ノート:シトロエン・GS
大幅な追記にあたって
[編集]- 何度も初歩的ご指導いただき、長期間を掛けて、ウィキ・ド素人が追記しました。脚註補完:ベルトー二等、見ず知らずの2CV・CXの方にも助けて戴きました。到らぬ所等ありますので、どうぞ御意見をおよせください。 (59.106.12.150 2007年10月9日 (火) 15:23 (UTC)) by430
- 英語版同項より、初めて画像を添付したのですが、日本語版にないようで、画像転換されませんでした。宜しく転載ください。(59.106.12.150 2007年10月9日 (火) 22:27 (UTC))
- 何度も申し訳ないのですが、「e」の上に「‥」がどうしても付かず外部リンクの正確な編集ができません。管理の方、補正お願いします。(59.106.12.150 2007年10月21日 (日) 09:03 (UTC))
もう何も編集しなくて結構です。記事の破壊やエッセイ調の文章を掲載するのはここではルール違反です。今すぐお引き取りください。-hatsukari715 ( conversation | history ) 2007年10月21日 (日) 13:17 (UTC)
♯スタイリングについて英語版に同様な記述がある。
スタイリングについて
[編集]あくまで、状況根拠を状況根拠として、有り得る可能性を 例示した のみの文面であり、クルマ雑誌(オールドタイマー'03年8月号・P38● タイムマシンは永遠に ロベール・オプロンのシトロエンミーティング/大矢晶雄氏)に、オプロン氏自身が「自分のデザインだ」と述べず、敢えて意味深長な『インダストリアル・デザインである』と述べている点からの発展報告である。それを 単なる推測 ではないかと片付けるのであれば、削除して頂いて構いません が、不慣れな操作の不手際を罵って、他の国の自動車欄の記述にも普通にある[問題点・メンテナンス]の記述全文を 何度も乱暴に消去する のは止めて戴きたい。(59.106.12.150 2007年10月28日 (日) 13:38 (UTC))
- スタイリングの節は意味不明なマークアップを除去して、あまりにも内容が怪しすぎるので{{未検証S}}を貼っただけなんですけどねぇ。Wikipedia:検証可能性をお読みいただければわかりますが、Wikipediaでは「可能性を例示する文面」は載せないのがルールなんです。あと、雑誌のおける他人の発言を「発展報告」する場所でもありませんので、ご理解いただけないのなら、お引き取りください。--hatsukari715 ( conversation | history ) 2007年10月28日 (日) 16:08 (UTC)
- (追記)あと、「罵った」という発言は撤回してください。私は一度もあなたを罵るような発言はしていません。度重なる破壊行為、荒らし行為に対して警告をしているだけです。--hatsukari715 ( conversation | history ) 2007年10月28日 (日) 16:26 (UTC)
- 「お引取りください」という言葉が何を意味するかで、解釈は違ってきますよね。
事実、この欄の私の書き込みを一度は「引取った」のです。
試しに 貴方に お引取りください と 言ってみましょうか? 罵り合いになるでしょう!
他の欄を参考にして改めた事柄を、意味あるかないかの判断と破壊活動と決付けるのとは、別のことです。 どのような議論であれ、建設的なものであれば、話は聞きますが、
「立ち去れ 帰れ」 「何も書くな 破壊活動だ」 と繰り返すのでは、どちらが運営側か、私ならずとも、判らなくなります。 強調やレイアウト変更が気に入らないのであれば、その部分のみ改訂されれば、良いでしょう?
こちらも受入れられるところは受入れているのです。
「削除」‐書き込み‐「削除」/「引き取れ」・「取り消せ」の繰り返しでは、楽しみにするウィキペディアではないではありませんか?
