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ノート:ハンガリー動乱/過去ログ

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項目タイトルをハンガリー事件に変更することへの提案

[編集]

この項目のタイトルはハンガリー動乱となっていますが、最近ではハンガリー事件と言う名称が使われるようになってきています。(ex.[1])そもそも、ハンガリー動乱という物言い自体が体制に対する反逆という意味合いですが、東欧のビロード革命の結果本国では本文にもあるようにハンガリー革命と呼んでおり、英語版ではHungarian Revolution of 1956(1956年ハンガリー革命)、韓国語版ではハンガリー蜂起、共産圏の中国語版でもハンガリー10月事件となっております。国際標準を考慮することからしてもハンガリー動乱はリダイレクトにし、名称をハンガリー事件とべきではと思うのですがいかがでしょうか。--Tamachan21 2006年11月23日 (木) 11:36 (UTC)[返信]

いろんな呼び方があるようですが、「ハンガリー動乱」と呼ぶのがもっとも一般的なようですから、変える必要はないかと。Pica 2006年11月23日 (木) 14:05 (UTC)[返信]
GOOGLEで検索しましたが、ハンガリー事件800件、ハンガリー動乱が30,000件以上なので変える必要はないと思います。

必要があればハンガリー事件からハンガリー動乱へのリダイレクトで対応すればよいかと思います。高校世界史教科書の過半数がハンガリー事件に名称変更するような事態になれば変更するというのではどうでしょう。--Tiyoringo 2006年11月25日 (土) 03:57 (UTC)[返信]

ヒット数を根拠にする人がよくいますが、学術的な観点や当時の社会状況や事件の妥当性などからどういう名称が適切かを判断するべきであり、世間一般で使われているという基準で名称を変更しないという考えかたには反対です。ある種の言葉の定義づけが明らかに独自のものであって、まったく使われていないというのであれば、別ですが、今回の場合はそのようなケースには当てはまりません。
そもそもハンガリー動乱と言いたがる人の多くは、ハンガリー事件について共産政権による弾圧と見ておらず、民族運動の中の悲劇と態度が曖昧な姿勢で事件の本質を曖昧にさせているケースが見られます。本文中でもハンガリー事件という言葉を使用しており、必ずしも独特の言葉使い、独自の研究とまでは言い切れません。--Tamachan21 2006年11月26日 (日) 02:50 (UTC)[返信]
独自の研究とも思いませんし、独特の言葉使いとも思いませんが、リダイレクトもすでにあることですし、変える必要はないかと。Pica 2006年11月26日 (日) 03:15 (UTC)[返信]
ですから、ハンガリー動乱という言葉ではなければいけないという論証ではないと思いますよ。それは。リダイレクトすべきは寧ろハンガリー動乱のほうで、ハンガリー事件に変えるべきではないかということとか、ハンガリー動乱の元々の意味がどういう意味なのかということもご理解下さい。変える必要はないというお言葉ですが、その意味合いが絶対に変えるべきではないというのではなく、またそれ以外の理由として変更不要という意見がないのであれば、12月一杯ご意見をいただいた上で名称変更をしたいと存じます。--Tamachan21 2006年11月26日 (日) 04:04 (UTC)[返信]
変えなければいけないという理由が、よく分からないのですが。Pica 2006年11月26日 (日) 04:23 (UTC)[返信]
ヒット数絶対ありきではありませんが、百科事典という意味合いを考えれば現時点ではハンガリー動乱の言葉の方が大きく一般では受け入れられているということになるのではないでしょうか。(学問的にはハンガリー事件が主流になりつつあるのかもしれませんが)手元にないのでわかりませんが、私が提案している高校教科書はある意味客観的に判断できる材料とはいえると思います。(数年タイムラグは出ますが)--Tiyoringo 2006年11月27日 (月) 10:59 (UTC)[返信]
ハンガリー史関係のシンポジウムでも、名称について必ずしも結論づけられるものではない発言があります。NHKでは革命として取り上げられていたようです。[2]--Tiyoringo 2006年11月27日 (月) 22:19 (UTC)[返信]
動乱に関してですが、外国語版には記事がないのではっきりわかりませんが、日本独自の言い回しかもしれません。--Tiyoringo 2006年11月27日 (月) 22:30 (UTC)[返信]
「動乱」という言葉は弾圧を肯定する意味合いを持っているからで、日本のWikipediaはハンガリーにおけるソ連の軍事侵攻や共産党政権の抑圧、弾圧を肯定するというスタンスなのかを問われていると考えます。--Tamachan21 2006年12月1日 (金) 13:58 (UTC)[返信]
動乱という言葉ですが、
大辞林では→世の中が動揺し、乱れること。また、その乱れ。暴動などのさわぎ。「―が起こる」
大辞泉では→世の中が動揺し、乱れること。また、その乱れ。暴動などのさわぎ。「―が起こる」
とあり、「暴動」などの騒ぎとあり、起こした側がマイナスであるニュアンスを感じさせます。そうした言葉づかいが望ましいと言えるでしょうか。また、結論づけられないとありますが、動乱という言葉を使いたがるのは基本的には旧共産党政権の関係者などであって、それをそのまま日本語版で使うべきでしょうか。国際標準のことも踏まえ、ご議論いただきたく思います。--Tamachan21 2006年12月1日 (金) 13:58 (UTC)[返信]
大辞林と大辞泉がまったく同じ説明をしてるというのは、何かの間違いかと。Pica 2006年12月1日 (金) 14:19 (UTC)[返信]
上述のシンポジウムでも呼び名の一致が難しいことからハンガリー1956という名称で開催したことが、明らかにされています。ソ連崩壊前は特にソ連圏からの反体制活動という捉えられ方が強く、動乱という言葉が利用されたのだとしても、未だに新名称が定着したとは言い難いと思います。変更するとしても、もっと新しい名称が定着してからが望ましいと思います。--Tiyoringo 2006年12月1日 (金) 14:34 (UTC)[返信]
取りあえず、本文のほうに断り書きの一文を入れました。外国人から見れば、日本人は共産党政権の弾圧を正当化していると誤解されかねないですし。いずれにせよ、ここで変更不要、変更時期尚早論を唱える人も共産党政権の弾圧を正当化するものではないと思われますので。--Tamachan21 2006年12月1日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

インデント戻します。 Tamachan21さんの断り書きですが、これはリバートしました。この議論に関係のある編集は、せめてTiyoringoさんと何らかの合意に達してから、なさったらよいかと思います。Pica 2006年12月1日 (金) 17:06 (UTC)[返信]

