ノート:ニコラエ・チャウシェスク
国際収支
[編集]>1989年当時、ルーマニアは貿易赤字に苦しんでおり、 という記述が見られますが、実際は貿易赤字で外国からの口出しを許すくらいなら、いっそのこと 輸入を極端に制限してでも借金は作るべきではないという指針のもとで、ルーマニアは国際収支では 優等生だったはずですよ。そのかわり、満足な物資を輸入できないので国民生活は窮乏しましたが。 詳しい資料が手元にないので、修正まではちょっとやめときます。--匿名
飢餓輸出までしてたって話ですよね、僕も聞いたことがあります。 あと、「大量虐殺の証拠がなかった」というのとティミショアラの件は矛盾しませんか? どういうことなんでしょう。詳しく説明して下さる方がいらっしゃいませんかね?--VSA-itama 2005年12月31日 (土) 05:32 (UTC)
該当部分を執筆したものですが、その部分の根拠は「ルーマニア史」(ジョルジュ・カステラン)の日本語版だったと記憶しています。(今すぐ手元に出せませんが)これには、不正蓄財が見つからなかったことと、チャウシェスク時代に執行された死刑の数はどんなに多い推計をしても3桁台で、20年間でこの数はそう多すぎるともいえないと述べられています。なお、この書籍は原書よりも日本語版のほうが大幅に書き加えがされているので参照にされるのでしたら日本語版でお願いします。飢餓輸出の話ですがそちらのほうがデマなのではないかと思います。根拠が明示できないのが残念ですが。ルーマニア語には「餓死」を意味する語がありません。腹が減ったらそのへんの畑のキャベツを取って食ってしまうから、腹が減って死ぬ人間はいないから、だそうです。(実際、物流網が整備されていないおかげで、キャベツもジャガイモも大量に畑で腐るのを待っているので文句を言う人はいないそうです)ブカレストなどの都会で若干の餓死者が出た可能性はありますが。食べ物で困ったという時代はこの国にはなかったようです。ただ、この話は伝聞で、「ルーマニア人の誰々が語ったところによると」とか書いても根拠とはなりえないと思いますので本文には書いてません。今でも物流の中心が馬車で、田舎では食物を含め自給自足の国なので、一般的な日本語使用者とは感覚が違うかもしれません。Modeha 2006年2月21日 (火) 10:08 (UTC)
確認しました。該当部分は「ルーマニア史」の訳者補遺に書いてあります。ルーマニアの新聞「自由ルーマニア」が、処刑容疑になった大量虐殺の根拠の提示を求めたのに対し、救国戦線側は情報源を明らかにできなかったこと、1992年に救国戦線が分裂したことなどが書いてあります。ちなみに、石油ショック、1977年ブカレスト地震による災害、巨大石油プラントを立ち上げようとして(ルーマニアは産油国です)うまくいかなかったこと、これらから貿易赤字が増えていたこと、1980年代に凶作が続いたこと、1987年に蜂起があったこと、秘密警察を濫用したこと、1989年はじめに密かに国外に脱出したり、チャウシェスク政権の問題を指摘したたりした人物が複数いたこと、などが失脚の理由に挙げられています。この本の筆者も、革命は外国によって仕組まれたという説をとっているようですが、単なる陰謀説で根拠がないと言われるのを避けるためでしょう。そういう書き方はしていません。(そうとしか読めない書き方はしていますが)Modeha 2006年2月21日 (火) 10:46 (UTC)
長男が養子だという記述
[編集]長男のヴァレンティン・チャウシェスクが養子だという記述についてです。en:Nicolae_Ceaușescu、en:Elena Ceaușescu、en:Valentin_Ceaușescu、en:Ceaușescu_familyなどの現行の版には、長男が養子であるとは書かれていません。過去の版ではそう書かれていたようですが、除去されています。ネット上で少し調べたところ、1990年代の英語の報道で"adopted son"(養子)と書かれているものが見つかりましたが、近年の報道で養子とするものは見当たりませんでした。以上のことから、養子だというのは疑わしく思われます。
en:Talk:Valentin_Ceaușescuの"Adoption infirmed"という節に、この件についての議論があるのを見つけました。そこには長男が養子ではなく実子であることの根拠として、長男のインタビュー記事[1](ルーマニア語)が挙げられていました。
私はルーマニア語を知らず、上記インタビュー記事の内容を確認できません。どなたかルーマニア語に堪能な方、インタビューの内容をご確認頂けませんでしょうか。--侵入者ウィリアム(会話) 2015年11月8日 (日) 19:19 (UTC) 書き直し。--侵入者ウィリアム(会話) 2015年11月8日 (日) 19:45 (UTC) リンク修正 --侵入者ウィリアム(会話) 2017年12月2日 (土) 01:45 (UTC)
- 上記インタビューを読みました。該当箇所を訳すとこうなります。「1948年に生まれたこのチャウシェスク家の長男は、自分が独裁者夫妻の養子であるという広まっている伝説を「真実でない」として再度否定した」(Nascut in 1948, fiul cel mare al familiei Ceausescu a mai demontat o legenda care circula, si anume ca ar fi fost adoptat de cuplul dictatorial: “Nu este adevarat”.)。ヴァレンティン自身が否定したのは本当のようです。ただ英語版の議論en:Talk:Valentin_Ceaușescuでは、彼が自分で否定しただけでは決定的な証拠ではないとの意見もありますね。--Spanzuratoare(会話) 2018年1月6日 (土) 07:56 (UTC)
