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ノート:ジプシー・キングス

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チャップリンを泣かせた逸話

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チャプリンは77年に亡くなっている。 英語版Wikiをみると'70にNicolas and Andre Reyesがと書いてあるので間違ってはいないだろうけど ちょっと胡散臭いので、出展を知りたい。 --以上の署名のないコメントは、111.100.239.10会話)さんが 2011年1月24日 (月) 01:09 (UTC) に投稿したものです(MWEによる付記)。[返信]

(節見出しを追加しました)すぐ判る範囲では、「モザイク」や「グレイテスト・ヒッツ」のライナーノーツに書かれています。--MWE 2011年1月24日 (月) 09:31 (UTC)[返信]

その事を出典として追記していただけると良いと思うのですが。--飛龍家木偶 2012年3月15日 (木) 11:23 (UTC)
加筆してみました。--MWE会話2012年3月15日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

画像が違います

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すみません、初めて指摘させて頂きます。 この記事には現在2つの画像が載せられておりますが、その内の1枚目の画像はどう見ても“チコ&ザ・ジプシーズ”だと思います。 消えかかっているメンバーを含めて5人の人物が映っておりますが、左から順にそれぞれ―

・ ジャン=クロード・“ムーニン”・ビジャ(半分消えかかっている長身の男)

・ ゲストミュージシャン?(存じ上げません)

・ ジェラール・“チコ”・ブーチキー(元・ジプシー・キングス)

・ タネ・ファレ

・ クリストフ・“ケマ”・バリアルド

―ではないかと思われます(人名表記には自信がございません。よりお詳しい方にご指摘頂ければ幸いです)。

2つのバンドは、私達日本人は元より海外でも「どっちだって一緒だろ」と扱われがち(だと私は見ています)なのですが、 記事の正確さを期すべき辞書なればこそ、改める必要があるのではないかと考えます。

私はどちらのバンドもそれぞれ好きな、彼らのファンです。たったこれだけの為に、アカウントを作成しました。 私の指摘の内容に何か誤りがございましたら、その時は心よりお詫び申し上げます。 --以上の署名のないコメントは、地方の音楽家会話投稿記録)さんが 2016年1月3日 (日) 04:46‎ (UTC) に投稿したものです(MWE会話)による付記)。[返信]

コメント この画像は「Gipsy Kings – Portugal vs. Argentina, 9th February 2011 (1).jpg」というファイル名で、名前からして投稿者のFanny Schertzer氏(フランス語版ウィキペディアで活動されている方のようです)はジプシー・キングスだと考えていたと思われます。2011年2月9日にスイス・ジュネーブで行われたサッカーの親善試合にてゲスト演奏した時の写真のようですが、この時実際に演奏したのがジプシー・キングスなのか、チコ&ザ・ジプシーズなのか、あるいは両方だったのかは、ちょっと探した程度では調べがつきませんでした。
「~(1).jpg」は日本語版の他、ヘブライ語版、朝鮮語版、ロマ語版のジプシー・キングスの記事で、いずれもトップ画像として使われています。もう一つの写真「Gipsy Kings.jpg」が26言語版で使われているのに対して少ない、英語版や本国たるフランス語版でも使われていないのは、間違った写真だと判断されているのかもしれません。
ファイル名に (1) とある通り、他にも (2) と (3) の計3枚の写真が投稿されています。私はメンバーを容姿で識別できるほど詳しくないので(曲は好きですが)、地方の音楽家さんあるいは他の方は、(2)(3)から何かおわかりになりますでしょうか。いずれにしても、ジプシー・キングスであるとはっきりしない「~(1).jpg」は除去して、「Gipsy Kings.jpg」だけにするのが適当かもしれません。--MWE会話2016年1月3日 (日) 07:39 (UTC)[返信]

MWE様へ―地方の音楽家より

早速のご回答ありがとうございます。 今日初めてアカウントを作成しましたので、不案内な点はどうぞご容赦下さい。 さて、3つの画像を拝見致しましたが、3枚ともチコ&ザ・ジプシーズで間違い無いと存じます。 具体的には―

画像1…問題の画像ですね

画像2―これも5人映ってますが、左端の人は肩ぐらいしか映ってませんね。しかし左から2番目の人物はジョセフ・“ホセ”・ゴーティエだと思います。次いで真ん中がムーニン、右から2番目がゲストミュージシャン(?)、右端がバンドの代表者のチコですね。

画像3―これは3名映ってますが、ムーニンと、その背後にジャン=ピエール・“レイ”・カルゴル・バリアルドの姿が見えます。右のギターをかざしてる様に見える人物は画像1にも映っていたタネだと思います。

