ノート:ジュンガル
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改名提案
[編集](本家である)英語版では、en:Dzungar peopleとen:Dzungar Khanateが分かれています。現在のこの記事では Dzungar people についてほとんど書かれていません。そこで、記事名を Dzungar Khanate に対応したジュンガル帝国とするのがよいと思います。200z(会話) 2014年10月9日 (木) 13:28 (UTC)
- 反対 1.なぜ英語版に合わせるのか、という根拠がありません(なお、英語版Wikipediaは別に「本家」ではありません)。2.google日本語検索では、"ジュンガル"は25,200件、"ジュンガル帝国"はわずかに948件です。3. そもそもKhanateの日本語訳は通常「汗国」です。以上3点に対しご意見を頂きたく思います。--Tonbi_ko(会話) 2014年10月9日 (木) 13:50 (UTC)
- コメント 建前はさておき、実態として英語版が本家であるというのは否定できないところだと思います。とはいうものの、私の提案は「本家に合わせる」ためのものではありません。英語版に言及したのは「ジュンガル人」と「ジュンガル帝国」を区別する必要があることを示したかっただけのことです。「ジュンガル人」と「ジュンガル帝国」を分けているのは英語版に限った事ではありません。ジュンガル人(あるいはジュンガル族)は現在も少数ながら存続しているようなので、歴史上の「帝国」とは別に記述したほうがよいと思います。Tonbi koさんはGoogleの件数を反対の根拠にしておられますが、「ジュンガル」で検索した場合、ジュンガル帝国の他に、Wikipedia日本語版にある言葉で言うと「ジュンガル盆地」、「ジュンガル旗」などもカウントされているので、「ジュンガル帝国」を示す言葉として主に「ジュンガル」が使われているという根拠にはなりません。上の提案では抜けているのですが、「ジュンガル」を「ジュンガル帝国」に改名(移動)したあと、「ジュンガル」を曖昧さ回避にするのがよいと考えています。以前より中国語版(zh:准噶尔)は曖昧さ回避になっていますし、英語版のen:Dzungarは私がリダイレクトから曖昧さ回避に変更しました。ところで、Tonbi koさんご指摘の「ジュンガル汗国」についてgoogleで検索したところ214件(2014年10月9日 (木) 15:07 (UTC)現在)ということなので、948件の「ジュンガル帝国」のほうが
よいとおもいます一般的なようです。私自身(日本語版・英語版を通じて)Wikipediaに書かれている以上の知識があるわけではないので、他に根拠があれば別ですが、Wikipediaで見る範囲では無理な改名提案ではないと思っています。200z(会話) 2014年10月9日 (木) 15:07 (UTC)- コメント そういう趣旨であったなら最初からそれをメインに述べるべきでしょう。あなたの当初の提案が、英語版に準拠することが主眼に見えたものですから、上記のような反対を行ったのですが……。
- いちおう個々に回答をしておきます。1.「英語版が本家であるというのは否定できないところだと思います」:これはあなたの個人的な意見ではないですか? 私はそう思ったことは一度もありませんし、公式文章でも見たことはありません。建前/本音論で語る内容でもないでしょう。 2. googleの検索件数に関してわたしの提示したデータは過ちでした。しかし「googleで多いから」は基本的に根拠となりえません。 3. に関しては「英語版に準拠したいからではない」というご意見であれば、もちろん撤回します(英語版に準拠するなら汗国になるんじゃないの? というだけの話であって、私はそもそも汗国を支持しません)。
- さて、私は基本的に「ジュンガル帝国」という言い方に非常に違和感があるのですが、最近の歴史教科書や研究書の表記ではどうなんでしょうか?(CiiNiiの論文検索では有意な結果は見られませんでした) Wikipediaでは基本的に a:正式名称や権威ある学者による名称、b:一般に膾炙した名称 の順に優先されると思いますが、本記事のinfoboxで日本語名称を「ジュンガル・ホンタイジ国」にしているのとどう整合性を取るのでしょうか? 改名提案自体には賛成に傾いていますが、なぜ「帝国」であるのかの根拠を再度お示しいただけますか? --Tonbi_ko(会話) 2014年10月9日 (木) 16:14 (UTC)
