年宇宙の旅とあともう一つ(忘れた)は、SF映画の3大傑作である」という評論家の方もおられるので、やはりかなり評価は高いのでしょう。独自の世界観を打ち出した本作は、後の作品に大きく影響を与えたようで、SFにアジアンテイストが加わっているものはよく「ブレードランナーの影響を受けてる」と言われます。このようなことを記事本文に書くことはいいと思うのですが、影響を受けたらしい作品をただ列挙していくのは反対。だったらそれぞれの作品の記事に書く方がいいし、制作者が直接ブレードランナーから影響を受けたと名言してない限りは載せない方がいいと思います。まあ現時点では、私はNekosuki600さんとほぼ同じ考えです。--Annogoo 2007年7月31日 (火) 11:29 (UTC)[返信]
すっかり余談かもしれないのですが、Annogooさんは「SF映画としてかなり高い評価を得ていることは知っています」とか「やはりかなり評価は高いのでしょう」「後の作品に大きく影響を与えたようで」という言い回しをされていますが、なんというか、作品はご覧になりましたか?(すくなくとも、リアルタイムではない?)ご回答を強く求めるものではありませんが、何となく気になって。個人的には、2001年は「SF映画の名作」だけど、ブレードランナーはSFに関係なく映画史上の最重要作品のひとつ、という印象です。--usagito 2007年7月31日 (火) 16:19 (UTC)[返信]
答えるのも余談になるかもしれませんが一応答えます。ブレードランナーは最近になってDVDで見ました。見る前から多くのかたが高い評価をしていたので見てみました。独自の世界観など感じるところはありましたが、何ぶん20年以上前の作品なので、リアルタイムで見てない自分としては、このような推量風(?)な言い回しとなってしまいました。すみません。--Annogoo 2007年8月1日 (水) 01:01 (UTC)[返信]
だからこのノートは、もうディープなSFファンの巣窟なんだから、余談でかまわないのっ(そうなのかよ(=^_^;=)>おれ)。で、なんかわくわくしつつ聞いてしまう。皮肉ではない、おれは本気でわくわくしているし、率直なところを聞けるとうれしい。
Annogooさんが *最初に* ご覧になったヴァージョンは、どれでしたか。最近になって見たということは、おそらく初期公開版ではないのじゃないかと思うんです。十中八九、ディレクターズカット版じゃないのだろうかと(まず、どのヴァージョンを最初に見たのかを、確認してくだされ)。そして、そのときの印象はどんなものだったのかを、お聞かせくだされ。
前にも書いたけどさ。おれは最初のヴァージョン(目潰しも釘刺しもあるヴァージョン、そしてモノローグがあって、エンディングの空撮もあるヴァージョン)を、最初に見てしまったのです。だから、ディレクターズカット版を見ても、「最初にディレクターズカット版を見たとしたらおれはどういう印象を抱いただろうか」ということが、わからなくなってしまっている。最初にディレクターズカット版を見たひとがどういう印象を抱くのかということを教えてもらえると、すんごくうれしいのだな。現実問題、「ブレードランナー」について評論を書いてるようなやつはおっさん・おばさんばっかで、みーんな初公開版を見てやがったりするんで、「ディレクターズカット版の、独立した作品的評価」を、ちゃんと見たことがないのですよ。
おれは、あなたの感想を聞いて、同意するかもしらんし反感を抱くかもしらん。目から鱗が落ちるかもしらんし、目に鱗が張り付くかもしらん。なーんも感じないかもしらん(=^_^;=)。でもさ、ブレードランナーという作品を解説する上で、この「ヴァージョン間の違いをどう分析するか」というのはおもいっきし重たくてめんどくさいテーマになっていたりするわけで、あなたはおそらくその論点について有益な情報を提供できる立場に立っていると思うんだ。だから、ぜひ、語ってほしい。よろしくお願いします。気長に待っていますので、じっくり書いていただいてもかまいません。--Nekosuki600 2007年8月7日 (火) 19:54 (UTC)[返信]
その「もう1本」って、なんだったんだろうなあ。なんかこう、もやもやしてフラストレーションがたまってたりするぞっ(それは単にいま夏で暑いせいだから>おれ)。
