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ノート:テルマエ・ロマエ/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

(利用者・トーク:ごろんぼ医者より転記)

テルマエ・ロマエの主人公ルシウスの綴り・発音について

さきほどテルマエ・ロマエの主人公ルシウスの綴りと発音について、独自研究であるとして差し戻しをしたとの連絡をいただきました。わざわざご連絡をくださったことはありがたいのですが、これぐらいのことは古典ラテン語を少し学べば容易に分かることです。しかしどうしても出典をというのであれば、こちらのブログ

■ テルマエ・ロマエ
息子が買って来たので家族で回し読む。
舞台がローマなのでところどころラテン語が出てくるんだが、それがなかなかよくできている。一つだけ残念なのは、主人公の名前が「ルシウス」。Luciusだろうからここは正しく「ルキウス」といってほしかった。

を出典として記載することは可能でしょうか。ブログ右上のueeda lab (official)をクリックすればお分かりの通り、福岡大学人文学部の上枝美典教授によるブログで、教授の御専攻は中世哲学のようですがラテン語の講義も受け持っていらっしゃいます。--Ryota7906 2010年5月24日 (月) 09:27 (UTC)

リンク先にて示していただきましたブログを拝見いたしました。こちらは「一読者のブログ」という位置づけになり、そこに記されている文言も、作者のヤマザキマリ氏あるいは出版社による公式な見解ではありません。したがって、当該案件(「テルマエ・ロマエ」の主人公の名前の綴り)の出典とはなり得ないというのが私の見解です。(ただし、ブログの記述者が「ラテン語の講義も受け持っている大学教授」であることを踏まえた場合、「(引用始まり)Luciusだろうからここは正しく「ルキウス」といってほしかった(引用終わり)」という文言には価値が見出せる可能性があります。)
Ryota7906さんにひとつ注意していただきたいのは、作者のヤマザキマリ氏による作中の表記はあくまでも「ルシウス」であるという点です。これが正しくは「ルキウス(Lucius)」なのか、それとも全く異なる綴りによる名前なのかはヤマザキ氏しか知り得ません。
テルマエ・ロマエ」はローマを舞台にした漫画ではありますが、歴史書ではありません。つまるところヤマザキ氏によるフィクションであり、創造物に過ぎない以上、上枝美典教授の文言も「推論の域を出ていない」ということです。
以上の説明で、私が独自研究という言葉を用いた意図を御理解いただければ幸いです。--ごろんぼ医者 2010年5月24日 (月) 11:08 (UTC)

手短に言って、歴史書ではなく創作物であるから時代考証はどうでもいいというのは暴論ですし、作者や出版社による公式見解でないから独自研究にあたる、書いてはならない、という態度も誤りだと考えます。時代考証であれば考証自体に相応の客観性がありますので作者以外の者が行っても何も問題はないはずです。そうでなければテルマエ・ロマエの記事中にある

あるいは

  • 「実在したローマ皇帝」「実在した将軍」「実在した建築家」

などという記述も何の意味もなさなくなります。

他の記事ではジュリアス・シーザー (シェイクスピア)に、史実と脚本中の人物名の綴りの違いについて指摘がありますし、明らかに作者の見解でない多数の説が含まれている顕著な例としてシャーロック・ホームズの記事を挙げることもできます。日本語版の秀逸な記事に選定されていますが、この記事が含む、作者以外の見解による記述を除去するなどナンセンスの極みでしょう。もちろん本文中で独自の考証を展開することは不適切ですが、上に挙げた、ハドリアヌス帝時代にはレピドゥスという名の執政官はいない、というような単なる事実の摘示や、他者文献からの引用であれば問題はないと思います。

で名前の考証ですが、少しややこしい事情があることが分かってきました(先に「ラテン語を少し学べば容易に分かる」と書いたのは浅はかでした)のでトーク:テルマエ・ロマエに場を移すことにします。--Ryota7906 2010年5月25日 (火) 13:43 (UTC)

主人公の名前「ルシウス」について

主人公「ルシウス」のラテン語での発音ですが、ルシウスが個人名(プラエノーメン)であるとすれば、一般的なプラエノーメンのリスト(たとえばen:wikt:Appendix:Roman praenomina)中に「ルシウス」にぴったり合うものはなく、最も近いのはルキウス(Lucius)です。あるいはルシウスという名は非常に特異な個人名として存在するのかもしれませんが、よく使われる個人名は数十に限られていたようなので、少なくともルシウスは一般的な個人名でないと言うことはできるでしょう。

いっぽう氏族名にはLusiusという名があります(w:List of Roman nomina#I-L参照。実例としてw:Gaius Lusius Quietusw:Lucius Lusius Getaw:Quintus Lusius Quietus)。ガイウス・ユリウス・カエサルをユリウス・カエサルと表記する場合もありますので、ルシウス・モデストゥスは「氏族名+家族名(コグノーメン)」と見てもいいのかもしれません(後述のリストになく実際に存在したかは分かりませんが「モデストゥス」という家族名もいかにもありそうに見えます)。しかし古代ローマの人名#完全な名前の分析例に、日常的な使用では人物を家族名で呼ぶかあるいは個人名と氏族名を合わせて呼んだとありますので、日常的な使用としてはふさわしくないことになります。

ということでとりあえずこれくらいの記述は可能かと思うのですが。

なおローマ人の一般的な個人名(プラエノーメン)のうちにルシウスに合致するものはなく、最も近いものはLucius(ルキウス)である。ただし氏族名(nomen gentile)にはLusiusという名がある。

ところでマルクス・ピエトラスのほうなんですが、マルクスは個人名でいいとして、ピエトラスは何なんでしょうか。w:List of Roman cognominaにも[1]にもそれらしいのは見当たりません。2ちゃんねるには「マルクスの「ピエトラス」は「石工(pietrus)」かな」との書き込みもありましたが…。--Ryota7906 2010年5月25日 (火) 13:52 (UTC)