議論中であることを理由に書き込みを一切変更禁止となれば、何も書き込めませんよ。そのスタンスには同意できません。あまりに制約を課し過ぎます。--Tamachan21 2006年12月2日 (土) 03:24 (UTC)[返信]
それにできれば、相応しい文章の代案をノート上に出していただけるとありがたいです。タイトル変更もダメ、文章の変更もダメで、ただ現状維持の反対ばかりでは全然議論が進展しません。--Tamachan21 2006年12月2日 (土) 03:33 (UTC)[返信]
Tamachan21さん、少々慌てすぎではないでしょうか。タイトルの変更に関してあなたの意見が正しいのかもしれませんが、私はあなたの意見が理解できずにいます。あなたとTiyoringoさんとの会話が進むうちに、あなたに賛成できるのかもしれませんし、そうでないかもしれません。
もう一度Tamachan21さんの編集をリバートしました。あなたは今、用語の選択についてノートで議論をしている最中なのですから、それに関わる編集は控えるべきだと思います。どうしても今すぐ議論なしに編集がしたい、ということでなければ、どうか性急にならないようにしてください。Pica 2006年12月2日 (土) 03:54 (UTC)[返信]
編集合戦になって保護状態になるのは本位ではないので、これ以上の本文変更はしないこととします。しかし、私はあなたの意見には同意はできません。もしそれについて同意してしまうと異議が出るたびに、例えばイデオロギー上の理由とか漫画や映画のファンとアンチとの間で意見対立があって根本的に相容れないような場合どうするのですか。その場合は保護・中立のテンプレートの状態がいつまでも続くということになりかねず、項目の改善が衰退しかねません。そういうことを考えるとあまりにその主張は厳しすぎると思われます。
それに、私のスタンスは何度も表明していますよ。動乱という言葉遣いが共産党政権の弾圧を肯定する意味合いだから不適切であり、中立性の担保という観点からは使用は差し控えるべきではないだろうということです。私は英米の帝国主義・覇権主義、日独伊のファシズム、ソ連・中国の共産主義など大国による小国の抑圧、弾圧には同意できません。自由と民主主義の精神に反するからです。自由と民主主義という価値観も1つの価値観に過ぎないので中立性が保てないというのは中国やアフリカ諸国などでよくある意見ですが、そのようなスタンスに立つのであれば、「動乱」という言葉も1つの選択肢でしょう。しかし、そうではなく、価値の中立性というのは、自由と民主主義の担保がないと保証されないというスタンスであれば、「動乱」という言葉は不適切ではないかと思うのですが。
できれば、繰り返しになりますが、Pica様ご自身の代案を出していただければありがたいと思います。政治的なスタンスなども。--Tamachan21 2006年12月2日 (土) 04:08 (UTC)[返信]
保護になってしまいましたが、ハンガリー事件という呼び方が近年使われ始めていることは、本文に記載して差し支えないと思います。ただ、節「本項における動乱という用語を使用するにあたって」で、・・・意味合いで使われるものではないと言明する。の節は問題があったと思います。12月2日にTamachan21さんが再編集された版ならば特に問題ないと思います。ノートで合意が形成される前にご自身で編集されてしまったため保護になってしまいましたが。ハンガリーでの事件の捉えられ方について言及することにして、日本での事件の再評価(事件の位置付けの検討)は未だ十分にしつくされてはいないというのが現状だと思います。西洋的民主主義とイスラム文化が相容れないように、こうした政治やイデオロギーが絡む問題はユダヤ人やパレスチナ問題のように慎重に編集していく必要が起きるのは止むを得ないことだと思います。また、Picaさんの政治的スタンスについて聞くのは筋違いではないかと思います。将来学問的に合意が取れれば改名は全く問題ありません。--Tiyoringo 2006年12月2日 (土) 04:37 (UTC)[返信]
保護依頼になったのであれば、それは私の本意ではないので、それについては申し訳なく思います。事件の位置づけが充分な議論がないというよりは、欧米に遅れているという側面が強いと思われます。あと、慎重編集ですが、近隣諸国の問題ではネット右翼に好き勝手にやらせながら、欧米諸国の問題に他人事というスタンスへの疑念はあります。
あと、話が逸れますが、西欧民主主義とイスラム文明の対立ですが、イスラム過激派は中産階級や欧米の影響を受けた高学歴層であることが多く、文明の対立に持ち込むという物言いにはアメリカの右翼やイスラム原理主義が政治的思惑から扇動している要素も強いとの指摘があります。
政治的スタンスですが、強制するつもりはありませんが、感覚でこの問題について意見をされているという意味であれば遺憾であるという意味合いもあります。ご本人がどれだけこの問題に関する知識がおありかとも思いましたし、そうしたことについて予備知識のないまま議論を展開されるというのであれば、私としては残念だなと思いますし、また政治的なスタンスはこの議論をする以上避けられないのではと思います。
私が最後に編集したもので同意が得られれば、それで行きたいとは思っております。--Tamachan21 2006年12月2日 (土) 04:55 (UTC)[返信]
  1. 「最近ではハンガリー事件と言う名称が使われるようになってきています。」とのことですが、「最近」とはいつ頃のことでしょうか。最近言い替えが進んでいる、という意味でしょうか。
  2. 「国際標準を考慮することからしても」とありますが、「国際標準」とはなんでしょうか。
  3. 「学術的な観点や当時の社会状況や事件の妥当性などからどういう名称が適切かを判断するべきであり、世間一般で使われているという基準で名称を変更しないという考えかたには反対です」というご意見については概ね同意しますが、しかしGoogleで見る限り、「動乱」が最も一般的であることは明らかに思えます。また「動乱」と言っている人が、学術的観点や当時の社会状況について判断していない、ということもないと思います。
  4. 「ハンガリー動乱という言葉ではなければいけないという論証ではないと思いますよ」とのことですが、リダイレクトもすでにあることですし、変える必要はないと思っています。
  5. 「「動乱」という言葉は弾圧を肯定する意味合いを持っている」とのご意見ですが、そんなことはないと思います。弾圧を肯定する文脈で、「ハンガリー動乱」という語を使っている、なんらかのソースを提示してください。
  6. 「動乱という言葉を使いたがるのは基本的には旧共産党政権の関係者などであって」とのことですが、これもソースの提示をお願いします。
  7. 「自由と民主主義という価値観も1つの価値観に過ぎないので中立性が保てないというのは中国やアフリカ諸国などでよくある意見ですが、そのようなスタンスに立つのであれば、「動乱」という言葉も1つの選択肢でしょう」とのことですが、インターネットに日本語で「ハンガリー動乱」と書き込んでいるのは、旧共産党政権の関係者や中国人やアフリカ人なのでしょうか。--Pica 2006年12月6日 (水) 02:44 (UTC)[返信]
十日間ほどお返事がないようですが、年明けぐらいまでお返事が無いようなら、項目名の変更については保留ということでよろしいでしょうか。Pica 2006年12月17日 (日) 15:58 (UTC)[返信]
これらのご質問については下の「ハンガリー事件における日本の状況」という項目をもって回答とさせていただきます。ただ、最後の質問ですが、これはそのような趣旨で申し上げたのではなく、自由と民主主義をどう評価するのかという点において普遍の価値と考える西側先進国と、自由と民主主義は西側先進諸国の考えが主流になっており、自由と民主主義という価値観には欧米の新帝国主義的な要素があり一つの価値観であるとして反発している中国、アフリカ諸国などの発展途上国の立場に立つのかというニュアンスで事件をどう評価するべきなのかという意味合いで書いたものです。なお、それらに加えて、下にも書きましたとおり、この事件の評価をめぐる状況は複雑であることを踏まえてのものです。--Tamachan21 2006年12月24日 (日) 12:48 (UTC)[返信]
下の『ハンガリー事件における日本の状況』を拝読しました。小島亮氏が「ハンガリー事件」と呼んでいるということは分かりました。分からなかった部分について再度質問させていただきます。
  1. 「最近ではハンガリー事件と言う名称が使われるようになってきています。」とのことですが、「最近」とはいつ頃のことでしょうか。最近言い替えが進んでいる、という意味でしょうか。だとしたらどこで進んでいるのでしょうか。
  2. 「国際標準を考慮することからしても」とありますが、「国際標準」とはなんでしょうか。
  3. 「学術的な観点や当時の社会状況や事件の妥当性などからどういう名称が適切かを判断するべきであり、世間一般で使われているという基準で名称を変更しないという考えかたには反対です」というご意見については概ね同意しますが、しかしGoogleで見る限り、「動乱」が最も一般的であることは明らかに思えます。また「動乱」と言っている人が、学術的観点や当時の社会状況について判断していない、ということもないと思います。そのようにTamachan21さんが考えられた根拠はなんでしょうか。
  4. 「『動乱』という言葉は弾圧を肯定する意味合いを持っている」とのご意見ですが、そんなことはないと思います。弾圧を肯定する文脈で、「ハンガリー動乱」という語を使っている、なんらかのソースを提示してください。
  5. 「動乱という言葉を使いたがるのは基本的には旧共産党政権の関係者などであって」とのことですが、これもソースの提示をお願いします。
  6. 「自由と民主主義という価値観も1つの価値観に過ぎないので中立性が保てないというのは中国やアフリカ諸国などでよくある意見ですが、そのようなスタンスに立つのであれば、「動乱」という言葉も1つの選択肢でしょう」とのことですが、インターネットに日本語で「ハンガリー動乱」と書き込んでいるのは、旧共産党政権の関係者や中国人やアフリカ人なのでしょうか。Pica 2006年12月24日 (日) 13:56 (UTC)[返信]
下の『動乱か事件か革命か』を拝読しました。勉強になってありがたいのですが、上の質問には答えていただけていないようです。番号も振ってあることですので、番号順にお答えいただけたらと思います。Pica 2007年1月3日 (水) 14:52 (UTC)[返信]

