ノート:テルトゥリアヌス
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編集意図説明「合理化」
[編集]この編集につき説明しておきます。
- 「これは合理化されることを厳しく拒絶するという宗教の性質をあらわしている」について(本当に加藤尚武ほどの人がこんな偏見に満ちた杜撰な文章を書いているのか疑わしいのですが…)。「合理化」の定義にもよりますが、ここでは大辞林に拠りましょうか。
- 大辞林より
- ① 現象を理に合ったものとしてとらえなおすこと。 「事態の-を図る」
- ② 無駄を省いて能率化すること。余剰人員・設備を削減すること。
- ③ 新しい技術・設備の導入,労働組織・管理体系の計画的再編成によって労働生産性の向上を図ること。 「工場を-する」
- ④ 〘心〙 罪の意識や自責の念から逃れるために,真の動機となる欲求を隠蔽しようと無意識的に働く心理的自己防衛。
- ⑤ 〘哲〙 事象を理論的に分析整理し,その中に秩序や法則を見いだすこと。理論化。
- ①や② についてですが、もしこうした「理に合ったものとして捉えなおす」「無駄を省く」ことを「激しく拒絶する」のであれば、教皇庁のような巨大組織が維持される事は無いでしょう。
- ③ についてですが、新しい技術・設備の導入は、西欧・西方教会においてはむしろ教会によってなされて来ました。酒の多くの銘柄が修道院由来なのも無関係ではありません。グレゴール・ヨハン・メンデルはカトリック教会の司祭でした。なるほど現代ではそういう現象は殆ど無くなりましたが、「合理化を宗教として厳しく拒絶する」という文章を削除するには十分な反証です。
- ④ 心理学については殆ど知見を有しませんので、今は言及を避けます。
- ⑤ 「事象の秩序や法則を見いだす」ですが、これをずっとやっていたのが中世西欧の神学ですね。
大体からして、西方教会の神学というのは「理性重視」の傾向が大変強いものです。「合理化」と「理性」が直結するかどうかという厳密な議論は措きますが、それにしても「合理化を厳しく拒絶する」というのは無根拠、というより単なる偏見です。
ここまでは西方教会の神学についてだけ言及しましたが、もし「合理化を拒絶するのが宗教」なのであれば、非常に宗教的な国家であった事が屡言われる東ローマ帝国が、様々な国家体制の変革と軍事技術の更新によって千年以上命脈を保ったというのも妙な話ですね。というか近現代までは宗教的では無い国家ばかりだったわけで、それが「合理化を厳しく拒絶し続けて来た」なら、いつまで経っても「合理化」は実現されない事になってしまいますよね…。
尤も、「宗教は無駄なものである」という先に来る定義があれば、「宗教は合理化を拒絶する」と言い得ますが(典型的な循環論法に陥りますがね)。この程度の循環論法に加藤尚武ほどの人が陥っているとは信じたくありませんが。--Kinno Angel(会話) 2014年11月24日 (月) 03:44 (UTC)