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ノート:フランスの競馬

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フランス初の競馬について

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フランスギャロを参考に上記の記述を1775年に“サブロン平原においてフランスで初めて競馬が行われる。”に書き換えました。1700年の記述と相違もあり私が誤訳している可能性もあるので詳しい方に修正していただけると幸いです。

ただ、サブロン平原(グルネル平野la Plaine des Sablons)はフランスパリ郊外のヌイイ=シュル=セーヌにあり、パリ7区のシャン・ド・マルス公園とは場所が違いすぎるのでありえない記述として削除しました。補足ながら、シャン・ド・マルス周辺はグルネル平野(fr:Plaine de Grenelle)です。--Taj Dahar会話2013年3月20日 (水) 18:11 (UTC)[返信]

誰がどう見てもシャン・ド・マルス(エッフェル塔の目の前)は「ブローニュの森の北」ではないですよね。
元の記述は明らかに誤りだろうと思います。(「サブロン平原」でググると、『1776年、ブローニュの森の北にあるサブロン平原に初の常設競馬場としてシャン・ド・マルス競馬場(ロンシャン競馬場の前身)が建設される。 』っていう、本記事をコピーしたブログやらHPやらがうじゃうじゃヒットします。怖いですねー)
ただ、私はパリの地理に詳しいわけでもなんでもないのですが、『サブロン平原(グルネル平野)はフランス郊外のヌイイ=シュル=セーヌにあり』というのと、『シャン・ド・マルス周辺はグルネル平野(fr:Plaine de Grenelle)です』というのとの整合性がよくわからないのですが…。地図を見ると、シャン・ド・マルス公園に隣接してグルネル(Grenelle)という地名があるようなのですが、サブロン平原=グルネル平野なんでしょうか・・・?--零細系統保護協会会話2013年3月21日 (木) 02:48 (UTC)[返信]
すみません、サブロン平原の後ろにあるカッコ内はフランス語を記載するところを誤記していました。サブロン平原≠グルネル平野(シャン・ド・マルスはその一部)です。記述を修正しました。競馬場の正式名称が日本での通称と異なっていたため仮リンクで予想外に時間がかかったから、眠くて見直し漏らした。
ニュースダイジェスト(文・沢田康文)に“パリの新聞に、最初の公共競馬が1776年4月20日にサブロン競馬場(現ヌイイ市)で行われると発表されている”とありました。JAIRSフランスの競馬場で“シャンドマルス公園では、1796年から競馬が行なわれていました。”とあります。ただ、フランス第一共和政で他国との戦争中に競馬をシャンドマルス公園で始めるのは考えにくく(ナポレオンが再開させたとの話もありますし)、1775年のサブロンと1776年のシャンドマルスの2ヶ所で行われたのが混同されているのではというのが今のところの予想です。--Taj Dahar会話2013年3月21日 (木) 14:33 (UTC)[返信]

FNCF(フランス競馬全国連合?)系列のフランス競馬サイトでロンシャン競馬場についての歴史にシャンドマルス競馬場が第一帝政時代に使用され始めたことになっていました。JAIRSの1796年は帝政より前のバラス総統時代ですが、イタリア遠征前の国内軍司令官時代に軍の訓練用地であるシャンドマルスを軍馬育成のため利用していたのかもしれません。『華麗なるフランス競馬』によると1796年にパリ祭で行われた競技のうちのひとつに競馬があったとありました。--Taj Dahar会話2013年3月31日 (日) 02:49 (UTC) -- 2013年6月22日 (土) 15:55 (UTC) 追記[返信]

補強する出典です。「1834年5月4日にシャン・ド・マルスで始まった競馬開催の第一日目を記念して、奨励教会は特別競走を施行した。」『フランス競馬百年史』p97。直接的には1934年の出来事の記述ですが、日本語で読める出典ということで。--零細系統保護協会会話2013年5月20日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

フランスにおけるクラシックについて

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ヴェルメイユ賞をパリ大賞典に書き換えました。根拠は英語版ウィキペディアのフランスクラシック競走(en:French Classic Races)にヴェルメイユ賞がなくパリ大賞典があるからです。