編集保護解除にあたっての手続き

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このたびは不本意ながらも結果として保護となってしまい、申し訳ございません。
私としては、保護解除にあたって納得のいく本文にするために、私が最終的に手直ししたものに加えた文章を作成し、完成後このノートに提示し、皆さんにご意見をいただきたいと思います。また、皆様からも何かご意見や本文の代案が有れば、こちらにお書き下されば幸いです。そうしたものを踏まえて、なんらかの合意が出来次第、保護申請解除という手続きができればと思っております。お手数をおかけして申し訳ございませんでした。--Tamachan21 2006年12月2日 (土) 10:13 (UTC)[返信]

少なくとも利用者ページを作ってから議論してくれませんか?軽功 2006年12月3日 (日) 13:22 (UTC)[返信]

私がTamachan21さんの編集をリバートしたのは、文章がおかしいからではありません。Tamachan21さんがノートで議論が始めたにも関わらず、議論に関連する記述が編集なさったからです。あなた一人の意見に対して、今のところ二人が反対しています。にもかかわらず、「取りあえず、本文のほうに断り書きの一文を入れました」、というのは性急ではないでしょうか。Pica 2006年12月6日 (水) 01:07 (UTC)[返信]
十日間ほどお返事がないようですが、2月いっぱいお返事がないようでしたら、項目名の変更については保留ということでよろしいでしょうか。Pica 2007年1月14日 (日) 18:05 (UTC)[返信]

ハンガリー事件における日本の状況

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ハンガリー事件についての日本の思想的状況について、小島亮氏の「ハンガリー事件と日本 -一九五六年・思想的考察」(中公新書)という本があります。そこには日本の政治家や思想家のハンガリー事件に関する評価があります。保守・右翼・反共の立場からは佐々淳行氏が自分はハンガリーの警察が民衆を弾圧したやり方で弾圧するようなやり方を取りたくないという論を(実際に氏がそのようなスタンスで警察官僚として臨んでいたのかという議論は別にして)展開しているほか、西尾末廣芦田均らが反共の立場から、ハンガリー事件におけるソ連の行動について、スターリニズムのソ連と今のソ連が異なるというのが事実ではないと批判し、ハンガリー難民の救済を名目に、日本ハンガリー救援会を組織しています。

しかし、これら保守・右翼の活動や思想は、真にハンガリーの民主主義やハンガリーの政治難民を救うことを目的としているというよりも反共主義的な立場が強調されていること、またハンガリー難民の救済などもソ連を刺激しないという政治的理由から次第に沈静化したことなどもあって、進歩・左翼の立場の人たちの大半は冷たい態度を取りました。2ちゃんねるなどをはじめとした多くの掲示板などで大内兵衛世界(雑誌)における「歴史のなかで」(1957年4月号)におけるハンガリー事件でのソ連介入止む無しの発言ですが、その背景にあったのは社会主義国の総本山とも言えるソ連への畏敬の念と同時に保守・右翼の反共に対する反発というのが混ざった形で表れており、中野重治もハンガリー救援会に対する皮肉めいた文章を残しています。これは社会主義者だけに限らず、進歩的知識人と呼ばれた人にも見られ、野上弥生子のハンガリー救援会に対する冷たい態度や(「中央公論」1957年2月号「地球儀とハンガリア」)にもありますし、先に引用した「歴史のなかで」において上原専禄も神経質な国民との差別めいた発言を述べております。

ただ、これら進歩・左翼の知識人に見られるハンガリーへの冷淡さは社会主義に対するシンパシーであると同時にハンガリー自体に対する差別意識もあったのだと思います。大内は「歴史のなかで」においてハンガリーを百姓国と蔑視めいた言葉遣いをしていますし、山川均も当初はハンガリー事件に対して同情的なスタンスであったものの(「世界」1957年2月号「ハンガリア動乱をめぐって」など)、「歴史のなかで」では(農民主体の国だから)労働者はそれほどいない(だから革命などありようがない)という物言いをしており、社会主義シンパシーへの進歩性と同時にそれにそぐわない国であるハンガリーは遅れた国という独善的な偏見を露呈しております。これが進歩・左翼を名乗る人の一事実であります。

新左翼(小島亮氏は「ニューレフト」と称している)は日本社会党日本共産党が政治的理由からハンガリー事件について反革命であるとのスタンスを取ったこと(※1)に失望し、黒田寛一大池文雄はハンガリー事件におけるソ連の軍事介入を批判するとと同時に日本共産党における宮本顕治主導の共産党体制をスターリニズムに基いていると批判しています。彼らのスタンスではハンガリーの人民民主主義と称されるものは人民の基盤に基いていないソ連の都合に合わせた体制である(※2)とし、ソ連の軍事介入を非難しハンガリー事件を革命と評しています。

ハンガリー事件の思想をめぐる日本における難しさというのは、ハンガリー事件が政治的、イデオロギー的な理由から左右両翼の政治闘争と化してしまったことにあります。ハンガリー事件をハンガリー動乱と呼ぶのか、ハンガリー事件と呼ぶのか、はたまたハンガリー革命と称するのかはこれらの動きと密接に関係があります。もちろんそれぞれの政治的スタンスが厳格に決まっているのかというとそれはNOです。いろいろと混在しています。右派が動乱という言葉を使っているケースもあれば、左派が革命、事件といった言葉を使っているケースもあります。しかし、この問題は単なる言葉の言い換えではなく、政治的な理由を孕んでいるとしたら客観的な言葉である「事件」という言葉が妥当ではないかというのが私のスタンスです。(※3)とは言うものの、保護扱いになりました。これはもっとこの問題についてノートでじっくり議論をしてから結論を出すべきだとの私たちへの忠告であると思われます。従いまして、この項目の名称についてどうあるべきかという問題のほかに、日本におけるハンガリー事件の思想的問題も踏まえ、議論をしていくべきでしょう。保護扱いとなった現在では、議論をじっくりすることが大切であり、結論を急ぐべきではないと思います。

追伸.私のこの文章は小島亮氏の「ハンガリー事件と日本」を元に記述したものであり、誤り等がございましたらご指摘下さい。議論の上で大切なことです。

※1 日本社会党は右派はソ連の社会主義が問題を抱えたものであることの露呈であるとみなし、左派は反革命であるとみなしました。結局最終的にはハンガリーの自由化運動についてソ連の武力干渉を許さないとした一方反動勢力に利用された面があるという妥協的な文章に終わりました。また日本共産党はハンガリー事件について当初は沈黙し、ソ連のハンガリーへの武力介入を機にハンガリー事件を反革命としたほか、党内の異論を弾圧していきました。

※2 実際にソ連占領後のハンガリー政府の指導者は親ナチス派のダールノーキ・ミクローシュ・ベーラであったし、ハンガリーの治安警察は親ナチス派のホルティ・ミクローシュの下で民衆を弾圧していたメンバーがそのまま残存していました。

※3 できれば個人的にはハンガリー事件においては、労働者評議会ができ、共産党主導の政治体制をひっくり変えそうとしたことなどを踏まえ、ヨーロッパなどでは「ハンガリー革命」と称していることもこの事件の名称について考慮されるべきではないかと思いますが。--Tamachan21 2006年12月24日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

論争のポイント

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まず、再確認としてこのような保護状態になってしまったことは、私と意見の対立のある人との間に十分な意思疎通ができなかったことがあると思われます。それを改めるためには、やはり論点を明確にしそれについて多元的に議論をすることが必要になってくるのかなと思われます。

動乱か事件か革命か

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  • 1 事件の位置づけ

私は、呼称についてはこの事件をどのように位置づけるかによって変わってくると思われます。本文にもありますが、当時のハンガリーの体制を社会主義体制とするか否かで変わってくる側面もあります。大まかに言えば、次のようになります。

まず、A.当時の体制を社会主義体制とみなした上での見解としては、①この事件の位置づけを反革命、すなわち体制に対する反乱とみなし、当時のカーダール政権やソ連がこの立場にあります。(※1)②これに対し、1956年の事件はスターリン社会主義、ソ連型社会主義からの革命とみなすもの、③労働者評議会が設立され、現体制に対する反対を示した革命であるとするものなどがあります。