- コメント 建前はさておき、実態として英語版が本家であるというのは否定できないところだと思います。とはいうものの、私の提案は「本家に合わせる」ためのものではありません。英語版に言及したのは「ジュンガル人」と「ジュンガル帝国」を区別する必要があることを示したかっただけのことです。「ジュンガル人」と「ジュンガル帝国」を分けているのは英語版に限った事ではありません。ジュンガル人(あるいはジュンガル族)は現在も少数ながら存続しているようなので、歴史上の「帝国」とは別に記述したほうがよいと思います。Tonbi koさんはGoogleの件数を反対の根拠にしておられますが、「ジュンガル」で検索した場合、ジュンガル帝国の他に、Wikipedia日本語版にある言葉で言うと「ジュンガル盆地」、「ジュンガル旗」などもカウントされているので、「ジュンガル帝国」を示す言葉として主に「ジュンガル」が使われているという根拠にはなりません。上の提案では抜けているのですが、「ジュンガル」を「ジュンガル帝国」に改名(移動)したあと、「ジュンガル」を曖昧さ回避にするのがよいと考えています。以前より中国語版(zh:准噶尔)は曖昧さ回避になっていますし、英語版のen:Dzungarは私がリダイレクトから曖昧さ回避に変更しました。ところで、Tonbi koさんご指摘の「ジュンガル汗国」についてgoogleで検索したところ214件(2014年10月9日 (木) 15:07 (UTC)現在)ということなので、948件の「ジュンガル帝国」のほうが
- コメント (補足)「ジュンガル人」と「ジュンガル帝国」を分けているWikipediaがいくつあるか数えてみました。英語版の他にチェコ語版、フランス語版、イタリア語版、カザフ語版、モンゴル語版、ロシア語版、中国語版の7つが両方の記事を作成しています。200z(会話) 2014年10月9日 (木) 15:33 (UTC)
- コメント お互い意思の疎通がよろしくなかったようです。当初の反論の語気が荒かったこと、その後もあまり丁寧な文章でなかったことをお詫びします。「ジュンガル人」「歴史上のジュンガル国家」を分離することには反対しません。わたしが引っかかっているのは、なぜ「帝国」なのかという一点のみです。 --Tonbi_ko(会話) 2014年10月9日 (木) 16:19 (UTC)
- コメント 「ジュンガル・ホンタイジ国」で結構です。Googleで検索した範囲で見ると、「ホンタイジ国」という表現はジュンガル・ホンタイジ国以外には使われていないようで、「ホンタイジ国」という表現が、私にとって耳慣れない言葉なので、耳慣れている「帝国」のほうを提案したものです。他の方の意見がないようなら、「ジュンガル・ホンタイジ国」で作業を進めたいと思います。200z(会話) 2014年10月10日 (金) 12:43 (UTC)
- コメント 200zさん、あまり性急になられないようお願いします。作業をすすめるのは合意が取れてからでも遅くありません。さて、googleで("ジュンガル・ホンタイジ国" -"wikipedia")で検索すると、どうも本項とその関連を除いた「ジュンガル・ホンタイジ国」という使用例はものすごく少ないようです。また、本項に関して、トムルさんの書いた❝ ===ハーン国ではない=== ❞という節にPOV的な文章がありましたので、私はこのように[1]修正し、トムルさんにも確認を依頼しています(利用者‐会話:トムル#ジュンガルにおける「ハーン国ではない」の節)。そして本項の履歴をたどると、日本語名称を「ジュンガル・ホンタイジ国」に変更したのはトムルさんです。
- 実の所、わたしが一番憂慮しているのは、「Wikipediaで造語を生み出すこと、またそれが広まってしまうこと」なのです。Wikipediaは独自研究の場でなく、既に存在する論を中立的に掲載する場ですから、これはいけないことです。ですから、200zさんの❝ 「ホンタイジ国」という表現が、私にとって耳慣れない言葉なので、耳慣れている「帝国」のほうを提案した ❞というのも「ジュンガル帝国」というひとまとまりの言葉を耳慣れているのであればいいのですが、単に「帝国」を耳慣れているだけであれば、それに「ジュンガル」をつなげてしまうのは、情報の合成であって、厳に慎むべきことです。
- まずはトムルさんの本文修正をお待ちして、またトムルさんがたくさん文献をお持ちのようですから、議論に参加いただいて、どの学者がどの論でジュンガル・ホンタイジ国(あるいはジュンガル帝国、あるいはジューン=ガル・ハーン国)という言葉を使っていますよ、というような情報いただけるのを待ったほうがいいのではないかと思います。一般名詞ではなく学術的な用語なのですから、改名には十分な時間をかけ、またなんらかの文献を元にすべきです(200zさん、この提案に関しWEB以外で何か本や論文を読みましたか?)。わたしは中央アジアや北アジアにはあまり詳しくありませんが、わたしの方でも文献を集めてみます。 --Tonbi_ko(会話) 2014年10月10日 (金) 13:55 (UTC)
