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ノート:コルサビウ (テレビドラマ)

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史実との主な違い節の出典の明記について

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史実との主な違い節の内容について、信頼できる情報源による出典をご存知の方がいらっしゃいましたら、記載をお願いいたします。当記述を記載されたIPユーザーさん(本記事の初版投稿者の方)は、そのアドレスでその日一日しか編集されていないので、直接呼びかけても無理だろうと判断いたしました。
ウェブ上で調べたところでは、2007年3月18日の朝鮮日報日本語版サイトの記事を参考にした可能性がありますが、オリジナルはすでに掲載終了となっていますので、検証できません。しかし、信頼できる情報源とはいえない個人のブログなどに引用されたものを見ると、前段の序列云々の話は載っていますが、講談後段の戦死云々の話は載っていないようです(信頼できる情報源ではありませんので、リンクは張りません)。いずれにしても、信頼できる情報源により検証可能性を担保しなければ本記事へ掲載するのは好ましくないと思いますので、よろしくお願いいたします。--立花左近会話) 2012年5月23日 (水) 02:27 (UTC) 誤字訂正。--立花左近会話2012年5月30日 (水) 15:44 (UTC)[返信]

2007年3月18日の朝鮮日報の記事について、県立図書館で朝鮮日報を扱っている図書館があると聞いたので、日曜日に近所の図書館でレファレンスをお願いしましたが、昨日、5年も前なのでありませんと言う回答がありました。国会図書館であたってみようかなと思っています。個人のブログや掲示板は信頼できる情報源ではないとのことですが、複数の異なった立場の史料にほぼ同じ記載があったり、おなじ文面で史料が引用されていたら歴史学の現場では有力な史料として取り扱われます。杉山城にしても発掘調査によって出土した考古資料とひとつの古文書の記述が一致するということで、ほぼこれまでの定説がくつがえるほどの信用性として認識されています。個人のブログや掲示板といっても複数の媒体がほぼ似た文面を掲載しているなら信頼に値する二次資料が引用されていると常識で判断できるはずです。写本や引用でしか残ってない史料は数多くあり、オリジナルでないから意味がないということであれば、いままでの歴史学の成果がほとんど崩壊してしまいます。どうして急ぐ必然性がないのに存続するために出典を追求せず、削除を前提に議論をするのか理解に苦しみます。wikipediaは、百科事典をつくっていくプロジェクトであって、著作権侵害でなければ独自研究だと決めつけて間違い探しをして削除することに達成感を覚えることが目的になっているのは何か違います。根本的な発想を変えていただき、削除のための出典調査ではなく、決して平坦な道のりではありませんがいかに存続していくかの出典調査をしていただきたいと切に願います。----タメルラング会話) 2012年5月30日 (水) 14:41 (UTC)---修正タメルラング会話2012年5月30日 (水) 14:49 (UTC)[返信]
恐縮ですが、安易に記述を除去するべきではないと思っているからこそ、ウェブ上とはいえ出典を検索し、朝鮮日報の記事ではないかと推測してここに書いたのです。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にであって、それ以上の義務は他のユーザーにはありません。Wikipedia:出典を明記する#出典無き記載の扱いにも則っており、直ちに除去せず、こうして出典が提示されているのを待っている次第です。タメルラングさんのご努力には頭が下がるばかりで、ぜひ出典を見つけて明記していただければと思います。なお、このようなケースと歴史学のケースとは同列に論じられるものではないと考えます。個人のブログや掲示板については、以前の別の場所でご紹介したかと思いますが、先ごろ正式にガイドラインとなったWikipedia:信頼できる情報源を良くご覧下さい。決して急いでいるわけではありませんが、出典がはっきりしない記述をあまりいつまでも放置しておくのもまた問題でしょう。特にハン・ギュチョル教授による指摘となっている後段の戦死のくだりは、ブログ等の引用にも出てきませんので、全く検証が不能です(事実かどうかではなく、教授が本当に指摘したのかどうか)。
ところで、ブログ等の引用によれば、ドラマと事実との違いについて、教授はコルサビウだけを問題にしたわけではないようですから、この話題は(出典が明記できたとして)「コルサビウ (テレビドラマ)」の記事に書くよりは、「大祚榮 (テレビドラマ)」に書いた方がいいのではないかとも思います。--立花左近会話2012年5月30日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
(追記)言わずもがなですが、念のため。(およそ新聞やその電子版というものはそうなっていますが)朝鮮日報日本語版サイトの利用規約では、著作権法上の規定により許容される場合以外、記事の無断転載を禁じています。従って、記事を転載したブログ・掲示板などは、著作権を侵害している可能性があります。Wikipedia:外部リンクの選び方#禁止される外部リンクにより、そのようなブログ等にはリンクを張れませんので、その面からも出典として使うことはできません。唯一の方法は、今となっては紙媒体の朝鮮日報に当たってみて、記事が掲載されていることを確認し出典とすることです。もちろん、それ以外に信頼できる情報源による二次資料があれば、それを使うことは可能です。--立花左近会話2012年5月31日 (木) 02:05 (UTC)[返信]

