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ノート:カモ科

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形態の段落における頸部の記述について

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本稿の記述を主に執筆した者ですが、形態の段落に参考文献を挙げたもしくは脚注として添付したうえで「頸部は比較的長いか長い」ないし「頸部は中程度か長い」といった記述を行うと利用者:山間部氏に「頸部の短い種もいる」→「情報を合成している」(この理由による差し戻し後、単一文献による脚注に差し替え)→「日本語がおかしい」といった理由で除去されてしまいます。このままですと延々と編集合戦を繰り返し平行線を辿ることになると思いますので、他の方の冷静な御意見をお願い致します。

下記に参考文献および文献内での記述を羅列します。

  • 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥I』、平凡社、1986年、105頁。「中くらいか長いくびを持ち」
  • 高野伸二 『フィールドガイド 日本の野鳥 増補改訂版』、日本野鳥の会、2007年。30頁カモ科広範「くびは長く」、同頁ハクチョウ類「くびは長い」「長いくび」、32頁ガン類「長いくび」、38頁リュウキュウガモ類「くびと足の長い」

--Moss 2010年9月20日 (月) 14:39 (UTC)[返信]

例えば鳥類のうち頸部の短い種としてフクロウ,長い種としてダチョウとすると中程度とはどの程度になるでしょうか? あるいは、ある書籍において北海道は広大であると書いてあり、別の書籍でアメリカは面積が広いと、さらに別の書籍には宇宙は広いと書いてあったとしても、それらの表現を百科事典にそのまま記載することは価値があるでしょうか?それぞれの形容詞に、どのような観点からどのような基準で評価したときの形容なのかが添えられない限り、価値のある情報とは言えません。

「情報を合成している」、「日本語がおかしい」、「出典の有無」という表面的な問題を考える以前に、そもそも基準が不明確な形容を百科事典にそのまま記載することに問題があると思われます。--お殿 2010年9月20日 (月) 20:54 (UTC)[返信]

コメント 挙げられた文献の記述に鑑みて、「頸部は比較的長いか長い」という表現は適切であると思います。当該箇所はカモ科の全体的な傾向を記述したものと考えられ、少数の反例を以って除去することは不適切です。「頸部の短い種もいる」ならば、その点を別の出典に基づいて併記すべきです。- NEON 2010年9月22日 (水) 02:47 (UTC)[返信]

「頸部は比較的長いか長い」についてですが、図鑑にはごく普通にこういう記述が出てくる現実もあるんですよね。藻類図鑑などもっとひどいです。基準が不明確といわれればおっしゃるとおりな部分があるのですが、種の記載はもともとこういう曖昧な定義しか伴っていないものが珍しくありません。下手に明確化しようとすれば独自研究になりかねず、ウィキペディア上で説明するとしてもそういう記述スタイルを踏襲せざるを得ません。ですが、確かに利用者:山間部氏の主張はわからないではありません。図鑑になじみのない人から見れば「なんだこれは!?」となるでしょう。ひとつの現実的な方法は《本属の特徴として、XX図鑑には「頸部は比較的長いか長い」と記述されている》と、参考文献に完全に下駄を預けてしまうことでしょうね。--Kojidoi 2010年9月22日 (水) 17:17 (UTC)[返信]

出典があることは必要条件であって十分条件ではありません。

まず一点、頸の長い鳥類を考えれば、"頸部は比較的長いか長い"という表現において、比較的とは何と比較してのことでしょうか?フラミンゴ科に属する鳥、ダチョウ目に属する鳥、ツル目に属する鳥、コウノトリ目に属するサギコウノトリなどが挙げられ、カモ科の鳥類はこれらの鳥類より短いのは明らかです。また、のように比較対照とすることが難しい種もあります。「ほ乳類の中でキリンの首は長い」という疑いようのない表現と比べて、観点によって疑問が生じる余地があるわけです。基準が曖昧で、さらに比較的長いか長いとすることによって言葉を濁していることで、この問題をごまかしています。


次に、「「頸部は比較的長いか長い」についてですが、図鑑にはごく普通にこういう記述が出てくる」とのことですが、図鑑の記述が直ちに百科事典の記述となりうるかという問題があります。比較的と言う以上、比較対照があるはずですが、当該箇所のみ抜き出すことによって比較対照が無くなってしまいます。図鑑の編集者は比較対照となる鳥類グループを定義しているか、定義しなくともイメージしているはずですが、それを切り離して表現だけを取り出すと、百科事典の記述にふさわしくなくなってしまいます。図鑑はあくまで、図鑑であり、ウィキペディアの読者は、百科事典としてウィキペディアを閲覧します。

既に挙げたように、「北海道は広大である」や、「アメリカは広い」、という表現を出典を添えて提出することはとても容易でしょう。しかしこれは百科事典の記述にはふさわしくありません。面積が挙げられれば、それは情報として価値があるでしょうが、仮に信頼できる出典に基づいていても単に広大であるとの表現には意味がありません。そういう意味では、例えば解剖学的な見地から椎骨の数を挙げたり、本グループより頸の長い鳥類、短い鳥類のいずれとも長さを対比できる図を加えるなどの努力が必要でしょう。単に出典があるからと言って抜き出してこればよいということはありません。--お殿 2010年9月22日 (水) 23:42 (UTC)[返信]