次に、B.当時の体制は社会主義体制ではなく、共産党という勢力による全体主義体制とみなす見解からのものであり、①当時の体制はスターリン官僚主義体制(スターリニズムを社会主義とはみなしていない)を打破するべく、真に社会主義革命を目指すために労働者評議会が設置されたのだとするもの、②当時の独裁体制を打破するために自由主義、民主主義の体制を確立するための革命とするものとあります。

日本の場合においては、事件を反革命・反乱とみなすかそれとも革命とみなすかは、イデオロギー上の共産主義を認めるか認めないかの思想対立であり、「ハンガリー事件における日本の状況」に付け加えると、それは戦前の軍国主義に対するスタンスをどうみなすかと密接に関連してきます。繰り返しになりますが、事件の呼称は必ずしも反革命・反乱とみなしたものが動乱・反乱の呼称を使い、革命とみなすものが事件・革命の呼称を使っていると言うわけではありません。混在しているのが実体です。しかし、大体の傾向として特に右翼・保守の側にある人間が動乱という呼称が反乱と同様の見解であるとして忌避していますし、左翼は社会主義へのシンパシーから、進歩派は戦前の軍国主義に共感を持つ勢力が事件を反共イデオロギーの道具として使っているとして事件に対して、一部の新左翼などを除き反発をするか見て見ぬ振りをしていたのが現実です。(※2)

  • 2 事件の呼称についての世界の状況

少なくともwikipediaの各言語版を見ると

  • 英語"Hungarian Revolution of 1956"(1956年ハンガリー革命)
  • 中国語「匈牙利十月事件」(ハンガリー10月事件)
  • 韓国語「헝가리 봉기」(ハンガリー蜂起)
  • フランス語"Insurrection de Budapest"(ハンガリー反乱・暴動)
  • ドイツ語"Ungarischer Volksaufstand"(ハンガリー人民蜂起)
  • スペイン語"Hungara revolucio de 1956"(1956年ハンガリー革命)
  • アラビア語"الثورة المجرية 1956)

(1956年ハンガリー革命)

とあり、反乱の語を使っているのはここで確認した限りではフランス語だけです。もちろん他言語とか考えなければいけないでしょうし、また言語の訳は英語を通しているので、その辺りも考慮しなければいけませんが、それでも言語の訳が大幅に変わるということは考えにくいと思われます。

また余談ですが、日本語の動乱ですが、フランス語のinsurrectionは英語でもinsurrectionであり、この言葉は反乱・暴動・動乱を意味します。日本語のハンガリー動乱はここに由来するものと思われます。ハンガリー当局が用いた言葉をそのまま英語で使ったものが日本語に来ている可能性があり、これについてお分かりの方はご教授下さい。(※3)

  • 3 グーグルのヒット数ではハンガリー動乱も多いし、動乱を使ったすべての人が共産主義者なわけではない

もちろんその通りですが、だから動乱という言葉をタイトルにするべきという主張として私は同意致しかねます。それを言うのであれば、ハンガリー事件を扱った本を探せば「動乱」という語を使った一般的な著書はほとんど見当たらないことを考えると、専門家がこの事件を動乱や反乱とみなすのが不適切であると考えていることが伺えます。

以上の主張は私の主観であり、客観性に欠ける側面があることは事実です。しかし、それについて反証なり反対意見を示した上で議論をした上で保護解除をしてほしいというのが私のスタンスですし、この議論なくしてハンガリー動乱のままにする、また編集ができない状況が続くというのも望ましいものと考えておりません。

  • (※1,3)ハンガリー動乱の語は反革命・動乱の現地語を訳した言葉ではないでしょうか。
  • (※2)日本の思想的状況は主として、共産党がA1、新左翼の見解がA2、右翼・反共がB2に当たるでしょう。--Tamachan21 2007年1月2日 (火) 03:23 (UTC)[返信]
日本共産党は、1980年代にこの件についての認識を変えています。1988年に出した『日本共産党の65年』という、公式党史で、この件を『反革命』と当時みなしたのは誤りであったとしています。ただ、1950年代には、〈朝鮮動乱〉ということばも一般的に使われていましたので、そうした時代背景があったのだと思います。
それはそうとして、現在の日本の歴史学の世界でこの件の呼称がどうなっているかをメイン(記事名)にして、最初のセクションで〈当時は『動乱』と呼ばれたが…〉のような推移の説明をするという形がいいのではないでしょうか。昔、『広辞苑』で〈朝鮮征伐〉という見出し語で文禄・慶長の役を説明していたのを、ある版から削除したというケースも参考になるでしょう。ウィキペディアは自説の展開の場所ではないのですから。以上2項目--ねこぱんだ 2007年1月17日 (水) 00:12 (UTC)[返信]

Wikipedia:論争の解決による問題の解決へのお願い

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私tamachan21とPicaさんとの間にハンガリー事件以外にも価値観の差が大きいために話し合いが難航していると思われます。私としては、Picaさんの疑問には回答したつもりですが、Picaさんのほうは納得行っていないようです。また、期限付きによる項目名変更保留を提案していますが、私にはPicaさんの項目名変更保留の理由がインターネット検索を根拠にするものであることを考えるとそれを保留すること(まして期限付による保留請求には)同意できません。

しかし、これ以上は話し合いが平行していると思われるので、Wikipedia:論争の解決のステップ2でありますWikipedia:論争の解決#ステップ2:第三者を交えて議論するによる第3者による仲介を提案したいと思います。具体的にご協力してくれる人を探していますので、それで3月一杯程度まで様子をみたいと思います。--Tamachan21 2007年1月21日 (日) 00:34 (UTC)[返信]

「Picaさんの疑問には回答したつもり」、とのことですが、歴史的経緯についてはわかりましたが、ご自身の発言についてはちょっと筋違いのお答えになさっているように思います。もう一度おたずねします。
  1. 「最近ではハンガリー事件と言う名称が使われるようになってきています。」とのことですが、「最近」とはいつ頃のことでしょうか。現在言い替えが進んでいる、という意味でしょうか。だとしたらどこで進んでいるのでしょうか。「ハンガリー事件における日本の状況」と、「論争のポイント」を読む限り、そのような言い替えが進んでいるようには思えません。本当にそのような言い替えが進んでいるのですか?あなたが言い替えたいだけなのではないですか?
  2. 「国際標準を考慮することからしても」とありますが、「国際標準」とはなんでしょうか。「ハンガリー事件における日本の状況」と、「論争のポイント」を読む限り、「国際標準」をされる読み方は存在しないように思えます。各国がいろいろな呼び方をしている状態こそが、「国際標準」であるかのようです。tamachan21さんのおっしゃる「国際標準」とは、そういう呼び方の混在した状態を言うのでしょうか。
  3. 「自由と民主主義という価値観も1つの価値観に過ぎないので中立性が保てないというのは中国やアフリカ諸国などでよくある意見ですが、そのようなスタンスに立つのであれば、「動乱」という言葉も1つの選択肢でしょう」とのことですが、インターネットに日本語で「ハンガリー動乱」と書き込んでいるのは、旧共産党政権の関係者や中国人やアフリカ人なのでしょうか。「ハンガリー動乱」という言葉を使う人が全員一定の政治観を持っているのでしょうか。Pica 2007年1月21日 (日) 02:16 (UTC)[返信]
私は歴史専門ではありませんが、わかる限りでコメントさせていただきます。
  1. 「ハンガリー事件」と言う言い回しについては、近年刊行された書籍のタイトルや紹介文を見る限りでは、「事件」や「革命」と言う表現に変わっているようです。(それに対して、過去の出版物は殆どが「動乱」です。)そうしたデータに基づいて推測しうる限りでは、現在の歴史学の分野では、少なくとも「動乱」と言う表現は使わないのではないかと思いますが。
  2. 国際標準がどうかはこの際関係ないように思います。国の立場によって様々な見方がありますから、仮に「動乱」と言った表現を使ったからといって共産主義者だと思われるとは思えません。
用語のニュアンスを見た場合には、「動乱」はソビエト寄りで、「革命」はハンガリー寄りになるでしょうね。最も中立的なのは「事件」と言う事になるかと思いますが。Hegyi János 2007年1月22日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
後からご参加いただいた方が見落としている場合も考えられるので再掲しますが、2ページ左上参照にあるように、専門家の間でも事件か動乱か革命か意見が分かれており、ハンガリー1956としている経緯があります。--Tiyoringo 2007年1月22日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
見落としていました。貴重な資料のご紹介、ありがとうございます。他にも参考になりそうな記述があると思われますので、現代思潮新社のトップページも紹介しておきます。[3]さて、シンポジウム「ハンガリー1956」についてですが、同2ページ右下には、「事件」とするか「革命」とするかが会議の論点となったと言う記述があります。つまり、現時点においては「動乱」という選択肢が既に消えつつあることを意味するのではないかと思いますが。少なくとも、tamachan21さんだけが言い換えたい訳ではないことは明白でしょうね。Hegyi János 2007年1月22日 (月) 15:02 (UTC)[返信]
右下ですが、ここのあとがきのようなところに動乱がないのは少なくとも、到氏は動乱派でないのは間違いないですね。動乱以外派なのかもしれません。字数制限があって省いたのか、意図的に省いたのかは推測しかできないので、動乱が消えつつあると断言はできない気がします。誰も確認できていないのが現状ですが、世界史教科書や山川出版の世界史用語集などを確認できれば、ハンガリー事件が使われているか、ハンガリー動乱が使われているか、といったことも確認できますが、残念ながらまだ誰も確認はできていないといったところのようです。10年、20年経てばハンガリー事件が一般的になるかもしれませんし、Wikipediaは速報ではありません、というのもあるので、改名に関しては期が熟してからで良いのではと思っています。(逆にさらに歴史が経過すると以前のような評価に戻るかもしれませんが。)--Tiyoringo 2007年1月22日 (月) 15:16 (UTC)[返信]

