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ノート:ティルナノーグ (競走馬)

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今後の対応

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本記事の削除依頼は「削除の合意に至らず」ということで否決されました。しかしまあ、これは「削除はしないよ」というだけのことであり、記事に問題が全く無いことが認定されたわけではありません。

私は削除依頼でディープインパクト (競走馬)へ統合(存続→統合→リダイレクト化)という対応を提案しました。具体的にはディープインパクト_(競走馬)#おもな産駒へ統合するということになるのですが、統合先では「重賞勝ち」以上の馬を採録していますので、ひとまず統合の後、ティルナノーグに関する記述はすべて無くなる、ということになります。

これは「削除」と似ていますが、そうではないです。リダイレクトは残りますし、履歴も残るし、ティルナノーグがいずれ重賞勝ちや何らかの特筆すべき事象を獲得した場合には、当面ディープインパクト_(競走馬)#おもな産駒へ加筆する、ということができます。特筆性が高まれば、改めて記事を分割して単独記事とする、ということもできます。

もう少し穏当な選択肢は、しばらく様子をみる、というものです。3戦目以降の加筆は行われていないものの、同馬はその後も出走しています。まだ3歳の2月に入ったばかりですから、これから春のクラシックシーズンが始まれば、ひょっとするとオープンに入ったり、重賞で活躍することがあるかもしれません。ひとまず一定期間そうした「状況の変化」を待ち、その後にあらためて対応をとる、というのでも良いと思います。

ひとまずの判断時期の目安として、日本ダービー終了、を提案したいと思います。日本ダービーが終われば、3歳限定の主要な競走はほとんど終わり、「クラシックの有力どころ」の情勢もおおよそ固まるからです。その時点でもなお「これといった成績がない」ようであれば、上記の通りディープインパクトへの統合提案を行う。逆に言えば、それまでの間は保留。

もちろん、夏の重賞や秋の3歳重賞もありますけども、そこで勝つようならいずれにしろ特筆性を獲得します。ダート路線に転じれば夏の間も3歳限定戦はあるので状況は変わります。いかがでしょうか。--柒月例祭会話2015年2月6日 (金) 08:36 (UTC)[返信]

