ノート:カレン・ロバート
J下部組織である柏レイソルジュニアユースまでに磨かれてきたように、技術が非常に精確で、瞬発力も高く、高校選手権当時の高校生の中では群を抜いている逸材であった、当時、市立船橋では、同じレイソルの下部組織から入部したレイソルの元主将の根本茂洋や、早稲田大学に進学しユニバ日本代表となった鈴木修人、無名校から進学した増島達也などがいた。また一つ上の代では、U16日本代表だった、同じくレイソルジュニアユース出身の高橋直也や、現ジェフ千葉の小宮山、ユニバ日本代表FWの原一樹、ガンバ大阪の青木良太、サンフレッチェ広島の大久保、一つ下の代では、ベガルタ仙台へ入団したDF渡辺などとプレーした。当時の市立船橋は守備面に置いて非常に優れたチームであり、また、前線でのショートカウンターなども得意とする、攻守両身一体のプレーを信条としていたようだ。特に全員攻撃全員守備といった標語を掲げ、常に数的有利と運動量で相手を陵駕するチームを作っていたようだ、その上、1人1人の技術面も日本でトップクラスであり、当時の平山、柴崎、兵藤、中村、渡辺などを要する、国見高校も最大のライバルとして認めていたようだ。 2001年に行われた総体では、現名古屋グランパスの阿部翔平を主将とし、カレンは一年ながら出場を果たし、優勝に貢献した。 2002年に行われた、選手権決勝では、横浜FMに入団した小川のミドルシュートで、国見に1-0で勝利優勝を飾った。2003年には、高円宮杯本戦で全勝優勝を飾り神がかったかのような強さを発揮した。また、天皇杯では1人欠いた状態でありながら、Jリーグ優勝チームである、横浜FMに2-2のPK戦にまでもつれ、そのほかにも、阪南大学、ザスパ草津を破り、高校チームとしては初の天皇杯4回戦まで進出した。 その後、ジュビロ磐田に入団し、プロ2年目にして二桁の快挙であるの13ゴールを記録、新人賞を受賞し現在に至る。