コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:トーマス・ロックリー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2024年6月24日 (月) 23:00‎ (UTC) の編集について

[編集]

「著書に対する批判」節について、Wikipedia:信頼できる情報源にあたる出典がないため除去しました。ロックリー氏の著書への批判については私もSNS等で目にしたため、日本語および英語のWEBサイトで使用できそうなものを探しましたが、SNSへの投稿をまとめたものや匿名掲示板、日本人が英語で書いた個人ブログ等が見つかるぐらいで出典に利用できそうなものは発見できず。「批判」節を復帰させるには、出典に利用可能なものが現れるのを待つ必要があるかと思います。--YasuminB会話2024年6月24日 (月) 23:15 (UTC)[返信]

匿名で失礼します。私が当該項目を記述した訳ではありませんが、Wikipediaの「TorroriTom」プロフィールに「私はトーマス・ロックリーです」と表記があります。また、Wikipedia英語版「弥助」の編集履歴を見ると2015年~2018年にかけて「Tottoritom」が編集している記録が残っています。差分内容をチェックすれば、どのように改変したのかは誰にでも調べられます。ここで2015年に未来である2016年に発表予定のトーマス・ロックリー氏の論文を出典元に記事内容を変更しています。未来に発表される論文の正確性など誰も検証できません。
トーマス・ロックリー氏のWikipediaを悪用した改ざん疑惑の一次資料はWikipediaの編集履歴です。Wikipediaのユーザープロフィールや編集履歴を情報源するのはガイドライン規定に違反するものなのでしょうか?--240F:107:B033:1:DC3F:4866:4EB1:5D3 2024年7月18日 (木) 18:21 (UTC)[返信]
「Wikipediaの「TorroriTom」プロフィールに「私はトーマス・ロックリーです」と表記があります。また、Wikipedia英語版「弥助」の編集履歴を見ると2015年~2018年にかけて「Tottoritom」が編集している記録が残っている」という件については、本人が公開している情報として記述するのは問題ないかと思います。ただ、それに対して批判があるとかいう情報については、なんらかの別の出典が必要であると考えられます。なお、英語版のYasukeにも、ソックパペットが疑われる議論や履歴が存在するので、この人物の記事においては、本人による可能性がある編集を極力排除し、客観性を保つ必要性があるでしょう。--AIMOF会話2024年7月21日 (日) 07:05 (UTC)[返信]
返答ありがとうございます。Tottoritom(https://en-two.iwiki.icu/wiki/User:Tottoritom)という人物のプロフィールやWikipedia上での編集履歴(https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Yasuke&action=history&offset=20160222065823%7C706241246&limit=100https://sigma.toolforge.org/usersearch.py?name=Tottoritom&page=Yasuke&server=enwiki&max=)を記載すること自体には問題なさそうなのですね。個人ブログやまとめサイトの情報が引用元にできなさそうなのは仕方ないのかなとは思います。
Youtubeニッポンジャーナル「"日本が黒人奴隷を生んだ"というデマが世界に拡散」など内藤陽介&井上和彦が話題のニュースを深掘り解説!https://www.youtube.com/live/MK06ZxZIyi8?t=943s
また、海外のゲーム関係のフリーランスのライターであるショーン・D・ナイト氏が「https://seandknight.com/index.php/2024/07/16/video-game-journalisms-infatuation-with-thomas-lockleys-yasuke-narrative-is-indicative-of-the-industrys-prevailing-rot/」という記事中で、トーマス・ロックリー氏の行為の幾つかに言及して批判しています(主題はゲーム業界の闇的な方ではありますが)
こういった情報は引用元に使用することはできないのでしょうか??質問ばかりですみません。--240F:107:B033:1:D931:E313:83C1:9A52 2024年7月21日 (日) 12:47 (UTC)[返信]
記載できないことはありません。やろうと思えばできます。
ですが、その記事の内容を確認したところトーマス・ロックリーへの批判も含まれているものの、内容の主題は『アサシン クリード シャドウズ』の様々な発表内容や、文化との向き合い方、ねじ込まれたLGBTへの配慮など、運営姿勢などへの批判が中心となっていますよね。アサクリの記事が編集できるようになったら、アサクリ記事内で「アサクリ騒動について」と大きな節を作り、その中でこんな批判例があったと記載がよいかと思います。--Tanukisann会話2024年8月2日 (金) 17:23 (UTC)[返信]
素人意見で申し訳ございません。大きな疑問がありまして、イエズス会の資料が客観的なものなのかという点です。当時、日本はキリスト教や交易を利用したある種侵略行為を受けていたと考えています。このような状況下で自らに都合の悪い情報を本国に報告するのか甚だ疑問です。また、沖田綴の戦いで黒人がいたとありますが、ただの日焼けした色黒の日本人の可能性はないのでしょうか。もし本当に黒人なら島津家等所属大名の領地で大騒ぎになるでしょうから、その情報はあるのではと愚考します。wiki中のいた、と断定的な表現は避けるべきではと感じました。ぜひ真っ当な専門家の意見を聞きたいです。--58.183.67.124 2024年8月3日 (土) 21:06 (UTC)[返信]
イエズス会の資料は活動報告書のような位置づけになります。資料としては一級品の一次資料となります。有馬家と島津家は共に布教を認めている大名であり、関係者が戦に参加していても何らおかしくありません。
その部分、出典元を書くのを忘れていましたので、追加しておきました。--Tanukisann会話2024年8月4日 (日) 06:32 (UTC)[返信]

