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ノート:コンスタンティノープル包囲戦 (674年-678年)

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翻訳についての注記

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本日英語版の加筆により全面改稿を行った者です。力不足で2点ほど不完全な部分が残ってしまったため、ここに記録しておきます。まず、アラビア語人名についてカタカナ転写に自信が持てなかった部分は、英語表記のままにしてあります。もう1点は文化的影響の節の、ヘンリー・ユールの文献に見られるという「Yenyo」についてです。Wikisourceを使って旧唐書・新唐書の拂菻・大食の記述を確認したのですが、このYenyoにあたる人名がどこにあるのか、漢字表記は何なのか特定できませんでした。もし詳しい方がいらっしゃれば、以上2点について修正してくださると助かります。--McYata会話2020年7月21日 (火) 09:24 (UTC)[返信]

コメント 『旧唐書』拂菻国伝と『新唐書』拂菻国伝、出典にリンクされていたユールの『中国および中国への道(Cathay and the Way Thither)』、及び英語版記事を見てみました。ユールの言う「Yenyo」は『旧唐書』にある「因約」ではないかと思いました。固有名詞ではなく「因りて約し」と読んだほうが自然だと感じましたので、この部分はユールの誤読ではないかと思いました。McYataさんは疑問点に提示されておりませんが、大食の指揮官「摩拽伐之」はユールの著書では「摩拽」となっていました。『新唐書』の記述からも「之を伐ち」と読んだほうが自然だと感じましたので、この部分は英語版編集者の誤りではないかと思いました。
Infoboxのウマイヤ朝将軍名は、コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)の表記などから「スフヤーン・イブン・アウフ」「グナダ・イブン・アブー・ウマイヤ」「ファダーラ・イブン・ウバイド」が適切なのかなと感じました。アラビア語人名は表記揺れがあるので難しいですね。--F.M.H会話2020年7月24日 (金) 09:56 (UTC)[返信]
返信遅れてすみません。調査ありがとうございます。なるほど「因約」ですか!もしユールが誤っているなら何とか修正したいところですが、使える文献があるかどうか・・・。摩拽については、出典となっているウェブページを再確認したところMo-iとだけ書かれていたので、「伐之」を削りました。またアラビア語名も一応F.M.Hさんの提案に基づき日本語にしておきました。--McYata会話2020年8月11日 (火) 10:54 (UTC)[返信]
コメント 誤りの可能性が大きいのであれば、一旦除去して、これを誤りとする出典が見つかり次第改めて加筆するのはどうでしょうか?--ネイ会話2020年8月23日 (日) 12:43 (UTC)[返信]
コメント 確かに表に出しておくのは危険と考え、該当部分を一旦除去しました。またこれに伴い、同出典に基づいて書かれているギボンの記述も脈絡を付けられなかったので除去しました。これを改めて記事上に書く場合は、別のセクションで、ユールからの孫引きでなくギボン本来の記述を出典として用意するのが良いと思われます。--McYata会話2020年8月24日 (月) 14:37 (UTC)[返信]