繰り返し説明したとおり、特筆性は既にあるのです。㭍月例祭さんがいくら重賞だ何だとおっしゃったところで、個人的なボーダーラインでしかありません。--Bellcricket会話2015年2月6日 (金) 12:16 (UTC)[返信]
繰り返し説明したとおり、Bellcricketさんが特筆性と思っていても、他の多くの人は「一過性のニュース報道にすぎない」とみなしているのです。これまでに指摘した数多くのポイントと関連文書を真摯にお読みください。--柒月例祭会話2015年2月6日 (金) 14:48 (UTC)[返信]
(追記)Wikipedia:独立記事作成の目安にあります通り、仮に特筆性があるとしても、そのことが自動的に単独記事であることを保証するわけではないです。特筆性があるとしても統合などの対象になることはあります。--柒月例祭会話2015年2月6日 (金) 14:52 (UTC)[返信]
㭍月例祭さんの個人的な考えと、「存在する」という事実を比べられても。--Bellcricket会話2015年2月9日 (月) 01:06 (UTC)[返信]
「存在する」というのがBellcricketさんの個人的な思い込みに過ぎないのですよ。削除依頼でも特筆性があると主張していたんはBellcricketさんただ一人で(ブロックされたユーザーも同じことを言っていましたが)、複数の利用者が特筆性に問題があると判断しているのです。3戦目以降が報道もされていないし、記事としてもフォローされてもいない。「一時的なニュース報道」にすぎないという傍証です。出典さえあれば何を書いてもいいというわけではありません。出典の性格や質・量に対する真摯な検討も必要なのです。過去の多くの議論の積み重ねも同様の判断をしています。Bellcricketさんは論理と証拠を積み重ねた反論をされると姿をくらますようですが、それが議論に負けないためのテクニックなんでしょうかね。あなたの説明は既に根拠を示して否定しました。それに真正面から向き合わずに「違う違う」とだけ言っても通用しませんし、なにより記事の改善につながりません。Bellcricketさんはひょっとするとこの馬のことが大好きで色眼鏡で見ているのかもしれないですね。--柒月例祭会話2015年2月9日 (月) 02:22 (UTC)[返信]
と、言ってもどうせ読まないのでしょうし、きっとこのまま平行線でしょうし、これ以上続けても実は無さそうです。この1記事の存否そのものは大したことのない話です。要するに「この程度の状況と出典で記事を立て、その後の加筆は怠る」ということを許容すればウィキペディアはこの水準の記事で溢れかえり、削除依頼も数倍に膨れ上がるかもしれません。Bellcricketさんにとってはそれが理想の姿なんでしょうし、WP:NOTDIRECTORYWP:NOT#NEWSや私にとってはそうではない、ということです。
いずれにせよ、上で書いた通り、私は半年程度は様子をみて、第三者(私とBellcricketさん以外の)の見解や、状況の大きな変化が起きないかぎり、これといって何かをするつもりはありません。--柒月例祭会話2015年2月9日 (月) 02:44 (UTC)[返信]
私は「この新聞にこんな記載があるよ」という、存在するかしないかの話しかしていません。㭍月例祭さんは、存在するものに価値があるか無いか、で話をしています。さて、㭍月例祭さんは何の権限があって、資料や報道の価値を判断しているのでしょう。どういう基準で、その判断をしているのでしょう。その基準が世間一般で認められていると、誰が証明してくれるのでしょう。そんな基準など無いし、㭍月例祭さんがその基準を決定する立場でもない。存在するものを見えないと言うのは、色眼鏡をかけているからでは、ありませんかね。--Bellcricket会話2015年2月9日 (月) 03:55 (UTC)[返信]
Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価を中心に、関連文書をよくお読みください。
これらの文書では、資料や報道の価値を見定めることをはっきりと要求しています。「あなたの情報源についてほかの人がどのように言っているか探し出してください。」「それらの情報源は、別の主題に関することも含めて、他の事実についても信頼できる報告をしていますか?」と問うことを求めています。「広く知られてはいない、驚くべきまたは重要な主張」「一流の報道機関で取り上げられていない最近の出来事に関する、驚くべきまたは重要な報告」、スポーツ新聞の『将来のクラシック候補』記事は、まさにこれらにストライクど真ん中だと、私は判断しているということです。本件の削除依頼で示されている通り、これは私一人の見解ではないですし、類似案件の過去の議論では、より多くの利用者が同様の見解を示しています。「報道を情報源とした記事には、さまざまな経路を通して事実誤認が紛れ込みます。」(WP:RS)、Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独立記事作成の目安、その関連文書や議論などをあなたに繰り返し提示しています。Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイスにもある通り、分野によっても取り扱いは変わります。
Bellcricketさんは長年管理者をやってらっしゃって、そのキャリアには敬意を払いますけども、ベテランだからこそ、真摯に方針関連文書や関連議論をもう一度よく読みなおす、ということもしてみてはいかがでしょう。そのうえで、方針文書に疑義がある、ということであれば、それらの文書で問題提起をすればよろしいと思います。