こちらで挙がっていたWikipediaアカウントの件について、本文から除去しました。私も本人であろうと思っていますが確実ではないためです。それ以外に、わざわざ百科事典であるWikipediaに書くことだろうかという疑問もあります。Wikipediaのユーザーページを元にそれを書くことは、Wikipedia:信頼できる情報源にある、ウィキペディア自身の記事を出典として引用することはできないというのに反している可能性も考えられます(記事ではないので当てはまらないかもしれませんが)。今後本人がWikipedia外部でそのアカウントを自分のものだと発言すれば、その時は記事に記載する可能性も出てくるかなとは思います。--YasuminB会話2024年7月22日 (月) 17:39 (UTC)[返信]

本人が、このアカウントは他人であると表明したわけでもないために、確実性は問題がないと思います。Wikipediaで弥助に関する推測を書いてしまったことなどが原因で、署名運動まで起こっているので、本人の業績として記述する意味があります。--AIMOF会話2024年7月23日 (火) 12:17 (UTC)[返信]
そういうガイドラインに規定がなされてるのであれば、それに従うべきだと思います。
蛇足的な疑問なのですが、wikipediaを悪用した何か事件があった場合、その事件の証拠はwikipediaの編集履歴が一次資料で、逆に警察発表などが二次資料に相当すると思うんですね。客観的な視点の必要性から複数の信頼できる二次情報によって補強する必要があるのもわかります。
加えてwikipediaの記事自体が引用できないのは「誰でも編集改変が可能だから」ということで理解できます。記事本体ではなくwikipediaの編集履歴や差分情報は誰でも改変可能な情報なんでしょうか?それでしたら、確かに引用すべきではないと思います。--240F:107:B033:1:44D7:87EC:59AB:E6A3 2024年7月25日 (木) 14:54 (UTC)[返信]
私の言いましたWikipediaアカウントが本人かどうか確実ではないという点については、例えば論文タイトルやその内容を知る身近な人間が本人を名乗ってアカウントを作成、記事の編集を行ったということがありえなくはないということですね。現在の記事にあるように、当該のWikipediaアカウントの情報以外を出典として書いている状態であれば、その観点からは問題ありません。
Wikipediaの編集履歴や差分情報に関しては、基本的に改変不可能なはずです(問題がある内容を管理者が不可視可することは可能)。--YasuminB会話) 2024年7月28日 (日) 20:29 (UTC) 一文追加、修正。--YasuminB会話2024年7月28日 (日) 20:38 (UTC)[返信]

要修正と思われる箇所

[編集]

現在の記事内容についてWikipediaに書くべきことかどうかよく分からないため、私としては加筆に加わりにくいのですが、修正が必要と思われる部分が何点かあります。

  • 出典がなく、執筆者の独自研究に見える箇所が複数あるので、それらについて出典を付ける、あるいは記述を削る必要があると思われます。
  • 史料の原文を註で付けておられる箇所がありますが、その原文の出典(直接参照した書名など)も提示していただいた方がいいかと思います。
  • 『African Samurai』と『信長と弥助』は、原著と翻訳本という関係ではありません。『信長と弥助』執筆後、共著者と共に新たに書き下ろしたのが『African Samurai』です(『African Samurai』のイギリス版『Yasuke』あとがきより)。

