ノート:ジョン・フォン・ノイマン
Theory of Games and Economic Behavior
[編集]ここでは「ゲームと経済行動の理論」となっていますが、それより「ゲームの理論と経済行動」のように訳されることが多いのではないでしょうか。ゲーム理論でもそうですね。言われてみると前者の解釈もひょっとしたらと思ってみたりするのですが、見たことがありませんでした。Mulukhiyya 2005年9月2日 (金) 22:58 (UTC)
- Solさんが問題の箇所をお消しになったのでとりあえず取り消しておきます。Mulukhiyya 2005年9月24日 (土) 04:16 (UTC)
核開発
[編集]キノコ雲と原子爆弾による被害者の写真や原爆による被害者数などの記述を取り除きました。また、戦後のアメリカの核戦略のブレーンとしてのノイマンについての記述を足しました。この記事はフォン・ノイマンについての記事なので彼が何をしたのかについて説明するべきだし、原子爆弾による被害は彼個人に帰せられるものではないと考えたからです。原子爆弾のようなアメリカ指導部がかかわった「人道に対する犯罪」をマッドサイエンティストの問題にすり替えてしまうことになりかねません。それに、マンハッタン計画に参加した科学者たちの中で彼を際立たせているのは計画後も核の開発に積極的にコミットし続けたことではないでしょうか。--Makotoy 2006年9月19日 (火) 06:36 (UTC) clarification --Makotoy 2006年9月24日 (日) 11:01 (UTC)
Makotoyさん、こんにちは。
revertしたのなら、他者の変更内容を良く見て、残すべき部分修正を手作業で反映させるぐらいの誠意を見せましょう。私の作業の中には文字修正も入っていましたよ。
私は、ノイマンの良いほうの記事も書いています。だから悪いほうの記事も書いているのです。ある意味中立です。 ノイマンはすでにこの世にいる人ではありません。だから、良いことも悪いことも、キチンとあらわにすることが大切です。こういう人物の悪事を隠蔽すれば、また悪事を行う者が実際に世の中に出てきます。
最近では、科学者倫理学とか、技術者倫理学という学問分野もあり、ノイマンのような行為について考察・反省を深めています。
Makotoyさんは数学好きのようですが、数学者ノイマンに自己投影して、revertだけをかけるような、自己本位で、他者を痛み・想いに気付かない行為をすると、結局数学をやっている人間全体が皆からレッテルを貼られますよ。このノイマンのように。気をつけてください。あなたが無意識に守ろうとしているのは自分の小さなエゴ(小我)のほうです。もっと人類全体(大我)を見ましょう。
あなたも人間です。もっと人間の心、痛みがわかる人間になって下さい。21万人の人間が亡くなれば、その8~20倍程度の人が、ひどい喪失感に苦しんでいます。いったい何人が苦しんだか計算してみてください。まだ、それらの苦しんだ人々が日本で多数存命しています。あなたもきっと街ですれ違っていますが、あなたはそれに気付いていないだけです。それをよく思い描いて、自分の行為を反省してみて下さい。
それと数字で「21万」とか「○○百万」と、書いただけでは意味はわからないですよ。その数字の意味を知るには、試しに、点(ドット)でいいから、21万個、ノートにひとつひとつ描いてみてください。一個ドットを描くたびに、その家族・親族に数年~数十年の苦しみがあったところを、自分自身のものとして、ありありと思い描いてごらんなさい。本人はいったいどんな苦しみだったのだろう?家族はいったいどんな生活になってしまったのだろう? 学校はどうなったのだろう? 食べ物はどうなったのだろう? 服はきちんと着れたのだろうか? 人々はその人にどう接したのだろうか? あなたも、そういうことをじっくり思い描けば、その数字の意味がようやくわかるようになりますよ。そういうのが本当の理解です。ここの部分を軽く読み流して済ましたりせず、あなた自身で実際に試しに、ノートに点をひとつひとつ打ってみてください。
人の心は、真摯に努力すればわかるようになります。あきらめない姿勢が大切です。学のための人間ではなく、人間のための学です。人間を大切に。
それでは --Reallybad 2006年9月26日 (火) 06:18 (UTC)
- 本文の修正に少し時間をかけている間にこちらにReallybadさんが投稿したのに気がつかないで本文の方を投稿してしまいました。Reallybadさんの問題意識は僕にもよくわかります。(少なくとも自分ではそのつもりです。)Reallybadさんのご忠告はこれからもいっそう肝に銘じさせていただくことにします。
- しかし、原爆開発・運用に指導的な役割をはたしたのが本当にフォン・ノイマンだといえるでしょうか?彼が実際にやったのがファット・ボーイの爆縮レンズの設計と効果的な爆発高度の計算だとすると、彼の果たした役割はそれほど決定的なものでなかったように思えます。もしそうなら、彼が原爆の実現に不可欠な役割をはたしたとほのめかすのは不適切です。特定のバイアスがかかったプロパガンタに見える記事は信憑性を失ってしまうことをご理解ください。--Makotoy 2006年9月26日 (火) 06:45 (UTC)
出典が必要な部分
[編集]らんでさんによる一連の編集で追記された部分について、以下のような疑問を感じました。
- ミニマックス定理は数学だけでなく、社会に大きな影響をあたえた: 社会というよりは経済学ぐらいが妥当な範囲では?
