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ノート:コンキスタドール

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アジアは?

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記事名から考えると、フィリピンをはじめとするアジア各国を訪れた探検家も含める必要がありませんか? あるいは「新大陸」等、地域条件を付けた記事名に改名しましょうか? 御意見お願いいたします。--Panpulha 2006年11月28日 (火) 09:59 (UTC)[返信]

そうですねえ。英語版ではアジア・太平洋地域を舞台としたものも含めるように書いてありますが、スペイン語版では「アメリカ大陸の大部分」と冒頭にあるものの、あとの方のリストにはレガスピその他の名前があります。少なくとも広義ではアメリカ大陸に限らないんじゃないですか? --Ypacaraí
Ypacaraí様のご意見にもある通り、es:Anexo:Conquistadores españolesにはレガスピたちフィリピンFilipinasを探検したコンキスタドールも含まれています。特に新大陸の探検家たちと区別する必要もないように思えますし、一週間ほどたって異論がないようでしたらフィリピンのコンキスタドールもリストに加えたいと思います。--Eneasmarquez 2008年11月10日 (月) 11:11 (UTC)[返信]
加筆しました。--Eneasmarquez 2008年11月18日 (火) 15:09 (UTC)[返信]

遠征の目的

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  • 「キリスト教の正義の名においてアメリカ先住民を教化するという大義名分のもと、領土拡大を行いアメリカ大陸の固有文明を破壊し搾取し、黄金を略奪した」
    • 彼らの渡航を許し、あるいは派遣した王や政府や総督の意向はそうだったろうけど、自分の意志で渡航したほとんど全てのコンキスタドールは金銀を奪って一財産を築き、故郷に錦を飾る、ないし一国一城の主になること以外何も考えていなかったんじゃないかと。 --Ypacaraí 2006年11月28日 (火) 10:46 (UTC)[返信]

一方的にコンキスタドールを断罪する記述に疑問

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一方的にコンキスタドールを批判する記述に疑問を感じます。
彼らはインディオたちを人身供犠などを掲げる残酷な旧来の宗教の因習や鞏固な身分制から解き放した解放者であり、福音の伝道者である側面も批判と同様に強調すべきでしょう。もう少し客観的な記述をお願いします。
北米を含めた社会・文化・科学技術の多くをヨーロッパ人がもたらしたものである面も否定できないと思います。歴史にもしもという言説は意味がないことかもしれませんが。もしインディオだけがヨーロッパ文明に接せずに新大陸に存在したら、宇宙開発は言うまでもなく、恐らく鉄道一つ設置されることはなく、太陽を昇らせるためにいまだに人身御供で多くの人々が毎日殺されていたかもしれません。インディオの固有の文化にはこのような人権思想、人間の命の尊重といったキリスト教に端を発する近代民主主義に特有の概念は殆ど存在しなかった事実にも目を向けてください。インディオの一般庶民にとって自分たちの同胞の王族や貴族による搾取と弾圧も、ヨーロッパ人によるそれも同様に憎むべきものであったはずです。少なくとも無知蒙昧な宗教行事で毎日多くの人命が失う悲劇はヨーロッパ人が来なければ続いていたと解釈すべきでしょう。--人権 2010年7月5日 (月) 19:39 (UTC)[返信]

(差分 | 履歴) . . コンキスタドール‎; 10:41 . . (-498) . . Tiyoringo (会話 | 投稿記録) (内縁的な扱いに限定されず性奴隷 として慰み者になった女性もいるはずであるため修正、批判的評価の脚注に肯定的評価は不適切なため除去、注目すべきであろう。[誰?] にあたるた) ←「いるはず」という不覚的な記述は独自研究と解さざるを得ないでしょう。ある集団の個人の犯罪行為を以てその集団の性質を悪と規程してしまう考え方に危険なものを感じます。--人権 2010年7月11日 (日) 02:21 (UTC)[返信]

コメント コメント依頼から来ました。--禁樹なずな 2010年7月11日 (日) 07:34 (UTC)[返信]