(59.106.12.150 2007年10月30日 (火) 11:43 (UTC))
- あの、大丈夫ですか??私は「強調やレイアウト変更が気に入らない」のではなくて、記事の破壊や荒らしをするなと言っているだけですよ。あなたが行ったシトロエン・GSにおける言語間リンクの破壊[1][2][3][4][5][6][7][8][9]、カテゴリ・コモンズリンクの破壊[10][11]、ノートの白紙化[12]やクーペ (自動車)でのテキスト除去[13]、デジタルメーターでの要出典タグ剥がし[14]はルール違反なんですよ。だから、会話ページで何度も注意をしましたが、一向に改善されないので「お引き取りください」と申し上げたまでです。なんと言われようと、ウィキペディアの方針(WP:NOTやWP:V)にそぐわない記述は除去しますので、悪しからず。--hatsukari715 ( conversation | history ) 2007年10月30日 (火) 13:28 (UTC)
ともあれ、「ベテランのエンスージアストが自らの経験から得た実践的知識・自動車論を披露する場所」とするには、Wikipediaは不適当な媒体だと思います。そういうのはむしろブログ向けでしょう。GSは思想的には優れたクルマだと思いますがね。A-miyake 2007年10月30日 (火) 15:04 (UTC)
了解しました。
このシトロエン・GSを編集してみて、他項との関連迄重要になってくる構造であり、それぞれが違う編集観点が横行されており、関連脚引き項目の不備までの訂正しなければ混乱が生じる危惧を感じました。 増して、海外のウィキペディアと比較すると尚更で、言語のニュアンスや解釈いかんで語弊ばかりになってしまう危険性を感じました。その意味で、運営側に要求される 接待・方針・姿勢 には 困難が多かろう と思います。 とまれ、疑義付きとはいえ、(私感)70%、採用されたことに、感謝します。 事柄を愛する立場 と システムの見直し、一層の推敲・発展を祈願して、ひとまず・鑑査/見守る立場・に戻ります。 Miyakeさん後を宜しく。 (59.106.12.150 2007年10月31日 (水) 00:53 (UTC))
検証項 スタイリングについて
[編集]先日来の、スタイリング項の検証提案について、論議の 下敷きを作って おきたいと思います。 (1、論点として何処の行か問題となっているのか、明確でない。 (2、訂正で改文で対応できる事柄はないか。 (3、論議・検証する 対象が 外国車 であり、出典・情報元が、極めて少ない。 (4、対象車種 が 既に生産終了して 四半世紀経つ ので、評価が既に大方安定している。
以上の 4点に於いて、この度の検証論議に馴染まないと思われます。 その点を踏まえて、主だった編集者 として、兼ねゞ申し出たい事項を次の (A)・(B) であげておきます。
(A)、情報元は前上項に既に述べてあります。参照下さい。また 傍証 が 前上々項 最終行 に見られます。
(B)、論点 が(1 で 明確でないが、編集者としては下記の 改訂・追記(太字で示す) を示し、反論なくば、実際に改訂実行したいと思います。
『内外装共に、イタリア人フラミニオ・ベルトーニの後をうけた、アメリカ人ロバート(仏称ロベール)・オプロンの率いるシトロエン社内でデザインされたと言われる。 しかしながら当時吸収・提携していたランチア/マセラッティ/フィアットなどの経緯を考えると、コラボレート・インスパイアした当代のコーチビルダーが荘々たる面々であったことは想像に難くない(例・ジウジアーロ・スパーダ・フィオラヴァンティ・ガンディーニ)。』
これらの点を鑑み、ご判断ご議論ください。宜しくお願いいたします。 (59.106.12.150 2007年11月6日 (火) 12:43 (UTC))
日本での販売台数
[編集]…今回の大幅な改訂者に敬意を表しますが、日本での販売台数4000台との記述は明らかに過小です。中間が抹消された、当時の運輸省の資料でも10,000台は優に超えていたのは間違なく、20,000台も超えた可能性も考えられます。
上記の疑問に対して
西武自販の資料という物については存じ上げませんが、カーグラフィック誌の1982年3月号に掲載されたGSA1300パラスの試乗記には「10年間で4400台という多数が入った・・・」との記述があります。これが事実であるか否かは当方には分かりかねますが、「日本での販売台数4000台」と記述した方はおそらくこれを参考にしたのだと思われます。
ところで、日本仕様の右ハンドルのGSA1300パラスについて「西武自販が修理を扱わない唯一の仕様だった。」との記述がありますが、西武自販が販売していたのに「修理を扱わなかった」とは異な話だと思うのですが、これについて真相をご存知の方、ご教授頂ければ幸いです。--220.214.103.131 2008年3月9日 (日) 08:51 (UTC)