すいません。トムルです。まず、200zさんの意見もわかりますし、Tonbi_koさんの中立性を求めるのもすごくわかります。
①「ジュンガル」の曖昧さについて
・200zさんのいう「ジュンガル人」と「いわゆるジュンガル帝国(ジュンガルの歴史的国家)」を分けることに関してですが、妥協案として「ジュンガル」はそのままで、Otherusesにて新設「ジュンガル人(ジュンガル族)」と曖昧回避をおこなうか、あるいは「ジュンガル」の一記事内でジュンガル人のことまでも記述してしまうか、ではダメでしょうか。改名にしろ前者にしろ、そのためにはまず、新設「ジュンガル人(ジュンガル族)」を書いていただかなければなりません。曖昧物がないうちに改名提案は早いと思います。
・そもそも「ジュンガル」のままで不都合(曖昧)なのでしょうか(→例えばどんなことが不都合でしょうか)、別に「ジュンガル人」が必要なのでしょうか(ジュンガル人というより、オイラト人なのでは?)、もう少し根拠(必要性)がほしいです。なければ改名に賛成することはできません。そういった場合の根拠はWikipediaではなく、書籍等の信頼できる情報源に求めるべきです。Wikipediaは所詮は素人の書いたものなので、根拠(出典)にすることはできません。いくら他言語版でそのようにしている(多く採用されている)からと言ってもです。書籍・論文からの根拠をください。
②ジュンガル帝国(改名後の名称)について
ちなみに私が書いたこの記事「ジュンガル」は、いわゆるガルダン・ハーン時代にみえるジュンガルの帝国時代のみならず、その前時代であるオイラト部族連合に属するジュンガル部(帝国時代もその後もジュンガル部ですが…)も含む内容になっています。できればその後のジュンガルも含みたいと考えています。なので、ジュンガル帝国ではちょっと違います(一部にすぎません)。また、私個人としましては、「○○帝国」は通称にすぎないので、記事名としては適切でないと考えます。逆に「ジュンガル・ホンタイジ国」ではどうか、との意見がありましたが、こちらは一般的とは言えないので、お勧めできません。ここはまず、多くの書籍の中から多く採用されている名称が適切といえましょう。そのためにはその一覧表を書き出すべきです。--トムル(会話) 2014年10月12日 (日) 15:16 (UTC)
- 非常にわかりやすいご説明ありがとうございます。①に関してですが、そういえばと検索してみたところ、すでに記事オイラートがありますね。「(現代の)ジュンガル人」については、必要があればこちらのほうに加筆して、その記述がしっかり膨らむようであれば、「現代におけるジュンガル人についてはオイラートを参照」とするのがいいかもしれませんね。
- ②に関してですが、わたし個人の好み・意見としては、素の「ジュンガル」が一番違和感がないと思っています。通称されているからという根拠で「帝国」「ハン国」「王国」などをつけるのは(つけないと収まりが悪いと感じるのは)、どうも19世紀以降の西欧スタンダードに準拠した教科書的名称の影響ではないかなぁと思うわけです。近年の東南アジア史などでも、政体論的な考察の結果、無理に国号をつけない「マジャパヒト」「チャンパ」などといったシンプルな名称を好む筋もあるようです。「多くの書籍の中から多く採用されている名称」というのも、非現実的な多数決主義になりかねませんし、現状維持に意見を変更いたします。 --Tonbi_ko(会話) 2014年10月13日 (月) 05:46 (UTC)
取り下げ 改名提案を取り下げます。なお、記事内容(特に最初の文)について意見があるので#記事内容についてをご覧ください。200z(会話) 2014年10月16日 (木) 11:02 (UTC)
「汗国という名称」の出典の抜粋
[編集]宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房、2002年、ISBN 4887082444)p212
「 | ジューンガル史の通説の誤り 最後に、欧米とロシアのジューンガル史の通説がどのように誤っていたかについて、簡単に述べておきたい。欧米におけるジューンガル史の誤謬の最大の理由は、オイラト(ロシア人はカルムィクと呼ぶ)が、諸首長が対等な関係で同盟を結んだ遊牧部族連合であったことを理解せず、ジューンガルだけが盟主の地位にある特別な部族だと思い込んだところにある。確かに、ガルダンが登場した十七世紀末から、清朝に滅ぼされる十八世紀なかばまで、ジューンガル部長はオイラト部族連合の盟主だった。しかし、ロシア人がはじめてオイラトと接触した十七世紀はじめには、まだジューンガルはオイラト部族連合の一構成集団にすぎなかった。また、ジューンガル部族長の称号は、ハーンの副王という意味の「ホンタイジ」で、「ジューンガル・ハーン」は存在しなかった。そういうわけで、ソ連のズラートキンが著した有名な『ジュンガル・ハン国史(一六三五―一七五八)』は、題名からして誤りなのである。 |
