ノート:シャム派/過去ログ1
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具足戒が途絶えると言うことは上座部仏教として正当な僧侶が居なくなった事を意味します。信者もキリスト教などに改宗していました。僧侶も信者も居なくなったが、仏教が滅びてないと言う主張は心情的には理解できても史実だとは言えません。そもそも滅びてないのなら、具足戒を復興させる筋合いも無いわけです。また仏教理念に相容れないカースト制度を採用している仏教と言う点も客観的に、とても大きな特色だと思われます。
宗教的な主観を記述するのでは無く、史実に基づいた記述を心掛けて下さい。--Nozawa onsen potta 2011年5月9日 (月) 05:16 (UTC)
- 「カースト制度がある。」「新宗教である。」「日本ではシャム派を、部派仏教や初期仏教と混同している輩も見受けられるが、基本的に無関係である。」などの記述は正確な事実に基づかない誹謗中傷と考えます。具足戒が途絶えてもスリランカ王朝と僧団の意志によってタイから再び導入されたのですから、それで仏教が滅んだことにはなりません。これも極論と考えます。--naagita 2011年5月9日 (月) 05:23 (UTC)
- 「カースト制度がある。」wikipediaであればスリランカの仏教を参照なさって下さい。農民のカーストをシャム派だげが採用していますよ。
- 「新宗教である。」wikipediaの新宗教を参照なさって下さい。1750年に復刻した宗教はこの範疇に入ります。
- 「日本ではシャム派を、部派仏教や初期仏教と混同している輩も見受けられるが、基本的に無関係である。」wikipediaの部派仏教を参照なさってください。アショカ王の時代あたりまでに分派した教団を部派と呼びます。1750年に復刻した仏教は、これには当てはまりません。また初期仏教と言うのは経典も無かった時代のもので、やはりこれにはあてはまりません。
- つまり一見すると否定的に見えるのかも知れませんが、これらは歴然とした事実であり誹謗中傷ではありません。スリランカ王朝と僧団の意志によって復刻したと言うことですが、僧団の意志によるものと言う資料がどこかにありますか?
- 「具足戒が途絶えてもスリランカ王朝と僧団の意志によってタイから再び導入されたのですから、それで仏教が滅んだことにはなりません」
- では仏教が滅ばなかったとしたら、どうしてまたタイから、再輸入しなければならなかったのですが?滅んだから再輸入したのでは無いですか?
- 主張されて居ることを拝見すると、むしろ根も葉もない悪質なプロパガンダを受けて来られた可能性のほうが高いのでは無いかと察しますが? --Nozawa onsen potta 2011年5月9日 (月) 05:31 (UTC)
「カースト制度がある。」という記述には語弊があります。王権によるサンガ浄化による俗的価値観の混入など、スリランカ仏教史の文脈で丁寧に前後関係を記述すべきです。 wikipediaの新宗教の欄には「日本の宗教学では、近現代に生まれた宗教を指す価値中立的な用語として新宗教を用いている。正確な範囲は論者によって異なるが、19世紀中頃以降に成立した宗教のうち、既成の宗教組織を引き継いでいないもの、新たな教義を掲げて伝統宗教から自立したものを新宗教と呼ぶ。」とあります。スリランカのシャム派はこれにまったく当てはまりません。 「日本ではシャム派を、部派仏教や初期仏教と混同している輩も見受けられるが、基本的に無関係である。」現在の上座部仏教は上座部系の分別説部の法灯を継いでいる宗派であり、「無関係」どころか大いに関係あります。 なお、十八世紀の具足戒復興はヴァリヴィタ・サラナンカラ沙弥と彼を後援したヴィジャヤ・ラージャシンハ王の共同作業です。--naagita 2011年5月9日 (月) 06:11 (UTC)
「カースト制度がある。」という記述には語弊があります」
- ではどうしてシャム派は教団への加入を身分をゴイガマ(農民)に限定してるのですかね?こういう制度はカースト制度と言うのではありませんか?またシャム派のカーストは、それこそ最初の頃から現在に至るまで継続しているようで、王権によるサンガ洗浄だけを理由に掲げるのは問題があります。とっくに王朝も滅んでいるわけですからね。
「新たな教義を掲げて伝統宗教から自立したものを新宗教と呼ぶ。」とあります。スリランカのシャム派はこれにまったく当てはまりません。
- では、どうしてカーストの無い伝統を持つ仏教にカーストが導入されているのでしょうか?伝統宗教から自立までは行くかどうかは微妙な所があるのかも知れませんが、他の宗門から見れば明らかな飛躍があると見做されると思われます。それとも教義は、昔のそのままで、こっそりとカーストだけを導入したと言うことですか?
「現在の上座部仏教は上座部系の分別説部の法灯を継いでいる宗派であり、「無関係」どころか大いに関係あります。」
- これに関しては日本の大乗だって結局は初期仏教から分派したものであり、途中に部派仏教時代を通過して現在があるわけで、こういうのも大いに関係あると言う風に言うものなのでしょうか?現在の日本の仏教は部派仏教の大衆部の法灯を継いでる宗派であり、って誰も言わないのは、それで当然の話だからです。わざわざこんな事を謳うのは、残念な事に誰の目から見ても伝統的だったスリランカの仏教が滅んだ史実があるからでは無いのですか?具足戒の復興にした所で十八世紀に一回だけの話でも無い筈ですよね? --Nozawa onsen potta 2011年5月9日 (月) 06:22 (UTC)
- 出家サンガにカーストの問 題が持ち込まれたのは王権との関係によるものです。また、外国人はカーストを問われない(問う方法がない)と思います。褒められた話ではないので、全体の バランスの中で歴史的経緯を踏まえて記述されるなら異存はないです。告発調にカースト云々を記述するのはバランスを欠きます。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- カーストは確かに一般的な仏教の理念から言えば、かなり外れてそうな話だと思いますが、カーストが褒められたものかどうかは主観によるものであって、現在 もシャム派で続いているのは、王朝時代の悪しき伝統であって、もう耐えがたく恰好悪い話だとも、やってる方々が思ってらっしゃるわけでも無いので続いてい るのでしょう?実際に他の初期にカーストを採用した他のスリランカの仏教は今では、ほぼカーストは撤廃しているわけで、本家の本人らも心配してない話を、 外人である我々が心配までするまでには及ばないと思うのですけどね。--Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
- 歴史的な経緯を踏まえれた記述であれば異存はないです。シャム派比丘教団のゴイカマによる独占への反撥から、ラーマンニャ派、アマラプラ派が発足した経緯を記せば、よりわかりやすいと思います。--naagita 2011年5月11日 (水) 08:46 (UTC)
- カーストは確かに一般的な仏教の理念から言えば、かなり外れてそうな話だと思いますが、カーストが褒められたものかどうかは主観によるものであって、現在 もシャム派で続いているのは、王朝時代の悪しき伝統であって、もう耐えがたく恰好悪い話だとも、やってる方々が思ってらっしゃるわけでも無いので続いてい るのでしょう?実際に他の初期にカーストを採用した他のスリランカの仏教は今では、ほぼカーストは撤廃しているわけで、本家の本人らも心配してない話を、 外人である我々が心配までするまでには及ばないと思うのですけどね。--Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
