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ノート:ジミー・ペイジ

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ユー・リアリー・ガット・ミー

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「キンクスの『ユー・リアリー・ガット・ミー』なども彼のプレイ」との記述がありますが、『ユー・リアリー・ガット・ミー』についてははっきり断定できる資料はなかったような気がします(Freeflow 2005年5月24日 (火) 08:40 (UTC))[返信]

この件については、様々な証言があり(例えば、ジョン・ロードによるもの)状況は複雑なので、記述するべきではない(あるいは、「ユー・リアリー・ガット・ミー」スキャンダル、として別個に扱うか?)と思われます。--ZSLF 2008年11月23日 (日) 17:35 (UTC)[返信]

三大ギタリスト

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エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの三人をまとめて、三大ギタリスト(あるいはそれに相当する言い方)と呼ぶことは英語圏でも見られる現象です。例えば、Guitar World 誌(September, 1981) には、

``Clapton, Beck and Page: a holy trinity whose rippling lead lines and powerful slashing chords have provided a world on instruction for countless aspiring players. That ...

という表現が見られます。この様な事情を考慮して、本文を一部修正しました。--ZSLF 2007年2月1日 (木) 20:50 (UTC)[[返信]

演奏に対する評価、等の項目

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「リフ作りの天才」「演奏の即興性とそれに対する評価」「海賊盤・ライブから見るキャリア・ピーク」等の項目の内容は、唯の主観的な文章です。巷間、この様なことが言われることがあるのは事実ですが、百科事典に記述されるべき「事実」とは言えない。英語版のJimmy Pageの項目は日本語版よりも情報は多いが、このように主観的な文章は載っていません。これは評論ではなく、百科事典なので、これらの項目は事実に即した部分だけを書くべきでしょう。

どの様に変更するべきか意見を下さい。--ZSLF 2007年2月1日 (木) 21:04 (UTC)[返信]

この提案をしてからそろそろ10ヶ月経つので、とりあえず、根拠が全く記されていな、単なる主観に基づく部分を一部削除しました。--ZSLF 2007年12月1日 (土) 04:01 (UTC)[返信]


「演奏スタイルとそれに対する評価」も独自研究(というか、単なる茶飲み話、もしくは評論)なので、基本的には削除した方がいいですね。演奏スタイルの部分の一部と使用楽器・特殊奏法は残した方がいいかも知れない。 「風説とエピソード」の部分はちょっとひどいですね。こっちは全削除して黒魔術騒動(レコード逆回転関連)を歴史的事実として記録するというのがいいように思います。--ZSLF 2007年12月1日 (土) 04:12 (UTC)[返信]

