ノート:ドラえもんの最終回
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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『ドラえもん』の編集中に32KB以上の警告表示が出たため、最終回に関する項目を移動しました。30rKs56MaE 2004年10月10日 (日) 19:43 (UTC)
「レジスタンス活動を云々」の部分って異質じゃないですか?ほかと比べて明らかにバランスが悪いし、何だか創作の発表場所になっているような。--cpro 2006年7月28日 (金) 06:55 (UTC)
「『さようなら、ドラえもん』は「最終回」ではない」は、一部のファン等による仮説に過ぎません。ちなみに、ファンサイト「藤子不二雄atRANDOM」では、現在でもサイト内記事で「最終回」説を掲げており、掲示板には「最終回ではない」説に対する反論も投稿されています。61.121.81.159 2006年7月29日 (土) 04:34 (UTC)
- 逆に「当初は本当の最終回であった」説も単なるファンの仮説ですよね。「藤子不二雄atRANDOM」も確かに藤子データベースや解説としては素晴らしいサイトですが、その内容の考証に当時の担当者その他事情に詳しい方が参加している訳ではありませんし、単なるファンサイトの一つに過ぎません・・。それに漫画連載といってもれっきとした契約事業ですから「今月で終わりにしたかったけれど、やっぱり来月も書かせて」と言うような訳はいかないのが事実です。漫画連載の終結の場合、漫画家は担当者と事前に契約満了を互いに確認しなければなりません。金銭契約だからです。もし藤本さんが本当の最終回として企画したならば、だいぶ以前に担当者と打合せをして、小学館の決裁を取っているはずですが、これらの記録もまた何も現存していないんですよね。なお、藤本さんは今から20年以上前に、この話について読者からの質問があったときに、「始めから前編後編だったんです。本当に終わらせるわけじゃなかったんですよ。エイプリルフールですから」等と冗談交じりにコメントしたことがありまして、この言葉の上っ面だけを読めば、「本当の最終回ではない」ことになりますが、これが本心だったかどうかというのは、あの世に行ったときに聞いてみないと分かりませんね・・・小学館の当時の担当さんが詳しく暴露してくれれば別ですけれど・・。inaiinaibah 2006年8月24日 (木) 19:40 (UTC)
- ここに置いてある動画を参照のこと。これで最終回説が完全に証明された訳ですね。Mell 2007年1月13日 (土) 12:39 (UTC)
- これでようやく永遠の謎が解けた訳ですね。ようやく当時の小学館関係者の談話が出ましたね。ただ、もう少し時期的なものをはっきり説明してくれていると、最終回初出時掲載分のラストカットの、のび太の部屋のゴミ箱に「tuduku(つづく)」と書かれることになった経緯(つまり「未来の世界へ帰る」初出時にすでに続投が決定していたということ?)が分かるのですが・・・。この動画を見るに、あたかも雑誌に掲載された後で、気を取り直して続編を書くことになったような編集なので、そのへんのマニアックなあたりの辻つまが合うと尚更面白いですね。それにしてもこの動画を見るに、何かのテレビ特番かニュースとして流れた素材のようですが、何処のなんという番組なのかが分かると一層良いですね。出典が何も分からない状態ですので・・・誰か知っている方、いません?inaiinaibah 2007年2月7日 (木) 21:05 (UTC)
- ファンサイトのドラちゃんのおへやの書き込みを見ましたが、どうやら前述の動画の内容は、実際の状況と矛盾している点が多いみたいです。実際に小学館の人が出演して説明を行っていますが、特に雑誌に最初に載った時点ですでにラスト頁に「つづく」と書かれていた事実と、読者の反応で連載続行を決意したという内容が決定的に噛み合わないみたいです。そうするとまだ『完全に証明された』わけにはならない気がしてきました・・・。そのファンサイトでも書かれていましたが、昨今の「あるある」騒動もありますし、制作会社が内容を構築する際に都合良く展開を創作していたら嫌ですよね。本当はどうなんでしょうね??inaiinaibah 2007年2月8日 (木) 17:11 (UTC)
- 初出時に「つづく」と書かれていた件に付いて。私の個人的な空想に過ぎませんが一つの考えを言いますと、3月号の〆切時点よりかなり前に原稿が書かれていたとすれば矛盾は無いと思います。つまり「さようならドラえもん」を書きおわった時点で本の印刷まではかなり間があったとすれば、翻意した後でも最後に「つづく」の文字を入れることは簡単だと思います。