- 出家サンガにカーストの問 題が持ち込まれたのは王権との関係によるものです。また、外国人はカーストを問われない(問う方法がない)と思います。褒められた話ではないので、全体の バランスの中で歴史的経緯を踏まえて記述されるなら異存はないです。告発調にカースト云々を記述するのはバランスを欠きます。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- パーリ律は改変していないので「新宗教」と言えません。カースト云々は後付けで作られたテキストによるものです。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- これはおかしいです。この論理に従うとパーリ律だけが残れば、他はどうでも良いと言う事になりませんか?もちろんパーリ律が残ってなければ駄目だと言うの が上座部仏教としての価値の常識としてあることは判りますが、そこさえ守れば、後はカーストでも何をやっても仏教だと言うのでは他の宗門は、これを仏教だ とすら認めない所も当然出てくると思われます。話が乱雑すぎるわけです。--Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
- 律が残ればいい、というわけではありませんが。「律が優先」であることは確かです。スリランカ仏教史においては、これが共通認識になっています。--naagita 2011年5月11日 (水) 08:30 (UTC)
- これはおかしいです。この論理に従うとパーリ律だけが残れば、他はどうでも良いと言う事になりませんか?もちろんパーリ律が残ってなければ駄目だと言うの が上座部仏教としての価値の常識としてあることは判りますが、そこさえ守れば、後はカーストでも何をやっても仏教だと言うのでは他の宗門は、これを仏教だ とすら認めない所も当然出てくると思われます。話が乱雑すぎるわけです。--Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
- パーリ律は改変していないので「新宗教」と言えません。カースト云々は後付けで作られたテキストによるものです。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- 日本の仏教は大衆部の法灯を継いでいません。真言宗では有部の律を形式的に用いていますが、天台宗など他宗派は部派伝承の律から断絶していることを自覚しています。パーリ律による具足戒が世界中から失われて一から創作したのであれば断絶といえますが、きちんと機能していた地域があってそこから再度導入したのですから、分別説部との同一性を主張することは認められてしかるべきです。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- 基本的に法灯を継ぐ意味や形態が上座部と大乗では違うだけの話で、パーリ律さえ継げば後はカーストでも何でもOKだと言うのでは、それこそ勝手な解釈だと言われても仕方ないと思いますけどね?もちろん律を継いだほうが僧団として本格的っぽいだろ?と言われれば同意しますし、じゃ律を継がないのはインチキなのか?と言えば、そんな話は初めから宗派の違いによる仏教徒としてのアイデンティティの問題であり、カーストは根本理念から外れる話で、そっちのほうが圧倒的に許しがたいと思う人達も居るだろうし、第三者的に普通に眺めているだけの人には、そういう事すらも、そういう主張をしてる宗門もあるって事なだけだろう?と言う認識の話だと思いますけどね?もちろん分別説部と同一な部分が全く残っていないとは思いませんよ。--Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
- 日本の仏教は大衆部の法灯を継いでいません。真言宗では有部の律を形式的に用いていますが、天台宗など他宗派は部派伝承の律から断絶していることを自覚しています。パーリ律による具足戒が世界中から失われて一から創作したのであれば断絶といえますが、きちんと機能していた地域があってそこから再度導入したのですから、分別説部との同一性を主張することは認められてしかるべきです。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- また考えてみたのですが「法灯を継いでいる宗派」と言う表現に色々と問題があるのだと思います。これを「国を越えてパーリ律を継いでいる宗派」とするのではどうでしょうか?こうして置けば上座部仏教的なパーリ律重視な観点から外れるし、やれカーストはあるは、内戦の片棒は担ぎ続けるは、実質どこがどんな法灯なんだ?って言われなくて済むし、実質問題としても百科事典的だと思います。いかがでしょうね? --Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 21:12 (UTC)
- それは良いアイデアだと思います。--naagita 2011年5月11日 (水) 08:30 (UTC)
- また考えてみたのですが「法灯を継いでいる宗派」と言う表現に色々と問題があるのだと思います。これを「国を越えてパーリ律を継いでいる宗派」とするのではどうでしょうか?こうして置けば上座部仏教的なパーリ律重視な観点から外れるし、やれカーストはあるは、内戦の片棒は担ぎ続けるは、実質どこがどんな法灯なんだ?って言われなくて済むし、実質問題としても百科事典的だと思います。いかがでしょうね? --Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 21:12 (UTC)
「なお、十八世紀の具足戒復興はヴァリヴィタ・サラナンカラ沙弥」これは私の記憶とも一致するのですが、僧では無くて沙弥だったよな?と言うところが、不思議だったのですが、どうして沙弥だったか、ご存知ですか?ひとりでも普通の僧や長老が残っていたら、まだまともな僧では無い沙弥に、こんな重大任務を押し付けるのは変だよな?と思って居ました。要するに僧侶は一人残らず全滅だったから、沙弥に任務を遂行させたんだろう?ってのも、結局は滅んだんだろうなと推量している所なのですが、これには確証がありません。ルール上で5人は残って居なかったら具足戒が出来ない筈なので、そこまでは無理だったにしても、本当の所は全滅だったのかな?と推量しておりました。如何なのでしょうね?--Nozawa onsen potta 2011年5月9日 (月) 07:27 (UTC)
- これについては史書の記述もまちまちです。『小史』には全島で具足戒が廃れて、出家といえば沙弥ばかりだった、という記述もあります。ですからどんな年寄りの僧侶でも、沙弥のままでした。現代の日本のように儀式の時だけ袈裟をまとい家庭生活を営んでいた者もいたようです。一方で具足戒を受けた老いた「比丘」がまったくいなかったわけでもないようです。比丘がいても戒壇での儀礼が廃れてしまうというのは、あり得ることです。ヴィジャヤ・ラージャシンハ王の時代はちょうどキャンディ王朝の王位継承をめぐる混乱が収束した時期でした。具足戒の復興は事業欲のある王様にとって王威掲揚に繋がる象徴的な国家事業だったのです(シャムとの往復にはオランダ商船の協力を得ています)。そこで、キャンディ王朝の威光が届く範囲で、血筋も良く学識もある、押し出しの強い人物がヴァリヴィタ・サラナンカラ沙弥でした。そこで両者の思惑が一致したのでしょう。--naagita 2011年5月10日 (火) 06:08 (UTC)
- てっきりサラナンカラ沙弥は子供なのだろうと思っていたのですが、そうでも無いわけですね。具足戒の復興は王朝にとっては王威掲揚に繋がるとても重要な象徴的な事業だったのだろうなと言うのは思って居ました。但し、このあたりの話は幾つかのパターンを聞いていて、どれが本当の話なのか解りにくいので、これからも宜しければご説明を頂ければと存じます。 --Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
- 限られた資料しか見ていませんが、史書(小史)でも矛盾したことが書かれています。具足戒復興という事業の偉大さを伝えるためには「比丘は一人もいなかった」と大げさに表現するし、しかしその直前で「比丘、沙弥」の存在を前提とした記述になっています。ヴァリヴィタ・サラナンカラ沙弥に白羽の矢がたったということは、彼に匹敵するだけの有徳で血筋の良い(&政治力のある)比丘が王権の及ぶ範囲にいなかったのでしょう。ただ具足戒を受けてぼんやり暮らしていた比丘なら、けっこういたと思います。スリランカの史書というのは大寺派(シャム派)に都合の良い「歴史宣伝書」ですから、どこまで信頼性があるかはよく分かりません。キャンディ王朝滅亡以前の、スリランカ近世史の研究はけっこうエアポケットになっているように思います。--naagita 2011年5月11日 (水) 08:30 (UTC)
