ノート:サウロン
概要部分について
[編集]まず概要部分にズラズラっと他の呼び名を並べるのはちょっと如何なものかと思います。この辺りはまとめて肩書部分に移すべきではないかと考えますのでそうさせて頂きたく存じます。
- 神の部分ですがヌーメノール末期に一時的に呼ばれたものであって、恒常的なものではないのでこれはどうかと思います。王であり神の部分と結合させてしまってもよいのでは?東方や南方においては「王であり神」とされ、またヌーメノール末期には「神」と呼ばれたこともあった、くらいで充分では?
- 「王の中の王」「世界の主」はサウロンの自称です。教授の文章も"サウロンが王の中の王、世界の主と自らを称していることを……"と該当部分には書かれています。しかもこの二つはアカルラベースを解説している教授の書簡部分からの抜粋なので、アカルラベースに出てくる「人間の王」や「地上の王」だけで充分だと思います。繰り返しになるだけですので。
- 「人間の王」や「地上の王」もサウロンの自称ですね。p.447には"そしてかれが今や人間の王を称し、……"とあり、"自ら地上の王を称した。"とp.474には書かれてます。
- 「万物の主」は問題があります。該当部分(p.473)を読んでみましたが、"かれは、自ら中つ国の万物の主となり、エルフを滅ぼし、できればヌーメノールの没落を図りたいと決意し、……"と書かれてるだけで、これはサウロンの目指すところであって他称でも自称でもないですよ。
- 「人間たちの支配者でもあり神」ですが該当ページを読むに"サウロンが人間たちの支配者でもあり神でもある新たな冥王に育っていくこと。"とあります。人間たちの支配者でもあり神でもある新たな「冥王」、なのですから単に冥王を修飾しているだけの言葉のように思われます。
- 5月23日に編集したIPユーザーです。
- 特に異論ありません、それで良いのではと思われます。お手数をおかけしてしまいました。--126.99.206.18 2017年5月28日 (日) 16:44 (UTC)
出典追加について
[編集]- 注釈1ですが、新版シルマリルのp.511に「tar-」の語幹はヌーメノール国王のクウェンヤ名につける尊称として用いられたとあります。またp.443で"第二十代の王が父祖伝来の王笏を受け継いだ時、かれは、アドゥーナホール、即ち<西方の王>なる名称で王位に登り、エルフ語を捨て、かれに聞こえるところでこれを使うことを禁じた。"この後クウェンヤは禁じられ(これは追補編でも触れられています)、王統譜にだけ用いられるようになり、アドゥーナイクが公用語となっていくわけです(タル=パランティアの時だけ緩和されたようですが)。アル=ファラゾーンも無理やり自分の妻としたミーリエル(エルフ語)をアル=ジムラフェルと変えさせています。ですからヌーメノールの捕虜としてやって来たサウロンが、クウェンヤ名であってなおかつ、ヌーメノール王の尊称の付いたタル=マイロンを名乗っているというのは異常なことなのです。
- 注釈2について。まず書簡#211ですがRhona Beareというファンの方にトールキン教授がお手紙を書いたものでありまして、そこには"14 October 1958 Merton College, Oxford Dear Miss Beare"と書かれていますので、書簡#211が1958年に書かれたものであることは間違いありません。そしてAkallabethの方ですがHoMeの12巻『The Peoples of Middle-earth』に「THE HISTORY OF THE AKALLABETH」やそれに関係する「The Tale of Years of the Second Age」などが収録されているのですが、該当箇所のp.148, p.177, p.246などからアカルラベースの最終稿は1951年から1954年にかけて書かれたものと見られます。またファラゾーン王と指輪の関係部分ですがこれは書簡#211のp.296のQuestion 2.に対しての教授の答えとして書かれています。
- 注釈3ですが、ガルドールの原文部分は[1]ここのリンクを貼ればいいでしょう。
- 注釈4について。トールキンの後期のアイディア(灰色の年代記)の出典ですが、[50]がまさにそれに当たるんですけど。これ以上の出典を求められてもちょっと困ります……。ちなみに中つ国wikiのクルフィンのコメント欄にも同じこと書かれてますし、他の方も確認されてます。[2]
- 上記に上げたものはあくまで一部であり……の部分ですがこれって出典必要なんでしょうか。フィンロドとの歌合戦やフアンとの戦いだとかモルゴスの悪行の全てに一枚噛んでいたとか色々ありますけど、詳細がよくわからないものを挙げ連ねる必要性がちょっとわかりかねます。
それと一つ質問なのですが、キンドル版のシルマリルはページ数合ってるんでしょうか。 当方キンドル版は持ってないのでわからないのですがページ数が4桁もいくものなのでしょうか? --暗愚丸の麻黄(会話) 2017年5月28日 (日) 06:38 (UTC)
- 返答させて頂きますが、少々長くなるので、注釈に要出典を加えた理由から述べさせてください。ウィキペディア日本語版の方針は「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と書かれています。「方針が理解できない利用者」には投稿ブロックで対処するともWP:BPで書かれていて、割りと厳しいルールだと思いますが、そういった方針の一つが「Wikipedia:検証可能性」なんですね。ここから引用しますと
- こうなっています。
- その他、「Wikipedia:独自研究は載せない」から。
一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。
二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の考察を提供するものであり、普通は事象から一歩離れたところにあるものです。二次資料には、一次資料から得た作成者の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見などが記されています。
