ノート:タカマガハラ
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一部の記述を削除・修正しました。問題点は以下の通りです。
- タカマガハラの母クモゼキが受胎中に船橋競馬場で出走していた。
→そもそもタカマガハラは1957年生まれであるにもかかわらず、1956年の話から始まっているのは明らかな誤りです。 特に二次文献でこうした記述に出会ったこともありません。また独自研究となりますが、私個人が一次史料(当時のスポーツ新聞)を確認した限り、出走の事実は確認できていません。
- よって、タカマガハラの本当の出生地は長野県ではなく千葉県である。
→個人によるオーラルな史料(外部リンク)こそ見つかりますし私的には信頼に足ると考えていますが、こちらもきちんとした文献で示されたことのないエピソードでしょう。なお、姉のキリガミネは千葉県産として登録されています。
- 霧ヶ峰牧場は大井の大山末治調教師が手がけていた牧場で、実質的な生産者だった。
→大山調教師は同馬の生産を手がけた功績により、1961年の東京競馬記者クラブ賞を受賞しています。「実質的」と婉曲に表現する意味は薄いでしょう。
- タカマガハラは旧3歳時は平凡な成績で終わった。
→タカマガハラは当時の南関東公営競馬では全日本三歳優駿・平和賞とともに3つしかなかったサラブレッド3歳の名前付き特別戦であるビクトリーハンデを勝っています。まあ程度の問題になるのですが、個人的には平凡とりたてて書くほど実績がなかったとは言い難いかと。
以上の記述はかなり昔になされたものを引き継いでおり、またここのところ本記事は更新もされていないために勝手ながら修正しました。問題点があるようならご指摘いただければ幸いです。
--灰色にボケた日常(会話) 2014年4月30日 (水) 01:42 (UTC)
タカマガハラが「日本で初めて海外遠征をおこなった」旨の記述がありますが、日本で初めて海外遠征をおこなったのは1958年のハクチカラです(参考)。--219.43.52.19
- 1909年にスイテンほか多数がロシア遠征しており、これが「日本で初めて」ですよ。
- 「生産者」(生産地)と「生誕地」は別概念です(プロジェクト‐ノート:競馬/過去ログ10#「生産者」=「誕生地」ではない参照。)。千葉で「生誕」したとしても、(母馬や牧場の)所有者が長野であれば「長野県産」と登録されることはふつうにありますね。その逆も然りです。いずれにしても正式な登録上は「長野」ですね。
- 「実質的な生産者」については、これは農地法の話でしょう。現在は改正されましたが、戦後の日本はGHQの農地法により、「現地で実際に農業に従事しているものでなければ農地の所有者になれない」という縛りがありましたので、「大井競馬の調教師」が「長野の牧場の所有者」になることは法的に不可能でした。なので、少なくとも名義上(登記上・法的に)は別の誰かを所有者・生産者とするわけです。キタサンブラックの馬主は「大野商事」だけど実質的には北島三郎が馬主だ、というのと似ていますね。--柒月例祭(会話) 2021年11月2日 (火) 04:22 (UTC)