  • 中立的記述を目指されるのはよいのですが、残念なことに上記の人権さんの主張自体が中立的でないように見受けられます。とりあえず話をメキシコに限りますが、アステカ#スペインによる征服によると、先住民族の人口は征服後の100年で90%くらい減少しているので、人的損失だけを考慮するなら「無知蒙昧な宗教行事で毎日多くの人命が失う悲劇」をつづけていたほうがマシでしたよね。
  • 以前の記事はほとんど出典がなかったので、その点は人権さんの努力で改善されたと思います。でも2分に一回投稿するのはかんべんしてください。履歴を見るとオール人権状態です。
  • 履歴欄にはあまりたくさん書けませんから、Tiyoringoさんの言葉が足りないように思えても、そう責めないでください。内縁の範疇には入らない、ヨーロッパ人男性によるアメリカ原住民女性に対する性的搾取について、出典もなく記載するのが問題なのでしたら、ここで少し挙げておきましょう(女性側の同意を得ている例も知っていますが、それを挙げていないからといって中立的でないとは言わないでくださいね)。
    • 身重の女は奴隷として高く売れるので、精一杯多くの女をはらませようとしたと自慢げに語る男の話 : ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
    • とある戦闘中に捕まえた女が、いくら口説いても受け入れてくれないので、犬の群れに投げ与えた隊長の話 : ディエゴ・デ・ランダ『ユカタン事物記』
    • 夫を縛り上げてベッドの下に放り込み、そのベッドの上で妻とともに寝る鉱山監督の話 : ドミニコ修道会士による報告(1516年)

コンキスタドールの英語版を読むと殆どインディオが疫病で死亡していくさまを描いています。コンキスタドールにとって労働力として必要であったインディを故意に大量に殺していくことは理屈の受けからもありえそうにありません。例えば労働者として導入した黒人奴隷は数を減らすどころか増やしてきた事実を見れば、征服後の100年で90%くらい減少した理由はヨーロッパから持ち込んだ疫病が主因でしょう。

アレクサンダー大王の東方遠征の昔から権力や財を持っている集団とそうでない集団が出会えば前者の男性が後者の女性を公認未公認を含めて一方的に配偶者とする割合が高いのは現代も含めて余の常で、もちろんコンキスタドールの中には女性に不埒な行動に出たものがいたことは想像に難くありません。しかしながら、それらをサンプルに集団そのもののスタンダードと決め付け断罪することはすべきではないでしょう。
例えばベトナム戦争中韓国人兵士がベトナムの女性を陵辱した事件がありました
<<南北ベトナム軍やアメリカ軍と同様に、韓国軍兵士によるベトナム人住民虐殺や強姦も起こった。生存者の韓国軍の行為に関する証言で共通な点は、無差別機銃掃射や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などが挙げられている。[21]、また韓国人とベトナム人女性との間に多数の韓越混血児が生まれたことが確認されている。>>
それを根拠に韓国人やアメリカ人の男性を強姦魔の集団を記すことの誤りを想像してみてください。 --人権 2010年7月11日 (日) 14:37 (UTC)[返信]

ここで断罪という言葉を使っているのは人権さんご自身であることをご留意ください。ほかの方々は存じませんが、禁樹なずなは「純真無垢なインディオを、悪辣非道なスペイン人が苦しめた」と書きたいわけではありません。ラス・カサスではないのですから。
スペイン人がもたらした破壊に関する記述が際立って多いように見えるとしたら、それはただ単にスペイン人がもたらした破壊が際立って多いからです。わざとそうなるように偏って書こうととしたわけではありません。1次資料を書いているのはほとんどが同じスペイン人ですし、場合によっては実行者当人だったりしますので、仕方のないことです。これは報告された事実ですから、真面目な歴史の記事を仕上げるには書かないといけません。
でも、スペイン人が他国人に比べて特に残虐というわけではありません。彼らは大規模破壊が可能な場所へ可能な時期に来てしまったのであり、他の人にはその条件がそろわなかったというだけのことです。スペイン人への誤解や偏見を防ぐためには、そうした経緯の説明も必要です。中立的に書くとは、そういうことです。
しかしながら、人権さんはスペイン人の功罪を1 : 1で書こうとしています(ですよね)。これは中立的ではありません。記事に取り上げる事象の取捨選択に編集者の価値観が如実に現れるからです。誤解されないように気をつけた上で事実を書き記し、判断は読者にゆだねる形のほうがよいと思います。--禁樹なずな 2010年7月11日 (日) 20:56 (UTC)[返信]
疫病死について
アメリカ先住民族の人口減少の最大要因は疫病であり、スペイン人による直接の殺害ではない。これは本当です。彼らはわざとそうしたわけではなく、たまたま病気が広まってしまっただけです。
でも「労働力として必要だったインディオを故意に大量に殺していくことは理屈の受けからもありえそうにありません」というのは間違いです。最初の100年、つまり征服初期には、誰もそんなことは気にしていません。住民が全滅したら、別の地域を征服すればいいのですから(ひどい重税で住民がいなくなったり、人口が激減したりした話 : モトリニーア『ヌエバ・エスパーニャ布教史』)。
それに、疫病には本当に人為的な原因がないのか疑わしい面もあります。重労働で心身が弱っていれば、それだけ罹患しやすくもなるでしょう(フワン・バウティスタ・ポマール『テスココ報告』)

