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ノート:グラマトロジー

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「実際には」からはじまる文が体言どめであるため、文意がわかりにくくなっています。 「新しい状態を生じさせること」や「ズラしてしまうこと」がどうなのでしょう? 「~が重要なのである」のしょうか?それとも「~ことが特徴である」?「~ことが本書では述べられている」?--Corwin 2004年12月20日 (月) 06:48 (UTC)[返信]

グラマトロジーはデリダの創案ではなく、英語版を見ても分かるようにイグナス・ゲルブが唱えた概念です(デリダはそれを借用した)。英語版から翻訳したのに置き換えてもいいかと思うんですが、英語版の方もグラマトロジーをゲルブ由来の言語学的なものと、デリダが広めた哲学的なものとを分けようぜ、ということになっているみたいで、判断に迷います(個人的には分けなくてもいいと思ってますが)。どなたかご意見を頂ければ。--Moro 2009年3月6日 (金) 01:39 (UTC)[返信]

  • Moroさんこんにちは。私もゲルブについて書かれていないのはおかしいと思っていました。英語版を翻訳するのもよい考えだと思いますが、ついでに自分で加筆しませんか。英語版にも概念的に立ち入った説明が少ないので、意味がよくわかりません。言語学的なものと哲学的なものを分けて論じるべきか、という点ですが、オングやマクルーハンをどう位置づけるかといったことになるでしょうか。デリダ以前(あるいはそれ以後でもデリダには言及せず)にゲルブの概念について立ち入った検討をしている人がいるなら、必然的に別々にならざるをえないと思います。--tmonzenet 2009年3月22日 (日) 07:29 (UTC)[返信]