(インデント戻します)私はTiyoringoさんが提示した資料に基づいて指摘させていただきましたが、そのうちの特定の記述は信用できて、特定の記述は信用できない、というのもおかしなものだと思いますが。また同資料中にもあるように、近年はNHKでも「革命」としているようです。(シンポジウムに使われたビデオは「動乱」ですが、これは古い映像資料でしょう)世界史の教科書や教材については、あくまで学生用のものであり、一般人向けのものではありません。「動乱」が消えつつあるのかどうかについては、私の最初のコメントでも指摘しましたが、近年において、どういった書籍が刊行されているのか、ということも含めた上で考えていただきたいと思います。アマゾンでの"ハンガリー動乱"での検索結果及び同"ハンガリー革命"。「動乱」と題する書籍が、近年刊行されていない事についてはいかがお考えでしょうか。Hegyi János 2007年1月22日 (月) 15:49 (UTC)[返信]

右下の記述ですが、これが論文などの要約ならばともかく、そこに記載されていないことで、消えつつあるとも断定できないのではないでしょうか。(もちろんご指摘どおり消えつつあるかもしれません。)国立国会図書館データ検索では、事件、革命、動乱、の他に蜂起もあります。14冊検索されましたが、同じ著者による本もあることから、あまり頻繁に書物が発行されているトピックではないようです。(あまり売れないでしょうから)。検索された書名をクリックすると普通件名 ハンガリー動乱(1956)というのが出ます。こういった分類は一度決定されたらめったに変更されるものではないかもしれませんが。--Tiyoringo 2007年1月22日 (月) 16:22 (UTC)[返信]
まず、私は消えつつあると断定してはいませんので、先に誤解を解いておきたいと思います。ただし、右下の欄につきましては、少なくとも、このシンポジウムにおいては、「動乱」は、「事件」や「革命」と並ぶ意味を持っていなかったと言えるのではないかと思います。字数制限があろうと、また他にどのような理由があろうと、仮に重要であるならば、省くことはないでしょうね。また、3つ目のニュースもご覧下さい。参加者のアンケートから、このシンポジウムの傾向が間接的に読み取れるのではないでしょうか。
図書の検索結果については、もう一度お聞きしますが、「近年、「革命」や「事件」と題された書籍が刊行されているのに対して、「動乱」についてはなぜ刊行されていない」のか、それについてはどうお考えでしょうか?国立国会図書館のデータについてですが、「蜂起」については、その書籍のタイトルはこのようになっています―ブダペスト蜂起1956年―最初の反全体主義革命。また、同じ著者の本ではなく、同じ本の再版も含まれていることにご留意下さい。
ただ私が疑問に思うのは、
  1. 一体、その「シンポジウム」がどのような位置づけのものであったのか(学術的に公平なものかどうか)
  2. 発行された書籍から、歴史学の傾向を推測することが正しいのかどうか
この2点です。前者については、おそらくTiyoringoさんの方が詳しいのではないかと思います。後者については、「特定の説」がある程度の影響力を持っているとは言えそうですが、断定しうるものではないと思います。Hegyi János 2007年1月22日 (月) 21:23 (UTC)[返信]
(追記)ハンガリーで1956年に起こった出来事に対して、(恐らく英語表記に引っ張られる形なのでしょうが)1956年革命という呼び方も広く用いられるようになっているようです。ご参考までに。Hegyi János 2007年1月22日 (月) 21:30 (UTC)[返信]

インデント戻します。アンケートでは、事件、革命という言葉で動乱は使われておりませんね。出席者が年配者だけなのが気になったという意見について特に興味を持ちました。(アンケート結果では若い方も回答していますが。)一般的な使われ方でいうと、動乱というのは滅多に使われない言葉で馴染みが少ない言葉で、私の知っている限り他に使われている例としては、コンゴ動乱だけでしたが、朝鮮戦争のことを韓国では韓国動乱という言い方をする場合もあるようですね。シンポジウムが公平かどうかは、非常に確認するのは困難だと思います。ただし、動乱か、事件か、革命かといった位置付け、呼称については結論の合意形成は難しいといった判断がおそらくあったのではと思います。クラウス氏に関しては世話人になられた方とおそらく親交がある方だと思われます。少なくともあまり国内に多くはないであろうハンガリーを研究分野にしている学者の多くは参加、ないし発表を行なったであろうと思います。書籍は売りものにならないといけないので、それのみで歴史学の傾向は推測するのは難しいと思います。--Tiyoringo 2007年1月23日 (火) 12:54 (UTC)[返信]

出席者は年配の研究者が多かったようですね。会場の写真を見ても、白髪の方が多い印象を受けます。恐らく、1956年に、直で論争を経験された方々が赴かれたのではないかと思います。ただ、運営側の研究者はまだ、年配とは言えない年齢の方のようですね。呼称については、むしろこのシンポジウムにとっては重要ではなかった問題だと思いますが、それについてはいかがでしょうか?ただし、呼称が一本化出来なかったことについては、会議においては、実質的に「事件」と「革命」のどちらにするべきかで決着が付かなかった可能性が高いと思います。
書籍については、私も同様に考えますが、少なくとも、「動乱」は「事件」もしくは「革命」に入れ替わっているのではないかと思います。それはもちろん、「動乱」という単語を忌避したいだけなのかもしれませんし、本質である書籍の記述に沿った選択なのかもしれません。ただ、こうした書籍は、娯楽関係の書籍とは違い、売れる/売れないは、発行するかどうかの第一の判断基準にはなりません。(もちろん、結果的には売れる方が良いに決まっていますが)
ところで、編集保護の解除を提案します。記事の移動はすべき段階ではありませんし、すべきかどうかも私にはわかりませんが、少なくとも記事内容の編集さえも制限する必要はないと思います。12月2日のような編集であれば問題は少ないと思いますし、それに関してはTiyoringoさんも異存はないようですが、いかがでしょうか。とりあえず私としては、(あまり執筆に割ける時間はありませんが)本文記事の充実を図りたいと思います。Hegyi János 2007年1月24日 (水) 14:48 (UTC)[返信]

保護解除について

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保護解除には同意です。記事充実にお力をいただける方が新たにいらっしゃったことですし、議論で手詰まりだった時期と異なったと思います。--Tiyoringo 2007年1月24日 (水) 16:04 (UTC)[返信]