- ゲーデルの証明を最初に認めたのも、人付き合いが悪いゲーデルの数少ない親友であったフォン・ノイマンであった。: ゲーデルが不完全性定理を発表した時点で2人はそもそも知り合いだったのか?例えば、2人が同じ場所で働いたのはプリンストン高等研究所が初めてなのではないかと思います。
- フォン・ノイマンは数学基礎論や純粋数学の発展の限界を悟り、応用数学に転向した: 出典は?例えば1940年代にも純粋数学の作用素環の論文を書いています。
- 「コペンハーゲン解釈」: フォン・ノイマンの与えた影響とは何なのか?例えば、コペンハーゲン解釈の内容に「意識」がどう関係するのですか?
- 量子テレポーテーションによって情報を光速を超えて伝えることができないことの証明: 実際のところフォン・ノイマンはどこで何をどんな形で証明したのでしょうか?
これらについて出典を提示していただければと思います。よろしくおねがいします。--Makotoy 2007年12月31日 (月) 13:27 (UTC)
ミニマックス定理は現代戦略理論や孫子の兵法との比較(そこから企業運営論とかに結びつけたり…)、戦争における戦略論、チェスや将棋のプログラム技法、などに幅広く応用されています。その他の内容は確かに確証はないですね。ネットで読んだものが中心になっていますから。ただ、コペンハーゲン解釈の部分は「意識」ではなく「観測」だったかも。いずれにせよ曖昧な部分は削除します。--らんで 2008年3月1日 (土) 14:42 (UTC)
- 対応いただきありがとうございます。ところでミニマックス定理の応用に関する記述ですが、漠然と「社会に大きな影響をあたえた」と書くよりはいくつかの具体的な応用を例示した方がよいのではないのでしょうか。(とくに、Wikipedia:大言壮語をしない、Wikipedia:言葉を濁さないなどの観点から。これらのガイドラインに従うのは確かに難しいことですが。)ぼくは不勉強のため上で挙げられている分野への応用についてはわからないので、どのような加筆にするかはひとまずらんでさんにお任せします。--Makotoy 2008年3月2日 (日) 10:56 (UTC)
== 長崎型の設計について ==--Ayaka009 2010年5月4日 (火) 17:58 (UTC)--Ayaka009 2010年5月4日 (火) 17:58 (UTC)--Ayaka009 2010年5月4日 (火) 17:58 (UTC)
10ヶ月の推移が判りました、最初に基本設計、次に火薬の爆破データの集積(ハーバードのキスチアコフスキーがしたのでしょうか)ここでカメラシャッター2000/1(1000/1で圧縮のため)、次に計算、そして爆縮レンズの製作ですね(今のサンディア研究所)。 (以上が中身です、後に国防総省にノイマン1人で全軍に匹敵すると云われた唯一人です)
10ヶ月の数値計算と有りますが何故ロスアラモスに3ヶ月しか滞在しない人に出来るのでしょう?アドバイザーであり海軍やプリンストンの仕事もしてるのですから不可能な事です。その間にコンピュターの設計もですEDSACに抜かれましたがEDVACレポートが45年6月です、エッカーとモークリーの名前なら国家機密漏洩罪で死刑ですが。ゴールドスタインの話も国家機密を何故話すのでしょう、ゴールドスタインは陸軍中尉ですから。そのときボデイガード(海兵隊だから元帥?当時海兵隊しかいない)が付いていたからです。まあ平気で才能を外国に追い出す国ではヒトラーよりフランスのサルトルの粗末な発言を都合良く解釈するのでしょう。第2次大戦は自由国にとって楽勝では有りませんから、国家安全保障時原爆でも何でも使います。
ノイマンの亡くなる時も国防総省長官、副長官、陸海空の長官と参謀長、原子力委員長もいたのです、他にもいましたが問題になりますので。まあ想像して下さい。ただこれは大問題になり議会で論争になり以後は有りません、ノイマン程の人はいませんから。
殆どはノーマン・マクレーのフォン・ノイマン伝です、まだ有りますが国家機密までいきますので 。 彩香
晩年の描写
[編集]フォン・ノイマンの晩年に関するエピソードについて、根拠の提示されない疑わしい記述がずっと残されたままになっています。 「監視病棟に収容された」 「3+4が解けなかった」 「家族とも面会謝絶になった」 これらのいずれも、(von Neumann 2005)のIntroductory Comments(Rédeiによる)および(Halmos 1973)では確認できず、インターネット上でもこのような言及をしている確かそうな情報源を見つけることはできませんでした。(英語版の記事にもありません。)これらについて編集をされたのがいずれも未登録利用者のかたであるためあって出典が確認できそうにないため、該当部分を削除させていただきました。
さらに、癌と診断された時期については明らかにこれらの文献と異なった記述になっていました。種類についても「骨肉腫」と特定している文献を見つけられなかったため「骨腫瘍」にしました。「全身に転移」も確認できなかったためひとまずコメントアウトしておきました。また、ストラウスの回想は(von Neumann 2005)の方に見られますが「最期の時」とは読めません。これらについても修正しておきました。--Makotoy 2010年12月13日 (月) 09:10 (UTC)
- von Neumann, John (2005). Miklós Rédei. ed. John von Neumann: selected letters. ISBN 978-0821837764
- Halmos, P. (1973年4月). American Mathematical Monthly: pp. 382-394
- 普通に全部フォンノイマンの自伝に書いてある。骨腫瘍というのは合ってる、すい臓にできた癌が骨に転移した。--61.23.109.32 2016年7月7日 (木) 15:10 (UTC)