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ノート:ドレスデン爆撃

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本文に「国際法に違反」とありますが、ハーグ陸戦条約は空襲には適用されないという見解もあるようです? --忠太 2006年3月10日 (金) 14:10 (UTC)[返信]

「国際法に違反」を書き加えたものです。少し探してみました。Wikipedia内の無防備都市宣言や外部の[1][2]には、「軍隊が接触している地帯の付近またはその中にある居住地」でなければ無防備都市宣言は無効とあります。なので、軍隊が迫っていない状態で宣言して空襲を避けようとしても無駄である、という話のようです。
逆に言えば、軍隊が迫っており無防備都市宣言が有効な状態では、「第25条:無防備都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃することを禁ず。」により空襲も禁止、国際法違反となると思われます。(いかなる手段をもってしても、というぐらいですから・・・)
で、ドレスデンにこのときどの程度軍隊が迫っていたかですが、少なくとも連合軍はドイツ国内西部に、ソ連軍はポーランド・ハンガリーまでは来ているようです。[3]
この距離で無防備都市宣言の扱いがどうなるのかまでは判りませんでしたが、個人的には有効であり攻撃は国際法違反なのではないかと思います。認識間違いなどありましたら、ご指摘お願いします。--Honeplus 2006年3月10日 (金) 17:29 (UTC)[返信]


「無防備都市宣言」ですが、消していただけないでしょうか。「無防備都市宣言」の項目でのディスカッションをご覧になれば、ドレスデンのそれはまさに火のないところに煙が立ってしまったということが、お分かりいただけると思います。 --Bratwurst 2007年3月28日 (水) 04:26 (UTC)[返信]

上記投稿から2週間ほど経過しましたが、反応をいただけませんでしたので、私の責任(つまり、執筆者の方、ならびに他の方々からの反論等にお答えする任を引き受けるという意味です)で「無防備都市宣言」の記述を削除しました。ネット上に数百箇所この記述があり、その大半がこのWikipediaに依拠していることを考えますと、かなり責任の重い記述であり、削除実行にもそれなりの覚悟がいることは、承知しています。が、「無防備都市宣言」のノートでそれなりに議論を尽くし、ドレスデンに関する記述を削っていただいた経過を読んでいただければ、冷静な方には納得していただけると思います。「ドレスデンが無防備都市宣言をしていたのに無差別爆撃を受けた」というのが、「無防備都市宣言運動」に反対する人の根拠になっているのも認識しています。あの運動に賛成していない私としては、実に頭の痛い話ですが、明白な誤りは誤りとして早く訂正しておかないと、後になればなるほど取り返しがつかなくなります。特に運動反対派の方たちのご理解をお願いします。間違った話を根拠にし続けると、後の怪我が大きくなりますので。 --Bratwurst 2007年4月12日 (木) 04:49 (UTC)[返信]

リンク先のノート拝見しました。ほぼ日本だけで信じられていた話のようで、載せ続けていたのは遺憾です。削除お手数おかけしました。--Nopira 2007年4月12日 (木) 07:56 (UTC)[返信]

3月22日(実際には23日のようですが)に提示いただいた2カ所の出典について

私が「要出典」と書き込んでから、1時間を経ずしてHideokunさんからネット上の出典を示していただきました。この項目にこれらのことを書きこんだご本人ではないようですが、迅速な対応ありがとうございます。

1.「無防備都市宣言」の出典について

ご教示いただいたのは、2010年2月13日のドレスデンでの空襲記念日の追悼行事、ならびにネオナチ等の衝突を伝えるDeutsche Welle放送の英文記事です。この記事自体の信頼度は高いと思われます。この記事の中に"open city"という言葉が出てきますので、検索に引っかかったのだと思いますが、この"open city"は無防備都市宣言とは関係がありません。現ドレスデン市長が、「ドレスデンを平和で開かれた都市に、不寛容や下劣な行為に対する砦にしよう」と、追悼式典で述べたという文脈です。

「ドレスデンの無防備都市宣言」という幻については、このノートの上にもありますように、3年前にそれなりに議論して、削除してもらいました。が、先日この項目を見ていたら復活していて天を仰いだという次第。 他の出典やご異論がなければ、この記述を削除するだけでなく、注をつけて、この話が日本だけで流布している誤謬であることを明示します。

2.「空襲当日のゼンパーオーパーでの上演」について

第三帝国のオペラハウスは、1944年の夏ですべて閉鎖されていました。ゼンパーオーパーで魔弾の射手が上演されたのは、その閉鎖前、44年8月のことだそうです。ただし、空襲寸前まで通常の市民生活が営まれていたことは確かなようで、私が見たDVDでは、生存者の証言として、空襲当夜にサーカス公演があったという話が語られていました。

ここで出典として挙げられている文献は、大学の先生によって上手な文章で綴られていますが、研究文献ではなく、情報の確実さでは問題なしとしません。「無防備都市宣言」もまことしやかに書かれていますし、ドレスデンの建物が黒ずんでいるのを、空襲で煤けたとしているのは、よくきく俗説ですが、やはり間違いです(本当は建材の砂岩に含まれている成分の酸化だそうで、19世紀の写真を見ても黒ずんでます)。

この項目についても、異論がなければ削除したいと思いますが、いかがでしょうか。--Bratwurst 2010年3月23日 (火) 05:23 (UTC)[返信]

 ・ドレスデンの建物が黒ずんでいることが空襲のせいというのは俗説で間違いで削除したい、とのBratwurstさん2010年3月23日 (火) 05:23 (UTC)のノートの記述  を拝読しましたが、本日現在いまだ掲載されています。私は本件判断しませんが、その点をノート上に記録しておきます。--Mmjinger会話2014年4月7日 (月) 15:15 (UTC)[返信]