- 情報ありがとうございます。近年のルーマニア語での報道言及ではどのような感じでしょうか。(1)養子と断言されているのか、それとも(2)「養子ではなく実子である」と明確に否定されているのか、あるいは(3)「養子とも噂されるが本人は否定している」という感じに言葉を濁しているのか、そのあたりをご教示頂けると幸いです。
- 現状のWikipedia日本語版記事では「養子である」と断言しています。もし近年のルーマニア語での言及が上記の(1)のような感じであれば、現状の日本語版の記事で問題ありません。もし近年のルーマニア語での言及が(2)あるいは(3)のような感じだとしたら、Wikipedia日本語版記事もそれに沿った表現に改めた方がよいと思います。--侵入者ウィリアム(会話) 2018年1月6日 (土) 09:31 (UTC)
- 追伸です。翻訳して頂いた日本語文とルーマニア語原文とを手掛かりにして、「養子(の息子)」とはルーマニア語で"fiul adoptat"と言うのだろうと当たりをつけ、"fiul adoptat" "Valentin Ceaușescu"でGoogle検索してみたところ、何やらヴァレンティンに関する2012年のルーマニア語記事を見つけました(こちらの記事です)。このルーマニア語記事で"fiul adoptat"を含む部分の文をExcite翻訳やGoogle翻訳にかけてみた感じだと、どうも「養子と噂された」という言葉を濁す表現になっているように見えますが、いかがでしょうか?--侵入者ウィリアム(会話) 2018年1月6日 (土) 09:42 (UTC)
- ヴァレンティンに関して長年追ってきたわけではないのですが、今見た限りでは、こちらの2016年の記事でも、この2016年の記事でも2017年の記事でも、「息子」「長男」であると言っており、養子問題に関してはまったく触れていません。次の2つの記事は養子問題に触れていますが、この2017年の記事では、「長い間彼が養子であるという憶測がなされた」と、この2015年の記事では、「長い間、彼が養子であるという伝説が広まってきたが、この説を裏付ける具体的な証拠が提出されたことは一度もない」とあります。ご教示いただいた記事では、「一時期、彼がチャウシェスク夫妻の養子であるという噂が立った」とありますので、ご認識の通りです。以上を考えると、(2)と(3)の合わせ技で、「長年養子であると噂されてきたが、本人は明確に否定している。養子説を裏付ける証拠も出ていないため、2017年現在のルーマニアでは、実子であると一般的にみなされている」あたりが落としどころなのかなと思います。ルーマニア語Wikipediaのro:Valentin_Ceaușescuでも、「チャウシェスク夫妻の実子であるが、養子であると根拠なく噂された」と書かれていますね。もっともこの記述を裏付ける典拠はないのですが。--Spanzuratoare(会話) 2018年1月6日 (土) 16:00 (UTC)
- わかりました。それでは現行の記事の要検証範囲(この部分)を以下の文で差し替えたいと思いますが、ご同意頂けますでしょうか。
- --侵入者ウィリアム(会話) 2018年1月6日 (土) 22:21 (UTC)
- 同意します。問題ないかと思います。--Spanzuratoare(会話) 2018年1月7日 (日) 10:51 (UTC)
- ヴァレンティンに関して長年追ってきたわけではないのですが、今見た限りでは、こちらの2016年の記事でも、この2016年の記事でも2017年の記事でも、「息子」「長男」であると言っており、養子問題に関してはまったく触れていません。次の2つの記事は養子問題に触れていますが、この2017年の記事では、「長い間彼が養子であるという憶測がなされた」と、この2015年の記事では、「長い間、彼が養子であるという伝説が広まってきたが、この説を裏付ける具体的な証拠が提出されたことは一度もない」とあります。ご教示いただいた記事では、「一時期、彼がチャウシェスク夫妻の養子であるという噂が立った」とありますので、ご認識の通りです。以上を考えると、(2)と(3)の合わせ技で、「長年養子であると噂されてきたが、本人は明確に否定している。養子説を裏付ける証拠も出ていないため、2017年現在のルーマニアでは、実子であると一般的にみなされている」あたりが落としどころなのかなと思います。ルーマニア語Wikipediaのro:Valentin_Ceaușescuでも、「チャウシェスク夫妻の実子であるが、養子であると根拠なく噂された」と書かれていますね。もっともこの記述を裏付ける典拠はないのですが。--Spanzuratoare(会話) 2018年1月6日 (土) 16:00 (UTC)
- ^ a b c “Copiii DICTATORULUI comunist. Valentin Ceaușescu, fiul model al unei familii-problemă” (ルーマニア語). Evenimentul Zilei. (2015年6月1日) 2018年1月7日閲覧。
- ^ Eugenia Alexandrescu (2017年8月3日). “Femeile din viața lui Valentin Ceaușescu. Cum arăta prima soție, antipatizată de dictatori” (ルーマニア語). Click! 2018年1月7日閲覧。
- ^ Dan Filoti (2006年5月30日). “'Mega-interviu' cu Valentin Ceausescu” (ルーマニア語). Ceausescu.org. 2018年1月7日閲覧。
済(インデント戻します)合意が取れましたので、先ほど上記の差し替え文を用いて修正しました(差分)。Spanzuratoareさん、ご協力ご助言どうも有難うございました。--侵入者ウィリアム(会話) 2018年1月7日 (日) 11:27 (UTC)