ノート:カバネ
「かばね」と「こっぴん」の発音が似ている、と書いてありますが、どこがどう似ているかわかりません。
- ノートでは署名をしてください。誰の発言か分かりません。koppinとkabaneの発音ですがp→bの転訛が起こりやすく、母音も変化しやすいと考えればkpn→kbn で似ていると言えるかも知れません。それよりも本文で骨品制が高句麗の制度となっていますが、これはどういった根拠があるのでしょうか? 骨品制は新羅の制度としてよく知られていますが、高句麗の制度というのは聞いたことがありません。-うぃき野郎 2006年7月30日 (日) 5:40 (UTC)
太田亮は原始的カバネとして「つみ(積)」、「ね(根、祢)」、「み(み)(見、美、耳)」、「たま(玉、多模)」、「ぬし(主)」、「ひこ(日子、彦、比古)、「ひめ(比売、日女、媛)」などをあげている。これらの原始的カバネは名称の語尾につくもので、今日でも人名の語尾によく使われているものもある。 「つみ」がつくカバネとしては「あづみ(安住、安積、安曇)」あるいは「あつみ(厚味、渥美、熱海」、「いずもつみ(出雲積)」、「ほづみ(穂積、保住)」などがある。
要出典と出典無効、および概要節の実例例示について
[編集]- 直近の編集で「『姓尸不称令(せいしふしょうれい)』の『尸』の読みにも同じ『かばね』があるが、漢字辞典的には『尸(かばね)』が『姓(かばね)』の同義語であるということはあり得い。実体的機能を既に完全喪失していた『姓(かばね)』を自ら皮肉る形で、『しかばね(屍)』の意味が本体である『尸(かばね、しかばね)』を比喩的に使ったのであろうと推察される」という推測が追加されましたが、これはきちんとした出典に依らなければならない記述と思われ、出典を追加いただきたく思います。個人的に、姓と尸の混用や尸(カバネ)と言う訓みが江戸時代に遡るものであり、江戸の人々、特に公家や武士にとってカバネは日常的なものでないにせよ公的に用いられるものであったことを考えると、なかなか難しい推測であるような気がしますが・・。
- また朝日新聞記事は出典として不適当であろうと思いますので、これを出典とした文章は削除したく思います。明治5年5月の布告は「通称名でも実名でもどちらか一つを個人名として選ぶことができる」というより「通称名でも実名でもいずれか一方のみを名前として用いなければならない」という性質のもの(尾脇 2021)と理解しています。記事を書いた水本学氏は少なくとも研究者ではないと思われます。
- 最後に、出典とは別件ですが、概要節のカバネの実例の例示が肥大化し過ぎていると思われ、5,6例程度に圧縮したいと思います。--TEN(会話) 2023年8月15日 (火) 16:02 (UTC)
- ここの記事名は「カバネ(姓)」ですよ。なのに、一体どういう物事の考え方をしたら、【いろんな有益なことが書いてあるかもしれない百科事典】とは真逆になるような考え方をできるんですか? TENさんが全く独断的に言っていることなので、TENさん自身が、不特定多数の読者に分かるように即刻、説明し直して下さい。それから、人々の役に立つ百科事典を何としてでも作らせないという意味の言動を今後も続けるつもりでしたら、その前に、日本語ウィキの管理者全員に、ウィキ日本語版だけ2度と利用者から寄付を要求しないということを公正証書で明確に確約かつ公表させてからにして下さい。--2023年10月6日 (金) 17:29 (UTC)~~
- しかも、カバネの種類は約30種確認されているという話古代のカバネは臣( オミ )、君( キミ )、別( ワケ )、連( ムラジ,村主 ( スグリ )など、およそ 30 種弱が 知られ ている。や、「八色の姓」の故事からも考えれば、ウィキ日本語版がどんなにお粗末な編集者ばっかりだとしても、カバネは日本国で実際にあった称号なのですから、最低15例は意地でも揃える必要があるでしょう。一体どういう理由で、恥も外聞もなく「5,6例程度に圧縮したいと思います」などと考えられるんですか? そもそも、「圧縮」ではなく、TENさんのやったことは「全く有害無益な削除」でしかありません。誰得なんですか。「カバネは日本国のことなので、しかも、たったの約30例なので、全部例示したい」と考えて当然のところを、一体何故、真逆に「5,6例程度」に削除したがるのか、TENさんが全く独断的に言い、独断的にやっていることなので、TENさん自身が、不特定多数の読者に分かるように即刻、説明し直して下さい。--2023年10月6日 (金) 17:36 (UTC)~~