私はカモ科についてたとえば「解剖学的な見地から椎骨の数を挙げ」る研究などがどの程度されているか存じません。そういう研究があるなら原著論文を引いてそのような記述を加筆していくのがベストなのは言うまでもありません。ですが、記載論文にもその後の論文にもそうした厳密な言及が見当たらない分類群というのは存在します。カモ科の現状がそうであるなら、ウィキペディア上にも曖昧な定義しか書きようがないということになります。「図鑑の編集者は比較対照となる鳥類グループを定義しているか、定義しなくともイメージしているはず」とのことですが、文献上に明確な定義がないものをウィキペディアの編集者が推測で補うことは「独自研究」となり、許されていません。ウィキペディア上には「明確な基準がない」と書くしかなく、既存の文献にはせいぜいこの程度の記述しかないということを記すしかないわけです。--Kojidoi 2010年9月23日 (木) 02:12 (UTC)[返信]

文献上に明確な定義がないものを無理に百科事典に記載する必要はありませんよね。なんで、定義がないのに「比較的長いか長い」という表現が存在し得るのでしょうか?「比較的長い」と「長い」に線びきがなく、しかも、比較的と言いながら、比較対照がないということであるならば、そんないい加減な表現を信頼する情報源とみなして無理に記載する必要はないでしょう。そして、カモ科よりも首の長い分類群がいくつも存在するということであるならば、なおさらです。これは、日本語表記と論理構成のあやまりを含んでおり、そのような表現を無理に百科事典に採用する必要はありません。これ以外にも、本項目には、「多くの種」「一部の種」についての説明を含みすぎており、「カモ科」の直接の説明とはなっていないと思います。--山間部 2010年9月23日 (木) 05:10 (UTC)[返信]

あなたが分類群の記載をやったことがあるかどうか分かりませんが、「比較的長いか長い」のような曖昧な表現は原記載から出てきます。種レベルならば具体的な変域を数字で出したり、「頭いくつ分」のような表記をしますが、属以上の定義では緩い記述はめずらしくありません。
尤も、自分も鳥類を記載した事は無いので、もしかしたら「鳥類分野の記載に曖昧な表現は存在しない」のかも知れません。しかし生物の記載における一般的な慣例を元に述べるならば、『なんで、定義がないのに「比較的長いか長い」という表現が存在し得るのでしょうか?』という問いの答えは、「原記載からそのような表現が使われるから」ということになります。記載のレベルを超えて詳細な記述を行っている文献が別途存在すれば、それに依拠した書き換えは当然歓迎されます。そうでなく、単に「日本語として曖昧だから除去する」という姿勢は、本記事に関しては不適切です。- NEON 2010年9月23日 (木) 05:43 (UTC)[返信]
これは実際にそういう文献を読みながら分類学の議論をした人でないとなかなか信じられないかもしれませんが、NEONさんがご指摘のとおり、分類学ではちょっと数学や物理学やらでは考えられないようなこのレベルの「いい加減な表現」がもっとも信頼できる情報源(記載論文)でも普通なんです。そういう世界なんだということはわかってもらいたいと思います。ウィキペディアの対応としては、そういう情報源は一切認めないという姿勢はありうるでしょう。しかし、その場合、分類群の記述から形態学的な記述は大部分除去しなければならないという事態になり、それは現実的とは言えません。そこで「この文献にはこう書いてある」というメタな記述方法で行くしかないというのが私の考えです。「こう書いてある」は検証可能な客観的事実ですのでその加筆にウィキペディアの方針との齟齬は生じません。その中身が曖昧であるとか論理が破綻しているとか言うのは読者がそれぞれ判断すればよいことです。--Kojidoi 2010年9月23日 (木) 06:06 (UTC)[返信]

コメント 生物学における「いい加減な表現」は、学者の感覚に依存するところが大きいと思うので、それが百科事典でどう書くかというのは難しいところです。わかりやすく書き直せれば良いですが、それで意味が変わってしまっては元も子もないので、表現をカットするのも一つの手ではないかと思います。--でんばー教授 2010年9月23日 (木) 15:11 (UTC)[返信]

まず、「原記載からそのような表現が使われるから」という議論をするなら、原記載にどのような表現が使われているのかを踏まえて議論を行うべきです。それが慣例で、そんなことはよくあると言われてもなんら議論に寄与しません。日本語としておかしいのですから、原記載に表現の誤用があるのならば、それは個別に検証されるべきですし、誤用がないのなら議論するまでもありません。その上で、必要なら「この分類群の記載論文〜では〜と定義されている」と明確に表現できるはずです。その点で、Kojidoiさんの意見を支持する一方、現在の表現が百科事典にふさわしくないという立場を維持します。

次に、記載論文はある分類群にとっては一番研究がなされていない段階での論文の一つなのですから、それをむやみに重視する必要はないと思います。たとえば生物に限らず、化学における新しい合成手法についての論文や、物理学における新しい測定装置についての最初の論文を見れば、noble、great、compact、effective、attractive、interesting...といった形容詞が並ぶこともあるでしょう。それらが発明者や発見者によっていかにnobleであり、attractiveだと主張されていてもなぜnobleなのかという理由を添えずに「〜はnobleでattractiveである」という表現を百科事典にそのまま記載するのはおかしいでしょう。