先にも述べました通り、2つのバンドは日本人は元より、海外でも「どっちだって一緒だろ」という扱いで、混同されやすい様に見受けられます(個人の私見で恐れ入ります)。 ただ、総じてジプシー・キングスのメンバーの方が高齢で、チコ&ザ・ジプシーズの方が世代的には若手です。

私は画像のアップロードですとか、著作権の問題ですとか、自分で編集するウィキペディア上のノウハウを持ち合わせておりませず、何年もこのままにしておくのは1ファンとして忍びなく思い、この度投稿させて頂きました。 私よりウィキペディアの編集に長けた方のお力で、よろしく取り計らって頂ければ幸いに存じます。--地方の音楽家会話2016年1月3日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

対処 遅くなりました。問題の写真はジプシー・キングスのものとして使うには不適当だろうということで除去し、トップ画像はもう1つの2007年のものにしました。また、コモンズにニコラス、トニーノ、チコの写真がありましたので、メンバーの節に追加しました。これらの写真は、画像の調査をしなければ存在に気付かなかったと思いますので、良い機会になりました。地方の音楽家さん、ご指摘ありがとうございました。--MWE会話2016年1月5日 (火) 15:13 (UTC)[返信]

MWE様へ―地方の音楽家より

トップ画像の変更確認致しました。海外版ウィキペディアのページでも、この写真が使われている様ですので、この方が無難かと存じます。 その上、リードヴォーカルのニコラと、リードギタリストのトニーノの写真まで掲載下さいました事と併せて、1ファンとして御礼申し上げます。

…あと、画像の話題ではございませんが、もう1点だけ気が付いた事がございます。 リードヴォーカルのNicolas Reyesの日本語表記についてですが、日本国内で発売されているCDの解説書では専ら“ニコラ・レイエス”と表記されております。 彼らの演奏中の掛け声などでも、“ニコラ!”と呼ばれております(ファーストネームのスペルには確かに“S”の字が含まれているのですが、このSは発音されません)。 当ページ中の表記につきましても、ご検討なされてみてはいかがでしょうか?--地方の音楽家会話2016年1月6日 (水) 14:09 (UTC)[返信]

手持ちのCD12枚を確認したところ、古いPHILIPS版以外はすべて「ニコラ」と書かれていることを確認できましたので、修正しました。ご指摘ありがとうございました。--MWE会話2016年1月9日 (土) 02:48 (UTC)[返信]

改めて、画像及び、バリアルド兄弟の家系につきまして

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久しぶりに記事を拝見しました。彼らの近況が掲載されていたり、記事が充実して嬉しく思いましたが、 メンバーの画像のパチャイとポールがあべこべだと思いました。 左利きで痩身なのがパチャイで、ポールは右利きです。 これは改善なさった方が宜しいかと存じます。


それから、これは私も長年気になっておりました点なのですがこの度1つ問題提起をさせて頂きます。 それは―

“ジプシー・キングスのバリアルド兄弟はマニタス・デ・プラタの実子ではないのではないか?”

―という点です。 私見で恐れ入りますが、以下にその根拠を述べさせて頂きます。


(1)私はフィリップス時代(GIPSYKINGS)の録音も含め、国内盤のCDは全て(海外盤も2枚)所持しておりますが、 そのライナーノーツ(と言うのでしょうか?)中に“マニタス・デ・プラタの実子”と明記された事は 無かった様に存じております。


(2)私が2000年頃購入したフィリップス社の“ジプシー・ルンバ マニタス・デ・プラタ・ベスト”という CDのライナーノーツ中に―

現在、ジプシー楽団として世界に名を馳せている“ジプシー・キングス”こそ、(中略)ホセの息子たちと リカルドの甥たち

―という記述がございます。 この文章を書いたのは江波戸昭という方ですが、これによると江波戸氏はジプシー・キングス中の バリアルド兄弟を“マニタス・デ・プラタの甥”と認識していらっしゃった様です。


(3)Sony Music Direct(Japan)Inc.より発売されたDVD “ジプシー・キングス 「ティエラ・ヒターナ~ヒターノの土地」&ライヴ”の中の ティエラ・ヒターナ(恐らく、アメリカのTV局制作のドキュメンタリー、邦字字幕付き)の第6章GALAXiAの中で トニーノ・バリアルド本人が―

「僕はマニタと一緒に演奏していた 妻はマニタの孫娘だ」

―と語る場面がございます。 ロマ(ジプシー)のコミュニティに於いて、近親者同士の婚姻もあるのかもしれませんが―

“息子が孫を妻にする”