禁樹なずなさんにお願いしたいことがあります。

  1. 個々の発言に署名を付けてください。
  2. 示されたフワン・バウティスタ・ポマール『テスココ報告』) などはどこから確認されたのか出典元を記してください。

これはお願いではありませんが。 >>スペイン人の功罪を1 : 1で書こうとしています(ですよね)。これは中立的ではありません。」>> という記述の意味が分かりません。--人権 2010年7月12日 (月) 00:48 (UTC)[返信]

お願い1について : 署名の位置がわかりづらかったですね。これは改めます。
お願い2について : ツヴェタン・トドロフ『他者の記号学』(法政大学出版局)p.187
お願いではないことについて : 以下の文章は、あくまで人権さんの編集を見て個人的に感じ考えたことに基づくものです。もし誤解があっても、悪意があるわけではないことをご理解ください。
Wikipediaでいう中立的な観点とは「事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書くこと」であり、事実とは「特に深刻な論争の種になっていない情報」です(WP:NPOVより)。仮に、スペイン人にまつわる破壊についての記述が大量に書かれていたとしても、信頼できる情報源に基づいているなら問題ありません。特定の立場を支持しているわけではなくて、実際に起こった出来事の反映だからです。
編集初期の段階では人権さんの「コンキスタドーレスは責められ過ぎ」という意思がひしひしと感じられ、しかもその時点ではあまり出典が付加されていませんでした。それであたかも、「1 : 1」になるように、スペインが悪く見える記述の量を減らしたがっているように見えました。編集姿勢に異論が出たのはそのあたりに原因があるのだと思います。
今は人権さんががんばってくれたおかげで検証可能性が向上したので、もはやこの点について難を述べようとは思いません。コメントを終了し、離脱いたします。--禁樹なずな 2010年7月12日 (月) 02:37 (UTC)[返信]

了解いたしました。ご丁寧なご返事ありがとうございました。--人権 2010年7月12日 (月) 02:40 (UTC)[返信]

資料について

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2010年7月20日 (火) 17:37 Klobis氏により、出展が必要とのテンプ[1] が張られましたが、本ページに関してはくどいほど資料はクロスして示してあります。したがってテンプの添付それ自体に疑問を感じます。--人権 2010年7月20日 (火) 21:38 (UTC)[返信]

テンプレートを貼り付けられたのはKlobisさんによる編集ではなく、人権さん自身による7月11日の編集ですが。何故事実とは異なることをノートに記述するのでしょうか。--Tiyoringo 2010年7月21日 (水) 03:57 (UTC)[返信]

こちらの勘違いでした[2]、出典加筆自体を私が十分に行ったのですから添付それ自体を外しておきます。--人権 2010年7月21日 (水) 07:40 (UTC)[返信]

出典の正確性、適切さなどの問題

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何と言いますか、始まりは「彼らは中南米の先住民にとっては固有の文化の破壊者であったが、今日のラテンアメリカの文化の創造者でもあった」という記述の出典でした。出典とされているgooglebooksを見たのですが、ご丁寧にも指定されているページおよびその前後ページを見ても、それらしき記述が見つかりませんでした…。(単に私の英語読解力が足りないだけかも知れませんので、見つけた方は教えて下さい。)

そこからこの記事全体に対して疑問が湧き、出典とされる書籍の内、染田秀藤(他)監修『ラテンアメリカの歴史 : 史料から読み解く植民地時代』(世界思想社、2005年)と、Pico`n-Salas, Mariano. 1944 De la conquista a la independencia.の邦訳を見て、記事本文と突き合わせました。その結果、以下の問題が出てきました。ものすごく長いですがご容赦下さい。

1:染田秀藤(他)2005『ラテンアメリカの歴史』によるとされる記述

  • 「邪教から先住民を救い、福音に触れさせることで彼らを改心させようとする崇高な意図に基づくものであったが」

頁が指定されていないこともあり、直接そう書かれている記述を確認できていません。この本は大量に一次資料を引用しているので、或いは一次資料のどこかにまぎれているのかも知れません。

  • 「ペドロ・マルティルは修道士が布教の段階で先住民の人食の習慣の犠牲となった事を報告している」

同書87頁には一次資料として、ペドロの書簡が引用されています。これは別の修道士トマスの書簡をペドロが要約したものです。この書簡については、トマスが先住民の反乱で宣教師やスペイン人入植者が殺されたのを目撃し、そこから「先住民の性格は以下の通りであり、自由を享受するに値しない。」(同書87頁から引用)と結論付けたものと同頁で解説されています。
肝心の書簡には「先住民は人肉を食する」とは書かれていますが、「修道士が食べられた」とは書かれていません。しかも書簡の解説文にも、修道士が食人の犠牲になったとは書かれていません。つまり、少なくともこの頁からは「修道士が布教の段階で先住民の人食の習慣の犠牲となった」という結論は出てきません。