記述の検証はあまりしていませんが、ヴェルメイユ賞を参照した日本の牝馬三冠の三冠目もクラシック競走ではないので印象としては問題ない記事に見えます。--Taj Dahar会話2013年3月20日 (水) 18:11 (UTC)[返信]

私もノート:クラシック (競馬)ノート:イギリスクラシック三冠ノート:三冠 (競馬)あたりに散発的に気になることを書いていて、まだまとまっていないのですが、「クラシック」「三冠」に関する日本語版ウィキペディアの記述(≒日本での「外国のクラシック・三冠」観)に疑問を持っています。これは想像レベルですが、日本では、(1)「英国三冠を模して日本の三冠≒クラシックが整備された」、(2)各諸外国の「日本でいう三冠戦」に相当する競走が三冠でクラシック競走だ、みたいな順番で、◯◯国のクラシック三冠は◯◯賞と××賞と□□賞だ、って話が流布してるんじゃないかなと思います。実際にその国でどう扱われているかに関わらず。『凱旋門賞の歴史』や『フランス競馬百年史』『サラブレッドヘリテイジ』なんかをみていくと、パリ大賞典やリュパン賞もクラシック扱いだったりします。これらの文献/HPが「フランス視点」で書かれているのかというと、ひょっとすると「イギリス視点のフランス史」なのかもしれませんが。「クラシック」と「三冠」は本来別個の概念なんだろうと思いますが、日本ではほとんどイコールの概念になってて、そもそも「クラシック」ってどういう定義なんだろうという(私にとって未解決の)疑問もあります。例えば、日本で言う三冠に相当する、仏2000ギニー、仏ダービー、ロワイヤルオーク賞を勝って「フランスクラシック三冠達成」みたいな話はほとんど聞かないですし、そもそも「三冠」って概念はあんまり無いんじゃないかという気がします。フランス・ギャロのHPでは「Triple Crown」という語も出てきますけども。むしろ、リュパン賞、仏ダービー、パリ大賞典の三連戦のほうがフランス的に重いんじゃないかとか。まあ、仮に、例えばフランスでは「三冠」なんて概念が全く存在しなかったとして(実際にはなんかあるようですが)、でも日本では『「プールデッセ~」と「仏ダービー」と「ロワイヤルオーク賞」がフランス三冠だよ』という話がまことしやかに広まってる、っていうのは多分確実なので、だとすると「日本ではこういう事になってるけど実際はそうでもない」みたいな記述をどう書くか、ってことになるような気がします。私としてはまだ「パリ大賞典」にしか手をつけていないので、まだそれ以外のところまではよくわからないのですけども。--零細系統保護協会会話2013年3月21日 (木) 02:28 (UTC)[返信]
アメリカのジャーナリストであるアラン・シューバック著『グローバルレーシング』(競馬国際交流協会の翻訳)を見るに最初のクラシックレースであるセントレジャーにおける3歳時に1度だけの競走で実力を計るという考え方が定義としては有力に見えます。この本でも明言はされていません。競馬場のネタ元にしようと思っていたのですが、『本書のいかなる部分も、発行者の事前の書面による承認許可なしには、形態や手段の遺憾を問わず、複製または送信してはならない。』とあるので参考文献として利用してもいいのかも含め悩み中。よって上記の記述も引用ではなくニュアンスです。
また『優駿』2013年3月号P.64-67で秋山響氏による三冠の記事がありますが、そこではフランスの1冠目が「リュパン賞」とされる場合があることと、「ロワイヤルオーク賞」が古馬に開放されたことで三冠の概念が無くなったとされています。元々フランスでは厩舎の1番手をイギリスに送って2番手がフランスの当路線を目指すというパターンがよくあるようなので、(フランス牝馬三冠は名前の間にクラシックを挟んで良いのかを除けば路線として確立しているのに比べると)あまりタイトルとして意識されていない印象があります。--Taj Dahar会話2013年3月31日 (日) 02:49 (UTC)[返信]

