ノート:セルゲイ・プロコフィエフ
皆さん、Naxosの自作自演集を聴いてみてください。人によっては名演の一つに挙げられている「ピアノ協奏曲第3番」や、録音状態はよくないものの勢いが伝わってくる「悪魔的暗示」作品4-4など、ソヴィエトに帰国する前に残したプロコフィエフの演奏が(ピアノロールを除いて)すべて収められています。
[http://www.naxos.co.jp/allsearch.asp?bun=21&ser=a&sta=61#/]
なお、音楽院でバッハのWTCを演奏して卒業することは、後に流行になりました。 ベヒマン=シチェルビナとフェインベルクの両氏はそれぞれWTCの第一巻と第二巻を全曲で暗譜演奏し、 審査員を驚愕させたことは今でも伝説になっています。 --Noda,Kentaro 2005年3月6日 (日) 16:07 (UTC)
WTCを弾くのは音楽院の規定とありましたが、ベヒマン=シチェルビナは卒試で全曲を選んだので話題に なったのです。音楽院の規定は恐らく「バッハの楽曲から」であったはずであり、皆WTCから一曲を選び バッハから逃げていました。--Alles 2007年8月2日 (木) 14:05 (UTC)
経緯(2007年8月4日追記) CutieNakkyが上の書き込みを無関係として削除。その後、Alles氏が復活させ、下の書き込みを行う。
出典は以下。
- シチェドリンの話→武満徹との対談集から。シチェドリンはプロコフィエフに楽譜を見せ「こんなんじゃだめだ。トリックが必要」の一言で返されたことを語ってます。
- 山田耕作の話→非常に有名です。NHKFMのプロコフィエフ生誕100年の記念番組で引用されています。
- ミラさんの話→後妻云々は不要とありますが、作曲様式が「その頃から」変わることが指摘されているだけで、後妻との関係を強調しているわけではありません。ご不満であれば単純に年代表記で改稿してもかまいません。--Alles 2007年8月2日 (木) 14:12 (UTC)
- 私が修正点のほとんどが revert されています。なぜそうしたのかよくわかりませんが、ここでまた私が再編集すると編集合戦になってしまうため、それは止めます。ですが、私の修正の意図と疑問点をいくつか述べておきます。なお、越後獅子については現行の書き方ならば大きな問題はないと思います。
- 「出典」はノートに書くのではなく、本文中に明示すべきだと思います。
- 「シチェドリンが“作曲の極意とは何ですか?”とプロコフィエフに尋ねたところ、こう答えたと言う…“如何に聴衆を驚かすかという事だ”。 」という本文の記述はいくらなんでも軽薄すぎるでしょう。上で出典として示されたものとでは意味が変わってしまっています。そのまま正確に引用されてはいかがでしょうか。
- 山田耕筰の部分は、「フォロー」という言葉が軽すぎるので、「取りなし」などに変更されてはいかがかと思います。
- ウクライナは生地であって、「ウクライナの作曲家」とするのは無理がありませんか。「帝政期ロシア」「ソヴィエト連邦」の作曲家とすべきではないでしょうか。
- 「20歳以上離れた共産党員で詩人の後妻ミラ・メンデリソンへの傾倒と前後して、聞きにくい半音階書法から聞きやすい全音階書法へ推移した。」などと書いてあれば、多くの人はその2つに関係があると受け取るのではないでしょうか。「聞きにくい半音階書法から聞きやすい全音階書法」というのも大雑把すぎませんか。また、メンデリソンの問題は色々複雑で、単純に「傾倒」と言って済ませられるようなものではないので、わざわざここに書く必要はないと思います。メンデリソンとのことを取り上げるのなら、独立した節を設けて詳述すべきです。
- 交響曲は確かに管弦楽で演奏するわけですが、symphony という特別な名前が与えられているわけで、やはり独立させた方が良いと思います。
- 「劇場音楽」という言葉の使用例はありますが、用例は多くはなく、用語としてこなれていないので「劇音楽」の方がいいのではないでしょうか。
- 上記の 利用者:Noda,Kentaro氏の書き込みですが、なぜ復活させたのですか。プロコフィエフとは全く関係ないので、ここに記す必要はありません。そもそもプロコフィエフは卒業試験でWTCではなくフーガの技法を弾いているのですから。その下の貴方がお書きになった部分も削除すべきです。 CutieNakky 2007年8月2日 (木) 15:43 (UTC)
メンデリソンの問題は色々複雑で、単純に「傾倒」と言って済ませられるようなものではないので、わざわざここに書く必要はないと←この記述には非常に問題があります。一説では彼女のために作風を曲げたなどと言われるくらい(これは本文にはかけません)の出来事であり、わざわざ書く必要はあります。あなたの修正のなかに「越後獅子」とは全く似ていないとありましたが、”「越後獅子」に似ていると評されたのは事実”で、これを戻す辺りあなたはひょっとするとクラシック音楽の修練を経ていない可能性があります。あなたの修正にも問題はあります。--Alles 2007年8月2日 (木) 17:29 (UTC)
- すぐ上で 「ミラさんの話→後妻云々は不要とありますが、作曲様式が「その頃から」変わることが指摘されているだけで、後妻との関係を強調しているわけではありません。」 と述べているのに、どうしてわずか3時間後に 一説では彼女のために作風を曲げたなどと言われるくらい(これは本文にはかけません)の出来事であり、わざわざ書く必要はあります。 と全く反対の意見になってしまうのでしょうか、不思議です。こういう意図で書いているのなら、作風の変化と後妻との関係を強調していることになるわけですが。また、「プロコフィエフが日本から受けた影響として、ピアノ協奏曲第3番の主題として越後獅子を用いたことを挙げることができる。」という明らかに誤った記述を削除したことが、どうしてクラシック音楽の修練と関係するのかよくわかりません。このこじつけ方はNoda,Kentaroさんと似てらっしゃいますね。 CutieNakky 2007年8月2日 (木) 18:08 (UTC)
Alles氏が無期限投稿ブロックの措置を受けたため、本文のAlles氏による編集部分は破棄しました。 CutieNakky 2007年8月4日 (土) 00:40 (UTC)
写真
[編集]ところで、この写真プロコフィエフではなく、ラフマニノフのものじゃありませんか?--180.1.72.60 2013年2月3日 (日) 08:59 (UTC)
楽曲記事の改名提案
[編集]ディヴェルティメント (プロコフィエフ) のディヴェルティスマン (プロコフィエフ) への改名を提案します。この曲の題名は、英語圏のサイトや出版譜を見ても、フランス語で Divertissement と書かれています。--エンタシス(会話) 2022年3月13日 (日) 09:14 (UTC)
- 反対 現行の『ディヴェルティメント』を支持します。各種の検索をかけていただければお分かりのとおり「日本語では」この表記での認知度が高く、「原語に忠実である」という理由で変更すべきではないと考えます(ショパンの「ワルツ」も出版譜はValseですが、これを「ヴァルス」とは呼ばないのと同じです)。なお、Boosey & Hawkes社の出版譜はDivertimentoが商品名になっています。--MTBM3(会話) 2022年3月19日 (土) 00:12 (UTC)
提案を取り下げます。--エンタシス(会話) 2022年4月12日 (火) 15:26 (UTC)