ありがとうございます。とりあえず、ノートでの議論に参加された他の方の意見も聞いてから、保護解除の依頼を出したいと思います。Hegyi János 2007年1月24日 (水) 16:43 (UTC)[返信]
保護の原因となった私が言うのもなんですが、保護解除には反対します。
Tamachan21さんは、「ハンガリー事件」という呼び名が、「国際標準」であるかのようにノートで発言し、「現在ではハンガリー「動乱」という用語について、共産党政権が民衆への弾圧を正当化する言い回しであり、不適切であるとの意見が有力になりつつある。」と編集しています。私は、「誰がそのように言っているのか、誰が言いかえを進めているのか」、と何回か質問していますが、返答は今のところないようです。
Tamachan21さんが記事名の変更を希望する動機や根拠が、いまだに私には理解できませんので、保護解除をすれば、また同じ編集合戦をすることになるのではないかと思っています。
また、保護解除をした場合、ノートでの議論が停滞し、記事名の変更は自動的に保留されてしまうように思われます。ほんの数人のウィキペディアンが「ハンガリー動乱」という言葉が政治的に正しいかどうかについて、ノートで議論することには反対なのですが、Tamachan21さんの呼びかけによって意見が寄せられはじめたところですので、もう少し意見が集まるのを待ってもいいように思います。Tamachan21さんの言う、「3月一杯」というのはちょっと長すぎる気がするのですが、せっかくですので2月一杯ぐらいは他の方の意見を待っても良いのではないでしょうか。Pica 2007年1月25日 (木) 07:13 (UTC)[返信]
概ね同意いたしますが、12月2日の編集ではそういう発言は使われていないのにも関わらず、結果的に編集保護となっています。そのことについてはいかがお考えでしょうか。
「現在ではハンガリー「動乱」という用語について、共産党政権が民衆への弾圧を正当化する言い回しであり、不適切であるとの意見が有力になりつつある。」と言った表現は、その箇所については根拠が示されれば問題ないと思いますし、そうでなければ、「~との意見も存在する」のように、言い回しを変えることで対応できるものではないでしょうか。いずれにしろ、移動合戦に発展する見込みはありませんし、記事名についての論議と編集保護は別の問題ではないかと思うのですが。Hegyi János 2007年1月25日 (木) 07:38 (UTC)[返信]
細かいようですが、冒頭で複数の呼び方があることを知らせているにもかかわらず、下のほうで、『ハンガリー事件』を『ハンガリー「動乱」』とかぎかっこ付きで編集した部分に、はっきりとTamachan21さんの主張が出ているように思います。ノートで自ら呼びかけた議論中に、このような自説を織り込んだ編集をしないで欲しい、ということです。
根拠については示されれば問題はないと思いますが、今のところ示されてはいないように思います。
言い回しを変えることについても、同様に出典が必要になるでしょう。誰がそのような意見を言っているのか、というのが私には分かりません。
移動合戦はともかく、編集合戦は一度起きていますので、私は心配です。Pica 2007年1月25日 (木) 11:17 (UTC)[返信]
少なくとも、1989年以前のハンガリーでは、日本で一般的に使われている表現のうちでは「動乱」に最も近いニュアンスの言葉が公式に使われていたと聞いています。それを踏まえると、その節においては「ハンガリー動乱」の方が適切だと思いますが。単語1つ1つを批判的に捉えるよりも、できれば記事としての文脈で捉えた方がいいのではないでしょうか。
また、問題が起こる以前に、既に記事中においても様々な表現(「動乱」「革命」「事件」)が混在して使われていたことを踏まえると、あまり気にし過ぎないほうがよいのではないかと思います。
もちろん、Picaさんの指摘される根拠については私も薄いと思っていますし、また根拠の示されていない記述にはそれなりの対処をすべきだ、と言うのが私の考えです。Hegyi János 2007年1月25日 (木) 12:30 (UTC)(修正:2007年1月25日 (木) 12:40 (UTC))[返信]
ここでの議論の結論も出ていないのに自説を織り込んだ編集を強行する人物がいればその人物をブロックするということで、保護解除しても良いのではないでしょうか。--Cave cattum 2007年1月25日 (木) 14:36 (UTC)[返信]

保護解除をするか否かは、私Tamachan21とまた呼称を巡って対立をしているPicaさん以外の第三者の皆さんでこの項目をどのような方向で充実させるのかということも含め、お決めになられたほうがいいのかなと思っております。保護の原因をつくった私どもがこの問題で議論すると議論の本質がずれてしまい、呼称やその背景を巡る議論ができなくなるのではないかと懸念します。--Tamachan21 2007年1月27日 (土) 01:24 (UTC)[返信]

私とTamachan21さんとは呼称を巡って対立しているのではなくて、検証可能性について対立しているのだと考えています。私の手元にある本では、「ハンガリー事件」とされているので、複数の呼び方があるのだということはわかっています。私が記事名の変更に今のところ反対しているのは、Tamachan21さんの主張は、いずれも根拠が薄いと考えているからです。
保護解除についてですが、ノートで新たな結論が出るまでは記事内の用語は「ハンガリー動乱」で統一し、記事名の移動や、この用語に反対であるというニュアンスを含んだ編集を行わないことをTamachan21さんが約束してくだされば、賛成したいと思います。Pica 2007年1月27日 (土) 05:42 (UTC)[返信]

文献検索結果

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(コメント)「”動乱”という言葉には起こした側がマイナスであるニュアンスがある」などという改名理由は主観的なものに過ぎず到底受け入れることはできません。私の主観を言わせてもらえば、「動乱」とは圧制に対して人民が敢然と立ち上がったみたいな光景をイメージする極めてポジティブな言葉です。「用語が変わってきている」という改名理由であれば正当と言えますが、CiNiiでの検索結果を見る限りはそのような傾向は見出せません。なお「事件」もまた偏見の込められた言葉で、深刻な事態の発生を「”殺人事件”と同レベルの取るに足りない出来事である」と隠蔽する目的で使われます。「ノモンハン事件」がまさにそうですね。1957年当時に「ハンガリー事件」を用いていた主体を見るとなるほどと考えさせられます。--Cave cattum 2007年1月24日 (水) 15:28 (UTC)[返信]

「ハンガリー動乱」を用いているもの

  • 『PICTURE POWER ハンガリー動乱 50年前の記憶』ニューズウィーク 21(41) (通号 1026),66~69,2006/10/25(ISSN 09122001) (阪急コミュニケーションズ)
  • 羽場,久美子『編集長インタビュー ヨーロッパの東方拡大--社会主義再考 (特集 ハンガリー動乱50周年)』もうひとつの世界へ (5),18~21,2006/10(ロゴス社)
  • 南塚,信吾『みたび、ハンガリーの「第三の道」論について (特集 ハンガリー動乱50周年)』もうひとつの世界へ (5),14~17,2006/10(ロゴス社)
  • 上島,武『ハンガリー動乱五〇年 (特集 ハンガリー動乱50周年)』もうひとつの世界へ (5),8~13,2006/10(ロゴス社)
  • 『特集 ハンガリー動乱50周年』もうひとつの世界へ (5),8~21,2006/10(ロゴス社)
  • 斎木,伸生『カメラ・ルポ ハンガリー動乱の証跡』丸 53(11) (通号 655),44~49,2000/11(潮書房 〔編〕/潮書房)
  • 北沢,恒彦『書評・丸山真男「反動の概念」-1-骨格のデッサン,あるいはハンガリ-動乱の思想史的序説』思想の科学 第7次 (通号 142),p44~65,1991/07(ISSN 03898083) (「思想の科学」編集委員会 編/思想の科学社)
  • 『わが国の歴史的道程(抄)--ハンガリ-社会主義労働者党歴史検討作業小委員会--ハンガリ-動乱に至る変革への動向(ドキュメント)』世界週報 70(45),p64~70,1989/11/14(ISSN 09110003) (時事通信社 〔編〕/時事通信社)
  • 石原,萠記『戦後三十年・日本知識人の発言軌跡-1-朝鮮動乱と反米知識人の発言--進歩派知識人の便乗的発言,ハンガリ-動乱と知識人の転換--進歩派知識人の混乱と動揺』自由 26(1),p95~113,1984/01(ISSN 04490401) (「自由」編集委員会 編/自由社)
  • 永江,正文『消え去らぬ反ソ感情--「ハンガリ-動乱」から二十七年(特派員ノ-ト)』世界週報 64(48),p56~57,1983/11/29(ISSN 09110003) (時事通信社 〔編〕/時事通信社)
  • 木村,明生『戦後世界史の断面-20-ハンガリ-動乱』朝日ジャ-ナル 20(22),p48~53,1978/06/02(ISSN 05712378) (朝日新聞社 〔編〕/朝日新聞社)
  • Szulc,Tad『シュルツヨ-ロッパ報告-4-体制は「東」,心は「西」--ハンガリ-動乱から20年』世界週報 57(45),p34~39,1976/11/16(ISSN 09110003) (時事通信社 〔編〕/時事通信社)
  • 西田,照見『黒田寛一とハンガリー動乱--黒田哲学の体質と弁証法をめぐって (戦後30年史--固執と転成(特集))』現代の眼 16(1),68~77,1975/01/00(ISSN 0435219X) (現代評論社)
  • 新井,健児『ハンガリー動乱の意味するもの』大陸問題 6(1),????,1957/01(ISSN 04967410) (大陸問題研究所)
  • 『モスクワとベオグラードの応酬--ハンガリー動乱をめぐって』世界週報 37(36),16~39,1956/12/21(ISSN 09110003) (時事通信社)