「2001年」と「ブレードランナー」ともう1本か。んー。ありがちなのは「惑星ソラリス」かなあ。ジョージ・パルの一連の作品とかも捨てがたいのだが、パル作品って「これ!っという1本」がないんだよなあ。個人的には、ロバート・ワイズの「アンドロメダ病原体」や、いまやメインストリームの「スター・ウォーズ」や、スタートレックの「故郷への遠い道」なんかも大好きなんだが、そういうのは凡百の作品なんだよな。んで、「2001」「ブレラン」「ソラリス」あたりだとしたら、それってば、いずれもこう、ディープなSFファンに評価が高い作品って感じで、一般市民にウケを取れるような気がしないな。んー、わかりやすく言うと「これから口説こうと思っているやつを誘うデートで見るに適した映画ではない」って感じだろうか。
ああ、なんかイライラするなあ。イライラしつつ、これまでに見た映画の記憶がフラッシュバックしてきていて、けっこう楽しかったりもするわけだけど(って、おい(=^_^;=)>おれ)。--Nekosuki600 2007年8月7日 (火) 20:08 (UTC)[返信]
「SF映画の3大傑作」として惑星ソラリスはとてもふさわしいと思います。むしろこれらの映画に誘って乗ってくる人でないと、今後もきっと話が合いませんよ:-)
しかしブレードランナーはむしろそのSF3大傑作からは少し外れるのではとも思いますね。SF的要素(近未来世界の描写、レプリカントという存在、その暴走による影響を抑えるための短寿命)よりヒューマニズムに重きを置いていると思うからです。空席には候補のひとつとして禁断の惑星か、(ここはあえて)さよならジュピターアンドリューNDR114を挙げておきますね。※今回の本投稿は、ある程度汲んでくださいねw
ところで・・・「故郷への遠い道」を挙げますかw いや、あれは楽しくていい作品で好きですけども。--Siriusplot 2007年8月12日 (日) 07:10 (UTC)[返信]
ウォッチリストから呼び戻されてしみじみ読んでいたら、そうだここへのレスをしていなかったということに気付いたもんですから(もう完全にファンジンのノリだな(=^_^;=))。
「SF映画の3大傑作」を選ぶとして、サイバーパンク以前という枠組みを設定するなら(サイバーパンク以降は明らかに流れが違う・・・ような気がするもんですから)、おれも「禁断の惑星」を入れますねえ。あれはものすごかった。さすがにこう、「禁断の惑星」はフィルムでは見ることができていないのですが、テレビで見て衝撃受けましたもん。「意識」というものを意識して形而上の思考をすることの面白さを学んだ最初のきっかけになったんじゃないだろーかなんて思いました。1950年代にあんなもん作っちゃうんだもんなあ。
SF大嫌いを公言するフランソワ・トリュフォが作った「華氏451」をベストスリーに入れてやろうかと一瞬思ったのですが、あれはまー、映画としてすごいってより物語としてすごいだけだから、やめておきました(=^_^;=)。--Nekosuki600 2009年1月1日 (木) 15:43 (UTC)[返信]
ネストが深くなりすぎるので2つ戻して書きます。もう議論は存在しないでしょうが・・・。
> サイバーパンク以前という枠組み
SFを「(荒唐無稽な舞台構築ではなく)何らかの科学的考察を加えたうえでの架空の舞台設定をもとに展開したストーリー」として捉えたとき、「華氏451」はいいSF映画ですね。追加して挙げるとするなら、「ソイレント・グリーン」、「渚にて(同題の映画についてはまだ当該項が未執筆)」ですが、もう「3大傑作」から遠く離れてしまってます。
近年のSF映画として自分が挙げたいのは、SF映画として“記号性”にあふれた「ガタカ」です。未見でしたらご一覧を。
あと、長回しにばかり目が行ってしまいますが「トゥモロー・ワールド」もSF映画として好印象ですが、やはり「3大傑作」とは無縁。--Siriusplot 2009年1月1日 (木) 16:43 (UTC)[返信]
基本的な事として、いやしくもクリエーターならば自己の作品に関して『〜の影響を受けました』等と述べる筈はまずない。従ってインスパイアを指摘された作品の監督本人が述べた場合に認める定義はロジックはわかるけど実効的ではないのでは。そもそも1982年公開のこの作品の文献など、ほぼ限られる訳で、あとは別編集バージョンのメディアが発売されたときに雑誌で取り上げられる程度。後は熱心な方が当時のスタッフ・関係者から話を直接聞いた等の独自情報になります。Wikipediaの定義は百科事典ではあるけれど、殊にこのブレードランナーは百科事典に徹したら数行で済んでしまう作品です。