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ノート:ヌーヴェルヴァーグ/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

松竹/立教

立教ヌーヴェルヴァーグと松竹ヌーヴェルヴァーグの順番を入れ替えてはいけませんか。記事に多少手を入れる必要がありそうですが、映画マニアでもない一般の読み手にとっては、歴史的順序に沿った記述のほうが理解しやすいと思います。Diogenesis 2006年11月8日 (水) 16:25 (UTC)

立教と松竹を入れ替えました。合わせて本文の手直しをしましたが、松竹ヌーヴェルヴァーグへの辛口の評価はそのまま活かしています。Diogenesis 2006年11月20日 (月) 04:13 (UTC)

イタリアのネオレアリズモと英国のフリー・シネマに始まるニューウェイヴ・ムーヴメントは、世界中に多数存在します。松竹および立教だけをフランスヌーヴェルヴァーグのページで特筆するのも奇妙な話です。「日本ヌーヴェルヴァーグ」のページに分割いたしました。--Kmrt 2007年10月4日 (木) 10:18 (UTC)

サルトル関係

  • 竜造寺和英さんが「サルトルの実存主義の影響を受け、「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」との説明を書き加えられていますが、この説明の出展あるいは論拠があるのでしょうか? 説明文のところでも触れているとおり、ヌーヴェルヴァーグはその定義があいまいかつ広義に渡るため、仮に実存主義の影響がある作家や作品があったとしてもその一部に過ぎないはずです。また私は寡聞しにて、実存主義の影響が明確かつ意識的にある作家や作品を知りませんのでなおさら違和感を感じます。もしはっきりとした論拠がないのなら一部意見として補足的に記載すべきですし、何らかの出展があるのならそれを明記した上でやはり補足的に扱うべきだと思います。--parole 2006年12月16日 (土) 17:49 (UTC)
  • paroleさん、こんにちは。このノートに気が付かず、返信が遅れて申し訳ありません。「サルトルの実存主義の影響を受け、『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く」と云うことは、芥川賞作家で日本文藝著作権センター理事長の三田誠広氏が「書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室」(朝日ソノラマ)で書いておられます。もっとも色濃く出ている影響は、不条理性・不毛性だと思います。作品のテーマに、これらが強く反映されていると思います。さて、出典を明らかにしたので、元に戻していいですよね。--竜造寺和英 2006年12月29日 (金) 06:23 (UTC)
  • 竜造寺和英さん、ご回答ありがとうございます。出典があることは分かりましたが、「サルトルの実存主義の影響を受け、「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と言う表現は言い過ぎだと思いますし、三田誠広氏は映画に関する専門家でもなければ、フランス映画に特に造詣が深いというわけではないと思いますので、飽くまでも一個人の私感、もしくはそのような意見があるという表現に留めるべきだと思います。と言うのも、ヌーヴェルヴァーグの中核的な人物であるゴダールやトリュフォーなど、『カイエ・デュ・シネマ』を中核とした右岸派の面々にはこのような影響関係は認められませんし、それどころか映画をなにがしかの主張の手段とすることに対して明確に反意を唱えているからです。また、彼らの作品そのものにも、私には特定の主義・主張の影響があるとは思えません。従って、もし実存主義云々をコメントとして付け加えるのなら、「主文(前文)」にではなく、コメント的なものとして「一部では、サルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く、との評価もある」という表現にすべきだと思います。
  • また「もっとも色濃く出ている影響は、不条理性・不毛性だと思います」とのことですが、例えばアラン・レネあたりの60年前後の作品に関してならこのコメントは当たらずとも遠からずと言えるでしょうが、ゴダールの『はなればなれに』やトリュフォーの『柔らかい肌』あるいはジャック・ドゥミの『シェルブールの雨傘』にこのコメントを当てはめるのは余りに無理があり、それこそ「不条理」で「不毛」なのではないでしょうか? そもそも、本文の「広義においては」以下で書き記したように、ヌーヴェルヴァーグの定義自体が曖昧で、時と場合によってはセルジュ・ブールギニョンの『シベールの日曜日』やクロード・ルルーシュの『男と女』といった「一般作品」ですらヌーヴェルヴァーグの範躊として捉えられてしまうことすらあるのです。しかし、このこと自体は決して悪いことではなく、このように定義も範囲も曖昧で広範囲であり、ムーブメントと呼ぶにふさわしい、そう呼ぶしかなかったことがヌーヴェルヴァーグの本意だと思っていますので、特定の主義の影響が色濃く出ているとか、なにがしかのことに主眼が置かれているというコメントには単なる違和感以上のものを感じます。
  • ただし、このまま議論を重ねても平行線となる恐れがありますので、映画について造詣が深い方々のご意見もお伺いしたいと思います。もし、ヌーヴェルヴァーグが「サルトルの実存主義の影響を受け、「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」という文章に違和感や反論を感じない方が多数おられるのなら、私の主張は取り下げます。--parole 2006年12月29日 (金) 14:21 (UTC)
  • paroleさん、こんばんは。さて、三田誠広氏の意見の信憑性の問題が出ました。氏は職業作家です。「書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室」は早稲田大学文学部での講義録を纏めた本です。三田誠広氏がいい加減なことを出版したり、大学の講義で話すはずはないと思います。「三田誠広氏は映画に関する専門家でもなければ、フランス映画に特に造詣が深いというわけではないと思いますので」と云うのは、paroleさんの個人的な感想ではないですか。paroleさんが感じられる違和感も、paroleさんの個人的な感想ですよね。個人的な感想を議論の場に持ち込まれても困ります。私の立場からすると、paroleさんが例え高名な映画監督であろうとも、有名な映画評論家であろうとも、「parole」と云うハンドルネームを使われているために、三田誠広氏の信憑性の方が高いと感じざるを得ません。これは貴方がハンドルネームを使われているためで、貴方が一般人となってしまうからです。実社会での実績と云うものが、ハンドルネームの世界(匿名性の世界)では消えてなくなるからです。逆に云えば、この世界の住人は、実社会の実績と関係なく、みんな平等になってしまうのです。
  • もし、ここで三田誠広氏に反対する意見を明記するのであれば、その根拠となる出典の提示をお願い致します。ここで「これは三田誠広氏の個人的な意見」と明記するのであれば、その根拠となる出典の提示をお願い致します。
  • この世界の議論では、出典の明示のないものは、個人的な一つの感想と捉えられても仕方がないと思います(実社会での実績が消えてしまうからです)。これは、実社会でのparoleさん個人を否定するものではありません。インターネットの世界(匿名性の世界)の特性として、残念ながらこうなってしまうのだと思います。
  • paroleさんからの出典が出されて初めて、三田誠広氏の信憑性と、paroleさんが根拠とされた方との信憑性を議論することが出来ると思います。つまり、三田誠広氏の意見と、その反対意見が対等になるわけです。現段階で、反対意見には出典の明示がないため、まだ対等なレベルにはないはずです。これは、私とparoleさんが平等であることに起因しています。
  • お互いが提出した出典者の信憑性がともに高くて議論できなければ、第三者の意見を入れて、どう表記するかを議論すればいいと思います。しかし、現時点では、まだこの段階には達していないはずです。--竜造寺和英 2006年12月29日 (金) 17:59 (UTC)



  • 竜造寺和英さん、度重なるご反論、恐れ入ります。三田誠広氏の「主張」に関する信憑性の件ですが、氏が著名であり出典が「早稲田大学文学部での講義録を纏めた本」であると言うことは「ヌーヴェルヴァーグが「サルトルの実存主義の影響を受け、「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」ことを定義文として掲載することの是非に関する論証としてはいかかさ(以上)不足ではないでしょうか。事実上の無記名である私paroleの信憑性の件はさておくとしても、三田氏が映画に関して一つの著作も刊行していないという点で信憑性を何ら裏付けていないと思いますし、『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』にしても書名から分かるとおり「文芸創作」のためのテキストであり映画に関して論理的かつ客観的な説明をしているものと見なすことはできません。
  • しかし、私はだからと言って三田氏のコメントを掲載するななどとは一言も言っておりません。前文に相当する、第一義的な定義として掲載するには余りに一面的であり独断に過ぎると申し上げているのです。竜造寺和英さん反証を求められてもいますので、ご参考までにヌーヴェルヴァーグの定義と見なすことができるものを公刊されている書籍からそのごくごく一部をご紹介させていただきます。
    • 【反証1】『ヌーヴェルヴァーグの時代』(細川晋著・エスクァイア マガジン ジャパン刊・1999年
      • 本書の序論に相当する「ヌーヴェル・ヴァーグとは何か?」と題する章の、冒頭部分で「(ヌーヴェル・ヴァーグには)もちろん厳密な定義などないが、ほぼ50年代後半から60年代前半、せいぜい63年までにかけて作られた新人監督の作品を指す」と定義し、これに続けて「ヌーヴェル・ヴァーグと総称される「若さ」の要素は、流行サイクルの中での相対的な新しさに過ぎない表現内容であると同時に、映画的な文体の混合表現形式であった。そして、その表現上の「新しさ」も、ひとつの様式というよりは個性的なさまざまな文体に別れていた」とその特徴について述べています。以降、この文章の中にはサルトルや実存主義という固有名詞はもとより、これらとヌーヴェルヴァーグとの影響に関しては全く触れられていません。項目名だけ抜き出してみても「1.新世代と若者文化」「2.映画狂いと批評」「3.作家制作あるいは演出の優位」「4.第五共和制におけるフランス映画の制作上件」「5.ヌーヴェル・ヴァーグのプロデューサー」「6.本当らしさにとらわれない自然主義」「7.ロッセリーニ」「8.一人称の映画」「9.視線と論理」と、実存主義やらサルトルやらとは全く関連性がないことはおわかりいただけると思います。なお、細川晋(すすむ)氏は、ストローブ=ユイレイオセリアーニ等の作品の字幕も手掛けている映画、特にフランス映画の専門家です。
    • 【反証2】『新版・友よ映画よ』(山田宏一著・話の特集刊・1985年/なお私の手元にあるのはこの版だが、現在では更に増補版になっており文庫本として出版されている)
      • 山田宏一氏は、日本人としてはただ一人60年前後にゴダールやトリュフォーと共に『カイエ・デュ・シネマ』の同人であった方で、いわばヌーヴェルヴァーグの生き証人と言える人物ですが、本書の中でトリュフォーの言葉としてヌーヴェルヴァーグを次のように言い表しています。曰く、ヌーヴェルヴァーグとはピエールがジョルジュのことをすばらしいと言い、ジョルジュはジュリアンを熱狂的に支持し、ジュリアンはポポールの監修を引き受け、ポポールはマルセルの共同製作者となり、その作品をクロードが絶賛することだ!、と。もちろんこれはトリュフォー一流の洒落と言うことなのでしょうが、ヌーヴェルヴァーグとはまずは共同体的な意識に基づくムーブメントであったことの証左と言えるでしょう。また、単行本で400ページを大きく超える大部なものでありながら、本書におけるサルトルへの言及は四ヶ所に過ぎず、いずれもサルトルが誉めたとか貶したとか、あるいはゴダールが自らの作品である『小さな兵隊』に関して「この作品はまったく政治的な意図はなく、むしろ、いわばサルトルの『言葉』のような存在である」と言及したというものであり、彼や実存主義のヌーヴェルヴァーグに対する影響については全く触れられていません。
    • 【反証3】『フランス映画史の魅惑』(中条省平集英社新書・2003年
      • 中条省平氏は言わずと知れたフランス映画に関する「大家」の一人です。本業は学習院大学でフランス文学を講じる大学教授ですが、麻布高校時代に著した、同い年の四方田犬彦をして「とてもかなわない」と思わしめた映画批評で論壇に登場した人物ですので、信憑性や信頼性に関しては疑う余地はないでしょう。本書は題名通りにフランス映画史を通史的に説明したもので、ヌーヴェルヴァーグにも全237ページのうち38ページと比較的多くを割いて説明していますが、ここでも影響関係はおろかサルトルと実存主義言葉自体が全く登場しません。
  • 上記の論証(反証)からもわかる通り、ヌーヴェルヴァーグに対する実存主義との影響は単なる俗説、俗説が言い過ぎなら三田誠広氏の個人的な意見に過ぎないと思っていますので、定義文に載せるのは絶対に反対なのです。事典という特性上、さまざまな見解を載せること自体には反対はしませんが、現在の位置付けのような書き方ですと誤解を生じさせてしまう恐れが多分にありますので、以前に書いた通り、補足的に「~と言う説もある」と書き改めていただくようお願いします。--parole 2006年12月30日 (土) 09:04 (UTC)
  • Paroleさん、こんばんは。さて、いささか誤解があるのようなので、ここできちんとしておきます。三田誠広氏が論じているのは、脚本についてです。脚本は、ずばり文芸創作の一分野です。文芸創作において、三田誠広氏はプロであります。実際に芥川賞を受賞し、作品が教科書に採用され(「いちご同盟」)、文藝作家協会副理事長・日本文藝著作センター理事長の要職に就かれています。この文芸創作のプロに対して、「ヌーヴェルヴァーグ作品群の脚本理解が誤っている」とする根拠をご提示ください(誤解があったらすみません。ただ、三田誠広氏の信憑性を疑うと云うことは、氏の脚本理解を疑うことと同意となります)。「三田氏が映画に関して一つの著作も刊行していない」ことが、この根拠なのでしょうか?しかし、氏は文藝創作をきちんとされてらっしゃいます。脚本理解において、三田誠広氏の信憑性が、文藝創作をしたことのない人よりも劣っているとは、到底思えません。Paroleさんが提示された方々は、文芸創作において、三田誠広氏よりも造詣が深いのでしょうか?造詣が深いと判断されるならば、その論拠をご提示ください。三田誠広の文芸創作における信憑性(つまり、三田誠広氏の意見に対する信憑性)を議論するならば、この1点のみがポイントになります。
  • 三田誠広氏は映像技術等を論じているわけではありません。脚本の視点でヌーヴェルヴァーグを論じているのです。脚本は映画において、肝の一つであり、重要な要素の一つだと思います。
  • さて、ご提示いただいた出典は、これから精査します。脚本をどう論じてるかを、きちんと読み込んでいきます。ただ、年明けから私は「ノート:田中清玄」において、論争をしなければなりません。殆ど合意の糸口が見えない、不毛な論争です。ですから、少々時間を下さい。その間、Paroleさんの主張する表記に変えておきます。私の表記を確認しておいてください。不適切だったら、Paroleさんの裁量で修正してください。
  • ヌーヴェルヴァーグの定義が人によって様々であることは理解できました。
  • それでは、よいお年を--竜造寺和英 2006年12月30日 (土) 14:39 (UTC)

