ノート:ディアヌ賞
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第1回について。
[編集]3歳馬限定なのにラファが2勝しちゃだめでしょ…。というのはともかく。
現在の歴史節および歴代優勝馬節では、第1回は1841年で、Poetess (jbis。同年のジョッケクルブ賞馬)が優勝したと記載されています。同様のことを書いているサイトは多いです。
- “Prix de Diane (French Oaks)” (英語). tbheritage.com. 2024年6月4日閲覧。
- “仏オークス”. 優駿達の蹄跡. 2024年6月4日閲覧。
- “ディアヌ賞(仏オークス)歴代勝ち馬”. おうまのアイコン wire-to-wire. 2024年6月4日閲覧。
- “PRIX DE DIANE - Palmarès de 1841 à 1959 (groupe I, pouliches 3 ans, Chantilly)” (フランス語). courses-france.com. 2024年6月4日閲覧。
しかしながらフランスギャロでは第1回を1843年としているようです。回次も、1843年に第1回、 1871年・1915年から1918年・1940年・1975年に中止として2022年に第173回としています。数え方自体はジョッケクルブ賞と違って特に矛盾はありませんが、だとすると1841年が第1回というのはどこから広まったのでしょうね。
- “Historique du Diane Longines : le Derby au féminin” (フランス語). france-galop.com. フランスギャロ (2022年6月15日). 2024年6月4日閲覧。
- “PRIX DE DIANE LONGINES, Groupe 1” (フランス語). france-galop.com. フランスギャロ. 2024年6月4日閲覧。
他言語版でも、英語版 en:Prix de Diane では1843年説を採っている一方で、フランス語版 fr:Prix de Diane は本文やインフォボックスで1843年創設としつつリストには1841年があります。retronews で検索した限りでは1841年に“Prix de Diane”というレースは行われていなさそうです(もちろん当時は別名だった可能性や、OCRの誤認識で検索にヒットしない可能性、私が単純に見落としている可能性もあります)。
ちなみにフランスギャロのページも、「3頭以上の勝ち馬を出した種牡馬」一覧にロイヤルオーク (競走馬)(1841年 Poetess、1843年 Nativa、1846年 Dorade、1848年 Serenade)の記載がないので、データとしてどこまで信用していいのかという問題はあったりします。--霧木諒二(会話) 2024年6月4日 (火) 08:10 (UTC)
- コメント これは「事実がどうなのか」というよりは「どう扱われているのか」って感じなんでしょうねえ。
- 『フランス競馬百年史』(ギイ・チボー原著、2001、真田昌彦訳、競馬国際交流協会、2004)
- 同書は1900年から始まるので、それ以前のことは詳述はされてないのですが、巻末に主要競走勝馬一覧があります。そこでも1900年以前の表はないものの、沿革のところに「1843年創設」と書かれています。
- 『華麗なるフランス競馬』(大串久美子、駿河台出版、2011)
- 「狩猟の森シャンティイにちなんで命名されたディアヌ賞の第一回は、奨励会によって一八四三年五月十八日に行われた。」(p.195)
- 巻末年表部にも1843年に「第一回ディアヌ賞」となっています。
- 同書の著者は「競馬分野の人」というよりは「フランス史の人」という感じです。私には検証不能ですが、巻末の参考文献リストには多くのフランス語の文献が並んでいます。
- 『世界の競馬と生産』(エドアルトSブルーソン原著、1976、日本中央競馬会訳、1978)
- 「1843年、初めて“ディアーヌ賞”が行われ、(以下略)」(p.76)
- 略した部分以降にはディアヌ賞以外の事が書かれてます。
- 『競馬の世界史』(R・ロングリグ原著、原田俊治訳、日本中央競馬会弘済会、1976)
- 「ディアーヌ賞(フランス・オークス。1843年シャンチイに創設)」(p.178)
- Throughbred Heritage RoyalOak.html(Patricia Erigero)
- 本文中に「The Prix du Jockey Club (French Derby) wasn't established until 1836, and the Prix de Diane (French Oaks) until 1843.」とあり、1843年説をとっていますね。
- 一方、確かに歴代勝馬表には1841年ポエテスになってますね。同サイトも、いろいろな人が寄稿してますから、全体としての整合性みたいなとこまでは手が回っていないのでしょうねえ。
- とりあえず手近な書で思い当たるのを探すとこんな感じ。「公式」も「第三者」も1843年を「第一回」としているので、それはそれでよいのでは。
- 1841の方は、今のところ手がかりなし(というか真剣に探していない)
- おそらく、Poetessが繁殖牝馬として影響力が大なので、その戦績についての資料があるのでしょうね。「優駿達の蹄跡」はじめ古典的な日本語サイトだけなら、例によって原田『世界の名馬』や山野『伝説の名馬』あたりが「情報源」と推測するところです。「優駿達の蹄跡」は外国馬の戦績については、きっとたぶんなにか本格的な情報源を利用しているはず(外国馬の戦績表とか日本語情報源では入手不可能と思しきものも多数)だと思います。