何か誤解なさっているようですがそのような外部のブログや掲示板などのリンクをつけることを私は何も主張していませんが?そもそもそんな必要などありません。具体的には、2007年3月18日の朝鮮日報日本語版に掲載されている旨注をつけ現在はオリジナルがweb上で削除されているが、多数の媒体で確認できることを説明を加えておけばいいことです。わたしは、個人のブログ記事をつかうことをいっているのではなく複数の全く異なる立場で複数の媒体におなじ引用がなされている事実を言っているのです。まさしくわたしの述べたように歴史学の方法論を適用させられるケースにあたり、そもそも全く立場の違う複数の媒体でおなじ事実が紹介されていることがわかっていながら検証の可能性がないなどというのはナンセンスです。再度申し上げますが、Wikipediaは何でないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんをご熟読ください。また日本語版では正式運用されていないものの英語版では正式運用されているWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説では、「常識をはたらかせる」ことの重要さが述べられています。またWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションには、
---引用はじめ---
これらの分野では、その性質上、科学や法や哲学などと同レベルの学術的な資料は、それほど存在しないかもしれません。
---引用おわり---
---引用はじめ---
Wikipedia:検証可能性およびWikipedia:信頼できる情報源は、芸能ゴシップ等、大衆文化に関して要求される情報の信頼性について特別な規定を置いていないが、これらの分野で査読済みの研究を期待するのは現実的でない。従って、例えば "bisexual" "James Dean"をキーワードにしたGoogle検索のように相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能であり、情報の信頼性についてのコメントが含まれている場合は特にそうである。
---引用おわり---
とあり、信頼出来る二次資料がすくないために特別な規定を置けないのが実態です。そもそも歴史学であつかわれる古文書では、現在でいう新聞や学術雑誌に相当するようなものはほとんどありません。個人的な文書や日記が重要な資料になります。大衆文化やフィクションというのはまさしくそのような現在進行形のものであり、そのような個人的な文書、とくに複数の媒体に同時に掲載、引用されている事実は決して軽視されていいものではありません。しかも具体的な引用先まで示されているのに削除を許したらすべて削除できることになってしまいます。大衆文化やフィクションの分野で「科学や法や哲学などと同レベルの学術的な資料」「査読済みの研究を期待」する前提で話をしたら記事そのものがなりたちません。

立花さんご自身は、以前ノート:織田信長#関連作品Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案をもってわたしの統合案に反対しましたが、これも曹操劉備のような例外がありましたし、世界史上の人物には適用できない部分が多くあります。その例にみられるようにWikipediaは何でないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説は無視し、ご自分の目的を果たすのに恣意的に方針文書を運用していないか、それが本当に百科事典を前進させるのではなく後退させる方向になっていないかご自身の態度を振り返っていただくようお願いするものです。

