ノート:ニップル
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翻訳協力依頼(作業完了)
[編集]この記事は、プロジェクト:新アッシリア帝国の対象記事です。英語版の記事en:Nippurからの翻訳作業は、TENさんが2020年6月に完了してくれました。ありがとうございます。(この記事に限らず、プロジェクトに参加してくださる方も募集中です)--つちくら(会話) 2020年6月14日 (日) 19:18 (UTC)
翻訳および加筆の問題点
[編集]一部を新規に、また一部を英語版からの翻訳を行い、量的には英語版と同等程度にはなったと思います。ですが結構大きな問題が残っているのでメモしておきます。
- §歴史節は日本語の出典と英語版の出典になっていた書籍・論文の一部を確認して加筆しましたが翻訳ではありません。これは英語版の§Historyが大部分無出典であることによります。実際には英語版の§Historyの大部分はEncyclopædia Britannica (11th ed.)からの転載であることを確認していますが、出所不明の情報が書き加えられていたり、一部に改編が行われておりその根拠もはっきりしないため翻訳の対象とはしませんでした。
- §考古学と§ドレヘムは翻訳で加筆しましたが、特に§考古学についてはうまく日本語文に直せなかった文章(特にムラシュ家について)を改変に近いレベルで意訳しており、申し訳ないながら訳文としてはかなり怪しくなっています。どなたかの確認をお願いできれば幸いです。書いてある内容自体は極端におかしなことにはなっていないと予想しています。
- ムラシュ家(house of Murashu)、ドレヘム(Drehem)、シャット・エン=ニル(Shatt-en-Nil)についてはカナ転写形は明らかと思われるのでこのように書きましたが、根拠となる日本語の出典を伴っていません。
- §考古学末尾のユダヤ人の居留地について、日本語の出典では(英語版の§Historyでも)イスラーム時代初期にニップルでの居住は終わったとなっていますが、「On the upper surface of these mounds was found a considerable Jewish town, dating from about the beginning of the Arabic period onward to the 20th century AD, ...」という英語版の記述に従うとその後もユダヤ人はニップルの遺丘に住み続けていた、あるいは住んでいた時期があったということになると思います。このユダヤ人の居留地をニップルにおける居住の継続と見なさない理由はよくわかりません。英語版の該当する文の出典は確認していないため、一旦除去した方が良いような気もします。--TEN(会話) 2020年6月8日 (月) 16:26 (UTC)
- (追記):一応ユダヤ人居留地について調査したので追記です。ユダヤ人の居留地についての英語版の文章はEncyclopædia Britannica (11th ed.)からの転載でした。しかもコピー&ペーストで作られたはずなのに"On the upper surface of these mounds was found a considerable Jewish town, dating from about the beginning of the Arabic period onward to the 10th century A.D."が"On the upper surface of these mounds was found a considerable Jewish town, dating from about the beginning of the Arabic period onward to the 20th century A.D."と書き換えられており、20世紀まで云々というのは単にいたずら?が残っているだけのようです。出典としてつけられていたものはWebで見れたのでざっと見ましたが、該当する記述は無いと思います。Google Booksで関連する書籍をいくつか見つけ出しましたが、ニップルのincantation bowlsの年代も概ね7世紀から10世紀頃のようなので整合的です。日本語文献の居住終了時期の記述ともこれでほぼ一致するので問題はなくなりました。というわけで要検証は外しました。--TEN(会話) 2020年6月11日 (木) 17:42 (UTC)
- 返信 つちくらです。英語版記事に問題が多くあるようで、お手数をおかけしています。ご対応いただき、ありがとうございました。m(_ _)m--つちくら(会話) 2020年6月11日 (木) 19:26 (UTC)
ムラシュ家の商売については、同じ出典に基づいたこちらの記述が噛み砕いていてわかりやすそうです。ムラシュ家は地主と小作人との間を仲介し、更に小作人には灌漑用水の水利権だとか種籾だとか農具だとか家畜を売り付けます。地主は小作人から得た地代の一部や納税相当額を、ムラシュ家に仲介手数料として渡すと。 Rasalghul(会話) 2020年6月8日 (月) 17:45 (UTC)
- 返信 ありがとうございます!紹介していただいた資料の記述の方が英語版Wikipediaより遥かにわかりやすいですね。こちらを元に書き直してしまおうと思います。--TEN(会話) 2020年6月9日 (火) 11:35 (UTC)
- 返信 つちくらです。多くの記事を翻訳してもらい、ありがとうございますm(_ _)m。今はシン・シャル・イシュクンの記事の校正作業中ですが、これが終わったら(あるいはアッシュール・ウバリト2世も終わったら?)、ニップルの記事の校正作業にかかりたいと思います。英語版記事が問題を含むようなので、ある程度のところまで作業のめどがついたら、作業終了をお知らせいただければと思います。よろしくお願いします。--つちくら(会話) 2020年6月9日 (火) 19:31 (UTC)