記載論文の執筆者は、他の生物群と区別する根拠を示せばよいのであって、それが直ちに動物の形態を説明するための十分な説明をしているとは限りません。形態についての研究や、生態についての研究はそれぞれ分類についての研究とはそもそも異る性質のものであって、ましてや、最初に生物群を分類したり発見した時に十分研究されて当然なことではありません。分類における記載論文に記述が不十分ならば、それをそのまま百科事典に導入する必要はないでしょう。したがって、記載論文では曖昧な記述があることもあるいうこともあるというだけでは、曖昧で言葉を濁した記述を百科事典に載せる根拠としては不十分だと思います。--山間部 2010年9月24日 (金) 01:07 (UTC)[返信]

いくら出典の表現が「ふさわしくない」「おかしい」「曖昧だ」と主張しても、そのような執筆者の意見のみを以って、出典のある記述に対抗することはできません。既に提示された情報源を否定するだけの情報源を示し、それに基づいて議論や修正を行って下さい。- NEON 2010年9月24日 (金) 02:47 (UTC)[返信]


いくら出典があったとしても、言葉を濁したり、誤った日本語を用いたり、間違った記述を加えてよいという話にはならないでしょう。言葉を濁していない、誤った日本語ではない、間違った記述ではないということならともかく、それが特定分野の文献では曖昧な表現が用いられているからという説明で百科事典への加筆がなされるべきでしょうか?ショパンの旋律が美しいという表現がいくつの文献に書かれていたとしても、それがそのままWikipediaに加筆されるべきではないでしょう。
私は、少なくとも百科事典における日本語の用い方が間違っていると申し上げており、これは百科事典の読者として不可解な表現であると認識した上での意見です。「出典があれば対抗できる」などという不思議な価値観に基づいて議論すべきだとは思いません。アホウドリ科において出典に基づく訂正を繰り返し一方的に差し戻され、ハクガンにおいては、検証をお願いするタグを除去し、本項目においても二ヵ月にわたって検証を促すタグを設置されたにもかかわらず、除去された後、わずか21時間後に再び意味不明な日本語に戻すことが対抗することだというなら、馬鹿げていると思います。
「頸部は比較的長いか長い」ないし「頸部は中程度か長い」はいずれもおかしな表現でしょう。まずは、これが日本語として正しいのか否かについて議論すべきでしょう。私は「比較的長いか長い」「頸部は中程度」のいずれもありえない構文であると考えています。日本語の文として適切でないなら出典の有無について議論するまでもないですし、日本語の文として適切なら出典の信頼性に議論を移すことができるでしょう。--山間部 2010年9月24日 (金) 07:32 (UTC)[返信]
では「日本語の用い方」に絞った話ですが、例えば「頸部の長さは中くらい[1]、もしくは長い[1][2][3]。」ではどうですか?-NEON 2010年9月24日 (金) 08:04 (UTC)[返信]
まず、日本語の用い方に関して、不適切な日本語への度重なる差し戻しまで出典の存在でゴリ押しされないことが確認されたことに安心しました。ありがとうございます。次に、出典の合成について、意見を述べます。
「頸部の長さは中くらい[1]、もしくは長い[1][2][3]。」という表現について、ある文献に中くらいと書いてあり、別の文献に長いと書いてあったとき、これを繋ぐことは出典の合成であると考えています。ある観点では中くらいであり、別の観点は長いと書いてあるならば、それらの文献の著者の間に長さについて意見の一致はないということです。これを「もしくは」で繋ぐことは日本語の読解として問題があります。ある人はいちごはすっぱいと述べ、別の人がいちごは甘いと述べたからと言って、直ちに「いちごはすっぱい、もしくは甘い」とはならないのです。同様の問題はMoss氏の投稿に他にも見られます。たとえばアホウドリに見られる「後肢の色彩はピンク色[5]、青灰色で[7][a 2]、」という記述には同じ問題があると思います。
さらに、片方の文献では特定の種についての言及を根拠に長いと述べているのであれば、これは独自研究であると言うこともできます。ハクチョウ類「くびは長い」「長いくび」、32頁ガン類「長いくび」、38頁リュウキュウガモ類「くびと足の長い」は根拠として挙げるには不適切です。ハクチョウ属などは、カモ科の中では顕著に首が長いのであって、ハジロ属やコケワタガモ属などは長くはないのです。特定の種やグループの特徴についての言及を分類群についての説明の根拠として挙げることは出典の不適切な合成の一形態です。--山間部 2010年9月24日 (金) 09:06 (UTC)[返信]
大意としては「本科の特徴として、頸部の記述に一般性を持たせて挙げることは妥当でない。それは著者によって表現が分かれていることと、下位分類における多様性が大きいことに依る。」という事でしょうか。
私の理解が正しいとして、上記を踏まえて記事への対応を考えるならば、頸部の記述については
  • 文献間で整合性が取れる(であろう)属レベルまで書き下ろす
  • 各属の記事に説明を預ける
などが候補になりそうですが、どちらが適切だと思いますか。もしくは他の対応法があるでしょうか。- NEON 2010年9月24日 (金) 09:43 (UTC)[返信]
横から失礼いたします。
とりあえず、「頸部は比較的長いか長い」「頸部は中程度か長い」のようなおかしな日本語を地文で使うべきではないという意見に賛成いたします。
