ノート:ソンガイ帝国
黒人王国
[編集]あまり大きなことではないのかもしれませんが、最初の節にある「黒人王国」という単語が気になりました。特筆すべき理由がないなら単に「王国」あるいは「国家」と書き換えるべきではないでしょうか?
常識に照らせば黒人の伝統的な居住地域に黒人による王国があったことは特異なこととも思えません。ソンガイ帝国の英語ページも見てみましたが、少なくとも最初の節では「黒人王国」に相当する語は見つけられませんでした。
しかしWikipediaの日本語ページでは「アフリカ史」「ガーナ王国」でも、この語が使われているようですし、私自身も世界史の教科書などに「黒人王国」の語があったと記憶しています。
学術的な意味を持つ用語であるとか、なんらかの必要性があって使われているのでしょうか?--Mao-g(会話) 2013年12月3日 (火) 13:56 (UTC)
- 拝見しました。最初の投稿から「黒人王国」という記載があるようですが、利用者:Siyajkak(会話 / 投稿記録)氏は2009年から活動していないようなので確認がとれませんね。「ソンガイ族の王国」とするほうがより適切なように思います。ただ、アフリカの中世の国家については、資料集めが大変なので、なかなかあとで修正されないですね。--119.83.205.210 2014年3月23日 (日) 07:59 (UTC)
ちょっとした疑問
[編集]冒頭部分に「西スーダンのほぼ全域を事実上支配した」とありますが、これは誤記なのでは? 帝国の領域を示す地図でも、西スーダンは、領域から遠く離れているように見えます--以上の署名のないコメントは、211.133.227.95(会話/Whois)さんが 2021年5月26日 (水) 03:44 に投稿したものです(ねをなふみそね(会話)による付記)。
- そこの部分を書いた者ではありませんが、代わりに答えますと、誤記ではありません。中世のアラブ・ムスリムの地理認識において、「ビラード・スーダーン」あるいはもう少しこなれた日本語では「歴史的スーダン」という概念があって、これは漠然とサハラ以南全体を指します。東スーダーンは近代国家のスーダンあたり、中央スーダーンはチャド湖周辺、西スーダーンはニジェール川の大彎曲部を含むあたりです。近代スーダンの西部はコルドファンとかダルフールと呼ばれていますね。この辺の情報は、本項の参考文献に挙がっている、『ユネスコ アフリカの歴史』(第4巻、同朋舎出版、1992年。)などに書いてあったと思います。--ねをなふみそね(会話) 2021年5月26日 (水) 06:10 (UTC)
そういうことなのですね、誤記でないことは理解できました。ただ、そうした解説を理解したうえでも、まだ「適切な表記」ではないように思えます。「西スーダン」とするよりも「西サハラ」とか、利用者に誤解を与えない表記があるんじゃないでしょうか。まあ、地図が付記してあるので、常識のある方は「ああ誤記なんだな」ってスルーして、わたしみたいに騒ぎ立てないとは思うんですけど。--以上の署名のないコメントは、211.133.227.95(会話/Whois)さんが 2021年5月28日 (金) 01:20 に投稿したものです。
ごめんなさい。「西サハラ」はもっと不適切ですね。適切な用語が見あたらないから「西スーダン」なんて表記になったのかな。--以上の署名のないコメントは、211.133.227.95(会話/Whois)さんが 2021年5月28日 (金) 02:30 に投稿したものです。