自由な削除編集は結構なのですが、資料として興味深い情報を全て削除されてしまいますと、データベースとしてここをわざわざ閲覧する必要は無くなってしまいます。個人的には削除されますなら、どうか今まで他の方々が長い時間をかけて加筆してくださった記事に相当する情報量の記事を、かわりに加筆されますことを希望致します。また、今回大量に削除された文章につきましては、私はツェッペリン関係の書物などから通説として長年多くに知られている多数の事柄を、ただの加筆者の主観と断じられたこと、また不当と思われる文章を改良されずに一気に全削除されたことに違和感を感じ記事を復元させました。主観か客観かは見る者の立場が違えば当然変ります。そしてWikipediaの記事は必ずしも事実であることは保証されないとも最初にあるとおり、何が事実に即した百科事典に相応しい記事かの判断は難しいと思います。ただ「風説とエピソード」については誹謗中傷に繋がるニュアンスを多々感じますので、削除には賛成致します。「演奏スタイル」と使用楽器・特殊奏法の項目につきましては資料的価値に富んだ記事であると思いますので出来るだけ残すべきではないでしょうか。とはいえこれらの情報は他のサイトや書物を閲覧すれば容易に参照出来る情報ですので、ZSLF様のご編集方針について最後まで反対するものではございません。なぜならWikipediaの記事は、たとえ全削除をされたとしましても編集の履歴と記事は全て残っていますので、情報は何も失われてはいないのですから。--曾孫太郎 2007年12月16日 (日) 02:30(UTC)
復活させられた記事は、やはり根拠に乏しい主観としかいいようがありません。ツェッペリン関係の書物、がどの程度のものを指しているのかがそもそもわかりません。(英語も怪しいような水準の人達による雑誌記事のことでしょうか??) 例えば、以下の様な記述は感想文以外の何物でもありません:
しかしながらクラプトンのそれとは大きく異なり、正統的なブルースのプレイからはかけ離れた、当時としては非常にアヴァンギャルドなものであった。
その一方で、同じフレーズを繰り返すという曲構成はロックの曲作りにおける質の低下を招いたとも批判される。
ツェッペリンのフォロワーには単調なフレーズを繰り返すだけのものも多く、ツェッペリンの作曲の意図が十分に伝わっていないことも多かった。
さらに以下の文章については、その他のインタビュー(エンジニアやペイジのもの)と照合する等の資料批判をちゃんとやってから載せるべきものであり、それは今後の研究を待つべきです(例えばブラックドッグについては、ペイジは「リフをジョンジーが作ってきた。」「ヴォーカルとバッキングを分けたのは自分(ペイジ)のアイディア」等と言っています(インタビューの時期によって多少内容が変わるのだが)。レコーディングエンジニアの回想では「リズムトリックはペイジのアイディア」であると言っています。この様に、彼らのインタビューはいろいろとあり、これらを検証する研究は未だ殆どおこなわれていません。):
``因みに、ツェッペリンのリフは全てペイジによって考案されているかと思いきやそうではなく、近年の音楽メディアのインタビューでは「コード中心或いはコード分解系のリフはペイジ、ベースライン、単音系のリフの作曲者はジョーンズ」であったとジョーンズは強く回想している。つまり「ブラック・ドッグ」や「ハートブレイカー」「オーシャン」「ミスティマウンテンホップ」「モビー・ディック」などツェッペリンを語る上で欠かせない名曲たちはジョーンズが筆頭作曲者(クレジット上は共同作曲者)だったらしい。
ついでに言うと、ここに挙げた文章は、「強く回想」などという執筆者の教養に疑問を感じさせるような水準の日本語で書かれており、どのみち削除するべきでしょうね。そもそも「だったらしい。」という記述を載せるというのは一体どういうことでしょうか?
とにかく、
因みに、ツェッペリンのリフは全てペイジによって考案されているかと思いきやそうではなく、近年の音楽メディアのインタビューでは「コード中心或いはコード分解系のリフはペイジ、ベースライン、単音系のリフの作曲者はジョーンズ」であったとジョーンズは強く回想している。つまり「ブラック・ドッグ」や「ハートブレイカー」「オーシャン」「ミスティマウンテンホップ」「モビー・ディック」などツェッペリンを語る上で欠かせない名曲たちはジョーンズが筆頭作曲者(クレジット上は共同作曲者)だったらしい。ペイジからこの件に関して特に反論はされていない。それを追認したとしても殆どのツェッペリンの代表曲(「コミュニケーション・ブレイクダウン」、「胸いっぱいの愛を」、「ランブル・オン」「カシミール」「天国への階段」など)はペイジ作曲によるものであることに変わりはない。だがジョーンズもまた超一流の才能の持ち主であったことは心に留めておかねばならないであろう。
は完全に、wikipedia で強く禁止されている独自研究の範疇に属します。
このような情報を発信したかったら、wikipedia 以外の場所を使うべきです。(自分のweb site あるいは、出版).
というわけで、以上をふたたび削除したいと思います。--ZSLF 2007年12月17日 (月) 19:31 (UTC)[返信]
以上を含め、単なる主観的感想やTriviaを削除しました。--ZSLF 2007年12月17日 (月) 19:43 (UTC)[返信]