「民俗や史料、芸術作品などに登場する動物に関する記述などが、何の理由も添えられずに問答無用で削除される」といったことが、動物名を冠した項目の分野ではたびたび起こっていますが、今回のこの件も根は同じで、「もっぱら生物学的・分類学的データに関心のある読者だけを相手に記事を書けばよい 」という共有されていない思想立場の顕れであるように感じます。 私としては、そのような考え方は絶対に正しくないはずだ、と主張せざるを得ません。 (文化的・民俗的側面に関する記述が一度ならず掃討され、一向に蓄積していかない様は、まことに悲しいものです。)
さて今回の件を具体的にどうするべきかですが、まず地の文には、「頚椎が比較的長く、頸部がはっきりしていて、なかにはハクチョウのように印象的なシルエットをもつものもいる」とか、(もしかすると“印象的”のような言葉は排除されたいかもしれませんが)せめて「比較的頸部が長く、はっきりしている」というような、妥当な日本語を用いるべきです。どの動物種の記事においても、最低限の日本語の質を軽視するべきではありません。その上で、 Kojidoiさんのご提案のように図鑑の文言を直接引用されてはいかがでしょうか。引用の部分は脚注に追い出してしまってもいいかとも思います。 ぎゅうひ 2010年9月24日 (金) 08:50 (UTC)[返信]
すみません、NEONさんの編集と行き違いになったようです。
私の意見は上の通りですが、「頸部の長さは中くらい」という表現にやはりいくらか難があるのではないでしょうか。端折った言い方をしてしまいますが、「短い~やや短い~中くらい~やや長い~長い」のような脳内スケールというのは“理科系的”な発想であって、そうした感性をもっている人ばかりが見に来るわけでもないだろうと思うのです。別の感性の人たちにとっては、これは理解不能ではないにしても、少しわかりにくい表現だったりしないでしょうか。
もしかすると、「動物種の項目は理科系な頭・関心をもつ人のみを対象にすればよい」というお立場もおありかと思います。であればほんとうはそこから話さないといけないですよね。私はそのような立場には反対の立場です。 ぎゅうひ 2010年9月24日 (金) 08:59 (UTC)[返信]
横から失礼します。専門的な文脈では言い回しとして特殊な日本語が登場することは、決して稀なことではなく、一般人を対象とする百科辞典もこの例外ではありません。確かに見方によっては日本語の言い回しとして著しく不自然かもしれませんが、「意味が通じ、しかも検証可能な表現である」という点で、よりよい表現へ推敲されるまでの暫定的な記述として許容する態度もまた、ウィキペディアにおいてありうる立場であると思います。ノート:酵素#触媒する?などの過去の議論も参考になるかもしれません。--210.235.56.13 2010年9月24日 (金) 11:43 (UTC)[返信]
ウィキペディアは基本的には「専門外の人」に情報を提供するためのものであり、分類学的な記載文における慣例になじみの薄い人が読んでもわかりやすい日本語を心がけるべきとの指摘に対して、異議は全くありません。NEONさんがそのような議論に応じる姿勢を見せておられることを歓迎したいと思います。(もっとも、ぎゅうひさんの「短い~やや短い~中くらい~やや長い~長い」のような脳内スケールというのは“理科系的”である」との主張には個人的には驚きました。私はむしろ「非理系的(非論理的)」なのが問題であると考えています。)
一方、「基準が不明確な形容を百科事典にそのまま記載することに問題がある」といった主張には、分類群の定義には必ず明確な記述がともなう、あるいは将来的にはそうなるという前提のもとに主張をくみたてておられるように見受けられ、それは分類学の現状に照らし合わせていささか非現実的であるということは指摘しておく必要があると思いました。また「新しい測定装置がattractiveである」とか「ショパンの旋律が美しい」とかの例示は本件の議論には不適切であると思います。これらは対象物に関する後付けの評価の一例ですが、分類群の定義は形態学的な特徴の記述に大きく依存しており、首が長いとか短いとかいうのは「定義の一部」です。その定義がしばしば「曖昧語」を含んでいるから事態が難しくなるのであって、もともと明らかに評価者の主観である「ショパンの旋律が美しい」の話とは質が異なります。
「頸部は比較的長いか長い」の日本語の話に移りましょう。私が当初から考えているのは「頚部の長さは種によって様々で、XX図鑑(あるいは論文)では『……』と記載されている」というスタイルですが、「文献間で整合性が取れる(であろう)属レベルまで書き下ろす」姿勢を重視するなら、「頚部の長さは種によって様々で、XX属鳥類のように長いものからYY属鳥類のように短いものまでみられる」といった書き方も考えられます。一方、その辺の話は下位分類群の記事に譲って当該記事からはばっさり削ってしまうというのも選択肢です。どちらが妥当かを判断するには、これまで議論に出てこなかったもう一つの観点、すなわち、「記事内容の特筆性」との兼ね合いを考慮するべきでしょう。カモ科の鳥の首の長さにはキリンの首ほど顕著な内容上の特筆性は伴っていないように感じられます。その考えに立てば削除となるでしょう。一方、同科の鳥の首の長さがそれらの生態などと重要な関連性を有しているとか、鳥類の他の科では首の長さが大体一様なのにカモ科に限っては長かったり短かったり極めて多様であるとなれば、それはそれで特筆性を認めうると思います。--Kojidoi 2010年9月24日 (金) 17:00 (UTC)[返信]