年表について

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少なくとも、現時点の記述で「1700年に初めて開催」という話しと、「1775年にフランスで初めて競馬」という話は明らかに矛盾していますよね。例えば、「競馬」という語をどう定義するかによって話は変わるのかもしれません。日本で言う「競べ馬」を「競馬」とみなすか、と似たような感じで。しかし、1775年が初だとするならば、じゃあ「18世紀に入って輸入したサラブレッド」で、1775年までの75年間何してたのさ?って話になるので、まあ「1775年に初」のほうが間違いなんだろうと思います。もっというと、その時代に「サラブレッド」なんて語はまだ無かったんじゃないのかとか。 私はここのところ、凱旋門賞→グラディアトゥール賞→グレフュール賞→パリ大賞典と手をつけてきていて、いつか十分に知識が増えたら「フランス競馬の歴史」を書こうと思いますが、現段階ではまだはっきりしたことを言えるほどにはよくわかりません。それでも、私が今までいろいろ文献にあたった範囲でも、ずいぶんここに書かれていることと齟齬があります。私が読んだ日本語の文献の中では、この時期のフランス競馬について詳述しているのは『競馬の世界史』(ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976)で、「17世紀のフランス競馬」みたいに章が設けられています。その次は『華麗なるフランス競馬』かなあ。『競馬の世界史』は簡単に手に入る本ではないと思いますが、『華麗なる』はそこら辺の本屋さんで売っていた本で、アマゾンとかでも普通に買えます。そこらへんを見直すと色々と捗ると思いますが・・・すぐには手が回りません。--零細系統保護協会会話2013年3月21日 (木) 03:13 (UTC)[返信]