公開当時になんら評価も得ていない訳ですから、その意味でバカの一つ覚えのように『出典不明』を楯に情報を削除されることが多いのですが、これもまた分かりますが、例えば監督本人が書いている場合や直接関係者が書いている場合に出典などあるはずもないですが、情報としては貴重です。Nekosuki600さんのようにこの映画を愛するスタンスの方が多い場合に。やはり精度や正確性に疑問があっても独善過ぎない範囲では情報源の注意表示をした上で記載することはこの映画そのものの価値を多角的に示せる訳でその意味で『遊び』を含めるべきと個人的に思います。Wikipediaを全て出典元厳守で、監修したら全ての項目が数行で終わってしまうでしょう。それを皆は果たして望むのでしょうか。
映画や音楽、文学全体には啓蒙的な要素も、またより深めたい方にもある程度のガイド訳も果たすのは有意義と思います。『ブレードランナーに影響を受けた作品』に関しては『この映画を気に入った。似たようなコンセプト、ヴィジュアルの作品はないのだろうか』と深めたい方への何らかのガイドをする程度として個人的には必要な項と思います。
--hariu 2007年8月11日 (土) 00:24 (UTC)[返信]
>そもそも1982年公開のこの作品の文献など、ほぼ限られる訳で、あとは別編集バージョンのメディアが発売されたときに雑誌で取り上げられる程度。後は熱心な方が当時のスタッフ・関係者から話を直接聞いた等の独自情報になります。 → 『Wikipedia:独自研究は載せない
>やはり精度や正確性に疑問があっても独善過ぎない範囲では情報源の注意表示をした上で記載することはこの映画そのものの価値を多角的に示せる訳でその意味で『遊び』を含めるべきと個人的に思います。 → 『Wikipedia:出典を明記する
>映画や音楽、文学全体には啓蒙的な要素も、またより深めたい方にもある程度のガイド訳も果たすのは有意義と思います。 →    『Wikipedia:ウィキペディアは何でないか
ウィキペディアはこういう決まりになっているので・・・
Nekosuki600さん、私が思い出せなかったのはその「惑星ソラリス」です。ブレードランナー、2001年宇宙の旅、惑星ソラリスの3つがSF映画の3大傑作と言ってる人がいました。ただこれは人によって評価は違うでしょうから、載せれないでしょうね。ただ言いたかったことは、(当然ですが)ブレードランナーはそれほどまでに評価が高いということです。--Annogoo 2007年8月11日 (土) 08:58 (UTC)[返信]
Annogooさんは一生懸命取り繕ってますがブレードランナーには思い入れがないんですね。文章からそれは残酷なまでに明らかです。杓子定規な監修は誰にでも出来るのです。その意味ではあなたが仕切る必要性も必然性も無いのです。どうかここから離れてモーニング娘。の監修でもやってはどうでしょう。正直迷惑なのです。--2007年8月11日 (土) 16:13 Social.fools(履歴より署名添付--Nekosuki600 2007年8月11日 (土) 16:28 (UTC)[返信]
Wikipediaはファンサイトじゃないんで、「思い入れのあるひとだけがぞろぞろ登場してほめまくる項目」になったら逆にキモチワルイです。ファン視点からの記述が跳梁跋扈したら、それこそ百科事典の記事になんか育つわけがないとも思います。誰かに仕切る権限があるわけでもないし、意見として聞いてちゃんと対応すれば何の問題も起きないんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2007年8月11日 (土) 16:28 (UTC)[返信]
Social.foolsさん、ウィキペディアは『誰でも編集できる』百科事典なので、そんなこと言われても私としてはどうしようもないですね。このノートの項を立てたのが、私だったので責任をもって対応しただけです。それとモーニング娘にはまったくが興味ないので悪しからず。--Annogoo 2007年8月11日 (土) 19:43 (UTC)[返信]
結局、削ったり戻したりになってますね。これは合意が完全ではないということでは?と感じました。わたし自身は出典が明記できるものに限って掲載すればいいと思っていますが、下記のいずれかにしたほうがいいのではないかと思います。
1.各作品の項に、「影響を受けた作品」としてブレードランナー(と影響を受けた箇所)を挙げる
2.当項では「影響を与えたと思われる作品」として作品名のみを挙げる

