コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:タイポグラファー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2006年までの議論

[編集]

一旦元に戻します。

  1. 内容に間違いがある場合には、リダイレクトではなく、この項目をご修正ください。
  2. 独立した項目が不要ということであれば、リダイレクトだけではなく、タイポグラフィに、この項目の内容を追加してください。
  3. 独立した項目が不要で、かつ、内容に間違いがある場合には、リダイレクトだけではなく、それと同時に、ご修正のうえ、タイポグラフィに、この項目の内容を追加してください。

いずれにしろ、何のご説明や議論もなく、突然、実質的に「削除」と一緒の意味合いになるようなリダイレクトをなさるというのは、長らくご執筆経験のある方のなさることとは、思えないのですが。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年9月3日 (土) 02:01 (UTC)[返信]

リダイレクトにしたのは、"typograph"+erでしかないように思われたためです。所謂誤用について書かなければ、そうならざるをえないのは仕方のないことだと思っていましたので。また、タイポグラファとして著名な方が原弘氏しか挙げられていなかったので、タイポグラフィの項目に追記する必要性も感じませんでした。

でも、誤用について書くのも大事なことですね。申し訳ありませんでした。 Kzhr 2005年9月3日 (土) 03:48 (UTC)[返信]

Kzhr様、さっそくご回答ありがとうございます。また、当方の加筆点についてご理解いただけたようで、ありがとうございます。さらに、追加・修正等すべき点がございましたら、よろしくお願いいたします。
ところで、原弘氏ですが、私ではない他の方が追記なさったものですが、もし、名実あわせもった大家を1人だけ挙げるとすれば、私も、この方にせざるを得ないと考えます。その意味では、選択は適切だと考えるのですが、恥ずかしながら、他に挙げるべきタイポグラファーを思いつきません。有名な人は「グラフィックデザイナー」というの肩書きに吸収されてしまっているか、逆に、グラフィックデザイナーでない人は会社(出版社、印刷会社、製本会社など)に吸収されてしまっている(ようするに、独立した形で外に名前が出てこない)か、のいずれかのような感じがしています。Kzhrさんのお考えで原弘氏の他に「挙げるべき人物」は存在しませんか? もし、そういう人物がまったくいなければ、Kzhrさんがお書きのように、独立項目にする価値はないのかもしれません。
それから、本文にも書きましたが、タイポグラフィレイアウトエディトリアルデザイン(とグラフィックデザイン)が錯綜しているという現実があり、このことについて、私の中ではもちろん、また、Wikipediaの記事においてもおそらく、整理がされていないと思いますので、きちんと考えた上で、これらの項目について、できれば整合等を図って行きたいと考えています。
以上ですが、本項目に限らず、また、ご意見等をよろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 2005年9月3日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
人名を挙げれば、クロード・ギャラモン、プランタン家、スタンリー・モリスンヤン・チョヒルトヘルムート・シュミット、日本人だと杉浦康平、鈴木一誌とかはどうでしょう? 英語版のList of typographersがList of type desinersにリダイレクトになっていたのはショックでした。タイポグラファ≠タイプフェイスデザイナー、ですのに。タイポグラフィで訳出しましたが、印刷の材料を配置する技芸がタイポグラフィである限り、レイアウトやエディトリアルデザインはタイポグラフィの内部と考えるのが私には自然です。このずれを客観的に観照できるほど私は造詣が深くありません。 Kzhr 2005年9月4日 (日) 13:36 (UTC)[返信]

タイポグラファとは、タイポグラフィを職能にするものであって、それ以外にあらず。よって、冗長な記述は不要。また、デザイナーとタイポグラファを同一視する見解は誤り。タイポグラフィもタイポグラファも、現代のデザイン概念が生成する以前より存在する、ひとつの職能・技芸を指す概念である。

こんにちは。削除されてしまいましたが、タイポグラファー(というか、タイポグラフィ)の範囲についての、「誤用・誤解」(およびその経緯・理由)については、Wikipediaで明確に書いて残しておいた方がいいというのが、私の考え方です。そうしないと、間違った見方が世の中で定着してしまい、それが間違っているということがわからなくなってしまうのではないかとおそれるのです(もう、手遅れでしょうか?)。ただ、この点については議論がありうると思いますので、とりあえず、他の方のご意見をお待ちしたいと思います。それから、Kzhr様、私個人の判断で、勝手に人名を追加して申し訳ありません。人名の差し替え等をしていただければ幸いです。以上よろしくお願いいたします。-- 20世紀(前半)美術 2006年5月27日 (土) 02:42 (UTC)[返信]

2007年までの議論

[編集]

上記「○○デザイナー」との区別をはっきりさせられるよう、定義部分と具体例に手を加えました。かなり範囲が狭くなってしまいますが、歴史的にみてもこの方が適切でないでしょうか。また、スイススタイルに関わるデザイナーをタイポグラファーとして挙げていくと、結局「○○デザイナー」との区別がつかなくなると思われたので、そのうち著名な書体デザインに関わった人だけを残してみました。--どん底 2007年7月14日 (土) 18:41 (UTC)[返信]