NEON様、「本科の特徴として、頸部の記述に一般性を持たせて挙げることは妥当でない。それは著者によって表現が分かれていることと、下位分類における多様性が大きいことに依る。」という事で、一旦よいと思います。すばらしい咀嚼をありがとうございます。 少なくとも、下位分類を説明する情報源を組み合わせることで上位分類を説明するとおかしなことになることがあるという点、これを研究の合成の一つだと考えています。「下位分類における多様性が大きいこと」というのは、現実におかしなことになっていることを分かりやすく説明するために私が加えた見解ですので、これらは区別して頂いてもかまいません。このような研究の合成は避けるという点でひとまず御理解頂いたことに感謝します。NEON様の提案により、そもそも日本語の文法、研究の合成という点で百科事典に載せるべき記述ではないと考えていた私の当初の問題意識については、本議論によって以下の生じた新たな問題点を除いて、解決できる可能性があると考えます。

さて、次に問題となることは、本当に頸部の長さが分類群の定義と言えるのか?ということです。要するに、本当に他の鳥類と区別する上でまとまった見解があるのか、という問題です。本当に、定義であるというのなら、なぜ書籍によって定義がばらついているのか、という疑問もあります。これが単に上で述べたような研究の合成によって生じたエラーなのか、それとも定義について主流と異端のある話なのか、あるいは情報原の著者による対象物に関する後付けの評価なのか、区別できない状態にあるのが現状です。

「定義の一部」だとおっしゃるのに、特筆性があるかどうかに問題意識を持たれるKojidoi様の立場も、少し自己矛盾しているように思います。もし、分類を決定する上で必要な定義であるなら、特筆性がないはずもないでしょう。というわけで、「定義の一部」なのかどうかについて、Kojidoi様も確信には至っていないような印象を受けました。ショパンのピアノ曲の評価と区別できないというのは、情報原の著者による対象物に関する後付けの評価なのか「定義の一部」なのかが区別できないとする私の立場からの例示です。

もう一点、「分類群の定義には必ず明確な記述がともなう、あるいは将来的にはそうなるという前提のもとに主張をくみたてておられるように見受けられ、それは分類学の現状に照らし合わせていささか非現実的であるということは指摘しておく必要がある」とのことについて、すでに2000年ごろから、分類学に形態学上の特徴を用いることによる誤りは多くの生物群で指摘されています。分子生物学の手法によって、遺伝情報の比較が可能になったためです。分類群の定義として将来にわたって形態学上の特徴についての曖昧な表現で「定義」することはなくなっていくと思います。そうなると、形態学的な特徴を述べることは定義ではなく注釈や備考の性質を持つでしょう。

とはいえ、将来についての個人の予測をあげても議論になりませんので、まずは、あげられた出典が現時点での「定義の一部」なのか、それとも、定義の一部だと誰かが解釈しているだけなのかどうか確認するべきでしょうね。その上で、先にKojidoi様がおっしゃったように、「〜は〜と定義している」という記述を加えるのがよいと思います。--山間部 2010年9月25日 (土) 01:00 (UTC)[返信]

近年では Haec classis per xxxDNA cum ordinatione originali. という便利な表現が使えることもあり、原記載を含めて形態形質の扱いが変わっていることは確かです。記述の本質的な部分に関しては、文献を当たってから考えたいと思います。それが合意に結びつくかどうかは別ですが。
  • Delacour J, Mayr E (1945). “The family Anatidae”. Wilson Bull 57: 3-55. 
  • Livezey BC (1986). “A phylogenetic analysis of Recent anseriform genera using morphological characters”. Auk 105: 681–98. 
  • Donne-Goussé C, Laudet V, Hänni C (2002). “A molecular phylogeny of anseriformes based on mitochondrial DNA analysis”. Mol Phylogenet Evol 23 (2): 339-56. 
  • Livezey BC, Zusi RL (2007). “Higher-order phylogeny of modern birds (Theropoda, Aves: Neornithes) based on comparative anatomy. II. Analysis and discussion”. Zool J Linn Soc 149 (1): 1-95. 
動物に関する資料は手持ちが少なく、購読していない雑誌もあるので、少し時間がかかるかも知れません。- NEON 2010年9月25日 (土) 06:33 (UTC)[返信]

クイナ科の項目をみると、「頸部は短いかやや長い」こんなものあるけど、これも定義なの?なんか日本語感覚がズレすぎている気がするのですが。--お殿 2010年9月25日 (土) 03:31 (UTC)[返信]

分類群の定義というのはある特定の部分の性質だけで語れるわけではなく、あらゆる属性を総合的に考慮して定義するものです。頸部の長さが*cm以上すなわち**科と云うようなわけにはいきません。「ずれ」た日本語が結果的に出てきてしまうのはやむを得ない部分もあるのですよ。そこは理解してください。--Kojidoi 2010年9月25日 (土) 04:33 (UTC)[返信]