コメント ううむ、Ryota7906さんの解説は「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」「分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事」の範疇を超えているように思われ、ウィキペディアの公式な方針である「Wikipedia:独自研究は載せない」に反しているように感じますし、登場人物の名前の発音が現地の人間から見て奇異に見えるということは、作品の理解には繋がらない、些細なトリビアであるように思えます。同様の主張が本書の研究本として出版されたり、作者から何らかの見解が出されたり、主人公の名前の解釈に関する議論がメディアが取り上げる程の話題になった、というような出来事がない限りは、ウィキペディアには手に余る、載せるべきではない主張に思えます。
同様に、登場人物が実在の人間かそうでないかという記載も微妙に思えますが、この辺りは作品の理解に関係し、また発音の音写の問題と比べて主観や独自研究が入りにくく正確性の検証が容易であると思われ、個人的には「微妙だがセーフ」だと考えます。ただし人によってはアウトであると言うかもしれません。--Kanohara 2010年5月25日 (火) 14:51 (UTC)
コメント 追記になりますが、漫画やゲームに登場する、日本人には好ましい響きに聞こえる西欧風の名前が、現地の人には奇異に聞こえるというのは非常にありふれたことすし(例:「ベガ (ストリートファイター)」「アセチレン・ランプ (手塚治虫)」など)、日本人作家による作品に登場する日本人の登場人物の名前が、実在しないか非常に稀な姓であったり(例:「涼宮ハルヒ」)、作中の時代では人名用漢字として認められていなかった漢字が使われている例も少なくありません。むしろ偶然に名前が実在の人物と被ってしまうことを避けるため、創作の世界では敢えてありえない名前をつけることも行われていると本で読んだことがあります。
仮にRyota7906さんの解説が正しかったとしても、作者が知らずにそう命名したのか、あるいは知りつつも日本人にとってローマ人の名前らしく聞こえる名前を優先したのか、人名被りを避けるなどの理由で故意にありそうでない名前を選んだのか、その辺りの解説が伴わないと、単に「日本の漫画ではよくあること」の解説に留まってしまい、記事にとって有益な情報にはならないのではないでしょうか。--Kanohara 2010年5月25日 (火) 20:45 (UTC)
コメント ローマを舞台にし、ラテン語が散見し、史実に名を連ねる皇帝と同名の登場人物が用いられていようとも、本作品はあくまでもフィクションであり、「ルシウス・モデストゥス」も「マルクス・ピエトラス」も、作者であるヤマザキマリ氏の創作した架空の人物です。例えば作中で名前の綴りが(Lucius)と表記されているのであれば、「ルキウス」こそが正確な表記である旨を記述することにも意味が見出せるかもしれません。しかしそうした表記(出典)がない状態で歴史的資料などに依拠した蓋然的推論を展開するのであれば、これは独自研究に当たると考えます。
(追記)また、Kanoharaさんのコメントと若干重複致しますが、「少なくともルシウスは一般的な個人名でない」等の記述は、Wikipedia:ウィキプロジェクト 漫画に照らしても蛇足的に思えます。例えば「甲賀忍法帖」のような慶長19年の日本を舞台としたフィクションの作品における登場人物名(例:「蛍火」「蓑念鬼」「風待将監」「小豆蠟斎」etc)に対して、歴史的資料や古典を出典とした「時代考証」を行い、「当時の日本においてこのような姓名は一般的ではなかった」といった記述を付与することをRyota7906さんは是となさるのでしょうか。私には少なくともこうした記述が登場人物や作品の理解につながるとは思えません。(追記終わり)
ハドリアヌス」等の登場人物に関する記述について。
架空の人物であるルシウスと異なり、ハドリアヌスというローマ皇帝は実在したとされ、史実にも登場します。フィクションの物語ではありますが本作品はローマを舞台にしており、実在した皇帝と同名の人物が皇帝として登場し、アンティノーなる人物(男性)を寵愛していた、といった史実と同様の内容を展開している以上、これは他の人物をモデルにしているという疑義を差し挟む余地は極めて少ないと言えるでしょう。
ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)について。
原典にある「綴り」が史実の「綴り」と異なっていることを指摘するのは何ら問題ないと思います。しかし、「テルマエ・ロマエ」では(Lucius)という綴り自体が表記されておりません。Ryota7906さんが、「ルシウス」の綴りは(Lucius)であろう、という推論を起点にしている以上、こうした記事は比較対象になり得ないと思います。
シャーロック・ホームズについて。
Ryota7906さんが当該記事のどの部分を指して「明らかに作者の見解でない多数の説」と仰られているのかはさておき、私はシャーロック・ホームズの記事について論じているわけではありません。また、シャーロック・ホームズの記事中にある「作者以外の見解による記述」とされる部分を除去するつもりもありません。なぜならば、当該作品のシリーズにはシャーロキアンと呼ばれる熱狂的ファンが世界中に存在し、独自研究による記述が許される余地は極めて少ないと判断しているからです。--ごろんぼ医者 2010年5月26日 (水) 02:36 (UTC)

まず取り違えないでいただきたいのは、本文に反映させることを望んでいるのはインデントの部分、つまり

なおローマ人の一般的な個人名(プラエノーメン)のうちにルシウスに合致するものはなく、最も近いものはLucius(ルキウス)である。ただし氏族名(nomen gentile)にはLusiusという名がある。

だけでして、それ以外の部分ではありません。つまり「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる」事柄に限定されていることにご注意ください。もちろんその背景には上に書いた考察めいたもの(専門家の方から見れば不十分なものでしょうけど)を踏まえてはいますが、本文執筆にあたってさまざまな考慮をめぐらすことはよくあることですし皆様にもご経験のあることと思います。その上でウィキペディアの執筆ルールに沿うよう記述内容を精査したというだけのことです。また調査によって考えも変わらざるを得なくなりましたので、「ルシウス」の綴りは(Lucius)であろう、という推論をそのまま記述の起点にはしていないことも申し上げておきます。

「ルシウス」という名前に関して記述することの特筆性ですが、検索するとホームページ、ブログ(ただし前述の上枝教授のブログでは「間違いと断言することはできません。ということで前言撤回。お詫びして訂正します。」となっております。[2]参照。教授の言う「トラヤヌス帝の将軍」とは上にも挙げたQuintus Lusius Quietusのことです)、掲示板等に同様の指摘がいくつも見つかるうえ、そもそもルシウスは本来ルキウスとなる、とウィキペディアに最初に記述されたのは私とは別の方です。上記ホームページ等の中に本文執筆のための出典とできるものはまだないようですが、この件が読者に関心の高い事柄である、少なくともごく少数の者の関心事ではないことを示すことにはなるはずです。

ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)では英語とラテン語で基本的に同じ文字を使うため綴りの比較も容易なわけですが、古典ラテン語をカタカナに転写する法則はさして難しいものではありません。推論と言うほどの推論を行わなくとも、日本語のカタカナ名をローマ人の名前として論じることは十分に可能です。もちろん転写法則が専門知識にあたると言われればどうしようもありませんが、テルマエ・ロマエのレピドゥスと三頭政治のレピドゥス執政官は生きた時代が違うとか、ハドリアヌス、セウェルス、アポロドロスが実在の人物であるなどというのも歴史に関する専門知識を基にしなければ判断できないことでしょう。どちらも同等レベルの問題だと思うのですが。

なおシャーロック・ホームズを例に引いたのはウィキペディアの執筆基準について類例を挙げて論じたかったからであり、なにもシャーロック・ホームズの記事について論じたかったわけではありません。全くの蛇足ですが。--Ryota7906 2010年5月26日 (水) 14:22 (UTC)

コメント 個人的には「ローマ人の一般的な個人名(プラエノーメン)のうちにルシウスに合致するものはなく」の部分が「専門知識」であるように感じます。確かに、これは例えるなら「韓国人という設定なのに姓がといった五大姓のいずれにも当てはまらない」という程度には、ラテン語に堪能な人にとって奇異に聞こえるのだろうと想像しますが、私自身はラテン語の専門家ではなく、古代ローマでの生活を経験したことはないので、どの程度奇異に聞こえるのかどうかを肌で感じることはできません。「十人中十人が名前を聞き返すくらいおかしな名前」なのか「統計的に珍しい名前ではあるがローマ人の感覚では自然な名前に聞こえる」のか分からず、後者であるとするなら特筆する理由がありません。前者であったとしても、こうしたことは以前の発言で説明したように、フィクションの世界ではよくあることです。
また一連の議論の発端である、Luciusであれば音写はルキウスでなければならずルシウスという発音はおかしい、という主張についても、専門知識のない私には正確性を検証できません。こちらで「ルシウス」をファーストネームに持つ架空の人物を調べていたところ、「ハリー・ポッターシリーズ」の登場人物であるルシウス・マルフォイに行き当たりました。主人公のライバルであるドラコ・マルフォイの父親としてそれなりの出番がある登場人物で、原作(イギリスの小説作品)での綴りはLuciusとなっているようです。手元にあった映画(イギリスで撮影されたアメリカ映画)の録画を確認したところ、英語音声では「ルシウス」と発音されているようにも聞こえました。英語読みではLuciusをルシウスと発音するのは一般的であるのかも知れません。以下の検索エンジンでのヒット数を見ても「Luciusをルシウスと音写するのはおかしい」ことの根拠としては弱く思えます。
作者がラテン語の正確な発音ではLuciusをルキウスと発音するのを知っていてなお、日本ではルシウスの方が通りがよいと考えてこの読みを選んだ可能性もあります。
現状の状況では、どう言い繕っても独自研究にしかならないし、ミスではなく意図的なものである可能性も考慮して中立的な内容にしなければならないと思うのですが、それを承知で書くと、

