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ノート:コンテンツツーリズム

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記事強化のお願い

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結論

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コンテンツツーリズムの理論と実例 (PDF) を参考に記事の強化をしていただければ幸いです。

強化の必要性

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拝見しましたが、ウィキペディアの記事としては、やや不足している点があると感じました。恨みがあるわけではないのですが、気がついた点を幾つか挙げさせていただきますので、歴代執筆者の方はどうかご考慮頂き、記事の強化をお願いします。

Wikipedia:独立記事作成の目安#対象と無関係なの観点ですが、『広辞苑』第六版を調べましたが、「コンテンツ」の見出しにはコンテンツ・プロバイダーしか載っていませんでした。広辞苑の見出し語に無いから価値が無いとは言いませんが、これは『コンテンツツーリズム』が社会への認知度が十分でないと考える他に無く、うまく記事にまとめていく必要があるかと思います。また広辞苑で無視されているという事から、”少なくとも和歌における歌枕の存在までさかのぼることができる”という記載を見ると、申し上げ難いですが、これでは知らない人が見たら「大ぼら」「風呂敷を広げすぎ」「信用できない」という印象を与えてしまいます。

出典周り

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  • 最近まで出典ゼロでしたが、後に追記されましたが、定義の出典に『聖地巡礼-世界遺産からアニメの舞台まで-』が示されています。
  • 出典は、善意の利用者が追記してくれるのを待つのではなく、最初にきっちり示すべきではありませんでしたか?
  • ページ数が書いていないので困りましたが、『聖地巡礼-世界遺産からアニメの舞台まで-』の p.190 からではありませんか?
  • 恐らく、目にした本から親切にも出典をつけてくれたものと思いますが、『聖地巡礼-世界遺産からアニメの舞台まで-』の p.190 では増淵敏之の『物語を旅するひとびと-コンテンツ・ツーリズムとは何か-』から引用されているに過ぎず、『物語を旅するひとびと-コンテンツ・ツーリズムとは何か-』と別の出典があるわけではありません。

何も調べずに記事が書けたわけではないでしょうから、きっちり示すべきだったと思います。元の出典が散逸して入手不可能のような事情でも無い限り、わざわざ岡本亮輔氏が増淵敏之の書籍から引用した本を孫引きして出典に重用し続けるのはおかしい。示すなら元の本を使うべきで、せっかくつけてくれた『聖地巡礼-世界遺産からアニメの舞台まで-』ではありますが、こちらは外すべきでしょう。もし増淵敏之氏の書籍のどれかと、それを引用した岡本亮輔氏の書籍の両方を載せるのであれば、増淵敏之氏が言っているに過ぎない事なのに、岡本亮輔氏の書籍にも出典があるかのように見せてコンテンツツーリズムの権威付けに利用していると判断されるでしょう。

増淵敏之の視点に偏り過ぎ

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増淵敏之氏の記事には「近年ではコンテンツツーリズム学会を発足させるなど、コンテンツツーリズム領域での活動が活発化している。」と書かれており、またコンテンツツーリズム学会会長でもあり、コンテンツツーリズムの著書もあります。しかし、コンテンツツーリズムが、いわば「増淵敏之とその仲間達」だけの物であったり、その見解や言い分のみが記事に載っているなら、特筆性として十分でしょうか。これですと「コンテンツツーリズムは増淵敏之が提唱して流行らせようとしている言葉に過ぎないのでは」と言う印象を与えます。

中立的な観点からも、増淵敏之氏の視点以外からのコンテンツツーリズムに対する言及がどうしても必要です。いわば増淵敏之氏はコンテンツツーリズムに関しては「当事者」のような立場であるので、これでは江戸しぐさを、NPO法人「江戸しぐさ」の越川禮子氏が著した書籍を元に書いて ==外部リンク==にNPO法人「江戸しぐさ」を載せた物と大差はありません。起源に中世を語るなら、「中世の旅は実はコンテンツツーリズムだったのです」みたいな事ではなく、旅行が「コンテンツツーリズム」という名前で呼ばれている中世に書かれた文献を示せないなら、銀ぶら#語源の異説のようなものですね。

