ノート:ナザレのイエス
この記事は2013年3月11日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
この「ナザレのイエス」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2007年12月10日 | 月間強化記事賞 | 良質な記事自動選出 |
2. | 2010年2月24日 | 良質な記事の再選考 | 維持 |
3. | 2010年7月18日 | 良質な記事の再選考 | 維持 |
4. | 2012年1月9日 | 良質な記事の再選考 | 除去 |
過去ログ一覧 |
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編集提案
[編集]福音書からみた「史的イエス」の項目の次に以下のような文を追記したいと思います。(下書きです。)
新約聖書から見た「史的イエス」(注、歴史的に見ると新約聖書の著作の中でこの世に存在していたことが確認できているのは、ナザレのイエスとパウロのみである。史的イエスの概略とパウロ自身によるものであることがはっきりしている書簡に基づいて、新約聖書から見た「史的イエス」について見ることが可能である。)
新約聖書から見た史的イエスの生涯
・紀元前6年ないし紀元前4年ごろナザレのイエスはベツレヘムに生まれる。
・バプテスマのヨハネの団体と何らかの関係があった。
・他界する3年ほど前からナザレのイエスはガリラヤで宣教を開始する。
・パウロはユダヤ教徒であった。
・紀元後30年ごろ(注Jesus | Britannica.com)刑死によってナザレのイエスは他界する。
・イエスはキリストだとする集団が生まれた。
・パウロは多数のキリスト教徒を取り締まり、牢に入れた。
・パウロはキリスト教徒となった。
・書簡の中で、パウロは死んだはずのナザレのイエスに出会ったことがあるとしている。1コリ15-9
(注、伝聞としてイエスが復活したことや、12弟子や500人以上の人が死んだはずのナザレのイエスに出会ったことがあるということを聞いているということを書き記している。)
--Tokinokawa(会話) 2020年4月18日 (土) 03:01 (UTC)
問題が無いようですので、本文に移しました。--Tokinokawa(会話) 2020年5月1日 (金) 07:34 (UTC)
冒頭部分の編集冒頭部分を下記のように編集したいと思います。
ナザレのイエス
(ヘブライ語: יְהוֹשֻׁעַ/יֵשׁוּעַ הַנָּצְרִי, Yĕhôshúʿa/Yēšūă‘ Hannāṣrî, 古典ギリシア語: Ἰησοῦς ὁ Ναζαρηνός, Iēsūs ho Nazarēnos, 古典ラテン語: Iesus Nazarenus)または史的イエス、歴史的イエス(英語: historical Jesus, 紀元前6年から紀元前4年頃 - 紀元後30年頃)は、紀元1世紀にパレスティナのユダヤの地、とりわけガリラヤ周辺で活動したと考えられている人物である。キリスト教、イスラム教等に大きな影響を与えた。(注、山上の垂訓の中核に位置するものとして、主の祈りがある。出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P91) 人間は平和の神の子として平等であること(マタイ5-9)(フィリピ人への手紙4-9)、神は父なる神であること、また、太陽や降雨などの環境を整えていて、人間をはじめ鳥類などの生き物を神は日々養っている。日々の祈りをもって神とともに歩み、隣人を大切にして生きること(ガラテヤ5-13)などを説いた。
1概略
・「ナザレの」とは『福音書』と『使徒言行録』でイエスが「ナザレのイエス」と呼ばれていることによる。イエスという名は当時めずらしくなく、姓の風習もなかったため、しばしば出身地を含めた呼び方で区別されていた。キリスト教においてはイエス・キリストと呼ばれる。
・史的イエスの存在 存在についてはフラウィウス・ヨセフス、タキトゥス、スエトニウスなどの近い時代の歴史家がその著作の中で言及している。
2 名前
3 生涯
3.1 イエスの教え
.1.1 福音書の記述と高等批評
.1.2 福音書からみた「史的イエス」
・新約聖書から見た史的イエスの生涯
.1.3 神の愛による救済と隣人愛
.1.4 神の国の実現の時が迫っている。・・・・以下同じ。
--Tokinokawa(会話) 2020年4月18日 (土) 14:55 (UTC)
概要の項目の追加
[編集]①上記提案の「1概略」を概要に変更し、・「史的イエスの存在」の下に下記の文章を入れたいと思います。
主の祈りにある崇拝の対象と信仰の在り方 ・・・略・・・ 注、マルコ12-29においては、神は唯一の神ではなく、(唯一の神と表記すべき個所を)一なる神と表記しているとされている。『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P53 )( マルコ9-38から40 には、唯一神教に見られがちな、排他性・異端排斥とは異なる立場が記されている。 後のキリスト教とは異なり、異端信仰については、これを止めてはならないとナザレのイエスはしたとしている。〕 ・・・略・・・
