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ノート:トンガ大首長国

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トンガトンガの歴史[1]などを見たのですが、トンガ大首長国とトンガ帝国とトンガ王国のつながりがよく分かりませんでした。同じものか違うものか、つながりがあるのかないのか、冒頭部分を読んだだけで分かるように編集していただければ幸いです。--miya 2005年11月22日 (火) 00:13 (UTC)[返信]

トンガの歴史の冒頭には何らかの断り書きを入れます。Hareno 2005年12月2日 (金) 14:58 (UTC)[返信]

「トンガ大首長国」で検索してもこのページ以外は何も出てこないのですが、名称はこれで間違いないのでしょうか?222.144.108.69 2005年12月9日 (金) 12:58 (UTC)[返信]

トンガの歴史に関しては、様々な書籍があると思いますが、下記の本を一読するのをお勧めします。
『海洋島嶼国家の原像と変貌』(編集:塩田光喜、アジア経済研究所、ISBN 4-258-04473-3、執筆:大谷裕文、「第4章 異人と国家 -トンガの場合-」、pp.147-189)
数十ページで短いので、読みやすいかと思います。また、ジェトロの公式サイトから検索してください。インターネット上でもpdfファイルで無料で読むことが可能です。概略を書くと、大昔にトンガにポリネシア人がカヌーなどで入植し、「トゥイ・トンガ王朝」が形成され、後に日本の天皇家のように宗教的権威だけの存在となりながらも、長らく存続し続け、トンガの神話と結びついた伝統的な宗教的権威としての役割を果たす一方、実際の政治は新しい王朝が担当していました。その新王朝もトンガの歴史の中で一度分裂しており(血統的にはどちらも共通祖先に繋がってる)、合計で3つの王朝が併存していた時期があります。しかし、近代に入り、ヨーロッパ人が船でトンガへやってくるようになり、それまでは棍棒や槍で戦っていたのですが、鉄器(斧やナイフ)や銃器が島に入り込み、大量の死傷者を伴う内戦を経て、最終的に3つの王朝の中で最も新しい王朝である「カノクポル王朝」の子孫が武力で統一することになりました。その結果、神話時代から続く宗教的権威であるトゥイ・トンガ王朝は滅亡し、その後は現在に至るまでカノクポル家がトンガの国王として存続しています。また、伝統的な神話や信仰もカノクポル家の子孫が内戦で武力統一する際に、メソジスト派のプロテスタントの伝道師から武器をもらうために捨て去っています。トンガを統一したカノクポル家の子孫はメソジストに改宗し、名前も「ジョージ」などという英語風の名前に改称しており、現在のトンガは殆どの住民がメソジスト派を信仰しています。--Wpjapanuser2012会話2013年5月21日 (火) 15:20 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月15日 (金) 14:42 (UTC)[返信]