ウィキペディアの記事は通常、信頼できる二次資料に基づかなければなりません。分析や評価についての記述は、信頼できる二次資料で公表されているのでない限り、禁止されます。
- こうした理由で要出典を加えさせて頂きました。
- 注釈1については、そう考えることはできると思います。およそ同意見です。ですが、出典が無い情報・分析は記載すべきではないし、記載しても消される可能性が常につきまといます。おそらくWikipediaで除去されても文句は言えないのは、「これは二重の意味で禁忌を犯している。」「ヌーメノールにおけるサウロンの影響力がいかほどに強かったかが窺い知れる。」といった内容です。これらは「信頼できる情報源」から公表されてはいないからです。
- 注釈2も同様でしょう。「これは後述する第二紀のアカルラベースの内容と矛盾する」は公表されている出典からの内容ではなく、問題と思われます。
- 注釈3も同様で、「(中略)という言い回しから会議参加者全員がそう共通して認識していると捉えることが出来る。」「(中略)サウロンはそれだけの力を持っていることが伺える」という部分が問題でしょう。出典に、「(中略)捉えることが出来る」「(中略)伺える」といったような記述が無いからです。
- 注釈4ですが、これの出典[50]は、どこからどこまでの文章に対しての出典なのかが判別できず、要出典を加えさせて頂きました。注釈4の全文の出典が[50]ということであれば、特に問題ないと思われます。ただ、「(中略)シルマリルの物語よりも自然な流れになっている」というのが出典からの内容なのか、暗愚丸の麻黄さんの考えなのかはお聞かせ願いたいです。
- 「上記に上げたものはあくまで一部であり(中略)サウロンの力の殆どは想像に頼るほかない。」の部分にも要出典を加えたのは、やはりウィキペディア日本語版の方針故です。
- なお『指輪物語』関連にかぎらず、「詳細がよくわからない」内容でも、信頼できる情報源があれば記載可能ではあります。しかしあまり記載しても「Wikipedia:過剰な内容の整理」の対象にされてしまうため、よくわからない内容を無理に記載する必要性は無いと思われます。
- Kindle版について。シルマリルのKindle版ページ数は全315ですが、位置No.数は全7232です。これはページ数とNo.数で数え方が異なることと、末尾のインデックス等の資料がページ数に数えられていないことが理由のようです。
- 補足:細かいことですが、今のサウロンの記事に限らずかなりのWikipediaの記事が、主な出典を一次資料に頼っているため、本来は良くありません。「Wikipedia:信頼できる情報源」という制約があるのです。
一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。
一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。
彼らが議論している分野において、修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使ってください。より信頼できるのは、学術団体が関与しているものです。もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。
- そうは言えどお前も一次資料を出典にして編集したじゃないか、というご指摘を頂くのはもっともでしょう。ただ、『指輪物語』はフィクションなので、ルールや管理者の皆様の観点からもいくらか大目に見てくださるのではないか、と思い編集しました。究極的には、信頼できる二次資料に依拠した記述でない限り、除去されないという保証はありませんが…。
大衆文化やフィクション
他のすべての記事と同様に、大衆文化やフィクションに関する記事も、信頼できる情報源による裏付が必要です。これらの分野では、その性質上、科学や法や哲学などと同レベルの学術的な資料は、それほど存在しないかもしれません。しかし、そうであっても、個人のウェブサイト、Wikiソース、掲示板やUsenet、ブログへの投稿を二次資料として使用してはいけません。この点について、英語版ウィキペディアでは、次のように述べた仲裁事例があります。
Wikipedia:検証可能性およびWikipedia:信頼できる情報源は、芸能ゴシップ等、大衆文化に関して要求される情報の信頼性について特別な規定を置いていないが、これらの分野で査読済みの研究を期待するのは現実的でない。従って、例えば "bisexual" "James Dean"をキーワードにしたGoogle検索のように相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能であり、情報の信頼性についてのコメントが含まれている場合は特にそうである。
- 返答ありがとう御座います。信頼できる二次資料(学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料)に頼るべきですというのはわかりますが、トールキン・スタディーズやトム・シッピーのような著名な研究会・研究者は欧米には豊富にいますが、日本には殆どいないのでこればっかりはどうしようもないでしょう。日本でトールキン専門にしてる学者さんは殆どいないでしょうし……。とりあえず注釈1から4については書き直すことにしようかと思います。注釈1は接頭辞tar-の説明とヌーメノールにおけるクウェンヤの扱いに留めることとして、注釈2は「矛盾する」の部分は削除し、注釈3は指摘された箇所を修正することとしましょう。注釈4の方は「自然な流れ~」の部分はクリストファー氏のコメンタリと取り替える方向でいく予定です。ただ「サウロンの力は想像に頼る~」の部分は出来れば残したい気もします。ガンダルフも「サウロンに利用できぬものはない」だとか、「サウロンになら―彼ならば何が出来るか誰にわかろう?」と指輪本編で読者の想像に委ねるような発言をしていましたし、他にもHoMe10でモルゴスの出来なかったこと(詳細は不明)を、サウロンが代わりにやり遂げたことはほぼ間違いない、といった教授の記述もあるので。--暗愚丸の麻黄(会話) 2017年5月30日 (火) 15:03 (UTC)