ノート:ゲーデルの不完全性定理
ゲーデルの不完全性定理は帰納的に定義可能な公理系にのみ適用出来るものなので、その旨を追加。complete theoryを公理系として取ってきてしまえば、まさに定義から決定不能命題が存在しないわけですから。Tishiu 2004年7月2日 (金) 19:05 (UTC)
1月2日追加分は、数学的な誤りを含む上に、「文学的な捉えられ方」や「数学的に見て厳密かつ正確」が百科事典の記事に必要な明晰さを備えた表現ではないため、全削除しました。Wd 2006年1月5日 (木) 08:33 (UTC)
英語版Wikipediaからの訳です↓。誤訳、あいまいな部分はないでしょうか?徐々に還元できたら・・・と思っています。
Gödel's first incompleteness theorem is perhaps the most celebrated result in mathematical logic. It basically says that: ゲーデルの第一不完全性定理はおそらく数理論理学ではもっとも有名な結果である。基本的に次のようなものである: For any consistent formal theory including basic arithmetical truths, it is possible to construct an arithmetical statement that is true but not included in the theory. That is, any consistent theory of a certain expressive strength is incomplete. 基本的な算術的に真(の概念)を含むいかなる無矛盾の形式的な理論では理論には含まれないが真である算術式を構成可能である。つまりは、十分の表現の強さを持ついかなる無矛盾の理論は不完全である。 Here, "theory" has the special sense of a set of statements closed under logical inference rules. ここで、「理論」とは、論理的な推論規則において閉じた記述の集合、という特別の意味がある。
(A theory is in general an infinitely large set.) A theory is "consistent" if it contains no contradictions. The meaning of "it is possible to construct" is that there is some mechanical procedure which when given the axioms of the theory, produces another statement.
(理論は一般に無限集合である)。ある理論が矛盾を含まないならばそれは「無矛盾である」。「構成可能である」とは理論から公理が与えられたとき、別の式を生成する機械的な手順が存在するという意味である。 That this statement is not included in the theory means that it cannot be derived from statements of the theory using the standard rules of first-order logic. そして「この式は公理系に含まれていない」とは第一階述語論理の標準的な規則を用いる理論からは導けないことを意味している。
- 原文にもともとある誤りは後回しにします。
- 「公理系」→「理論」
- (一般的に言って無限集合の公理系である)→(理論は一般に無限集合である)
- Wd 2006年1月14日 (土) 02:46 (UTC)
ご指摘に感謝します。用語訂正しました。適宜追加いたします。Udgw
The statement produced by the procedure is often referred to as "the Gödel sentence" for that theory, though there are actually infinitely many statements that have the same property (of being true but not provable from the theory). (そのような)手順によって生成される式はその理論により「ゲーデル文」と呼ばれるが、通常無限に多く同じような特性を持つ(真ではあるがその理論からは証明不可能である)式は存在するのである。
- (そのような)手順によって生成される式はその理論により「ゲーデル文」と呼ばれるが、 → その手続きで生成される文はその理論の「ゲーデル文」と呼ばれるが、 Wd 2006年1月15日 (日) 14:29 (UTC)
Roughly speaking, the Gödel statement, G, can be expressed: 'G is not provable'. If one were to suppose that G were provable (from the theory) then the theory would have a theorem, G, saying the opposite of what was just supposed. So we are forced to conclude that G is not provable; yet it is true. Q.E.D. 大雑把に言うならば、ゲーデル文Gがあり、それは次のように表現される:「Gは証明不能である」。もしGが証明可能であると(理論から)考えると、その理論は仮定とはまさに逆の定理Gを持つことになる。それでGは証明不能であると結論せざるを得なくなる。さらにそれは真である。Q.E.D
The demonstration just given is in ordinary English and thus not mathematically rigorous.
今与えた論証は通常の英語(日本語)による表現であり、従って数学的に厳密ではない。
In order to provide a well-defined demonstration, Gödel represents statements by numbers; then the theory, which is already about numbers, also pertains to statements, including its own.
