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ノート:シャルロッテ (メキシコ皇后)/削除

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シャルロットの手紙

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教育係への手紙

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普墺戦争直前の厳しい情勢にあって、シャルロッテはかつての教育係に宛てて次のような手紙を送った。

どうか、私の立場に身をお置きになって、こう自問なさって下さい。ミラマールでの生活の方が、ここメキシコでの生活よりずっと良かっただろうか、と。違います、違います、断じて違います。私としてはただ70歳になるまで、ただ岸壁から海を眺めて暮らすような、だらだらとした生活よりも、例えどんなに苦しくとも、義務と責任が伴う充実した活動的な人生を選びます。私は怠惰な生活を捨ててきた代わりに、充実した生活を手に入れました。この2つの生活をよく見比べて下さい。そして、私がメキシコで幸せに暮らしているとお聞きになっても、決して怪しまないで下さい。

これは、かつての無為な生活よりも、どんなに辛くとも現在のメキシコでの生活の方が、はるかに意義ある充実した生活であるとの彼女の考えを表わしている。

マクシミリアンへの手紙

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シャルロッテはヨーロッパへ旅立つ前、マクシミリアンに次のような長い手紙を書いた。

フランスのシャルル10世、それに私自身の祖父(ルイ・フィリップ)は、自ら退位したばかりに自滅の道を歩みました。この悲劇を決して繰り返してはなりません。退位するという事は、すなわち自らを有罪であると認める事であり、自らの無能さを世に晒す事であります。こんな事は老醜を曝け出すもの、あるいは間抜けな人間にこそふさわしきものであり、ちょうど男盛りの花も実もある34歳の陛下がお採りになるべき道では決してございません。
主権とはこの世の中の最も神聖なる財産であり、玉座とは警察隊に包囲された集会から逃げ出すようにして捨て去るものでは決してありません。一旦、一国民の運命を我が手に引き受けたからには、全て自らの責任で事に当たらなければなりません。もはやその国民を捨てる自由などはないのです。退位というものが過ち以外の、あるいは怯えの産物以外の何物かであるような場合など、私にはとても想像できません。かつてルイ太陽王はある戦いの最中、自分を捕らえようとしたイギリス人にこうおっしゃいました。『我が友よ、王たるもの、例え敗れようとも捕らわれの身となるわけにはいかぬのだ』と。そうですとも、皇帝たるもの、けっして縛に着いてはならないのです。皇帝がおります限り帝国は存在するのです。例え6フィート足らずの領地しか残っていないとしてもです。皇帝にお金がないという事は何ら納得すべき口実にはなりません。お金がなければ信用で調達なさいませ、信用は勝利で得られます。そして勝利とは勝ち取るものでございます。
例え信用、勝利に恵まれなくとも、何とか切り抜ける事ができるのです。生きて生き抜き、自分自身に絶望しなければよろしいのです。一旦、我が身に引き受け、可能であると見なした事について、後になってからやっぱり駄目だったと言うようでは、誰からも信用されない事でしょう。国民の幸せを願い、そのためには自分が邪魔になると思えばこそ引くのだとのおっしゃりようは、まさしく自分の顔を自分で殴りつけるのと変わりありません。これ以上の虚偽があるでしょうか。メキシコ国民にとって、ご自分が未来永劫にわたって唯一の救いであるのですから。
結論はこうです。つまり、帝政はメキシコを救う唯一の手段であります。全てはメキシコを救うために行なわれなければなりません。誓いとお言葉によってその義務が課せられたのです。そこからお逃げになる事は一切叶いません。事態は以前と同様に突破できるのです。ですから帝政は何としても維持されなければなりません。必要とあらば、これに邪魔立てするあらゆるものに敢然と立ち向かわねばなりません。敵前でご自分の部署をお捨てにならないお方が、何ゆえ玉座をお捨てになるのでしょう?
中世の王達は、自分の国を引き渡す前に、少なくとも敵が国を奪いにやってくるまで持ち堪えようとしました。退位などという考えは、君主達がかつての苦難の日々、馬で駆け巡っていた事をすっかり忘れてしまってから生まれた考えなのでございます。我が国においては内戦というものはもはや存在いたしません。なぜならフアレスの任期はとうに切れているからです。こんな敵にどうして席を譲らなければならないのでしょうか。

これは彼女の壮絶な決意を示しているといえよう。

以上は「イカロスの失墜 悲劇の皇帝マクシミリアン一世伝」菊地良生著、新人物往来社、1994年 ISBN 4-404-02130-5 C0023

からの丸写し(「マクシミリアンへの手紙」は同書P245~248)だと思います。

情報ありがとうございました。削除依頼を提出しました。「かつての教育係〜」の部分が最初に確認された2006年2月27日 (月) 05:58の一つ前まで差し戻します。他に酷似している部分がありましたら、また情報をお願いします。桜の国 2007年4月3日 (火) 12:24 (UTC)[返信]

「教育係への手紙」の部分は同書「イカロスの失墜」のP159の部分の丸写しであると確認。 Nakaoka7675 2007年4月3日 (火) 15:29 (UTC)[返信]