ルシウスの綴りは作中で明かされていない。恐らくLuciusまたはLusiusであると推測されているが[誰?]、Luciusという綴りであれば通常ルキウス音写されるのが一般的であるため[要出典]、ルシウスという表記はおかしいという指摘もある[3][要高次出典]。ただし英語読みでは、例えば『ハリー・ポッターシリーズ』の登場人物ルシウス・マルフォイのように、Luciusをルシウスと発音する場合もあり[要検証]、おかしくないという指摘もある[誰?]。Lusiusという綴りについては、氏族名(nomen gentile)にこそLusiusという名があるものの、ローマ人の一般的な個人名(プラエノーメン)のうちにLusiusに合致するものはないため、古代ローマ人の感覚からすると奇異な名前ではないかとも言われるが[誰?]、史実上にはLusiusという個人名を持つ人物もいるため、奇異ではないという指摘もある[4][要高次出典]。いずれにせよ作者からの見解は発表されておらず、意図的なものであるのかミスであるのか、正確ではないことを承知でこのような表記を選んだのかは不明である。

のように書くしかないと考えます。しかしそこまでして言及する必要があるのかとか、出典が得られたからと言って作品の理解に役立つのかとかいったことを考慮すると、個人的にはかなり掲載には否定的です。有益な出典もない現状、ウィキペディアで書くよりも、個人ブログなどで展開した方がより有意義な内容に思えます。--Kanohara 2010年5月26日 (水) 17:24 (UTC)

なんだかご自身で作った虚構説に酔ってらっしゃるようでこちらとしてはやれやれといったところですが、ローマ人の個人名は20からせいぜい50くらいしかなく、同じものを親から子へと使い回ししたりしていたわけです。親子で同じ名というケースが少なくないのもそれが理由です。のちに外国出身者の増加に伴って個人名の種類は次第に増えていったようですが、意図的な曲解を防ぐためにも一般的な個人名は20ほどしかないということは記述中に明示しておいたほうがよかったかもしれませんね。他方韓国人の姓は280ほどありまして、他国と比較して姓の種類は少ないとはいえ五大姓でほぼすべての韓国人人口をカバーできるものではありません。

古典ラテン語で'c'の音価が[k]であったことはウィキペディアの古典ラテン語の記事に書いてあることです。ウィキペディア以外がよければ[5][6][7]にも同じことが書いてありますので。

Luciusを「ルシウス」と読むのは英語ですね。より正確にはルーシャスもしくはルーシアスとなるところですが(もっともイギリス英語ならあいまい母音の[ə]は「ォ」や「ゥ」にも聞こえるでしょう)、英語の発音とラテン語の発音を混同してもしかたがないですよ。だいたい他の人物名がリヴィーア、マーカス、レピダス、ヘイドリアン、セヴィアラス、アポロドーラスでもないのに、ましてやタイトルが『サーミー・ローミー』でもないのにルシウスだけ英語風というのはおかしいでしょう。また日本ではこっちの発音の方が通りがいいと考えるのならルシウスよりも先に発音しにくいリウィアをリヴィアとでもしたでしょう。Google検索ですが、「Lucius ルシウス」のヒット件数のほうが多いからといって同じ靴の販売店ばっかり登場する検索結果にどれほどの証拠価値があるんですかね。

最後の文案なんかもう馬鹿馬鹿しすぎて相手する気も失せそうですが、まあかりに作品の考証が誤っていたとしても(誤っていない可能性もあります)、私は「奇異」などという言葉を使う気はありません。それでも使いたいのならついでにハドリアヌス帝時代にレピドゥスという名の執政官がいるのもおかしい、奇異だと騒いでみてはいかがでしょうか。「いずれにせよ作者からの見解は発表されておらず、意図的なものであるのかミスであるのか、正確ではないことを承知でこのような表記を選んだのかは不明である。」については書きたければどうぞ、私はとめません。なんというか、Kanoharaさんのすぐ上の文はたとえて言えば、生没年もろくに調べずに名前だけ見て、あるいは名前も調べずに顔つきだけ見てこの人物は同一人物だ、この人物は別人だとでたらめ言ってるのと同じようなものです。--Ryota7906 2010年5月26日 (水) 21:01 (UTC)

コメント まあ私のことは何と思われようが別に構わないのですが、幾ら私を説得してもウィキペディアでは独自研究は認められないという方針があり、Ryota7906さんの説明は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になってしまうように思えます。そもそもこの方針は、このように独自研究の正確性や解釈を巡って議論になってしまうことを避けるという意味もあります。正直なところ私は別にRyota7906さんの学識を疑っている訳ではないのですが、私はRyota7906さんが本当に専門家であるのかどうかを知らないので、その正しさに太鼓判を押すことができません。そして仮に私が納得しても、読者に記述の成否を判断させることは、聞けば聞くほど更に困難に思えます。このノートで繰り広げられているような一問一答を、記事内に一つの項目を設けて説明するのは、明らかに冗長でしょう。もし然るべき出典があれば「……という指摘がある[1]」のような形で簡単に表記して、詳しい解説は文献を読んでくれ、という形にもできるのですが。
ウィキペディアの記事執筆者は資料を集めてきて要約・編纂する権利しか与えられておらず、「書評家の間でこのような論争がある」ことを紹介するのはむしろ歓迎することではあるものの(シャーロキアンの例など)、我々が書評家の役割を演じて記事内で作者の誤りを公然と指摘したり、誤りであるという結論へと読者を誘導するような記述は、領分を越えると考えます。
> 私は「奇異」などという言葉を使う気はありません。
と仰いますが、Ryota7906さんにその意図がなくても、読者は間違いの指摘だと受け取るでしょうし、間違いを指摘する意図がないならなおさら、そのような指摘は記述する意味がないと考えます。
また、ルシウスだけ英語風というのはおかしい、とRyota7906さんは仰いますが、作者はラテン語風の発音と英語風の発音が混じることに全く頓着していないのかも知れませんし、主人公の名前ということで敢えて通りのいい名前を選んだのかもしれません。最初は頓着していなかったが後から気になって、途中から方向修正したのかも知れません。仮に何らかの間違いだとしても「うっかりLuciusを英読みにしてしまった」のか「姓であるLuciusを名と取り違えてしまった」のか判別できません。事情が分からないことを仮説を交えて解説するのは、ウィキペディアでは禁じられている分析や解釈に当たると考えます。--Kanohara 2010年5月27日 (木) 01:09 (UTC)
ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)の件について。
現時点では作中でルシウスの綴りが表記されていないことは事実であり、それに対して「推論と言うほどの推論を行わなくとも、日本語のカタカナ名をローマ人の名前として論じることは十分に可能です」とご主張なさるのは、端的に言って詭弁、強弁としか受け取れません。類例としては甚だ不適切でしょう。
また、「(前略)実在の人物であるなどというのも歴史に関する専門知識を基にしなければ判断できない」云々についてですが、問題なのは転写法則が専門知識であるか否かではなく、あなたがそれを用いた推論に依拠しているという点です。実在の人物であったか否かの判断ですが、これはリンク先をたどればわかることでしょう。(名前自体がリンクされていないセウェルスにしても、現時点の説明文にバル・コクバの乱のリンクが貼られています。)これを「歴史の専門的知識が無ければ実在の人物であったかどうか判断できないこと」などと仰られては、百科事典の存在意義そのものが問われてしまいます。
シャーロック・ホームズの件について。
類例として挙げるのはジュリアス・シーザー (シェイクスピア)同様、甚だ不適切です。
すでに作者が鬼籍に入っており、これ以上続編が生み出されることもなく、既存の作品が数多くの研究者によって分析・研究されているシリーズであることを考えれば、むしろ「テルマエ・ロマエ」と対照的な例として好適でしょう。
本文に反映なさりたいという記述について。
巨人の星」という漫画を例に引いてみましょう。現代劇で、星 飛雄馬(ほし ひゅうま)という少年が常軌を逸した修練の末、読売ジャイアンツというプロ野球球団に入団、奇想天外な魔球で野球界に旋風を巻き起こすという骨格の物語です。この登場人物の記事には名前に関する記述が見られます。「テルマエ・ロマエ」の記事で、こうした「命名の由来」等について出典を伴う形で記述するということであれば異議を唱えるつもりはありません。しかし、現在提示されている内容については、いかにRyota7906さんが「ホームページ、ブログ、掲示板等で同様の指摘がいくつも見つかる」ことに依拠して「この件が読者に関心の高い事柄」と主張されたところで、作者のヤマザキ氏の意図が明らかでない点、当該作品が連載継続中である点などに照らせば、ウィキペディアの記事上に記述すべきではないでしょう。このような「第三者による出典を伴わない考察」は、どこか別の場所で発表されるべきかと思います。
最後に。
特筆性の論拠として「検索するとホームページ、ブログ、掲示板等に同様の指摘がいくつも見つかるうえ、(中略)この件が読者に関心の高い事柄である、少なくともごく少数の者の関心事ではないことを示すことにはなるはずです。」とありますが、Ryota7906さんの仰る「いくつも」とはどの程度の数なのでしょうか?また、Kanoharaさんがgoogleにて行った「Lucius ルシウス - ヒット数約 9,350 件 Lucius ルキウス - ヒット数約 4,040 件」という結果に対し、「同じ靴の販売店ばっかり登場する検索結果にどれほどの証拠価値があるんですかね」と疑問を呈されておりましたことを考えますと、「掲示板で行われている指摘」なども含め、たとえ匿名であっても同一人物による投稿は数に含めておられないのでしょう。記述の記載の根拠にはなり得ないと考えますが、後学のためにRyota7906さんの行われた検索の方法とカウント方法、カウント数を具体的に教えていただければ幸いです。--ごろんぼ医者 2010年5月27日 (木) 03:51 (UTC)--ごろんぼ医者 2010年5月27日 (木) 13:57 (UTC)(追記・修正)

