ノート:ニュー・ロシア・アヴァンギャルド/削除
おそらくネオ・ロシア・アヴァンギャルドと当時名づけられた人々は、現在のロシアでは「ペレストロイカの世代」と呼ばれています。
出典はこちらです。http://www.ccmm.ru/snm_rep.html
--Noda,Kentaro 2006年9月26日 (火) 22:38 (UTC)
- この項目のwikipedia的な問題(ウィキペディアンが己の命名した項目を作ってよいか)は別の人にまかせて、単に記事の問題点についてだけ触れます。
- 「新○○」(○○の中には傾向や運動、主義などを表す言葉が入る)という言葉は時代や論者によってその言葉の指先がくるくる変わってしまい、一定することがないという、実にしまりがない性質を持っています。私がはじめてこの用語(新ロシア・アヴァンギャルド)に出会ったのは、ソ連の60年代の音楽状況について述べられた記事(かなり前に読んだのであまり記憶に残っていない。『音楽芸術』所載?)でした。後にこの言葉が文学者に対しても使われているのを見ました(ネット上の用例を1つ。ミハイル・グロブマン)。
- あなたが「ニュー(ネオ・新)ロシア・アヴァンギャルド」というレッテルを貼られた作曲家たちを知っていることを前提に指摘しますが、デニソフ、シュニトケ、グバイドゥーリナ、シチェティンスキらと「1970年代生まれ以降のロシアの現代音楽の作曲家たち」のことを区別する理由が記事からはよくわかりません。「第2のロシア・アヴァンギャルド」(この用例も書籍で見た覚えがある)とも呼ばれる60年代の前衛的な風潮がどこかで断絶しているのであれば別ですが。「後半をアレクサンダー・ヴスティンからアレクセイ・シオウマクまでの世代をカヴァーした演奏会」にヒントを得て、彼らの世代をニュー・ロシア・アヴァンギャルドと命名したようですが、ヴスティンの生年(1943年)を知っている読み手にとっては、最初の定義との矛盾を感じるはずです。
- この項目については、「1960年代から綿々と続く風潮」として説明し(これで最初に書いたウィキペディア的問題が解決されると思う)、別に、「Structural Resistance Group」についての項目を立てればよいのでは。Nattilv1 2006年9月28日 (木) 00:22 (UTC)
あなたの「ネオ・~」とかいう名称が、すでに15年以上前の資料なのですよ。シチェティンスキ(現地人はシェチンスキィと発音しておりました)の旋的書法と、カラシコフの極微書法とはかなりの隔たりがあることは事実であり、この項はあとで充実させることも可能でしょう。今、コゥリャンツキィは音楽雑誌編集に関わっており、多分有効なバックナンバーも出典にはなりえると考えます。一番ぴったり来る名称は「ポスト・ペレストロイカ」なのですが、この名称に不快感を感じる現地人も多いと思い、記事名にはしていません。--Noda,Kentaro 2006年9月28日 (木) 02:57 (UTC)
- 私の立場を補強していただきありがとうございます。あなたの最初の文章は「時代や論者によってその言葉の指先がくるくる変わってしまい、一定することがない」をフォローしてくれています。書法に「かなりの隔たりがある」のも、「新ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれている風潮が脈々と続いているからでしょう(60年代に現れた「前衛的な」作曲家の多くは十二音技法を用いているという共通項がありましたが、前衛運動が進んだ結果共通項が消え、作曲家は個別化し、野田さんの書くような状況になった)。だからこそ、「1970年代生まれ」とそれ以前を切り離す理由がない、というのが私の指摘なのです。Nattilv1 2006年9月28日 (木) 06:57 (UTC)
- 「ニュー・ロシア・アヴァンギャルド」という用語は、建築や美術でも使われているようで、たとえばスターリン時代に権力におもねって、プロパガンダ広告の作成に協力するようになった「変質したアヴァンギャルド」といった意味でも使われるようですね。ただ、「ニュー・ロシア・アヴァンギャルド」が一般化している公称かというと、疑問がなくもありません。特に、音楽用語としてとなると、大ありです。ネットで検索してみても、ニュー・ロシア・アヴァンギャルドとして出て来るのが本項目で、そのあと音楽関連記事としてでてくるものは皆無といってもいいような有様でした。そもそも、Nattilv1さんが問題提起されていることも非常に重要です。アヴァンギャルド芸術と独裁政権の問題は、アヴァンギャルド芸術がいちど滅んだ後よみがえって「リニューアル」したものなのか、それとも地下に潜って伏流水となり、世代をつないで地上に出られる日を待っていたのかによっても、「ニュー(ネオ)」の意味合いが異なってくるでしょう。さらに、蘇ったものだとすれば、「どう」蘇ったのか、また潜伏していたのだとすれば、どのような系譜ができて、どのような紆余曲折があったのかも必要になります。
- いずれにせよ、この記事は不要で(あるいはこの名称を記事化するには時期尚早で)あると思います。---間久部緑郎 2006年10月4日 (水) 14:38 (UTC)
- ちょっとまった!今ロシア勢がISCMやワルシャワの秋でも取り上げられているのに、消すということはロシアの現代音楽をWIKIPEDIA日本語版で認めないということになってしまいます。これはあんまりです。(記事名は変更されても仕方がありませんが)あなた方はロシアまで行ったのですか?