「スタジオワークにおける技量」も酷いですね。 なぜ、ジミー・ペイジの項目に他のギタリストの記述をするのでしょうか? また、音楽家、演奏家の技量の評価、というのは非常に難しい問題で結局は単なる主観評価になってしまうため、この客観性を重視する記事ではあまり触れないものです。ここも削除したいと思います。少年向けギター雑誌の記事のようなものを載せないで貰いたい。英語版の記事もあまり出来は良くありませんが、ここまで酷くはない。 是非、参考にして下さい。資料として重要で事実とわかっているもののみを載せて下さい。--ZSLF 2007年12月17日 (月) 19:49 (UTC)[返信]

ZSLFさん、そもそもWikipediaは複数の編集者によって書かれているものであることはお分かりですよね?独自研究にあたると仰られますが貴方が削除されました文章も履歴を調べますと、複数の編集者によって改良され続けられて成った文章でした。私も削除された記事の多々には納得出来ない個所がございましたが、なるべく過去の編集者の記述を生かす形で修正したかったですので、手をつけてはいなかったのです。私の希望としましては全編削除ではなく事実に即した形に記事の再構成をお願い致したかったです。その要望とは別にお伺い致しますが、
>ツェッペリン関係の書物、がどの程度のものを指しているのかがそもそもわかりません。(英語も怪しいような水準の人達による雑誌記事のことでしょうか??)
これは貴方が思われますその英語も怪しい水準だという雑誌なり、そんな雑誌のいう風説を真に受けているであろうと貴方が推測で思われました、
私への侮辱の意図があってそう書かれたのですか?私が申す程度とはリッチ-ヨーク著の「レッド・ツェッペリン物語」など、出版されてもう20年以上経つであろう、ツェッペリンファンにとっては馴染みの伝記群や私が購読していたギター雑誌などから得た、ファンにとっては一般常識に近い知識を「通説」と申しましたのです。説明不足は申しわけございませんが、少々貴方はお言葉が過ぎませんでしょうか。一緒に編集を共にする者としてはひじょうに残念な気持ちに思いました。では、それは一時置いておき、私に答えられることと答えられぬことがございますが、続けて貴方の質問にお答え致します。
>「さらに以下の文章については、その他のインタビュー(エンジニアやペイジのもの)と照合する等の資料批判をちゃんとやってから載せるべきものであり、それは今後の研究を待つべきです(例えばブラックドッグについては、ペイジは「リフをジョンジーが作ってきた。」「ヴォーカルとバッキングを分けたのは自分(ペイジ)のアイディア」等と言っています(インタビューの時期によって多少内容が変わるのだが)。レコーディングエンジニアの回想では「リズムトリックはペイジのアイディア」であると言っています。この様に、彼らのインタビューはいろいろとあり、これらを検証する研究は未だ殆どおこなわれていません。):」
記事の不備には全く同意致しますが、ならば異説として仰られることを付け加えては如何だったのでは?。ジョン・ポール・ジョーンズ氏がブラック・ドッグ、オーシャンなどのリフを作曲したという証言は96年辺りから日本の音楽雑誌の中でも語られ、我々にも知られていることですので、この記述自体に事実と反する内容は微塵も無いのですから。またジミ-・ペイジ氏はジョン・ポール・ジョーンズ氏のこの証言に対して、それを認める内容のコメントもペイジ・プラント時代に申されたことも私は記憶しております。ソースとなる雑誌につきましては忘失致しましたが、それを記述したHPなどは複数あるかと存じます。
>「``因みに、ツェッペリンのリフは全てペイジによって考案されているかと思いきやそうではなく、近年の音楽メディアのインタビューでは「コード中心或いはコード分解系のリフはペイジ、ベースライン、単音系のリフの作曲者はジョーンズ」であったとジョーンズは強く回想している。つまり「ブラック・ドッグ」や「ハートブレイカー」「オーシャン」「ミスティマウンテンホップ」「モビー・ディック」などツェッペリンを語る上で欠かせない名曲たちはジョーンズが筆頭作曲者(クレジット上は共同作曲者)だったらしい。