これも繰り返しになりますが、これらの関連文書に基いて情報源の評価を行った上で、「私はこの情報源はニュース報道でもないし、有意な言及と言えると思う」というレベルで特筆性の判断を表明するのであれば、それはそういう意見として認められるでしょう。しかし「そもそも情報源さえあればなんでもいいんだ」みたいなレベルで言っているあいだは「関連文書をよくお読みください」ということしかいえません。--柒月例祭会話2015年2月9日 (月) 05:12 (UTC)[返信]
  • きちんと方針文書を示し、関連議論を示し、根拠を示し、順序立てて説明するとBellcricketさんはいつもいなくなりますね。要するに「ちょっとひやかし」に来ている程度なのでしょう。
「重賞を勝つ」と、世界統一的に作成されて公式情報として世界中で流通するブラックタイプを獲得します。ウィキペディアの中でも過去の議論の積み重ねによって「重賞を勝つこと」に特別な価値が有ることが共通認識化されており、「重賞を勝ったか」という価値基準は、なにも私だけが個人的に思い込んでいるものではなく、競馬の世界でも、ウィキペディアでも、広く支持されている“基準”です。(こうしたことも、これまでに何回もBellcricketさんに示していますが、その度にいなくなってしまうのでどうしようもない。)
特筆性に関係なく、不十分な状態で記事があるのは気持ちが悪いので、最新の状況にメンテを行いましたが、京都2歳Sで凡走し、ホープフルSでも大敗し、みるみるうちに「出典になるスポーツ新聞記事」が激減しているのも、当時の記述が「一時的なニュース報道」でしかなかったことを間接的に証明しているようで興味深いですね。
削除依頼でも指摘しましたが、世界的に公式情報として認められているフリーハンデでは、「今年の2歳戦線はディープインパクト旋風だった」という趣旨で何頭ものディープインパクト産駒の2歳馬が詳述されているにもかかわらず、本馬は名前すら挙げられていません。--柒月例祭会話2015年2月9日 (月) 07:50 (UTC)[返信]
ほんの数時間で「いなくなられた」と言われましても…LINEでお話しているわけではないでしょう、我々。㭍月例祭さんは方針を示しつつも、結局、重賞だ、フリーハンデだ、です。重賞を勝つことは、たしかにそれなりのステータスです…競馬界では。でも、それはウィキペディアの方針とは別の話でしょう? 㭍月例祭さんは、メディアがわざわざこの馬を取り上げているのに、その意義を理解しようとせず、重賞、フリーハンデという色眼鏡で見ているから、資料を資料と認められないのでしょう? 何度も言いますが、私は特筆性を示す資料が「存在する」という事実しか言っていません。その事実を、あなたはどういう権限をもって「評価」しているのでしょう。それができるという思い込みは、広く支持されている見方ではなく、競馬分野を主に執筆される方々の悪しき風習です。記事を書くのが我々の役割なのに、重賞だ、フリーハンデだ、と言い訳をして書こうとしないことに、どんな利益があるのでしょう。--Bellcricket会話2015年2月9日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価をあなたに説明するのはこれで何回目でしょう?
もう一度言いますね。「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨」されているWikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価は、「情報源の信頼性を評価し」、取捨選別することを求めています。--柒月例祭会話
㭍月例祭さんが下した評価がおかしいのです。まず㭍月例祭さん自身が重賞を勝っているか、フリーハンデがどうかで、その馬の価値を決め、その後で情報源を評価している。㭍月例祭さんが弱いと結論づけた馬は、どれほど資料があっても「取るに足らない」です。それがおかしい。手順があべこべです。--Bellcricket会話2015年2月11日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
このご発言はWikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にしたがって情報源を取捨選別することそのものは認めているということですね。私による評価が間違っている、というだけで。--柒月例祭会話2015年2月11日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
短く書くと誤解されたり、長く書くと読んでもらえなかったりで、ジレンマはあるのですが長く書きます。
私は直近のBellcricketさんのご発言について、私は(カゼノコや本件での一連の議論を通して)Bellcricketさんの姿勢に変化があったと感じています。まあ少なくとも噛み合っていなかった議論に進展があったと感じます。
Bellcricketさんが「情報源を取捨選別すること自体は否定せず」、私(㭍月例祭)による情報源の評価/判断が妥当ではない、という見解なのであれば、論点として受け入れることはできます。本件では、示されている出典を、私は無効と判断し、Bellcricketさんは有効と判断している、というところに論点が定まります。