- てっきりサラナンカラ沙弥は子供なのだろうと思っていたのですが、そうでも無いわけですね。具足戒の復興は王朝にとっては王威掲揚に繋がるとても重要な象徴的な事業だったのだろうなと言うのは思って居ました。但し、このあたりの話は幾つかのパターンを聞いていて、どれが本当の話なのか解りにくいので、これからも宜しければご説明を頂ければと存じます。 --Nozawa onsen potta 2011年5月10日 (火) 08:57 (UTC)
Ajitaさんのコメント依頼を出しました。
・ ご覧になった方は、ご意見をお願いします。 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Ajita --Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 15:41 (UTC)
編集合戦について
上記コメント依頼のほうで議論の方法について意見を述べましたが、それでは解決の道筋が立たないようですので、知識の不足を顧みず内容についても考えを述べさせていただきます。
直近の編集合戦の対象は
- カースト制度との関係の書き方
- 国境を越えた相互扶助を書き加えるか
- 初期仏教・部派宗教か
- スリランカ内戦との関係
ですね。
このうち、カースト制度との関係については、提示された論文「スリランカ仏教教団のカースト問題」は優れたものであり、naagitaさんによる記述も適切です。それを無視して「現在も絶賛継続中である」などとふざけた文に書き換えてはいけません。
次に、「上座部仏教圏では国境を越えた相互扶助によって法灯が守られてきた。」の一文は、なくてよいと思います。内容を否定するつもりはなく、もっと長く詳しい記述の締めくくりとして書かれるのがふさわしいと思うからです。現在のごく短い説明の中でこの一文は浮いています。今後成立の経緯について充実した量の加筆があったときには、載せてよいと思います。
そして、シャム派は初期仏教や部派仏教ではないという主張は理解できるのですが、それならこの記事にわざわざ誤りだと書き込む理由はありません。学説上の対立があるなら話は別ですが、そうではないのでしょう。naajitaさんがしたような、「の流れを汲む僧団」という書き換えの必要もなく、ここは除去すべきと考えます。
スリランカ内戦との関係は、団体としてのシャム派が戦争の当事者・支持者であったことを示す確かな出典がないかぎり、書くべきではありません。「仏教徒であるシンハラ人とヒンドゥー教徒であるタミル人の戦い」という程度の事実認識で盛り込むのは、悪意の中傷と言われてもしかたがないです。
総論として、ウィキペディアはプロパガンダの場ではない、というNozawa onsen pottaさんの主張はもっともです。しかしプロパガンダは対象を持ち上げるものだけでなく、対象をおとしめるプロパガンダもあります。百科事典は事実ベースであってこそ役に立つのであり、筆者がこれこそ重要なポイントだと信じていることでも、余計な意見は書くべきではありません。--Kinori(会話) 2012年3月12日 (月) 09:43 (UTC)
- スリランカ仏教は1972年に正式に準国教扱いされていますし、またその圧倒的多数派はシャム派です。従ってスリランカ仏教と言えば、暗にシャム派の動きを指します。またこれがスリランカ内戦で、死者だけでも7万人も出し、未だスリランカ社会が不安定な、排他的なナショナリズムの中核であることは、教団事務員の記事からさえも知ることが出来る当然の事実です。[[1]]これでも中傷的なのでしょうか?
- シャム派は初期仏教や部派仏教ではないという主張は理解できるのですがとありますが、だとしたらスマナサーラの記事からは初期仏教と言うのは削除すべきですね。一度削除したのですが、出典がある所は削除すべきでは無いとリバートした人が居たようで、とりえず、そちらに抗議しています。嘘だと知りつくした上で宣伝として吹聴を続けているのは事実なわけですが、こういうのは書き加えるべきでは無いのでしょうか?あのシャム派の本体でさえ初期仏教だとは言ったと言うのは聞かないわけで(言ってもスリランカ人は信じませんけどね。)、日本に派遣された人だけが初期仏教と言うのは、百科事典では無くても、当然おかしな話ですよね?
- 国境を越えた相互扶助によって法灯が守られてきたは、現在の上座部仏教はスリランカから分裂した経緯があり、けど本家のスリランカが何度も滅亡したので、取り寄せ直した事が何度もあると言う意味では正確なのですが、シャム派の説明用ではなく、これだと上座部仏教の説明になると思うので不適切かと思ったわけです。まぁこれを譲らないのは、伝統を強調したいからなのでしょう。
- カーストの問題ですが、まぁ絶賛は余計だったかなと思っていますが、文言が残っているだと今はもう、やっていないように見えるので、継続中とすれば妥当なのでしょうか?けれど未だに堂々とスリランカでカーストを続ける姿はシンハラ人の社会意識からも本当に絶賛されているように見えるのですが?
--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月14日 (水) 10:03 (UTC)
- 内戦に関するNozawa onsen pottaさんの主張は、まさにWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあたります。シャム派が内戦に関与したと言うためには、「シャム派が内戦に関与した」と語る資料が必要です。スリランカの多数派であるから当然に・・・という理屈では駄目です。(当然ではないと思いますし。)
- アルボムッレ・スマナサーラの編集についてはここでは議論しません。しかし、「嘘だと知りつくした上で宣伝として吹聴を続けている」というのは、Nozawa onsen pottaさん独自の主張であり、ウィキペディアに書き加えるべきではありません。
- 「国境を越えた相互扶助」の箇所は除くということで、Nozawa onsen pottaさんと私の考えは一致しているようです。
- シャム派のカースト問題については、既に出典が示されているのですから、それにもとづいて記すべきでしょう。論文はアマラプラ派を主にとりあげ、シャム派については前置きとして触れる程度になっていますが、そこと論文末尾をみるかぎり、「絶賛」と言えるような状態はないことは明白です。単に「継続中」と言えるような簡単な話でもなさそうです。
- Nozawa onsen pottaさんは信念があって、典拠なしにいろいろ断定できるようですが、ウィキペディアはそうした見解を排除する方針をとっています。ほとんどの読者は、私やNozawa onsen pottaさんのような専門家でない人の独自の分析・見解を百科事典に求めたりしません。よって、Nozawa onsen pottaさんがここで典拠なく主張することは、ウィキペディアの本文に載せるにふさわしくないのです。--Kinori(会話) 2012年3月14日 (水) 19:56 (UTC)
- スリランカ内戦に関して、独自研究は載せないに抵触するかどうかは判りませんが、そうだとしても、(当然ではないと思いますし。)とありますが、最多数派である事により、必然的にそういう話では無いのでしょうか?それとも他派が強力にスリランカ内戦を推進し、シャム派が止めに回ったような資料をお持ちであれば、ご提示頂けませんか?
- アルボムッレ・スマナサーラの編集に関する議論は、ここでなさらない件や、初期仏教と吹聴して回っている事を、記事に掲載しない事は了解致しました。
- [国境を越えた相互扶助」の箇所は除くに関しては了解しております。
- シャム派のカースト問題については、論文にもあるように、初期の頃から現在まで継続している事であり、未だに出家の際にカーストを問われる文言があるのは、他派は別としてもシャム派に関しては、絶賛では無いにしても継続中だからなのではありませんか?継続中でも無いのに文言だけを形式上残しているのでしょうか?