ついでに言うと、ここに挙げた文章は、「強く回想」などという執筆者の教養に疑問を感じさせるような水準の日本語で書かれており、どのみち削除するべきでしょうね。そもそも「だったらしい。」という記述を載せるというのは一体どういうことでしょうか?」
なぜ、それで全削除することになるのか私には根拠が全くわかりません。まず、
>「「強く回想」などという執筆者の教養に疑問を感じさせるような水準の日本語で書かれており、」
と仰られますが、Wikipediaは編集者個人なり、その編集の不備を責める場所ではないことはご存知でしょうか。お言葉から感じられる、その編集にあたられた方への侮辱のニュアンスになんの共感も抱けませんし、ならば何故「強く回想」を「回想」なりに直されたりされなかったのでしょうか?改良を経ずに主観を持って一方的に全てを削除とは、私はけして納得できません。またこの記事に対して独自研究だとのご主張の根拠も認められません。
>そもそも「だったらしい。」という記述を載せるというのは一体どういうことでしょうか?」
これが私に対するご質問でしたのなら意味が不明です。その編集者ではありませんのでお答えできません。ですが、ならば「であった」と貴方が文章を改編しては如何だったでしょうか。Wikipediaの記事は複数の編集者によって書かれるのですから、他者の文章を改編する作業が編集の大部分にあたるのではないのでしょうか?
>「因みに、ツェッペリンのリフは全てペイジによって考案されているかと思いきやそうではなく、近年の音楽メディアのインタビューでは「コード中心或いはコード分解系のリフはペイジ、ベースライン、単音系のリフの作曲者はジョーンズ」であったとジョーンズは強く回想している。つまり「ブラック・ドッグ」や「ハートブレイカー」「オーシャン」「ミスティマウンテンホップ」「モビー・ディック」などツェッペリンを語る上で欠かせない名曲たちはジョーンズが筆頭作曲者(クレジット上は共同作曲者)だったらしい。ペイジからこの件に関して特に反論はされていない。それを追認したとしても殆どのツェッペリンの代表曲(「コミュニケーション・ブレイクダウン」、「胸いっぱいの愛を」、「ランブル・オン」「カシミール」「天国への階段」など)はペイジ作曲によるものであることに変わりはない。だがジョーンズもまた超一流の才能の持ち主であったことは心に留めておかねばならないであろう。」
具体的にはこの文章の5行目までの大部分は確実に独自研究などではなく、周知の事実だったと思います。ジョン・ポール・ジョーンズの項目に記されるべき内容の記事かもしれませんが、あったとしましても私はなんら不都合には感じませんでした。
>「「スタジオワークにおける技量」も酷いですね。なぜ、ジミー・ペイジの項目に他のギタリストの記述をするのでしょうか?」
私はこの編集者ではありませんので分りません。ただ他のギタリストの項目をいくつかご覧になってからご自分で推測してくださいとしか申せません。私個人はこの記事の書き方には同じく納得いきませんですが。
>また、音楽家、演奏家の技量の評価、というのは非常に難しい問題で結局は単なる主観評価になってしまうため、この客観性を重視する記事ではあまり触れないものです。ここも削除したいと思います。少年向けギター雑誌の記事のようなものを載せないで貰いたい。英語版の記事もあまり出来は良くありませんが、ここまで酷くはない。
是非、参考にして下さい。資料として重要で事実とわかっているもののみを載せて下さい。」:
出来の酷い、酷くないという評価は個人の主観によるものに過ぎないと私は思います。酷いという感想を根拠に削除だけされて去られたならば、それは個人の横暴であり、結果はWikipediaを利用する我々にとって不利益しか残されません。貴方が他の編集者の教養なり文章を一蹴されるほどの高い見識を持たれますのなら、どうか削除だけでは無く加筆にもご協力願いたいです。また私への侮辱の意図があり、書かれた言葉に対し陳謝する必要も感じられませんのでしたなら、貴方とは今後編集方針を語り合う必要を感じません。今回の貴方によるノートでのご返答はこの項目の編集に関係ないばかりか、他の編集者に対する非協力と皮肉に満ちているように読ませても頂きました。ひじょうに残念です。--曾孫太郎 2007年12月18日 (火) 20:22 (UTC)[返信]
