ノート:サン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院
歴史的事件の順番について
[編集]「歴史」の項、(a)西ゴートの修道院→(b)荒廃→(c)アルフォンソによる再建・新堂建立(913)→(d)マイウスの写本制作(10世紀)→(e)マンスールによる荒廃→(f)復興、鐘楼建立(1050)という順番にとれますが、マンスールの在位は754-775で時代が合いません。(e)は本来(b)に入るべき事件ではないでしょうか。 Hibiki-c(会話) 2016年4月26日 (火) 16:55 (UTC)
- アル=マンスール違いと思われます。宰相で同名のがいて、それが猛威を振るった時期があったはずです(なのでリンクはってないです。)。詳しくはこの辺詳しい方に聞いてください。それにしてもこの辺に興味有る方がいてうれしいものです。もうちょっと時間取れるようになったらちゃんと回答してもいいです(必要であればレスください。週末には時間取れると思います。)。--Mizuhara gumi(会話) 2016年4月27日 (水) 13:19 (UTC)
- 不勉強失礼しました。レコンキスタの項目を参照したところ、10世紀後ウマイヤ朝の宰相でのちにアル=マンスール・ビッラーを名乗ったムハンマド・イブン・アビー・アーミルの記述があり、納得しました。僕のような素人には、「アル=マンスール」(勝利者)という語が一般名詞・称号だということがわからないので、補足のため個人名を補う編集をしました。ムハンマド・イブン・アビー・アーミルの記事をどなたかご執筆いただけるといいのですが。Hibiki-c(会話) 2016年6月8日 (水) 19:27 (UTC)
- 過去にマンスールの改稿に際して参照した資料([1])とポルトガルの歴史のイスラーム勢力のイベリア半島進出についての箇所の加筆で参照した資料には、「マンスールの治世のアッバース朝がイベリア半島に遠征/派兵した」旨の記述は確認できないため、他のマンスールなんじゃないかなと思います。--オオミズナギドリ(会話) 2016年6月8日 (水) 13:08 (UTC)
- ありがとうございます。ご指摘の通りです。Mizuharaさんへの返信をご参照ください。Hibiki-c(会話) 2016年6月8日 (水) 19:27 (UTC)
お二方とも、コメントと記事本文への修正ありがとうございます。もうちょっと調べてからコメントしようと思ったのですが、あんまり時間あくのもアレなのでここでレスしておきます。en:Al-Mansur (disambiguation)を見ると結構色々いるようで、今回のはen:Almanzor辺りじゃないかと思います(時間がなく精査してないので違うかもしれません。。。)。覚えてる範囲では10世紀末に、今は世界遺産になっているサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(日本語版の記事が無いのに気付いた(汗))を破壊した人物です。半島におけるキリスト教の本丸まで暴れ込む無双っぷりを発揮した人物で、キリスト教徒にしてみれば災厄そのもの、イスラム勢力からすれば英雄であったんじゃないかと思います。
とりあえず来週まではまとまった時間が取れない上に、私の中での優先度は低いので記事化は控えますが、こういう人もいたんですね。ちなみに今のサンティアゴ聖堂はのちにロマネスクで再建、バロックで改築されたものです(多分)。--Mizuhara gumi(会話) 2016年6月15日 (水) 13:13 (UTC)
レオンとの距離について
[編集]冒頭部で「レオンの南東9キロメートル」とありますが、Google Mapを見ると直線距離と「道のりで30キロメートルほど」は大差ないように思えます。--Asturio Cantabrio(会話) 2016年4月26日 (火) 21:48 (UTC)
- どうも、ご無沙汰してます。Google Mapのレオン、の文字から計りましたか?レオンの市域がどれくらいかわかりませんが、出典のほうはその境界から計ったのではないでしょうか。直線距離と道のりの差がすごいのは気になってましたが、こんなもんかな、で納得してます。気になるなら削ってもいいですよ。--Mizuhara gumi(会話) 2016年4月27日 (水) 13:31 (UTC)