  • 困りましたね。私は最初からヌーヴェルヴァーグという映画、もしくは映画運動の辞書的な定義に関して論じていたのですが、「三田誠広氏が論じているのは、脚本についてです」、ですか。ならば、最初から竜造寺和英さんが訂正された本文のように書いていればよかっただけのことです。また、脚本が映画の重要な要素であることは認めますが、脚本がすなわち映画というわけではありませんので、三田誠広氏の弁はヌーヴェルヴァーグの定義文としてはふさわしくないことはおわかりかと思います。ですから、これは「誤解」ではなく、竜造寺和英さんの説明不足、勇み足と言うことですね。
  • 同様に、私は映画は脚本が全てなどとは思っておりませんし、映画を文芸創作という観点からは捉えてはいませんから、三田誠広氏の作家としての評価は(ここでは)どうでもよいことですし、私が例に上げた方々を文芸創作という点に関して三田誠広氏と比較する必要性など全くありません。
  • ここでの論争の論旨と、アメリカン・ニューシネマのそれとはほぼ同一と言えますから、あちらの方は私が訂正しておきます。もし反論があるのなら、上記のような文芸作品として云々という観点からではなく、純粋に映画としての定義文としてふさわしいかどうかと言う論点から反論をお願いします。

--parole 2006年12月30日 (土) 17:18 (UTC)


  • 「困りましたね。私は最初からヌーヴェルヴァーグという映画もしくは映画運動の辞書的な定義に関して論じていたのですが、『三田誠広氏が論じているのは、脚本についてです』、ですか」とは失礼でしょう。三田誠広氏が脚本を述べていることは、私が提示した「書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室」を読めばすぐわかります。そのために、私は出典を提示しています。それに、初めに「もっとも色濃く出ている影響は、不条理性・不毛性だと思います。作品のテーマに、これらが強く反映されていると思います」と書いています。脚本を述べていることは自明ですし、Paroleさんはそれに対して、脚本の件で反論しています。現在、我々が「脚本」を議論しているのは明らかです。Paroleさんが脚本以外の部分にまで議論を広げようとされているので、それを止めただけです。
  • 「これは『誤解』ではなく、竜造寺和英さんの説明不足、勇み足と言うことですね」の一文は不要です。議論となんら関係ありません。この文章は明らかに私への攻撃です(断定表現を使うことは、その意思の表れです)。「基本方針4他の参加者に敬意を払う」の項目に違反しております。まずは、この件に関してのきちんとした返答をお願いします。
  • ヌーベルヴァーグには色々な定義がありますが、脚本と云う視点から定義づけをしてもいいのではないでしょうか(現在これを議論してるはずですが)。例え定義でなかったとしても、三田誠広氏が述べていることが、ヌーベルヴァーグ作品群に色濃く出ている現象ならば、きちんと表記していいはずです。脚本は映画の中でも重要な要素のひとつです。この項目で、脚本内容を扱ってもいいはずです。「映画を文芸創作という観点からは捉えてはいませんから、三田誠広氏の作家としての評価は(ここでは)どうでもよいことですし、私が例に上げた方々を文芸創作という点に関して三田誠広氏と比較する必要性など全くありません」と云うParoleさんの主張は、貴方の個人的な感想でしょう?個人的な感想では議論になりません。「ここで脚本を扱ってはならない」と云う根拠の出典をご提示ください。そのような編集方針が存在することをご提示ください。
  • ということで、再び本文記述を書き直しました。誤解がないように配慮したつもりです。
  • アメリカン・ニューシネマの記事は元に戻しました。ここの議論とはまた別物です。ここでも「アメリカン・ニューシネマを脚本の観点から述べてはいけない」とする論拠の出典をご提示ください。そのような編集方針が存在することをご提示ください。アメリカン・ニューシネマの記事では、私の記述以外の部分が大量に削除されております。ここでの議論内容上、変更される部分は、私の記述部分のみになるはずです。私の記述以外の部分を削除されるのならば、その部分の記述者と議論してください。
  • 議論を終わらせたつもりはありません。「少々他のことに時間をかけるので待ってください」と云っているのです。その間、私の主張のみが反映された形で記述が残っていると、Paroleさんが不満に思うと考えたから、Paroleさんが不満に思わない形に記述を変更しただけです。これは、Paroleさんへの配慮のつもりだったのですが、その返答が「私への攻撃」と感じられる文章記述になるとは。これは議論とは関係ありませんが、それよりも次元の高い「基本方針」にかかわることですから、必ずご返答願います。
  • 今後も引き続き「脚本」について議論を行うことでよろしいですよね。--竜造寺和英 2006年12月30日 (土) 21:47 (UTC)



  • 映画は脚本のみによって成立しているものではありません。既に述べているとおり、脚本は重要な要素ではあるものの、脚本のみでは映画は成立せず、カメラで被写体を撮し編集や音響効果を添えて初めて映画作品になるのです。例えば、小説において書かれた文章そのものや文体を無視してテーマやら主張やらだけを論じることがありますか? 小説が文章という具体的な対象があって初めて成立するのと同様に、映画もフィルムという具体的な成果物によって成立するのです。脚本はそのための題材に過ぎません。
  • 「もっとも色濃く出ている影響は、不条理性・不毛性だと思います。作品のテーマに、これらが強く反映されていると思います」と言う文章から「脚本を述べていることは自明です」と書かれていますが、これは無理というものです。何故なら上述の通り映画から脚本のみを切り出すことは全く意味がないと思いますし、それは私の個人的な感想ではなくどんな映画評でも脚本【だけ】を論じることなど無いからです。従って、私は「脚本の件で反論して」などいませんし、後出しで敢えて「脚本以外の部分にまで議論を広げようとされている」のでもありません。私の書いたもののどの部分が「脚本の件で反論して」いるのかご指摘いただけますか?
  • 「これは『誤解』ではなく、竜造寺和英さんの説明不足、勇み足と言うことですね」と同意を問うている文章が、何故あなたへの攻撃であり、「断定表現」になるのか、こちらの方がお伺いしたいです。
  • 上述の通り脚本のみを切り出してヌーヴェルヴァーグの定義とすることに私はさほど意味はないと思いますが、そのような考え方もあるという提示の仕方自体は最初から否定していません。ですから、「との説もある」と言う書き方ならOKだと申し上げているのです。しかし、それでもまだ三田誠広氏の「定義」をヌーヴェルヴァーグという映画項目の定義として用いたいとおっしゃるのなら、「三田誠広氏が述べていることが、ヌーベルヴァーグ作品群に色濃く出ている現象」であることを立証してください。ただし、一つや二つの例を挙げるだけではダメで、ヌーヴェルヴァーグの定義と言うからには須く「色濃く」出ていることの証明が必要です。まずは私が以前例に上げた下記作品のどこに、どのようにヌーヴェルヴァーグや実存主義の影響が色濃く出ているかをご説明下さい。
    • 『はなればなれに』ジャン=リュック・ゴダール
    • 『柔らかい肌』フランソワ・トリュフォー
    • 『シェルブールの雨傘』ジャック・ドゥミ
  • 最後に私の当初からの主張を、再々度繰り返します。Wikipediaは辞書、事典ですから、定義的な文章に関しては特定の意見ではなく事実やおおよそ認められている事柄をのみ記載すべきです。当然今回のケースのように個別の見解が出されるケースもあるかと思いますが、それは飽くまでも「各論」として提示すべきであり、定義的な文章とは明確に切り離すべきです。