―というのはいくら何でも、ちょっと考え難いのではないかと存じます。


(4)実は以前、この件に関しましてスマートフォンで検索をしておりましたらあるサイトに行き当たりました。 サイトの運営者の方がどの様な方かは存じませんが、私以上にジプシー・キングス及びその系統のバンドの 事情に詳しく、更には“レイエス家とバリアルド家の家系図”まで載せておられました。 こちらがそのページのリンクです↓。

https://www.gipsygroove.jp/gaseneta-kiru2

このサイトの運営者の方の述べるところによりますと、ジプシー・キングス中のバリアルド兄弟の実父は “ナポレオン・バリアルド”という名で、マニタス・デ・プラタとは同姓ではあるものの、 “リカルド・バリアルド(=マニタス・デ・プラタ)”とは別人との事です。 なお“家系図”につきましては、PCよりもスマートフォンからアクセスした方が、画像を拡大し易い様です。


以上、長文になってしまいましたが、思うところを述べさせて頂きました。 上述の(4)のサイトがウィキペディアのソースとして適するか否かは判りませんが、 何かの参考にでもなれば、どなたかウィキペディアの編集に長けた方にでも ご覧頂いて、しかるべく取り計らって頂ければと存じます。 なお、この件はウィキペディア中のマニタス・デ・プラタのページにも関わってくる 問題かと存じますので、慎重にご検討の程、宜しくお願い申し上げます。--地方の音楽家会話2021年7月30日 (金) 05:52 (UTC)[返信]

お久しぶりです。地方の音楽家さんのご指摘を受けまして、再度コモンズのギャラリーを確認したところ、2018年のThe Original Gypsiesとしての写真が増えていましたので、カヌートの写真を追加およびポールの写真を差し替えました。また、元々ポールとして掲示していた写真をパチャイとして書き直しました。これは、ニコラカヌートポールチコの4人についてコモンズで個人のカテゴリが作られていたため、ポールの容姿を確認できたことによります。元々勘違いして記事を書いていたのは私なのでお恥ずかしい限りですが、正しい指摘を戴き感謝致します。
そしてバリアルド家の家系ですが……現在の記述はWikipedia英語版の記事などを参考にして書いているのですが、英語版 en:Gipsy_Kings では The Baliardo brothers are his sons. と書かれており、その記述の出典になっている The Guardian の記事[1] でも De Plata's son Tonino, Jacques (Paco) and Maurice (Diego) Baliardo と書かれています。ただ、地方の音楽家さんが提示された情報も気になります。特にGipsy Grooveの記事は、信頼性については判らないものの非常に詳細で、個人的には得心のいく内容が多々ありました。確実な情報が欲しいところですが、現状としては両論併記で「バリアルド兄弟についてはマニタスの息子説と同姓だが血縁なし説がある」とするのが良いかもしれません。少し考えます。--MWE会話2021年7月31日 (土) 10:53 (UTC)[返信]


MWE様へ―地方の音楽家より


早速のお返事ありがとうございます、この度もお世話になり、恐縮です。 メンバーの画像の修正、確認致しました。お手を煩わせてしまい、恐れ入ります。


もう1件の問題―バリアルド兄弟の家系について―ですが、彼らの1ファンとして長年楽しんで来た者として もう少しだけ補足させて頂きます。 まず、上記の根拠の(1)についてですが、これはその…あくまで“私の記憶する限りに於いて”の事ですので、 もしかすると、いずれかのアルバムのライナーノーツに明記されているのを、私が見落としている可能性もございます。 また、根拠その(3)のDVDにつきまして補足させて頂きますと、上述のドキュメンタリーに登場するレイエス兄弟は ホセ・レイエスの事を明確に「父、ホセ・レイエスは~」と呼んでいるのに対し、バリアルド兄弟(ディエゴとトニーノ)は マニタス・デ・プラタの事を「父のマニタは~」とは呼んでおりません。


では改めまして…今、私の手元に2001年発売のトニーノ・バリアルドのソロ・アルバム“エッセンシズ”がございまして、 その日本語のライナーノーツ(別紙)を執筆した松山晋也さんという方も―

マニタス・デ・プラタにギターを習った甥っ子たち(トニーノ、パコ、ディエゴのバリアルド兄弟)

―と、根拠(2)に先出の江波戸氏と同様の見解を持ってらっしゃった様です。 加えて、このライナーノーツの本紙の方は英語で書かれております。 私はあまり英語力は無い方なのですが、一応読んでみましたところ、“トニーノが1961年生まれである事”は 確認出来るのですが、“マニタス・デ・プラタの息子として生まれた”とは書かれておりません。 もし実子であれば“晴れの(?)ソロ・アルバムにマニタス・デ・プラタの名が載ってない”というのも どうかと思われます(本紙の方は欧米盤でも同一かと…)。