それからもう一点かんちがいされていますが、ここは削除依頼の場所ではないので、わたしに、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にの義務を課そうというのは恣意的な解釈です。Wikipediaは何でないか#ウィキペディアは戦場ではありません
---引用はじめ---
ウィキペディアはボランティアのコミュニティであり、利用者に対して、本人が望む以上の時間と労力の提供を求めません。他の利用者により多くを要求するより、むしろ百科事典自体を改善することに集中してください。
---引用おわり---
とあります。義務でないなら立花さんご自身はじめから何も手をつけなければいいし、頭が下がるのであれば、おっしゃるように義務ではないかも知れませんが、百科事典をつくるプロジェクトなのですから百科事典を発展させる方向に行動するのがすじではないでしょうか?この場で立花さんが態度を変えて存続の方向に変わったからといって論破したなどとはわたしは考えません。というのは、削除依頼をだすのは簡単ですが、存続のために努力するのは大変で、百科事典を発展させる唯一の方法だからです。

検証可能性や信頼出来る情報源に関して削除の方向で貢献したいなら、たとえば古代文明分野に二次資料が確保できるのにもかかわらず(英語を読む必要があるせいか)、出典のない、またはあやしげな出典をつかったあやしげな記述がおおくみられます。具体的には、オカルト的若しくは神秘主義的な記述やら、なぞを強調するような記述です。それこそ方針文書の運用が威力を発揮します。そちらのほうこそ削除すべきです。もちろん立花さんにそのような義務があるわけではないので紹介にとどめますが。---タメルラング会話2012年6月3日 (日) 17:35 (UTC)[返信]

恐縮ですが、今一度Wikipedia:検証可能性#方針および全体を良くご覧下さい。タメルラングさんが件の記述をお残しになられたいのなら出典をおつけになればいいし、もちろん義務ではないのでそうされなくてもいいのですが、その場合は記述が除去されても文句をおっしゃることはできません。それだけの話です。そもそも、最初に出典をご存知の方に広く呼びかけており、誰か特定の方に義務を課す意図など毛頭ありません。なお、出典とは信頼できる情報源によるものであって、件の節は最近の話題で、しかもテレビ番組とはいえ学会での話なのですから、それが事実なら必ず出典は見つかるはずで、歴史学云々の比喩は失礼ながら全く的外れです。また、ここではあくまでコルサビウ (テレビドラマ)#史実との主な違いの出典の明記についての場であり、他の記事については関係ありませんし、出典の明記一般や方針等についてご納得がいかないようであれば、別に場を設けて議論なさるなり、コメント依頼をなさるなり、井戸端でお聞きになさるなりして下さい。---立花左近会話) 2012年6月3日 (日) 22:39 (UTC)投稿履歴より署名追加---タメルラング会話2012年6月4日 (月) 13:54 (UTC)[返信]

>歴史学云々の比喩は失礼ながら全く的外れです。
立花さんが的外れと受け止めるのはあくまでも立花さんの主観でしかなく、学問の方法論として科学に反証可能性の考え方があるように歴史学上の史料の信頼性をどう考えるかの基本を述べたまでです。それがもしお分かりになっていないようなら学問というものや検証可能性の考え方の根本的な点をはきちがえ、方針文書について字面のみの解釈をしていることを自ら証明しているようなものです。出典については現在調査中ですが予約がいっぱいのようで二週間後になりそうですが、web上ではすでにオリジナルが削除されているのでリンクが貼れず注のみしかつけれないのは変わりませんから、タグをどうどうと外せるか否かの差しかありません。
>ここではあくまでコルサビウ (テレビドラマ)#史実との主な違いの出典の明記についての場であり、
そうはならないはずです。わたしに義務はないことをお認めになったり、議論を有利に誘導するために他の記事に「要出典」をはりまくったりしないことには、心から敬意を表しますが、この後に統合するか削除するかの議論が出てくることは避けられません。わたし自身は旧唐書新唐書を読んで乞四比羽の原稿を書いた場合どうすればいいか迷っているところです。---タメルラング会話2012年6月4日 (月) 13:54 (UTC)[返信]