勝手に私の記述を削除するのはやめてください

  • Paroleさん、勝手に私の記述を削除するのはやめてください。私の文章を再度掲載します。勝手に他人の文章を削除するのは、荒らし行為ですよ。
  • Paroleさん、こんにちは。Paroleさんのご提示された「フランス映画史の誘惑」(中条省平著・集英社新書)のP.166をご覧下さい。ここに「文学の世界ではすでに、サルトルがモーリアックの心理小説を例にとって、小説家が登場人物の心理と行動をまるであやつり人形か玩具のように操作する態度を分析し、こうした小説家の神様のような全能性を根本的に批判して、フランス心理主義文学の伝統に致命的な一撃をあびせていました。トリュフォーは、それとほぼ同じことを映画の世界でおこない、フランス映画の「良質の伝統」であると思われていた心理的レアリスムの傾向の息の根をほとんどとめてしまったのです」とあります。実存主義がヌーヴェルヴァーグに影響を与えたことが、きちんと明記されていますよ。Paroleさんが上に書かれている「ヌーヴェルヴァーグの中核的な人物であるゴダールやトリュフォーなど、『カイエ・デュ・シネマ』を中核とした右岸派の面々にはこのような影響関係は認められませんし、」と云う文章は誤りですよね。この本には、トリュフォーが影響を受けたことが明記されています。--竜造寺和英 2006年12月31日 (日) 08:06 (UTC)
  • さて、「「これは『誤解』ではなく、竜造寺和英さんの説明不足、勇み足と言うことですね」と同意を問うている文章が、何故あなたへの攻撃であり、「断定表現」になるのか、こちらの方がお伺いしたいです」とのことですが、これでは水掛け論になります。それで、この文章が私への攻撃とみなせるのかどうかを、管理者の方にきちんと観てもらい、管理者に判断していただきましょう。どの管理者にするかは、Paroleさんが指定してください。私が指定してしまうと、私が懇意にしている管理者を選ぶ恐れがあり、そうすると、私には有利な判定が下される可能性があり、Paroleさんには不利な判定や対応が下される可能性があるからです。こうすれば、お互いが公平になります。宜しいですよね。--竜造寺和英 2006年12月31日 (日) 08:14 (UTC)
  • Paroleさんは、上記で「ヌーヴェルヴァーグはその定義があいまいかつ広義に渡るため」と書かれています。そもそも定義が曖昧なものを、定義づけする方針がおかしいのではないでしょうか?貴方の主張だと、「定義づけ」は出来ないと云うことになります。Paroleさんの意見には自己矛盾が含まれています。
  • 「三田誠広氏が述べていることが、ヌーベルヴァーグ作品群に色濃く出ている現象を立証してください」とのことですが、ウィキペディアの編集方針から、その必要は全くありません。検証可能な出典を明示すれば、それで十分だからです。つまり、ウィキペディアの方針として、「貴方が三田誠広氏の意見を否定するのならば、貴方が直接三田誠広氏と議論して、三田誠広氏の主張を撤回させてください」と云うわけです。私に立証を注文するのは、筋違いです。また、三田誠広氏だけでなく、Paroleさんが論拠として挙げた、中条省平氏も、実存主義がヌーヴェルヴァーグに影響を与えたことを明記されていますよ。私の論拠は三田誠広氏だけではなくなりました。
  • ですから、「特徴として、サルトルの実存主義の影響を受け、『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く」という表現でどうでしょうか?これならば、定義づけしてはいません。これで宜しいですよね。--竜造寺和英 2006年12月31日 (日) 08:34 (UTC)

  • 「主眼を置く」と言う表現がよろしくないと言っているのですが、ご理解いただけませんでしょうか。何度も何度も申し上げているとおり、そのようなものもある、と言う表現なら否定はしていません。何の前提もなく「ヌーヴェルヴァーグ」とは「特徴として」~を「主眼に置く」と記述されていれば、須くそうであると読まれてしまいますよね?
  • 私は議論のための議論は好みませんので、竜造寺和英さんの「趣旨」を可能な限り反映して代案を提示します。これをもってヌーヴェルヴァーグに関するこの話は終了とさせていただきたいと思います。--parole 2006年12月31日 (日) 09:06 (UTC)

  • Paroleさん、こんばんは。前にも書いた通り、私は年明けから「ノート:田中清玄」で議論を再開しなければなりませんので、代案に対する返答は少し待ってください。
  • それよりも、Paroleさんが、このノートにおいて、勝手に私の記述を削除した理由をお聞かせください。削除された文章は下記のものです。

「Paroleさん、こんにちは。Paroleさんのご提示された「フランス映画史の誘惑」(中条省平著・集英社新書)のP.166をご覧下さい。ここに「文学の世界ではすでに、サルトルがモーリアックの心理小説を例にとって、小説家が登場人物の心理と行動をまるであやつり人形か玩具のように操作する態度を分析し、こうした小説家の神様のような全能性を根本的に批判して、フランス心理主義文学の伝統に致命的な一撃をあびせていました。トリュフォーは、それとほぼ同じことを映画の世界でおこない、フランス映画の「良質の伝統」であると思われていた心理的レアリスムの傾向の息の根をほとんどとめてしまったのです」とあります。実存主義がヌーヴェルヴァーグに影響を与えたことが、きちんと明記されていますよ。Paroleさんが上に書かれている「ヌーヴェルヴァーグの中核的な人物であるゴダールやトリュフォーなど、『カイエ・デュ・シネマ』を中核とした右岸派の面々にはこのような影響関係は認められませんし、」と云う文章は誤りですよね。この本には、トリュフォーが影響を受けたことが明記されています。--竜造寺和英 2006年12月31日 (日) 08:14 (UTC)

  • なお、Paroleさんの削除理由を管理者の方にも読んでもらいます。読者の方々に誤解が生じたらいけませんので、慎重に言葉を選んでご返答ください。宜しくお願い致します。--竜造寺和英 2006年12月31日 (日) 14:24 (UTC)
  • 単なる編集ミスで、他意はありません。ミスとは言え、申し訳ありませんでした。--parole 2006年12月31日 (日) 14:56 (UTC)
    • もののついでなので「ご質問?」にもお答えしておきます。答えることができないから削除したのだと言われるのは本意ではないので。
    • 竜造寺和英さんが引用された文章をよく読んでください。中条氏はサルトルが小説批評で行ったとの同じことを、トリュフォーが映画批評によって行ったと論じているに過ぎませんよね。両者を並べて論じたのは中条氏の見解(論評)であり、その論評にしても、トリュフォーらヌーヴェルヴァーグの面々が「「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と言い得るほど「サルトルの実存主義の影響を受け」という結論までは導き出せないはずです。
    • また、アメリカン・ニューシネマのノートに、竜造寺和英さんは「「実存主義とヌーヴェルヴァーグは無関係である」ことが書かれた出典をお願いします」と書かれていますが、いつ、どこで私がこのような主張をしたのですか? 私はヌーヴェルヴァーグを「、「人間の本質と現実社会を描くこと」に【主眼を置く】」」ものとするのは言い過ぎであること、一部の意見に過ぎないこと、そして「実存主義の影響が【明確かつ意識的】にある作家や作品を知」らないと申し上げているに過ぎません。また、確かに「ヌーヴェルヴァーグの中核的な人物であるゴダールやトリュフォーなど、『カイエ・デュ・シネマ』を中核とした右岸派の面々にはこのような影響関係は認められません」と書いてはいますが、明確に【このような影響】と書き記していますので、これが「サルトルの実存主義の影響を受け、「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」」ほどの影響であることは文脈からも明かであるはずです。同時に、「一部では、サルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く、との評価もある」と言う表現なら是である旨も付け加えています。以上。--parole 2006年12月31日 (日) 14:56 (UTC)
  • Paroleさん、こんにちは。このノートにおけるParoleさんの削除行為は、2.2.4.8.1項議論の拒否や妨害に相当し、投稿ブロックの対象になる虞があるとのことです。今後このようなことがないようにお願い致します。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 03:07 (UTC)
  • 故意ではないようなので、投稿ブロックの対象となりうるは厳しいご指摘かと。人間ミスは付き物ですし、詫びても居られますし、これを原因として投稿ブロック依頼を出された場合、私であればブロックしません。さて、論点の三田誠広氏の著書からの引用部分は言い過ぎか言い過ぎではないかですが、このような論もあるがこのような論もあるという形式での表記が望ましいと考えられます。多くの意見を表記しておくことで、受け取り手に判断を委ねるのが良いかと。Wikipedia上でよく言われる「両論併記」というものです。その内容の是非については個々人の観点により左右されますので、どちらがより優れたるという話にはならないと思います。竜造寺和英さん・Paroleさんに置かれましても、より記事を良くしたいということが議論の根源だと思うので、是非にご検討いただければ。--Faso 2007年1月1日 (月) 03:22 (UTC)
  • Fasoさん、こんにちは。Fasoさんのご意見に従い、議論します。お手数をお掛けいたしました。今後ともご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 04:03 (UTC)
  • Paroleさん、こんばんは。「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く、との評価がある」と云う表現を付け加えていただけるのならば、代案に合意いたします。ただし、「評価もある」を「評価がある」に変え、「一部」と云う表現は削ってください。もし、この「一部」という言葉を入れるのであれば、三田誠広氏の意見が一部であることの論拠となる検証可能な出典をご明示ください。先に3冊の本を提示されていますが、これでは一部とは云えないと思います。なぜならば、残る全ての本には「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く」と書かれているかも知れないからです。10冊の本を挙げられて、三田誠広氏の意見が1/11であると主張されても困ります。Paroleさんが自分に有利な本を10冊挙げれば、いいことですから。できれば、「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置くと云う意見は少数である」ということが明記されている出典があれば一番いいのですが。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 08:33 (UTC)
  • 改行を加えた上で、「三田誠広氏が『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』において、ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置くことを特徴とする、と主張している」と言う記述を加えることであるなら賛成します。三田誠広氏や氏の著作を省き、また「一部」や「も」も付け加えてはいけないというのなら、それが一般論であることを論証下さい。その際、ご自分が提示した通り「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置くと云う意見は通説であるもしくは広く受け入れられている」ことが明記されている出典が最適であることが言うまでもありません。ただし、「(恣意的に)10冊の本を挙げられて、三田誠広氏の意見が11/3である(からこの見解は通説である)」と主張することは厭いません。そのような書物が多数あるとはとても思えませんし、別に私が「自分に有利な本を」恣意的に選択せずとも、「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置くと云う意見は通説もしくは広く受け入れられている」とは主張していない本をいくらでも上げることができますので。--parole 2007年1月1日 (月) 09:00 (UTC)
  • Paroleさん、こんばんは。「一部」を加えようとしているのは、Paroleさんです。ウィキペディアにおいては、記述者が検証可能な出典の明示をしなければなりません。したがって、「一部」を記述するParoleさんが、その出典を明示しなければなりません。「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く、との評価がある」と云う記述には、既に検証可能な出典の明示があり、この文章自体何ら誤りではありません。少数であろうと多数であろうと、そう評価している人が存在していることは事実ですから。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 09:13 (UTC)


  • 私の書いた文章をよく読んでください。上記において私は「一部を加えろ」とは主張してはおらず、、「三田誠広氏が『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』において、ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置くことを特徴とする、と主張している」という文章ではいかがかと提案しているのです。「主張している」の変わりに「評価している」でもかまいません。ただし、三田誠広氏と氏の著作名を明記することが前提です。それとも、出典を明らかにすることに何か不都合な点でもあるのですか?--parole 2007年1月1日 (月) 09:53 (UTC)
  • 「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く、との評価がある」と云う表現でお願いします。参考文献は一番下に脚注を作って表記するのが、ウィキペディアで定められた通常レイアウトです。もちろん、今まで本文を記述された全員が、検証可能な出典を、脚注に明記しなければなりませんが(誰もやってませんね)。下に脚注を起こして、三田誠広氏の著作を明記することで宜しいですよね。Paroleさんも執筆部分があるのならば、必ず脚注に検証可能な出典を明記してくださいませ。それが、基本ルールだそうです。議論対象の部分を記述をしたのは、そもそも私ですから、私が自分に関する部分を明記して宜しいですよね。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 10:01 (UTC)