修正せず口出しだけするのかよと言ったところですが、以上の点についてよろしければご検討ください。--YasuminB会話2024年7月28日 (日) 20:01 (UTC)[返信]

コメント Steve Miwa3さんの加筆されたブリタニカの件につきまして(特別:差分/101278464)、ロックリー氏の書いた内容に変更が加えられたというより、元々Everett Munez氏が書いた文章だったのが、7/16にロックリー氏が書いたものに差し替えられたというのが正確なところです。参考までに今年6/5時点のアーカイブはこちら。Munez氏は執筆当時、インターン中の学生だったようで[1]、アサシンクリードで弥助が話題になったため、より専門家と言えるであろうロックリー氏に対しブリタニカ側から執筆を依頼したという形でしょうか(この流れは想像ですが)。The Editors of Encyclopaedia Britannicaはその内容に変更を加えた人たちでなく、ファクトチェックを行った人となります。--YasuminB会話2024年7月29日 (月) 18:01 (UTC)[返信]

2024年8月4日 (日) 13:29の大幅削除について

[編集]

大幅な内容削除です。ノートで確認を行うことなく、大幅な削除を行うのはいかがなものでしょうか。
wikipediaの存命人物の基本は「出典無き批判は除去」であり、出典がある以上は削除するべきではないと思います。
修正が必要であるならばその部分を直すことを考えるべきで、独自研究テンプレートを設置しての議論の提案はよろしいかと思いますが、問答無用で全削除はやりすぎと思います。
削除を行った方は弥助の記事のノートで、本来は出典元としては認められないX(元twitter)の記述を根拠として「侍と明記するべきである」と太文字で言い切っているぐらいにロックリー氏の考えに賛同している方のようですが、削除した内容の中には「侍であったかもしれない」と指摘している呉座勇一氏の記述もあり、両論併記の状態でした。国内外に情報を発信していたロックリー氏の主張が、参考文献を並べると根拠が脆弱かつフィクションの内容ばかりだったため、「こんなこと言っているけど、そんな内容はどこの文献にも書かれていません」がずらっと並んでしまうのですが。
削除した方が管理者だというのなら話は別ですが、そんなこともないようですし、削除された内容を差し戻してから議論のテンプレート設置を考えてはいかがでしょうか。というか、全部削除してから「改善やノートページでの議論にご協力ください」とテンプレートを置くのは何か意味があるのでしょうか。
https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC&diff=101357726&oldid=101357431--110.131.150.214 2024年8月4日 (日) 16:59 (UTC)[返信]

まず、ニュースにもなっているので、出典がない内容ではない。
出典元も各ニュースサイトが中心で、twitterやyoutubeのような『「テレビで観た」「ラジオで聴いた」「自分の目で見た」といったような貧弱な情報源のみの場合、否定的な題材は存命人物の伝記とそのノートから除去すべきです』には当たりません。独自研究というのなら、そこの部分をカットするなり編集をするなりすればいい。
中立的観点は守らなければならないもののなかなか難しい問題で、「フィクションの話をノンフィクションとして扱っていたので批判されている」という、はっきり言って自業自得な案件なわけで。話題主さんのお話通り、「こんな主張をしています。こんな主張もしています。この部分は文献にありますが、残りは全部まとめてそんな資料はありません」と否定をするしかないわけで。
差し戻しをして、独自研究に該当すると思われるという部分を削除でいいんじゃないでしょうか。--Tanukisann会話2024年8月5日 (月) 08:22 (UTC)[返信]

弥助騒動節の修正依頼

[編集]

弥助騒動 史実と異なる記述・発言問題内の下記段落の削除をお願いします。

===============

同じ書籍であっても、日本向けに出版された『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』と、海外向けに出版された『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』を比べると、日本向けでは推測の話と前置きする柔らかい表現を使う一方、海外向けでは断定的な表現になっているなど、内容が異なる部分が存在する。このためロックリーが執筆した文献でも内容が統一されていない状態となっている。

===============

すでに指摘を受けている通り『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』は不二淑子との共著、『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』はGeoffrey Girardとの共著による別の著作で原著と翻訳書という関係ではありません。出典として示されているhttps://japan-forward.com/japanese/176663/においても『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai』の日本語版が存在すると主張されていはいるもののその日本語版のタイトルには一切触れておらず、『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』が『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』及び『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai』と同じ書籍である根拠は一切示されていません。また、『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』とは別に日本語版が出版されているのであればその記録があるはずですがそのような記録は国会図書館データベースにも存在していません。--イーサン紋甲会話2024年8月18日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