  • 「インディオの習慣にスペイン人たちは強い嫌悪感を感を抱くようになり(ママ)」

同書34頁にはそのような記述はありません。

  • 「イザベル女王は、先住民の奴隷化に強い懸念を示し、神学者や法学者のアドバイスに従い、正当な理由なくスペインに送られてきた先住民の奴隷の解放・送還を命じている」

同書34頁には確かにその記述がありますが、しかし続きがあります。大まかに言うと、スペイン人に「反抗的」で「食人の習慣がある」とされた先住民については奴隷化を許可した、という点です。更に言うと、同書29頁にも先住民に「食人するカリベ人」なるレッテルを貼る事によって、スペインは先住民の奴隷化を正当化し、収入増と植民者の不満解消を図った、とあります。文章の構成としては、29頁が主で34頁が従(一次資料の紹介)です。

  • 「アルカンタラ騎士修道会のオバント総督はエンコミエンダ制の導入を求め、イザベル女王に承認を得た。このように現地のコンキスタドールもやがて先住民に対する労働条件の改善を図っていくようになった」

同書35頁には、オバンド総督イスパニョーラ島総督)がエンコミエンダ制の許可を得たと書かれてはいますが、労働条件改善については何ら書かれていません。また同書29頁には「エンコミエンダ制は奴隷制と変わらなくなった。」「ラス=カサスは、オバントが統治した8年間にエスパニョラ島の人口の9割が死滅したという。」(同頁より引用)とあります。どうして記事ではこういう点に触れなかったのでしょうか。

2:Pico`n-Salas, Mariano. 1944 De la conquista a la independencia.(『イスパノアメリカ文化史』)によるとされる記述

Pico`n-Salas, Mariano. A1944 De la conquista a la independencia.は、G・アンドラーデ、村江四郎訳『イスパノアメリカ文化史』河出書房新社、1973年として邦訳が出ています。そちらを参照したところ、以下の問題が出てきました。

  • 「インディオが自身に課せられた~留意すべきであろう。」

頁数が指定されていませんが、恐らくは同書43-44頁(に該当する原書の部分)を参照して書いたのでしょう。

  • 「彼らはインディオの文化を破壊~ただしインディオの固有文化は~ラテンアメリカ文明と形作ることになった。(ママ)」

頁数も指定されておらず、またあまりに漠然とした記述のためどこを参照してそう書いたのかよく分かりません。

  • 「その歴史への評価は、スペイン人がインディオに与えた様々な恩恵は、彼らから奪った金銀を遥かに上回るといった解釈が一般であったが」

註26でスペインの歴史家と紹介されているロペス・デ・ゴーマラは同書51頁によると、16世紀の歴史家、しかもコルテスの秘書だそうです。 同頁によると、ロペスはラスカサスら当時の反征服派に反論して、スペインはインディオに家畜や鉄、ランプ、通貨などを教え、「こうして、彼らは征服を受けることにより救われ、キリスト教徒になることによって幸せになったのである。」(同書51-52頁より引用)と主張したそうです。繰り返しますがロペスはコルテスの秘書であり、コンキスタドールそのものか、それに極めて近い立場の人間です。
註27に出てくるメキシコの歴史家ルーカス・アラマーンは同書52頁によると、19世紀の人物とのことです。ロペスよりはまだ中立性があるかも知れませんが、20世紀、21世紀の学説を挙げずにこういう説のみを挙げて「一般」とするのはかなり不自然です。De la conquista a la independencia.に最近の説が載っていないというなら余所から探すべきでしょう。

  • 最後にDe la conquista a la independencia.(及び『イスパノアメリカ文化史』)の性質について個人的に思う所はありますが、自分はラテンアメリカ史の専門ではないので敢えて言及はしません。
コメント リバートに積極的な反対はいたしませんが、人権さんの手が入る前の版は出典の明示されていない貧相な状態ですので、戻しても改善となるかは疑わしいです。むしろ現状のように内容への注意を促すタグを張って、有意な修正を待ったほうがよいのではないでしょうか。別件を抱えているため、自分で加筆する余裕がないのが残念です。--禁樹なずな 2010年8月11日 (水) 12:42 (UTC)[返信]
(賛成)コメント依頼から来ました。当分野の編集にはかかわっておりません。確かに人権氏の手が入る以前の内容は現在より貧相に見えるのかもしれませんがここまで多くの問題が指摘される状況で氏の書かれた内容を表に残すのは疑問です。記述を残すというのはつまるところその記述が読者の理解に役立つことがという期待できる前提があると思うのですが、誤った理解を広める可能性が高いなら間単に読める状態で存在していること自体が害でしょう。私には少なくとも記事の文章だけなら理路整然としたものに見えるためある程度は信じるに足る内容が書いてあるのように見えてしまいます。有意な修正を待つとしてもそのために今の記述が残っている必要は無いと考えます。--アト 2010年8月15日 (日) 11:31 (UTC)[返信]
お二方ともコメントありがとうございます。報告が遅れましたがこの件はコメント依頼に出しております。とりあえず今月いっぱい位はコメントを待ちたいと思います。--ポコポコ 2010年8月18日 (水) 12:49 (UTC)[返信]