- 信念があって、典拠なしにいろいろ断定できるようですがとありますが、ご指摘の通り私はシロウトですし、そもそも編集を強く希望しているわけではありません。しかしながら特定の教団の事務員が教団に都合良く編集なさるので仕方なく編集に加わっているものです。シロウト編集が、もちろん望ましいとは思いませんが、業界の方が悪意(恣意的)に編集なさる事は、当然の事ながら、それ以上に望ましくない事だと思ってやっているわけです。
--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月15日 (木) 02:02 (UTC)
- kinoriさんの発言が曲解されているようですので横から失礼しますが、論文に「継続している」とあるなら「継続している」と書けばよいと言うことです。私が拝見したところ書いてあるのは、「ゴイガマだけを入団させること」「カースト問題が最初期からあったこと」、「非ゴイガマの者は不満であったこと」等だけです。しかし単に「継続している」という文言だけであれば、取消はしなかったでしょう。「絶賛」という評価がどのような出典に基づくのか疑問なだけです。
- シロウトが編集することを前提としているのがWikipediaです。ですので出典を要求されます。一般的な成人であれば常識に当たるような知識でない限り、出典のない記述は除去されても文句を言えないというルールになっています。逆に言えば、客観的な出典を元にしている記述は、自分の考えと相容れなくとも残すことが望まれています。その記述により中立性が保てないと考える利用者は、反対意見を述べた出典を元に加筆できます。要は両論併記できるということです。
- あれだけご説明しても、上のようにトンチンカンな主張を続けられるご様子に、残念な思いでいっぱいです。最初に対話したときには、教団関係者と思われる利用者の宣伝的な記述に対処したいという思いを理解できましたが、対処手段が適切でないと言っても納得されないうえに私をも教団関係者と見なすようなご様子や、2012年3月14日 (水) 10:03 (UTC)発言の最後の段落の冷静でないご様子を拝見しますと、少し冷静になる期間が必要な気がします。--ろう(Law soma) D C 2012年3月15日 (木) 05:36 (UTC)
- はい、では[絶賛]は取りやめにします。
- あれだけご説明しても、上のようにトンチンカンな主張を続けられるご様子と言うのが正直良くわかっておりません。教団関係者か狂信者でなければ、スマナサーラが百科辞典的に初期仏教や部派仏教に該当しない事は明白であることは、明らかな事実であるのに、こちらに関して全く無視されるLaw somaの態度は全く理解の行かないものです。どこをどう読めば編集方針に合致するのか、わからないわけです。急いではおりませんので、時間が掛かるのは構いませんが、理解が行かない以上は態度は改まらないと思います。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月15日 (木) 05:54 (UTC)
- 失礼かもしれませんが、「教団関係者か狂信者でなければ、スマナサーラが百科辞典的に初期仏教や部派仏教に該当しない事は明白であることは、明らかな事実であるのに、こちらに関して全く無視されるLaw somaの態度は全く理解の行かないものです。」というご発言も同じです。私はWikipedia日本語版のルールに基づいてご説明しているのに、ルールも読まずに教団関係者呼ばわりする行為をトンチンカンと申し上げました。少なくともこれまで説明してきた中のリンク先の文章をお読みになられれば、私の発言や取り消しがルールに基づくものであることは容易に理解出来るはずです。また、ルールをお読みになっていれば「明らかな事実であるのに」という言葉も出て来ようはずがありません。なぜなら、Wikipedia日本語版のルールには、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」というものがあり、既に私が貴方に紹介しているからです。--ろう(Law soma) D C 2012年3月15日 (木) 08:00 (UTC)
- 「明らかな事実であるのに」という言葉も出て来ようはずがありません。なるほど少しわかりました。参考に致します。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月15日 (木) 09:14 (UTC)
- Wikipedia:コメント依頼/Ajitaでコメントした111.232.107.45です。蛇足ながらコメントさせて下さい。編集内容の議論を行う場合、いきなり主観的な主張すると他の編集者さんは困ります。例えば今回この件ではスマナサーラさんを初期仏教長老とするのは不適当かもと思っても、それを「明らかな事実である」からとして認めれば、他の記事で全くトンデモない内容を「明らかな事実である」として書き加える人がいてもそれを認めなければならなくなり、そうなるとWikipedia全体がぐちゃぐちゃになってしまうので皆さんそれを心配して反対してるのです。そのため多くの賛同を得るためにはまず可能な限り客観的な出典やガイドラインにそった主張を行った上で、かつプラスアルファとして主観的な主張を行うべきです。例えば今回の初期仏教に関してであれば自分なら以下の様に主張したと思います。
- 初期仏教とは岩波仏教辞典第二版554pによると原始仏教の類語であり原始仏教は同286pによれば「通常,仏教の開祖釈尊によってはじめられた統一原始教団が,仏滅後100年頃,部派に分裂するまで,または前3世紀のアショーカ王時代頃までの,インド仏教最初期の段階を指す.」とあり紀元前の仏教を示す言葉です。そのため現代人であるスマナサーラさんが初期仏教長老であるということはWikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められるにおける「関係学会に普及している見解に矛盾する主張」であり「特別な証拠が求められる」べきです。そのためスマナサーラさんに近しい人の発言では無く、中立的な第三者がスマナサーラさんを初期仏教長老と呼ぶことが出典により明らかな場合にのみ、その出典に基づき記載すべきです。現状はそもそも出典自体が無いので削除すべきです。
- と、このように主張すれば他の編集者さんは議論全体を「明らかな事実である」か否かといった主観で判断する必要が無くなり、「この記事の場合、岩波仏教辞典と矛盾する事は『関係学会に普及している見解に矛盾する』と言えるか?」や「この記事の場合、『特別な証拠』とはどの程度の高さの信頼性が必要か?」という個別の議論に注力する事ができます。この個別の議論に関して上の例は主観的な主張をしています。しかしこのような個別の議論は(「何をもって『関係学会に普及している見解に矛盾する』とするか」や「何をもって『特別な証拠』とするか」という一般論なガイドラインは無いので)必然的にケースバイケースで判断すべき事柄となり、そもそもノートで話し合って各編集者の主観も交えて意見を集約し合意する以外の手段がありません。そのため他の編集者さんも他の記事への影響を心配することなく主観的に賛同できるか否かを表明してくれるようになると思います。実際には上の例で言ってることの実態は過去にNozawa onsen pottaさんが主張していた事と全く同じだと思われるかもしれません(私自身がそう思っています)。しかし重要なのは客観的な出典やガイドラインを駆使して議論を「ケースバイケースで主観的に判断するしかない個別の議論」に落とし込む事によってWikipedia全体に影響を与えずに編集内容の議論を行う事だと思います。
- あと個々の議論で、主張の理由としておりにふれnaagitaさんが教団関係者であることを挙げるのはやめるべきだと思います。主張の理由に相手の宗教や立場を挙げるならば、それはWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例における「個人の人種、宗教、性、国籍などに関わる非難を行う。」に該当するおそれがあります。特に上にあるような「特定の教団の事務員が教団に都合良く編集なさる」「業界の方が悪意(恣意的)に編集なさる」「教団関係者か狂信者」などの発言はWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例の「悪意をもって相手を非難する」にも該当すると思います。Nozawa onsen pottaさんはnaagitaさんの立場を問題視するのであれば「なぜnaagitaさんが教団関係者だと思うかを表明した上で、反論され非難されるリスクを負ってコメント依頼をする」べきであったし、また「個々の議論においてはnaagitaさんの立場には全くふれず、客観的な出典やガイドラインに基づいて主張を行う」べきだと思います。また仮に本当にnaagitaさんが教団関係者であるとして(私自身はnaagitaさんが教団関係者であることを疑っていませんが)、その場合将来naagitaさんが自ら立場を明かし客観的な出典やガイドラインに基づいてノートに提案し、合意の上で編集を行う(すなわちWikipedia:自分自身の記事をつくらないをきちんと守って編集を行う)ようになったとして、そのときにNozawa onsen pottaさんが客観的な出典やガイドラインに基づかずnaagitaさんの立場によってのみ反論し、合意を妨げるような事があれば、その事に対する他の編集者さんからの非難は今以上に大きな物となると思います。ぜひ個々の議論における主張において、その理由にnaagitaさんの立場を挙げるのはやめてください。--111.232.107.45 2012年3月20日 (火) 16:47 (UTC)