  • ドレスデンの無防備都市宣言については[4]の方がふれています(某大学の名誉教授)が、どうもWikipediaが情報源になっているような気配があり確証性は疑問符です。影響が馬鹿にできないようなのでぜひ確証できる資料が欲しいところですね。--大和屋敷 2010年3月23日 (火) 03:37 (UTC)[返信]


すみません、署名を忘れていたので、後から追加しました。その名誉教授さんの情報源として考えられるのは、Wikipediaか、その影響を受けた文献ないし観光ガイドさんの説明ではないでしょうか。「なかった」という証明は至難の業ですが、ドレスデン空襲についてのあらゆる文献のどこにも、何月何日にどこの誰によって「無防備都市宣言」が出されたという話は出てきません。そして、空襲を糾弾する側の文献ですら、「無防備都市宣言」は言及されていません。これはもう「なかった」と言ってよいと思います。--Bratwurst 2010年3月23日 (火) 05:23 (UTC)[返信]


出典を追加したものです。すいません、無防備都市宣言はここを入れるつもりが間違えたものです。お詫び申し上げます。ただ、発言者がイギリスの極右のエディ・モリソンなのがどうかなと・・・・。ちなみに日本語訳してくださった方がおられましてここになります。一概にリンク先を信用できるか?と言われれば頭をひねるのは事実です。ドレスデンが無防備都市宣言をしたかどうか?といわれると私は大管区の中心地であったドレスデンが行なうとは思えない、というのが正直なところなのですが、出典を追記することには意味があると考えて追記しました(もっとも違う出展を追記しましたが・・・)。Bratwurstさんには何か確信じみたものがあるように感じます。できればそのことをご紹介いただければ、今後、無防備都市宣言について加筆されたときでもそれを除去する根拠として使用できると思います。なお、後者の『魔弾の射手』についてはなんともいえません。ただ、何を根拠として書いたのかがわからない状態では弱いと言われてもしかたがないのかな?とも考えます。--Hideokun 2010年3月23日 (火) 16:32 (UTC)[返信]


ご説明ありがとうございます。そのモリソンの記述ですが、3年前に無防備都市宣言のノートで議論した際に取り上げられています。彼ともうひとつやはり「右寄り」のサイトを見つけたのですが、どちらも「実質上無防備都市だった」というような表現でごまかしていまして、逆にそうした宣言がなかったことに傍証を与えています。詳しくはそちらをご覧下さい。あの日本語訳サイトですが、「無防備都市宣言」があったと信じ込んでいる人が訳せば、ああなるでしょうけれど、かなり恣意的な誤訳としか言いようがないです。それについても、上記の無防備都市宣言の項目のノートをご覧下さい。
私の「確信」ですが、25年前に初めてドレスデンを訪ねて以来、あの町を何度も訪問し、本を読み、映画やDVDを見ても、日本発の情報以外では「無防備都市宣言」が出てこないということに尽きます。しかもこうやって3年前と同様に冷静に議論に応じてくださる方たちと情報を交換して(つまり自分の独りよがりではなく)、なお出てくる結論が「なかった」しかないというのも、「確信」を補強しています。--Bratwurst 2010年3月23日 (火) 17:09 (UTC)[返信]
なるほどノート:無防備都市宣言を見て会心しました。どうもプロパガンダ化される可能性もある危険な記述のようですね。公式な記録でも出ない限りは記述しないほうが安全ということですね。後はBratwurstさんにお任せいたしましょう。私の作業によりご面倒をお掛けしたことをお詫びします。--Hideokun 2010年3月23日 (火) 17:27 (UTC)[返信]
ありがとうございます。2月に「無防備都市宣言」を書き加えた方からまだ反応がないので、数日待って新しい情報等が出て来なければ、関連箇所を書き換えさせていただきます。「ご面倒」などとんでもないことで、つねに情報・見解をクロスさせていくことで、自分の知識の精度を上げていくことができます。しかもHideokunさんの出典提示で、このことが印刷メディアにまで広がっていることがわかりました。おつきあいいただきありがとうございました。--Bratwurst 2010年3月24日 (水) 00:28 (UTC)[返信]
上記から10日待ちましたが、「無防備都市宣言」を書き加えた方からも、他の方からも、新たな根拠の提示がありませんでしたので、この記述と「無防備都市宣言」へのリンク、それに上で問題としたゼンパーオーパーの空襲当夜の上演の記述を削除しました。「ドレスデンの無防備都市宣言」というのは、「広島が無防備都市宣言を出していたが原爆を落とされた」というのと同じ程度の話だと考えていただいてもいいと思います。それがWikipediaに載ったばかりに「常識」と化して日本のネット空間に拡散したというのは、ネット情報の問題点を考える恰好の材料となるでしょう。--Bratwurst 2010年4月4日 (日) 14:24 (UTC)[返信]

死体の写真

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顔がアップの死体の写真がいくつか掲載されていますが、このような写真を掲載する必要はあるのでしょうか?このようなものは見たくない人もいると思いますし、掲載するなら記事のトップにそのような警告が必要です。また、他の空爆記事や、他言語版との関連でも違和感を感じます。たとえば多くの死体を遠方から写した写真などは、一定に意味を持つかもしれませんが、死体の顔のアップは何か一定の政治的メッセージにすら感じられます。--79.244.0.199 2011年6月13日 (月) 18:13 (UTC)[返信]