- 特にコメント等つかなかったため、上記の通り実行しようと思います。--TEN(会話) 2023年8月24日 (木) 14:29 (UTC)
- 「特にコメント等つかなかった」のは、TENさんの場合は、私含めて、誰も、関わり合いになりたくなかったからでしょ。だから、全くの勘違いによる、完全に間違った編集を TENさんは更にやらかしただけです。何重にもハタ迷惑なだけです。とんでもない時間泥棒です。TENさんがどれだけ意味不明/理解不可能な編集をしまくっているか、「履歴」を見れば一目瞭然です。これでは、私含めて、まともな人が、どんどんウィキ日本語版を編集しなくなっていくだけでしょう。日本人自体の劣化と相俟って、トンデモない悪循環がウィキ日本語版で露骨に起こっています。その例を以下の節でも示しておきます。--2023年10月6日 (金) 17:18 (UTC)~~
一体何について、どういう理由で「出典無効」なの、TENさん?
[編集][1] で、TEN さんは、一体何について「出典無効」と言っているのか、全く意味不明です。かつ全く説明なしで、理解不可能です。即刻、一体何について「出典無効」と言っているのか、説明してください。--122.20.172.20 2023年10月6日 (金) 16:58 (UTC)
一体何について、どういう理由で「要出典」なの、TENさん?
[編集]上と同じ [2] で、【「姓尸不称令(せいしふしょうれい)」~(中略)~実体的機能を既に完全喪失していた「姓(かばね)」を自ら皮肉る形で、「しかばね(屍)」の意味が本体である「尸(かばね、しかばね)」を比喩的に使ったのであろうと推察される。】と、「姓尸」という明治初期の政府高官たち自身による文言、および、辞書から明らかな「尸(かばね、しかばね)」の字義を根拠として、「推察される」と明記されている文章に、あたかも根拠不明で、およそそういう風には推察できない文章であるかのように [要出典] と張っておられますが、一体どういう理由で出典がないとそう推察できないという話になり得るんですか?
そもそも、他に一体他にどういう根拠があって、どういう風に異なる推察をできるという話になり得るというのでしょうか?
明治初期の政府高官たちに直接確認できないから、「推察される」と言っているに過ぎません。明治初期の政府高官たちに直接確認できなくても、間接的に太政官布告の文言「姓尸」や辞書で共通して解説されている「姓」「尸」各々の字義(意味)からそれ以外に解釈のしようがないということで、謙虚に「推察される」と言っているに過ぎません。
TENさんは、一体どういう理由で出典がないと、
【「姓尸不称令(せいしふしょうれい)」の「尸」の読みにも同じ「かばね」があるが、漢字辞典的には「尸(かばね)」が「姓(かばね)」の同義語であるということはあり得い。実体的機能を既に完全喪失していた「姓(かばね)」を自ら皮肉る形で、「しかばね(屍)」の意味が本体である「尸(かばね、しかばね)」を比喩的に使ったのであろうと推察される】
とは推察できないという話になり得るんですか。TENさんが勝手に言っていることなので、TENさん自身が、即刻説明して下さい。--2023年10月6日 (金) 17:05 (UTC)~~
- 返信 とりあえず、書き込みはWikipedia:礼儀を忘れないを熟読された上で実施していただきたいです。既に記載したこともありますが、以下にまとめてコメントいたします。
- 出典無効:8月の書き込みで既に理由を掲載しておりますのでご確認ください。
