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ノート:ビング・クロスビー

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生年について

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小林信彦のコラム(キネマ旬報に連載されたもの)には「1901年生まれが正しいらしいが」という記述があります[1]。これは小林さんが間違っているのでしょうか。似たような事例は過去にも見かけたことがあります。ノート:ビリー・クリスタルを参照してください。--Alexander Poskrebyshev会話2016年6月19日 (日) 19:35 (UTC)[返信]

コメントこの年代の人物の正確な出生年というものはかなりアバウトで本人すら実際の生年を知らないことも多いです。またショービズ界においてはチャンスを掴むため尚更サバを読むことも多い事から本人の死去後などの後年においてしばしば複数の出生年が錯綜しがちです。そんな中でもより高次の生年の出典元として英語版では高名なジャズ評論家ゲイリ−・ギディンスによる01年のクロスビーの伝記が挙げられてる上[1]、彼の母校であるゴンザガ大公式サイトのクロスビーを称える特設ページ[2]も1903年と記していること、そして何より現在クロスビーの著作権を管理する財団が運営するクロスビーの公式サイトにおけるバイオグラフィーが1903年生まれと記していることからも(因みにそのバイオの執筆者はギディンスです)[3]、小林による数十年前のコラム本よりも遥かに確度が高く、2010年代現在における生年も「1903年生まれ」でコンセンサスが形成されているのは明らかな事例[4][5][6](=1901年説に関しては備考として本記事内に記す程度の検証可能性すら皆無である独自研究という事)です。

  1. ^ 小林信彦 『コラムは踊る エンタテインメント評判記 1977〜81ちくま文庫 [こ-4-1] ISBN 4480023127、78p