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ノート:ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)

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Viscount Althorpについて

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イギリスの州ノーサンプトンシャーの地名であるen:Althorpの記事に、読みについて注釈があります。地名のAlthorpはall-thorp(カナにするとオールソープかオルソープ)と読み、スペンサー伯爵家の称号であるViscount Althorpはáwl-trop(オールトラップ)と読むとあります。--Magyon 2008年4月9日 (水) 00:42 (UTC)[返信]

離婚後の称号について。

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本文では、「(略)称号を守ることを重視したが、それに反発した女王エリザベス2世が介入し、(略)その結果、ダイアナはプリンセス・オブ・ウェールズの称号を維持したが、「Her Royal Highness(殿下)」の敬称は剥奪された」とありますが、これは出典にあるのでしょうか? 彼女の「Her Royal Highness」の敬称および「The Princess of Wales」は結婚によって得たものだから離婚によって自然に喪失したのだと把握していたのですが。en:Diana, Princess of Wales#Divorceには「離婚したら称号を剥奪するよ(take your title away)」とエディンバラ公が言ったと書かれていますが、女王本人が君主大権で剥奪したとしたらその旨書かれているのではないかと思います。

称号についてはen:Courtesy titles in the United Kingdom#Divorced wivesに若干記述があり、離婚した場合は本人の名前の後ろに称号を付けることができる(「"Her Grace The Duchess of London"(ロンドン公爵夫人殿下)」が離婚したら「"Mary, Lady London"(元ロンドン公爵夫人メアリ)」になる)、と書かれています。ただ、だとすると別に交渉しなくても「"Diana, Princess of Wales"(元ウェールズ公妃ダイアナ)」と名乗ることはできたはずなのでよくわかりません。敬称については <"No. 54510". The London Gazette (英語). 30 August 1996. p. 11603. 2013年11月23日閲覧> に離婚した人物は Royal Highness の敬称を保持しないとありますが、これがこの時初めて出されたのか以前からそうだったのかによって意味合いが変わってくると思います。

とりとめがないですが、コメントだけしておきます。―霧木諒二 2013年11月23日 (土) 05:03 (UTC)[返信]

アンドリュー・モートン英語版『完全版 ダイアナ妃の真実 彼女自身の言葉による』(入江真佐子訳、早川書房 ISBN 978-4152081315)によれば、ダイアナの弁護士ミシュコン卿英語版は「Her Royal Highness(妃殿下、HRH)」の称号を守ることを最優先としていたそうです(同書405p)。女王の介入で離婚交渉はしばらく座礁したらしいですが(追記:読み間違えました。逆です。女王の介入で座礁しかけていた離婚交渉が進展したようです)、世論状況を危惧して首相やカンタベリー大主教とも相談して早期離婚を希望する手紙を出したらしいです(同書409p)。ちなみに同書によればチャールズ皇太子はダイアナがHRHの称号を保持することに前向きだったようです(同書410p)。またダイアナのHRHの消失を同書は「剥奪」と表現してします(同書411p)

渡辺みどりの『愛のダイアナ ウィリアム王子の生母 「生と性」』もHRHの消失を「剥奪」と表現しています(133p)。著作を全体的に見てモートンと渡辺はダイアナに好意的な立場です。しかしダイアナにやや批判的なコリン キャンベルの『ダイアナ“本当の私”』(小沢瑞穂訳、光文社、ISBN 978-4334960834)も、ダイアナは妃殿下の称号を維持したがっていたが、1996円2月28日にダイアナが表明したプリンセス・オブ・ウェールズの称号を保持するという宣言をそのまま取ったエリザベス2世が妃殿下の称号を「剥奪」した旨を書いています。キャンベルは先例にヨーク公爵セーラがあることを挙げており(キャンベルによれば殿下の前夫人に殿下と同じ敬称が維持されない原則はダイアナの離婚とさほど時間的差のないこの離婚の時にできたのだそうです)、エリザベス女王の判断の妥当性を補強しています(同書339pから342p)。しかし同書も「剥奪」という表現を使用しており、またエリザベス女王が剥奪したと主語を明確化しています(同書341p)。またキャンベルによればこれに対してダイアナは「あの人たちがここまでやるとは思わなかった。妃殿下じゃないプリンセス・オブ・ウェールズなんて」と文句を述べていたらしいです(同書342p)。またキャンベルによればダイアナはセーラを「失敗者」と看做しており同じ轍を踏みたくなかったようです(同書337-338)。他にも出典を見つけましたら、お知らせしたいと思います。とりあえずノートで疑義が呈されましたのでこの辺の出典は複数の文献で補強しておきたいと思います。

「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号が交渉内容だったかについてですが、キャンベルおよびモートンによれば、ダイアナは1996年2月28日の離婚の合意に達したという発表の中で「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を維持した旨をわざわざ発表しており、これにエリザベス女王は「非常に興味深い」と冷ややかな反応を示すことでまだ合意に達していない旨を示唆したようです。またキャンベルによればダイアナは『ザ・サン』の報道の影響でウェールズが抜けて「プリンセス・ダイアナ妃殿下」になることを恐れていたらしいです。なので交渉内容にしていた可能性はあるのではないかと思います。--Omaemona1982会話2013年11月23日 (土) 09:39 (UTC)[返信]