  • いえ、賛同できません。まず、何故、本文に三田誠広氏と氏の著作名を明記することに反対なのか、その理由をお聞かせ下さい。
  • 逆に私が上記のことを主張する理由を述べます。これまでの議論の中で、竜造寺和英さんは「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く、との評価がある」と記載することを一貫して主張されていましたが、私は「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く、との評価がある」と書かれるとあたかも一般論であるかのように受け取られる恐れがありますと主張し、このような定義(?)が必ずしも一般論とは言えないことを、他の著作や具体的な作品名を提示した上で反論しました。しかし、竜造寺和英さんはその論拠として三田誠広氏の『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』を掲示するのみで一般論として言い得ることの論証は成されていません。つまり、ここで竜造寺和英さんが主張され論証されたことは、三田誠広氏の『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』に「「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く」と書かれていると言うことだけなのです。そして、その限りであるなら、つまり三田誠広氏の主張、意見である旨なら掲載に賛成であると申し上げているのです。
  • これまで何度も何度も書いているとおり、三田氏の主張や上掲文をWikipwdiaに掲載すること自体には当初から反対はしていません。ただ、これが通説である、一般論として受け入れられてしまう恐れがある書かれ方だけは避けたいと言うことです。もちろん、この考えを理屈抜きで固持したいというわけではなく、竜造寺和英さんが特に「三田誠広氏の」という但し書きが無くても通説として広く受け入れられていることを論証下されば、私の主張は取り下げるとも申しています。
  • なお、脚注ではだめです。脚注は必ずしも読まれるとは限りませんから、本文にて明記する、つまり【三田誠広氏が『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』において、ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置くことを特徴とする、と主張している】と言う趣旨の文章でお願いします。--parole 2007年1月1日 (月) 10:27 (UTC)
  • Paroleさん、こんばんは。参考文献を脚注に書くことは、ウィキペディアのルールです。これに反対されても、困ります。そもそも新規作成の段階で、脚注に参考文献が纏められていないのです。これは、ウィキペディアのルールですので、宜しいですよね。この点の議論を、私にされても困ります。ウィキペディアの管理人と議論してください。「竜造寺和英さんが特に「三田誠広氏の」という但し書きが無くても通説として広く受け入れられていることを論証下されば」とありますが、それはParoleさんが、三田誠広氏と直接議論して、三田誠広氏の主張を撤回させてください。これを私に立証させるのは勘弁してください。ウィキペディアの編集方針では、検証可能な出典があるならば、基本的に記述してかまわないはずです。それが基本方針のはずだと思います。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 10:46 (UTC)
  • それでは私は、その主張が三田誠広氏の『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』によるものであるという事実を淡々と書き記すだけです。もちろんこれに反論はありませんよね。検証可能な事実を記載してるだけなのですから。わたしはこれにてこの項のやり取りを終了させていただきます。以上--parole 2007年1月1日 (月) 10:54 (UTC)
  • では、「サルトルの実存主義の影響を受けて『人間の本質と現実社会を描くこと』に主眼を置く、との評価がある」と云う表記で、脚注欄に参考文献を纏める形で宜しいですよね。--竜造寺和英 2007年1月1日 (月) 11:03 (UTC)
  • 変更に賛同いたします。私は読まれる方が誤解する恐れを避けたかっただけですので、その意を介してくださった竜造寺和英さんの変更に何ら異論はありません。もちろん、このような表記のされ方ならわざわざ三田誠広氏が云々などと言う蛇足を付け足す必要もありませんので、この件に関しては私は以降、加筆訂正するつもりはありません。長い間おつきあいいただきありがとうございました。--parole 2007年1月1日 (月) 14:44 (UTC)

出典に関する事実確認のお願い

  • 既に片が付いた論争ではありますが、事後的にではあれ提示された「検証可能な出典」を確認する必要があると思い、同時に三田誠広氏がどのような観点で「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と語っているのかに興味を感じ、竜造寺和英さんが提示された『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』(三田誠広・朝日ソノラマ・1996年?)を読んでみました。と言っても、この本は既に絶版らしくこれを文庫本化した『書く前に読もう超明解文学史 ワセダ大学小説教室』(集英社文庫・2000年)しか入手できませんでしたので、以下の文章は文庫本版を元にしていることをあらかじめお断りしておきます。
  • しかし、残念ながら少なくとも文庫本版には「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」という文章はもちろんのこと、このようにまとめうる文章も、更に言うならヌーヴェルヴァーグという単語すら見出すことができませんでした。一度通読しただけですのでもしかしたら読み過ごしがあるかも知れませんので、どの部分が「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と言う文章に繋がっているのか、あるいはどこにヌーヴェルヴァーグに関することが書かれているのかをお教えいただけますでしょうか? なお、上記の通り私の手元にあるのは文庫本版ですので、ページ数ではなく項目名でお答えいただけたらと思います(ex.「第五回文学の横綱とは誰か/リアリズムの限界と神話的手法」)
  • なおあり得べき誤解を避けるためにあらかじめ申し上げておきますが、私がこの質問をしているのは現在のノートおよび本文のままだと三田誠広氏の主張に誤解を生じさせてしまう恐れがあるからです。今までの流れでは三田誠広氏が「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と主張していることになってしまいますが、上掲書にはそれが書かれていない可能性がありますので、三田誠広氏の名誉のためにも事実関係をはっきりさせておくべきだと思うのです。
  • また、昨日ノートにも書き記しましたとおり、竜造寺和英さんが改訂された文章自体には特別異論はありませんし、少なくとも私はこれを再度改訂しようとまでは思っていません。私自身は「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」とまで主張しているものを見聞きしたことはないものの、そのような観点からの解釈はあり得べきとこだとは思いますので、「一部に」という条件付けが成されたものであるなら、これが仮に竜造寺和英さんの独自のご意見だとしても私にそれを否定する権限などはないからです。
  • ご回答をお待ちしております。--parole 2007年1月2日 (火) 08:39 (UTC)
  • 竜造寺和英さんからの回答はまだ出ておりませんが、出典をヌーヴェルヴァーグと同じく『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』としているアメリカン・ニューシネマのノートにおいて、竜造寺和英さんが「確か「書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室」三田誠広著(朝日ソノラマ)に載っていたはず。 もしかしたら、第一作の「天気の良い日は小説を書こう W大学文芸科創作教室」だったかも知れません」と書かれていたので、同書の文庫版である『天気の好い日は小説を書こう ワセダ大学小説教室』(集英社文庫・2000年)も読んでみました。また、念のためとも思い、同シリーズの第二弾である『深くておいしい小説の書き方 ワセダ大学小説教室』(集英社文庫・2000年)も併せて確認してみました。
  • 結論を申し上げると竜造寺和英さんが「検証可能な出典」として上げられた書籍およびその可能性がある書籍からは、「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」という文章もあるいはこのようにまとめうる文章も見出せませんでした。また、上記でも述べているとおり、いずれの書籍にもヌーヴェルヴァーグという言葉は出ておりません。いくたびかヌーヴォーロマンと言う単語は出てきますのでもしかしたらヌーヴォーロマンとヌーヴェルヴァーグとを勘違いされたのかも知れませんが、ヌーヴォーロマンに関する記述においても「サルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と言うこと趣旨とする記述はありませんでしたから、恐らくは竜造寺和英さんの思い違いだったのでしょう。
  • 思い違いは誰にでもあることですし、私自身Wikipediaにおいて思い違いや勘違いを原因とする間違った記述をしてしまったことがありますから、そのこと自体はどうのこうの言っても仕方ありません。しかし、このノートの経緯および参考書籍として明記されている本文のままでは、三田誠広氏の名誉に関わる事実誤認がありますので、訂正いただきますよう平にお願いいたします。
  • また、私は既に議論となった文章に関して「少なくとも私はこれを再度改訂しようとまでは思っていません」と宣言しておりますので私自身がこれを改訂することはありませんが、竜造寺和英さんが自らの意思で訂正されるのはご本人の自由です。ただし、事実に基づいてはいないので、参考文献から『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』は削除していただく必要があるかと思います。--parole 2007年1月4日 (木) 08:23 (UTC)

Paroleさん、おはようございます。こちらのノートに気が付かずに、大変申し訳ございません。私の勘違いだったら、申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました。一応、私も『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』を確認します。少々時間をください。私の勘違いだったら、三田誠広氏にご迷惑をかけますので、参考文献を削除してから、調べてみます。Paroleさんのノートに書いた「一部の云々」と云う部分は、単にウィキペディアの問題点を書いただけです。現実の世界では、全ての出版物をチェックなんてしません。権威者が「こりゃ一部の意見だろう」と云ってしまえば、それで議論終結です。しかし、上記のようにウィキペディアにおいては、権威者も他の人も一般人(平等)となってしまうために、現実とかけ離れた議論になってしまうことを述べたかっただけです。これがいいのか、悪いのかは私にはわかりません。誤解があったら、申し訳ありませんでした。本文の記述では、一応中条省平氏がサルトルからトリュフォーが影響を書かれてましたので、現在の記述で問題はないかと思います。--竜造寺和英 2007年1月4日 (木) 21:08 (UTC)


  • 竜造寺和英さん、質問にご回答いただくと共に私の提案(参考文献から三田誠広氏の著作を削除)にご賛同いただきありがとうございます。いたずらな議論をせずに合意を頂いたことを嬉しく思います。
  • さて、竜造寺和英の意思でご自由にされるべきとした、「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と言う文章に関し、「一応中条省平氏がサルトルからトリュフォーが影響を書かれてましたので、現在の記述で問題はないかと思います」とのことですが、中条氏の(私が上げた)著作をこの文章の論拠にすると言うことでしたらこれはよろしくないと思います。既に上の部分でも述べているとおり、この文章はサルトルが小説批評の世界において行ったことと、トリュフォーが映画批評で行ったことのアナロジーについてのみ述べたものであり、この観点において「サルトルの影響」を指摘できるに過ぎないからです。敷衍したとしてもせいぜい実存主義の間接的もしくは遠隔的な影響があったと言える程度で、「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」につなげるのは牽強付会に過ぎます。
  • また、中条氏は他の著作などから判断すると間違っても「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」などという主張はしませんから、この文章の論拠を中条氏の書籍に置くことは氏の名誉を損ねる恐れもあります。なお、名誉などと大仰な言葉を使うのは上記の言葉が氏の通常の主張とは全く反する内容だからです。
  • こんなことを言うと、それは私(parole)の意見に過ぎないではないかと言われてしまいそうですが、中条氏に本件に関しその是非を確認する手段が無い訳ではありませんので確認して結構です。しかし、それほど事を大きくすべき問題ではないと思います。
  • 繰り返しになりますが、「ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けて「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」と言う文章は竜造寺和英さんの意思と責任で残すべきであり、その限りにおいて私はこの文章をそのままにすることには異論はありません。敢えて蛇足を重ねるのなら、一般論としては「一部には、ヌーヴェルヴァーグはサルトルの実存主義の影響を受けているとの説もある」と言う程度が妥当だと思いますし、これならどこから(誰から)も異論を唱えられることはないでしょう。--parole 2007年1月5日 (金) 04:45 (UTC)

Paroleさん、こんにちは。とりあえず、中条省平氏が「フランス映画史の誘惑」p.166で述べていることを、記述しました。これ以上のことは、私が出典を確認次第、変更致します。ところで、ウィキペディアでは、記述の基となった出典を脚注に明記しなければいけないそうです(記述変更の場合も出典の明示が基本らしいです。知り合いの管理者に昨日注意されました)。Paroleさんも、自身の記述部分の出典の記載をお願いします(別にParoleさんだけではなく、全員が記載しないといけないのですが……)。--竜造寺和英 2007年1月7日 (日) 00:23 (UTC)


