ノート:カナの婚宴
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初版執筆者に対するお礼と、参考文献節について
[編集]まず、重要な記事を作成されたイザヤさんにお礼を申し上げます。また聖書における粗筋のみに絞られている記事現状にも、現時点(2011年2月4日 (金) 02:52 (UTC))で異論ありません。編集お疲れ様です。
さて、参考文献節についてのみ異論があります。ほぼ全て、必要ないのではないでしょうか。基本的には脚注に登場するなど、記事作成に使われたもののみ、よくいって記事に密接に関わる参考文献のみ、挙げるべきと思います。もし注解書を一々全教派に関して挙げていったら、キリがありません。外国語文献まで挙げるとなったら尚更です。さらに現時点での「参考文献」は、プロテスタント、特に福音派に偏向しているのも問題です。参考文献節は取り敢えず全削除を要望するものです。--Kinno Angel 2011年2月4日 (金) 02:52 (UTC)
- Kinno Angelさんに反論します。参考文献は訳語の選定にあたって参考にしました。キリスト教用語はもとはヘブライ語やギリシャ語であったものが訳されたものであって、日本では文語訳がある程度は影響を与えたとはいえ、欧米で言語体系の中に入り込んでいるキリスト教用語とは違い、日本語のキリスト教用語は音写か、造語か、従来の日本語を転用したかです。日本語でキリスト教の聖書、神学、伝統に関わる用語の記事を立てるにあたって、慎重すぎるということはないのであり、キリスト教が従来の日本語や異教用語を転用した語のうち、イエス・キリストの奇蹟やかつては御使いであったが真の神から離反した霊的存在や、キリスト教の霊性に関係する用語で、オカルトでも使われるような用語については、のきなみ民族宗教やオカルト、スピリチュアリティ、ニューエイジ、比較宗教学の観点のみが書かれているものとなっています。憑依のように考えられない訳語選定がなされたものもあります。また、ローマ・カトリックの内容として作成されながら、諸宗教やオカルト関係の記事に変更されてしまったものもあります。最初は日本語の参考文献だけを付けるつもりでしたが、悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすで「特筆性」がないと言われてしまったので、英語文献を複数付けました。これだけ参考文献を付けたのは、これがキリスト教用語であることを示し、後々の紛争を防止するための予防策です。英語文献を減らすことには同意しますが、日本語の参考文献は決して減らされるべきではなく、各教派のものが増やされるべきことを強く主張します。--イザヤ 2011年2月4日 (金) 14:30 (UTC)
- 悪霊につかれて口のきけない人をキリストがいやすで特筆性が無いとされたのは確かに暴論であって、私も反論しておきました。ノートを御参照下さい。しかし量は質を担保しません。参考文献の量があっても、実際に参考にされていなければ単に「関連文献を無秩序に並べただけ」に終わってしまうのです。
- 仰る列挙された予想され得る問題は
- 冒頭文における記事の方向性の明瞭化
- 細かい脚注による検証可能性の担保
- の二つを徹底させる事で十分可能です。
- 「参考文献の量」を追加したところで、問題回避は不可能です。たとえばイエス・キリストの記事は、参考文献が軒並み自由主義神学・歴史学系のものが並べられていましたが、内容はそれに限定されず、無秩序に各節が増殖し続ける状況でした。
- それに、少なくとも「カナの婚宴」が、仰るようなキリスト教用語ではない何かになる危険性も皆無です。
- 関連文献についての問題は、Wikipedia:コメント依頼/AlexK 2回目でも問題になっていることです。「関連しているから、貴重だから、必要な文献だから」という理由だけで参考文献節が肥大化することを、好ましいことだとは考えていない編集者も多数居るということです。--Kinno Angel 2011年2月4日 (金) 14:47 (UTC)