②2.1.4 神の国の実現の時が迫っているの項目に一つ(注)を付けたいと思います。
『マルコによる福音書』は、イエスがヨハネより洗礼を受けたあと「ときは満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と述・・・・という教えである。(注 この箇所は、直訳すると「福音の中で信ぜよ」となる。「福音」が対像的であるよりは、生きた空間ないしは場であることを示唆しているとする。「神の福音」はユダヤ教イエス派の定型表現とされる。『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P5)
③・新約聖書から見た史的イエスの生涯 の項目の中に
「福音書等の成立年代と著者」
を入れたいと思います。内容は「キリスト教」と同じです。--Tokinokawa(会話) 2020年5月11日 (月) 00:21 (UTC)
問題が無いようですので、本文に移行しました。--Tokinokawa(会話) 2020年5月18日 (月) 09:01 (UTC)概要部分が削除となりましたので、省略しました。--Tokinokawa(会話) 2022年1月25日 (火) 03:09 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2022年1月25日 (火) 03:11 (UTC)
- 問題が多々あります。具体的に書きたいのですが時間がありません。できればノートでの過去ログをお読みになった上で勉強し直していただき、自らの手で編集を差し戻していただくよう要望します。--おーた(会話) 2020年5月20日 (水) 00:04 (UTC)
ナザレのイエスの終末観について
[編集]新約聖書から見た史的イエスの生涯、の次に「ナザレのイエスの終末観」の項目を入れたいと思います。・・・略・・・ナザレのイエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている。<『新約聖書』岩波書店P495(1テサ5:1の注19 青野)>また、マタイ福音書24:36にも同様の言葉があり、その言葉もイエスによる直伝であるとされている。・・・略・・・--Tokinokawa(会話) 2020年11月30日 (月) 02:55 (UTC)一部修正--Tokinokawa(会話) 2020年12月1日 (火) 01:50 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2020年12月3日 (木) 01:17 (UTC)削除されたようですので、省略しました。--Tokinokawa(会話) 2021年10月27日 (水) 07:01 (UTC)
ナザレのイエスを取り巻いていた状況
[編集]ナザレのイエスの終末観の次に、下記の文を載せたいと思います。・・・略・・・エッセネ派の中核部分は隠遁していたクムラン教団とされ、都市部に住んでいたのがエッセネ派であるとされる。・・・略・・・<『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P7 エッセネ派 新約聖書翻訳委員会>--Tokinokawa(会話) 2020年12月1日 (火) 08:37 (UTC)本文に移行--Tokinokawa(会話) 2020年12月20日 (日) 08:02 (UTC)削除されたようですので、省略しました。--Tokinokawa(会話) 2021年10月27日 (水) 07:01 (UTC)
「主の祈りにある崇拝の対象と信仰の在り方」への追記について
[編集]下記の文を項目の次に追記したいと思います。
主の祈りは、地上に生きる者が天地創造の神に呼びかけるというスタイルを取っている。この祈りは、全体として「願い事」よりも、「誓い」に近いとされている。<『聖書、コーラン、仏典』中村圭志著 中央公論新社 2017年 P4> ここでは、神に呼びかける前提として、すでに自分に負い目のある人を赦してきたという自分の生き様が神の前に語られており、誘惑のくだりにおいては、実質的に、私は悪の誘惑に陥らないようにしますという宣言が為されていると解釈することが出来る。主の祈りの要点は、神中心の世界観に没入して生きよということが述べられていると見ることが出来る。それは例えば、空の鳥のようにシンプルに生きよということであり、また、そうなるには修行が必要であるとされているのである。その理由としては、空の鳥は嵐や猛禽に襲われても自若として死んでゆくからであるとされる。<『聖書、コーラン、仏典』中村圭志著 中央公論新社 2017年 P92>--Tokinokawa(会話) 2021年8月27日 (金) 02:14 (UTC)
- コメント 史的イエスの記事にそれを書く必要はありません。主の祈りあたりで提案されてはいかがですか。「概要節」も概要になっていないので不要に見えます。「「ナザレの」とは~」から始まる一文は「名前節」に含まれればよいですし、「存在についてはフラウィウス~」の一文は冒頭か「史的イエス」の節にあれば良いように見えます。--Strangesnow(会話) 2021年8月27日 (金) 03:57 (UTC)