:へぇ、これもやっぱり定義だとおっしゃるんですね?それが定義だとする根拠は?どう見ても変な日本語がそこにあるという事実しかみえないのに、それが定義だと一方的に言われても信頼するわけにはいかないですよ。ウィキペディアなんだから、それが定義なのだという根拠となる情報源を示して下さい。単に図鑑にある記述をつなぎあわせたらそうなったというのでは、それを定義だとは言えませんよね?--お殿 2010年9月25日 (土) 04:52 (UTC)[返信]


生物の文献をもってこなきゃ無理やり差し戻すくせして、生物の文献なら無茶苦茶な日本語でもOK、対抗したいなら別の文献もってこいって本当に空しいと思う。「頸部は比較的長いか長い」がだめだと言われたから、「頸部は中程度か長い」に直してそれでいいだろって小学生みたいなことをしてどうするんだ?この人にとっちゃ「比較的長い」を「中程度」に変更することは躊躇無くできるくせに、それを定義だと言い張るなんてまるでおかしな話じゃないか。で、書いた本人は話だけ振って、他で似たような執筆を繰り返している、、、と。生物学関連記事執筆者の態度の問題が第一にあって、記事の問題とか出典の問題はそれが解決しないことにはどうしようもないでしょ。--MOISTUREMOLECULARMONSTER 2010年9月25日 (土) 04:53 (UTC)[返信]

googleで検索する限り、"頸部は短いかやや長い"という表現はウィキペディアのクイナ科にユニークな表現だと思いますよ。もっとも、「比較的長い」を「中程度」に変更できるなら、"頸部は短いかやや長い"も"頸部は短いか中程度"に脳内変換して読むべきなのでしょう。--MOISTUREMOLECULARMONSTER 2010年9月25日 (土) 05:12 (UTC)[返信]

話を戻しませんか?結局問題なのは、定義定義といって定義なのかよくわからない記述について議論していることでしょう。そういう不毛な主張を生物関連のする人がするらしいという話は脇に置いておいて、とりあえず、この記事の問題に集中すべきです。山間部さんのおっしゃるように、本当に定義なのかという点も不明ですし、NEONさんやKojidoiさんが言うような定義が本当に分類学における定義なのかっていうのも問題です。定義の定義が人によってバラバラでは議論の収束は望めません。それが分類学における定義だっておっしゃる前に、何が分類学における定義なのかを定義していただかないことにはお話が進まないと思います。--お殿 2010年9月25日 (土) 05:18 (UTC)[返信]

だからさぁ、定義の定義を押し付けてくる人相手に議論できるか?「頸部は比較的長いか長い」がだめだと言われたから、「頸部は中程度か長い」に直してそれでいいだろって言い張る人相手に定義を定義しろなんて言って通じると思いますか?俺は生物学なんて大層なものはよくわからないけど、生物学における定義ってやつは、中くらいもやや短いもやや長いも柔軟に変更することが許容されるような定義なんだよ。だからなんて書いてもいいし、書かなくてもいい。それをウィキに書くべきかっていったら、どっちでもいい。問題はそんないい加減なものを定義だといって他人に押し付けることでしょ。それがここに限らずあまりに多くの生物関係の記事で起きているっていうのが問題で、それを解決しないと話は進まないでしょう。--MOISTUREMOLECULARMONSTER 2010年9月25日 (土) 05:29 (UTC)[返信]

そういう話なら、ここでするのは不適切です、コメント依頼をだすか、ご本人のノートで直接おっしゃってください。ここでは現在カモ科記事に含まれている問題を解決するための議論をしています。--お殿 2010年9月25日 (土) 05:33 (UTC)[返信]

そういうことなら、こういう不毛な議論をする前に、無意味な言葉の挿入なのですから、そのまま何も言わずに除去でよいでしょう。それが定義であると言うひとが、それが定義だと示したときにまた考えましょう。「生物の文献ではない」などという根拠不明な理由で、除去するよりもよほど説得力があります。--MOISTUREMOLECULARMONSTER 2010年9月25日 (土) 05:48 (UTC)[返信]

っていうかもう除去されてますのでそれでいいと思いますよ。一旦落ち着いて、新しく定義についての論拠が示されるまで議論を休止しましょう。そうしないと、「分類学ではこんなもんだ」とおっしゃる方と「そんなもんしらん」という方で対立してしまいますし、「こんなもんではいかん」のがウィキペディアですから。--お殿 2010年9月25日 (土) 05:53 (UTC)[返信]

コメント まず冷静になって頂きたいと思いますね。妥協と合意のために議論しないと収拾がつかないと思います。--でんばー教授 2010年9月25日 (土) 05:57 (UTC)[返信]

履歴をみるともともと「頸部は長い」とあったわけです。

  • 2009年11月5日 (木) 23:43時点における版にて:山間部さんによる要出典設置
  • 2009年11月7日 (土) 09:50時点における版:Mossさんによる比較的長いか長い
  • 2009年11月14日 (土) 23:35:ManPさんによる 言葉を濁さない
  • 2009年11月15日 (日) 14:43 Mossさんによるリバート
  • 2010年6月27日 (日) 06:43時点における版:山間部さんによる問題箇所への要検証設置
    • コメント(要検証意味不明な表現、または定義不明な用語の使用、出典の不適切な合成の可能性)
  • 2010年9月2日 (木) 13:13 山間部 (会話 | 投稿記録) (14,209バイト) 形態: 改善が見られないので、除去します。
  • 2010年9月3日 (金) 10:02 Moss (会話 | 投稿記録) M (8,341バイト) (参考文献脚注化) 頸部は中程度か長い[2]に変更