  • 脚注と出典は可能な限り示していただければ幸いですが、文章そのものが引用されていなければ本の題名だけで問題ないかと存じ上げます。現状中条氏の主張の解釈の相違が見られるようですが、同じ本を読んでも解釈が異なる事は侭あり、そういった場合、正当な引用の範囲で自身の解釈を持ち込まず書くことで、ある程度の正確性を求める事ができるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。--Faso 2007年1月7日 (日) 13:03 (UTC)
    • Fasoさん、ご意見ありがとうございます。引用文の「解釈」に関しては私もFasoさんのご意見に賛成ですので、竜造寺和英さんが本文に書かれたものを可能な限り原典である中条氏の主張に合わせて改訂させていただきました。なお、この改訂に関しては私個人の意見は一切挟み込んでおりません。この内容でしたら辞書に掲載すべき項目の説明としては問題はないと思います。--parole 2007年1月7日 (日) 17:15 (UTC)
  • Fasoさん、おはようございます。Fasoさんの方針で記述を進めていきます。今後もご指導・ご鞭撻の程よろしくお願い致します。--竜造寺和英 2007年1月7日 (日) 23:04 (UTC)
  • Paroleさん、おはようございます。私も著作権に引っ掛からないようにうまく表現を加工して、なおかつ、出典に可能な限り忠実であれば問題ないと思います。まずは、ベースを「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)とし、そこにない内容を加筆する場合は、出典を参考文献の欄に明記した上で、どんどん加筆していけばいいと思います。--竜造寺和英 2007年1月7日 (日) 23:09 (UTC)
  • 「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)には、「七○年代に入っても、ヌーヴェル・ヴァーグは衰えるどころか、その作家たち全員が、代表作や意欲作をたてつづけに発表するようなありさまだったのです」とあるので、「ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)は1950年代の末から1970年代にかけて起こったフランスにおける映画運動」と変更しました。--竜造寺和英 2007年1月7日 (日) 23:13 (UTC)
  • 「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)には、「さて、ここまで、「カイエ派」の主要監督五人を中心に置いて、<ヌーヴェル・ヴァーグ>の動きを眺めてきました。しかし、広義の<ヌーヴェル・ヴァーグ>を語るのに忘れてはいけない一群の作家たちがいます。その一群の作家たちはセーヌ左岸のモンパルナス界隈に集まっていたために、「カイエ派」にたいして「左岸派」と呼ばれるようになりました」とあります。中条省平氏はヌーヴェルヴァーグを「『カイエ派』。広義に『カイエ派』と『左岸派』」としていますので、「狭義には映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派)およびその作品のことを指す。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールがその代表。一方、モンパルナス界隈で集っていたアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダ、ルイ・マル等のシネ・フィル達のことを左岸派と呼び、広義にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称する」としました。--竜造寺和英 2007年1月7日 (日) 23:45 (UTC)
  • 「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)では、ルイ・マルを左岸派に入れてなかったので、、「狭義には映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派)およびその作品のことを指す。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールがその代表。一方、モンパルナス界隈で集っていたアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダ等のシネ・フィル達のことを左岸派と呼び、広義にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称する」と変更しました。--竜造寺和英 2007年1月7日 (日) 23:54 (UTC)
  • 「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)には「立教ヌーヴェルヴァーグ」の記述がありません。出典がわかる方は、出典を参考文献に記入してください。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 00:27 (UTC)

Paroleさんが出典として挙げた「フランス映画史の誘惑」と矛盾する記述はやめてください

  • Paroleさん、こんばんは。「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)と矛盾する表記は全て変更しました。この出典はParoleさんが論拠として挙げたものです。「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)が誤りとするならば(定義や時期など)、その根拠となる検証可能な出典を明示して、さらにその出典が中条省平氏よりも信憑性があることを証明してください。それが出来ないのならば、Paroleさんが直接中条省平氏と議論して、中条省平氏の主張を撤回させてください。特に「広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す(単純に1950年代末から1960年代中盤にかけて制作された若い作家の作品を指す、さらに広い範囲の定義もあり)」の部分は完全に中条省平氏の主張と違います。「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)によると、即興演出は「勝手にしやがれ」から始まったとなっています。すると、即興演出がヌーヴェルヴァーグの作品・作家に共通した手法でないことがわかります。「勝手にしやがれ」以前の作品には見られないのですから。これはParoleさんの主張する定義自身に矛盾を含んでいます。中条省平氏はこれらを、特徴の一つとしか捉えていません。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 16:14 (UTC)
  • 「ヌーヴェルヴァーグの名を一挙に広めたが、ヌーヴェルヴァーグの評価をより確固たるものにしたのはゴダールの『勝手にしやがれ』だった。 即興演出、同時録音、ロケ中心というヌーヴェルヴァーグの作品・作家に共通した手法が用いられると同時」と書かれていますが、「フランス映画史の誘惑」(中条省平著。集英社新書)によると、即興演出は「勝手にしやがれ」から始まったとなっています。すると、即興演出がヌーヴェルヴァーグの作品・作家に共通した手法でないことがわかります(「勝手にしやがれ」以前の作品には見られないのだから)。この部分も修正しておきます。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 16:28 (UTC)
  • 「このようにヌーヴェルヴァーグという呼称自体は事後的に定められたものであり、定義や範囲自体も曖昧かつ広範囲であるため、何をヌーヴェルヴァーグの始まり、最初の作品とするかは事実上不可能であるが、」と書かれていますが、この文章は最初の項目の定義づけに矛盾します(定義できないものを定義しているのだから)。この部分も修正しました。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 16:35 (UTC)
  • 時期に諸説あると云う事なので「ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)は1950年代から起こったフランスにおける映画運動」としました。こう表現しなければ、諸説あることに矛盾してしまいます。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 17:55 (UTC)
  • 諸説あるならば、最低でも、諸説を平等に併記すべきです。平等に併記しないならば、優劣を示す検証可能な出典を明示してください。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 18:00 (UTC)
  • 特に「立教ヌーヴェルヴァーグ」の出典を明示してください。このような記述ではParoleさんが挙げた出典全てに 「立教ヌーヴェルヴァーグ」が記述されていることになります。--竜造寺和英 2007年1月8日 (月) 18:38 (UTC)

  • 「根拠となる検証可能な出典」はその一部を既に参考文献に掲示しています。その確認もせずに、「要出典」を繰り返すのは「荒らし」行為ではないのですか? また、『フランス映画史の誘惑』だけがヌーヴェルヴァーグに関する書物ではありませんので同書からポイント部分を抜き出してまとめ上げることは事典の編集姿勢として正しいとは思えません。また、私は出典として掲示したもの以外の書籍なども含めたものから得た情報から記述をしています。これらを元に、「2007年1月8日 (月) 23:54」にいったんrevertしましたので、以下その理由をご説明します。なおいちいち書籍名を上げるのは煩雑になりますので、以下の番号で出典名に代えさせていただきます。
      • (1)『フランス映画史の誘惑』(中条省平著・集英社新書・2003年)
      • (2)『日本映画史100年』(四方田犬彦著・集英社新書・2000年)
      • (3)『映画史への招待』(四方田犬彦著・岩波書店・1998年)
      • (4)『映画映像史』(出口丈人著・小学館・2004年)
      • (5)『映画史を学ぶクリティカルワーク』(村山匡一郎編・フィルムアート社・2003年)
      • (6)『E/Mブックス(5) ヌーヴェルヴァーグの時代』(細川晋監修・エスクァィア マガジン ジャパン・1999年)
      • (7)『E/Mブックス(2) ジャン=リュック・ゴダール』(細川晋監修・エスクァィア マガジン ジャパン・1988年)
      • (8)『新版 友よ映画よ』(山田宏一著・話の特集・1978年)
      • (9)『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』(ジャン=リュック・ゴダール著・筑摩書房・1998年)
      • (10)『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』(ジャン=リュック・ゴダール著・筑摩書房・1998年)(1)『大島渚1968』(大島渚著・青土社・2004年)
      • (11)『キネ旬ムック・フィルムメーカーズ(9) 大島渚』(田中千世子編・青土社・1999年)
      • (12)『日本映画のラディカルな意思』(四方田犬彦著・岩波書店・1999年)
      • (13)『アジアのなかの日本映画』(四方田犬彦著・岩波書店・2001年
      • (14)『黒沢清の映画術』(黒沢清著・新潮社・2006年)
      • (15)『われ映画を発見せり』(青山真治著・青土社・2001年)
      • (16)『池袋シネマ青春譜』(森達也著・柏書房・2004年)
      • (17)DVD『美しきセルジュ』ライナーノーツ(山田宏一他著・アイ・ヴィー・シー)
      • (18)DVD『アラン・レネ/ジャン=リュック・ゴダール 短編傑作集』ライナーノーツ(細川晋他著・紀伊國屋書店)
    • 【2007年1月9日 (火) 01:10版の編集】(1)「広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督等の(後略)」を竜造寺和英さんは削除されましたが、これは参考文献(6)で提示されていますので、ご確認下さい。また、ヌーヴェルヴァーグの年代に関してもこの書籍に依拠していますが、同時に本文中で「諸説がある」との表記も行っております。また「一方その終焉(後略)」に関しては、竜造寺和英さんの表記、すなわち出典(1)を論拠とする記述も、両論併記的な書かれ方をしていますので、revert後に竜造寺和英さんの表記を反映させました。
    • 【2007年1月9日 (火) 01:10版の編集】(2)また同じ版の「発生から終焉に至る経緯」項目において「呼称」についての段落と「フランス映画のある種の傾向」の段落とが入れ替えられていますが、この項目は「経緯」を辿ることも目的としていますので、時系列に沿って元に戻しました。
    • 【2007年1月9日 (火) 01:10版の編集】(3)「サルトルは実存主義を唱え(後略)」の文章は、ノートの上記でも指摘させていただいた通り、出典(1)からはトリュフォーが「、「現実社会では、人間の本質は神が定めたものではない。自分の意思で選び取ったあり方こそが人間の本質なのである」という観点から詩的リアリズムの諸作品を批判したとまでは言えないこと、本書では両者の批評姿勢におけるアナロジーまでしか指摘していないことを述べていますが、これ以上の深入りは解釈のやり取りに終始する恐れがありますし、この程度の表記なら大きな誤解を生む恐れはないと思いますので、revert後に竜造寺和英さんの表記を反映させました。
    • 【2007年1月9日 (火) 01:21版の編集】(元の私の表記である)「1960年代中頃にかけて」を「11970年代まで」に変更されていますが、出典(4)、(5)、(6)、(8)などから総合的に判断して「1960年代中頃」の表記に戻しました。ただし、期間については諸説があり定義文として明確化できるようなものではないため、新に「発生から終焉に至る経緯」という項目を起こし、総合的に表記できるよう配慮したつもりです。
    • 【2007年1月9日 (火) 01:30版の編集】「即興演出」が初めて用いられたのは『勝手にしやがれ』は初めてではありません。私の記述した文章の通り「即興演出、同時録音、ロケ中心」は「ヌーヴェルヴァーグの作品・作家に共通した手法」であることはいわば映画知識に関する常識です。ゴダールを始めとしたヌーヴェルヴァーグの面々が参照し尊敬もしていたジャン・ルノワールやロベルト・ロッセリーニ(を始めとするネオ・リアリスモ)における即興演出が映画史における最初のものであることは常識的な事実です。こうした事柄は出典(3)、(4)、(5)や通常の映画史に関する書籍においてはどこにでも表記されていることですのでご確認下さい。また、竜造寺和英さんが論拠としたと思われる出典(1)にも『勝手にしやがれ』において初めて即興演出が用いられたなどと言う記述もありません。「(『勝手にしやがれ』の)革命の本質は、第一にこの即興演出にあります」とか、「このような手法がゴダールの即興演出とあいまって、映画史上にも稀な生々しい映像を可能にした」と言ったその独自性を説明する文章はありますが、いずれも「即興演出が初めて用いられ」たと断言しうるような文章ではありません。竜造寺和英さんは「即興演出は「勝手にしやがれ」から始まったとなっています」と書かれていますが、どこにそう書かれているのか具体的にご指摘下さい。また、『勝手にしやがれ』より前に作成された『大人は判ってくれない』において明確に即興演出であり、またその事実が広く知られているシーンがあります。『大人は判ってくれない』を一度でも観たことがある方なら誰にでも分かる有名なシーンなのですが、それが何かは敢えてここでは申し上げません。ただ、それが「即興演出」である事実については、実際の作品はトリュフォーのインタビューなどにより動かすことにできない事実、いや映画史的な常識として認知されています。
    • 【2007年1月9日 (火) 01:37版の編集】竜造寺和英さんが割愛された部分は確かに説明がくどいとも思いましたので、いったんrevertした後に、竜造寺和英さんが書かれた内容に差し戻します。
    • なお、竜造寺和英さんはご自身の利用者ページに「parole氏が突如、中条省平氏の文章を否定し始めた。自分で出典として挙げておいて、いったいどう云うつもりだ。こりゃ、完全に俺に喧嘩を売ってきてるな。全面戦争あるのみ。今回は最後までとことんやる。もはや、一切譲歩しない。ウィキペディアのルールを最大限に活用して、一気に潰す。」などと書かれていますが、私がどこでどのように中条氏の文章を「否定」したのか、明確かつ論理的にご説明下さい。中条氏の著作は映画に関する法律でもなければ、金科玉条でもありませんし、中条氏自身も書籍の目的に合わせ記述内容をはしょったり簡略化したりしているはずです。ですから『フランス映画史の誘惑』に書かれていないことや、ニュアンスなどが異なることを全部否定することは全くナンセンスです。また、Wikipediaは議論のための掲示板ではありませんので「喧嘩を売」るつもりもなければ、「全面戦争」などするつもりも毛頭ありません。私は記述が論理的に正しいかどうか、私がさまざまな書物や実際の作品を接して得た情報と祖語がないかどうかだけの論じているに過ぎません。「悪魔の証明に引きずり込む」だとか、書籍の筆者と直接論議して撤回させろだの、一気に潰すだの、そんな無意味で馬鹿げたことを持ち出すのはもうやめにしてください。こんな事をするための「ウィキペディアのルール」などあるのですか?
    • こんなことは言いたくはなかったのですが、竜造寺和英さんは果たして何冊くらい映画や映画史に関する書籍をお読みになったことがあるのですか? あるいはヌーヴェルヴァーグの作品を何本ご覧になられているのですか? Wikipediaは誰でも書き込める自由な場所ですから映画に関する知識や経験がなければ映画に関する項目に書き込んではいけないなどと言うつもりは毛頭ありません。しかし、自由に書き込めると言うことと、何でも好き勝手に書いていいということは異なるはずです。実感や体験、あるいは基本的な知識が無い状態で、たった一冊の書籍を論拠として「議論」を行うことにどんな意味があるのでしょうか?(その一冊の書籍すら私がノートにおいて論証のために掲示したものであり、それまでは結果としてはヌーヴェルヴァーグに関しては何ら書かれていなかった、小説家の小説制作に関する書籍を論拠として固持していましたよね?)
    • 最後に「Wikipedia:よくある批判への回答」から、含蓄ある言葉を転記させていただきます。別に私は映画のプロだとは思っていませんし、事実映画とは何の関係もない職業に就いている一介の映画好きに過ぎません。ですからこの言葉は別に竜造寺和英さんへの当て付けという意味ではなく、自分自身に対する戒めの意味もあると思っています。私は決して竜造寺和英さんをバカにしているのでもなく、また単に「論争」勝つことを目的としているわけでもなく、今やGoogoleで検索するとその多くがトップに表示されるWikipediaをより有効かつ有用なものにしたいために微力を注いでいるだけです。なんとかその思いを汲んで下さり、発展的かつ柔軟かつ友好的な協業関係をお願いします。
      • 一般にアマチュアは、ある主題について専門家と話をすると、自分がアマチュアであることを自覚して、質問したり、記事のどの部分が不明確かを指摘したり、調査の「下働き」をしたりと、違った方法で貢献し始めます。ウィキペディアは、アマチュアと専門家が一緒に作業することによって、恩恵を受けるのです。このことによって、我々の数学関係の記事が、平均的な数学の教科書よりも理解しやすいものになるのです。
    • なお、余談になりますが竜造寺和英さんは非常に細かな頻度で改訂、投稿をされていますが、ガイドラインのWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるように、外部エディターの利用やプレビューの活用が推奨されていますし、「編集競合」などの「事故」に繋がる恐れがあります。実は以前竜造寺和英さんの投稿を削除してしまったのも、この「編集競合」が原因でした(とは言っても私自身が注意深くしていれば投稿前に差し止めることはできたのですが・・・)。ご一考いただければと思います。--parole 2007年1月8日 (月) 18:53 (UTC)