歴史学云々については恐縮ですが、タメルラングさんの方の主観です。と申し上げてもおそらくご納得いただけないでしょうから、私以外の人に聞いてみることをお勧めします。出典については、最初からご存知の方へ呼びかけを行っている次第ですので、タメルラングさんが調査していただけるなら二週間でもお待ちいたします。しかし、削除依頼の方では統合に賛成いただけないようなので、それ以前に存続票を取り下げるかもしれません(これについては、すでにあちらで申し上げてあるとおりです)。乞四比羽を立項されるのでしたら、旧唐書や新唐書をお読みになるのも結構ですが、それらは二次史料ではありますが、信頼できる情報源による二次資料ではありませんので、なるべく最近の定評ある歴史書等を参考にされるのがいいと思います(これについては、私自身過去には理解が不十分だったこともあり、老婆心ながら申し上げます)。最後に、複数の問題のタグをおはがしになりましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることに「テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください」とありますのでご注意下さい(テンプレを貼ったのは私ではありませんので、ここで私と話しただけではだめですし、貼ったのは私でないので改めて貼り直したりはしませんが、私から見ても問題が完全に解決したとは思えません)。--立花左近会話2012年6月4日 (月) 16:06 (UTC)[返信]
(追記)最後の件ですが、削除審議中の記事で、削除理由の根幹をなす部分について書かれたテンプレなのに、それを貼った人はおろか、他の誰にも諮らずはがしてしまうというのは、かなりまずい行為です。一刻も早く自主的にお戻しになられ、貼った方と話し合われるようお勧めいたします。--立花左近会話2012年6月4日 (月) 16:17 (UTC)[返信]


ご指摘ありがとうございます。「削除審議中の記事で、削除理由の根幹をなす」というのはわかりましたのでテンプレは戻しておきました。

>その場合は記述が除去されても文句をおっしゃることはできません。

編集で除去できるかもしれませんが編集合戦になってしまいますし、「要出典」を貼ったからといって削除はできないはずです。「要出典」を貼ることによって結果的に編集合戦が防げるのが一番の利点でしょうか?

>旧唐書や新唐書をお読みになるのも結構ですが、それらは二次史料ではありますが、信頼できる情報源による二次資料ではありませんので、なるべく最近の定評ある歴史書等を参考にされるのがいいと思います(これについては、私自身過去には理解が不十分だったこともあり、老婆心ながら申し上げます)。

これは間違っています。二次史料ではありません。すでにPDである正史が、信頼できる情報源ではないとはあきれた話です。定評ある歴史書ですが?(どちらかというと二次資料ではなく原典=一次資料の可能性がありますが)。PDだから出典は明確だし、極端な話そのまま訳して貼り付けても許されます。これが許されないならウィキペディアの全記事が削除の対象になりえてしまいます(出典があって似ていたら著作権侵害の疑いで削除依頼、出典を参考にしていてもオリジナリティが強ければ独自研究で削除依頼できますから)。じゃあPDであるブリタニカを使っている記事がありますが全部削除ですか?「方針文書について字面のみの解釈をしていることを自ら証明しているようなものです。」と昨日は言い過ぎたと思ったので訂正しようと思いましたが、この「二次史料ではありますが、信頼できる情報源による二次資料ではありません」というのは信じられないような解釈を読んでやめました。それこそ中国史に詳しい方に聞いてみていただきたい。今現在の立花さんのご理解のほうが不十分です。ノート:織田信長#関連作品Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案について曹操劉備のような例外があるのに、ご自分の都合であてはめようとされたり、「ここではあくまでコルサビウ (テレビドラマ)#史実との主な違いの出典の明記についての場であり、」といいながらご自分の都合で話を拡大されたりとそれは違うんじゃないでしょうか?6月3日 (日)までの立花さんの冷静な議論をみてちょっとまずかったかなと反省し始めてどうすれば和解できるだろうかと考え始めていたのですが、ひきさがれなくなりました。本当に残念です。