いや私は専門家ではありませんし、記述の基にしているのも自分自身の学識というよりもっぱら執筆にあたって調査した内容ですが。

なるほど特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成ですか。リンク先に挙がっている例で問題になるのは、出典もなしに「したがって、ゴンリを食べることはがんになるリスクを減少させる。」、「したがって、ゴンリを食べることはがんリスクを増加させることにもなる。」と書いている部分でしょう。その前の部分については出典がありますので除去対象ではないのでしょうね。ここで私の記述案を引き合いに出せば、「したがって、主人公の名「ルシウス」については考証を誤っている」、「したがって、主人公の名「ルシウス」について考証の誤りはない」と書けば問題ですが、「ローマ人の一般的な個人名(20程度)にルシウスに合致するものはないがルキウスならある。氏族名にはルシウスがある」は出典こそないものの(出典をつけてもいいですが)、分別があれば正確性の検証が容易にできますので問題にはならないことになりますよ。さらに言えばこの書き方で本当に読み手が「間違いの指摘」と受け取ることになりますでしょうか。中には、今まで「ルシウス」はLuciusだと思っていたけど氏族名のLusiusでいいかもしれない、と受け取る方もいるのではないでしょうか(先述の上枝教授のように)。英語・ラテン語の発音の混在については、Luciusが英語で発音すると「ルシウス」と読めることは盛り込んでもいいかも知れません。作者はポルトガル在住だそうですが今調べてみましたらポルトガル語・スペイン語でもおおよそ「ルシウス」と読めるようですね。どちらにしてもすべて事実の指摘にとどまっており、それをどう判断するかは外部に任されていることになります。それは、「三頭政治のレピドゥスは共和政ローマの人間である」とだけ指摘してテルマエ・ロマエのレピドゥスと同一人物であるか判断を避けようとする執筆姿勢と同じものです(まだ本文に反映されていませんけど)。

「推論と言うほどの推論を行わなくとも、日本語のカタカナ名をローマ人の名前として論じることは十分に可能です」ですが、少し説明が足りませんでしたが、たとえば「ルシウス」とあった場合に想定されるラテン文字は「ル」の部分ならluかru、「シ」ならsi(英語での発音や二重子音を表記に反映させない可能性を考慮してもssi、ci、cci、sci程度)、「ウス」はusで、全体としても少数の可能性にとどまる、それらすべてを今度はローマ人の人名表でチェックすればいい、というだけのことですから、例えば「ルシウス」とあるのをHatoyamaとかOzawaと措定するみたいに極端な恣意性の入り込む余地はないと言いたかったわけです。別の例で言えば、「レピドゥス」とあればLepidusのことだな、「ハドリアヌス」ならHadrianusだなと容易に想定がつく、まともな分別があればAsashouryuuだのKotomitsukiだのを想定する可能性は全くない、ということです。この意味で「甚だ不適切」などという言い方は的外れですしまあ無分別でしょうね。

また、「(前略)実在の人物であるなどというのも歴史に関する専門知識を基にしなければ判断できない」云々についてですが、上に述べたように推論というほどの推論でもないし、仮に「推論」という言葉を使ったとしてもなんらかの恣意性が入り込むようなものではなく、ほとんど自動的、形式的に引き出される類のものです。私の記述案にもリンクは貼られており、リンク先の記述を判断材料にしてよいのなら、数が限られた一般的なプラエノーメンの中に「ルシウス」がないことを知るにはこれで十分でしょう。氏族名については英語版のリンクでも貼りましょうか。要するに少なくとも私が取り上げたい範囲内では名前に関する判断もテルマエ・ロマエ記事中の史実に関する判断と同程度のものだということです。

シャーロック・ホームズジュリアス・シーザー (シェイクスピア)について、「作者が鬼籍に入っており、これ以上続編が生み出されることもなく、既存の作品が数多くの研究者によって分析・研究されている」点についてはおっしゃる通り全く異なるところですが、作品というものは発表された瞬間から作者の手を離れて独立性を持つものです。作者でないからその作品について何も言えないということはありません。もちろん作者としての優位性はあり、あとで改訂したり解釈を述べたりすることもできますが、のちに作者による改訂があったとしても改訂前の版について作者以外の者は言及できないというわけでもないでしょう。何度も同じ類比を用いますが、史実との異同について言及ができるのであれば、史実におけるローマ人の名前と作中人物の名前の異同についての言及もできるはずです。

「本文に反映なさりたいという記述について。」に対する回答も既に述べました。出典があれば十分ですが、なくても史実との異同程度の客観性のある指摘なら可能なはずです。

以下大変長くなって恐縮ですが、主人公の名前について触れられているホームページ、ブログ、掲示板は次の通りです(スパムフィルターに引っかかってしまうためURL冒頭のhは省略しました)。検索エンジンはGoogleとYahoo!、検索ワードは「テルマエ・ロマエ ルキウス」、「テルマエ・ロマエ ルシウス ルキウス」です。ご判断は任せますが、私としてはこれらすべてが完全に別個の人物の手になるものであるとは言わないものの、すべてが同一人物によるとも到底思えません。

  • 「一つだけ残念なのは、主人公の名前が「ルシウス」。Luciusだろうからここは正しく「ルキウス」といってほしかった。」ttp://ueeda.sakura.ne.jp/tdiary/?date=20100417#p07
  • 「主人公は浴場技師のルシウス(厳密にはルキウスって読みが正しいはず。ここだけ玄人としてはちょっと残念)。」ttp://historicorum.jugem.jp/?cid=7
  • 「主人公の名前はルシウスよりルキウスがラテン語っぽいだろう(懐かしの衒学)。」ttp://431.teacup.com/kojirow/bbs/677
  • 「でも主人公の名前が「ルシウス」なのが気になります。「ルキウス」じゃないんですね。」ttp://moyashi.ohitashi.com/diary.html 2/18(木)の項
  • 「ルシウスは、恐らく「Lucius」と書くのでしょうか(ラテン語ぽく読むならルキウスな気もする)」ttp://coluck.blog103.fc2.com/?m&no=1055
  • 「たとえば、ルシウスはラテン語読みならばルキウスではないか、とか、」ttp://www.ann.hi-ho.ne.jp/a-hisa/top.htm
  • 「主人公は、古代ローマの風呂専門の設計士、ルシウス=デモストゥス(古典発音ならルキウスか)。」ttp://latlich.blog96.fc2.com/blog-entry-7.html
  • 「主人公の名前が「ルシウス」なのが気になりましたが(古典ラテン語の発音なら「ルキウス」に近くなるはずです)」ttp://theendsoftheearth.blog75.fc2.com/blog-entry-299.html
  • 「「テルマエ・ロマエ」のルシウス・モデトゥスとマルクス・ピエラトスを見ていると、「ROME」のルキウス・ヴォレヌスとティティス・ブッロのコンビを連想します(笑)。名も同じルキウス(ルシウス)は真面目で堅物、家族思い。」ttp://capricornus0819.blog61.fc2.com/blog-entry-255.html
  •  ttp://2bangai.net/read/b82c26ea31e75d14d2e9b7f12b04fd32b570f82b620fa6415d4058eaf1249db0/all