…出典提示有り難うございます。
さて、この4400台の数字は記憶にありませんが、CG誌巻末・他クルマ誌等の車種別販売台数(運輸省発表?)の記録をトータルされた方の印刷物を拝見したことがあり、前述のような理由で不正確な数字ながら上げておられました。何分古い話なので、その資料を提示できないのが残念ですが、当時の愛好家レベルの認識とは大きく隔たって居りましたのでご報告しました。
輸入台数についての話ですが、これまたカーグラフィック誌からですが、86年6月号、シトロエン特集の中で、西武自販の(当時の)常務(日仏自動車時代からシトロエンの輸入に携わっていた方)へのインタビュー中に「あれ(GS)はなんだかんだで6000台程売れました」とあります。12~13年程で6000台ですから、年500台ぐらいですね。
ま、これは個人的な考えですけど、輸入台数は、これ位なのではないのでしょうか?その頃の状況を考えればこれ以上は無いと思います。
という事で、輸入台数はトータルで約6000台という事で如何でしょう?--220.214.103.159 2008年3月17日 (月) 12:13 (UTC)
…それでは、西武自販系列以外の有力・別販業者の可能性も言々されていることですから、この部分は 両論併記 で、「愛好家レベルでは裕に1万台を超えていたという説もある一方で西武自販では4000台~6000台との関係者の証言も残っている…」で、後の証言者に委ねるという形で、「要出典」解除 はいかがでしょうか?。提案です。 --202.181.98.221 2008年3月18日 (火) 12:51 (UTC)
そうですね。「西武自販が」輸入した台数は6000台って事でしょうね。(4400台というのは82年の記事で、6000台というのは86年の記事ですので、その間に千数百台輸入されたという事でしょう。ですので、本文に書くのは6000台だけで良いと思います)両論併記でよろしいんじゃないんでしょうか。 それにしても、別ルートで4000台かそれ以上ですか・・・どうなんでしょう?--220.214.103.159 2008年3月18日 (火) 13:49 (UTC)
…西武自販で販売された右ハンドルGSAと云う実車両も記憶無く(つまり西武の輸入では無く)、オーナー自身が実際に西武での修理を拒否されたとの体験談に基づく記述です。悪しからず。--202.181.98.221 2008年3月16日 (日) 15:24 (UTC)
更に疑問ですが
「日本仕様」の項に、総代理店に加えて、関西日仏自動車という名が登場しますが。
私が考えるに、同社は、(失礼な言い方かもしれませんが)地方の一販売会社に過ぎず、輸入業務に直接関わっているとは考えにくいと思われます。したがって、この項で名前を出す必要は無いと考えますが如何なものでしょうか?--221.119.86.73 2008年3月10日 (月) 13:36 (UTC)
…その辺りにつきましては、GS時代に微細な点(アンテナの位置・ラジオ取付けの基板等)の関西日仏自動車の販売車は関東圏のGSとは実際に差異が在り、その販売規模も地方販売店レベルではない、別系統の発注があったと感触を掴んで居ります(上記GSA右ハンドルの例と関連)。但し、法制上の認可手続きは西武自販がまとめて認可を受けていた という認識です。記憶違いは無いと思いますが。いずれも廃転業してしまっているので、確かめる術はありません。--202.181.98.221 2008年3月16日 (日) 15:24 (UTC)
生産国の話も含めて、色々と興味深い話をありがとうございます。
シトロエンGSの記事が、より正確なものになるようにお互い精進して参りましょう。
とは言っても、当方は実車を所有していた訳でもなく、資料といえば古いカーグラフィック誌ぐらいしかないんですが。(一般に権威があると思われているカーグラフィック誌の記事にも実は結構間違いがあるようですけどね 笑)
右ハンドルGSA
[編集]…分項・移動整理しました…
ところで、右ハンドル車についてですが、先に述べたカーグラフィック82年3月号で採り上げられたGSA1300パラスは右ハンドル車でしたし、当時の西武自販の広告にも「右ハンドル」と書いてあるのがありますので、西武で右ハンドル車を販売してたのは間違いないと思います。
…カタログに載ったとのご指摘は、資料不足で失礼しましたが、実際に西武以外に修理を依頼していた可能性は、当時の日産(キャブレターから日本製)との兼ね合いもあり、十分考えられますので、この本文の表現も頷ける面があります。--202.181.98.221 2008年3月18日 (火) 12:51 (UTC)
まあ、可能性といえばその通りですし、西武自販に修理を断られたという方がいるというのも事実なのでしょうが、その方が何故修理を断られたかがよく分かりませんし、同型車もそれ1台というわけでもないでしょうから、それはレアケースなのではないのでしょうか?