ご指摘を受けた件でリンク先を確認したところ、タイトルが変更されていたためアーカイブを参照するように修正を行いました。そのページでは「信長と弥助(英語版)African Samurai〜」となっています。そして気になったのが、なぜ出典元がhttps://japan-forward.com/japanese/176663/であると言うのでしょうか?
その部分の出典元は紀伊国屋書店になっているはずですが。--Tanukisann会話2024年8月20日 (火) 02:28 (UTC)[返信]
あと、たった今「同じ文献であっても」という記述を消しました。意味は通じるので。出先なので本格的な編集できないんです。申し訳ない。--Tanukisann会話2024年8月20日 (火) 02:45 (UTC)[返信]
コメント 横からですが、『信長と弥助』についてイーサン紋甲さんの言われた共著というのは、正確にはロックリーの単著(不二淑子はその翻訳)ですね。
次に英語書籍と日本語書籍の関係についてですが、Tanukisannさんに信じていただけていなかったようなのでコメントさせていただきます。英語書籍と日本語書籍『信長と弥助』が別物であることについては、両者の目次を見比べていただければ、構成の違いなどからご理解いただけるかと思います。『信長と弥助』の目次については例えば出版社のページ、英語書籍については国立国会図書館サーチの「内容細目」や、アメリカ版『African Samurai』でなくイギリス版『Yasuke』になりますが、Googleブックスで見ることができます。Googleブックスの目次の前のページに、アメリカ版の存在に触れているのにもかかわらず、日本語書籍からの翻訳を思われる記述が一切ないのもその裏付けになるかもしれません(ここで見ることができないページに書かれている可能性も残るので根拠としては弱いかもしれませんが)。
また、イーサン紋甲さんがJapan Fowardを出典元として挙げたことについては、同じ文章の末尾にそれがあるからではないでしょうか。「同じ書籍であっても」に始まる文章全体の出典であるように見えます。
このJapan Fowardの記事には英語書籍『Yasuke』に先んじて日本語版が出版されたかのように書かれていますが、この記事の筆者はSNS上のロックリー批判を集めたこの記事を書く中で、英語書籍を日本語書籍『信長と弥助』の翻訳本とするSNS上の誤解をそのまま採用したものと思われます。また、7月時点で紀伊國屋書店のウェブサイトにあった『African Samurai』が『信長と弥助』の英語版だという表記が現時点で消えているのは、紀伊國屋書店サイドが間違いだったと判断して消したものではないかと思います。--YasuminB会話2024年8月20日 (火) 10:27 (UTC)[返信]
日本語版から英語版切り替える際、直訳して印刷するのではなく、構成などを組みなおして出版することもありますが、皆さんがご指摘ですので別の書籍として記述をやり直しますね。ありがとうございます。--Tanukisann会話2024年8月20日 (火) 11:03 (UTC)[返信]

トーマス・ロックリー氏への著書への批判について

[編集]

弥助騒動/史実と異なる史実と異なる記述・発言問題節の段落の削除をお願いいたします。

この記事はあくまでも「トーマス・ロックリー」という人物の記事であるべきです。

トーマス・ロックリー氏を擁護するわけではありませんが、人物の記事において、その人物が執筆した著書への批判はいかがなものでしょうか。--No Name 563会話2024年8月20日 (火) 14:04 (UTC)[返信]