追記致しますが「海賊盤・ライブから見るキャリア・ピーク」等の項目に書かれていた幾つかの記述は、ジミ-・ペイジ氏の演奏力全般についてのあらぬ誤解を解く意図があったと思うのです。
80年代の以来、ジミ-・ペイジ=技量に拙いギタリストなどという不当な評価が大勢に蔓延していましたが、好調、不調の時期が記されていれば、そういった錯誤は防がれ、中傷の根拠も力を失うのではと個人的に思います。たとえばO2アリーナでのジミ-・ペイジ氏のピッキングはひじょうに丁重でしたが、今だペイジ氏の技量に対する中傷はところどころで止みません。好調不調の波についてはどこかで記載するべきではないでしょうか?--曾孫太郎 2007年12月18日 (火) 22:42 (UTC)[返信]
追記致しますが「海賊盤・ライブから見るキャリア・ピーク」等の項目に書かれていた幾つかの記述は、ジミ-・ペイジ氏の演奏力全般についてのあらぬ誤解を解く意図があったと思うのです...(以下略)
Wikipedia はその様な「あらぬ誤解」を解く場所ではありません。そのような行為(や評価)は評論活動に属します。
また、資料批判の意味がおわかりになっていないようです。(まあリッチーヨークの本は好きな本ですが。)
出来の酷い、酷くないという評価は個人の主観によるものに過ぎないと私は思います。
いえ、客観的事実(と認められる根拠)が余りにも乏しいという意味で酷いと書きました。
あまり、百科事典的記述(あるいは学術的記述)というものをご存知無いようですが(それが悪いとは言っていません。全ての人がそれらに通じているわけは無いし、その必要も無い。)百科事典の編集に参加するのであれば、せめて、様々な演奏家、音楽家の記事が英語版で(日本語版のwikipediaの水準は悲しい程低いので)どのように書かれているかを読んで下さい。非常に禁欲的に事実のみを書こうという姿勢を見ることができるでしょう。英語版でも、現代のポピュラー音楽関連の記事は trivia が多い等、他の記事に比較して水準が低かったのですが、最近はかなり改善されてきています。因みにこの過程でtriviaは一掃されることが屡々です。triviaのようなものは事実であり根拠が示されていたとしても記事としては不適切である、というのが最近のwikipediaのコンセンサスになりつつあります。
最後に、私が記事に貢献していない、と言われるのは心外です。不適切な記述を削除することは貢献です。また私は削除以外の貢献(少しですが)もしています。履歴を見て下さい。--ZSLF 2007年12月18日 (火) 12:39 (UTC)[返信]
仰られることが少々矛盾されているように思います。triviaを排除されますなら、貴方がRolling Stone誌の選ぶ100人の最も偉大なギタリストで第9位であると、ここに付け加えられたのか意味がわかりません。Rolling Stone誌は日本語版も出している老舗の音楽雑誌で、個人的に相当な権威を認めますが、とは言えごく最近、ほんの2005年に行われた一雑誌の特集記事に過ぎぬものの評価を残し、バンドのメンバーの証言に纏わるものは削除される選択の基準がよくわかりません。これがジミ-・ペイジ氏に対する絶対的な評価であり、一般的に認識されている概要だということは無いと思いますが。他にも同様な記述を探しましたがエリック・クラプトンの項目に第4位だという記載を見つけましたが、ペイジ氏より下位で9位であったジェフ・ベックの項目にはその記載が無いのも少し気になりました。それにriviaの排除を言い出しますなら極論からいうとwikipediaの殆どの記事は残らないと思います。