」 |
--トムル(会話) 2014年10月12日 (日) 15:16 (UTC)
- ありがとうございます。非情に興味深い、かつ納得できる話ですね。失礼ながらここまではっきりした論拠があるとは思っていませんでした。ただ記事本文に「誤りである」という書き方は少し強すぎるかなぁと思います。実際に歴史家の間でも、ハーン国と呼ぶ方はいるわけですから、「これこれの理由で誤りであるという研究がある」に弱めたほうがいいかなという気はします。例えばですが、
「 | ソ連のズラートキンが著した『ジュンガル・ハン国史(一六三五―一七五八)』を筆頭として、このジュンガル国家の名称を、ハン国(汗国)あるいはハーン国とする例が多い。しかし、ロシア人がオイラートと接触した17世紀初頭、ジュンガルはオイラート部族連合の一構成集団にすぎず、またジュンガル部族長の称号は、ハーンの副王という意味の「ホンタイジ」であった。ロシア人はこれを誤解し、ジュンガルをオイラートの盟主と思い込んだゆえの誤解により、「ハーン国」という名称を付けたのであり、この名称は不適切であるとの研究がある。国主の称号としては、例外としてガルダン・ハーンのみが「ハーン」号を帯びているが、ジュンガルで「ハーン」号を使用したのは彼が最初で最後であり、他はすべて「ホンタイジ」号を採用している[出典1][出典2]。 | 」 |
といったあたりではどうでしょう? わたしの理解に間違いがなければ、この例文のように修正したいと思いますが、いかがでしょう?--Tonbi_ko(会話) 2014年10月13日 (月) 05:28 (UTC)
- 大事なのはここが自分の論文でも、ブログでもなく、ウィキペディアであるということです。ですので、Wikipedia:中立的な観点に則り、中立的な表記が一番望ましいと思います。ただし、「ハーン国」としている書籍・研究者の出典が必要ですが。--トムル(会話) 2014年10月15日 (水) 13:43 (UTC)
- そうですね。わたしの方でも紙の資料をいくつかあたってみて、それから再度考えます。 --Tonbi_ko(会話) 2014年10月16日 (木) 19:07 (UTC)
記事内容について
[編集](Onlineで得られる情報の範囲で判断すると)「ジュンガル帝国」は「ジュンガル部」というように書かれることもあるようですが、ジュンガル部だけの帝国ではなくそれ以外の部もあわせた「帝国」ということのようです。部族としての「ジュンガル部」はジュンガル帝国以前からあったようで、そのため「ジュンガル部」というと部族とも帝国とも取れてしまうようです。しかし、「ジュンガル部」という「部族」が注目されるのは、あくまで「ジュンガル帝国」あってのことなので、この記事については「ジュンガル帝国」の記事であると考えて書くのがよいと思います。現在でも、ほとんどの内容は「ジュンガル帝国」に関するものなので、特に大きく変える必要はありません。「ジュンガル帝国」以前の「ジュンガル部」については帝国以前の前史ということで問題ありませんし、ジュンガル帝国滅亡後についても同様です。一番気になるのは、最初の文の「ジュンガルは、17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心に活動した遊牧民オイラトの一部族および、それが中心となって築き上げた遊牧帝国。」の「一部族および、」のところです。この文章を「ジュンガルは、17世紀から18世紀にかけて遊牧民オイラトの一部族であるジュンガル部が中心となって築き上げた遊牧帝国。現在のジュンガル盆地を中心に活動した。」というように変更すれば、「帝国」の記事であることがはっきりするので変更してはどうでしょうか。200z(会話) 2014年10月16日 (木) 11:27 (UTC)
(反対がなければ)中国語版のzh:准噶尔と英語版のen:Dzungar(どちらも曖昧さ回避)に対応する記事としてジュンガル (曖昧さ回避)を作成したいと思います。どう思われますか。200z(会話) 2014年10月16日 (木) 11:27 (UTC)
- 反対 上のほうでトムルさんも「改名にしろ前者にしろ、そのためにはまず、新設「ジュンガル人(ジュンガル族)」を書いていただかなければなりません。曖昧物がないうちに改名提案は早いと思います」とおっしゃっていますが、まずは部族としてのジュンガルの記述をふくらませてからでしょう。 --Tonbi_ko(会話) 2014年10月16日 (木) 19:06 (UTC)