競馬の重賞について記述お疲れ様です。『競馬の世界史』についての書籍は手は出ませんが、『華麗なるフランス競馬』はそのうち読んで見ます。
輸入については18世紀後半とする記述もあるのでサラブレッドでの競馬が1775年としても私には違和感はないです。記述の差異については、速歩競走の歴史も確認してみようかとも思っております。シュヴァルフランセ周辺にわかりやすい説明があればですけど・・・--Taj Dahar会話2013年3月21日 (木) 14:33 (UTC)[返信]
『競馬の世界史』からフランスの競馬の起源関連の記述をいくつか抜粋してみます。
  • 1669年に刊行された本に「馬上槍試合は今や、競馬、それも槍の代わりに鞭を持った試合である」と書いてある。」p65-ただしこれは「馬術」に関連付けられています。
  • 1626年にイギリスの競走馬がフランスに導入されて非常に尊ばれた p66-おそらくこれは「最初期」のことで、ある程度まとまった数が定期的に入ったという雰囲気ではないです。
  • 1651年にブローニュの森で行なわれた、ダルクール王子の馬とド・ジョワユーズ公の馬のマッチレース - これは疑いようもなく「競馬」でしょう。
  • 1683年にルイ14世がアンシエールの競馬に賞金を下賜
・・・という感じで、このあとも17世紀の「競馬」の話がいっぱい出てきます。1700年におきた出来事に関して言うと、「イギリス競馬の完全な模倣」「イギリスでは普通に行われているプレート競走」というもので、「イギリスの競馬細則が採用された」ものです。ただ、今の我々が見る競馬とはかなり違っていて、周回コースを4周するのですが、1周ごとに休憩があって、馬にはぶどう酒やビスケットが与えられ、ブラシがかけられる、というものです。(上記各記述はp66-67)これを、今の記述の『イギリス式の近代競馬(正式のルールと専用の施設(競馬場)に基づく競馬)が初めて開催』とするのは、微妙だと思いますね。少なくとも私は、「1週ごとに休憩が入る」競馬を「近代競馬」だとは思っていませんでした。
「18世紀に入り、イギリスからのサラブレッドの輸入が始まる。」は、18世紀にはほとんど「サラブレッド」という単語がまだ存在しないので、ややウソでしょう。まあ、「後にサラブレッドと呼ばれるようになる、当時はランニングホースと呼ばれた馬」と言う代わりに「サラブレッド」と言っちゃうのは完全なウソではないですが。ただ、難しいのは、そもそもサラブレッドの最初期のものはバルブとかアラブとかの馬から始まったわけで、そういうのと同じものは少なくとも17世紀から入っているわけです。それらを『競馬の世界史』では特定できないので、それらが後世にサラブレッド血統書に載ったウマなのか、そうでないのかはわかりませんが(、まあ載ってないんでしょうね)。(追記)と言って思い出しましたが、「最初のサラブレッド」であるゴドルフィンアラビアンは、もともとはフランス王の所有馬だったのです!(まあ、イギリスからサラブレッドの輸入がはじまる、っていう大きな話には影響ないですけどね。)
「1775年3月9日、~フランスで初めて競馬が行われる」は、(たぶん)確かに出典にはそう書いてありますね。『競馬の世界史』には、これについては何も書いてありません。しかし、1766年にジムクラックをイギリスから連れてきてフランスで走らせた件とか(こkにもそう書いてあります)、上に書いたような「1775年以前」の競馬に関する記述がどっさりあるので、「1775年3月9日」が「フランス初の競馬」だというのは何かがおかしいです。
これは仮説ですが、出典の“les premières courses françaises sont disputées”のpremièresは「最初の」ではなく、「初期の」「古い時代の」と訳すんじゃないでしょうかねえ。まあ、そう訳すとしたら、「3月9日」とわざわざ日付を指定するのは少しおかしいですけども。それとも「les premieres」で「最初の」なのかなあ。あるいは「françaises」は「フランス産馬」だとか。
これはここの話とは全く関係ないのですが、この出典の左の下の方に「le thoroughbred (produit accompli)」とあって、これには正直電気が走りましたね。プロデュイってそういうニュアンスなんだーって。--零細系統保護協会会話2013年3月21日 (木) 18:08 (UTC)[返信]
と、思ったら、『華麗なる』のほうに、「1775年3月9日。フランスのニューマーケットと呼ばれたサブロンという平野で、イギリス産の競走馬を使ってのはじめての公式競馬が行われた」(p78)とおもいっきり書いてありました。同書の第3章がこの件について詳しく書いてありますので、ぜひ読んでみてください!--零細系統保護協会会話2013年3月21日 (木) 18:13 (UTC)[返信]
現代ではなく近代なので(英語では両方modernですが)制度化された時点で近代化されたものとみて良いのではないでしょうか?
報告トップアフィリエイトパブリッシング社によるフランス競馬サイトでは、1651年5月15日にフランス王ルイ14世とのちのイギリス王チャールズ2世台覧のもと行われたのが初の近代競馬とされていました。フロンドの乱でパリから避難中のフランス王(当時12歳)と清教徒革命により共和国となったイギリスに潜伏中で同年1月にスコットランドのスクーンで即位式を行い、9月3日にウースターの戦いで敗れて再び亡命した(この時点における2度の亡命先はともにオランダ)のちのイギリス王が5月15日に揃い踏みって凄いことです。事実ならですが・・・
また、1776年4月20日サブロンに初の常設競馬場が出来たとあるので、1775年に行われたときは常設ではなかったのでしょう。なお、まだ『華麗なる』は確認しておりません。--Taj Dahar会話2013年3月31日 (日) 02:49 (UTC)[返信]
『華麗なる』は読みました。それ以前をどうするのか検討が付きませんけど…--Taj Dahar会話2013年6月22日 (土) 15:59 (UTC)[返信]

競馬全国連合会と競馬協会全国連合会

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構成員も似ているし、名称もPMHやPMUのようにつづりが代わっているものもあるので勘違いしていました。競馬協会全国連合会についての記述が少なすぎてよくわかりませんが、フランス競馬全国連合会は1919年創設ではないので別組織で間違えないでしょう。--Taj Dahar会話2013年6月22日 (土) 15:59 (UTC)[返信]