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ノート:フリードリヒ・ニーチェ

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クロソウスキーも入れていいと思うんですがどうでしょうね>影響関係 KIZU 15:45 2004年3月11日 (UTC)

kizuさんへ よろしいのではないでしょうかね。

今後編集する方へ

概念等はを原語掲げたらよろしいかと。私も、手伝いますが。

かなり骨のある内容になってきましたね。なんかパラグラフごとに独立しているというか、読んでいるとウィキペディア?らしく色々なヒトが執筆に携わっているな・・・って感じがします。それで、今すぐというわけでもないですか、内容の充実させるのも、さることながら今後の大まかな方針としてもっと体系的(要は既存の文章をうまく一つにまとめる)にまとめてもいいんじゃないかなぁ~と個人的に思っていたりもします。このことをいわば各々のお気に入りのニーチェのアフォリスムスのように心のどこかに留めておきながら、執筆してもいいのではと思った次第です。

とりあえず整理しました。内容については『権力への意志』しかよんでない上に、理解もあいまいなので、書き方もかなりあいまいになっていると思います。そこらへんの訂正をお願いします。--shinya39 2005年3月14日 (月) 15:59 (UTC)
shinya39さんへ、 ありがとうごさいます。ただ、妹の部分ちょっと手をいれさせてもらいました。これは、全く別の話ですが「遺された断想」各タイトル(といっても邦訳では本によって題名も違っていると思いますが)分かったら、随時加えてください。暫定的に一括して表記しております。--ケンチン 2005年3月14日 (月) 16:04 (UTC)[返信]


「また、古代ギリシア世界を理想とするヴァーグナーの音楽に魅入られていたニーチェであり(後略)」の一文ですが、前文との繋がりがわかりません。また、このニーチェとヴァーグナーの件は、小見出しにしてもいいのではないでしょうか。


とりあえず、ワーグナーの部分は小見出しにして違和感のないように仕上げました。

色々な人が執筆しているのを、さらに他の人が加筆するという事の繰り返しですので、全体としては不自然なものになっていると思います。別の言い方すれば、ヴァーグナーの部分も含めて、全体的にはまだぜんぜん途上って事です。(例えば経歴の部分だけでもニーチェに関して触れられて然るべき人物、パウル・レーやローデ、ザロメはまだ触れられてもないし、著作や思想に対する評価などもぜんぜん足りていない など)ニーチェは好きな人多いですしね。いずれ、伸びると思います。--ケンチン 2005年10月18日 (火) 10:51 (UTC)[返信]


(ニーチェの妹・エリーザベト・フェルスター=ニーチェがナチスと関わりがあったため?) とありますが、エリザベートの夫、ベルンハルト・フォルスターが反ユダヤ主義者であった、ということと関係しているのでしょうか。220.208.230.207 2005年11月7日 (月) 13:00 (UTC)[返信]

その一文をカッコで括った編集者です。ニーチェについて知識がないので、どう(事実として)関わりがあったのかが不明なまま断言するのを避けました。加筆してもらえればありがたいです。--shinya7 2005年11月7日 (月) 14:32 (UTC)[返信]
実は、その点は結構デリケートな部分だと思います。一言でいえば、ヒトラーがニーチェ思想に「陶酔」していたということでしょうか。これを「正しく理解」していたかという言葉で置き換えられることが可能なのかという議論にもなると思います。少なくとも妹が、ナチス賛美者でニーチェの思想を安く売ってしまったのは事実です。実際、1935年に妹に会うためにワイマールのニーチェ資料館をヒトラーはほうもんしています。どのように解釈するかで、表現は変わると思います。少なくとも Mein Kampfには、ニーチェは出てこなかったような・・・(未確認)ヒトラーの項目では、誤読しているか、自分なりに解釈しているとしています。--ケンチン 2005年11月12日 (土) 12:01 (UTC)[返信]


元哲学科学生ですが、このニーチェのページを読んでとても驚いています。 ヒットラーがニーチェに「心酔」したのは事実ですが、それをすべて妹のエリザベートのせいにするのはどうかと思います。 問題の大きさが見えていないのではないでしょうか。ヒットラーがニーチェに「心酔」し、あのようにユダヤ人を虐殺してしまったこと、それがニーチェが書いたこととまったく無縁ではないという視点が、このウィキペディアには欠けています。現在、世相はかなり右傾化していますが、このニーチェのページもその傾向と同調しているように感じられます。

デリダやドゥルーズ、フーコーなど、フランス現代思想はだいたいこの現在の右傾化を準備する思想家たちです。彼らが意図したかどうかに関わりなくです。彼らの台頭で、それまでの伝統的哲学やその研究、またマルクス主義を中心とした社会改革的な思想も骨抜きにされていきました。

思想を骨抜きにするといえば、バタイユやクロソウスキーなどのセックスに固着する快楽系の思想家たちもそうだと言ってもいいでしょう。

私の哲学科の指導教授は戦中派でしたが、ニーチェを卒論に選んだただ一人の学生に、あまり深く関わらない方がよいという助言を授業でも行っていました。ニーチェにはよい文章もあることは確かですが、ここでも指摘されているように、ヒットラーの政策と重なる部分もあることもまた確かです。

それから、これは私の独断ではないと思いますが、1968年5月革命と呼ばれている学生運動のバックボーンにあったのは、毛沢東主義でしょう。 1965年あたりから終結宣言が出される1977年頃まで続いた中国の文化大革命が、1960年代末からの世界的な広がりを見せた学生運動に大きな影響を与えました。 しかし、仮に、毛沢東主義とニーチェが結びつくとなると、恐ろしいことしか起こらないと思えますが。

ウィキペディアは多くの人に読まれています。 もっと歴史的に、社会的に、よくよく熟慮された上で執筆をお願いいたします。 たとえ、正しいことであっても、好ましくない世の中の潮流にくみしてしまいますと、後で後悔するようなことにもなりかねません。私の哲学科の指導教授は、そのような意味でニーチェに関する注意を与えたものだろうと、今、このページを読んでそう思いました。 往年の哲学徒、2009年6月27日

文内の表現について

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ニーチェの人となりを詳しくは知りませんが、「明らかに常軌を逸した」や「狂気じみた」など中立的で無い表現が多い気がします。私のように全くニーチェを知らない人がこの文を読んだなら、ただのキチガイにしか感じないのでは無いかと思います。あまりに酷いもの以外、削除はしませんが、バランスを取った表現が望まれるように思います。--GOLFLF会話2013年7月12日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

「明らかに常軌を逸した」や「狂気じみた」は使ったらダメでキチガイという明確な差別用語は使ってもいいのか。 頭がおかしいのはお前の方だ糞野郎。--1sfdgbfhhdhfjfj会話2015年10月2日 (金) 01:04 (UTC)[返信]