「ハンガリー事件」を用いているもの

  • 石井,明『中国共産党はハンガリー事件にどう関与したのか?』国際社会科学 54,1~12,2004(ISSN 13482793) (東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻)
  • 荻野,晃『ハンガリーにおける「旧体制の復活」とナジ・イレム問題(1956-1957)』Japanese Slavic and East European studies 22,59-72, 159-160,20020331(ISSN 03891186) (日本スラヴ・東欧学会)
  • 荻野,晃『ハンガリー事件後の「体制の強化」とナジ問題 : 1956-1958』法と政治 51(3/4),57-95,20001230(ISSN 02880709) (関西学院大学法政学会/関西学院大学)
  • 荻野,晃『ハンガリー事件後の「旧体制の復活」とナジ問題 : 一九五六ー一九五七』法政論叢 37(1),93-104,20001115(ISSN 03865266) (日本法政学会/日本法政学会)
  • ペリカン,ジ-リ- 著; 俊藤,知男 訳『社会主義諸国における変革は可能か--ポ-ランド・ハンガリ-事件20周年にあたって』現代の理論 14(1),p70~87,1977/01(現代の理論社 〔編〕/現代の理論社)
  • 対談 平田,重明; 久芳,健夫『第2のハンガリー事件にならぬ? (急転 ソ連軍のチェコ進入)』朝日ジャ-ナル 10(36),6~7,1968/09/01(ISSN 05712378) (朝日新聞社 〔編〕/朝日新聞社)
  • 榊,利夫『スターリン批判とハンガリー事件』文化評論 (通号 72),6~24,1967/10/00(ISSN 0521789X) (新日本出版社 〔編〕/新日本出版社)
  • 穂高,三郎『ゲオルグ・ルカーチの社会理論について--ハンガリー事件と修正主義』文化評論 (通号 3),????,1962/02(ISSN 0521789X) (新日本出版社 〔編〕/新日本出版社)
  • 石田,精一『ハンガリー事件と修正主義』前衛 (通号 132),38~43,1957/09(ISSN 13425013) (日本共産党中央委員会)
  • 佐藤,進『スエズ・ハンガリー事件以後の西独経済の動向』アナリスト 3(3),????,1957/03(ISSN 00032662) (経済発展協会 〔編〕/経済発展協会)
  • 霜台,輝虎『共産主義の本領--ハンガリー事件の教訓』ソ連研究 6(2),????,1957/02(ISSN 0560852X) (ソ連問題研究会)
  • 武井,武夫『ハンガリー事件の教訓』前衛 (通号 124),84~99,1957/01(ISSN 13425013) (日本共産党中央委員会)
  • 『2つの植民地主義--ポーランド・ハンガリー事件の経済的背景』海外事情 5(1),62~70,1957/01(ISSN 04530950) (拓殖大学海外事情研究所)
  • 原子,林二郎『世界を震憾させた政変と暴動--ポーランド、ハンガリー事件の核心をさぐる』世界週報 37(32),18~23,1956/11/11(ISSN 09110003) (時事通信社)

全体長くなっていますが、少なくとも上の文献リストで見るかぎり、『事件』は使えません。前にも述べたように、共産党はこの件への評価を正式に変更していますから、当時の共産党の雑誌で『事件』を使っていることを、現在の記述の根拠にはできません。ちなみに、旺文社の世界史辞典では、『革命』の見出しのもとに1848年のものと、1956年のものを記述し、そのあとで『動乱』の項目も起こしています。岩波の世界史年表では、『民衆蜂起』と書かれています。〈ハンガリー革命 (1956年)〉という記事名はいかがでしょうか。 --ねこぱんだ 2007年1月25日 (木) 04:11 (UTC)[返信]
上記では、「ハンガリー革命」を用いている文献に関しては省略しました。なぜならほとんどないからです。CiNiiで検索してみてください。--Cave cattum 2007年1月25日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
Cave cattumさん、節の分割、ありがとうございます。「ハンガリー革命」については、検索結果を引用しますが、それなりにあるようです。(1848年、1919年の革命も、一応は除去しましたが、まだ混ざっているかもしれません)
  • ハンガリー革命50周年・反スターリン主義運動勃興50周年 暗黒の二十一世紀を覆す革命的拠点を!--米中新対決下の戦乱とファシズム反動の嵐を突き破れ 新世紀 (通号 221),12~39,2006/3(ISSN 13447904) (解放社)
  • 本間,勝 ハンガリ---革命とその後(海外ウォッチャ- ハンガリ-) ファイナンス 28(4),p65~69,1992/07(ISSN 04486072) (財務省大臣官房文書課 編/大蔵財務協会)
  • 木村,英亮 「ハンガリ-革命史研究--東欧におけるナショナリズムと社会主義」羽場久〓子 歴史評論 (通号 485),p73~76,1990/09(ISSN 03868907) (歴史科学協議会 編/校倉書房)
  • 清水,知久 ハンガリー革命と米国の三文人 (徳末愛子教授 奥田夏子教授 記念論文集) 日本女子大学英米文学研究 25,191-202,19900320(ISSN 02883015) (日本女子大学英語英文学会/日本女子大学)
  • 林,忠行 「ハンガリ-革命史研究--東欧におけるナショナリズムと社会主義」羽場久〓子 アジア経済 30(12),p133~136,1989/12(ISSN 00022942) (アジア経済研究所)
  • 大津留,厚 「ハンガリ-革命史研究--東欧におけるナショナリズムと社会主義」羽場久〓子 西洋史学 (通号 155),p208~210,1989(ISSN 03869253) (日本西洋史学会 編/日本西洋史学会)
  • 南塚,信吾 マルクス=エンゲルスのハンガリ-革命論を越えて--サボ-・エルヴィン (マルクス主義の受容と展開--マルクス没後100年にあたって-2-<特集>) 歴史評論 (通号 399),p9~23,8,1983/07(ISSN 03868907) (歴史科学協議会 編/校倉書房)
  • メライ,チボー ハンガリー革命の真相<1960年3月> (現代の証言-2-〔講演〕) 自由 15(3),103~105,1973/03/00(ISSN 04490401) (「自由」編集委員会 編/自由社)
  • メライ,T.; 岡本,順一 訳 ハンガリー革命と中ソの対立 自由 5(12),????,1963/11(ISSN 04490401) (「自由」編集委員会 編/自由社)
  • 島田,巽 ハンガリー革命 学鐙 54(6),????,1957/04(丸善株式会社 〔編〕/丸善)
  • 竪山,利忠 ハンガリ革命と労働問題 海外事情 5(2),56~61,1957/02(ISSN 04530950) (拓殖大学海外事情研究所)
  • 高木,邦雄 ハンガリー革命のちがった反応 ソ連研究 6(3),????,1957/01(ISSN 0560852X) (ソ連問題研究会)
ただ上位の検索サービスであるGeNiiの結果を見る限りでは、「事件」でヒットする文献数が圧倒的に多いです(ただ、どのような仕組みが使われているのか、なぜこのような結果になるのかが全くわからないのですが)
言葉の解釈は人それぞれですが、確かに、「事件」については、重大な事態を隠蔽するような印象を受けなくもないです。英語としては"Hungarian Incident"となるのかもしれませんが、こうした表現が殆ど使われていないのも気になります。ただ私は「動乱」についても、その当時の出来事を矮小化しているような印象を受けます。(恐らく、原語のニュアンスに最も近いのは『民衆蜂起』ですが、それと比べると…やや大人しいように感じます)
もう少し様子を見て、他の利用者の方の意見を待ちたいと思います。Hegyi János 2007年1月25日 (木) 17:38 (UTC)(2007年1月25日 (木) 17:51 (UTC)追記)[返信]
議論が長すぎて、多少端折って読んでみました。私などは「ハンガリー動乱」という用語を使ってきた世代なので、一言。
イデオロギー的意味合いや、文献の数を別として、「動乱」「事件」「革命」の3つの言葉を比べたとき、如何なのでしょう。果たして「事件」という単純な言葉で肩付けられるモノでしょうか?。一方で、「革命」と呼べるほど、歴史上の革命に匹敵するモノでしょうか?。民衆の騒乱、党・政府の混乱、ソ連の無謀、これらを言い表すモノとして「動乱」はなかなか良い言葉かと思いますが。--MZM-MSYK 2007年2月1日 (木) 11:10 (UTC)[返信]
できれば、全部読んでいただければと思います。(引用資料等も含めて)この問題結構長引くのではないかと懸念していますので、その上で今までの議論や資料に対するご意見、感想なども含めてご意見いただければ幸いです。--Tamachan21 2007年2月2日 (金) 14:58 (UTC)[返信]
長い議論なため、全部読みきるには、ちょと苦労しそうです。目が痛くなりそうなので(笑)、時間があるときに追々。
要するに、Tamachan21さんは「動乱」と言う言葉に、ある種のイデオロギー的要素を感じているのですね。とくに「」な人々が、この用語を「民衆の側が起こした叛乱」と解釈しているために。私などの場合は、国民・政府・ソ連軍それぞれの動揺・混乱をひっくるめた、当時のハンガリーの社会全体での現象をさして「動乱」と呼んでいます。--MZM-MSYK 2007年2月2日 (金) 16:31 (UTC)[返信]

