コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:ドアミラー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

外車には治外法権??

[編集]

「1983年に規制緩和」以前における「(フェンダーミラーを義務付ける)日本国内での法令」は、日本車に限っての適用?記事を読む限りでは、外車に対してどのような対応になっていたのかが不明ですが。--306E 2007年6月16日 (土) 02:41 (UTC)[返信]

加筆しました。情報が読売新聞の記事一件のみと心許ないのですが、1977年頃までは輸入車も規制対象だった様です。218.180.214.32 2019年3月27日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

ドアミラーの認可について

[編集]

1978年のトヨタ・ランドクルーザーBJ40型はドアミラーでした。 BJ41にも継承されBJ42でフェンダーミラーになりましたが、BJ70でドアミラーに戻りました。 これはどう解釈したら良いでしょうか?

当時のカタログを見ると、ドアではなくドア直前に取り付けられているのではないでしょうか。[1]218.180.214.32 2019年3月12日 (火) 05:29 (UTC)[返信]
ランクル40系のアウターミラーの取り付け位置は、
  • 当初ドアヒンジ
  • 年月不詳カウルサイド(非可倒式)
  • 1976年(昭和51年)8月からドア
  • 日本国内向けに限り1980年(昭和55年)7月以降フロントフェンダー
だと思います。--天然ガス会話2023年2月22日 (水) 01:28 (UTC)[返信]
補足ですが、型式変更とアウターミラーの変更は同時期ではないので、日本国内向けFJ40/43系は最期の9カ月間だけドアミラー、BJ40/43系はカウル/ドア、BJ41/44系はドア/フェンダーと、それぞれに2種類の形態があることになります。--天然ガス会話2023年2月22日 (水) 02:04 (UTC)[返信]

MSN産経ニュース

[編集]

この項目にて2011年の記事[2]が出典として使われていますが、そこに書かれている1950年代起源説は、2007年にこの項目に書かれたデタラメが出典である様なので[3]、再度書き込まない様に注意して下さい。218.180.214.32 2019年4月1日 (月) 10:07 (UTC)[返信]

コメント まあ、ウィキペディアの誤った記述を引き写した質の悪い書籍やウェブニュースが問題になっているという現状はあり、ウィキペディアが出典であることを明記した文献を出典とするのはWP:CIRCULARに当たることを否定はしません。ですが、誰とも知れないウィキペディア編集者個人が執筆した出典が示されない独自研究的な記述と、ウィキペディアが出典であることが疑われるものの、まっとうな出版社によって校閲がされており、著者が裏付けを取っているかも知れない文献が出典として示されている記述では、後者の方が優先されてしまうのがウィキペディアの仕様かと思われます(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。現在の記事に書かれている218.180.214.32さんが主張する起源説には出典が示されておらず、私をはじめとする他の編集者は、218.180.214.32さんが提唱する起源説が正しいかデタラメであるかを判断することができないため、これはこれで問題があると思います。--Kanohara会話2019年4月1日 (月) 11:48 (UTC)[返信]

自動車向けのミラーは1920年代には既に出回っており、1950年代に初登場(しかもオートバイ用)というのは明らかな間違いです。ただ、その記事の全部が全部デタラメだと言っている訳ではないのでご安心を。218.180.214.32 2019年4月1日 (月) 15:07 (UTC)[返信]

コメント いや、ですからその「明かな間違い」とする主張の根拠となる出典を求めているのですが。それに、元の記述が「メーカー純正装着ミラーが登場したのが1950年代で、オートバイ用に生産していたものを取り付けたのが最初だった」という趣旨のものであったとするなら、218.180.214.32さんの主張とも矛盾しないと思うのですが、その辺りの事実関係を確認できる出典はありますか?--Kanohara会話2019年4月1日 (月) 18:16 (UTC)[返信]

否定の根拠はバックミラー#歴史に記してある通りです。1920年代に「Cop Spotter」が広まっていた事もここに記されています[4]。「車体外ミラーの起源」を「純正品初装備」と読み替えるにしても、1948年時点でランドローバーにフェンダーミラーが装備されているので無意味です。218.180.214.32 2019年4月2日 (火) 09:34 (UTC)[返信]

返信 (218.180.214.32さん宛) いや、なんか最初からズレてるような気がするのですが、ウィキペディアは私の個人サイトでも何でもないので、私個人を説得しても無意味です。ノートページを見ない記事の読者や他の編集者に伝わるよう、記事の中で出典を示してください。
ちなみに、見たところ218.180.214.32さんが論拠としているサイト[5]は個人サイトのように見えるのですが、だとするとウィキペディアでは出典として使うことができないと思います(WP:V#SPWP:RS#自己公表された情報源参照)。一方で1950年代起源説はMSN産経ニュースの記事以外でも紹介されていますし[6]、ウィキペディアの記述からは少し外れるものの「1950年代まで車外後写鏡の装着は任意だった[7][8]」「アメリカ車がドアミラーを採用し始めたのは1950年代[9][10]」という記述は複数の記事で確認できます。
いや、たぶん218.180.214.32さんは正しいことを言っているのだろうと思うのですが、どこかの編集者が「いや、ウィキペディアに載っているランドローバー・シリーズIの写真は1950年以降にマイナーチェンジされた後期型なので、純正品初装備ミラー1950年起源説を覆す証拠にはならない」「現存する写真や博物館に展示されているような車両の多くは、法改正によって車外後写鏡が義務化された後で、公道を走るために後付けでミラーを取り付けたものなのだ」「1914年に後写鏡に関する特許が出願され、特許出願者によって権利が独占されてしまったために、1950年代になるまで車外後写鏡を純正装着する車種は現れなかったのだ」などといったトンデモ説を主張し始めた時に、私は218.180.214.32さんを擁護できる判断材料を持ち合わせていません。
個人的にはまあ、産経新聞はネットの言説や噂をそのまま記事に使って政権擁護に使ったりする、信用ならない御用新聞だと思っていますが、それはあくまで個人的な感情であって、ウィキペディアでは信頼されている情報源です。ウィキペディアにおける一般論としては、それを個人の見解で覆そうとするなら、より信頼性の高い情報源を示す必要があるでしょう。--Kanohara会話2019年4月3日 (水) 12:23 (UTC)[返信]

ずれているも何も、私は産経の1950年代説は信用ならないとこのノートで言っているだけで、出典を示せも何も、この記事の中で起源など主張していません。加えられた1950年代起源説も2016年に書かれたもので、見るからにウィキペディアを写した内容である事はご自分でも分かっているのではないでしょうか。日本でのミラー義務化が1951年である事も、出典付きで記しています。私としては、「車体外ミラーの起源」を「純正品初装備」と読み替える事自体がトンデモの様なものだと思っています。218.180.214.32 2019年4月3日 (水) 14:17 (UTC)[返信]