ですので、「西武自販が修理を扱わない唯一の仕様だった。」この部分は「百科事典」としては載せなくても良いんじゃないんでしょうか。
それから、本文にはGSA1300の右ハンドル仕様が「特に少数限定発売された特化したもので」ともありますが、当時のカーグラフィックの記事によると、この右ハンドル仕様こそが当時の日本向けの「本命」だったようで、「少数限定」ではなかったようです。(排ガス対策など日本向けの対策をフランス本国の工場で行っていたとの事です)「少数限定」だったのは、その後83年に輸入された左ハンドル仕様や84年以降に輸入されたGSA X3辺りだったのではないのでしょうか?
この辺の話は「本文」とかなりの隔たりがありますね。
ま、全部当時のカーグラフィックからの「受け売り」ですけど。本当の所はどうだったんでしょうね?--220.214.103.159 2008年3月18日 (火) 13:49 (UTC)
…それは貴上の少数仕様の捉え方で、営業ベースではその様な謳い方もするでしょうし、CGであれ何であれ、それを元に記事を書くでしょうから、しかし、本文記述の様にガラッと様変わりしたRhdのエンジンルームを見たら、きっと翻意されると思いますよ。 実際にRhdだけの生産台数の記録も残っておりますし、それに較べたらLhdの2車種は、排ガス規制にさいなまれない本来の本国仕様に戻った通常車種に映るに違いありません。当方の云う「特化」 とは、正に「日本仕様」の有様を記述したもので、特別扱いしたくなる理由はそこにあり、百科 であるが故の観察者の視点に沿うものなのです。ともかくも、ご意見を伺い、幾らかの言替えをしておきましたので、ご高覧下さいませ。(--202.181.98.221 2008年3月19日 (水) 10:54 (UTC)
まぁ、難しいですなぁ。私にとっては、GSは、ある種の憧れの車ではあるのですけど、前にも書いた通り、持ってた事も無いですし、周りに乗ってた人もおりませんでしたので、「生きた」GSという物についてはよく分からないので、実際に「体験」された方と見方が違うということに付いては、先ずお詫びしておかなければならないでしょう。
貴殿の意見としては、左ハンドル車こそが本来の姿であり、(特に日本仕様の)右ハンドル車は歪められている、と。その上で、日本仕様として特製された部分が「特に少数限定発売された特化したもの」という部分につながると。そういう事でしょうか?
それは、確かにその通りでしょうが、それを踏まえたう上で、右ハンドル車については、メーカー自身が(初めて?)真面目に日本向けという事を考えたということに意義があったのではないか。と、私は思うのですけど、如何でしょう?--220.214.103.159 2008年3月19日 (水) 14:12 (UTC)
…同感多々です。 ご理解頂き、たいへん有り難いところです。百科辞典故に多視点が必要であり、商業紙の視点の間接性・固定観念にも言及頂いていたので、敢えて立脚点を明確にさせていただきました。勿論限定はあろうものの、柔軟性も心掛けておりますので、一層の精進に努めましょう。 どなたとの認識も有りませんが、オースター以外にスタンザ等の追加有難うございます。特にサニーよりも優先して、同車種に同一規格の車軸ブーツが使われて居りますので、以前から書き込みを考えておりました('0')/...よく研究されておられます。(--202.181.98.221 2008年3月23日 (日) 18:38 (UTC)
B11型サニーに用いられた、ゼッパ型等速ジョイントと、T11型オースター一族に用いられたドライポッド型等速ジョイントは別の物のようですのでT11型オースター一族の名前は消させていただきました。--220.217.106.227 2009年2月1日 (日) 01:23 (UTC)
フランス以外の生産国
[編集]「GSA」の項で、GS(GSA)が英国でも生産されたとの記述があります。
確かに、シトロエン社は第二次大戦前から、英国に組み立て工場を持ち、トラクシオン・アヴァンや2CV、DSなどを生産していました。しかしそれは1966年に中止され、その理由は、労使紛争や、EEC(ヨーロッパ経済共同体)が設立された事により、関税が無くなり英国で生産する利点が無くなったためである。などと、DS関係の本には書かれております。
それから考えると、GSが英国で生産されたというのは本当なのだろうか? と私は疑問に思ってしまいます。どなたか真相をご存知の方はいらっしゃいませんか?--221.119.86.73 2008年3月10日 (月) 13:36 (UTC)
…この点に付きまして、海外のサイトの資料に拠りますので、後日再度資料調査提示いたします。 しばしご猶予下さい。--202.181.98.221 2008年3月16日 (日) 15:53 (UTC)
また、「GSA」の項には、ルーマニアでも生産されたとの記述もありますが、これは本当なのでしょうか?