参考例となるかは判りかねますが1つ例を挙げさせて頂きますと、 チコ&ザ・ジプシーズのリード・ギタリストだった(2019~2020年頃脱退?)クリストフ・“ケマ”・バリアルドの場合、 フランス語版ウィキペディアには―

Christophe (Kema) Baliardo : guitariste soliste, petit-fils de Manitas de Plata

―とあり、また、You Tube上でも英語で―

Grand son of Manitas de Plata

―との説明が数多く見られ、またくだんのGipsy Grooveの“家系図”でもマニタス・デ・プラタの5男の子(=孫)となっておりますし、 同バンドのリーダー・チコもケマの事を紹介する際には頻繁にマニタス・デ・プラタの名を口にしておりました(You Tube上の動画内にて、内容は不明)。


…これはまたしても私の私見になってしまうのですが、ジプシー・キングスのCDやトニーノのソロアルバムそしてマニタス・デ・プラタの全集盤… それらのライナーノーツやロマに関する著作を読んだりしておりますと、しばしば―

ロマは商売上手な民族集団

―という趣旨のフレーズを目にします。 もし、ジプシー・キングス中のバリアルド兄弟がマニタス・デ・プラタの実子であれば“商売上手な”彼らがその事を ハッキリと明言しないはずが無いのではないかと考えるのですが…。


最後に、Gipsy Grooveのサイトの件に関しましては、私としては正直…驚きました。 私もファン歴は長い方だと勝手に自認しておりましたが(恥)、まさかあんな家系図を載せられる人がいようとは…。 あの家系図が果たして“どこまで本当なのか?”は現時点では不明ですが、 かと言って、“丸っきりの嘘デタラメ”と無下に切り捨てる事もどうかと存じまして(作り物にしては手が込み過ぎていている気がします)…。 しかしながら、ウィキペディア中に於いてどう対処すれば良いのか私の一存ではとても判断出来かねましたので、 他力本願で恐縮ながら“どなたかにご検証頂ければ~”という形を取らせて頂きました。


私からの報告は以上でございます。 とりあえず現状としましてはMWE様のおっしゃる“両論併記”という形が最善なのではないかと存じます、同意させて頂きます。 上記サイトの件も含めまして、今後の流れを見守って行こうかと考える次第です。 お付き合い下さいましてありがとうございました。長文をお許し下さい。--地方の音楽家会話2021年7月31日 (土) 12:31 (UTC)[返信]

報告 マニタス・デ・プラタとバリアルド兄弟の関係について、実子説・伯父/甥説・血縁無し説があることを注釈として記述しました。マニタス・デ・プラタにも同じ注釈を追加しました。兄弟の父とされるナポレオン(マヌエル?)・バリアルドがマニタス・デ・プラタの弟だという情報もありましたが、いずれどこか信頼できる媒体から確実な情報が得られればと思います。Gipsy Grooveは、でたらめを書いているとは思いませんが、あれだけの詳細情報についてどうやって調べたのかが書かれていないのが残念です。恐らくジプシー・キングスのメンバーか関係者と交流があって、直接聞くことができたのではないかと想像していますが、もしそうならかなりの有力情報源になるので、惜しいところです。--MWE会話2021年8月2日 (月) 02:59 (UTC)[返信]


MWE様へ―地方の音楽家より


毎度お手数をお掛けして申し訳ありません、注釈を拝見致しました。 MWE様のおっしゃられた様に、これが現段階に於ける最良の選択肢なのではないかと存じます。


なお、問題となっておりますGipsy Grooveの“家系図”ですが、“100点満点”とは言えないものの{理由:先出の根拠(3)で述べたDVDの“ティエラ・ヒターナ”の第3章“ BAILA ME”の中で、ポールは「5男6女の11人兄弟で大変だったよ」と述べている。くだんの家系図では3女までしか確認出来ない}、必ずしも嘘をついておられるとは思われません。サイト内の記事も、馴染みの薄い方達にでも理解してもらい易い様に噛み砕いて実に丁寧に説明して下さってる様に、私には感じられますし…。


…私もMWE様と全く同じ考えでして、もしあのサイトの記事の内容がウィキペディアに於いてソースとしての要件を満たし得る程に確かなモノ、信用の置けるモノであった場合は、相当に貴重かつ有力な資料となる事でしょうし、私としましても年来の疑問―

“(マニタスの)息子と孫とで結婚したのか?”

―もまた腑に落ち、収まりが着くところなのですが…。


ともあれ、早速のご対応に感謝申し上げます。 今後のこの記事の発展を見守らせて頂きます。ありがとうございました。--地方の音楽家会話2021年8月2日 (月) 04:16 (UTC)[返信]