あと、件の動画では「読者の反応で連載続行を決意した」とは言っていないみたいですが。その話は私も以前に何かの本で読んだ記憶があるのですが、はっきりしません。ただ「完全に証明」とは確かに言いかねるようです。 - どちらにせよ言えることは、「最終回説」はこのようなTV番組や本などで何度も言及されており、「ファンの私説」ではないと思います。逆に「非最終回説」は完全に「私説」であると言えるかと。出来ればこのTV番組の名前や書名、ファンサイトの方で挙げられていた「編集からの要望で」と記した資料などを典拠として明記して「本来最終回になるはずであったと言われている。<REF>『○○』『××』などによる。但し細かい事実経緯に関しては矛盾もある</REF>」などと書くのが最も良いかと思います。
- それと「田嶋安恵による同人誌」「ジュブナイル (映画)」などは余談のレベルなので一々説訳する必要は無いように思うのですが、どうでしょうか。Mell 2007年2月8日 (木) 12:52 (UTC)
- 勘違いを削除。Mell 2007年2月8日 (木) 13:01 (UTC)
- 初出時に「つづく」と書かれていた件に付いて。私の個人的な空想に過ぎませんが一つの考えを言いますと、3月号の〆切時点よりかなり前に原稿が書かれていたとすれば矛盾は無いと思います。つまり「さようならドラえもん」を書きおわった時点で本の印刷まではかなり間があったとすれば、翻意した後でも最後に「つづく」の文字を入れることは簡単だと思います。
- そうですね、あの「驚きももの木20世紀」の再現フィルムは大筋は合っているようですが、『その時系列の正確ないきさつは、放送内に収まるように簡潔に構成し直されている』といったところでしょう。小学館の当時の担当さんの説明も、よく聞いてみると明らかに間違っている部分もありますが、それは何せ30数年も前のことですから致し方ないのかも知れません。なお、本文を編集するにしても、「編集側からの要望」については私レベルでは出展も何も分からないので、どなたか分かる方がいらっしゃれば、加筆をお願いしたいですね。??inaiinaibah 2007年2月9日 (金) 8:30 (UTC)
- どんなに多数の媒体でその説が取り上げられていようと、それが事実だと証明されていない限りは「仮説」に過ぎません。そのような根拠不明の説をファン全体の総意のように拡大解釈して記載するのは、閲覧者に不要な誤解を招く恐れがあります。Utengi 2007年2月8日 (木) 16:44 (UTC)
- その「証明」について、逆に同じ小学館が2000年に発売したムック本「ドラえ本」によると、「本当に終わる予定ではなかった」などと書かれているため、同じ小学館の意見が別々なんですよね。とすると、何を以て「事実と証明」というのかが大変難しい問題ですね。『辻つまが合わない』ことだけが残ってしまっていますが、「本当に終わる予定ではなかった」ところへのいきさつとして、あのテレビ番組の中で描かれたことがあったということだけは、おそらく確かなんじゃないでしょうか。どっちにしてもあの番組が100%史実を正確に伝えているという「証明」もないのですが、現在まで公式に出された見解は、現時点であのテレビだけですから、これはこれでよしとしますか。inaiinaibah 2007年2月9日 (金) 8:30 (UTC)
ポパイ・ネクタイ事件の部分
[編集]「絵の著作権は保護されているが、キャラクターの性格には著作権が存在しないというポパイ・ネクタイ事件のような過去の判例もある~」以下の誰の主張か謎の部分を要出典としてコメントアウト。持論の主張であれば、削除対象です。なお、1929年初出のポパイは著作権は消滅しているという大前提があるので、著作権が失効していないドラえもんの事例と単純に比較できるものではありません。ポパイの裁判については [1]や[2]を参照。ついでに著作権上問題があるyoutubeへのリンクがあるサイトの外部リンクも削除しました。--以上の署名のないコメントは、黄色いサクランボ(会話・投稿記録)さんが 2007年7月22日 (日) 08:57 (UTC) に投稿したものです。
アニメ版「帰ってきたドラえもん」について
[編集]記事には、「リメイク版が2007年8月24日放送予定」と書かれていますが、この日は放送が無かったのではないでしょうか。 また、「アニメ版の最終回に成る予定だった」というのも聞いた事がありません。 どこからの情報でしょうか?--S.A.J. 2007年9月1日 (土) 09:55 (UTC)
- 確かに8月24日には放送が無かった模様なので([3]参照)、コメントアウトにしておきました。一体どこから来た話なのか…。--松茸 2007年9月20日 (木) 15:48 (UTC)