こんにちは。文献まで削除してしまうのは行きすぎではないかと思いましたので、文献は戻しました。また、『「タイポグラフィデザイナー(タイポグラフィックデザイナー)」と呼ばれることもある。』という部分を削除しておられますが、どういうご趣旨でしょうか? 私は同じ意味かと思っていたのですが、もし、「タイポグラファー」とは意味が異なるということであれば、その点を本文にお書きいただければと思います(別項目を立てるほどとは思いませんので、この項目で説明したらいいと思います。そして、その説明は、専門家ではない人々にとっては間違いなく有用です)。実際に使われている言葉ですので、その言葉を無視するわけにもいかないでしょう。せっかく言及している部分を特別の理由なく削除するということは避けるべきだと思います。以上、よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2007年7月15日 (日) 03:00 (UTC)[返信]
削除した理由について説明します。タイポグラフィにはデザインの要素がもともと含まれているものと考えられるので、あらためて「タイポグラフィデザイン」というフレーズにするのは、語の意味が二重になってしまうことからも、ややヘンテコと思われたためです。そういうヘンテコなフレーズをタイトルにもつ本が、タイポグラフィについての参考文献になりうるかどうか、アヤシイとも感じたので、参考文献も減らしました。とはいえ、欧米の文献にもTypographic Designというタイトルの本があったりするんですね。すいません、下調べが足りませんでした。やっぱり何らかの形でふれないとまずいですよね。
ただ、タイポグラフィデザインとかエディトリアルデザインって、わたしの調べた限りでは辞書にない言葉だったので、どうも定義がはっきりせず、書きだすと内容的に他項目との区別がつかなくなりそうでもあります。個人的には、これらはグラフィックデザインというものを、文字とか書籍制作とか、ある分野に限って指している言葉なんじゃないかと思いますが。現状では、この項目の親にあたるタイポグラフィの項目が、かなり伝統に沿った、狭い意味でのタイポグラフィを記述しているので、それと歩調をあわせたいということもあります。--どん底 2007年7月15日 (日) 05:36 (UTC)[返信]
さっそくのご返信ありがとうございます。個人的は、デザインやデザイナーの社会的な位置づけの歴史について興味を持っています。日本における「デザイナー」で考えてみると、かつては、画家や建築家と比べて著しく「地位が低い」状態でしたが、戦後、特に、グラフィックデザイナー、インテリアデザイナー、ファッションデザイナーなどの方々の活躍により、その地位はきわめて大きく向上しました。このこと自体は、社会の流れでもあり、あってしかるべきこと、個人的にも非常によいこと、だと思っているのですが、しかし、今度は、その「向上」に目をつけた人々が、横文字職業名のイメージのよさも利用して、「○○デザイナー」という呼び方を濫用したために(自称またはマスコミ等による他称)、全体として「○○デザイナー」という名称がうさんくさい状態になっている(しかも、場合によっては、その職業についているご本人たちからもネガティブに受け取られている)のは、間違いないところでしょう。ただ、このあたりは、Wikipediaに書くべき内容かどうかかなり疑わしいですし、このような内容をきちんと取り扱った専門家の文献がないようですので、(私が?)無理に書いたとしても、社会的に認められた考えとは受け取られず、「独自研究」とか「出典明記」との批判を受ける結果になるでしょうか。となると、多少うさんくさくても、現在の状態(言葉の使われ方など)を紹介するにとどめる、ということにならざるを得ないのではないかと思います。いずれにしましても、素人の問題提起にご対応いただき、大変感謝しております。本項目に限らず、Wikipediaでの今後の引き続きのご活躍をお祈りいたします。美術、デザイン、建築関係は、執筆していただける方に「飢えて」おります。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2007年7月16日 (月) 02:26 (UTC)[返信]

出典その他

[編集]

「設計」を「製造」に代えただけではやっぱりダメですかね。そもそもkzhrさんの指摘した記事冒頭、活字をつくるのがタイポグラファーの仕事にとって第一であるかのように書いてるのが問題ってことなんでしょうか。--どん底 2008年2月11日 (月) 08:41 (UTC)[返信]

製造のほうがよけい外れてるんじゃないかなと思いますが……。typographerは、本の製作において、視覚的な面の専門家というのがいちばん手っ取り早いと思うのですが、活字、あるいはその系譜につらなる電子書体もふくめて、印面を設計するのがタイポグラファたる最良の資格であるように思います。enのTypographyの定義もそうですし、てじかにみている"Printing, Typography, and Photoengraving." Britannica Vol. 26における定義(p. 89)もそういっているように私は解釈します。 Kzhr 2008年2月12日 (火) 12:21 (UTC)[返信]
あらためてみると、自分でも「製造」のどこがいいと思ったのかよくわかんないです。ひどいテイタラクですみません。
本の制作における視覚的な面の専門家・版面の設計が仕事の中心というのは、確かにその通りだと思います。そこで「何とかデザイナー」とタイポグラファーとを区別しようとして、とりあえず今の状態になってます。タイポグラフィがデザインという概念に留まらないのは、ただ自分の構想を表現しようとするだけでなく、その表現に必要な道具(印刷の材料)をどう扱うべきか知っている・(自分で手を出さなくとも)道具で何ができるか把握しているところにあって、職能とか技芸と呼ばれるのもそのせいかと考えてたんですが。
タイポグラフィの項目でも、本文の多くが活字の製作に関して記述されてるようなので、こっちで「活字の設計をはじめとして……」と書き出しても、出典なし。問題なし。とか一人合点してました。もう一度確認させてほしいんですが、内容に要出典なんでしょうか、それとも参考文献を挙げるだけじゃダメだということでしょうか。--どん底 2008年2月12日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
タイポグラフィで活字の製作に偏っているのは、日本語組版の版面についての研究がもっぱら活字史についやされていることに起因しています。鈴木広光さんが嵯峨本で写本のような版面を目指していたということを立証しつつありますが、まあそれはさておき、タイポグラファが本来なすべきこともなんとかデザイナと称する職種においてなされているのであって、いちおうの原義と、日本での特殊用法として書くほかないのではないですか。
タイポグラファと活字設計をとうぜんの関係があるというのに驚いてまわりをよく見ないで要出典のタグをつけてしまいましたが、以上述べきたったことを、典拠によりつつお書きになってはいかがでしょうか。 Kzhr 2008年2月13日 (水) 11:06 (UTC)[返信]