- 返信が遅れました。 コメントありがとうございます。提案の件については、そのようにしたいと思います。また、「主の祈り」という言葉については、岩波の新約聖書の解説によれば、これは、編集者が表題として付け加えた言葉であるらしいということです。実質的には、ここは、山上の垂訓の中核にあたるということですので、岩波の新約聖書の解説の見解に従えば、「主の祈り」とされる部分は、ナザレのイエスの教えの本質が伝承されていると考えてよいのではないかと思われます。--Tokinokawa(会話) 2021年10月27日 (水) 07:16 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2021年10月27日 (水) 07:18 (UTC)
- いずれにせよ「史的イエスの概要」としては不要な記述であるように思います。冒頭で唐突に「主の祈り」について書かれても読者は混乱するばかりでしょうし、詳しく書くと「概要」から逸脱してしまいます。史的イエスの言行については既にナザレのイエス#イエスの教えで触れられていますし、それ以上は福音書からの分析がほとんどになりますから、史的イエスよりもイエス・キリストと関連付けたほうがより読者に親切であるようにも思えます。やはり主の祈りか、山上の垂訓の中核にあたるとおっしゃるのであれば山上の垂訓などになるように思いますが、そちらでご提案されてはいかがでしょうか。(追加したいと仰る記述を拝見する限りでは「主の祈り」で議論したほうがよいかなあとは思います)--Strangesnow(会話) 2021年10月27日 (水) 07:56 (UTC)
- 歴史上の人物としてのイエスについて見た場合、その人物の人となりや生き方の中心となっていた考え方がわかるようにすることは、概要として必要であると考えます。「主の祈り」に該当する部分がイエスの教えの中核にあたるとするのは、新約聖書の分析ではなく、訳者の佐藤氏の見解から来ています。このことは、ナザレのイエス#イエスの教えの中の大部分の記述とも、出典の仕方は同じであると言えます。また、ナザレのイエス#イエスの教えの中にも、史的事実を持たない新約聖書の分析に類するものがあるようにも見受けられます。それは、「主の祈り」に限らず、「山上の垂訓」そのものにも、言える様です。そして、歴史や他宗に出てくるイエスは、「イエスキリスト」を指しています。また、このページの記述の多くには、「イエスキリスト」に移行したほうが良いと思われるものも多くあるようです。ナザレのイエスは、その存在自体が疑われるほど、その思想や、何を語ったのかについて、歴史的に見ると、あまりわかっていないようです。概要として、Q文書の文言も私は以前考えましたが、概要として引用するには、これは、人格的な面や、内容に欠けているように感じました。そこで、訳者の佐藤氏の見解が示した、「主の祈り」を二次的な資料として用いることにしました。多くの人が親しんでいると思われる「ナザレのイエスの言葉」とされる部分には、イエスが大切にしていた崇拝の対象と、イエスを信じて歩んだ人々への信仰の在り方が刻まれているように私は感じています。私は、提案をして本文移行をしても、削除される立場にありますので、もし、変えたいとお思いでしたら、そうしていただきたいと思います。--Tokinokawa(会話) 2021年10月29日 (金) 03:06 (UTC)
- ご説明ありがとうございます。以下返答です。
- 概要節は、記事主題の概要を簡潔に伝えるためにあります。そしてあなたの加筆した「主の祈り」の記述に関しては読者にとって伝わらないし不親切であると申し上げている通り、その役を果たしていません。Tokinokawaさんがどのようにお考えになって加筆されたかは理解しましたし、人物像として「人格的な面や、内容に欠けている」とお考えなのもわかりました。しかし、唐突に「主の祈りにある崇拝の対象と信仰の在り方」と出したり箇条書きを置く理由にはなりません(というか、導入部にすでに「人間は平和の神の子として~隣人を大切にして生きることなどを説いた」がありますよね)。
- 「もし、変えたいとお思いでしたら、そうしていただきたいと思います。」と仰られるようですので、近く除去しようと考えています。--Strangesnow(会話) 2021年10月29日 (金) 06:13 (UTC)
今回の提案に関していろいろな話が出ました。これに関連したこととして、わたしが気の付いたことを少し書いてみたいと思います。まず、上にも書きましたが、「イエスキリスト」に移行した方が良いと思われる書き込みが多いという点について挙げられると思います。聖書からの引用について、その聖書を歴史的文書として扱っているものを主体にすべきではないかというのが私の基本的な考えでした。(岩波の聖書には、それがうたってあります。)また、歴史上のイエスについては、ほとんどはっきりしたものがないと考えます。「キリスト」との対比で考えた場合、イエスの家族を含めた多くの取り巻く人はすべて「イエスキリスト」に移行したほうが妥当であると、わたしは考えます。なぜなら、聖母マリアをはじめ、聖書関連の登場人物の多くは、当時、無名の人々であり、その存在も確認されていない人々であるためです。