423: 名無しんぼ@お腹いっぱい 2010/03/18(木) 00:37:45 ID:Ow/zMW8h0

表紙みて躊躇した こんな薔薇漫画買えねーよ

425: 名無しんぼ@お腹いっぱい 2010/03/18(木) 00:43:45 ID:u/6vhcPE0

423にまで誤解されたルキウス・・・

438: 名無しんぼ@お腹いっぱい 2010/03/18(木) 05:51:53 ID:RwT1upF/P

>>425
やっぱりルキウスでいいのか
ひょっとして Lusius という名前がほんとにあったのかと思ってた

560: 名無しんぼ@お腹いっぱい 2010/03/22(月) 13:49:46 5bvKYlWQ0

ルシウスってルキウスって発音するんじゃないの?
 
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/ルキウス

659: 名無しんぼ@お腹いっぱい 2010/03/24(水) 20:35:05 ID:dkyiIX9U0

ルシウスはルキウスでなくていいの?
  •  ttp://www.unkar.org/read/changi.2ch.net/comic/1270910456/1273411404/

232 :名無しんぼ@お腹いっぱい[sage]:2010/04/23(金) 19:45:20 ID:jf3/6cE60

羅:ルキウス
伊:ルカ、ルーチョ、ルチアーノ
西・葡:ルシオ、ルシアーノ
仏:リュシアン、リュック
英・独:ルーカス、ルーク
 
イベリア的なラテン語だったらルシウスになるのかもな
ハドリアヌスもスペイン出身だし、作者はポルトガル在住だし
  • ただ一つだけツッコミ。Luciusの発音は正確には「ルーキウス」だ、ラテン語のCはKに相当する。 [念] posted at 04:59:06
「ルシウス」というのは「シーザー」のような英語読み。実際には面倒なので長母音は省くので「ルキウス」が一般的。略す時は「L」。ちなみにラテン語のKは「Kalendae」一語にしか使わないのでカ行にはCを用いる。 [念] posted at 05:10:51 ttp://twilog.org/negi_hei/date-100107

ほかに明確な断りのないまま主人公を「ルキウス」と表記しているブログやホームページが11件ありました。--Ryota7906 2010年5月27日 (木) 21:01 (UTC)

繰り返しになりますが、件の記述は「現実の古代ローマ人に関する記録等に基づく分析」であり、それをフィクションの作品における登場人物の「作者の意図が明らかにされていない名前」にあてはめること自体が独自研究だと私は考えます。
「史実との異同に対する言及」は、実在した人物をモデルにした登場人物に対してのみおこなわれるべきでしょう。架空の登場人物であるルシウスに対して史実(現実)におけるローマ人の名前を持ち出し、対比・分析した中に異同を見出す行為は対象も意味も異なります。前者は対象が実在した人物(をモデルにした登場人物)であるため、作中の言動等の差異が史実という出典の中で浮き彫りにされているわけですが、後者は対象そのものが史実には登場するはずもない、架空の人物です。その架空の人物の名前に対し、史実に則った分析をあてはめる行為は前者と同列にとらえられるものではないでしょう。
フィクションの世界においては「古代ローマを舞台に、実在した皇帝や将軍(をモデルにした登場人物)と架空の登場人物が混在していようとまったく問題ではありません。その名前がルシウス・モデストゥスであろうがマルクス・ピエトラスであろうが、物語の世界にはルシウスはルシウスとして間違いなく存在し、誰もがそう呼んでいるのです。創作である以上、史実にその名を見出すことは当然かなわないでしょうが、逆にいえば史実に名を連ねているはずのない架空の人物に対し、史実を根拠とした分析をあてはめようとするのはいかがなものかということです。
件数の多寡や重複回避の信頼性、そして何よりもその内容が「関心の高さの根拠」になり得るのかはここでは問いません。しかし、色々と列挙されておられるこれらのブログの管理者や掲示板の住人はRyota7906さんと同様に疑問や推論を展開しているようですから、コメント等で件の「分析」を展開されてはいかがですか?もしかしたらRyota7906さんの「分析」は歓迎されるかもしれません。翻って、ウィキペディアにおいては独自の考えを発表する場ではない旨が公式方針として提示されており、その中には「分析」も含まれています。また、仮に当該記述が独自研究に該当しないとしても、フィクションの、それも「日本の漫画では枚挙に暇がないような事例に対する蛇足的記述」は歓迎されないであろうというのが私の見解です。
しかしどうあってもRyota7906さんが当該記述を記事中に反映させたいということであれば、その是非に対し広く意見を募る意味でコメント依頼をかけるのも一つの手段かと思います。私は積極的に依頼をかけるつもりはありませんが、コメントが寄せられれば独自研究に対するコミュニティの解釈などもより明確になる可能性があります。--ごろんぼ医者 2010年5月28日 (金) 03:34 (UTC)
こんにちは、通りがかりのものです。
はっきり言ってなぜフィクションの、本筋に関係ない瑣末な事になんでこんなに時間を費やすのか理解できません。フィクションの話で作者がそう決めたんだから外野はそれ以上どうもできんでしょう。ラテン語とかWikipedia:外来語表記法/ラテン語あたりでも加筆されたほうがよっぽど有意義と思います。--とん坊 2010年5月28日 (金) 04:07 (UTC)
一連の流れを拝見させていただきましたが、ルシウスの綴りが「Lucius」「Lusius」どちらかハッキリするまでウィキペディア上で言及するべきではないかと思います。個人的には該当の綴りと発音の関係に間違いがないのであれば「記述してもいいし、しなくてもいい」と思いますが、正確な綴りが分からない現状では「記述するのには問題がある」と感じます。性急な結論が出されることを避けるためにも、今は公式の発表を待つべきではないかと。
ただし、ウィキペディアで禁止されている「豆知識やトリビアの禁止」というのは、決して「知っても得しない無駄な知識」を禁止しているわけではないので、信頼できる出典があり、本文に違和感なく組み込んであるのであれば、作品をより深く知るための情報として記述するに値することだとも思いますが。--寝太 2010年5月28日 (金) 08:08 (UTC)

分かりました。この問題に関する信頼できる情報源の出現まで記述は控えたいと思います。長い議論にお付き合いいただきました皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。--Ryota7906 2010年5月28日 (金) 13:05 (UTC)

いまさら何だと言われそうですが

などを出典に

なお外国語文献では主人公の名をLuciusないしLucius Modestusとしているが、Luciusを古典ラテン語で読むと「ルキウス」となる。

と記述することはできますでしょうか。後半部はウィキペディアのリンク先で不足なら[8]などを出典にしてもかまいません。--Ryota7906 2010年6月1日 (火) 20:43 (UTC)

編集します。--Ryota7906 2010年6月8日 (火) 20:55 (UTC)


情報 せっかく色々と海外の紹介記事を当たって下さったのに、この情報を出すのは正直忍びないのですが、作者公式ブログの過去の記述でルシウスの綴りについて言及している記述を探し当てましたので、報告します。

作者によれば、ルシウスの綴りは“Lucius”であるとのことです。個人的には、発音云々は野暮な指摘ではないかとも思っているのですが、ともかく(作中で言及されていない以上、後から設定が変更になる可能性も残るものの)現状でこれ以上信頼性の高いものはない資料が発表されましたので、出典は置き換えさせて頂きます。--Kanohara 2010年6月9日 (水) 10:13 (UTC)