「ドラえもん最終話同人誌問題」への分割について
[編集]田嶋安恵の同人誌によって起こった問題については記事「ドラえもん最終話同人誌問題」へ分割することを提案します。--経済準学士 2008年6月28日 (土) 16:37 (UTC)
- (条件付賛成)田嶋安恵にある類似した記述も分割して統合していただけるのなら賛成します。--micro 2008年6月29日(日) 04:57 (JST)
- それよりは田嶋安恵の方に記述を移した上で記述のシェイプアップをした方が良いような気がします。現在のこの記事と田嶋安恵の記事ともに過剰な分量でしょう。かといっていちいち単独項目を作るほどの問題とも思えません。--らりた 2008年7月1日 (火) 12:24 (UTC)
- 田嶋安恵の中に同人誌問題を内包される手法には反対し、「ドラえもん最終話同人誌問題」単独記事作成に固執します。分量が問題なのでれば、「田嶋安恵」を「ドラえもん最終話同人誌問題」に移動し、単独記事「田嶋安恵」を事実上リダイレクト化記事にして、「ドラえもん最終話同人誌問題」と「ドラえもんの最終回」の該当記述を移転することを提案します。--経済準学士 2008年7月4日 (金) 15:00 (UTC)
- それよりは田嶋安恵の方に記述を移した上で記述のシェイプアップをした方が良いような気がします。現在のこの記事と田嶋安恵の記事ともに過剰な分量でしょう。かといっていちいち単独項目を作るほどの問題とも思えません。--らりた 2008年7月1日 (火) 12:24 (UTC)
「ドラえもん最終話同人誌問題」は「ドラえもんの最終回」に内包されるよりも、「ドラえもん最終話同人誌問題」として別個に記事を作成するほうが百科事典の記事としてふさわしいと考えているから。--経済準学士 2008年7月5日 (土) 13:27 (UTC)
- 横から失礼しますが、経済準学士さんは「なぜaをbしたほうがよいと思われるのですか?」という質問に「aをbしたほうがふさわしいと考えているから」などとお答えになるケースが多い気がします。それはなんの説明にもなっていないと思うのですが。--123.224.211.63 2008年7月5日 (土) 13:31 (UTC)
- >それはなんの説明にもなっていないと思うのですが。
- 結局分割提案とはそこにいきつくのではないですか? 記事「ドラえもんの最終回」の目次を見ればわかりますが、「田嶋安恵による同人誌」は
- 記事「ドラえもんの最終回」の中の節「ドラえもんの最終回についての都市伝説」があり
- 節「ドラえもんの最終回についての都市伝説」の中に節「ドラえもんの開発者はのび太説」があり、
- 節「ドラえもんの開発者はのび太説」の中に節「田嶋安恵による同人誌」があり
- と内包される過程においてすでに入り組んだ状況になっています。
- さらに節「田嶋安恵による同人誌」は節「概要」と節「田嶋安恵と、オリジナルストーリー作者との関係」と節「田嶋安恵同人誌事件の反響・評価」とされに入り組んだ記事内容になっています。
- このような記事内において内包に内包を重ね、入り組みに入り組んだ複雑な記述にするよりも、騒動が世間の注目を集めていて一定の分量が存在することを重視して、別個記事を作成することが望ましいと考えたまでです。
- >田嶋安恵の方に記述を移した上で記述のシェイプアップをした方が良いような気がします。
- というのであれば、記事「田嶋安恵」を記事「ドラえもん最終話同人誌問題」に移動する形で作成することも考えます。--経済準学士 2008年7月5日 (土) 13:45 (UTC)
- 分量は少ないですが、記事「田嶋安恵」は田嶋安恵を説明するために要るはずですので、単純に記事「田嶋安恵」を記事「ドラえもん最終話同人誌問題」に移動するべきではないと思います。記事「ドラえもんの最終回」の深層に田嶋の同人誌について書かれていることを気にしているのであれば、まずは該当箇所を記事「田嶋安恵」へ移動し、記事「田嶋安恵」にある同様の記述とまとめるための修正を施せばいいのではないでしょうか。分割を考えるのはそれからでいいと思います。--micro 2008年7月6日(日) 01:02 (JST)
- >記事「田嶋安恵」は田嶋安恵を説明するために要るはず
- 現在の記事「田嶋安恵」が「ドラえもん最終話同人誌問題」の記述を除いて記事分量が十分と考えているのでしょうか? 二行程度のプロフィールと作品リストしかなく、作品の個別記事すらない状況ですが? 記事「田嶋安恵」は田嶋安恵を説明するために要るはずなのであれば、それにふさわしい人物記事の充実させるための記事の発展させる執筆をしていたのか(とてもそうは思えませんが)、又はする予定があるのでしょうか? 「ドラえもん最終話同人誌問題」の記述が殆どを占め、個別作品記事すら存在しない現在の状況下では、記事「田嶋安恵」をリダイレクト記事にしても全然問題なく考えています。