このやりとりをみて、これを、論拠に基づく定義だと主張することが冷静だとは思いません。Mossさんによる異常に速やかな、しかし説明の無い除去や作業の取り消し、結果的な無効化に対して、山間部さん等は一年近く、十分すぎるほど忍耐強く対応しています。これは、利用者:Mossさんの態度が問題の根底にあるのであって、議論を進める上でそれを無視して妥協について検討する必要ないと思います。どうしても記述を加えたい人が、それが記述されるべきを説得力のある形で説明したときに初めて対等な議論ができるというものでしょう。--MOISTUREMOLECULARMONSTER 2010年9月25日 (土) 06:20 (UTC)[返信]

う~ん、、、状況証拠を見る限り、これが本当に定義だと思ってMossさんが編集していたのかは疑問ですね。実際、表現をころころ変えていますし、記事も監視されているようなのに、要検証タグを長期間無視して、いざ除去されたら対抗措置をとるなど、ただ単に縄張り争いをしようとしているように見えます。ここまでは、これは生物分類における「定義」であり典拠があるのだから信頼せよという仮定のもとに議論がなされてきましたが、残念ながら、これが本当にそういう性質のものかどうかは疑いのある状態と言わざるをえないでしょう。表現が日本語からズレていることはともかくとして、執筆者の姿勢がズレているのであれば、議論の方向を一旦修正する必要があるかもしれません。--お殿 2010年9月25日 (土) 06:27 (UTC)[返信]

定義がどうこうという話は私が勝手に持ち出したわけで、NEONさんがどうとらえているかは知りません。持ち出した私が不用意でした。やめましょう。分類学がどう生物を分類を進めてきたのかを理解していただかない限りなぜこんな「あいまいな」定義が横行しているのかは理解していただけないでしょうし、また理解していただいたところでそれはWPの方針とはまた違うものなのですから、ここでそれを突き詰めても意味がありません。問題の表現が日本語として再考の余地があることは認めますしNEONさんもその方向の議論に応じているので、そのまま議論を進めればいいと思います。なおMOISTUREMOLECULARMONSTERとかいう人が出てきましたが、投稿履歴を見る限り、この人は信頼性に欠く出典に基づく加筆を強行しようとして、リバートされるべくしてリバートされたことへの逆恨みをしているだけであると思いますので、まともに取り合う必要を感じません。--Kojidoi 2010年9月25日 (土) 11:47 (UTC)[返信]

MOISTUREMOLECULARMONSTERさんが、新しく提示された論点は私もあまり関心がないのですが、ここでも、「信頼性に欠く出典に基づく加筆を強行しようとして」といっているが、信頼性に欠けるかどうかの基準が示されていません。実際のところ、信頼性に欠けるというのは情報源がどのような人物、手続きによって査読されているかが重要で、その点でどちらがマシなのか示すだけの根拠が提示されていないように思います。私も、アホウドリ科において、「生物学の文献に基づく」という理由で物理学的にありえない記述を強硬に差し戻され、主張された経験があります、また直近でも、ハクガンの項目においてあきらかに怪しい記述への要検証タグを有無を言わず差し戻しされた経験を持ちます。生物学の文献に基づくというだけで、検証をリクエストすることすらできないとすればWikipediaの編集はとても偏よったものになってしまうでしょう。このような問題は、多くの生物関係の記事で発生しており、Moss氏のコメント依頼にも指摘されているのは事実だと思います。これを単に逆恨みとしても大局的には問題は解決しないでしょう。

さて、ここまでに、少なくとも日本語の使用方法が不適切で改善の余地があるという点と、情報源の合成によって記述内容に問題が生じていること、原記載を含めて形態形質の扱いが変わっていること、定義と呼ばれているものについての定義であるか否かについての論拠の不足、を指摘しました。加えて、元執筆者が単に気に入らない記述を除去したいために繰り返し再投稿し問題の所在が曖昧になってきた可能性があることが指摘されました。それぞれについて、一般的に記載論文の表現の曖昧さはその程度だ、信頼性に欠く出典に基づく加筆を強行しようとして、リバートされるべくしてリバートされたことへの逆恨みであるMOISTUREMOLECULARMONSTERさんの意見はとりあう必要はない、という反論があげられています。これらのうち、いずれを問題視し、いずれを問題視しないかについて意見のまとめを一旦行う必要があるように思います。NEONさんが文献を当たってくださっているようですし、加筆努力は継続すべきだという点で反論する者はいないでしょう。まず今回あげられた問題点について、問題意識を共有できるかについてまとめませんか?--山間部 2010年9月27日 (月) 00:14 (UTC)[返信]