(インデント戻し)確かに長いですね。近日中にやや古い議論を纏める予定なので、よろしければお待ち下さい。イデオロギー関連の議論も重要なのかもしれませんが、できれば現在どういう呼称が歴史の分野で使われているのか、という方向での議論をお願いしたいと思います。

革命については、英語版の脚注3が参考になるのではないかと思います。Hegyi János 2007年2月2日 (金) 16:43 (UTC)[返信]


「Cave cattum」さんと、「MZM-MSYK」さんのご意見は、「動乱」という言葉がイデオロギー的背景とは関係なく口にされている、という証拠の一つなると思います。私も同じような印象を持っています。
私はハンガリー動乱にはほとんど興味がないのですが、「動乱」という言葉が私の耳に親しい理由はなにかと考えると、これは2005年のNHK特集で、「ハンガリー動乱」という言葉が使われていたからでしょう。Tamachan21さんは私の政治的スタンスをなんどか訊ねていらっしゃいましたが、この件に関しては私にはこれといった政治的意見はありません。ただ「ハンガリー動乱」のほうがよく聞く言葉だ、と思っているだけです。
以下にグーグルでそれぞれの呼称を検索して、気になったサイトを挙げておきます。
  • 「日本ハンガリー友好協会」のサイトでは、「ハンガリー動乱(革命)」、「ハンガリー革命」、「ハンガリー56年事件」、「56年ハンガリー事件」、「1956年の民族蜂起(いわゆるハンガリー動乱)」、と様々な呼称が混在しています。
  • 「ハンガリーの成功体験」では、ハンガリーの方が冒頭で「1956年のいわゆるハンガリー動乱、ハンガリー人にとっては革命、独立戦争で、」と言い、また「1956年の革命」、「ハンガリー動乱」とも言っています。
  • 朝日新聞の2006年10月の記事では、「ハンガリー動乱」としています。
  • 外務省のサイトでは、現在「ハンガリー動乱」としています。
  • 宮内庁のサイトでは、2002年の「ハンガリー大統領夫妻主催晩餐会(国会議事堂)における天皇陛下のご答辞」で、天皇陛下が「ハンガリー動乱」としています。
  • FIFAの日本語サイトでは、「ハンガリー動乱」としています。
  • ハンガリー政府観光局のサイトの記事では、「ハンガリー革命」としています。また別のページでは、「ハンガリー動乱」、「現在は歴史の見直しが行われ『56年のハンガリー革命』」としています。
以上のサイトを見た感じでは、マスコミで「ハンガリー動乱」が使われているので、ほとんどの人は「動乱」と呼称しているのかな、と思いました。
日本の公官庁でも「動乱」が使われているようです。
ハンガリーの方が関わるサイトでは、併記することがほとんどのように思いました。
このように見ていくと、Tamachan21さんがおっしゃっていた、「最近ではハンガリー事件と言う名称が使われるようになってきています。」、というのは、いったいどこの誰のことについて言っていたのかな、と思います。これについて「Hegyi János」さんから、「現在の歴史学の分野では、少なくとも「動乱」と言う表現は使わないのではないか」との発言がありました。続くTiyoringoさんとの議論で、このご意見は少なくとも、「動乱」と題した歴史分野の本は最近出版されていない、という点では裏づけを持ったように思います。しかし、今現在歴史学の分野で「事件か革命か」と議論している最中に、ウィキペディアのノートで歴史的に正しい呼称について決定することが出来るのかな、と疑問に思います。また、リンク先の文中で村岡到氏が、「近年NHKでも『革命』としている」と書いていますが、これはちょっと聞いたことがないのですが、どなたか詳しいことをご存知でしたら教えてください。Pica 2007年2月3日 (土) 01:40 (UTC)[返信]
「動乱」という呼称がどういう背景で使われるようになったのかは、記述する価値のあるトピックかもしれません。ともあれ、イデオロギーな要素があろうとなかろうと、ここではそういったものを除去して議論できればと思います。
  • ハンガリー政府観光局のサイトは、1956年についての文章ではないので、ご留意下さい。1848年、1919年、1956年、1989年のそれぞれの出来事を「革命」と呼称する事があるので、検索結果をチェックする必要があります。
  • 日本ハンガリー友好協会については、よく知らない人が書いているのか、それともやけくそになっているのか、表記がバラバラすぎて判断に苦しみます。
  • ハンガリーの成功体験を読む限りでは、ハンガリー人が直接スピーチしたのか、それとも通訳を介してのものなのか明確ではありませんので、そのままハンガリー人の見解だと取る事は難しいです。朝日新聞の記事にもありましたが、2006年の記念式典については、忠実に訳すれば『革命50周年記念』とすべきところを、『動乱』としたように、翻訳を挟むと、あらぬ方向に語意が変化することもありますので。
  • 天皇陛下のご発言については、2002年においての日本としての呼称を考慮した結果だと私は思います。
  • 外務省のサイトについては、56年の出来事については「動乱」、祝日については「革命」という呼称を用いていますので、文脈によって様々な使い分けがあるようなので、画一的に呼称を「動乱」に統一するのは難しいかと思います。(書いていて自分でもややこしいと思いました。ご意見いただけると嬉しいです。)
  • 「事件」については、GeNiiでは最も多くヒットします。検索ワードとして、「ハンガリー事件」が登録されているサービスも存在することの証明になるかと思います。
  • NHKについては、たまたまグーグルで引っ掛かった結果を紹介します[4]。どうやら、「革命」と題する番組がBSで放映されたようです。
個人的には、歴史学の分野について、呼称についての議論そのものはそれほど重要なことのようには思えないです。「革命」か「事件」か、というのも、56年の民衆の蜂起とソ連の介入はどういった意味を持つのか、といった論争の外郭であるようにしか思えません。ウィキの記事名についても、歴史的な意味合いでの正しさを保障するわけではなく、あくまで外部の研究成果などに基づく、便宜的なものにすぎないので、そう深刻に考えすぎないでよいと思います。Hegyi János 2007年2月3日 (土) 09:37 (UTC)[返信]