私は明確に反対の立場です。
これらの発言をしたのは日本大学准教授であり、弥助の専門家としてメディアに招かれたロックリー本人です。つまり、本人が主であり、弥助が従の関係にあります。もしロックリーではない人の意見・発言が含まれているのなら削除するべきです。準教授の肩書をもつのですから、本人の発言には責任を持たなければなりません。それにメディアに出演したことは、内容はともあれ本人の実績となります。
著書の内容と著者は別にするべきだということですが、著書の単独記事があるのならその記事に丸ごと内容を移動させて、こちら(著者)の記事は「こういう批判があります。〇〇も参照」というかたちですっきりさせるのも良いかと思います。ですが現時点で著書の単独記事がありません。いつだったか、どなたかが作ったものの削除されたようです。本人の著書であり、本人に文責がある。そのうえで他に行く場所が無いのなら、ここに置いておくのが妥当と考えます。
また、記事は完全に反対一色ではなく、「奴隷を集めていたという話は怪しいけど、九州に黒人がいたという話は正しいよ」「黒人奴隷説を言い出したのはロックリーじゃないよ。それは間違っているよ」「専門家は条件付きで問題ないのではないかとしているよ」としつつも、「こういう批判が起きているよ。実際にこういう記事があるよ」となっています。ロックリーの著書とメディアのインタビューは連動しています(各インタビュー記事を見るとわかりますが、だいたいが「弥助を題材にした作品の著者で、弥助の専門家であるロックリーさんに説明してもらいます」となっています)。
凄く簡単な話、ロックリーが最初から「ノンフィクション作品」ではなく「フィクション作品」として執筆していれば良かったのです。『前田慶次』のコミックで色々脚色して書いたからと言って、隆慶一郎さんや原哲夫さんは問題にはなっていません。インタビューでは「信長の首を弥助がはねました!」と創作話をあれこれ作って断言をすることなく「弥助は本能寺の変で、織田信忠の手勢として戦ったこと、明智勢に開放されたことまではわかっていますが、それ以上のことはわかりません」と話をしていれば、海外に怪しい情報を事実扱いで垂れ流すことにはならなかったはずです。
最後に話は変わりますが、『アサクリ『弥助』問題』の節に関しては、アサシン クリード シャドウズというゲームに関する内容が強くなっているため、こちら側は最小限の説明に留め、現在の節の内容および発売停止を求める署名運動などの記述は、ゲームの記事内に「発売前の批判」として一つの節内にまとめるのがよろしいかと思います。もしそういう意見であれば賛成いたします。移動させる前には、向こうの記事のノートで移動させて良いかというすり合わせ、内容の検討が必要です。--Tanukisann会話2024年8月20日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
追伸で・・・字が小さくて申し訳ないのですが、アップしてよく見て下さい
「9年間におよぶ研究成果を、2017年に初の著書『信長と弥助』にまとめ、同書をもとにした英語版『AFRICAN SAMURAI』は、米国CNNをはじめ各国のさまざまなメディアで紹介されるなど大きな話題となった。」
良くも悪くも、メディアで語った内容は実績なんです。著書も同じです。
https://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pr/pdf/Journal-vol.28_Web.pdf
私は他人の個人情報を掘り返す趣味はないので、いつの時点かわかりませんがどこの都道府県に在住していたか公開しているサイトがある(違法なルートではなく、誰でも見られるところに普通に書いてあります)、日本大学に入る前にどこで勤めていたという情報を把握しておりますが、頼まれてもそこまで書くつもりはありません。--Tanukisann会話2024年8月20日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
反対です。著作物と著作者は切れない関係です。著作物の話をするなというのは無茶な話です。
その著作物の筆者を専門家として招いた取材記事は、本人が“弥助について”取材を受けたのであって、責任は本人にあります。その著作物について筆者に取材を行った記事は、当然本人に責任があります。
400年後の世界に飛んできた弥助が取材を受けたわけではありません。
ところで、先の日本大学のPDFファイルに「『信長と弥助』をもとにした英語版」として『アフリカンサムライ』が紹介されています。