一体どこまで削除し続ければ、貴方の仰られる悲しい程低いという水準から日本語版wikipediaがだっせられるとお考えなのでしょうか。日本の何処かのwikipediaに似たフリー百科事典のようなものと同じく、「ジョン・ボーナム、レッド・ツェッペリンのドラマーとして有名。後ろにある銅鑼が特徴。」などと書かれてあるよりは現状の乱雑した状態でも私個人は満足しております。あと私は英語版ジミ-・ペイジの項目はログインをしていませんが何度か編集しております。以前ペイジ氏が自宅で心臓発作で倒れられ死亡したという嘘の記述を何度もされたときは、その度に消しておりました。ですので一応英語版のwikipediaも見回っておりますよ。あと日本語版の記述を英語版に似せなければならないと言われておりますなら、仰られることの根拠が全く分りません。規約に明確に書かれていますなら納得するのですが、探したところtriviaを排除するコンセンサス、明確な基準にあたるような物はみつかりませんでした。といいますか私は最初の書き込みから貴方の仰られる客観的と申す基準に疑問を呈しておるのですか?ですが貴方は最初に、削除した記事は根拠に乏しいから削除されたと仰り、次にたとえ事実であり根拠が示されていたものだとしてもtriviaを排除することはコンセンサスだと仰られる。これは説明不足か何かだったのでしょうか?私の態度は終始一貫しているつもりです。
あと百科事典というものは博物学的に無作為に収集された知識の中から編集者によって取捨選別して記述されるものだと認識致しておりますが、wikipediaのように編集者が毎度変わればその選択基準は同じものにはけしてなりませんよね。編集も流動的で複数人でもって編集するwikipediaでは編集者を責めるよりは、他と協調して編集にあたることが必要ではないのでしょうか。
>「Wikipedia はその様な「あらぬ誤解」を解く場所ではありません。そのような行為(や評価)は評論活動に属します。
そうですね。ではこれにあたると思われる記事を書かれた方の心情を考えることを止め、百科事典らしい編集に私も注力しましょう。
>また、資料批判の意味がおわかりになっていないようです。(まあリッチーヨークの本は好きな本ですが。)」
今だ意味は全くわかりません。ノートでの議論を求められていたようですので書いてみると、その返事というものは、
>「(英語も怪しいような水準の人達による雑誌記事のことでしょうか??) などという十分私への侮蔑にも受け取れる一方的な推測をまず浴びせられ、次に削除の理由のご説明の中で、
>「執筆者の教養に疑問を感じさせるような水準の日本語で書かれており」などという、
目を疑うような理由を述べられ(既に記述されている規約をここで書きたくありませんので、不明ですならwikipediaの規約を最初から順に読んでみてください。)、
>「少年向けギター雑誌の記事のようなものを載せないで貰いたい。」とまで仰られる・・・
つまり貴方は言葉を選ばれて議論にあたるおつもりなど最初からなく、Rolling Stone誌のような雑誌からの引用は認めるが、楽器専門雑誌のようなものからの引用は、くだらない少年向けであるからけして書くなと仰られておられるのですか?
といいますか日本でギター雑誌というものは2誌しか思いあたりませんので、いったいどの雑誌が少年向けであるか具体的な雑誌名を教えて貰いたい気持ちです。重ねて申しますが貴方は言葉がいき過ぎています。
貴方の侮蔑を纏った比喩表現的物言いには全くもって心外を通り越して不快に思う限りです。
私は口喧嘩をしにノートに書いているわけでは無いのですので、上記に書きましたように、もう貴方が求められる議論には参加するつもりはありません。最後に私は最初から貴方のここでの編集履歴を全て読ませて頂いたうえで発言致しました。ですが削除中心の編集のことには変わりありませんですよね。今回の大量過ぎる削除と比べますとあまりにも微々たる加筆ではないでしょうか。そして不適切な記述を削除することは貢献でありますが、私は不適切では無い個所も貴方は独断でまるごと削除されたのだと終始一貫して疑問を提示ております、言葉が伝わりませんでしたのなら残念です。-曾孫太郎 2007年12月19日 (水) 01:12 (UTC)[返信]