明確な論証を与えるために、ゲーデルは式を自然数を用いて表現した。それですでに自然数(が定義されている)理論であれば、やはり式にも関係し、それ自体を含む。--Udgw 2006年1月14日 (土) 11:36 (UTC)
英語版もあまり高品質でないので、あまり参考にしないほうが良さそうです。 最大の弱点は、自然数論の標準モデルで真となる理論のことしか考えていないことです。 不完全性定理の適用範囲はもっと広いのに。 Wd 2006年1月15日 (日) 14:29 (UTC)
「体系の公理系が弱い時証明できる問題が少なくなる」も、「公理系が強い時証明できる問題が増えるが矛盾を含み得る」も、不完全性定理をもちださなくてもいえることです。したがって、これらを不完全性定理の影響・応用とするのは誤りです。 Wd 2006年3月15日 (水) 07:07 (UTC)
証明の概要ですが、どうもおかしいので直しました。--Diagonal 2006年3月17日 (金) 16:45 (UTC)
多少弱くなっても分かりやすさを優先するというのは、数学や論理学専門の事典ならともかく、一般的な百科事典ではアリでしょう。「第一不完全性定理はPeano算術で証明可能」「第二不完全性定理はI∑1で証明できる」などの記述に、いや第一はRobinsonのRで、第二はS^1_2で可能だ、などというのは細か過ぎるかと思います。そういう情報が必要な人は専門書で勉強すれば良いわけで。--219.116.250.186 2008年11月16日 (日) 17:28 (UTC)
ω無矛盾
[編集]追加しました。査読、訂正、追記願います。 --221.187.128.63 2006年1月18日 (水) 14:24 (UTC)
項目ω確認しました。 --利用者:221.47.106.107 2006年1月31日 (火) 01:42 (UTC)
完全性定理
[編集]「ゲーデルの完全性定理」の部分が完全に間違っていますので、とりあえず、全削除します。--Wd 2008年3月11日 (火) 02:33 (UTC)
証明
[編集]「Gが証明不能なら矛盾が証明可能」の部分は偽の命題ではありませんか。「Gが証明不能」なので MP から「矛盾が証明可能」になります。 --221.251.219.147 2008年3月18日 (火) 17:43 (UTC)
間違ってますねえ。--219.116.250.186 2008年11月16日 (日) 17:28 (UTC)
- 2007年12月24日 (月) 23:57; AlleborgoBot さんの時点へ差し戻しを行いました。--61.115.163.141 2008年11月18日 (火) 05:02 (UTC)
以下の理由により、差し戻しを取り消しました。
- この差戻しは大量削除になるにも関わらず、差戻し理由があまりに短く、しかもIPのみの議論のある。
- 誤りであるとの指摘が一文にしかなされていないにも関わらず、それと直接関係ない部 分も含めて全て差戻している。
- 件の一文のみの修正で対応できないか、正確性テンプレや精度テンプレで対応できないかどうかが議論されていない。
- 「「Gが証明不能なら矛盾が証明可能」の部分は偽の命題」との指摘だが、不完全性定理の証明は背理法なので、証明中にでてくる命題が偽であっても問題ないと思われる。
- 誤りであるとの指摘は概要の節に対するもの。詳細の節の対応箇所を参照しながら議論すべき。
--Giant2007 2009年1月2日 (金) 11:16 (UTC)
- 下記部分の記述および言明(A)は誤りなので、修正しました。
「第一不完全性定理を背理法で示す。 Gは「俺は証明できない」という趣旨なのでGが証明可能だとG自身に矛盾するので、Gは証明不能である。 また、¬Gは「Gは証明できる」と同値だが、すでにGが証明不能な事を示したので、¬Gが証明可能だと矛盾する。よって¬Gも証明不能である。 よってGも¬Gも証明不能であり、第一不完全性定理が言えた。」 「第二不完全性定理を示す。 * (自然数論内で)矛盾が証明不能 な事を(自然数論内で)証明できるなら、 * 矛盾が証明不能ならGが証明可能 ... (A) より * Gが証明可能 である事になる。 しかし第一不完全性定理を示したときの議論より、Gは証明不能なので、矛盾。 よって「矛盾が証明不能」ではなく、したがって自然数論の無矛盾性を自然数論内では証明できない。」 --Diagonal 2009年1月10日 (土) 08:40 (UTC)
Template:混同の使用に関して
[編集]内容からして「ゲーデルの不完全性定理」と「ハイゼンベルクの不確定性原理」を混同することは無いと思いますが、Template:混同に関して、リバート合戦になりつつあるので、これ以上の編集に関しては、ノートでの議論を提起します。--Ta2o(会話) 2016年8月21日 (日) 18:01 (UTC)
- 書くべきことはもう書きました.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年8月22日 (月) 04:04 (UTC)
- これだけだと不親切すぎるので追記します.経緯(敬称略):
- 以後編集合戦が続く.
- 私のコメントの抜粋:
- (1) 名称も内容も全く異なる記事に{{混同}}は不要
- (2) テンプレートの濫用はおやめください.Template:混同に「このテンプレートは、混同される危険性が明らかな場合のみに使用を留めてください」と書いてあります.