- コメントおっしゃる通り部族としてのジュンガル部については、現在記事の中に記述されていて別記事にはなっていないのでので、曖昧さ回避の対象ではありません。曖昧さ回避の対象になるのは、部族としてのジュンガル部ではなく、ジュンガル旗とジュンガル盆地です。200z(会話) 2014年10月17日 (金) 05:22 (UTC)
- 反対 上記の”一番気になるのは、最初の文の「ジュンガルは、17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心に活動した遊牧民オイラトの一部族および、それが中心となって築き上げた遊牧帝国。」の「一部族および、」のところです。この文章を「ジュンガルは、17世紀から18世紀にかけて遊牧民オイラトの一部族であるジュンガル部が中心となって築き上げた遊牧帝国。現在のジュンガル盆地を中心に活動した。」というように変更すれば、「帝国」の記事であることがはっきりするので変更してはどうでしょうか。”なのですが、「ジュンガル」=「(ジュンガル)帝国」のように聞こえます。「ジュンガル部」だって「ジュンガル」ですよ(むしろジュンガル部こそがジュンガルだと思いますが)。そして、この記事は決してジュンガル帝国だけの記事ではありません。ですので、ジュンガル帝国に特化した記事になるべきではありません。また、「ジュンガル」の曖昧回避ページ化ですが、「ジュンガル」と入力して「ジュンガル旗」や「ジュンガル盆地」を検索する人はいないと思いますし、「~旗」「~盆地」となっており、「ジュンガル」というまったく同じ名前のものが衝突しているわけでもないので、曖昧さ回避に至るほどではないと思います(Wikipedia:曖昧さ回避)。--トムル(会話) 2014年10月17日 (金) 15:49 (UTC)
- 提案 現在の「最初の文章」を見ると「部族」の記事がメインであるような文章になっています。一方、記事の内容を見ると、大部分が「帝国」のことで「部族」のことは触れられている程度になっています。これは日本語でジュンガルというとまず「帝国」を連想することの反映だと思います。英語版のen:Dzungar peopleのように部族の記事がメインになっているのならよいのですが、現在の記事の内容と比較して今の「最初の文章」は違和感があるというのが、上記提案の理由です。「最初の文章」に「ジュンガル」が部族名であるということを記述することが重要であるとお考えならば、「17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心とする地域に遊牧民オイラトが築き上げた遊牧帝国、およびその中心となったオイラトの一部族。」ではどうでしょうか。帝国と部族の順番を入れかえただけですが、主に「帝国」について記述した記事であることを表現できると思います。なお、「ジュンガル帝国に特化した記事になるべきではありません」と書いておられますが、別に「部族」の記述を削除することを提案しているわけではありません。現状でも十分「ジュンガル帝国」の記事になっているので、「最初の文章」などでそのことをはっきりさせたほうがよいと思っているだけです。200z(会話) 2014年10月19日 (日) 08:33 (UTC)
- 反対するつもりはないですが、ただ、私的にジュンガル部族=ジュンガル帝国(ジュンガル部族の中のジュンガル帝国時代)であり、帝国の記事も部族の記事内であると考えます。なので、”大部分が「帝国」のことで「部族」のことは触れられている程度になっています。”がよくわかりません。あえて分けるとすれば、ジュンガル部族時代が起源~バートル・ホンタイジで、それ以降が帝国時代かもしれませんが、それでも私的には半々に書いてあるように見えます。ですが、「最初の文章」に関しましては、『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社)に”(ジュンガルとは)17世紀後半から18世紀中葉にかけて中央アジアを席巻したモンゴル系遊牧民の帝国。実体はジュンガル部族長を盟主とするオイラト・西モンゴル族の部族連合。”とあるように、帝国が最初にきても差し支えないと思います。--トムル(会話) 2014年10月24日 (金) 04:59 (UTC)
- コメント 1週間ほど様子を見て、反対がなければ、上記 提案 の「17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心とする地域に遊牧民オイラトが築き上げた遊牧帝国、およびその中心となったオイラトの一部族。」への変更を行います。200z(会話) 2014年10月24日 (金) 11:08 (UTC)
- 報告10月24日の「コメント」のとおり最初の文を変更しました。次の文とのつながりが悪いようにも思いますが、他の変更はしません。200z(会話) 2014年11月3日 (月) 11:40 (UTC)