コンキスタドール以外にもエンコミエンダ制, マリンチェ, スペインによるアメリカ大陸の植民地化, フランシスコ・ピサロ, アステカ, エルナン・コルテスに人権氏による同様の観点からの編集が含まれているように思います。ご確認いただけますでしょうか。--Tiyoringo 2010年8月18日 (水) 14:39 (UTC)[返信]

エンコミエンダ制スペインによるアメリカ大陸の植民地化(良質な記事に選考済)はikedat76さんによって修正がなされました。マリンチェは私が差し戻しいたしました。--Tiyoringo 2010年8月21日 (土) 08:43 (UTC)[返信]

利用者:人権による編集内容

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(編集競合しましたがそのまま再投稿します)

上記にてTiyoringoさんご指摘の記事につき、ひとまず3記事だけ、利用者:人権による編集内容をまとめました。利用者:人権による変更部分は編集前・編集後の双方に下線で示し、加筆の場合は編集前を「(なし)」と表記してあります。当初、すべての記事につき、まとめようと考えていましたが、以下の3記事についてまとめるだけでも充分にパターンが把握できるように思えたため、それ以上はやっていません。なお、すべて差し戻しました。

エンコミンダ制

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編集前 編集後 差分
(なし) アルカンタラ騎士修道会のオバント総督はエンコミエンダ制の導入を求め、イザベル女王に承認を得た。このようにコンキスタドールはやがて初期のインディオを酷使する方法からやがて先住民に対する労働条件の改善を図っていく方向に方針を変えていった。<ref>染田秀藤(他)2005『ラテンアメリカの歴史』 p.35</ref>。 差分

すでにポコポコさんよりご指摘の通り、染田氏の『ラテンアメリカの歴史』の記述を、文脈を恣意的に切断して参照した記述であり、残す必要は認められません。利用者:人権による編集の後、別の方による加筆がありますが(差分)、幸か不幸か明確に分離することができますので、私の一存で除去しました。

マリンチェ

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# 編集前 編集後 差分
1 現在の[[メキシコ]]では売国奴、淫売の代名詞ともいえる人物であるが、アステカの貴族の娘でありながら家が没落しマヤの領主の妾として売り払われていったという複雑な生育環境におかれていた。そのため近年のメキシコでは[[フェミニズム]]の観点から彼女に同情的な意見も見られるようになってきている。 現在の[[メキシコ]]では否定的は評価を受けている人物であるが、アステカの貴族の娘でありながら家が没落しマヤの領主の妾として売り払われていったという複雑な生育環境におかれていた。そのため近年のメキシコでは[[フェミニズム]]の観点から彼女に同情的な意見も見られるようになってきている。 差分1
2 [[メキシコ]]がスペインから独立した際にアステカ最後の王である[[クアウテモック]]が英雄視されたのと対照的に彼女は裏切り者の代名詞とされた<ref name="ito"/>。 [[メキシコ]]がスペインから独立した際にアステカ最後の王である[[クアウテモック]]が英雄視されたのと対照的に彼女は否定的評価を受けた<ref name="ito"/>。 差分2

「売国奴、淫売」「裏切り者の代名詞」といった強い批判の語を「否定的評価」という語に置き換える編集です。間違ってはいないかもしれませんが、積極的に残す価値があるとは理解できません。利用者:人権の編集に前後して行なわれた編集による加筆で、実質的に除去されているため、現時点では問題なしと考えてよいように思われます。