--Siriusplot 2007年8月12日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

サントラについて

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サントラに関する編集がありましたので、これを機にいくつか加筆してみました。しかし内容的にヴァンゲリスの項からの引き写しになってしまうためリンクにとどめ、収録曲についてもシンプルを心がけました。--Siriusplot 2007年10月12日 (金) 04:40 (UTC)[返信]

映画タイトル「ブレードランナー」の元ネタについて

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ウィキペディア記事内では、ウィリアム・S・バロウズのみ名前が記載されています。その点について疑問を感じます。そもそも、アラン・E・ナースが「ブレードランナー」というタイトルの本(小説)を書き、その設定等を引用してバロウズが「映画 ブレードランナー」というタイトルの本(映画シナリオ体裁?)を書きいた、という経緯があったとされています。じゃあ実際に映画化されたときに、どっちの本のタイトルを目にして「ブレードランナー」に決めようとしたのか、ということになるとそりゃ判りません。しかしながら、映画のエンドロールのクレジットには二人の名前が併記されている以上は、もしタイトルの元について記載するのなら両名の名前を記載するのが妥当であると考えますが、どうでしょうか。--123.200.38.19 2007年11月19日 (月) 16:46 (UTC)[返信]

私もバロウズにのみ言及するのは妥当ではないと思います。むしろ、「ブレードランナー」という項目の説明としていきなり映画のこと、と断定していて、これらの先行する出版物を無視しているのはどうかと思います。ノースの小説は未訳と思いますがバロウズ版は邦題が『ブレードランナー』ですし、同列に扱っても良いのではないでしょうか。ところで少し話がずれてしまいますが、製作サイドではこれらは題名の「元ネタ」ではなく、偶然の一致だと主張しているようです。信用するかどうかは別として、日本初公開時の劇場パンフレットには「『ブレードランナー』というタイトルは、それがきまったあとになって、同じ題の小説が他にあることがわかり、プロデューサーたちをあわてさせた。」とあります。また、バロウズの本は(この本のレビューなどによると)、本来はノースの小説の映画化のために雇われて書いた脚本で、映画化が実現しなかったので本として出版した、という経緯だそうです。--221.132.153.231 2007年11月27日 (火) 12:32 (UTC)[返信]
ポール・M・サモン著の「メイキング・オブ・ブレードランナー」に書かれている脚本家ハンプトン・フィンチャーの説明では…
  1. 主人公の職業にふさわしいネーミングはないかと書籍を物色した
  2. バロウズの小説『en:Blade Runner (a movie)』を見つけ、監督スコットがこのタイトルを気に入った
  3. バロウズに申し出てタイトルのみの使用権料を払った
  4. その後、ノースの小説『en:The Bladerunner』もあることを知り、こちらにも使用権料を払った
  5. 双方に払ったのは5000ドルずつ位だった
という経緯だったとあります。映画タイトルとしてはバロウズのが元ネタですけど、その元がノースであることも確かでしょう。ノースの小説における「ブレードランナー」とは、非合法医療器具(blade)の密売人だそうです。
ところで、本文にある「某日本人スーパーバイザー」って名前を伏せるような事情があるのでしょうか?{{要出典}}にあたる気もするのですが。-- Nickeldime2007年12月21日 (金) 17:37 (UTC)[返信]

ロケーション他の項について

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> 謎の日本語のセリフが街中の騒音として何回も使い回されている。

