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ノート:キャッチ・アズ・キャッチ・キャン

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ページ作成者様

お世話になります。 辰巳出版『Gスピリッツ』に「Uの源流を探る・前項編」を執筆致しました那嵯涼介と申します。 今回「ウィキペディア」の項目の出典として、拙稿を用いて頂けました事、大変感謝致しておりますが、 その内容の中に拙稿では用いていない表現がありましたので、こちらのページを利用して訂正をお願いする 次第です。

拙稿「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの起源」の中で用いられている「サブミッション」という単語が、 「ウィキペディア」の文面では「関節技」という単語に全て置き換えられておりますが、「サブミッション」とは、 降参技、つまり関節技に留まらず締め技等も含む技術の総称です。 「関節技」という表現では、サブミッションよりももっと狭義な技術という事になってしまいますので、 この部分の訂正を執筆者として強く希望致します。

その他、「19世紀の時点で関節技が使用されていたこと、これに関連してピンフォールの他、関節技によるギブアップ(Submission Fallと呼ばれていた)での試合決着が存在していた」という表現を私はしておりません。 19世紀の時点のプロレスの試合に於いて、サブミッションが用いられていたとは書きましたが、それがプロレスの 興行の上でルール上の勝敗の決着方法として採用されていたかどうかについては、私にも判然としておりません。 サブミッションを用いて相手を戦闘不能な状態にした上でピン・フォールを奪い、勝敗が決していた可能性も あります。 事実、当時の技術書の中ではそのような解説が加えられているものも存在するのです。 谷がもたらした柔術の技術はCACCにも取り入れられたという部分を掲載されるのであれば、その逆の部分、 つまり柔術側にもその普及の段階で、CACCの技術が大きく影響を与えた部分があったことをお書きにならないと、 読まれた方にCACC側が一方的に柔術から技術の導入をしたような誤まった印象を与え、私の意図した文章では なくなってしまいます。

これは拙稿が出典ではないと存じますが、カール・ゴッチが欧州からカナダに渡りモントリオールで試合に 出場していたのは1959年のごく短い期間でした。 また、ダイナマイト・キッドにつきましてはレスリングを始めた初期に何度かライレージムに出入りした事が あるという程度の希薄なつながりですので、ライレージム出身のレスラーという表現は正確ではないと考えます。

もしできましたら拙稿をご再読下さり、文章を忠実に掲載して頂けると大変有り難いです。 個人のブログ等での掲載であれば、お読みになった方のイメージを尊重し、私もこういうお願いは決して 致しませんが、「ウィキペディア」には「ネット上の百科事典」という大きな役割がありますので、その項目に 拙稿が用いられるのは大変光栄な事ではありますが、同時に大変な責任も感じてしまいます。

何卒ご配慮の程、宜しくお願い致します。

--那嵯涼介 2008年11月13日 (木) 15:14 (UTC)

いつもお世話になっております。表題の件、失礼いたしました。これからも研究成果の発表を楽しみにしております。よろしくお願いいたします。--Peachkiller 2008年11月22日 (土) 03:12 (UTC)[返信]

変遷

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そうずばり書いてある出典は見つからないのですが古い書籍をいろいろ見てますと、かつてはプロもアマもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンとグレコローマンに分れており、

  • プロキャッチ・アズ・キャッチ・キャン→プロレスとキャッチ・アズ・キャッチ・キャンに分れる
  • プログレコローマン→ほとんど消滅
  • アマキャッチ・アズ・キャッチ・キャン→フリースタイル
  • アマグレコローマン→グレコローマン

という風に変化していった様なんです。どこかに出典無いですかね?--Hiroshi takahashi会話2024年12月6日 (金) 18:26 (UTC)[返信]