    • とここまで書いたところ、その間竜造寺和英さんが更に頻繁な改訂をされているためrevertも再編集にも手を付けられない状態になってしまいました。上記「余談」部分で述べているとおり余りに頻繁な改訂、投稿は様々な支障を生みますし、「投稿ブロック」の検討対象となる可能性もあるとのことですので、節度を保った編集と投稿をお願いします。
    • 上記で述べたrevertと再編集は、改めてその後の竜造寺和英さんの投稿を検討した上で行います。--parole 2007年1月8日 (月) 18:53 (UTC)

  • Paroleさん、おはようございます。何度も書きますが、中条省平氏と異なる主張の文献をいくら挙げられても、それは中条省平氏と異なる主張が存在することを示したに過ぎません。中条省平氏を否定し、異なる主張を正当だと云われるのならば、それを明示した出典をご提示してください。「広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す(単純に1950年代末から1960年代中盤にかけて制作された若い作家の作品を指す、さらに広い範囲の定義もあり)」の部分ですが、これが出典に書かれてないと云っているわけではありません。中条省平氏の主張と異なると云っているのです。ならば、別の例を出します。「フランス映画史の誘惑」(中条省平著・集英社新書)p.187には「ロメールの映画では、厳密に計算されつくした台詞(かなり複雑な文学的、哲学的議論をふくみ)と、誤解(人と人のとり違え)にもとづく状況の混乱が人間の本質をあらわにするという筋立てで」とあります。即興演出とは反対の立場です。もし、即興演出をヌーヴェルヴァーグの定義に加えてしまうと、ロメールはヌーヴェルヴァーグから外れてしまいます。これは、ロメールをヌーヴェルヴァーグとする中条省平氏の主張と矛盾します。--竜造寺和英 2007年1月9日 (火) 00:41 (UTC)
  • また、ヌーヴェルヴァーグの終焉時期についても、中条省平氏の主張と矛盾します。「フランス映画史の誘惑」(中条省平著・集英社新書)p.207に、「七○年代に入っても、ヌーヴェル・ヴァーグは衰えるどころか、その作家たち全員が、代表作や意欲作をたてつづけに発表するようなありさまだったのです」とあります。「一般的にはトリュフォーやルイ・マルなどが過激な論陣を張った1967年のカンヌ映画祭における粉砕事件までを「ヌーヴェルヴァーグの時代」と捉えるのが妥当であると言えよう」と、中条省平氏の主張よりも優位であると表記するのであれば、その優位性を示す出典を明示してください。また、時期に諸説あると云う事なので「ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)は1950年代から起こったフランスにおける映画運動」としました。こう表現しなければ、諸説あることに矛盾し、一つの説だけを優位に表現することになります。--竜造寺和英 2007年1月9日 (火) 00:41 (UTC)
  • 誤解がないように再度書きますが、記述の根拠をお願いしているのではありません。優位性の根拠をお願いしているのです。もしくは、上記の主張が、中条省平氏の主張よりも信憑性があることを証明してください。でなければ、両者の主張はまだ対等です。--竜造寺和英 2007年1月9日 (火) 00:44 (UTC)
  • 「『いとこ同士』[シャブロル/1959年]、『大人は判ってくれない』[トリュフォー/1959年]、『獅子座』[ロメール/1959年]、『パリはわれわれのもの』[リヴェット/1960年]と言った今日においてヌーヴェルヴァーグの代表作と言われている作品が製作、公開された。いずれも商業的な成功を収めると共に」と云う表記がありましたが、。「フランス映画史の誘惑」(中条省平著・集英社新書)p.187には「ところが、「獅子座」の興行的失敗のせいで、ロメールはいったん商業映画から撤退し」と書かれています。この部分を修正しました。--竜造寺和英 2007年1月9日 (火) 01:08 (UTC)

  • 映画のような文化財に関する事典の定義は明確な回答が必ずしも存在するわけではありません。数学の定理や自然界の原則に関する記述ならば矛盾は正すべきと言えるでしょうが、明確かつ唯一の回答が原理的にはあり得ない項目に関してはそれは矛盾ではなく諸説として捉えるべきだと思います。ヌーヴェルヴァーグの「定義」や「範囲」もしかりで、どれかが全体に正しい、どれかを是とすべきとことは不可能です。従って、中条省平氏の考える「範囲」と細川晋氏の考える「範囲」とが異なったとしてもそれは致し方のないことで、であるが故に私は「諸説がある」とし「経緯と終焉」と言う項目を起こして両論併記を心掛けました。これ以上どちらに優位性や信憑性があるのかを見定めることがあるかは不可能かつ不毛です。とは言うものの冒頭の定義文をより簡潔にすることも事典としては「見出し」的な意味から必要だとも思いますので、冒頭部分においては「1950年代末から1960年代中盤」と書きました。これは様々な出典から私が総合的に判断し記述したものなのですが、この文章に独断性を感じられると言うのなら、竜造寺和英さんが編集されたとおり「1950年代末以降」というような書き方の方がより適切かと思います。
  • ロメールに関しては彼の長編デビュー作である『獅子座』をご覧になって下さい。ここでは間違いなく即興演出が成されています。では、だからと言って中条氏の竜造寺和英の引用された文章が間違いかというとそんなことはなく、ロメールの作品は60年代中盤以降の「六つの教訓物語」シリーズあたりを契機に、まさに中条氏が指摘されているような作風に変化しています。そしてこれこそが一般的に認知されているロメールの作風です。『フランス映画史の誘惑』はフランス映画の入門書であり、ページ数も限られ記述の明快さも求められていますから、中条氏は上記のようなロメールの作風の変化や経緯に関して省略したと思われますし、私に限らず映画(ヌーヴェルヴァーグ)に関して基本的な知識を持ち合わせている人間なら、このことを矛盾しているとか記述が正確ではないなどとは思いません。また、余談ながら申し上げれば60年代半ば以降は右岸派の面々の作風は当初のヌーヴェルヴァーグ的なものから次第に各自の独自性をより強く表すようになりますので、「範囲」に関してもこのような点を踏まえて60年代中盤に据えたわけです。もちろんこれは私独自の見解や独創というわけではなく、作品を観れば誰にでも感じられることですし、おおよそ一般論として共有化されているものです。
  • 「終焉」に関しても上記の私の説明と基本的に同一で、優位性云々と言うことはナンセンスです。「ヌーヴェルヴァーグ」と言う言葉を辞書・辞典的な定義として捉えるのか、あるいは「ヌーヴェルバーグ的なるもの」や「ヌーヴェルヴァーグ(を出自とする)作家達」と捉えるかによって様々な言い方ができますし、竜造寺和英さんが引用された文章に関してもその前後を読めば「ヌーヴェルバーグ的なるもの」もしくは「ヌーヴェルヴァーグ(を出自とする)作家達」を指していることは明かですし、山田宏一氏はカンヌを持ってヌーヴェルヴァーグは終わったと感慨深げに叙述されています。そして、各々の観点や文脈が異なりますのでいずれかが是というわけではなく、一連の叙述、記述においてそれぞれが是なのです。
  • さて、私は竜造寺和英さんの質問や疑問にお答えしましたが、竜造寺和英さんは私の出した質問や回答には一向にお答えいただけません。いやそれどころか、執筆者に確認しろだの私の記述が書籍よりも信憑性があることを証明しろだとの言った、竜造寺和英さんが「悪魔の証明」と自らおっしゃっている無体な行為に終始している感があり、このような状態では事典をまとめ上げる共同作業とは言えません。
  • 上記でも書いたように、Wikipediaは議論の場ではありませんし、私には全面戦争をする意思も、竜造寺和英さんをバカにする等という気持ちも毛頭ありません。もちろん、竜造寺和英さんがWikipediaもしくはヌーヴェルヴァーグの項目に書き込むことが気に入らないなどと言う児戯じみた考えなども全く持ち合わせていませておらず、記述が論理的に正しいか、私が様々な方法で得た知識と記述との祖語がないか、誤解を生む恐れがないかと問題にしているだけです。しかし、竜造寺和英さんはご自身の利用者ページで「parole氏が突如、中条省平氏の文章を否定し始めた。自分で出典として挙げておいて、いったいどう云うつもりだ。こりゃ、完全に俺に喧嘩を売ってきてるな。全面戦争あるのみ。今回は最後までとことんやる。もはや、一切譲歩しない。ウィキペディアのルールを最大限に活用して、一気に潰す。」と明言されている。つまりこのやり取りを「議論のための議論」と認識され、私を議論テクニック(と竜造寺和英さんが考えられているもので)「一気に潰す」ことを目的としているとしか思えません。これは明確にWikipediaの基本原則に反するものですので、まずはこの件に関する釈明と謝罪および今度の取組姿勢を明確にしていただく必要があります。もちろん、これは頭を下げさせることが目的ではなく、もちろん私が勝利に快感に浸ることが目的でもなく、この点をはっきりさせない限り次から次へと「悪魔の証明」にもにた「議論テクニック」が繰り出されるだけで、事典の項目をまとめることはおろかまともな議論が成立しないからです。
  • もし今後も竜造寺和英さんが「最後までとことんや」って「一切譲歩」せずに「一気に潰す」ために揚げ足取りに終始するのなら、投稿ブロックなどの正当な手段を執らざるを得ません。参考までに申し上げれば、投稿ブロック対象の理由の一つに下記の項目が挙げられています。
    • 8. 記事の編集に際し他の執筆者との協調が図れないなど、Wikipediaの目的遂行を妨げる行動で、次のようなもの。
    • 8.1 ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害
    • 「最後までとことんや」って「一切譲歩」せずに「一気に潰す」ことが、「Wikipediaの目的遂行を妨げる行動」に相当し「他の執筆者との協調」を図るつもりがないことは言うまでもありません。
  • また、相変わらず頻繁な編集や投稿を繰り返されていますが、これはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるように適切とは言えない作業方法とされていますので、ルールに則った編集や投稿を改めてお願いします。--parole 2007年1月9日 (火) 04:03 (UTC)