の件ですが、具体的な台詞を聴感に頼るしかなく、微細な表現をめぐって幾度かの編集が加えられているようです。日本語の台詞は他にも「寄越せ!俺んだ!俺んだ!」と聴こえるものもあることですし、具体的な台詞を排して文全体を

「さまざまな人種が入り乱れて生活している様子を描写するためか、いくつかのシーンではシチュエーションに合わない日本語の台詞が繰り返し使用されており、誤字の多い看板とあいまって日本人観客の興味をひくシーンが見られる」

といったものに差し替えてはいかがでしょうか。本提案についてはご意見を1ヶ月ほどお待ちし、議論が発生しないようでしたら修正したいと思います。--Siriusplot 2008年12月2日 (火) 08:12 (UTC)[返信]

どうも、修正を行なった人間の一人です。細かい表現に関する編集については、元に問題があるように見えた等ではなく「変な物が落っこちてきたぜ」は「二つで十分ですよ」と同様に、日本のファンの間でよく話題に挙がると言うことで掲載の必要があるかと思い、自分はなるべく分かり易くなるよう修正を加えました。しかし、Siriusplotさんの仰る通り、Wikipediaはあくまで百科事典であり、ファンサイトではないので、詳細を説明するより、Siriusplotさんの提示なさったような表現の方がスマートで良いかと思います。自分としては賛成です。わざわざノートでの話し合いを提案して頂いてありがとうございました。--弐之宮瓶 2008年12月2日 (火) 12:42 (UTC)[返信]
さっそくのご賛同ありがとうございます。他の方からの意見もお待ちしたいと思います。その後、同様の懸念を持つ「丼物」も加筆が行われてしまいました。いろいろ含め合わせて、件の文を以下のように改定して再提案いたします(丼はマニア受けするシーンではありますが、ややネタバレの感も否めませんし)。
本作は、ロサンゼルスの街にさまざまな人種が入り乱れて生活する様子を描写するため、漢字を多用した日本語の看板、日本語を話す店主の切り盛りする露店、日本語による話し声が多用されている。このことが日本人観客の興味をひくことになり、これらのシーンへのオマージュ・議論が生まれることになった。以下に代表的なものを挙げる。
「コルフ月品」「禁止進入」など日本語の看板、ネオンサイン、壁面の落書き
デッカードが日本語を話す店主に丼を注文する際、トッピングについてやりとりをする(リサーチ試写版でのみ丼の中身が映る)
いくつかのシーンで、シチュエーションに合わない日本語の台詞が繰り返し使用
--Siriusplot 2008年12月3日 (水) 06:01 (UTC)[返信]
本件について1ヶ月ほどお待ちしましたが議論が発生しなかったようですので修正いたしました。ひきつづき議論なさりたい方は、こちらでどうぞ。--Siriusplot 2009年1月1日 (木) 14:58 (UTC)[返信]

リサーチ試写版(ワークプリント版)の項で、丼の中身についての誤った修正(少なくとも麺が4つではない)がなされてしまったようですので、議論の場を設けておきたいと思います。マニアではない一般の閲覧者にとってはどうでもいいような細かいところですが、これまでの経緯を見ると、修正すれば再度手が入ることになってしまうのは明白ですので。 今改めてワークプリント版からファイナル・カット版までのDVDで当該箇所を確認しましたので、台詞まわしとシーン描写を文字に起こしておきます。誤認識があるようでしたら確認のうえご指摘ください。

「空きました空きました。いらっしゃいいらっしゃい・・・さあ、どうぞ・・・何にしましょうか?」
「Give me four.(4つくれ)」
「2つでじゅうぶんですよ」
「No, four. Two, two. Four.(いや 4つだ)」
「2つでじゅうぶんですよ」
軽くため息をついて「And noodles.(うどんも)」
「任してくださいよ」
リサーチ試写版ではこのあと、鰯かアジ、ししゃものような小型魚、もしくは頭のないエビが2匹添えられた丼と麺が1つ出される