- Wikipedia:コメント依頼/Ajitaでコメントした111.232.107.45です。蛇足ながらコメントさせて下さい。編集内容の議論を行う場合、いきなり主観的な主張すると他の編集者さんは困ります。例えば今回この件ではスマナサーラさんを初期仏教長老とするのは不適当かもと思っても、それを「明らかな事実である」からとして認めれば、他の記事で全くトンデモない内容を「明らかな事実である」として書き加える人がいてもそれを認めなければならなくなり、そうなるとWikipedia全体がぐちゃぐちゃになってしまうので皆さんそれを心配して反対してるのです。そのため多くの賛同を得るためにはまず可能な限り客観的な出典やガイドラインにそった主張を行った上で、かつプラスアルファとして主観的な主張を行うべきです。例えば今回の初期仏教に関してであれば自分なら以下の様に主張したと思います。
- 今後はnaagitaさんの立場を取り上げるのはヤメることにします。仏教史におけるスリランカ仏教の最大の特色は、戦争(スリランカ内戦)に於ける勝ち組だと言うことだと思っています。仏教系も戦争をしたことはあっても、負け組で、しかも反政府側のような話ばかりなので、極めて特徴的だと思います。スリランカは分類こそ少ないですがカースト社会であり、しかもインドなどのように下層カーストの人も要人として登場するのは見たことがありません。従って上位カースト者の仏教は必然的にシャム派であり、ゴガイマ組と呼ばれてシンハラ人の支配者階層にいます。またスリランカの仏教にも書かれているダルマパーラの思想を受け継いだのが、日本でも有名なジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナであって、彼もフルタイムでは無かったものの、僧侶だった事もあったと記録にあります。しかしこれらの事は諸外国のwikipedia等はシャム派としては記載されていません。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月23日 (金) 08:17 (UTC)
- いずれにしても北海道より小さい島で8~10万人の人が亡くなり、難民も28万人出ているわけで、先の東北地震(死者約1万5千人)よりも、遥に規模の大きな災害が起きているわけです。これの中核になったのが、さきほどのダルマパーラのシンハラ人の仏教ナショナリズムの思想とされているわけです。もちろん戦争は政府がやった話だし、焚きつけただけの事でスリランカ仏教やシャム派は知らないんだよと言う表現も出来るとは思います。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月23日 (金) 09:23 (UTC)
:シャム派に対し必要以上に敵対的な言説を取る>と指摘されましたが、個人的には必要以上とは思っていないわけです。確かに内戦は2009年までの比較的新しい事柄でもあるし、こういう風に読まれている紛争だと知る人は少ないのかも知れませんが、骨子も決まらないうちに、持ってる資料を次々に貼り付けてやるのもねと思っていました。文句を言ってれば、そのうちなんとかなるだろうと思っていたわけです。しかし大まかな経緯は、お陰様で話す事が出来ました。どうもありがとうございます。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月23日 (金) 11:17 (UTC)
概要について
概要ですが、どちらかと言えばシャム派と言うよりもスリランカの上座部の説明のようですので、とりあえず概要の素案を提示します。歴史は分離しようと思っていまして只今用意中です。
シャム派は、スリランカの僧団であって、ウパリ・セラによって設立され、主にキャンディ市街で発展しました。タイ(シャム王国)から伝わった仏教である事により、そのように呼ばれています。現在のシャム派は二つの総本山(マルワッタ寺とアスギリア寺)を持ち、他に5つの本山を持っています。マルワッタ寺とアスギリア寺は各々別々の主管または管長がいます。この僧団は高いカースト者のみを受け入れています。[2] --Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月16日 (金) 10:16 (UTC)
・ウパリ・セラ よりも タイの僧侶ウパリ・セラ のほうが判り易いかも知れません。
・設立され よりも 開山 のほうが仏教的に馴染みがあるかも知れません。
・主管または管長 よりも 管長 と纏めた方が日本語風かも知れません。
・のみを受け入れています。 よりも のみを入団させています。 のほうが妥当性が高いかも知れません。
--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月16日 (金) 17:32 (UTC)
- コメント 記事の文体は「常体」を使って下さい。--ろう(Law soma) D C 2012年3月19日 (月) 01:24 (UTC)
- これを、「だ」「である」と言う風にして下さいと言う意味ですよね?そうであれば了解しました。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月23日 (金) 07:46 (UTC)
シャム派は、スリランカの僧団であって、タイの僧ウパリ・セラによって開山され、主にキャンディ市街で発展した。タイ(シャム王国)から伝わった仏教である事により、そう呼ばれている。シャム派は二つの総本山(マルワッタ寺とアスギリア寺)があり、他に5つの本山がある。マルワッタ寺とアスギリア寺は各々別々の管長がいる。この僧団は高いカースト者のみを入団させている。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月23日 (金) 10:07 (UTC)
歴史 について
以下が歴史に関しての素案です。
ヴァリヴィタ・サラナンカラ沙弥(1698-1778)は、タイの僧ウパリが1753年にキルティ・スリ・ラジャシンハ王(1747-1782)の元を訪れた際に、具足戒を受け正式な僧侶となった。
スリランカの聖人列伝には記されていないが、シャム派の基礎は、その時代の貴族制度やカースト制度に密接に結びつている事や、未遂に終ったクーデターがあった事などが、その当時の植民地のオランダ人や、キャンディの王によって記されている。
1760年の記載:1753年にキルティ・スリ・ラジャシンハ王の統治中にシャム派は正式に始まった。ある貴族内のグループは王を倒し、王座にタイの王子を置くことをたくらんだ。犯人は主要な支配者を含まなかったとされているが、ヴァリヴィタ・サラナンカラやシャム派の僧侶や主要な弟子が共謀者と指定された。そしてタイの王子は追放され、貴族は処刑された。[1]--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月24日 (土) 03:27 (UTC)
開山のウパリ師 について
以下が開山したウパリ師の説明です。
キャンディの仏教サンガは腐敗した状態で苦しんでいるのだと、ウパリ・セラは思っていた。そこで彼はサンガの浄化を目標に努力した。腐敗は占星術を行う事を含んでいた。ウパリ・セラの努力を通じて仏歯寺のパレードが生まれ、毎年キャンディで祝賀会が行われている。このパレードは元々はヒンズー教の神を讃えるものだったが、スリランカ仏教に取り込まれていたものだった。ウパリ・セラは、これは不適切だと考え、そして彼の影響で「これからは、神と人は、仏陀の後に続く事になるのだ」と王に宣言させた。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月24日 (土) 04:11 (UTC)
シャム派の本山や僧侶の数
(仏ササナ省、スリランカからの推定)