記事の話ですが、仮に期待していた記事がもしも手に入らない場合は、改稿して渤海や高句麗を扱った本や『旧唐書』や『新唐書』を使って史実との違いを書くつもりです。---タメルラング会話) 2012年6月5日 (火) 16:08 (UTC)---一部訂正タメルラング会話2012年6月5日 (火) 16:39 (UTC)[返信]

(追記)『旧唐書』や『新唐書』は、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料でいう「既に発表されている一次資料や二次資料(どちらかというと一次資料)」であって、また、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源でいえば、中国史をやっている人や研究者ならほとんどの人が知っている中華書局など「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっている一次資料」でもあります。それが使えないのなら大学の研究者の論文(二次資料)がすべて信頼できないことになってしまいます。---タメルラング会話2012年6月5日 (火) 16:32 (UTC)[返信]
『旧唐書』や『新唐書』を使えないと言っているわけではないですし、PDかそうでないかも出典に使う際には関係ありません。今一度、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の二次資料やWikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価あたりをよくご覧になってください。まして、『旧唐書』や『新唐書』を一次資料と見なすと、なおさら独立した二次資料が必要です。紙媒体の百科辞典の人物の項目や人名事典、あるいは現代の歴史書などは、その主題の専門家が一次史料および二次史料を使い、それぞれを評価した上で執筆され、編集者による査読を経ています。昔の「正史」や歴史書などは、当時の一流の学者が編纂しているかもしれませんが、当時の環境や水準などから、必ずしも正確に書かれているとは限りません。例えば『信長公記』は比較的信頼性が高いと言われていますが、『甫庵太閤記』はそうではなく、『武功夜話』は偽書だという意見もあります。『六国史』や『吾妻鏡』などは言わずもがなでしょう。しかし、ウィキペディアは不特定多数の人が見るものですから、そのようなことがわかる人ばかりとは限りません。むしろわからない人が読むことを前提に書かれるべきでしょう。ですから、そうした史料を直接使わないで(あるいは使うとしてもそれに加えて)、信頼できる出版社から刊行され、その分野で権威ある執筆者によって書かれ、最新の学問水準を反映したものを出典とするのが望ましいのです(なかったら絶対だめで即削除というわけではないです)。これについては、すでに書きましたが、私も始めは元々の史料を使った方がいい、あるいは十分だと考えていましたけれども、編集経験を積み、いろいろな議論を拝見してきてようやく理解したことです。
(ちなみに、秀逸な記事に選ばれているムハンマド・アリーをご覧下さい。近代の人物ということもあるかもしれませんが、出典は複数の二次資料に拠っていることがおわかりいただけるでしょう。もっとも、秀逸な記事に選ばれている人物記事は三つしかなく、ウィキペディア日本語版の現状がまだまだだということも確かです)
さて、タメルラングさんのコメントにコメントする形で、確かに議論を拡大させ過ぎたようで、これについてはお詫びいたします。ウィキペディアにおける一般的な情報源の扱いや出典のつけ方について疑問やご意見がおありなら、それぞれに関するノートや井戸端などで質問や議論をされて下さい。「和解」とありましたが、私はタメルラングさんと意見の相違はあっても喧嘩か何かをしているつもりはないので、お互い節度をもって議論する分には全く問題ないと思いますがいかがでしょうか。それでは、出典の調査の方、よろしくお願いいたします。--立花左近会話) 2012年6月6日 (水) 00:44 (UTC) 一部追記。--立花左近会話2012年6月6日 (水) 00:57 (UTC)[返信]