スペインによるアメリカ大陸の植民地化

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# 編集前 編集後 差分
1 [[ファイル:Colomb.jpeg|thumb|150px|left|[[アメリカ大陸]]の「発見」者[[クリストバル・コロン]]]] [[ファイル:Colomb.jpeg|thumb|150px|left|[[アメリカ大陸]]の「発見」者[[クリストバル・コロン]](コロンブス)]] 差分
2 トルデシリャス条約により、スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達はコンキスタドール(征服者)と呼ばれた。また、コロンが到達した地に居住していた人々は、自らがインドに到達したと思ったコロンによってインディオインド人)と呼ばれたため、以降アメリカ大陸の人々はヨーロッパ人によってインディオやインディアンといった呼称で呼ばれるようになった。 トルデシリャス条約により、スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達はコンキスタドール(征服者)と呼ばれた。また、コロンが到達した地に居住していた人々は、自らがインドに到達したと勘違いしたコロンによってインディオインド人)と呼ばれたため、以降アメリカ大陸の人々はヨーロッパ人によってインディオやインディアンといった呼称で呼ばれるようになった。
3 コンキスタドーレスの初期のアメリカ大陸での基本方針は、レコンキスタ終焉後の宗教的熱狂から来るキリスト教の布教と、入植することよりもまず黄金や財宝をかき集めることにあった。コンキスタドーレスはマヤ文明アステカ文明インカ文明といったアメリカの文明を破壊してを奪い、莫大な富をスペインにもたらした。この過程で多くのインディオが虐殺され、キリスト教への改宗事業が進み、また、インディオ女性に対する強姦が横行し、さらに、ヨーロッパ由来の疫病が免疫のない多数のインディオの命を奪った。スペインにもたらされた富はスペインの王侯貴族による奢侈や、オスマン帝国オランダイギリスといった勢力との戦費に使用されてその多くがスペインから流出した。これは後の重商主義による奴隷制プランテーション大西洋三角貿易ポトシグアナファトサカテカスミナスジェライスの鉱山からの金や銀の流出に先駆けて、オランダイギリスにおける資本の本源的蓄積の原初を担った。 コンキスタドーレスの初期のアメリカ大陸での基本方針は、レコンキスタ終焉後の宗教的熱狂から来るキリスト教の布教と、入植することよりもまず黄金や財宝をかき集めることにあった。コンキスタドーレスはマヤ文明アステカ文明インカ文明といったアメリカの文明を破壊してを奪い、莫大な富をスペインにもたらした。この過程で多くの戦いが行われ、闘いに不慣れなインディオ側に多くの犠牲を強いた、キリスト教への改宗事業が進んだ。スペイン人はインディオの女性に対しては本国の女性に対するような礼儀や紳士的態度を示さないものもいた。さらに、ヨーロッパ由来の疫病が免疫のない多数のインディオの命を奪った。スペインにもたらされた富はスペインの王侯貴族による奢侈や、オスマン帝国オランダイギリスといった勢力との戦費に使用されてその多くがスペインから流出した。これは後の重商主義による奴隷制プランテーション大西洋三角貿易ポトシグアナファトサカテカスミナスジェライスの鉱山からの金や銀の流出に先駆けて、オランダイギリスにおける資本の本源的蓄積の原初を担った。
4 スペインは南米侵略以降は暴虐の限りを尽くし、サント・ドミンゴプエルトリコジャマイカキューバなどを征服し、そこの先住民ほぼ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果ほとんどが絶滅してしまい、純血は確実に絶滅してしまい、いまでは白人と黒人で成り立っている。 スペインは南米侵略以降はサント・ドミンゴプエルトリコジャマイカキューバなどを征服し、ほぼ100万人の先住民の犠牲者が生じた。ヨーロッパから持ち込まれた病原菌に抵抗のない彼らは直接の戦い以前に疫病で多くのものが命を落としたとされる。インディオは白人および黒人との混血が進み、純血はほとんど確認できない。
5 またインカ帝国マヤ帝国アステカ帝国はスペイン人の植民地政策による虐殺またはヨーロッパからの疫病により人口が激減し、例えばインカ帝国の人口が最大で1600万人存在していたが108万人まで激減し、アステカ帝国の領域に限って言えば、征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では先住民の人口は100万程度に激減した説や2500万人いた人口が100万人ほどに激減した説もある。 またインカ帝国マヤ帝国アステカ帝国はスペイン人の植民地政策による圧制またはヨーロッパからの疫病により人口が激減し、例えばインカ帝国の人口が最大で1600万人存在していたが108万人まで激減し、アステカ帝国の領域に限って言えば、征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では先住民の人口は100万程度に激減した説や2500万人いた人口が100万人ほどに激減した説もある。
6 スペインは植民地政策でアメリカ合衆国・カナダとは比べ物にならない先住民を一掃してしまった。そのため生き残った先住民は侵略者の白人と黒人奴隷との混血が進んだ。 その一方、スペイン人は植民地政策で黒人の混血児に人権を認めなかったアメリカ合衆国・カナダとは比べ、混血児を実子として遇し、相続権もみとめた。先住民は侵略者の白人と黒人奴隷との混血が進み、人種差別が顕著であった北米とは異なり、多様な人種構成からなる豊穣なラテンアメリカ文明の担い手となった。
7 征服後、スペイン人を頂点とする厳格で抑圧的な植民地支配の体制が確立されていった。征服後の社会でスペイン人たちは圧倒的な社会的、経済的な力をもち、それを背景に多くのインディオ女性として性的関係を結ばせた。これによってメスティーソの数がさらに、増加することとなる。また、スペイン人の文化が至上のものとされ、インディオの文化は卑しく醜いものとされた。さらに、アフリカ大陸から多数の黒人奴隷が連行され、北はフロリダ半島から南はラ・プラタ川まで各地で黒人は家内労働やプランテーションでの重労働に従事した。 征服後、スペイン人を頂点とする厳格で抑圧的な植民地支配の体制が確立されていった。征服後の社会でスペイン人たちは圧倒的な社会的、経済的な力をもち、それを背景に多くのインディオ女性と神の祝福を経ない婚姻関係を結ぶものも少なくなかった。これによってメスティーソの数がさらに、増加することとなる。また、スペイン人の文化が至上のものとされ、インディオの文化は卑しく醜いものとされた。さらに、アフリカ大陸から多数の黒人奴隷が連行され、北はフロリダ半島から南はラ・プラタ川まで各地で黒人は家内労働やプランテーションでの重労働に従事した。
8 19世紀に入ると、「近代ヨーロッパ最大の哲学者」ことヘーゲルはインディオや黒人の無能さについて語り続け、近代哲学の立場から収奪を擁護した。19世紀後半には社会進化論などの様々な立場から、インディオやメスティーソ、黒人に対する収奪を近代科学によって正当化する試みが進んだ。 19世紀に入ると、「近代ヨーロッパ最大の哲学者」ことヘーゲルはインディオや黒人の無能さについて語り続け、近代哲学の立場からヨーロッパへの富の移行を擁護した[要出典]。19世紀後半には社会進化論などの様々な立場から、インディオやメスティーソ、黒人に対する収奪を近代科学によって正当化する試みが進んだ。