ルーマニアでは、1980年代初頭より、シトロエンが設計した2ドアハッチバックの大衆車が「シトロエン・オルツィット(OLTCIT)」の名で生産され、「アクセル(AXEL)」の名で西欧諸国に輸出されたりしました。この車は、GSAのエンジンを流用していましたが(2気筒版もあった)、それ以外はGSとは全く別物であり、GS(A)そのものがルーマニアで生産されたというのは聞いたことがありません。私が知らないだけかもしれませんが。
私が考えるに「ルーマニアでは、GSのエンジンを搭載した車が造られていた」という話の間が抜けて「ルーマニアでもGSが造られていた」という話になった。というのがこの話のオチのような気がするのですが、如何なものでしょうか?
果たして、GSはルーマニアでも生産されていたのでしょうか?
これまた、どなたか真相をご存知の方はいらっしゃいませんか?--221.119.86.73 2008年3月11日 (火) 14:36 (UTC)
…この点に付きましても、海外のサイトの資料に拠りますので、後日再度資料調査提示いたします。 もちろんオルツィット(OLTCIT)についての理解もありますが、明らかにそれとはボディの違う、GSのプラットホームでの車種があったとの認識に拠りますので、 しばしご猶予下さい。--202.181.98.221 2008年3月16日 (日) 15:53 (UTC)
…ご指摘有難うございました。 精進に勉めましょうと励ましあう気持ちが有り難いですね。 …ルーマニアとの記述に関しては当方の置換わりで、チェコスロバキア(現スロベニア?)でした。UKについては、全くの記憶違いでございました。この辺りの源執筆は当方ですので、即刻訂正させて頂きます。尚、海外資料にも脚の乱れが有るようですが、下記資料添付にてお詫びとさせて戴きます。有難うございました。
Tomos-Yugoslav GS and Dyane http://www.citroenet.org.uk/foreign/jugoslavija/tomos.html
La page de la GS http://www.gs-gsa.org/?p=chrono&sp=chrono74 http://www.gs-gsa.org/?p=prod --202.181.98.221 2008年3月18日 (火) 11:06 (UTC)
3月に改訂した者です。皆様のGS研究が盛んなことに一驚を喫しました。
1)RHDのGSA1300ですが、これは西武が排ガス規制のクリアと右ハンドル化を試みて試行錯誤した末の産物ですので、れっきとした正規輸入車です。その整備をディーラーが断るということは考えられません。例え大半の修理を日産系の工場に下請けに出した等の事実があったにせよ、あるいは、販売後相当年数経過して後パーツ難からサービスを拒む事例があったとしても、「西武自販がキャブレター・点火装置の修理を扱わない」という記述は行き過ぎだと思います。
2)輸入台数ですが、ご指摘の通りGSA1300登場時点(1982年)で4400台強というCGの記述に基づいています。1975年頃のCGにはその時点で累計2000台という記事があったとおぼろげに記憶します。1985年にはBXが登場しますし、GSAはGSほど売れたという印象はありませんので(空冷エンジン・MTのみでは80年代にはさすがに販売上は苦しかったと察します)、累計10000台以上は考えにくく、6000台がせいぜいと思います。
3)関西日仏自動車は西武の特約店であると当時の広告には明記されていました。1970年頃に西武に輸入権を譲渡した東京の日仏貿易・日仏自動車との関係は知りませんが、代理店として西武と併記することはやはり適当ではありません。同社輸入販売車両の一部に一般車と違う特色があったとしても、ユーノスと西武が別個にBXやXMを輸入した1990年頃の状況とは明らかに違います。
4)デザイナーについて。GSのデザインはピニンファリーナのBMC試作車+オプロンによるシトロエン風味(目玉・リアスカート・細部処理・内装)+パナール24で成り立っていると考えれば、ほぼ隙間なく説明可能ではないでしょうか。117はもちろん同時代のイタリアンデザインですから、GSとの近似性が全くないこともないでしょうが、117に似ている車ということであれば、フィアット・ディーノ・クーペ(ベルトーネ)等、他に適当な例が多数あるのではないでしょうか。
