ノート:シュガーローフの戦い
本戦闘に関しては、米軍側の動きは、公式戦記等に記載されていますが、日本軍側の動きは、戦史叢書で軽く触れられている以外は、詳しい証言や、記録を見つけられずにいます。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、追記をお願いいたします。
一部、修正をした者です。
[編集]まだ良く使い方がわかりません。失礼があったらお許し下さい。2014/06/29に現地を訪れ、調査した者です。同時に沖縄県立公文書館にも行き、当時の写真を40枚弱入手し、検証しています。
まず、シュガーローフ、ハーフムーン、ホースシューの3つが、それぞれ丘であるという意見が、昨今、定着してしまっており、大変残念に思います。 これは複数の資料が、そもそも間違っているのが原因と考えられます。「沖縄 シュガーローフの戦い」P118にも、ホースシューを「丘」とする記述があり、どうにもなりません。これはWikipedia掲載の米軍の進撃図でも簡単に確認することができます。
現地は安謝川と安里川の間にある台地の縁にあたります。台地の縁にシュガーローフ、ハーフムーンがあり、その間に沖縄軽便鉄道が通ってました。 ホースシューは米軍から見て、シュガーローフの背後にある台地の斜面にあたります。斜面は南北2つの谷に分かれており南側の谷には安里八幡があります。北側の谷はまさしく馬蹄形をしており、ここをホースシューと呼んだのは間違いがありません。しかし、安里八幡側の谷をホースシューとする資料(米軍航空写真)もあり、どこを指してホースシューと呼ぶのか?私の知る限り、決定的な資料は見つかっていません。
また、Wikipedia掲載の当時の写真ですが、沖縄県立公文書館にある米海兵隊写真資料の写真の解説では「シュガーローフ・ヒル”の頂上から“クレセント・ヒル”と国場川越しに南東側を望む。」いうことになっており(クレセントヒルは、ハーフムーンの陸軍の呼び名)そのまま受け取ると、シュガーローフからハーフムーンを撮影した写真ということになってしまいます。
しかし、他にこの一帯を撮影した写真が複数枚存在し、これらを総合すると、この写真がシュガーローフからホースシューを撮影したものだということが簡単にわかります。
Wikipedia掲載の当時の写真ではカットされていますが、米海兵隊写真資料の写真では、左端に沖縄軽便鉄道と安里十字路が写っています。また、先に見える真直ぐな道路は新県道(現、国際通り)です。小さな丘が、手前の尾根の背後に重なって見えることから、シュガーローフからホースシュー、那覇市外方向を狙ったものだということがわかります。もし、ハーフムーンを狙って撮影したならば、背後に首里高地が写り込むはずです。
・上記、米軍航空写真も裏付けとして大変参考になります。
・下に参考資料として添付した地図画像も参考にして下さい。
米海兵隊写真資料自体、他にも複数、間違った解説がされているものがあり、このような米国側の元の資料の間違いから派生したWikipedeia上の問題点を、どように修正すれば良いのか?まったくわかりません。
このノートを読まれた方が、今後、加筆修正して行って下さることを期待しております。
【参考資料】
・国土地理院・2500国土基本図、15-JE-25-1、15-JE-24-2、15-JE-15-3、15-JE-14-4
・国土地理院電子国土Webより色別標高図
これらをイラストレーターにて合成し等高線を入れたものを添付いたします。資料中、ピンクの矢印が撮影方向となります。