まとめると、

  • ZSLF の書いていることは執筆者に対する侮蔑である。
  • 削除箇所に削除されるべきではないものが含まれている。
  • Rolling Stones誌の記事を引用したのは何故か?
  • 英語版に準じる必要はない。

ということであろうと思われるのでそれらについて答えます。

まず、最初のものについては、文章を読んでの正直な感想です。公開の場で発表された文章が批判に晒されるのは当然のことです。(勿論、私の文章も。)

二つめの削除箇所に関しては、具体的事実は含まれていないと考えます。「通説」というものが成立するためにはそれなりの検証がなされていると社会で認められている必要があります。各種のインタビューやリッチーヨーク等の本は貴重な資料で、今後これらを検証した研究が現われてくるでしょう。が、しかし、この様な研究がかなり進んでいるクラッシックの分野の音楽家達の記事ですら、かなり禁欲的に書かれています。たとえば、en:Ignacy Jan Paderewskien:Leopold Godowsky 等を見て下さい。この二人はともに充分に評価が定着している音楽家達ですが、上手い、下手、等の評価は殆ど記述されていません。(この二人を例に挙げたのには理由があります。非常に技巧に優れていた、技巧的には上手くなかった、と評される二人なのです。)

三つめについては、trivia のようなものと言われる可能性が確かにあると思います。が、同時にJimmy Page が「非常に人気のあるギタリスト」であることを示す客観的な情報であるとも考えられます。ここでは、ガイドライン(例えば Wikipedia:大言壮語をしない 等)に従いpeacock terms を避ける表現をする目的で後者の立場を取りました。

四つめですが、英語版も日本語版よりは良いので参考にしてほしい、と書いただけです。これは別にJimmy Pageの記事だけを参照せよ、とは言っていません。良い、という基準は百科事典的記述という観点からのものです。(正直にいうと、英語版のJimmy Pageの記事も他の記事に較べると見劣りするなあと思ってはいます。サブカルチャーに関連するものは、まだ執筆者に研究者が少なく、このような記述をする訓練と教養が不十分なのでしょうね。)

最後にtriviaの扱いですが、ガイドラインのレベルでは既にWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるというのがあります。必要なものは本文の流れの中に記述するように、というのが推奨されています。

最後に、

ではこれにあたると思われる記事を書かれた方の心情を考えることを止め、百科事典らしい編集に私も注力しましょう。

理解が得られて嬉しく思います。--ZSLF 2007年12月18日 (火) 17:20 (UTC)[返信]

ZSLFさん
>まず、最初のものについては、文章を読んでの正直な感想です。公開の場で発表された文章が批判に晒されるのは当然のことです。(勿論、私の文章も。)
そんなもの常識だとは思えませんね。実に匿名のインターネットらしいご認識だと思います。
私はべつに雑誌を刊行している身ではありませんので、私に向けられた貴方のお言葉はそのままの悪意として受け取らせてもらいます。私としては貴方との一連の議論で理解したことは、もはや一緒に編集を共にする人間として貴方には何の共感も得られないと認識したのみです。貴方のご信念なり常識で何をやられようが私の関知することでありませんが必要があればノートでの議論に参加致します。今後も独断が過ぎるのであれば考えるところがあります。
>ただ「風説とエピソード」については誹謗中傷に繋がるニュアンスを多々感じますので、削除には賛成致します。「演奏スタイル」と使用楽器・特殊奏法の項目につきましては資料的価値に富んだ記事であると思いますので出来るだけ残すべきではないでしょうか。
これは一番最初に貴方のご意見にお答えしたものですが無視されましたのが残念です。貴方は他者との議論も賛同も求めていない。そんな貴方とは編集方針に関する合意を得るなどひじょうに困難に感じます。--利用者:曾孫太郎 2008年1月5日 (土) 22:09 (UTC)[返信]