保護について

短時間で大量の投稿がなされていると見做し保護を行いました。 2007年1月9日09:56~2006年12月29日14:46において61投稿、61編集中竜造寺和英さんが52とParoleさんが9と2名のみで尚且つ特に1月9日は竜造寺和英さんが22投稿です。
竜造寺和英さんが「parole氏がごちゃごちゃ云うようならば、全面戦争やむなし。」のノートの記述は穏やかではありません。また短時間の大量投稿は纏めて投稿する事は不可でしょうか。
paroleさんの立教ヌーヴェルヴァーグの依拠する所も資料を上げて頂ければ。
お2人とも記事をよりよくする事を目的に資料を用意し執筆なさっておられると思いますが、現状では感情的になっているととられても仕方の無い編集回数です。ノートの編集回数もしかり。そしてお互いが投げかけている疑問にお互い答えていないところがあります。記事は逃げませんので、冷静に編集できると判断できるように議論の収束を待たせていただきたく。--Faso 2007年1月10日 (水) 02:04 (UTC)

Fasoさんのご助言にお応えして(今後の進め方)

  • Fasoさん、paroleです。度々のご助言、誠にありがとうございます。また、私にもその一因がある「編集合戦」により、お手を煩わせてしまい痛み入ります。今回の件を反省材料として、今後はこの項目への投稿はもちろんのこと、Wikipadiaへの編集、投稿については改めて襟を正したいと思いますので、ご指導のほどお願いします。
  • それではまずは、Fasoさんからご指摘いただいた「投げかけられている疑問に答えていない」点に関しお答えさせていただきます。とは言うもののこの長大なノートの全てに関し最初からやり取りし直すのは余り生産的とは思えませんし、三田誠広氏の『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』が出典としての要件を満たしていなかったことが判明する前まではひとまず片が付いたと見なしうると思いますので、それ以降、すなわち「2007年1月2日 (火) 08:39 (UTC)」の以降の投稿における未回答の内容のみについてお答えします。
  • 【未回答の質問に対する回答(1) 立教ヌーヴェルヴァーグの出典】出典に列記しております『日本映画のラディカルな意志』から『池袋シネマ青春譜』がこれに相当します。実は「立教ヌーヴェルヴァーグ」とは「知る人ぞ知る通称」に過ぎず、本家ヌーヴェルヴァーグは元よりマスコミ等で騒がれた「松竹ヌーヴェルヴァーグ」とは位置付けが大きく異なっています。私が知る限りではこの言葉を公刊された書籍等で初めて用いられたのは、四方田犬彦氏の『日本映画のラディカルな意志』においてだと思います。この書籍および元になった文章が書かれているのが1990年代後半であるのに対し、「立教ヌーヴェルヴァーグ」は1980年代初頭の出来事ですから時間的な落差も非常に大きく、四方田氏が事後的に口火を切った(と私が認識している)言葉を、一部の人間がおもしろがって使っているうちに次第に広く流通するようになったと言えるでしょう。このような背景を持つ、辞書的な定義がしがたい言葉であるため「立教ヌーヴェルヴァーグ」と言う言葉が初めて用いられた書籍と供に、当時の様子について触れている書籍も併せて出典に上げました。『黒沢清の映画術』から『池袋シネマ青春譜』がこれに相当します。『池袋シネマ青春譜』は実話を元にし実名の人物が登場するとは言っても小説作品ですから、出典としてあげるにはいささか問題があるとは思いましたが、「立教ヌーヴェルヴァーグ」の「発火点」となった「パロディアス・ユニティー」の創設にまつわるエピソードが生々しく語られていますので、参考資料という意味合いで出典に取り上げました。
  • 【未回答の質問に対する回答(2) ルイ・マルを左岸派に含めなかった理由】竜造寺和英さんの「2007年1月7日 (日) 23:54」の記述において『フランス映画史の誘惑』を論拠にルイ・マルは左岸派に該当しない旨のご指摘を頂いていますが、これは私の瑕疵です。ルイ・マルをアラン・レネと並び立てヌーヴェルヴァーグに先行した人物とする出典は幾つかありましたが、ルイ・マルを左岸派に含めたものはなく、これは私の勘違い、事実誤認です。充分な確認を怠り、申し訳ありませんでした。
  • 【未回答の質問に対する回答(3) 私(Parole)が出典として挙げた『フランス映画史の誘惑』と矛盾ないしは否定するの記述を行っているとする件】元々この書籍は私の「2006年12月30日 (土) 09:04」の投稿で取り上げたのものです。竜造寺和英さんは自分(parole)自身が論証としてあげた書籍と矛盾したり、これを否定するかのような記述をしておりけしからんとお怒りのようですが、これを詳しくお読みいただければわかる通り、私はこの書籍を竜造寺和英さんが唱えられていた「ヌーヴェルヴァーグが「サルトルの実存主義の影響を受け、「人間の本質と現実社会を描くこと」に主眼を置く」という記述に対する反証の一つとして取り上げたものに過ぎません。もちろん本書で書かれていること【だけ】が【絶対に】正しいなどとは一言も申し上げていません。更に言うなら、本書は広くフランス映画に親しむための入門書に類するものであり(新書の形態であることからのこのことが想定できます)、通読しうる読み物としての体裁を第一義としていることが伺えますので、他の論者や書籍との解釈や定義の違いがあることは止む得ないと思いますし、それをいちいち記載してないのもまた当然のことと言えるでしょう。また「2007年1月9日 (火) 04:03」における投稿において、誰もが納得しうる明確で唯一の定義を定めることが原理的に不可能な(映画のような)文化財においては「各々の観点や文脈が異なりますのでいずれかが是というわけではなく、一連の叙述、記述においてそれぞれが是なのです」との説明も行っておりますので、本件に関してはご理解いただけると思います。
  • 【未回答の質問に対する回答(4) 「諸説があるなら最低でも、諸説を平等に併記すべき」との件】これは竜造寺和英さんの「2007年1月8日 (月) 17:55」におけるご指摘です。既に同様のことを述べていますが、映画のような文化財は一義的かつ明確な定義は非常に困難ですし、ヌーヴェルヴァーグ自体その範囲や定義が曖昧にならざるを得ないため、諸説をことごとく列挙するのは現実的ではないと思いますし、百科事典であるWikipadiaの性格にはそぐわないと思います。一方、事典として概要をわかりやする提示する必要もありますから、執筆者の責任と意志においてわかりやすくまとめる必要もあるかと思います。そこで、「発生から終焉に至る経緯」の項を新たに書き起こし、諸説があるという事実とその主立ったものを単に列記に留まらない方法で、つまり「読者」に背景等を伝える意味も含めて記述したわけです。なお、「カンヌ映画祭事件」までを終焉とすることが妥当であろうとした理由は下記の通りです。
    • 狭義の、すなわち右岸派ヌーヴェルヴァーグの特徴の一つとして、蜜月関係を元にした共同作業や協調が上げられますが、「カンヌ」以降この関係が事実上崩壊する。
    • 当初の(狭義の)ヌーヴェルヴァーグは瑞々しさや生々しさを作風の共通点としていたが、60年代中盤以降は各々の独自性がより強まり、作風における共通点は見出しにくくなった。
    • 日本人として唯一の当時の「カイエ・デュ・シネマ」の同人であり、いわばヌーヴェルヴァーグの生き証人と言える山田宏一氏が『友よ映画よ』の中で、ヌーヴェルヴァーグの活動のあり方やこれを取り巻くムードが「カンヌ」以降で一変したことを述懐されており、これに非常に大きな説得力を感じた。
    • また、竜造寺和英さんは「2007年1月7日 (日) 23:13」において、ヌーヴェルヴァーグの終焉を60年代中盤ではなく70年以降とする理由として、『フランス映画史の誘惑』を論拠にされていますが、そもそも同書においては「終わり」に関しては明確な記述は成されていません。竜造寺和英さんが引用されたのはヌーヴェルヴァーグそのものに関する章ではなく、その次の章、すなわち「多様化の時代-一九七〇年代のフランス映画」からであり、またその文章自体も前後の関係から察するに「ヌーヴェルヴァーグ的なるもの」「ヌーヴェルヴァーグを出自とする作家達」と補足的に読み込んだ方がより正確な理解であるように思います。解釈の問題に踏み入ると人それぞれということになってしまいますので、これは私見であるに留めておきますが、竜造寺和英さんが引用された文章はヌーヴェルヴァーグそのものと言うよりはそれ以降を説明するための文章の一部であることは指摘させていただきます。
  • 【未回答の質問に対する回答(5) 「『獅子座』の商業的失敗に関して】竜造寺和英さんが「2007年1月9日 (火) 01:08」において『フランス映画史の誘惑』から「ところが、『獅子座』の興行的失敗のせいで、ロメールはいったん商業映画から撤退し」を引用して私の「いずれも商業的な成功を収め」を修正いただいていますが、これも私の間違いです。不正確な情報を書き込んでしまい申し訳ありませんでした。
  • 以上で私が明確に返答していなかったものは全てだと思います。これ以外の竜造寺和英さんからの反論やご質問には既に回答しておりますので割愛させていただきます。もちろんもしかしたらまだ見落としがあるかもしれませんし、納得いく回答でないこともあり得るかと思いますので、その際には忌憚なく再度、反論や質問をぶつけてください。ご理解いただくために誠意を持って精一杯の努力を惜しまないことをお約束します。
  • ただし、その前提としてお願いがあります。これまでの竜造寺和英さんとのやり取りは、三田誠広氏の著作に関する件も含め、竜造寺和英さんが定めた、とある(唯一の)資料のみを対象として、書かれている内容の妥当性そのものや一般論、通説との比較検討ではなく、資料としての是非を問う(争う)ことに終始していたように思います。ここで書かれていることは是である、これに対して反論を述べるのなら、この書物より別な書物の方が妥当性がある、信頼性があることを証明しなければならない云々、と。さらには仮にその資料が是でないとした場合でもそれは引用者の責任でもなければ、是非確認の義務は反論を述べた方にあるとまで仰っています。これは前提を定めたものが必ず「勝利」を収める単なる議論ゲームに過ぎませんし、その前提(資料)に反論を加えようとするなら「悪魔の証明」をもってすれば絶対にその反論を退けることができますので、「ディベートゲーム」ならともかく、何らかの合意を取り付けることを目的とするWikipadiaにおける議論の方法としては適しているとは言えません。このような勝ち負けをこそ目的とした「議論ゲーム」は悪感情の増幅こそあれ生産的な協業関係が望めるとは思いませんので、以降は差し控えていただきますよう切にお願い申し上げます。--parole 2007年1月10日 (水) 06:58 (UTC)