情報源の存在を伏せたまま議論を続けていたのだとすれば対応に偽善的なものを感じざるを得ませんが、最終的に一次資料をご提示いただいたこと自体には感謝申し上げます。--Ryota7906 2010年6月9日 (水) 13:26 (UTC)
コメント 私が作者ブログの記述に気がついたのは、先日におけるRyota7906さんの加筆内容を、外国語文献の書誌情報の書き方に沿ったものに整形しようと考えて調べものをしている最中のことで、特に他意はありません。そもそもルシウスの綴りがLuciusであることが分かっていたなら、Ryota7906さんが「ルシウスだけ英語風というのはおかしい」という主張に対して反論の材料にしていますし、私の主張は、例えばルシウスの綴りがLuciusであることが論敵に知れると困るような内容ではなかったはずですから、そう感じたとすればRyota7906さんの思い過ごしです。もう少し早く気がついていたら議論もスムーズであったとは思います。--Kanohara 2010年6月9日 (水) 13:51 (UTC) 修正--Kanohara 2010年6月9日 (水) 13:53 (UTC)

作中の人物が実在の人物かどうかについて

以前から気になっていたのですが、レピドゥス執政官についての記述で

なお第二回三頭政治で有名なレピドゥス執政官は共和政ローマの人間であるため、別人である。

と、ありますが、レピドゥス執政官が作中と史実で異なる扱いをされているという点はともかく、別人であるという部分には何か公式な出典があるのでしょうか?

もしも特に出典があるわけでもなく、「結果的に考証ミスになってしまったが、作者は実在したレピドゥス執政官のつもりで描いていた」とされる可能性があった場合、作者の意図に反して「別人である」と表記するのは独自研究に当たるため、公式なコメントが発表されるまでは「史実と異なる」という事実のみを表記するべきだと思います。

さしあたって反対意見がなければ、上記の表記を

なお第二回三頭政治で有名なレピドゥス執政官は共和政ローマの人間であるため、史実と異なる。

と修正しようと思うのですがいかがでしょうか。--寝太 2010年5月26日 (水) 11:06 (UTC)

  • 趣旨にはおおむね賛同しますが、「史実と異なる」と書いてしまうと、テルマエ・ロマエのレピドゥスと三頭政治のレピドゥスは同一人物であるということを前提にしているようにも受け取られかねませんので、たとえば
なお第二回三頭政治で有名なレピドゥス執政官はハドリアヌス帝の時代ではなく共和政ローマの人物である。

という感じにしたほうがよいのではないでしょうか。--Ryota7906 2010年5月26日 (水) 16:30 (UTC)