現状の記事の問題点

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コンテンツツーリズムの具体的な起源は明らかになっていないが、少なくとも和歌における歌枕の存在までさかのぼることができる。中世以降も紀行文を中心として、さまざまな媒体で「物語」と「旅」が結び付けられていく。十返舎一九による『東海道中膝栗毛』は、滑稽本としてだけでなく伊勢参りのガイドブックとしての役割も果たした。

これは『物語を旅するひとびと-コンテンツ・ツーリズムとは何か-』のp.29-30 の内容ですね…ところでこういうのは、私が突き止めるべき内容でしょうか、記事の書き手が最初に出典を書くべきでしょうか。とにかくこの記述がウィキペディアにあると、記事を読んだ人が「コンテンツツーリズムは酷い偽歴史を起源に主張している」と反感しか買わないのでは。コンテンツツーリズムの理論と実例 (PDF) では、「例えば増淵敏之は、江戸時代の人々が、松尾芭蕉(1644-94)が俳句を詠んだ地を訪れた行為を、初期のコンテンツ・ツーリズムとして論じている(増淵 2010: 29)」とあって、これは、事実であるはずが無いけれど増淵はこのように盛って主張していると論じているに等しいでしょう。

これは判断が難しいですが、もしウィキペディアに書いたら、「独自研究!」「要出典!」と反感を買うこと間違いなしの根拠無きトンデモな主張が出版された本に載っている。だったら「これは出典があるのだ」と言えるかどうかという問題です。やはり、本に、全体としては有用だが間違いやトンデモな内容が書かれている箇所もあったら、その箇所はうまく見極めて処理するのが書き手の技量の見せ所であり、今の記事のままですと、まるで増淵敏之氏の見解の宣伝のようになっていて、結果的に記事がトンデモになっています。

大衆映画の流行やテレビの普及をきっかけとして、映像作品のロケ地を訪れる観光が行われるようになる。20世紀以降の日本では、メジャーな観光形態となっている。

増淵敏之の本ですよね。でも、「1901年(=20世紀の開始年)に大衆映画が流行しテレビが普及していて映像作品のロケ地を訪れる観光がメジャー」だったと、本当にお考えですか? つまり、増淵敏之が本に書きさえすれば、事実である筈が無い事でも全て事実になり、これをウィキペディアに出典のある内容として書くべきでしょうか。

2000年には大阪市に日本初のフィルム・コミッションが設立された。

リンクを見ましたが、フィルム・コミッションが設立された事とコンテンツツーリズムは無関係ですよ。コンテンツツーリズムに関して何ひとつ言及していないサイト (site:www.osaka-fc.jp コンテンツツーリズム、にて確認) を、コンテンツツーリズムの記事の出典に見せかけるのは、いかがなものでしょうか。

2000年代半ば以降、漫画やアニメの舞台と比定されるモデル地を宗教上の聖地になぞらえた「聖地巡礼」が流行し、メディアにも取り上げられるようになった。

確かに、現状ではコンテンツツーリズムは巡礼 (通俗)と何が違うのか、記事を統合すべきではないかという印象しか受けません。おおかた「増淵敏之とその仲間達」ですと、コンテンツツーリズムは巡礼 (通俗)フィルムツーリズムも含んだもっと上位の概念だ! のような事を言いそうですが、「また始まった」としか感じません。

「コンテンツツーリズム」という用語の初出は、国土交通省・経済産業省・文化庁の3省庁による「映像等コンテンツの制作・活用による地域振興のあり方に関する調査報告書」内に見られる。この報告書は2005年に発表された。

これですと逆に、「コンテンツツーリズムの名称と概念は高々2005年あたりから使われたに過ぎない」と解釈されるでしょうね。

英語として通じるのか

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冒頭に「コンテンツツーリズム(Contents tourism)」とありますが、"Contents tourism" は英語圏にて、『コンテンツツーリズム』の記事に書かれているような意味で用いられているのを確認できませんでした。ウィキペディアの英語版にも該当する記事がありません。en:Pop-culture tourism (巡礼 (通俗)へリンク) ならありましたが。英語として通用しない和製英語を英語みたいに書くのはいかがなものでしょうか。一方 film induced tourism は、英語版では記事にありませんが、英語としては通じるようです。