私の論理としては、「弱い」と判定しているのは私ではなく、競馬の世界における公式な判断です。それに反する記述(「この馬は凄い能力がある」)が認められるには、一時的なニュース報道や一次資料では不足しており、二次資料や特集記事を待たなければいけない、というのが私の判断です。まあ、この「情報源に関する評価」がBellcricketさんと私の間で異なっている、ということであれば、少なくとも同じ土俵にはあがったことになります。「一時的なニュース報道か、そうでないか」みたいな話は客観的に線が引ける話でもないです。より多くの執筆者の判断の総和が合意を形成していくでしょう。
合意ができなければこの記事を削除したり統合することはできないので、可能な範囲でメンテしていくということになるでしょう。見解が分かれているので発言が原理側・極端側にふれているように見えてしまいがちですが、私は要するにこの記事がちゃんとしたものになればそれでいい。ただまあ、「出典もなしに2勝しただけの馬の記事を立項されその後の状況変化の加筆がなされないまま放置される、そういうことが続々と行われる」という状況に対して同じジャンルの執筆者が懸念したり「嫌だなあ」と感じることはわかってほしいところではあります。--柒月例祭会話2015年2月11日 (水) 13:26 (UTC)[返信]
(更に追記)上記のような「論点」があることについて、Bellcricketさんが確認いただけるのであれば、私の方からは本件に関してはそこまででいいと思っています。つまり、さらに具体的に各出典の価値だとかを細々と論じていくことはしません。それをやっても実りはないでしょうし。--柒月例祭会話2015年2月11日 (水) 13:43 (UTC)[返信]
㭍月例祭さんがおっしゃる取捨選別は、方針が持つ意味とはかけ離れたものです。㭍月例祭さんは、まず戦歴やフリーハンデで「この馬は取るに足らない」という結論を出している。だから、その馬を高く評価する資料は「驚くべき主張」として無視してしまう。それがおかしい。戦歴やフリーハンデを記事中に示して、その馬が強いか、弱いかを判断するのは記事の読み手です。執筆者の側ではないのです。取捨選択は、その情報源が信頼できるか、という観点から行われるべきもので、恣意的であってはなりません。競馬の世界の話をしたところで、それが何になるのでしょう。競馬を知らない人や、それほど詳しくない人だって、ウィキペディアは読みます。--Bellcricket会話2015年2月12日 (木) 03:34 (UTC)[返信]
そうですね、そこが我々の間では見解の相違があるところです。私の側では、まず方針文書に基づいて情報源の信頼性の評価を行い、かたや常時大げさな表現を行う(しばしば同じ紙面の中で「こっちの馬が勝つ」と言ってみたり、別の記事で「あっちの馬が勝つ」などと報じる)一過性のスポーツ新聞の記事、かたや半永久的に公式記録として世界中に流通する情報源、というわけです。スポーツ新聞は「事実確認や正確さに定評のある情報源」とは言い難いし、フリーハンデやクラシフィケーションは「権威づけられた専門家による」「もっとも信頼できる」「査読された公表物」です。「大衆文化やフィクション」では、「相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能」と言っていますし。
まあ、「信頼性はスペクトルのように幅」があると言うように、私はスポーツ新聞の記事の類の信頼性は高くは評価しないし、Bellcricketさんは高い評価を与えているという点で見解が分かれているということですね。--柒月例祭会話2015年2月12日 (木) 09:29 (UTC)[返信]
信頼するかしないかではなく、㭍月例祭さんの個人的なボーダーで評価するな、と言っています。--Bellcricket会話2015年2月12日 (木) 21:30 (UTC)[返信]
幅があるものに評価を与える問題なので、あとは個々の利用者の評価の総意や総和といったものが合意を形成していくでしょう。
今回の削除議論でも、「とにかく削除だ」という意見に対しては、ロジックは大きく違っていても私もBellcricketさんも「存続」という側になるわけで、相対的な問題でもあります。
今はたまたまネット上のスポーツ紙の記事や国際評価のようなものをあいだに挟んで私とBellcricketさんの見解が両岸に分かれていますが、もっとどうしようもない個人ブログのようなものや、あるいはノーベル賞をもらった学術論文のようなものが出てくれば、同じ岸に立つこともあるでしょう。私もBellcricketさんも、お互いに一人の利用者でしかないわけですから、1対1の場でこれ以上「お前の考えは違う」と言い合ってもしょうがないですね。
総意だったり合意だったりするものも、分析していけば最終的には個々の独立した一人ひとりの意見になりますから、論点が明確になることは有意義ではありますが、あとは他の多くの利用者、コミュニティの総意や合意がどう形成されるかでしょう。(第三者の見解が充分に集まらなければ、合意に至らない、というだけです。)--柒月例祭会話2015年2月13日 (金) 10:37 (UTC)[返信]
方針に依らない個人的な感情で特筆性の有無を判断する行為は、かつて「Wikipedia:コメント依頼/Naitou1980」で問題があるという見解で既に一致を見ています。--Bellcricket会話2015年2月18日 (水) 02:07 (UTC)[返信]

報告第三者から広く意見を募るため、コメント依頼を行いました。--HOPE会話2015年2月9日 (月) 14:05 (UTC)[返信]