宗教の力18世紀の半ばで、具戒足(正式な僧侶になる儀式)が、またもやスリランカで断絶してしまった。仏教のそれは、それ以前の500年の間に三度断絶していて、ヴィマラ・ダルマリア(1591-1604)、ヴィマラ・ダルマリア二世(1687-1707)によって再立されている。これらの再立はいずれも短命だった。ヴァリヴィタ・サラナンカラ沙弥(1698-1778)は、タイの僧ウパリが1753年にキルティ・スリ・ラジャシンハ王(1747-1782)の元を訪れた際に、具足戒を受け正式な僧侶となった。それはシャム王国にちなんで、シャム派と呼ばれた。 しかし1764年ウパリによって再建された10年後には、シャム派の中のグループが共謀して、具戒足をゴガイマ・カーストの者だけが受けられるようにした。これは仏教のビナヤ規則が実質的に破棄されていた時期でした。キャンディ王朝の仏教サンガの一部のメンバーは、個人的に土地を私有したり、妻子がいたり、自宅に住んでいて、ジェニンナンセスと呼ばれてた。[2] それは多くの誇り高いキャンディ王朝の伝統が沿岸沿いのオランダ人の統治者との戦いで滅んで行った時期でもあった。沿岸沿いでも新しい序列が古いものを置き換えていった。キャンディ王朝時代からの古いテキストは、僧団の根本的な変質を物語っているが、それらが僧団全員一致による判断では無かった事を伝えている。それには、この改革に反対した僧団の32名の年配者が改革のリーダーによってジャフナに追放されたと記されている。 こうして1764年には、ゴガイマ・カーストによる僧団の占拠が行われ1772年には、キャンディ王朝やイギリス国王の庇護も無しに、他のカーストを追放し、トタマグア寺院で独自の具足戒を行うようになった。また1798年にもタンガレで開催された。これらの式典のどちらも、ビヤナ規則に従っていないと主張したシャム派には承認されなかった。 スリランカでの仏歯寺、アダム・ピーク、ケラニアなどの6,000以上の寺院を含む仏教信仰の主要な場所はシャム派の管理下に置かれるようになった。太古の時代から仏歯寺は、スリランカの支配者達の象徴だと考えられてきた。 時の流れと共に、王座は、ポロンナルワにアヌラーダプラからに、その後ダンバデニアや、その他の都市へど移り変わって行った。遷都によって新しい宮殿は遺物を設置する為に移動され最後に、それらは、キャンディの仏歯寺に運ばれた。スリランカで最も古い仏教の宗派であるシャム派(1753年7月19日開山)キャンディでの王朝設立以来、仏歯寺の管理者である。 シャム派は、ラダラ(貴族カースト)とゴガイマ(農民カースト)のカースト者にのみ、叙階式を与える。シャム派はスリランカの王の時代からの非貴族な農民カーストであって、植民地時代になる以前からあるカラバ(漁民カースト)の神話に嘘をついています。残念な事にシャム派は五逆罪のひとつを促進し実践している。 1、殺母 2、殺父 3、出仏身血 4、殺阿羅漢 5、破和合僧 仏歯寺の管理者であるシャム派は、いつもゴガイマ・カースト(農業)全面的な支援を受けていた事もあって、カーストに基づく差別は、多くのカラバ(漁民カースト)、サラガマ(シナモン栽培)、デュラバ(傭兵)、バスガマ(選挙権の無い農民)、や、その他カーストの人々は、ゴビ(農民)やカトリック教徒や英国国教教徒より低く、ゴガイマ・カーストはスリランカの州の大臣や大統領に君臨した。(仏ササナ文化庁、文化的事務局)ラダラとゴガイマのカーストのコンビネーションによる仏歯寺の独占は、スリランカ仏教への悪評をもららせ、それは南アフリカで白人だけが特権があるアパルトヘイトに酷似していた。 19世紀後半に、仏教が崩壊の危機を迎えた時に、キリスト教の宣教師とイギリス政府はサラガマ・カーストのアマラブラ派の僧侶であるメーゲッワッテ・グナナンダで彼の神託スキルや鋭い論理性はパナデュラ(パナデュラ論争)でキリスト教徒を打ちのめし、ヘンリー・オルコット大佐は、パナデュラでの論争の話を本で読み、スリランカを訪問することを決定し、シンハラ仏教を助けアナンダ大学を設立し、アマラブラ教会を1802年に設立した。 この教会の修道士の数名は世界中の布教に参加した。ナラーダ・テラやフィヤダシ・テラとバラゴダ・アーナンダ・マイストレーヤ師達は、スリランカ仏教に多大なる貢献をした。ラマナ派、アマラブラ派のマヒンダ・パナシハ師は博学な修行僧だった。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月24日 (土) 15:38 (UTC) >19世紀後半に、仏教が崩壊の危機を迎えた時に、キリスト教の宣教師とイギリス政府はサラガマ・カーストのアマラブラ派の僧侶であるメーゲッワッテ・グナナンダで彼の神託スキルや鋭い論理性はパナデュラ(パナデュラ論争)でキリスト教徒を打ちのめし、 19世紀後半に、仏教が崩壊の危機を迎えた時に、キリスト教の宣教師とイギリス政府は、サラガマ・カーストのアマラブラ派の僧侶であるメーゲッワッテ・グナナンダとパナデュラ(パナデュラ論争)で論争し、グナナンダの神託スキルや鋭い論理性はキリスト教徒を打ちのめし、--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月25日 (日) 03:11 (UTC) 英語版の翻訳に関してコメント111.232.107.45です。個別にもコメントしたいことが在りますが、まずは全体的な話に関しまして。
--111.232.107.45 2012年3月25日 (日) 15:10 (UTC) はい、どうもありがとうございます。元ネタですが、ご指摘の通りで、エビデンスの面では、あまり精度が高くもないなぁとは思っています。私としては、このまま記事を表に上げずに放置しても構わないとも思っています。バイアスですが、ここが自分に判らない所なわけです。もっとボコボコに書かれた資料も、あれこれ平気で引いてこれるし、まぁ結局は普通の線ってのが、結局どのあたりかと言うのは中々難しい所なわけですが、何か軸になるような物って無いものなのでしょうか?--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月26日 (月) 05:20 (UTC) と言うか、この資料で、シャム派の良い坊さんの話だとか、良い事をしたような記載が全くないんですよね。結局はスリランカ内戦に結びつく歴史の流れとしては、そうなのかなとは思うものの、そんな悪いことばかりでも無いだろうよ?とは正直思っているわけです。一方でどこぞの初期仏教サマとかの話だと、無茶、伝統的で戦争なんか起きる筈も無いくらい良いことだらけになるわけでwこのあたりの加減がわからないわけです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月26日 (月) 06:47 (UTC) 某事務員が指摘した分派の歴史の資料を探しても、要するにカーストやるシャム派が嫌で反抗的に分派したような資料しかないし、オルコット大佐が来た後は、ダルマパーラ居士が出てきて、これが仏教アパルトヘイトの礎になっている歴史だし。1815年には王朝も滅んでいて、オルコット大佐が来るあたりまでは、ほぼ暗黒的と言うかロクに話が拾えないです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月26日 (月) 08:03 (UTC) と言うか、自分にしてみれば、別にシャム派を知って頂きたくて素案として英語版を写してるわけでは無くて、別にどこの教団に限らず、教団幹部が直接プロパガンダするような百科事典そのものが嫌だからやってるだけの事なわけです。ですので採用頂かなくても、私としては素案を残せたと言うだけで、あとは民意に任せるので全く構わないわけです。ただ何もせずに文句ばかり言うのも何だよなと言うだけの事です。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月26日 (月) 11:57 (UTC) つまり自分にとってみれば、ウイキペディアって、結局どの程度、宗教プロパガンダを容認する体質なのかさえ判れば、それでも自分の編集目的としては達成しているわけです。ここは某教団の幹部が出てきて直接編集してるだろうと言うのが、かなり明確に判明しているケースですからね。いや別に何とか宗教プロパガンダを排除する体質を作ってくれと言ってるわけでも無いですよ。そんなことを言うより、こりゃぁダメだと諦めて知らん顔したほうが話が早いし、別に私がプロパガンダするわけでもありませんので、間違っても良心の呵責に苛まれたりはしませんからね。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月26日 (月) 13:35 (UTC) 編集のルールに則って編集すべきであると言うご指摘は判るんです。けれど同時に宗教プロパガンダ大百科事典の編集が絶賛継続中である事も、これもまた歴然とした事実だと認識しています。