- 要出典:「『姓尸』という明治初期の政府高官たち自身による文言、および、辞書から明らかな『尸(かばね、しかばね)』の字義を根拠として、『推察される』」という推察の「出典」が必要です。これは誰が行った推察でしょうか。あるいは学界において基本的な見解として共有されているものであることが確認できるでしょうか。なお「姓」字を持って氏・本姓を指す誤用と、「尸」字を持ってカバネを指す誤用はいずれも江戸時代中期(18世紀初頭)には定着しており、明治初期の観念によるものではありません(尾脇秀和『氏名の誕生』2021, p. 108)。従って明治初期の政府高官たちは「姓」字と「尸」字を「わざわざ接続させている」のではなくて、単に一般的な当時の慣習に従って「姓尸」という表現を用いたに過ぎないように思われます。つまりここでいう「姓」は少なくとも「既に姓(カバネ)としての機能を全く失っている(朝廷内でさえもはや見かけない)いわば死んでいる多数の『姓(かばね)』」ではなく、本姓(氏、源・藤原など)の意味で使用されています。明治初期の政府高官たちがこの2字を接続させたという話や、「『大臣(おおおみ)』『大連(おおむらじ』(中略)のように既に姓(カバネ)としての機能を全く失っている(朝廷内でさえもはや見かけない)いわば死んでいる多数の「姓(かばね)」とが混在しており、後者を『尸(かばね)』と比喩的に表現して区別せざるを得ない事情があった」という説明はかなり特殊なものであり、強固な出典が必要です。
- 大臣・大連:古代のカバネについてなのですが、この両者を明確に「カバネ」であると断ずるについての出典は何でしょうか。そもそも論にはなってしまうのですが、八色の姓成立以前に「制度的カバネ」があったかどうか自体に学界では議論があり(山尾幸久『カバネの成立と天皇』1998,p. 8)、古代の日本人名に含まれる称号のある部位のうち、どれが「カバネ」と言い得るかというのは必ずしも明確ではないと認識しています。そして「大連」についてはそもそもこういう地位の実在自体を疑問視する見解もあり、大臣をカバネとして明確に扱えるかどうかも明らかにコンセンサスはないと思います。実例として鈴木琢朗『日本古代の大臣制』2018 の文書を引用します。「大連の存在を認めるオホマヘツキミ制論の特徴の一つは、カバネ『臣』と大臣との関係を切り離すことで成立した『大臣=オホマヘツキミ』を、再びカバネとの関係で説明したことにある。(p. 18)」「後述するように、本来は『大臣』という単一執政官が置かれていたにもかかわらず、『日本書紀』編纂者が『大臣』をカバネ「臣」に美称「大」を付した、いわゆる臣姓氏族を代表する地位と認識した結果、連姓氏族が輩出した大臣についても同様の論理から『大連』と改定したことを示す一つの根拠となる。(p. 38)」。これらのように古代日本における大臣・大連の実態は未だ明確ではなく、従ってこれらが「カバネ」であるかどうかも明瞭な事実として扱えないと思われます。実際、現代のカバネ論の土台となっている阿部武彦『氏姓』1960 はカバネの一覧の中に大臣・大連を含めていません。概要で前提のようにリストアップするのは不適当だと思います。
- カバネの一覧:概要に存在するカバネの一覧は必要ないと思います。というのも、概要である以上、そもそも何をカバネと呼んでいるのか?を読者が一目で大雑把に把握できることが重要だと思うからです。また現在リストアップされている「徳川次郎三郎源朝臣家康」などは不適当であると思われます。このような「名前」と「姓名」を連続した表記法は人名録などで両者の情報を掲載するために便宜上用いられただけであり、そういう「人名」が存在したわけではないです(尾脇秀和『氏名の誕生』2021, p. 120)。従って、こういう怪しい情報や議論のある例を除いて、シンプルに現代の学者が間違いなく「カバネ」として分類している例だけを最小限だけリストするのが良いと考えます。--TEN(会話) 2023年10月8日 (日) 06:40 (UTC)、修正:--TEN(会話) 2023年10月9日 (月) 01:43 (UTC)