賛同ありがとうございます。提案していただいた例文も参考にさせていただいた上で本文の該当箇所を修正したいと思います。--寝太 2010年5月28日 (金) 08:08 (UTC)
  • ひとつ上の項で熱い(暑苦しい?)議論を交わしたすぐ後で指摘するのはちょっと気が引けないでもないですが、共和政・帝政を通じローマにLepidusという名の執政官は実数18人、のべ22人いたようです(数え間違いでなければ)。第二回三頭政治のレピドゥスのみ記述するのもどうかなと思ったんですが。たとえば三頭政治のレピドゥスのお父さんなんかも執政官ですね。ただしハドリアヌス帝時代にはやっぱりレピドゥスという名の執政官はいません。--Ryota7906 2010年5月29日 (土) 13:55 (UTC)
おっしゃるとおり、レピドゥスに関しては他の実在した人物と比べて作中での情報が少ないため(ローマの執政官、カンパニア州の別荘で療養生活を送っている程度)、記述に慎重を期すべきかもしれないですね。ただし、個人的な意見を言わせていただきますと、
 「あくまで作中の舞台はハドリアヌス帝の時代であること。」
 「実在した「レピドゥス執政官」という名前の人物で有名なのは、三頭政治を行ったマルクス・アエミリウス・レピドゥスであること。」
これらのことを考えると、あまり有名ではないレピドゥス執政官を作者がモチーフに選ぶとは考えにくく、また関係の薄いレピドゥスという名前の執政官について記述するのは読み手に混乱を招いてしまうかもしれません。 件のレピドゥスがカンパニア州に住んでいたという事実があったり、無名でもハドリアヌス帝時代に一人でもレピドゥスという名前の執政官がいたりすれば、その人物を候補に挙げることはできたと思うのですが…。
ただし、モチーフとなった人物の解説を完全に削除してしまうと「この人は史実では何をやった人なの?」と情報を求めてウィキペディアを訪れた読者に不親切な記事になってしまうというのも事実だと思います(私も同じ疑問を持ってこのページを訪れたクチです)。
また、私は歴史についての知識がないため、検証できないのですが、現在レピドゥスのページへのリンクはマルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前78年の執政官)のページの方にリンクが張られているため、もし息子の方が有名であるのならばマルクス・アエミリウス・レピドゥスのページにリンクを差し替えたり、お父さんと息子両方のページへのリンクを張ったりするなどの修正は、記事の信頼性を高めることになるため積極的に行うべきだと思います。--寝太 2010年5月29日 (土) 19:59 (UTC)
コメント ううむ、個人的には現在の文面は「本来なら」という強調のせいか、少々「結果的に考証ミスになってしまったが、作者は実在したマルクス・アエミリウス・レピドゥス執政官のつもりで描いていた」という前提に偏り過ぎているようにも感じています。個人的には、記述順序も変更して、
なお史実上ではハドリアヌス在位中にレピドゥスという家名を持つ人物が正規執政官、補充執政官になった記録はない。実在した「レピドゥス執政官」としては、例えば第二回三頭政治で有名なマルクス・アエミリウス・レピドゥスが挙げられるが、本作の舞台である西暦130年頃ではなく、紀元前100年頃の共和政ローマの時代を生きた人物である。
のような表現が当たり障りないと思うのですが、どうでしょうか。--Kanohara 2010年5月29日 (土) 21:10 (UTC)
「本来なら」という一文は「作者はマルクス・アエミリウス・レピドゥスをモチーフにした可能性が高い」ということを強調するために加えたものだったのですが、確かに今現在では可能性が高いというだけで断定できるほど確実なものではなかったですね。解説が丁寧なので、少し文が長いかな?という気はしますが、提示していただいた修正案自体には異論は無いです。--寝太 2010年5月30日 (日) 00:19 (UTC)
単に名前を拝借したのか、偶然の一致か、あるいは考証の誤りか、作者の意図はわからないけれども、史実上有名な人物と同名であり、かつ同じ役職の登場人物ということであれば、記事中にある程度の注釈が付記されても何ら問題はないと思います。したがって、私はKanoharaさんの案に異論はございません。ただ、第二回三頭政治のレピドゥスにだけ言及するのは絶対に問題があるということであれば、Ryota7906さんによると「レピドゥス執政官」というのは18人もいたということですので、
共和政・帝政を通じローマにはレピドゥスという名の執政官は18人存在したが、史実上、ハドリアヌス在位中にレピドゥスという家名を持つ人物が正規執政官、補充執政官になった記録はない。
といった記述にしてはいかがでしょう。実のところ作者の意図がわからない以上、ハドリアヌス在位中にレピドゥスという執政官はいなかった、という記述があれば論理的にはそれで十分なのかもしれません。
それと、Ryota7906さんはいまもって「独自研究」という指摘にご不満をお持ちのご様子ですが、ご提示された内容そのものに対し疑義があるということは私を始め、誰一人申し上げておりません。例えばあれらの内容が「ハドリアヌス帝物語」といった、「史実に基づいた内容であることを標榜した書籍」等に対して向けられていたのであれば、おそらく独自研究という評価は受けなかったでしょう。私はローマ人の名前に関してご提示いただいた内容そのものは「事実の摘示」であろうと考えておりますが、それをフィクションの作品に登場する、架空の(しかも作者が命名の意図を明らかにしていない)人物に当てはめることを問題視したのです。その点はどうかご理解頂きたいと思います。
また、レピドゥスという執政官が18人いた、という事実は議論の中でRyota7906さんによりこの場で明らかにされたわけですが、それ以前の段階においてはどの利用者も「レピドゥス執政官=第二回三頭政治の…」と考えて(連想して)いたために、「記述に問題なし」と判断されていたのではないでしょうか。私も歴史にはあまり詳しくはありませんが、閲覧者が(史実上著名な人物である)第二回三頭政治のレピドゥスと混同しないためにもこの程度の注釈は問題ないと判断しました。たしかに別人という公式な出典はありませんが、生きた時代が異なれば別人であることは当然の帰結ですし、史実上有名な人物と同名かつ同じ役職の登場人物ということであれば注釈の特筆性は十分あると思います。もちろんその際には、作者の命名の意図が不明である点に慎重な配慮を行わなければなりません。
Ryota7906さんは、ご自身が展開なさった「ルシウスの名前に関する古代ローマの一般的な人名のデータを根拠とした主張」と、今回の問題を同列に捉えられているようですが、ルシウス・モデストゥスという浴場設計技師は史実上にその名を見出すことのできない人物です(ハドリアヌス在位中にレピドゥスという執政官はいなかった、すなわち「作中のレピドゥス」も史実に名を見出せない架空の人物だ、と言われそうですが…ここで言う「見出せない」とは「史実全体を見渡した時に」という意味です)。これらの問題は性質が異なるという点にご注意頂くとともに、ご自身の主張が退けられたことに対する意趣返しとも取られかねない発言はお控えください。--ごろんぼ医者 2010年5月31日 (月) 07:07 (UTC)
いや意趣返しってのもちょっと違うんですけど、いろいろと思うところもありまして。
レピドゥスという執政官が18人いたことを知らず、どの利用者も「レピドゥス執政官=第二回三頭政治の人物」と考えたのだろう、という推測はおそらくその通りでしょう。というか、私自身「レピドゥス執政官」というのは史実上1人だけかと思っていたので、それなら本文のレピドゥスの項で言及するのも不自然ではないと思っていましたが、実際にはこれだけ該当人物がいてまたマルクス・アエミリウス・レピドゥスの近親者にも執政官が大勢いるのなら、モデルにしたかもしれない人物は多数いることになり執筆状況も変わってくるだろうと思ったのですが。少なくとも「知らなかった」ことを前提にした記述をそのまま維持するというのは変じゃないかと。
それから「生きた時代が異なれば別人であることは当然の帰結」というのも本当はよく分からないことでして、寝太さんが推測なさったように、三頭政治のレピドゥスをモデルに、時代設定だけ変えて登場させたのかもしれませんし。また逆にごろんぼ医者さんが小さい字でお書きになったとおり、ルシウス・モデストゥスと同じく全くの架空の人物であるのかもしれないし(そうだとすればレピドゥスに関する説明も架空人物についての言及ということになり削除対象になってしまうわけで皆さんのせっかくの文案検討も水泡に帰すかもしれませんね(笑))。まあ作者が何も言わない限りはそのレベルのことすらはっきりしたことは何も言えないわけですけど。
そのあたり十分な考察を踏まえていないような気がしましたのでね。まあ記述のほうはできるだけつっこみの来ないような中立的な形にすればそれでいいかとは思いますよ(上の事情を考慮すれば「何も書かない」というのが最も安全な策かもしれませんがそれはそれで野暮な話です)。ただあれだけ人をギリギリと攻めたてておいて(笑)、自分たちのやってることは調査にしても考察にしてもずいぶんと脇が甘いんじゃないの、と思ったので。--Ryota7906 2010年5月31日 (月) 19:46 (UTC)
Wikipedia:検証可能性を読まれていただくとお分かりになると思いますが、該当ページに「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」とあります。
本作に登場しているレピドゥスは、マルクス・アエミリウス・レピドゥスである。
と断言してしまうと、それを証明する出典が存在しない現状では問題ですが、
レピドゥス執政官と呼ばれる人物で有名なのは、マルクス・アエミリウス・レピドゥスである。
と記述する分には、マルクス~が有名だったという事実を証明する出典を提示することは十分可能なので、記述しても問題ないと思われます。また、これは個人的な意見ですが、ウィキペディアに記述する以上、間違ったことや可能性の低いことを記述することはできるだけ避けるべきだとは思いますが、記述する以上は絶対に真実でなくてはならないと考えるのは少々極論すぎるかと思います。--寝太 2010年5月31日 (月) 23:12 (UTC)
説明不足で申し訳ありませんでした。先に述べた、「生きた時代が違えば別人であることは~」という文言における「別人」ですが、これは史実において「第二回三頭政治で有名なマルクス・アエミリウス・レピドゥス(長いので以下三頭レピドゥス)とは別人(=架空の登場人物)」という意味です。作者が三頭レピドゥスをモデルにしながら結果的に考証を誤ったのか、それとも著名人物として名前だけを拝借したのかはわかりませんが、いずれにしても三頭レピドゥスとは生きた時代が異なる以上、作中の「レピドゥス執政官」はあくまでも「架空の登場人物」としてセウェルスやアポロドロスなどとは区分して考えるべきかと思います。ただし、作者から登場人物に関する意図等が公式に発表された時は、それに則る形で記述を改める必要が出てくるかもしれません。
>「レピドゥスに関する説明も架空人物についての言及ということになり削除対象になってしまう
既述しておりますが、ルシウス・モデストゥスやマルクス・ピエトラスと異なり、史実上著名な人物と同名・同職であることに照らせば、論理的に架空人物であったとしてもある程度の注釈が付与されるのは問題ないと個人的には考えます。また、当該人物(三頭レピドゥス)が著名である事は寝太さんも仰っているように充分検証可能でしょう。
>「調査にしても考察にしてもずいぶんと脇が甘い
記事に不備があったとしても、それに気づいた者が修正・補填していけばよいわけですし、ときにはそれについて議論を交わすこともあるでしょう。記事というものの成長にそうした経緯があるのは至極当然であり、議論とは記事の内容を精錬する工程だと考えます。ウィキペディアは戦いの場ではありません。誰からどの意見が出たか、どの調査結果がもたらされたかということよりも、それが検証可能か、どのように記事に反映されるか、ということこそが最大の問題ではないでしょうか。議論の結果に対し「あれだけ人をギリギリと攻めたてておいて」とのたまい、ご自身の調査内容に依拠して他の利用者を「自分たちのやってることは調査にしても考察にしてもずいぶんと脇が甘いんじゃないの」と揶揄するRyota7906さんの姿勢には大変残念なものを感じます。--ごろんぼ医者 2010年6月1日 (火) 01:34 (UTC)

あの、寝太さんのいう検証可能性の議論は、私が上の節で展開した

本作のルシウスは、LuciusないしLusiusである。
と断言してしまうと、それを証明する出典が存在しない現状では問題だが、
古典ラテン語でのLuciusの読みはルキウスである。氏族名にはLusiusがある。
と記述する分には、事実を証明する出典を提示することは十分可能だ。

という趣旨の議論と同じでして、記述内容の検証可能性については既に問題の焦点でなくなっていたことをまだご理解いただけていなかったことはまたちょっとがっかりというか、まあ残念なところです。こちらの言葉足らずだったかもしれないし、ほかにややこしいこともいっぱい書いたので読み取れなかったのもあるいはやむをえないことだったかもしれませんが。

問題の焦点はごろんぼ医者さんの言う、史実において同名・同職の著名人物がいるかいないか、というところでしょう。おそらくそこ以外にレピドゥス執政官とルシウス・モデストゥスを分けるポイントはないだろうと思います。