編集者は、既成の事実と受けとめられやすいそれらの人々について書く場合、Q文書の存在を念頭に考えたほうが良いようです。それらの人々は、Q文書を参考にして書かれた、伝説のまじった宣教物語の登場人物という扱いが、歴史的に見て、客観的な態度であると思われるからです。また、ナザレのイエスの思想についても、Q文書にでてくるものはごくわずかのようです。たとえば、「隣人愛」についても、「イエスキリスト」の観点からは、「当然、ナザレのイエスの説いたことだ」となると思われます。しかしそれらの考えは客観性に欠けます。ナザレのイエスはその存在さえ不確かな人だとする見解の学者もいるためです。ですので、「隣人愛」について見た場合、歴史的に見れば、それは、Q文書を参考にしてまとめられた宣教物語の題材と見たほうが客観性があると思われます。評論家の中には、「イエスキリスト」と、「ナザレのイエス」を混同して、「これはナザレのイエスの教えであると」している人も多いようです。しかしそれらの考えを二次資料としてみた場合には、客観性に欠けます。では、ナザレのイエスの説いたこととはいったい何だったのでしょうか。編集者が、二次資料として扱えるものはごくわずかです。Q文書関連と、聖書を歴史的観点から見ているとしている書物であると言えるでしょう。「混同」ということは、ナザレのイエスのことを書くときには、編集者が特に注意しなければいけないことだと思います。私の調べた中には、荒井氏も含まれている「岩波書店の新約聖書」くらいしか見つかりませんでした。その中でも、ナザレのイエスの思想、とされる見解と明記してあったのは、「ナザレのイエスの終末観」、「主の祈り」、など、ごくわずかでした。そのほかに、ナザレのイエスを取り巻いていた当時の状況などが少しありました。(これらのことを考えていたのは一年ほど前になりますので、よく思い出せません。) ・・・略・・・ このような青写真が考えられました。私はこのように、自分の考えを整理することができました。これまでのコメントありがとうございました。--Tokinokawa(会話) 2021年10月31日 (日) 01:47 (UTC)--Tokinokawa(会話) 2021年10月31日 (日) 04:22 (UTC) 不要な部分を削除しました。--Tokinokawa(会話) 2022年1月25日 (火) 03:14 (UTC)
- コメント 記事「イエス・キリスト」と「ナザレのイエス」については前から時々考えていたのですが定見が持てないでいます。以下は私の現在のところの(とりあえず的な)意見です。
結論:イエスについては出来るだけイエス・キリストに書いた方がいいと思います(とくに生涯や教えや終末観や救済など)。理由:「ナザレのイエス」という用語は書名(原題:Jesus von Nazareth)にもなっていて[1]ウィキペディアで言う特筆性の点では問題ないのですが、私が見た範囲(日本語)で「ナザレのイエス」で立項している事典、辞典はありません。私の見る所「ナザレのイエス」すなわちいわゆる学問的用語「史的イエス」についての研究史、研究状況については書けるでしょうが、「ナザレのイエス」そのものを事典として書くのは困難があると思います。福音書に書いてあることが本当に「ナザレのイエス」の言葉・行動なのか研究者によって意見が分かれるからです。研究者がイエスについて問題なく意見が一致するのはイエスが洗礼を受けたことと死刑にされたことの2つだけだそうです(史的イエスの資料導入部を参照)。新約聖書所収のキリスト教徒が書いた四福音書に書いてあるのは「イエス・キリスト」についてなので(他にもグノーシス的な古代の福音書も数々あるそうです)、ウィキペディアでも「イエス・キリスト」の項目に書くのが無理が無いと思われます。英語版ではen:Jesusにまとめて書いてあって、en:Jesus of Nazarethはリダイレクトです。ただしドイツ語版やフランス語版では「ナザレのイエス」に当たる用語で立項していますが(de:Jesus von Nazaret, fr:Jésus de Nazareth)……。--Lmkjgmo(会話) 2021年11月11日 (木) 22:57 (UTC)--Lmkjgmo(会話) 2021年11月12日 (金) 07:45 (UTC)
- 補足です。1998年の本で、もう20年以上前の本ですが『イエス研究史』ISBN 4818403210 所収の山内眞「現代英語圏のイエス研究」に「かつてJ・ヴァイスやA・シュヴァイツアーらによって提唱され、ブルトマン達によっても継承された「終末論的預言者」というイエス像が大きく後退している」(318頁)と書いてあります。これ一つを見ても、ナザレのイエスすなわち史的イエスについては、誰の研究ではかくかくしかじか、その後の研究者はこう主張した、のようにしか書けないのではないかと思います。--Lmkjgmo(会話) 2021年11月12日 (金) 12:34 (UTC)--Lmkjgmo(会話) 2021年11月12日 (金) 12:43 (UTC)
- コメント 記事「イエス・キリスト」と「ナザレのイエス」については前から時々考えていたのですが定見が持てないでいます。以下は私の現在のところの(とりあえず的な)意見です。