コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:ブレスト=リトフスク条約

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

出典について

[編集]

多分、その部分を書いたのは私だったのではないかという気がします(すみません、あまり覚えていません)。

たしか『物語ウクライナの歴史』(黒川祐次著、中央公論新社)か『ポーランド・ウクライナ・バルト史』(伊東孝之・井内敏夫・中井和夫著、山川出版社)に何か書いてあったと思うのですが、確認に行く時間が取れないため、どなたかお時間の融通できる方に調べていただけるとありがたいです。私がこのような理屈を自分で考えるほどの頭があるとも思えないのですが、独自研究の恐れはあると思います。

なお、「黙殺されている」については出典が難しいかもしれません。「黙殺されている」ので何も書かれていないので……。一応、英語版にはページがあるみたいですので、少なくとも「今以て完全に無視されている」は誤りだという気がしますが。--PRUSAKiN 2009年9月20日 (日) 13:53 (UTC)[返信]

出典の明記をお願いしたのは、Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるに従ったものです。「各国の親ソ連・保守的な旧主流派の史学観からは今以て完全に無視されている」となると、証拠に乏しいゆえに歴史学会で認められていない類の論である可能性を検討せざるを得ません。なお黙殺されている、の部分はおそらくは東北工程のような経緯があってロシアの歴史学会やそれを受けた各国の歴史学会で無視されているということではないかと推測しますが、それならWP:NPOVから言って双方の主張なり、それを主張している論者がどこの組織or誰であるかを書くなり、出典を明記するなりしないとまずいかと思います。もちろん、ウクライナ史は比較的マイナーな分野ですから、単にあまり知られていないだけなのだろうとは思うのですが、気になったもので。--Kurz 2009年9月20日 (日) 22:59 (UTC)[返信]

「各国の親ソ連・保守的な旧主流派の史学観からは今以て完全に無視されている」の辺りの除去で話が済むのならば、それを除去するのでよいと思います。そうではなくて、より本質的に検討が必要だとすればという前提で、以下話を続けます。

「特別な主張には特別な証拠が求められる」に該当するような気がするのですが、どの部分がどのような意味でそれに該当するのか、ややはっきりしません。

「無視されている」というのは、ウクライナ史以外の本でブレスト=リトフスク条約といえばイコール、中央同盟国とロシアの条約として解説されている(というか、解説すらなくその前提が当たり前として話が進められている)ということであって、どこかの国の学者や学会が、ウクライナと中央同盟国にそのような条約があったというのは嘘だと主張しているわけではありません(少なくとも、そうした主張を読んだことがありません)。多くの本でドイツ軍(だけ)がウクライナへ侵攻したかのように書かれていますが、いくつかの本ではウクライナがドイツと同盟したと批判つきでドイツ軍がウクライナへ侵攻したと書かれています。特にウクライナとドイツの軍事同盟の存在を否定する主張がなされているようには見えません。従って、「双方の主張」というのは存在しないと思います。「無視」はされているが「否定」はされていないと思います(否定されないほど無視されている?)。

ソ連時代にウクライナ社会主義ソビエト共和国(もしくはウクライナ・ソビエト社会主義共和国)で国家プロジェクトとして編纂されたウクライナ史のでかい本があるのですが、それを見ればウクライナと中央同盟国間のブレスト条約について書かれている可能性がある(多分高い)と思います。問題は、そこでどう書かれているかですね。まっとうな国際条約として書かれているのか、ドイツ側の何か陰謀として書かれているのかで、意味合いが異なってきます。ただ、大学等研究機関の図書館の地下にでも行かないとその本は見られそうにありません(ネットで公開されているかなあ?)。

当該の節がすべてにわたって出典不足で独自研究ないしPOVの可能性があるのであれば、一旦コメントアウトが妥当だと思います(すぐに調べがつかなそうなので)。もし、その節の中の個別の文や表現が疑問であるのならば、お手数ですが{{要出典範囲}}を用いて具体的に問題箇所を指し示していただければ、と思います(結果、要出典範囲だらけになったとしても差し支えないと思います)。

まあ恐らくは2月の条約は「取るに足らないマイナーな条約」とみなされて多くの本で無視されるようになった(そしてそうするうちに本当に忘れられた)のだと思いますが、この軍事同盟条約があったからドイツ軍がウクライナ(ついでに南ロシアやカフカース)まで進攻したという面もあるので、本来なら無視すべき条約ではないと思います。何で無視されるようになったのか、政治的意図がないとすると、とても不思議です。--PRUSAKiN 2009年9月22日 (火) 11:40 (UTC)[返信]

ウィキペディアにおいてはWikipedia:独自研究は載せないことになっています。おっしゃることが事実なのかは私には判断が付きかねますし、そのつもりもありません(おそらくおっしゃるとおりなのでしょう)。ただ現状ではそれについては出典がないために読者は検証できません(WP:VERIFY#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。私が思うのは、当該意見の元となった出典を明記していただければということだけです。上記の『物語ウクライナの歴史』か『ポーランド・ウクライナ・バルト史』でそう書かれているのであればそれを出典とすればそれで構いません(WP:NPOV#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな)。個々の事実について出典を示してほしいと申し上げているわけではないのです、その点ご承知おきください。--Kurz 2009年9月22日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

ご指摘の意味、ウィキペディアの方針については理解できています。いまいちわかることができないでいるのは、テンプレートを貼られた節の、具体的にどの部分に出典が求められているのか、という点です。つまり、例えばウクライナと中央同盟国のあいだにブレスト条約があったということ自体についての出典が求められているのか、その条約があまり本で取り上げられていないということについてなのか、ソ連史学から無視されているということについてなのか、等々といったレベルの話が、理解できていない状態です。

ご指摘はご尤もだと思うので、すみませんが、具体的な箇所を{{要出典範囲}}を用いて指し示していただけますか?可能であれば出典を示しますし、いま難しければコメントアウト、その部分は出展すぐに示せないし、下手をすると独自研究かもという部分は削除したいと思います。--PRUSAKiN 2009年9月22日 (火) 14:39 (UTC)[返信]

全体に出典が必要そうな話が多いので{{出典の明記}}を付けたのですが、一応目立つところに{{要出典範囲}}を付けました。ひとつお聞きしたいのですが、本節の内容は上記の出典を主に参考にしたのではないのですか?出典が示されればそれ以上お聞きするつもりは私にはないのですが。--Kurz 2009年9月25日 (金) 13:38 (UTC)[返信]

部分的にそれらの本に書いてあったことは間違いないと思うのですが、すべてについては書いていなかったと思います。しかし、どこが書いてあってどこが書いていなかったか、細かいことが記憶にありません。無責任なようで申し訳ありませんが、いかんせん書いたのが2年半以上前の話であり、本当に覚えていないんです。

いますぐに確認に行かれないので、取敢えず該当節をコメントアウトすることにします。この節がなくてもページが大きく損なわれることはないので、今後確認して書き直し(削除含む)できるまでコメントアウトで対処したいと思います。--PRUSAKiN 2009年10月17日 (土) 07:12 (UTC)[返信]

了解しました。--Kurz 2009年10月17日 (土) 10:30 (UTC)[返信]