あと前回書き忘れましたが、私も歴史に詳しいわけではありません。高校の世界史レベルの知識さえおぼつかないほどですが、上に挙げた情報はすべてインターネットの検索だけで引き出せました。詳しくなければ調べればいいのですから、「私は歴史に詳しくないので」云々は、私には自己韜晦かそうでなければ単なる努力不足の言い訳にしか聞こえなかったのです。一般論で言って、何か書くのなら入念な下調べをされるほうが望ましいとは思いますね(私もあまり他人のことは言えませんが)。

ごろんぼ医者さんの最終段落はすべて正論で文句の付けようもないのですが、ひとつ苦言を呈するならば、次回から同様の編集をされるときは、Wikipedia:信頼できる情報源#出所の不確かな素材に記されている推奨される方法に準拠されたほうがよいかと思います。利用者は皆人間ですので、ばっさり削除されると場合によって他の利用者にまた無用な感情的対立を引き起こすことにもなりかねない気がします。私にも反省点は多々あります。常に冷静さを失わないよう努めなければなりませんね。私の発言によってご気分を害された方々にお詫び申し上げます。--Ryota7906 2010年6月1日 (火) 20:43 (UTC)

勃起不全の記述について

リウィアの節で、「種馬扱いされていると不満を感じたルシウスは、リウィアには性的魅力を感じなくなり、さらに疎遠になってしまった」と書いたところ、[[勃起不全|役に立たなくなり]]、とリバートされました。しかし、ルシウスは他の女性には興奮するのであり、医学的な意味での勃起不全になったのではありません。勃起不全では正しいと言えません。--123.198.30.230 2012年5月20日 (日) 00:40 (UTC)

と問題提起したところ、リーバートされたKoneさんから返事がありました。その趣旨は、「ルシウスはリウィアに精神的プレッシャーをかけられ続けて、彼女に対しては勃たなくなってしまった。“妻を今でも愛している”と明言しており、その後彼女を迎えにも行っている(振られますが)。決して彼女に対して性的魅力を感じなくなったわけではない」というものです。

特定の一人にだけ不全になるということはそもそも考えにくいことです。また愛していることと、性的魅力を感じることとは、必ずしも同義ではありません。原作者が女性ですし、そもそも原作の設定に無理があり、男性の生理を理解してないとも思います。「リウィアに対しては不全になった」という記述で妥協する用意はあります。どことなく不全という言い方はルシウスを侮辱している気がするのですが、原作がそうなら仕方ありません。--123.198.30.230 2012年5月20日 (日) 04:36 (UTC)

ウィキペディアは基本的に、二次資料を用いて執筆を行います。ノンフィクションなどでは一部について、それを分別のある大人が見て誰がどう見てもそう解釈できる場合にのみ、確かな検証可能性が有る事が前提で、一次資料に則った執筆が許容されています(Wikipedia:スタイルマニュアル_(フィクションの記述)Wikipedia:独自研究は載せない)。
つまりこの不能問題につきましては、本来であれば有力な漫画評論家やの評や、ダヴィンチ等の書評、公式サイトや作者による言及、などを元に執筆すべきで、やむを得ず一次資料に基づいて記す際には、勝手読みを行わない様、できるだけ保守的に、無難に記す様、細心の注意を払わねばなりません。ちなみに単なる漫画の登場人物であるルシウスへの侮辱などは全く気にしなくていいですし、123.198.30.230さんが妥協なされるかどうかもあまり関係有りません。基本的には資料と方針に、淡々としたがって下さい。
さてそれを踏まえまして、私も一部、読み直してみました。確実に言及されていることは・・・第6話、即ち第2巻 p.11で、ルシウスは自身を子孫も残せない男だと称している。ただしマルクスは、そうとも限らない、リウィアのせいかもしれないと慰めている。p.12ではリウィアは精の付くものを積極的にルシウスに与え、子作りを強くせがんでいる。ルシウスはその期待に応えきれなかった。ルシウスはリウィアの前では萎縮する(気持ちが?陰茎が?)。・・・ということです。そしてルシウスはその後、p.15で勃たんと明言しています。つまり、医学的な定義はどうあれ、一次資料を素直に解釈すると陰茎が勃起しなかったことはどうやら事実で有ると、誰もが解釈するのではないでしょうか?さて、pp.28-29では他の女性、つまり金精祭に参加している平たい顔族の知恵ちゃんに対してルシウスは何はともあれ勃起しています。しかしこれはどうでしょう。元々リウィアにのみ勃たなかったのでしょうか。それとも誰に対しても勃たなかったものが、平たい顔族の知恵ちゃんがローマ人にはルシウスにはよくわからない金精祭で見せた痴態が一つのカルチャーショックとなり、それをきっかけとして勃起不全的なものが快癒したのでしょうか?個人的には誰に対しても勃起しなかった様に取れます。だから知恵ちゃんに勃起したことを、ルシウス自身がp.29で「なんと」と驚いているのでしょう。しかしもしかしたら作者のヤマザキ氏もそこまで設定していないかもしれません。明確な情報がないのに、勝手に推理をしてはいけません。個人的な解釈は個人的な解釈でしかなく、個人的な感想は個人的な感想でしかありません。名のないウィキペディアンのいち感想などは、掲載するに値しないものです。よくわからないことは書かないのが一番です。まあしかしその後・・・つまり何はともあれ勃起する様になった後、p.36では今ならリウィアをいくらでも満足させられると豪語していますので、リウィアに対してのみか、他の女性にもなのかはさておき、結局勃たなかったものは勃たなかったみたいですけどね。ですから・・・例えば「かくかくしかじかで勃起が得られず満足に性交が行えず、(そのためか)子を得る事ができなかった」は、結構、一次資料を素直に解釈すれば誰でもこの辺りの認識になりそうなのですが、如何でしょうか?
それとですね、こう言った際に査読・検証の助けになりますので、何かを加筆なさられるときは、できるだけ何巻何p情報なのか、何話情報なのか、を、脚注で入れておかれることを強くお勧め致します。まあテルマエ・ロマエはまだ4巻(800Pくらい?)なので探し出すのも不可能ではありませんが、どんどん検証が困難になっていきます。--Hman会話2012年5月20日 (日) 07:23 (UTC)
もっと短く端的に書いてください。そして内容をそこまで書いてしまうのは、ネタバレや著作権侵害になる可能性もあります。平たい顔族の知恵ちゃんには勃起する時点で、勃起不全ではありません。そして「単なる漫画の登場人物なのだから、侮辱などは全く気にしなくていい」というのはどうでしょうか。世論や社会に与える影響を含め、また映画化もされており、阿部寛さんがルシウス役で演じていることもありますし、漫画の登場人物であっても配慮は必要です。読者に不快感を与えたり、セクハラ被害感情を抱かせないことも表現者として大事なことです。あなたは独自研究に基づいた独自の解釈を加えすぎていると思います。--120.74.57.104 2012年5月20日 (日) 13:44 (UTC)
Wikipedia:あらすじの書き方に準じた内容でお願いします。ネタバレに対する過度の配慮は不要です。ウィキペディアに参加なさられるのであれば、ルールは守って下さい(私を口喧嘩で負かしたところでルールは変わりません。ウィキペディアのルールに不満があるのであれば、まずはWikipedia:井戸端あたりでネタバレについてのルール変更を打診し、それが施行されてからにしてください)。また、私は勃起不全との断言は慎重に、と申し上げてございます。そして、ルシウス自身が「勃たない」と断言しています。病名はどうあれ、勃たないものは勃たないのです。「勃起不全」という病気ではないかもしれませんが、何はともあれ勃起はしなかったようです。何せ勃たないと言っているのですから、勃起はしないのです。映画云々についてはお答えする必要も無いでしょう。表現者?我々は名の無いただの一般人ですよ。「表現」を行いたいのであれば、ご自身の責任で、ご自身のwebスペースなり、本を書かれるなりでお願いします。ここはウィキペディアなんですよ。ウィキペディア編集者は何よりも、検証可能で確かな事実を過不足無く、特定の視点や思想による検閲などを経ず、読者に届けるために、良い記事を書いて下さい。--Hman会話2012年5月20日 (日) 15:12 (UTC)