- サラブレットヘリテイジの歴代勝馬表が1841年の記録があるということは、まあなにか根拠的なものがあるのでしょう。同サイトの#Poetessには、ポエテスの勝ち鞍は「the New Betting Room S.」「an important race worth 1,000 francs, the Prix du Jockey Club and two other races in six years」と書かれているだけで、ディアヌ賞的な記述はないですね。そして「she was not the best filly of her year」とありますから、仮にディアヌ賞的なレースに勝っていたとしても、それは3歳牝馬チャンピオンを決めるようなレースではなかったということなのでしょう。(仏ダービー勝っても「ベスト牝馬」じゃないってことなので、当時の価値観というか基準がわかんないですけど。)
- 空想になってしまいますが、前身的なレースがあったのか、レース名は違うけど3歳牝馬のレースがあったのか、単に名前が同じだけで性格が違うレースだったのか。シーモア卿が英国競馬を真似てダービーを創設したなら当然オークスも創設していてもおかしくないし。1842年はnot runになっていますけども、本来あるべきものがお休みだったのか、それとも1841年がたまたま一回きりのものだったのか、はたまたたまたま1841年だけ情報があって記載されているだけなのか。
- なにかいい情報源・証拠が出てくればよいですが、それが見当たらなければ、記事内では1843を創設年として扱うのがよいのでは。そのうえで、1841年説については、注釈みたいにしておくか、あるいはいったんノートにのみ書いておいて情報求ムとするとか。
- なにか血統史的な書物で、Royal Oakのことか、Poetessのことを丹念に探せばあるいは・・・。--柒月例祭(会話) 2024年6月4日 (火) 12:06 (UTC)
- (情報)自費出版の『世界のG1馬父系図』(平出貴昭)にも歴代勝馬表が付属していて、1841年の勝馬をPoetessとしています。([1])でもまあ、自費出版だし。(平出貴昭さんは『覚えておきたい世界の牝系100』とかの刊行物もあります。)情報の出どころ的なものも書かれていないので、詳しい参考にはならないですね。
- (情報)『Horse-racing in France: A History』(Robert Black、1886)のp.321あたりに記述が。
- 本文そのものは同名異馬のPoetess([2])の話題で、関連してPoetessの言及があります。
- 「Lord Henry Seymour's famous Poetess ( dam of Monarque ) , winner of the French Derby ( Prix de Diane ) in 1841.」とあるんですよね。
- (憶測)1843年にディアヌ賞を牝馬限定戦として創設する以前は、ジョッケクリュブ賞が牡牝限定戦でダービーとオークスを兼ねる性格があった(たとえば日本も最初期は同じだし、プールデッセも最初期は牡牝が分かれていない)。で、1841年にPoetessが勝った。それを誰かが「オークスに相当するレース」と伝え、それを読んだ人が「仏ダービーのほかに仏オークスにも勝ったんだな」と読み違えた。てな感じ。--柒月例祭(会話) 2024年6月5日 (水) 06:51 (UTC)
- 返信 詳細な情報ありがとうございます。現在の公式が1843年創設としており、またそれを支持する書籍も複数あるということで、1843年創設に書き換えました。
- “Horse-racing in France: a history” (Robert Black, 1886) でもディアヌ賞自体は1843年開始としています。
- At Chantilly was run the first Prix du Jockey Club (French Derby) in 1836, and the first Prix de Diane (or French Oaks) in 1843 (p.22)
- the French Jockey Club had established on their own account the Prix du Jockey Club, or French Derby (first run in 1836), and the Prix de Diane, or French Oaks (first run in 1843), at Chantilly (p.55)
- The Prix de Diane, or French Oaks (with similar conditions and a smaller 'dotation' —only 3,000 francs for some years, though it was 6,000 'by subscription' the first year), did not begin till 1843, when Prince Marc de Beauvau's Nativa won (p.102)
- “Prix du Jockey Club (French Derby)”とか“Prix de Diane (French Oaks)”という記述はあちこちにあるので、ご提示の321ページの“French Derby (Prix de Diane)”は“French Derby (Prix du Jockey Club)”の誤植なのかも、と思いました。ただ単なる誤植にしては広まりすぎている気もしますから、草創期のジョッケクルブ賞がダービーとオークスを兼ねてたことによる誤解というのもありそうな話ではありますね。
- “Horse-racing in France: a history” (Robert Black, 1886) でもディアヌ賞自体は1843年開始としています。
- --霧木諒二(会話) 2024年6月9日 (日) 08:25 (UTC)