しかし結局のところ、ではどうして宗教プロパガンダを排除するかに関して何ら有効と思われる手段の提示もなければ、有効と思われる議論も、どの編集者からも上がったようにも全く思えませんからね。私は百科事典にまで出てきて直接的にプロパガンダするような教団は嫌いですが、宗教プロパガンダ大百科事典も嫌いなので、下資料として英語版を翻訳をしていただけです。元資料の逆バイアスは認めていますが、宗教プロパガンダ大百科事典の編集が絶賛継続中であることも、やはり嫌いなのです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月27日 (火) 21:33 (UTC) それどころか、宗教教団の書いた記事を、そのまま容認しないと、宗論の場になると言うような指摘までありました。教団のプロパガンダをそのまま掲載すれば、次に起きる事として宗論が起きる可能性もあり、問題の火種になると言うのなら判るのですが、そもそも宗教プロパガンダ大百科事典の編集が絶賛継続中で無ければ、宗論が起きる土壌も無いと思うのですが、あたしの言うことを聞かない!とまで言われるのは、結局は宗教プロパガンダ大百科事典の編集が、単に継続中どころの話ではなく、まさに絶賛継続中である確たる証拠の類だろうと思いました。ルール尊守の強い推奨と言う枠内でなら判るのですが、推奨では無く、強制する権利まで、おありのようなので、多勢に無勢ならWikipedia:腕ずくで解決しようとしないってのも、結局どうでも良い所なのだろうな?とも思いました。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月27日 (火) 22:31 (UTC) 一時的に、宗教プロパガンダが直接的にウイキペディア上に登場することは、仕方のない事だと思います。しかし、どのような編集ルールがあって、免責事項があり、それに沿った編集がなされているのだとしても、宗教プロパガンダ大百科事典の編集が絶賛継続中である事は、ようするに社会悪として公序良俗に反しているのでは?とは思います。こういう所が嫌なだけなんです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月27日 (火) 23:13 (UTC)
はい、上書きするつもりに関しては、今後とも無い事は、お約束致します。と言うか、どこでもいいから、もうちょっとシャム派の良いことも書いてある資料を探しています。英語版の要出典が張られていた部分は訳していないし、いわれなき批判が書かれていると言うなら、私だけに言われるのでは無く、そういう出典を示して頂きたい所です。まぁそういう事を勘定に入れても、これじゃホントにイイトコ無しの宗派みたいで、それはそれで本位ではありません。誤訳なんかは、まだ残っていると思いますけどね。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月28日 (水) 03:32 (UTC)
はい当然全面的にお任せ致します。と言うかシャム派を起こしたのは私で、起こす目的も、この問題をハッキリさせる為のみに起こしました。要するに最初から教団員トラップです。問題がハッキリすれば誰か、ここの編集事情に詳しい人が引き継ぐかな?と思ってやっていたわけです。ただし実際に私は知的では無いのもあるのですが、もし引き継ぐ人が出なければ、自分なりにやれる事もやるけれど同時に荒れつづけてやろうとも最初から思っていました。全員が結局は宗教プロパガンダ大百科の人達になら善人と思われれば、余計にムナクソが悪いだけの話ですからね。と言うか、こちらのほうこそアチコチの記事を見て回った感じだと見込み薄いのか?と思っていたのもあって、ただでさえ知的でも無いのが更に暴れちゃって、大変に申し訳無かったです。英語記事ですが、他意が無いので本当に表に上げなくても不満そのものは無いんです。ようするにやれることをやる用ですので、記事が改善されるのであれば、不要だと思います。進め方も思ったようにやられるのが良いと思います。協力出来る事があれば協力致しますが、結局ろくに力の足しにはならないと思います。ではご苦労をお掛けしますが、なにとぞ宜しくお願い致します。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月28日 (水) 13:38 (UTC) 追記として、アルボムッレ・スマナサーラは(Ven.Alubomulle Sumanasara nayaka Thera 1945年-)と頭にVen.と付いていますが、ルーホッラー・ホメイニーには付いていません。Ven.はvenarableの略で、英語圏で偉い宗教家だと紹介する時に、宗派を問わず頭に付けておけば、とりあえず無難な所の物なのですが、教団幹部が自分の所の坊さんに付けるのは宣伝行為と思います。また宣伝行為に該当しなくても、記事の整合性を考えると、両方にVen.と付けるか、両方に付けないか、どちらかが望ましいと思います。まだ生きていて現代を代表する仏教者と思われている方々の記事にもVen.と付けている記事は幾つか当たった範囲にはありせんでした。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月30日 (金) 03:44 (UTC)
更に見て回ると、このルールは、かなり厳しすぎるくらい厳しいのですね。道場法師は知っていましたが、道場(僧)と言うことになっていて、これだと誰の事だか判らないです。要するに称号は、かなり厳しくダメと言うことなんだなと理解しましたが、[マグマ大使]の[大使]も称号だけど、実在した人物じゃないから良いのか?と思ったりしました。しかしスリランカもそうですが、いわゆるアーリア人系の歴史は、どこまでが実際で、どこまでが神話なのか、すぐ判らなくなるので、実質はマグマ大使みたいな人が、いっぱい出てきます。そうなるとマグマ(漫画)通称:マグマ大使としておかないと整合性が取れなくなります。この件の削除も、111.232.107.45さんに併せてお願いしておきます。他との関係で時期を見計らってお願いします。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月30日 (金) 11:11 (UTC) 久々に拝見しました。Nozawa onsen pottaさんが、「はい当然全面的にお任せ致します。と言うかシャム派を起こしたのは私で、起こす目的も、この問題をハッキリさせる為のみに起こしました。要するに最初から教団員トラップです。」と、最初から特定の宗教宗派の記事を特定個人を攻撃する目的で作ったと述べているのは異常なことだと思います。それを放置したまま、枝葉末節についての公平性を議論している111.232.107.45さんは、Nozawa onsen pottaさんと結託して個人攻撃を行っているわけで、ソックパペットまたはミートパペットと疑われても仕方がないのではないでしょうか?--ajita(会話) 2012年4月2日 (月) 05:08 (UTC)
それはいいけど、10日掛かっても表の記事は1文字も変更が無いようですが、こういう進捗が普通なのでしょうか?掛け声ばっかりと言う訳ではありませんよね?--Nozawa onsen potta(会話) 2012年4月13日 (金) 03:13 (UTC)
いや、その前に本当に処理して行く能力ってあるの?と言うのが疑問なんです。と言うのが相手は犯罪こそしないようだけど、バリバリの新興宗教体質そのものだし、ウイキペディアに限らずあっちこっちでボコボコに叩かれいますが、屁とも思ってない輩だし。早くも何も対応出来るのか?ってね。まぁ健闘をお祈りしますけどね --Nozawa onsen potta(会話) 2012年4月15日 (日) 10:52 (UTC)
私は私なりの手順で事を進めます。>はい、だったら私は私で勝手に進めても良いのですよね?ここの編集ルールなどにお詳しいようなので、お任せしようと思ったのですが、今の所は能書きだけだし2~3ヶ月掛かるような事を言われるので、待っておりましたが、一向に何の変化も無いので、結局これだと他の輩と同じで教団屋の幇助者のようなものです。あせらせたので旨く行かないと言われても困るので黙っていましたが、どうしようかと思っている所です。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年4月26日 (木) 12:16 (UTC)
いや能書きだけで何も進まないは、前言は勝手に取り消すは、こいつどういう人間なんだろ?と思う訳で、別に賛同して頂かなくても一向に構わないわけです。つかこれじゃ実質は教団員幇助者でしょ?じゃまた勝手にやりますので、気に要らなければご指摘下さい。聞くのか聞かないのかは、それから決めますので。時間稼ぎ出来て良かったですねW --Nozawa onsen potta(会話) 2012年4月27日 (金) 16:03 (UTC)