以上4点は、再訂正させて頂きたいと思います。。(Pinot Nior 2008年3月26日 (水)0:35 (TYO)
GSA1300の排ガス対策
[編集]Pinot Nior 様、訂正ご苦労様です。3月26日の訂正、概ね支持します。 しかし、過去のCG誌を読み返して、また一つ疑問が湧いてきました。 それは、GSA1300の排ガス対策に関してです。
CG82年3月号のGSA1300パラスの記事によれば、酸化触媒、二次エアバルブ、電子制御イグニッションなどを用いた排ガス対策が、日産のアドバイスによるもの。という風に読めます。また、この記事には左ハンドル版の対策については書かれていませんが、私は、右ハンドル版と同じものだったのではないかと考えます。
その根拠は、CG83年9月号で、ルノー9と共にGSAが採り上げられた記事で、これを引用すれば「このGSAもわが国では新しいモデルである(中略)西武自販が300台という限定枠を利用して新たに導入したこの左ハンドルのGSA1300は、基本的にはヨーロッパ仕様車であり、これを簡単な排ガス対策でわが国の規制値をクリアさせたものである」とあり、私が考えるに、このモデルから(左ハンドル車には)三元触媒が採用されたのであり、それ以前は右ハンドル車も、左ハンドル車も同じ排ガス対策を用いていたのではないかと思うのです。
83年夏以降の左ハンドル車がそれ以前の物と別物であるというもう一つの根拠は、価格です。それ以前は、右ハンドル車の方が高価(十数万円)でしたが、それ以降は逆転し、左ハンドル車の方が高価になっています(CG誌の価格表では83年7月号以降)。これは、この時点で、左ハンドル車については(純粋な)日本仕様車が作られなくなったという事だと私は思っているのですが如何なものでしょう?
この件についても真相をご存知の方おられましたらご意見下さい。--220.217.105.226 2008年3月30日 (日) 07:53 (UTC)
ご指摘のとおりで、いつの間にか改編されて居りましたので、元の記述に戻しました。語記の言替え訂正は、どうぞお勧めします。
(--202.181.98.221 2008年4月20日 (日) 02:54 (UTC)
どうしても 202.181.98.221さんはシトロエンGSをジウジアーロの作品にしたいようですね。信じることは自由ですが、百科事典サイトに書き込むほど確度のある情報かどうか、もう一度考えてみてはいかがでしょう。
シトロエンGSA 1300 X-3 について
[編集]私は 1976 年式、GS Club を現在も所有しています。また、当時、日本シトロエン・クラブで会報を発刊していましたから、横浜の西武自販、上層部と良く話しをしたものです。西武自販は右ハンドル仕様を出来るだけ「解体したがった」のは事実です。修理を満足に出来ずに客に文句を言われることが多かったからです。ハイトコレクター等他に使える部品で精密、高価なものを解体 GSA から取りたくても解体屋さえ教えてもらえませんでした。話がそれましたが、X-3 方式のクーラー・コンデンサーをマフラーを移動させて装備しました。これがベストの GS(A) です。代わりのマフラーは短い直管式でした。それと多くのオウナーが苦労したのが、リターン・パイプからのオイル漏れであったことも(O リングの不良)実用的には重要でしょう。自著 DIY CITROEN GS はおおくの方に今でも感謝されています。Citroen DS--CitroenDS 2008年9月15日 (月) 14:40 (UTC)
CitroenDSさんは、シトロエン・メアリのノートでも、このシトロエン・GSの項目に対して苦言を呈していらっしゃいますが、CitroenDSさんは、豊富な知識と経験、そして、何より高い見識をお持ちのようですから、(他車のノートで)そのような事をおっしゃるならば、どうぞ御自分で本文を編集なさって下さい。ウィキペディアとはそういうものですし、その方がよほど読者の為になると思いますので、ぜひお願いします。しかし、「雑誌とは、ばれなければよいと思っている」というのは私も同感ですが。--CQV 2009年2月1日 (日) 11:26 (UTC)