「少なくとも日本語の使用方法が不適切で改善の余地があるという点」-- これについては議論が進行しています。
「情報源の合成によって記述内容に問題が生じている」-- 現状で特に議論すべき問題があるとは思いません。
「原記載を含めて形態形質の扱いが変わっていること、定義と呼ばれているものについての定義であるか否かについての論拠の不足」-- 前述のようにこの場でこの問題を議論することに労力に見合うメリットがあるとは思えません。議論するとしても、ここではなくしかるべき場所に移動して継続するべきです。分類とは何ぞやというのは、非常に高度な議論です。ほんらい大学院で議論するような話で、ここで片手間に結論が出せるような問題ではありません。
MOISTUREMOLECULARMONSTERさんの意見 -- 山間部さんは私が提示したリンクの先をご覧になったのですか? 「信頼性に欠けるかどうかの基準」など議論する以前のレベルの話です。WP:RSをひも解くまでもなく、この件に関してこの人の指摘は完全に的はずれであり、NEONさんの差し戻しは完全に適切です。--Kojidoi 2010年9月29日 (水) 15:50 (UTC)[返信]

結論から書くと「首の長さはカモ科の分類形質として重要でないが、形態的特徴の説明の一部として有用である。妥当な表現は "比較的長い"。」です。以下理由と見解を述べます。

  • 「比較的長い」の直接の根拠は Brown et al, p220 および eol の "relatively long" です。
  • Anatidae の authority には Vigors, 1825 と Leach, 1820 の二通りがありますが、いずれも記載論文・書籍が見つかりませんでした。
  • カモ科の分類形質として頸部の長さを重要視している論文は見つかりませんでした。
  • Delacour et Mayr, p4 において、「かつてカモ科の分類は専ら嘴と脚の形状に基づいていた。」と記述された上で、これらの信頼性も同書で否定されています。
  • 構造学的な書籍(King et McLelland, p13-14)も見ましたが、分類形質としての言及はありませんでした。
  • とは言え、書籍ではカモ科の概要で首の長さに触れているものが多く、Brown et al では説明の一番最初に述べられる特徴です("Water birds with relatively long necks, ...")。したがって省くべきでないと考えます。
  • 異なる表現(「長い」他)している書籍については、本文に入れず脚注で述べることを提案します。例えばオキナエビスガイ科を見て下さい。WP:NPOV の観点から、これらも省くべきではありません。

参考文献です。下記に加えて先に挙げた論文と他数報を見ましたが割愛します。

  • Leslie H. Brown, Emil K. Urban, Kenneth B. Newman (1982). The Birds of Africa, Volume I. Academic Press. ISBN 978-0121373016  アフリカの鳥類相に関する本ですが、3冊組で各節の最初に該分類群の詳しい説明があります。
  • A.S. King, J. McLelland (1984). Birds: Their Structure and Function (2nd ed.). Londin: Balliere Tindall. ISBN 978-0702008726 
  • Anatidae -eol

- NEON 2010年9月28日 (火) 03:42 (UTC)[返信]

NEONさん、ご苦労様です。大筋で結論を支持したいと思います。あとは、≪定義がないのに「比較的長いか長い」という表現が存在≫することが納得できない方々をどう説得するかですね。--Kojidoi 2010年9月29日 (水) 15:50 (UTC)[返信]

「比較的長いか長い」という表現が、定義であり、記載論文にそのような表現がしばしば現れる(だからカモ科の頸部が比較的長いか長いという表現は定義である)という根拠の曖昧な主張によって議論進行されていたので、その部分についてはNEONさんの努力によってある程度解消されたと思います。

編集合戦の結果このような表現が創り出されたというらしいという指摘について、その経緯はともかくとして、より日本語らしい表記にするという意見を支持します。まず、<<比較的長いと説明している情報源があり、長いと説明している情報源があるから>>という理由で「比較的長いか長い」という作文にはならないだろう、という山間部さんの独自研究説について、同意します。

NEONさんのWP:NPOV の観点から、これらも省くべきではありませんという意見について、仮に「葉は緑色である」「葉は深緑である」「葉は比較的深い緑色である」という記述があったとして、「葉は緑色か深緑か比較的深い緑色である」という編集はアウトだと思います。正確には「葉の色は緑色、深緑、あるいは比較的深い緑色と説明される」ということでしょう。この部分を、あたかもこの分類群の定義における表現だという前提で編集合戦が進行し、そして議論が拡散してしまっていたように感じます。

百科事典としてどこまで多数の観点における微妙な表記ぶれを組み込むのか、あるいはこのような曖昧な定義ではなく著者による感覚的な説明における表現のわずかな違いを全て、出典があるから主義に従って記載していくとしたら、百科事典の編集としてはあまり合理的ではないような気がします。しかし、一部の編集者が「比較的長い」と「長い」にこだわっているということであるならば、「本文に入れず脚注で述べる」という措置を受け入れてもよいと思います。--お殿 2010年10月2日 (土) 05:03 (UTC)[返信]

報告 異議が無いまま議論が停止したので、とりあえず上記表現に差し替えました。自分の提案が完全に支持されたとは思っていませんが、放置するわけにもいかないので。- NEON 2010年10月14日 (木) 10:17 (UTC)[返信]

報告記事については解決できたようですので、Moss氏の編集指針についてのコメントをWikipedia:コメント依頼/Mossに行いました。--お殿 2010年11月20日 (土) 14:10 (UTC)[返信]