『信長と弥助』と『アフリカンサムライ』は直訳した書籍ではないですが、日本向けに出した書籍を海外向けにする際にリライトしたもので、日本語版と海外版という扱いで問題ないようです。--140.227.46.9 2024年8月21日 (水) 01:32 (UTC)[返信]
返信 (140.227.46.9さん宛) 「英語版『AFRICAN SAMURAI』」というのはこの文章を書いた人の誤解ですね。あるいはロックリー本人がそう説明したのかもしれませんが。実際に日本語書籍と英語書籍を読み比べると分かりますが、「『信長と弥助』を元にした」までは言えたとしても、明らかに別の本ですので。--YasuminB会話2024年8月21日 (水) 06:34 (UTC)[返信]
コメント ロックリー本人への批判ともいえるので、私はある程度あっていいと考えています。ただ、詳細に書こうとしすぎて百科事典的ではない気はします。将来的にアサシンクリードに始まる弥助騒動をまとめた記事か何か(信頼できる情報源に該当するものが望ましい)が出れば、それをベースとして簡潔にまとめてしまう(文章量としては現在の記事の小見出し一つ分ぐらい)のがいいのではないかと思います。--YasuminB会話2024年8月21日 (水) 06:44 (UTC)[返信]
残念ながら、現状信頼できるとされる情報源で、内容を網羅してまとまっているものがないんですよね。現在進行形の事象なのでまとめようがないとも言えます。その結果、あっちこっちの情報源をつなぎ合わせることになってしまい、百科事典的ではないという印象になってしまう。ソースが多すぎるというのがネックなんです。ロックリーはメディアに出るたびに新しいことを言っているのでネタが多すぎる。
アサシン クリード シャドウズの記事にも「弥助騒動」「著作物の無断使用」という節があるので、ゲームに関することはそっちに持っていければテキスト量もソースも減らせるんですけど、突然持って行っても向こうも困ってしまいますね。
いっそのこと、「弥助騒動」で単体記事を作って、こっちとアサクリの内容を統合させて整えるのも手です。2011年のフジテレビ騒動とか、差別動画大量通報騒動とか、将棋ソフト不正使用疑惑騒動とか、それらの記事と同じような感じですね。
そして、両方の記事に「弥助騒動(アサクリ騒動)も参照」(See also)で飛ばして導線を作り、関連項目にも入れる。弥助の記事にも作っていいかもしれません。これだけのテキスト量があれば、一つの単体記事が作れます。内容が進展すれば、その記事を更新すればよく、個人やゲーム単体の記事は弄らなくて済むようになります。
この記事内で「弥助騒動」がいつの間にかできていたので、内容をここまで肉付けはしましたが、状況に進展がない限りこれ以上はもう書くことがない。むしろソースが消されるなどした場合は削除や整理が必要になってくるという段階です。さらに事情により、大規模な編集ができる時間は今週いっぱいで、基本的に来週からお休みモードに入りそうです。
Sameboat (同舟)さんご指摘の「21世紀に入ってから~」のくだりは、私が見つけた時には既にあったもの。私が書いたものではないのでどう変更したらよいものやら。自分が書いたものなら、何を意図して書いたのか理解しているので代案とかすぐに浮かぶんですけど。--Tanukisann会話2024年8月21日 (水) 12:50 (UTC)[返信]
ロックリーの想像により生み出された弥助像は、日本を含む世界各国の主要メディアにおいて事実であるかのように取り上げられ、「弥助は本著書の通り、伝説のサムライである」など、世界中で様々な誤解を生む事態となっている。
ぐらいに、さらっと流すぐらいがちょうどいいですかね?英語の著書が移植されたイタリア語版、ポーランド語版もあるそうで。--Tanukisann会話2024年8月21日 (水) 13:08 (UTC)[返信]
コメント この節を削除する必要はありませんが、大幅に書き直すことが至急だと思います。例えば『その結果、21世紀に入ってから、ロックリーによって創作された『伝説の侍」のイメージが弥助そのもの、ファンタジー上の弥助が史実であるという誤解を世界的に生む事態が発生している。 』は信頼できる情報源に全く裏付けられていなくて、明らかに独自研究は載せない方針を違反しています。Sameboat (同舟)会話2024年8月21日 (水) 12:11 (UTC)[返信]
2024年8月21日 (水) 13:08 (UTC)に私が発言した内容で、取り急ぎ応急処置を行いましたのでお知らせします。もっと良い変更案がありましたら是非お知らせください。--Tanukisann会話2024年8月21日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