風説とエピソード、等の小項目について

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風説とエピソード、についてはどのように再構成するべきか、私の考えが未だまとまっていないので返答をしていませんでした。使用楽器は出典も比較的提示しやすいと思われるので、その部分には出典を求め、他の部分(主観的な部分)は削除というのでどうでしょうか? 特殊奏法についてはソースが豊富なのでそのままでもいいかも知れません。--ZSLF 2008年1月6日 (日) 18:59 (UTC)[返信]

「風説とエピソード」につきましては、ZSLFさんのご意見を参考に、私なりに前々から酷すぎると思っていた箇所を削除し、若干文章を修正致しましたが、この小項目については更なる削除的編集を行っても構わないと思っております。ただしそれがこの小項目自体を全廃する様な事となる編集であるのでしたら賛成は致しません。具体的にはジミ-・ペイジが黒魔術との関わりがあるとして批難される傾向にあることや「天国への階段」の逆回し再生の件、それらのことについて当事者たちは全否定の見解を述べていることについては、最低限の記述は残しておくべきではないでしょうか?これがトリビアといえばそうでしょうけど、私たちのようなロックファンにとりましては古くから一般常識のように知られている事柄ではありますので、有ればここを閲覧する方々がジミ-・ペイジの概要を理解される際の助けにはなると思います。
それとアーティストの使用楽器の話はどう考えましても逸話の類とは思えませんので、「風説とエピソード」の小項目から使用ギターの記述を「使用楽器・ギター」として分離させてみました。これで如何でしょうか?ソースの提示に関しましては私もこの箇所についてはいくらかの編集を行っておりますが、私の知らぬ全く無知な情報もありますので出典を求めて構わないと思います。ただ、出典先となりそうな書籍(ジミ-・ペイジ関連の奏法解説書や音楽雑誌、個人のファンサイトなど)などは容易に想像がつきますので、たとえ完全に出典先が明記されなかったとしても削除の方は慎重にあるべきではないかと思います。私の方でもソース先となりそうなものを調べてみます。特殊奏法につきましては私もZSLFさんのご見解に賛成致します。--曾孫太郎 2008年1月7日 (月) 20:49 (UTC)[返信]
使用楽器の分離作業、賛成です。この辺のまとまった資料で出版されているものを少しづつ追加しましょう。風説とエピソード、という名前だと、triviaの列挙という印象になるので、黒魔術との関係とか、彼の美術趣味(タワーハウスの研究書に協力していること)とか、スコットランドの漁港の保存運動に貢献し、彼の尽力で保存がなったこと、等の項目別にした方がいいと思います。--ZSLF 2008年1月11日 (金) 19:56 (UTC)[返信]
はい。ZSLFさんの編集方針に全面的に賛成致します。廃港寸前であった寂れた漁港を個人の出資でまるごと修復されたことなど、ジミー・ペイジ氏の慈善活動に積極的である姿勢は、誤解を防ぐ意味でもぜひ紹介すべきことかと思います。--利用者:曾孫太郎2008年1月15日 (火) 20:30 (UTC)[返信]

ZEP結成時にテリーリードに加入を断られた件については、契約上の問題でかなわなかったという通説は確かにありますが、クリス・ウェルチ著のピーター・グラントの伝記での証言によれば、契約上の問題は無かった。リードは既にグラントがマネージャーを担当していたが、リードからは断られ、リードの父親とグラントの仲は悪かったので乗る気ではなかったというようなことを述べています。 --利用者:曾孫太郎 2008年8月26日 (木)19:58(UTC)