- なお、私は単独記事「ドラえもん最終話同人誌問題」の作成には固執しますが、記事「田嶋安恵」の充実には興味が無く、記事「田嶋安恵」が単独記事で存在するか否かについてはどっちでも構わないことを付け加えておきます。 --経済準学士 2008年7月5日 (土) 17:39 (UTC)
- 分量は少ないですが、記事「田嶋安恵」は田嶋安恵を説明するために要るはずですので、単純に記事「田嶋安恵」を記事「ドラえもん最終話同人誌問題」に移動するべきではないと思います。記事「ドラえもんの最終回」の深層に田嶋の同人誌について書かれていることを気にしているのであれば、まずは該当箇所を記事「田嶋安恵」へ移動し、記事「田嶋安恵」にある同様の記述とまとめるための修正を施せばいいのではないでしょうか。分割を考えるのはそれからでいいと思います。--micro 2008年7月6日(日) 01:02 (JST)
そもそも百科事典として「ドラえもん最終話同人誌問題」は単独項とすべきことでしょうか?私にはそう思えません。現在のこの記事と田嶋安恵の記事で書かれている情報は百科事典として過剰に過ぎると思うのですが。この記事「ドラえもんの最終回」自体が親記事ドラえもんからの子記事ですが、これはかなり広く知られたお話であるので単独項とする理由があると思いました。しかし更に孫の「ドラえもん最終話同人誌問題」まで立項するべきかどうか。もう一度考えてはいただけないでしょうか。私にはこの問題については「田嶋安恵が件の話を元にした同人誌を描き、それがたくさん売れて、小学館が問題視して販売中止に追い込まれた」ことだけを記せば十分に思えます。少なくとも値段の情報など全く無用です。--らりた 2008年7月8日 (火) 13:11 (UTC)
- >そもそも百科事典として「ドラえもん最終話同人誌問題」は単独項とすべきことでしょうか?
- 事件が社会的注目を集めた事実を鑑み、また他の記事とのカテゴリーリンクなどでの記事名と整合性から、単独項すべきです。
- >私にはそう思えません。
- 私にはそう思えます。
- >現在のこの記事と田嶋安恵の記事で書かれている情報は百科事典として過剰に過ぎると思うのですが。
- だったら、「過剰に過ぎる」記述を削ってはいかがですか? 私はたとえ少々の記述は削っても、単独項に値する記述量は存在すると考えます。削らないと立項させていだたきます。
- >この記事「ドラえもんの最終回」自体が親記事ドラえもんからの子記事ですが、これはかなり広く知られたお話であるので単独項とする理由があると思いました。しかし更に孫の「ドラえもん最終話同人誌問題」まで立項するべきかどうか。もう一度考えてはいただけないでしょうか。
- 考えました。立項するべきと考えます。
- >少なくとも値段の情報など全く無用です。
- 値段に関しては件の事件では、ボランティアではなく、著作者に無断で模倣作品を作ってそれを元にお金を徴収していたのですから、必要です。--経済準学士 2008年7月15日 (火) 14:32 (UTC)
- 考えた上でそうされるなら私からは何も言いません。どうぞご自由に。もう私は何も言いません。--らりた 2008年7月16日 (水) 11:41 (UTC)
これは独自研究ですか?
[編集]最初の項目からいきなり「結論」とか出ているのですが、この記事は全部独自研究かなんかなんですか?--24.5.184.255 2008年12月27日 (土) 03:59 (UTC)
- 多くの出典から分かることをまとめ執筆しただけなので、(部分的には意見とか決め付けとか入っていて怪しいですけど)少なくとも「「ドラえもんの最終回」は実在する。市中に流布している都市伝説とは無関係な真正エピソードである」については問題ないかと。
- あと、あまりここで書くことではないですけど、ノートにコメントを書くならもっと建設的な意見をお願いします。他のページのノートも含めて。どんなに正しい事実を言っても否定的な見解を述べるだけという行為には意味はありません。--サトシ・ラドグリフ 2008年12月27日 (土) 05:46 (UTC)
「ドラえもんの開発者はのび太説」を加筆しようとする人へ
[編集]同人誌漫画家による同人誌版を一次資料と信じて疑わない人による編集が後を絶たないので、本文中に検証可能な文献を提示しました。その文献を読んだうえで編集してください。国会図書館内でしか読めないようになっていますが、データ化されているので、上野子ども図書館でも、関西の端末などからでも読むことが可能です。--Tmtm(会話) 2019年10月27日 (日) 18:31 (UTC)