- 起きうる事態に対して張れるだけ予防線を張っておいたほうがいいと思いますので、テンプレートは張っておいて良いと思います。--ふぇんりる(会話) 2016年8月22日 (月) 11:25 (UTC)
- テンプレートの解説にあるように、使えるのは「混同される危険性が明らかな場合のみ」です。曖昧さ回避もそうですが、語感が似てるとか一部で同じ文字が使われている程度で使っていると連想合戦のようになっていきます。不完全性と不確定性は漢字でも読みでも違う文字列になりますから、基本的には不適切なテンプレートの使用と見なされると思います。使用の必要性を感じている方がいるということなら、テンプレートを貼る前にまずは「混同される危険性」をきちんと論じて他の人に「明らかさ」を納得させるべきと思います。--Sureturn(会話) 2016年8月22日 (月) 21:42 (UTC)
- 話がこじれる理由というわけでもないですが、不確定性原理と不完全性定理の混同は量子力学や論理学の学習者にとって有名な話なので、自分も含め、そういう話を知っている方にとっては混同テンプレートの使用はあまり不自然には映らないのだと思います。ただし混同されうることを補強する(歴史的な)資料は自分の知るところでは存在しないので、今のところはあくまで特異な事例ないし「都市伝説」の範疇だと思います。そういう意味で、一旦テンプレートを取り下げることは十分説得力のあることだと思います。また、出典を要する情報を混同テンプレートに入れ込むことは例外的でしょうし、書くなら独立記事か節を設けることも考慮すべきでしょう。逆にテンプレートによる通知だけが目的であれば新設のテンプレートを作るなり運用を改めるなりの議論をした方がよいと思います。--Glayhours(会話) 2016年8月23日 (火) 01:03 (UTC)
8月22日を最後にカテータクさんの投稿が見られないのですが,はじめから編集合戦を引き起こすことが目的の目的外利用者だったのでしょうか? それはともかく,不完全性定理と不確定性原理が混同されやすいことの客観的根拠をお持ちの方がもしいらっしゃいましたら是非ご提示をお願いします.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年8月25日 (木) 05:30 (UTC)
- 「混同されやすいことの客観的根拠」に関係あるかわかりませんが、大出晃『パラドックスへの挑戦 ゲーデルとボーア』(1991、岩波書店)では、不完全性定理と量子力学(不確定性原理)がほぼ同時代に起きたパラダイム転換として両者解説されており、著者の意図は勿論、読者にもシンクロニシティを感じさせるものです(との感想を私は持ちました)。但し、不完全性定理と不確定性原理の内容的類似性(証明不可能、測定不可能)を想起させるだけであって、名称の類似については触れていません。--116.81.84.54 2016年9月17日 (土) 11:52 (UTC)
- 関連項目に入れることはできるかもしれませんね.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年9月22日 (木) 08:04 (UTC)
- 率直に言えば、混同テンプレートは日本語版が馬鹿っぽく見えてしまうので反対です。関連項目の件も、例えば「不可知」とかいう項目が存在したとしてそれを媒介として不完全性定理と不確定性原理をリンクさせるのは構わないのですが、直接に関連項目に入れてしまうのはやはり馬鹿っぽいので、自分で参考文献を提示しておいてなんですがやはり反対です。理論的には「数学基礎論―計算理論―PNP問題―量子コンピュータ」などの確たる連関があります。--116.81.84.54 2016年9月29日 (木) 11:47 (UTC)
- 関連項目に入れることはできるかもしれませんね.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年9月22日 (木) 08:04 (UTC)
12/28の編集をrvした件について
[編集]12/28にIP利用者によって行われた編集ですが、一旦差し戻させていただきました。以下に理由を説明します。
- 定理の文面は、原文をそのまま引用する必然性は比較的ないと考えます(証明した本人の表現をそのまま使いたい場合など、ケースバイケースではありますが)。そして、定理の文面というものはある程度、だれが書いても同じ表現が現れうるものです(これも程度と内容によりますが)。実際、問題の箇所は岩波数学辞典を原文ママで書いていた版、些細な変更を加えた上で原文を別途表示(させようと)していた版と、そうでない版が存在し、差し戻した版では原文と表現を変更しています。
少なくとも私は以上の理由から、この部分で原文ママにしなければならない必然性は特に感じておらず、出典を表示しておきつつもわかりやすい表現を模索すれば十分であると考えています。 - IP編集者さんの要約欄によると記事本文と引用文の区別がどうのと言っていましたが、Template:Math theoremでは不十分だったのでしょうか?blockquoteタグを使うべきという話ならむしろTemplate:Math theoremで囲うことも余計なもののように思うのですが、これは個人の感性の範疇なのでしょうか?
- 「初等的な自然数論」に括弧を付したことが括弧の濫用かどうかは別途議論があってもいいかもしれませんが、その代替としてinsタグを使うのは明確に誤っています。それは「文書に追加されたテキスト」を示すHTMLタグであって、文章を強調するタグではありません。
--Merliborn (会話) 2023年12月30日 (土) 09:51 (UTC)
5/17
[編集]本日 (2024/05/17) の差し戻しに関する説明です。
- 大幅な簡素化の編集に細部の編集のチェックを入れないでください。(これが間違って付けられたチェックだと信じています。)
- 編集内容を見る限り、定義節で定理の内容を記述するにとどめるなど、大幅なシェイプアップを目的としたことは伺えます。現行の記事が冗長でないとは私も申しませんし、ウィキペディアが教科書でないことは当然のことですが、他方、今回の編集は、内容が減ったことで非学習者への説明がなくなり、むしろ教科書的なものに近付いてしまったように思います。今回の編集前後を比べるなら、編集前(差し戻し後)の方が百科事典に近いと私は考えます。