  • "Contents tourism" で検索すると、北大の客員教授と思われる人の Contents Tourism Project Publications List がありますが、逆に「ちゃんとした英語ではない」「海外では通じない」という印象を受けます。

改善案

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現状ですと、外部リンクへのSEO対策目的並みかつ増淵敏之の私論の宣伝のようになっていて、到底事実とは思えない胡散臭い内容ばかりです。私もコンテンツツーリズムの理論と実例を見るまでは、本記事は特筆性無しで削除依頼にしたほうが良いのではと思っていました。コンテンツツーリズムの理論と実例の方が増淵敏之氏の主張より道理にかなっており、本記事もこちらをメインに再構築すべきと思います。その際は

  • コンテンツツーリズムの政府機関、自治体の取り組み。「site:go.jp コンテンツツーリズム」などでも見つかります。
  • コンテンツツーリズムが社会に与える影響。どのように社会に役立っているか。経済効果など。
  • 新聞等でコンテンツツーリズムが取り上げられている事

を中心に記すと良いと思います。新聞では、見た範囲では

あたりでしょうか。もっとも学会が注目とは言っても、その内容が、増淵敏之氏が立ち上げた学会が「コンテンツツーリズム」を連呼しましたというだけなら意味無いですが。

経済効果は金額で示せると効果大ですが、益若つばさの経済効果は100億円、の類なら書かないほうがいいでしょう。記事を見た人がコンテンツツーリズムとは何かが判りる、コンテンツツーリズムで町興しを考えている地方自治体が調べ物をするきっかけになる、コンテンツツーリズム関係の仕事に従事している人が、「私達の仕事が認知された」と微笑んでくれるような内容ならベストかと思います。

補足

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  • 『物語を旅するひとびと-コンテンツ・ツーリズムとは何か』 pp.29-31 の起源からは書いたらダメですね。こう言っては何ですが、事実や客観性が求められるウィキペディアでは「炎上」するだけ。「こういう事を言っても暖かな見てもらえ通用してしまう、事実かどうかが重要視されない分野もあるのか」と思うほかありません。この本から使い物になる箇所を探して記事を書くのは相当の力量が要りますね。私でしたら、パッと見て2箇所以上の間違いが見つかるような本などは一切、出典に用いません。
    • おおかた、「町興しをする必要があり、コンテンツ・ツーリズムを検討せよと言われた。増淵さんの主張はアレな部分もあるが、推進派の急先鋒・広告塔のようなものだから、おかしな点も批判しづらい」といった場合が考えられますかね。私は、「なぜコンテンツ・ツーリズムを推進するのに偽歴史の起源を唱える必要があるのか理解できない」と思います。現状、本記事はその「偽歴史ばかり前面に押し出されている」ので、正直、このまま改善されないのであれば、仮に誰かが削除依頼を出した場合、賛成寄りのコメントをする事もあり得ます。ウィキペディアに偽歴史など必要ありませんので。
  • 『物語を旅するひとびと コンテンツツーリズムとしての文学巡り』は、ここから書くに資する内容はありません。旅をしたというだけだから。
  • 表記は「コンテンツ・ツーリズム」でなくていいのですか? 書籍によっても表記が揺れてますけど。
  • 根性で『コンテンツツーリズム入門』ISBN 9784772231633 も見ましたが、アニメの聖地巡礼関係の内容ばかりですね。コンテンツツーリズムの実態がアニメの聖地巡礼なら、記事を統合してはという意見も出そう。

乱文失礼致しましたが、どうかよろしくお願いします。--114.181.36.77 2015年4月25日 (土) 08:22 (UTC)[返信]

  • コメント ノートページの更新に気付きませんでした。ご提案に対するコメントが遅くなり申し訳ありません。詳細にわたりご指摘いただきましてありがとうございます。Wikipediaにおいて新規記事を執筆するということを、少々安易に考えていたのかもしれません。その点お詫び申し上げます。記事強化についてですが、少しお時間をいただけないでしょうか。一歩一歩、改善していきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。--コンテンツツーリスト会話2015年5月18日 (月) 15:17 (UTC)[返信]