しばらくやりとりを拝見していましたが、paroleさん大変でしたね。この竜造寺和英氏という人は、氏がIPユーザーの時からウオッチしていますが、絶対に自分の意見は変えない人物です。議論にはならないでしょう。たまにへりくだったような書き方をしますが、「parole氏がごちゃごちゃ云うようならば、全面戦争やむなし。」とは、このたび本心が出たのでしょう。暇人相手にあまり気にしない方が良いと思います。--Yanoken 2007年1月10日 (水) 10:03 (UTC)

*parole氏が突如、中条省平氏の文章を否定し始めた。自分で出典として挙げておいて、いったいどう云うつもりだ。こりゃ、完全に俺に喧嘩を売ってきてるな。全面戦争あるのみ。今回は最後までとことんやる。もはや、一切譲歩しない。ウィキペディアのルールを最大限に活用して、一気に潰す。(削除されましたが、竜造寺和英氏の利用者ページより)--Yanoken 2007年1月10日 (水) 10:07 (UTC)

ご報告だけ。ストーキング行為をしていたYanokenは、同一人物による多重アカウント不正使用として無期限ブロックされました。--61.86.41.196 2007年9月7日 (金) 01:18 (UTC)

改訂のための叩き台

Fasoさんが編集ブロックの措置を執られてから三日が過ぎましたが、竜造寺和英さんからは何の反応も出ておりません。それまでの過剰な書き込みの頻度や量から考えるとFasoさんの措置とご提案が竜造寺和英さんに何らかの影響を及ぼしているであろうことまでは推察できるのですが、それ以上のことはご本人の反応を待つしかありません。いずれにしても、私はFasoさんのご助言に基づいて未回答であった部分にもれなく回答もしくは返答を行いましたので後は竜造寺和英さんにご回答頂くだけですし、竜造寺和英さんは別なノートにおける議論は再開されている様子ですから近々何らかの反応を頂けると期待しております。

まずはFasoさんのご助言を受けるという意味で「2007年1月10日 (水) 15:58」の書き込みを行いましたが、このままでは具体的な課題点やその解決策が明確になっていませんので、これまでの議論を踏まえその解決策の案を提示させて頂きます。と言うもの、詳細は下記に述べますが、現在の版には誤解や一面的なとらえ方に過ぎる点があり、また事実と異なった記述も残っているからです。私が書いた「2007年1月8日 (月) 23:54」の版をベース(原文)として、その後加えられた竜造寺和英さんの編集/改訂をどのように反映させるかという観点で以下具体的な提案をさせて頂きます。

  1. 【定義文における「開始時期」と「終焉時期」】始まりは50年代末ということで(映画史における)常識的にもほぼ確定しているが、終焉に関しては諸説がある上何をもって「終わり」かなどの議論に結びついてしまう恐れがあるため、「1950年代末から始まったフランスにおける映画運動」というような曖昧な表記に留める。
  2. 【「広義においては~さらに広い範囲の定義もあり)」の復活】これは竜造寺和英さんが『フランス映画の誘惑』に書かれていないことを理由に削除されたものだが、明確な出典があること、広く知られている定義(範囲)の一つでもあること、両論(多論)併記の原則から原文の通り復活させる。
  3. 【「即興演出」に関連する記述】『勝手にしやがれ』において「初めて即興演出が用いられた」とする竜造寺和英さんの記述は事実に反しており、またその論拠としている『フランス映画の誘惑』にもこれを明確に指摘している記述もないため、「同時録音、ロケ中心というヌーヴェルヴァーグの作品・作家に共通した手法」という文章の復活を含め原文通りに戻す。
  4. 【「このようにヌーヴェルヴァーグ~事実上不可能であるが」の削除】原文における文章は不必要に過剰な説明とも感じられ読者を迷わすことにも結びつきかねないため、竜造寺和英さんの改訂案のような簡略化したものに変更する。
  5. 【「詩的レアリスムの良質の伝統~死刑台のエレベーターである」の追加】竜造寺和英さんは『フランス映画の誘惑』の記述(順序)にほぼ則りこの文章を追記されているため、事実関係等に間違いはないものの前提を読み通すと前後とのつながりに唐突さが感じられる。私見としてはこの文章はヌーヴェルヴァーグの辞典項目の内容としてみた場合にはそれほど重要度が高いとは思えないため割愛した方がスッキリすると思うが、もし残すならば前後のと繋がりの考慮や説明により厚みを加えるなどの加筆が必要と思われる。<要検討>
  6. 【左岸派の活動に関する詳細の追記】追加内容自体は項目の厚みを増すものであるため妥当と思われる。ただし、これも『フランス映画の誘惑』からの単純省略的な記述になってしまっているため、文章としての推敲や情報の付加が必要。
  7. 【カイエ派と右岸派の表記】映画や映画史に関する書籍においては「右岸派」と称されることが多いため原文では右岸派を基準、カイエ派を別称として位置付けていた。竜造寺和英さんは『フランス映画の誘惑』の表記方法に則りこのこの位置付けを逆転させたが、左岸、右岸という名称(考え方)はパリの地形を知らない人にとっては何のことかわからない上、両者の区別が付きにくいのもまた事実であるため竜造寺和英さんの改訂案通りとする。

現時点においては「編集合戦」が行われているのは上記の点かと思いますので、この提案を軸に議論が行えればと思います。また、上記でもしばしば述べていますが、特定書籍からの抜粋的な文章は、説明が逆にわかりにくくなってしまったり、説明に過不足が生じることがままありますので、上記項目を押さえた上で改めて全体の統一感を持たせうるように文章を推敲する必要があると思います。 --parole 2007年1月12日 (金) 11:43 (UTC)

  • Paroleさん、こんばんは。「ノート:田中清玄」で突如、議論が再開され、こちらまで気が廻りませんでした。申し訳ありません。自分としては、Paroleさんが出典として挙げた「フランス映画史の誘惑」(中条省平著・集英社文庫)をきちんと要約して、記述していたつもりですが、その記述が変更されてしまい、混乱した次第です(Paroleさんの提示した出典を基にしていれば、お互いに納得したものになるだろうと思っていました)。
  • さて、本文の記述ですが、すべてParoleさんに賛同いたします。今後、この決定に一切異議は唱えません。要検討事項は、全てParoleさんの判断にお任せします。「ノート:田中清玄」で議論をしてみて、Paroleさんがいかに紳士であったかを痛感する次第です(相手の多重アカウントやこちらのノートまで進出しての攻撃など)。私の態度からParoleさんが不快に思われていたならば、改めてここでお詫び申し上げます。今後ともご指導・ご鞭撻のほど宜しく申し上げます。--竜造寺和英 2007年1月13日 (土) 10:51 (UTC)
  • 竜造寺和英さん、誠意あるご回答をありがとうございます。私はWikipediaを事典として有効かつ適切なことにすることだけが目的ですから、竜造寺和英さんのご意見に全く異論はありません。Fasoさんには度々お手を煩わせてしまいましたが、竜造寺和英さんとの間で合意が得られましたので、ブロック解除をお願いしたいと思います。
  • 今回は紆余曲折はあったものの、結果としてこの項目の内容をより正確かつ豊にすることに繋がったと思います。渦中、思うところがなかったわけではありませんが、終わりよければすべてよし。今はむしろ、このような結果に導くことになった竜造寺和英さんに、素直な気持ちで感謝したいと思います。
  • ブロック解除が成されましたら、上述の内容に従って最後編集を行いたいと思います。もちろん、その内容に祖語や疑問があれば竜造寺和英さんはもちろんのこと、多くの方にもご指摘いただき、項目をより豊にしていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いします。--parole 2007年1月14日 (日) 16:54 (UTC)
  • Fasoさん、おはようございます。ご返答が遅れて申し訳ありません。保護解除に賛同いたします。--竜造寺和英 2007年1月15日 (月) 00:56 (UTC)
  • Parolさん、おはようございます。Parolさんの度量の大きさに大変感服致しました。改めて、感謝の意を述べさせていただきます。また、「ノート:田中清玄」での議論からこちらのノートまで飛び火してしまい、大変申し訳ございません。--竜造寺和英 2007年1月15日 (月) 00:56 (UTC)

節分け

本ノートを編集しようとすると、

警告: 編集中のページまたは節のサイズは 120 キロバイトです。一部の古いブラウザ(Netscape Navigator 4.x 等)の中には 32 キロバイト以上のテキストを編集すると問題が起きるものがあります。このページを節に分けることを検討するか、節単位の編集を利用しましょう。詳しくは、ページサイズを参照してください。

と出ることと、前半が節に別れていないので、目次が途中に出てきます。これを解消したいので、前半に2つの見出しを入れました。ご了承ください。--Kmrt 2007年4月18日 (水) 16:40 (UTC)

全面改定の提言

ノートをごらんいただければわかるように、この項目はちょっとした経緯があって2007年1月時点におけるものとなっています。その後。Kmrtさんの加筆により項目自体はより正確で詳細なものになっているとは思いますが、上記1月時点の記述に対する「反論」的な書き方となっているため辞典的な文章としてはいささか不似合いなものになっているように感じます。

1月時点における文章に手を加えないよう配慮いただいたのかもしれませんが、「しかし」「実は」などで章を分けて語り継ぐことは事典として利用する方に誤解を生んだり煩雑さを感じさせる虞もあると思います。

ウィキペディアはより多くの、あるいは正確な知識を持つ方が誤った、あるいは不正確もしくは情報が不足している内容を改訂するなり書き足すなりすることで、より辞書的な豊かさと正確さを実現することに意義があると思いますので、その任にふさわしい方に全面的な改定をしていただくのがよろしいと思うのですがいかがでしょうか?--parole 2007年7月30日 (月) 20:33 (UTC)

ご推察の通り、終結しているようすでしたが紛争してらっしゃるので手を加えませんでした。「ヌーヴェルヴァーグ元年」というフレーズに代表される、2007年1月以前の記述全体を覆う日本ローカルな特殊な考えについては、「日本での受容」として切り離して特筆するにとどめ、辞典らしく整理したいものだとつねづね思っていました。
また鳴滝組を戦前京都ヌーヴェルヴァーグ、米国RKOの戦前の賑わいをRKOヌーヴェルヴァーグと呼ぶ考えもあって、どちらも日本ローカルのものですけど、そういうものを付け加えていたらラチがあかない気もします。いずれも「立教ヌーヴェルヴァーグ」なる語の登場以前のものです。こういった和製ヌーヴェルヴァーグの整理の仕方についてはどうしましょうか。いずれにしても松竹/立教で2章を立てるのはおかしいですよね。--Kmrt 2007年7月31日 (火) 06:48 (UTC)