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ノート:パリ大賞典

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2024-07-06 11:39:42 の編集に関して。

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  • (1867年)「皇帝ナポレオン3世のほか、ロシア皇帝アレクサンドル2世とその姫、ベルギー王レオポルド2世と王妃、そして王太子の姿もあった」
  • (1886年)「サラブレッド・ヘリテイジの記述が「5馬身」と齟齬がある」
    • サラブレッドヘリテイジのミンティングのページに着差に関する記述はないように見えます。
  • (1904年)「4月のはじめにフランスダービーの前哨戦の一つであるジャンプラ賞 [この「ジャンプラ賞」は、現在のジャンプラ賞とは全く別物である。フランスダービーの前哨戦であるビエンナル賞 (Prix Biennal) が、1904年には「ジャンプラ賞」と呼ばれていた。] に勝った」
    • 以前ジャンプラ賞の記述はフランスギャロのウェブサイトを参照して書き換えましたけど、上記の文章はそれと整合していないようです。まず当時はジャンプラ賞への改名前です(別に「ジャンプラ賞」という競走があったわけでもないようです)。また4月18日に行われたビエンナル賞3歳馬の部に、グーヴェルナンは出走していません[1]。4月29日にはメゾンラフィットで同名の 12e Prix Biennal も行われていたようですが、こちらにも出走していません[2]

--霧木諒二会話2024年7月6日 (土) 12:42 (UTC)[返信]

  • 返信 うーん。これは完全に私ですね。ただ、当時の記憶はもはや皆無です。とりあえず
    • いろいろ調べたり考えたりした結果、原文の末尾の「Princess of Prussia」を「Princess of ロシア」と誤読した、というのが一番ありそうな気がします・・・というか、「the Belgian Queen and the Prince and Princess of Prussia」部を、「(1)ベルギー王妃 (2)その王子 (3)ロシアの姫」と訳しちゃっているような。正しくは「(1)ベルギー王妃 (2)(3)プロシアの王子と王女」ですよね、これ・・・
      • アーカイブサイトには2012/03/30版[3]もありますけど、そこにも姫なんていないし、まあ2012/03/30と2013/09/27の間にだけ「姫」が追記されていた、と考えるのは無理がありますね。
      • 『競馬の世界史』には1867年の回次についての詳細はなし。
      • (当時は所持してなかった)『Horse-Racing in France』の当該年次の項を眺めると、出走各馬のことはもうちょっと詳しく書かれているものの、臨席した貴人についての記述はない。
    • 他の件についてはまた後日・・・うーん・・・--柒月例祭会話2024年7月6日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
  • 返信 ミンティングについてはTヘリテイジに「Dawson was able to recoup his forfeited wager on the Derby by betting on Minting for the Grand Prix, which he won easily by five lengths.」とあり、これが「5馬身」の出どころだと思います・・・(自信なし)--柒月例祭会話2024年7月6日 (土) 14:42 (UTC)[返信]
    返信 即レスありがとうございます。
    • (1867) フランスギャロの記述は仰るとおり「ナポレオン3世、アレクサンドル2世、レオポルド2世とベルギー王妃、プロイセンの王子と王子妃(もしかしたら王女)」が正しそうに思います。ロシア大公女の代わりにプロイセンの王子と王子妃って誰問題が発生しましたが。
    • (1886) すいません、これは完全に私の眼が節穴でした。サラブレッドヘリテイジにちゃんと“five lengths”って書いてありますね…。余計な面倒をかけて申し訳ないです。ただフランスでも2馬身 (deux longueurs) と報じられてはいます [“GRAND PRIX DE PARIS.” (フランス語). Le Jockey. フランス国立図書館. (1886年6月7日). https://www.retronews.fr/journal/le-jockey/07-jun-1886/2157/4450857/4 2024年7月7日閲覧。 ]。
    --霧木諒二会話2024年7月7日 (日) 10:06 (UTC)[返信]