「作家」かどうかについて

[編集]

現在の記事に「作家」とありますが、ロックリー本人が作家と自称したことや第三者から作家と呼ばれる例を、現状私は見たことがありません。日本語書籍については学術論文からの発展形という形で小説とは言えず、英語書籍については小説と言えるかもしれませんが、作家のジェフリー・ジラードとの共著であって、この本執筆時点のロックリー本人は作家ではないという印象です。現時点で作家と書かれた箇所の出典[2]にも本人を「作家」とする記述はありません。そのため、作家と書くには時期尚早ではないかと思います(日本語書籍はノンフィクションという扱いなので「ノンフィクション作家」とすることも可能に思えますが、学術論文の延長であることを考えると研究者としての仕事と考えられます)。

冒頭の人物テンプレートに「職業 作家、英語教育者」とありますが、職業は「大学教員」ではないでしょうか。今年5月に『A Gentleman from Japan』という本を出版したようですが、仮にこの本が小説であっても、執筆した小説はまだ2冊という状況で、作家が職業とまでは言えないのではないかと思います。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 15:30 (UTC)[返信]

自分は作家でも悪くないかなぁと思っています。本人は作家として自称はしていませんが、作品は(自称)ノンフィクション小説として一定の人気を持っていること、フィクション作品の2作目があることからですね。英語版だけでなく複数の言語版もありますしね。もし一冊も世に出ていない段階なら論外ですが(実は英語版wikipediaでは、一度ロックリーのページが作られたものの、本が出版される前の告知状態だったため「早すぎる」という理由で削除されたことがあります)。
ロックリーは一般的な小説家という作家ではなく、学者に近い作家なので、冊数まではそこまで気にしなくてもいいように思います。
あと、忘れがちですが、『英語で読む~』という海外向け書籍などもあります。
https://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/81288/
職業欄の最初は作家ではなく、英語教育者を先にするべきかと思いますが(こっちが本業なので)。
一応、作家と自己紹介をしていないという参考として。
https://www.harpercollins.com/blogs/authors/thomas-lockley-20235243225626
https://www.fccj.or.jp/event/book-break-thomas-lockley-author-gentleman-japan-untold-story-incredible-journey-asia-queen
https://www.harpercollins.com/products/african-samurai-thomas-lockleygeoffrey-girard?variant=41010141626402
https://www.newtoncompton.com/libro/il-primo-samurai
https://www.tuttlemori-authors.com/?page_id=1187--Tanukisann会話2024年9月2日 (月) 12:40 (UTC)[返信]
忘れてました。
英語教育者を大学教員にするのは問題ないと思います。むしろこちらが日本語の職業としては正確であり、教員として何を教えてるかが英語なので。--Tanukisann会話2024年9月2日 (月) 12:43 (UTC)[返信]
返信 ご返答ありがとうございます。『英語で読む~』の2冊については大学での活動の延長(英語で歴史を教えるというスタイル)という感じですね。
執筆作品が少ない場合、本人が作家を称しているのなら渋々ながら作家として認めていいけれど、周囲も本人も作家を称していない場合は作家とは言い難いと私は考えています。そのため、私としては作家とすることに賛成できないままですね…。--YasuminB会話2024年9月3日 (火) 07:53 (UTC)[返信]

先ほど、本文内の「作家」という記述とカテゴリを除去する編集をさせていただきました(差分)。理由については本節で既に述べた通り、無出典であるためです。ご了承ください。--YasuminB会話2024年11月10日 (日) 01:26 (UTC)[返信]

「論文不正疑惑」節について

[編集]

IP:240f:36:c054:1:dd5a:e9a7:489b:58f3会話 / 投稿記録さんが追加された「論文不正疑惑」節ですが(特別:差分/102063934)、「論文不正疑惑がある」と述べた出典がなく、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触している状態にあったため、差し戻させていただきました。

本節の内容については、X(旧ツイッター)[3]で述べられているのを見つけたので実際の出典はここかと思いますが、Template:Cite tweetにある通り、Xは通常「信頼可能な情報源」と見なされず出典として利用できません。「記事」という形のため通常の投稿とは違うとしても、Wikipedia:信頼できる情報源には該当しないものと思われます。--YasuminB会話2024年10月3日 (木) 11:07 (UTC)[返信]

ロックリーの日本大学の論文について

[編集]

日本大学で最初に公開された論文をみる方法が判明して、その内容が広がりつつありますが、wikipediaでは内容をまだ書かないようにお願いします。ロックリー寄りで内容を隠したいからとかいう理由ではなく、ニュースサイトなどメディアが扱う、専門家が取り上げるなどしないと、執筆してはいけないことになっているからです。SNSの内容は、その人本人の話以外は基本的に使うことができません。
今気づきましたが、すでに書いて差し戻された方がいるようですね。そうなっちゃうんです、今は。だから待ちましょう。
メディアが取り上げて動くことをお祈りしてください。

変わりにと言ってはなんですが、まもなく本が出版される韓国の能出教授の話題がありますので、本を入手したら専門家の反応のところに専用の節作って、書くとよいでしょう。
https://x.com/Goryodynasty/status/1844292856766398886--Tanukisann会話2024年10月11日 (金) 16:02 (UTC)[返信]