こういう流れなので、麺が4つではなくメインの丼(個人的には「○×ライス」の類に見えますが、いわゆるデッカー丼)に添えられたおかずの数だと思います。しかしいずれの版も字幕には「noodles」と出ているため、4つから2つに減らされたものの正体は麺であると認識されているのかも知れません。 というわけで、本ノートへの誘導とともに「何かを4つ注文するシーン」と修正しておくことにします。それが何かを知りたい向きにはリサーチ試写版を見てもらえばいいわけですし、どういうものだと見られているのかはファンサイトを見てまわっていただけばいいわけで、具体的な内容をめぐって修正を繰り返す必要はないと考えています。--Siriusplot 2009年1月1日 (木) 14:23 (UTC)[返信]

ファンサイト等では(小型魚ではなく)エビだと指摘されたものもありますが、背びれのようなものの存在と、焼けて皮が破れたように見える体裁から魚ではないかと主張しておきます。また当該の麺もトッピングが見あたらないため、天ぷらうどん(4つの正体は天ぷらだという説)のようには見えません。これを論じるぶんにはファンとしては楽しいのですが、ウィキペディアに必要なことではないですし。--Siriusplot 2009年1月1日 (木) 14:23 (UTC)[返信]
じゅうぶんですよ、かんべんしてくださいよ(と、おれは記憶しているのだが、確かめてません)・・・あ、あけましておめでとうございます。--Nekosuki600 2009年1月1日 (木) 14:32 (UTC)[返信]
あけましておめでとうございます。わたしもそのような認識があったのですが、聞き返してみたら上記の通りでした。記憶ってなかなかあてになりません。--Siriusplot 2009年1月1日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
しめましてさようならの季節になりました。
いまインターナショナル版を見直しているのですが、えーとおれってば確か日本語を母語としていたようなおぼろげな記憶があるんですが、「まかせてくださいよ」にはどうしても聞こえず「わかってくださいよ」に聞こえました。「かんべんしてくださいよ」には聞こえず、記憶ってあてにならないなぁ、みたいな(=^_^;=)。んじゃ来年もよろしく。--Nekosuki600 2009年12月20日 (日) 19:23 (UTC)[返信]

近々の編集合戦に関する仲裁

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以下の編集合戦に関する闘技場を作っておきます。

  • 2009年3月24日 (火) 10:46 K-Phil (37,777 バイト) (→外部リンク)
  • 2009年3月25日 (水) 11:46 Jason1208 (37,753 バイト) (新カテゴリーを作ったからと、既存のカテゴライズを侵すのは筋が通らない。)
  • 2009年3月28日 (土) 08:14 K-Phil (37,777 バイト) (Jason1208 (会話) による ID:25038585 の版を取り消し)
  • 2009年3月31日 (火) 00:30 Usagito (37,753 バイト) (Jason1208氏の取り消しに理がある。K-Phil (会話) による ID:25085076 の版を取り消し)
  • 2009年4月1日 (水) 05:51 K-Phil (37,733 バイト) (→外部リンク)
  • 2009年4月1日 (水) 11:59 Usagito (37,753 バイト) (荒らしからの復旧。K-Phil (会話) による ID:25156095 の版を取り消し)

しょーじき何をやってるんだかよくわからないんですが、そういう編集合戦をするのならば、編集合戦になりかけた段階で合意形成を目指しなはれ。

では、どうするのがいいかについての議論はこの下でどうぞ。--Nekosuki600 2009年4月1日 (水) 12:26 (UTC)[返信]

編集合戦になることを危惧したので、「利用者‐会話:K-Phil#カテゴリ張り替えについて」にてご提案申し上げたのですが・・・案の定。しかも当該個所と同じものを膨大な量のSF映画関連のページに修正されているため、今後当項目以外でも編集合戦が起こるのではないかと危惧しています。ブレードランナーだけで議論されても他の項目を見る人の目には触れず、結論が置き去りになってしまうので、Wikipedia:ウィキプロジェクト 映画Portal:映画あたりでの合意形成をお願いしたいところです。「英語版がそうなっていたから日本語版も」というのは理解できますが、予めの合意形成がないと編集合戦になるのは目に見えています。それでなくとも、SFというジャンルはマニアック度が高く、異議が出やすいんですから。--Siriusplot 2009年4月3日 (金) 01:36 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

ブレードランナー」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月18日 (月) 10:02 (UTC)[返信]