一次資料には、信憑性について議論のあるものが多いのを承知しているからこそ、「渤海や高句麗を扱った本や『旧唐書』や『新唐書』を使って史実との違いを書くつもり」と言っているのですが?
>信頼できる出版社から刊行され、その分野で権威ある執筆者によって書かれ、最新の学問水準を反映したものを出典とするのが望ましいのです。
あたりまえのことですが、なかったり入手しにくかったりしたら書けません。学術的な分野であれば当然そうなるでしょう。なお、執筆の際は、要出典タグをはずさせていただくことをご承知ください。---タメルラング会話2012年6月6日 (水) 15:47 (UTC)[返信]

要出典タグは、学会でハン・ギュチョル教授がそこに書かれているようなことを指摘したことに対する出典を求めたものです。それが見つかった時点でおっしゃっていただければ判断します。それとは別に、演出担当者のインタビュー記事もあるようです。しかし、私が思うには歴史ドラマに大なり小なり史実と異なる部分があるのは、日米欧などのものを見ても珍しいことではなく、ウィキペディアに執筆者が自分で史料を調べて違いを書き連ねるのことにはあまり意味が感じられません。第三者言及があってこそ、初めて特記する意義があるものと考えます。まずは、現在の記述についての出典を見つけていただけることを願っています。--立花左近会話2012年6月6日 (水) 22:14 (UTC)[返信]
(追記)そう言えば、Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成にご協力下さいノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#映画の設定について史実を持ち出し指摘・記述する事の是非について--まとめというのがあったのを思い出しましたので、ご参考までに載せておきます。あくまでご参考のためで、これによりどうこうというつもりはありませんし、この議論に対するご意見がもしおありになっても、こちらにはお書きにならなくて結構です。--立花左近会話2012年6月6日 (水) 23:22 (UTC)[返信]

リンクを拝読しました。何かわたしについて誤解なさっておられるようですが個人の意見を書くつもりはありませんので(個人的な見解はアニメ記事でかなり立項されたことがあって指摘がありますよね)。すでに「それ以外に信頼できる情報源による二次資料があれば、それを使うことは可能です。」2012年5月31日 (木) 02:05 (UTC)とおっしゃられているように図書館で入手できる「渤海や高句麗を扱った本(二次資料)」があれば、それを出典として用いることができるのですから。まあ、朝鮮日報のコピー以外の加筆はするつもりはありませんので。しかしベストなのは件の朝鮮日報記事のシンポジウム資料の日本語版が入手できないものかなと思っていましたが今のところ入手できそうもないのが残念です。---タメルラング会話2012年6月8日 (金) 12:15 (UTC)[返信]

すみません。また余計なことを書いてしまいました。記事の精度を上げていただければ、何も申し上げることはございません。--立花左近会話2012年6月8日 (金) 12:33 (UTC)[返信]

いえいえ、わかっていただければけっこうです。お返事がおくれてすみません。国会図書館へ行って関西館からとりよせた朝鮮日報が日本版と銘打っておきながらハングルで読めず、高句麗(고구려)や渤海(발해)などのキーワードを探しましたが発見できませんでした。ただ山田先生があげられたリンクがパソコンやブラウザの相性があるのかもしれませんが確認できるのでとりあえず貼っておきます。---タメルラング会話2012年6月16日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

検証作業お疲れ様です。私の使っているPCでは、リンクの方はリンク切れで、ウェイバックマシンのアーカイブコピーはアクセス禁止になってしまい検証ができないのですが、後段のイ・ヘゴとの戦いでの戦死により渤海建国まで生きていない点についても、ハン・ギュチョル教授は指摘しているのですか?--立花左近会話2012年6月17日 (日) 01:12 (UTC)[返信]