独自研究は載せないに基づく修正の提案111.232.107.45です。Wikipedia:独自研究は載せない基づいて以下の修正を提案します。
また、併せて以下の修正を提案します。 前者の主な理由は、出典に基づいていないためです。後者は出典に基づく加筆です。個々の詳細な理由は以下の通りです。
以上です。--122.27.18.206 2012年4月28日 (土) 15:41 (UTC) 出典のページ数の誤りを修正。--122.27.18.206 2012年4月28日 (土) 15:45 (UTC) 一週間ほど異論無ければ、本文に反映したいと思います。--122.27.18.206 2012年4月28日 (土) 16:08 (UTC) >スリランカのサンガは16世紀に衰退し固有の戒統は失われていた。 文章として、おかしいです。「固有の戒統は失われ」ていたのであれば、サンガとしては「衰退」ではなく「崩壊」です。崩壊したから仕方なく、わざわざタイの坊さんを呼んで復活して貰ったわけです。もちろんスリランカの仏教としては、正当な坊さんの居ない時期があったと言う意味では「衰退」と表現出来る事ですが。表現としては「サンガは」を「仏教は」に変えてやれば「衰退し」でもツジツマとしては合うと思いますが、記事はシャム派としてのものなので、「サンガは」を残して「崩壊し」にすべきだろうと思います。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月1日 (火) 10:58 (UTC) しかしタイの出家比丘サンガは13世紀にビルマ経由でスリランカに由来するため、現代のスリランカサンガは古代からの戒統を継承している。>これは無くても良いと思います。ビルマは元々が大乗仏教の国でスリランカから上座仏教の伝授を希望したが拒否されたので、戦争を仕掛け勝利し、戦利品としてサンガごと強奪したものであり、これを継承と呼ぶかどうかは色々とある所だからです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月1日 (火) 11:20 (UTC)
111.232.107.45さんの2012年4月28日 (土) の一連の修正提案については異論ありません。便乗した(連携した?)荒らし行為が起こらないかどうかを見守っています。--ajita(会話) 2012年5月2日 (水) 15:53 (UTC)
「固有の戒統は失われたなら崩壊である」という観点を前提にしている>正式なお坊さん(比丘)を作れない状況は、サンガと言うお坊さんを作る組織と言う意味では明らかに崩壊なわけです。参照なさっている文章が、サンガに関するものでは無く、スリランカ仏教に関するものだから、仏教が崩壊すると書いてないのはありませんか?説明はシャム派と言うサンガに関するものにすべきであることは、言うまでもないことです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月3日 (木) 02:28 (UTC) たとえば[7]このような仏教壊滅の危機は、他の東南アジア諸国の比丘たちによって救われることになる。一五九二~一六〇四年と一六九七年の二回にわたりミャンマーから比丘を招き、一七五六年にはタイから比丘を招き、僧団は復活した。と書いてあります。上座部はお坊さんを新規に認定するのに、複数の正式なお坊さんが必要で、それが出来なくなったので、諸外国に坊さんをレンタルに行かないといけなくなったわけです。また逆に「崩壊」していないのであれば、以前からのサンガも残っていてシャム派閥に並立している筈ですが、一切こういった記述は無いわけです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月3日 (木) 03:27 (UTC)
はい、では衰退していたサンガとしての組織名を併記して下さい。固有の戒統は失われてはいても、サンガが存在したのであれば、詳細な活動内容は無理にしても組織名程度は残っていると思います。このままだと落ちぶれたサンガがあって、シャム派と言う別の新しいサンガが併設されたような文章なので、聞いたことも無いような独自研究そのものか、日本語がおかしいか、どちらかです。いやそんな事はないと言うのであれば、落ちぶれたほうのサンガ名を併記すべきです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月3日 (木) 21:01 (UTC)
スリランカ仏教の説明としてなら、その通りで、サンガも崩壊するくらい極端に衰退した状態にあったと言うので良いと思うわけですが、修正案はサンガとして衰退した状態と読めるのが問題で、そこを何らかの改善を希望しているわけです。参照したソースが如何に信頼性が高くても、それはスリランカ仏教の説明であり、記事はシャム派と言うサンガに関するものなので整合性が根本的に取れていないわけです。ようするにソースの悪用なわけです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月4日 (金) 01:01 (UTC) 「落ちぶれたほうのサンガ名を併記」せよ>これは記事を書く責任上当然の話です。主語が仏教であればまだしも、サンガなので、そうであれば落ちぶれたほうのサンガが存在する筈だし、IP氏は人には社会学的に存在しない説明を求める人なのですから、存在する記述のほうが事実であれば遥に楽だし、記事の信憑性を高める意味でも当然でしょう?と言うことです。ようするにサンガ用の説明としてソースも記事も信頼性があるとは思えないわけです。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月4日 (金) 01:20 (UTC)
IPさん、いい加減な対応をしてはいけません[9]ここにあるように、社会学的に難しい崩壊していた証拠を求めていますよね?で私はそんな事より遥に簡単な、存在していたとしてサンガ名を聞いているのです。誤魔化さないください。それとも名前の無い無名なサンガが存在していたと言うことなのですか?--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月5日 (土) 10:40 (UTC)
いよいよオカシイです。IPさんは、「スリランカでは18世紀までに数回、比丘サンガが途絶える事態に陥った」との表現ですが「途絶える事態に陥った」との書き方ですと、何か定常的に比丘サンガが存在し、比丘サンガが途絶える事が突発的な事態かのような纏め方ですが出典によればシャム派の比丘サンガの開始以前は100年以上比丘サンガが途絶ており出典の要約の仕方が恣意的です。これらは出典に基づいて記載すべきです。と書かれていますが、「100年以上比丘サンガが途絶ており」と言うのであれば、やはりオカシイし、「何か定常的に比丘サンガが存在し」と言うのが変な話で「比丘サンガが途絶える事が突発的な事態」と言うのであれば、これにも矛盾しているわけです。100年以上途絶えているのを衰退と表現するのは、明らかに日本語としてオカシイし、またIPさん自身が言われている事にも矛盾するわけです。もうここまで来ると記事の品質どころの話では無くなっています。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月5日 (土) 22:10 (UTC) IPさんの論旨に寄ると、途絶えているものが衰退した事になります。宗教上こういう表現もあるのかも知れませんが百科事典では適切ではありません。また非定常が当たり前と言う提案であるのに、改訂される文章は定常的です。これも宗教的な表現なのかも知れませんが百科事典的ではありません。--Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月5日 (土) 22:17 (UTC) 衰退したものが途絶えたのだと言うのなら、「崩壊」と言う表現は日本語として適切なものです。けれどたぶんIPさんのは逆で、途絶えているものが衰退したので、「崩壊」と言う表現は不適切なのでしょうかね?w --Nozawa onsen potta(会話) 2012年5月5日 (土) 22:45 (UTC)
111.232.107.45です。異論が出て、それぞれ反駁し、一週間ほど待ちましたが再度の反駁がありません。一週間ほどその他異論無ければ、本文に反映したいと思います。--122.27.18.206 2012年5月14日 (月) 07:46 (UTC) 111.232.107.45です。一週間ほどその他異論ありませんでしたので、提案内容を本文に反映しました。議論に参加いただきありがとうございました。--175.103.138.60 2012年5月22日 (火) 11:48 (UTC) 出典・脚注
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