だいぶ分量があります。

  • 12は比較的どうでもいいように思われます。
  • 3は主として2つの文が編集されていますが、どちらの記述の仕方をとるかで全く内容がことなってきます。「虐殺された」と書くのであればコンキスタドーレスの主体性ないし行為(インディオに対する虐殺)に焦点をあてることになりますが、「闘いに不慣れな…犠牲多くの犠牲を強いた」ではなぜインディオたちが大量に死んだのか、曖昧にぼかされてしまいます。不注意であったりラテンアメリカ史について全く知識を欠く読み手あたりだと、“コンキスタドーレスとインディオが共同で戦ったけれど、闘いに慣れていないためにインディオは多くの死者を出した”かのように読んでしまうかもしれません。これは表現のブレとして許容できる範囲ではなく、誤読を誘う危険性を多分に含んだものであり、問題があると思われます。また、「強姦が横行」の言い換えが「本国の女性に対するような礼儀や紳士的態度を示さないものもいた」だとするのは全く無理のあるものと思われます。後者の「言い換え」が「強姦」を指す、などというのは(こう言っては難ですが)非常にビクトリア朝的欺瞞の感を否めません。
  • 4では全く文旨が異なっています。編集前では「そこの先住民…ほとんどが絶滅してしまい」とあるのですが、編集後は「多くのものが命を落としたとされる。インディオは白人および黒人との混血が進み、純血はほとんど確認できない」とあり、「全滅」の有無からはじまり、今日「インディオ(先住民)」がほとんど見られない理由について全く異なる説明がなされています。
  • 5では「虐殺」→「圧制」の書き換え。
  • 6は段落がほぼ全面的に書き換えられています。しかし、北米の人種差別をことさら言い立てることによって南米での先住民族差別を殊更にぼやかす記述になっていることや、「豊穣なラテンアメリカ文明」の「担い手」であるというミスリードな記述になっています。
  • 73と同じパターンです。「強姦」を「神に祝福されない…」に言い換えた次は、「妾」が「神の祝福を経ない婚姻関係」なのだそうです。こんな「言い換え」では何のことだか、全く分かるものではありません。
  • 8では「収奪」→「富の移行」の書き換え。

分量があるだけに、特徴がある程度はっきりしているように思われます。一方のサイドを強力なかたちでネガティブに表現する言葉をぼやかす、そしてそのせいで文意が不明確になり、何を言っている文なのか意味が分からなくなる。これも差し戻しの上、{{Good Article}}を貼りなおしました。