- 少し補足します。69年生まれのフィラノフスキ、70年生まれのシュモレヴィチをこのニュー・ロシア・アヴァンギャルドに含めるかといわれると、これはかなり疑問です。入れる人もいるかもしれませんが、私は書法や響きの面で賛成できません。やはり、カラシコフとサフロノフあたりで毛並みが変わる、という印象です。--Noda,Kentaro 2006年10月13日 (金) 21:28 (UTC)
- 可読性が低下していたのでインデントしました。ところで、この版において利用者:Nattilv1さんがお貼りになった{{unreferenced}}は、『「ニュー・ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれる理由は、~野田憲太郎が命名したからである。』という一節をさしたものであるという理解でよろしいでしょうか?
- もしそうであれば、Noda,Kentaroさんが外部リンクという節にお貼りになったサイトは、太字部分の記述をサポートできていませんので、そのまま{{unreferenced}}タグを削除することは不適切です。提示されたサイトにはいずれも目を通しましたが、この場合、なぜそのサイトを提示なさったのかがよくわかりませんでした。なお、部分的な記述に対して個々に根拠を示すことで、議論を紛糾させることを防止するひとつの方法として、<ref>タグの使用をおすすめいたします(詳しくはWikipedia:脚注をご覧くださいますようお願いいたします)。
- もしそうでないならば、
個人の見解を反映させるべきではありません(これは、あなたの直上のコメントに対する私の見解です。対応するガイドラインも提示しますのでコメントなさる前にお読みください)記事の内容に対応するソースが求められたのではないでしょうか? 私も、上記に太字で示した部分には信頼できる出典の明記が必要であると感じました。われわれが執拗に信頼できる出典の明記をお願いしているのは、一部の心無い利用者が自分の見解を権威付けるためにwikipediaを利用することや、そういった見解が記事に反映されることによってWikipediaの質が著しく低下することを防ぐための一種の自浄作用であることをご理解いただきますようお願いいたします。
- --あきら (talk / cont) 2006年10月14日 (土) 03:37 (UTC)
- 可読性が低下していたのでインデントしました。ところで、この版において利用者:Nattilv1さんがお貼りになった{{unreferenced}}は、『「ニュー・ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれる理由は、~野田憲太郎が命名したからである。』という一節をさしたものであるという理解でよろしいでしょうか?
- 不用意に話を複雑化させないよう話を絞り込みました。 --あきら (talk / cont) 2006年10月14日 (土) 08:25 (UTC)
「要出典」タグをつけたのは、あきらさんがおっしゃるとおり「野田憲太郎が命名した」という部分です。記事の真実性ではなく、「あなたの独自の調査結果」が「通常の査読制度のある雑誌に投稿し、出版」(Wikipedia:ウィキペディアは何でないかより)されているかを問うものでした。野田さんは著述家でもあるそうなので、雑誌投稿経験もおありでしょうから。
私のようなロシア音楽に詳しいとはいえない人間でも「新/ネオ/ニュー・ロシア・アヴァンギャルド」という言葉に何度も出会ってきたのですから、野田さんが自分の命名以前に、ある程度は使われていたことを知らないはずがないのです(私の数十倍知っていることでしょう。興味のある方はドイツ語「neue russische Avantgarde」、フランス語「nouvelle avant-garde russe」など、各国語の「新ロシア・アヴァンギャルド」をネット検索してみてください)。野田憲太郎さんはプロの音楽家なのですが、自分がこれまでに見た用例を無視して、あたかも自分が最初に命名したかのように書くのはいかがなものでしょうか。例えば、「ニュー・ロシア・アヴァンギャルドという言葉は、60年代以降のロシアの文学、美術、音楽のある種の風潮を指す言葉であったが、私はこれらとは区別して、1970年代生まれ以降のロシアの現代音楽の作曲家たちのことを指すことにしたい。理由はかくかくしかじかである」と断わるのであれば、まだわかります。ですが、彼はそれらの用例をこの項目で記述していないのです。野田さんがロシア音楽に詳しいだけに、彼の恣意性がいっそうはっきりしてきます。
百歩譲って、「ニュー・ロシア・アヴァンギャルドとは他の誰でもない、野田憲太郎が命名した項目だ」と認めたとしても、本文の記述に問題があります。60年代以前と70年代以降の作曲家で「毛並みが変わる」と主張したいのでしたら、「便宜上」という言葉を書く態度と矛盾している、ということです。書法や響きが変わるのでしたら、さまざまな作曲家の作品をアナリーゼして、読者にその結果を開陳すればよく(それがプロの音楽家たる態度でしょう。ただし、Wikipediaでは譜例をあれこれ列挙するわけにはいかないでしょうから、別の場所で、ということになるでしょう)、「便宜上」を使う意味はどこにもないのです。Nattilv1 2006年10月16日 (月) 03:38 (UTC)