う~ん、「アーカイブコピー」という文字部分をクリックするとカレンダーが表示され、3/20をクリックすると表示されるのですが...表示できないときにもwikipediaを編集中にしてurlをurl表示部分に貼り付けるとうまく表示されることがあります。とりあえず、『大祚栄』に関する部分を下記に引用してみます。
---引用はじめ---
またKBSドラマ『大祚栄』について、慶星大の韓圭哲教授は、▲渤海建国まで主導的役割を果たした人物は大祚栄(チェ・スジョン〈演〉)ではなく、乞乞仲象(コルゴルジュンサン/イム・ヒョク〈演〉)であり、▲乞乞仲象と似たような序列であった乞四比羽(コルサビウ/チェ・チョルホ〈演〉)が大祚栄と義兄弟になることはあり得ず、▲高句麗の滅亡直後、吐蕃に派遣された薛仁貴(イ・ドクファ〈演〉)が引き続き遼東地域で活動しているのもあり得ないことだと指摘した。
---引用おわり---
ということで記事を読む限りハン・ギュチョル教授は指摘していません。しかし、山田先生の立項された乞四比羽にあるとおり、李楷固によって乞四比羽は殺されています。上田雄『渤海国の謎』講談社,1992年,p.25に「乞四比羽を討つことができた」とあり、その原典とされたであろう『旧唐書』北狄伝に「則天命右玉鈐衛大將軍李楷固率兵討其餘黨,先破斬乞四比羽(則天[武后]、右玉鈐衛大將軍李楷固(りかいこ、イ・ヘゴ)に兵を率ひさせ其の餘黨を討たしめ,先ず乞四比羽を破って斬り、),」とあり、『新唐書』北狄伝に「後詔玉鈐衛大將軍李楷固、中郎將索仇擊斬之(後に玉鈐衛大將軍李楷固に詔して、中郎將仇を索(さが)して擊ち、之れを斬る。)」とあることから乞四比羽自身がイ・ヘゴとの戦いで戦死して渤海建国まで生きていないというのは史実であり、個人の意見ではありません。ただ引用がないことと朝鮮日報の記事とは直接関係がないので別に出典に関する注が必要になりますので、シンポジウムの記述とは分ける必要があります。---タメルラング会話2012年6月18日 (月) 13:49 (UTC)[返信]

おっしゃる通りで、シンポジウムの記述とは分ける必要があると思います。個人的な意見ですが(前にもどこかで申し上げたかもしれませんがご容赦下さい)、ドラマに大なり小なり史実と違う点があるのはあたりまえで、今回のように学者が具体的に指摘したような場合はともかく、ウィキペディアの執筆者が直接史料を見て史実と違う点を見つけ、いちいち指摘する必要はないと考えています。大河ドラマなどでそれをやり始めたら、きりがありませんので。--立花左近会話2012年6月18日 (月) 14:29 (UTC)[返信]

わたしも「直接史料を見て史実と違う点を見つけ、いちいち指摘する必要はない」とは思いますし、自分もドラマのストーリーと史実の違いの要点を指摘する以上は要らないとは思います。おそらく立花さんと自分との大きな違いは、「いちいち指摘する」人を許せないと感じるか、許容してしまうかだと思います。---タメルラング会話2012年6月23日 (土) 05:55 (UTC)[返信]

それはそれとして、現状は出典とは違ったことが書かれているわけですから、修正したらいかがでしょうか。--立花左近会話2012年6月23日 (土) 13:49 (UTC)[返信]

先が削除か統合かという記事ですし、恐縮ですがわたしがやらなければならない義務はありませんので指図のようなことはおっしゃらないようお願いします(ここは削除依頼の議論の場ではないはずです)。なお、もしわたしが編集する場合は、出典明記タグを外させていただくことをご承知いただくことになります。「乞四比羽自身がイ・ヘゴとの戦いで戦死して渤海建国まで生きていない」ということが朝鮮日報の記事に該当しないということであれば何も遠慮せずご自身でどんどん編集なさってかまわないはずですが?記述を残すにしても協同作業ですから一時的に出典がないことを必要以上に不安がらなくていいはずです(どうしても不安ならご自身で出典を調べてください)。---タメルラング会話2012年6月24日 (日) 08:45 (UTC)[返信]

仰せに従い私の方で修正し、テンプレははずしておきました。--立花左近会話2012年6月27日 (水) 00:43 (UTC)[返信]