その他

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一応、残り3記事についても差分を示しますが、検討は示しません。結論から言えば大同小異のパターンであり、残す価値に疑問があります。

以上です。--ikedat76 2010年8月21日 (土) 08:57 (UTC)[返信]

差し戻しについて

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節を分けました。--ikedat76 2010年9月1日 (水) 14:23 (UTC)[返信]

皆様、ご足労をいただき大変ありがとうございます。特にikedat76さんはご検証に大変な労力を費やされたと思います。

残る本記事についてですが、人権さんが手を出す以前の記事[3]はスタブ状態であるのは事実であり、本来はきちんとした出典に基づいて再執筆をしなければ、根本的な解決とはなりません。しかしその作業はそう簡単なものではありませんし(少なくとも私にはその余裕がありません。)、また他の記事についても人権さんの編集が既に差し戻されているといった点もあります。

そこでもう一度確認したいのですが、最善の策ではない上で、この記事も一旦リバートしてよいのでしょうか。ご反対意見などがございましたらお知らせいただければと思います。--ポコポコ 2010年8月31日 (火) 11:09 (UTC)[返信]

2010年7月11日 (日) 04:54 Tiyoringo (会話 | 投稿記録) (13,468バイト) (元ベネズエラ大使夫人の伊藤滋子 さんの記述をもとに加筆修正)で行った私の編集については差し戻しされた上で加筆することで十分だと思いますのでリバートしていただいてかまいません。--Tiyoringo 2010年8月31日 (火) 15:48 (UTC)[返信]

賛成 以前はリバートに消極的なコメントを書きましたが、明確に問題のある箇所が指摘された以上、現状を残しておくことはないでしょう。それとikedat76さんにはお手間を取らせて申し訳なかったと思います。本来あの作業は、一度は人権さんと議論を構えた自分がやるべきだったかもしれません。--禁樹なずな 2010年9月1日 (水) 04:41 (UTC)[返信]

やや急ぎましたがリバート致しました。すみませんが後の始末はよろしくお願いします。--ポコポコ 2010年9月1日 (水) 10:25 (UTC)[返信]

差し戻しについては反対は無いです。強いて言えば、件の問題人物の挙げた参考文献それ自体は全くデタラメというわけではないということで、それら文献の控えがあればいいかも知れませんね。--ikedat76 2010年9月1日 (水) 14:23 (UTC)[返信]

La Conquista de América en otras wikipedias

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この題材は、その出所が中立的ではなく、全く逆であることから、以下の理由で最初から再編集されるべきです。ウィキペディアが求める中立性には、何ら合致していないのです。そして、スペイン語や英語のウィキペディアを読んで、それを日本語に翻訳するだけでも、その記事が歴史的な厳密さを欠いていることに気づくことができるのです。--Jcollmart会話2022年7月27日 (水) 19:55 (UTC)[返信]

メキシコ征服におけるマリーンチェの役割

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Tlaxcalaのキャンバス。テポツォトランの戦いで剣とバックラーを持つマリンツィンが描かれている。

コンキスタドールにとって、信頼できる通訳の存在は最も重要なものだった。このように、『ヌエバ・エスパーニャの真の征服史』の著者である軍人作家ベルナル・ディアス・デル・カスティージョは、「偉大な女性」ドニャ・マリーナについて常に語り、「ドニャ・マリーナの助けがなければ、我々はニュースペインやメキシコの言語を理解できなかっただろう」と書いている。コルテスは、通訳と「舌」がなければ、メヒカ帝国に恨みを持つさまざまな集団と同盟を結ぶ政策を成功させることができなかったことは明らかである。コルテスがテノチティトランに向かう途中、町中で休憩していたとき、コルテス軍がスペイン軍に対して危険な待ち伏せをしていることを警告したのは彼女であったことが分かっている。この警告は、コルテスによるコルテックス族への激しい報復を引き起こした。もう一人の征服者であるロドリゲス・デ・オカーニャは、神の次に征服の成功の最大の理由はマリーナであると断言している313。

また、先住民の資料からも、彼女のパフォーマンスに関するコメントや、征服の出来事を描いた絵の中で彼女が際立っている点など、非常に興味深い証拠が得られている。たとえば「トラスカラの円光」では、コルテスがマリーナと一緒に描かれることはほとんどないばかりか、時には単独で登場し、独立した権威として出来事を指揮しているように見える。このことは、彼女の役割にはコルテスの軍事的・外交的目標の達成を助けることも含まれており、重要な貢献をしたことを示唆している14。

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La Malinche - Wikipedia, la enciclopedia libre--Jcollmart会話2022年7月27日 (水) 20:06 (UTC)[返信]