- もし異議が無いようでしたら、参考文献節は削除します。その上で、『新聖書注解』(いのちのことば社)については当方で用意出来ますので、『新聖書注解』(いのちのことば社)と、(『新約聖書注解―新共同訳 (1)』日本基督教団出版局)と、正教系の注解書一冊、合わせて三冊(福音派、リベラル、正教の三点になってしまいますが、当面はまあこれで宜しいかと…)を、頁数を明示した脚注形式で入れさせて頂こうと思っております。--Kinno Angel 2011年2月5日 (土) 05:47 (UTC)
- 新聖書辞典は基本的な用語、注解は注解書、講解説教は講解とそれぞれ補いあうものです。確かに他の項目よりはキリスト教用語ではない何かになる危険性は少ないかも知れませんが、キリスト教の超自然的な事柄を含む記事の多くが、比較宗教学やオカルトやスピリチュアリティに埋められているのを見れば、危険はゼロではないと思います。見ているとオカルトとキリスト教の区別がつかないか、それを一緒にしたがる人がいるようです。また、細かい脚注と参考文献節は対立関係にはないはずです。復活 (キリスト教)で参考文献節がありますし、ウィキペディア日本語版でも去年から仕様で項目作成時に参考文献節を要求されるようになっています。いまあげられている参考文献のうち、少なくとも日本語のものは削除されるべきではないと考えます。他にも基礎的な用語を作る予定です。--イザヤ 2011年2月5日 (土) 10:45 (UTC)
- 先に申しましたが
- 仰る御懸念は脚注方式にすることのみで解決可能です。
- 福音派の観点を担保するだけであれば、新聖書辞典と新聖書注解のいずれかで十分でしょう。たとえば正教の観点を担保するために"The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity"と"Orthodox Study Bible"の二種類を、同じ記述の出典として確保しなければならないことはありません。いずれか一方で出典として事足りるのであれば、一方のみで良いのです。ページ・脚注の肥大化を出来るだけ避けて、可読性を必要なく損なうことがないようにしなければなりません。
- 関連文献の無秩序な列挙というのは、賛成出来ません。AlexKさんの行動についても「参考文献の制限について合意形成が必要だ」という意見が出されていましたが、今回のケースも(悪質性は無いと思いますが)考慮に値すると思います。--Kinno Angel 2011年2月5日 (土) 15:36 (UTC)
- 関連文献の無秩序な列挙は私も賛成しません。ただし、私のこの項目の編集については、関連文献を無秩序に列挙したとは認識しておりません。参考にした参考文献をウィキペディア日本語版の仕様で要求される通りに付けただけです。Template:単一の出典というタグや特筆性のタグもあり、参考文献節の削除については同意しません。細かい脚注を付けることには反対しません。しかし、それは参考文献節を削除する理由とは見なせません。私は参考文献を付けるときに、項目によってわけています。ただし、イエスの奇跡に関する記事については似通ったものとなる可能性は否定しません。--イザヤ 2011年2月7日 (月) 09:42 (UTC)
- 先に申しましたが
- 新聖書辞典は基本的な用語、注解は注解書、講解説教は講解とそれぞれ補いあうものです。確かに他の項目よりはキリスト教用語ではない何かになる危険性は少ないかも知れませんが、キリスト教の超自然的な事柄を含む記事の多くが、比較宗教学やオカルトやスピリチュアリティに埋められているのを見れば、危険はゼロではないと思います。見ているとオカルトとキリスト教の区別がつかないか、それを一緒にしたがる人がいるようです。また、細かい脚注と参考文献節は対立関係にはないはずです。復活 (キリスト教)で参考文献節がありますし、ウィキペディア日本語版でも去年から仕様で項目作成時に参考文献節を要求されるようになっています。いまあげられている参考文献のうち、少なくとも日本語のものは削除されるべきではないと考えます。他にも基礎的な用語を作る予定です。--イザヤ 2011年2月5日 (土) 10:45 (UTC)
- もし異議が無いようでしたら、参考文献節は削除します。その上で、『新聖書注解』(いのちのことば社)については当方で用意出来ますので、『新聖書注解』(いのちのことば社)と、(『新約聖書注解―新共同訳 (1)』日本基督教団出版局)と、正教系の注解書一冊、合わせて三冊(福音派、リベラル、正教の三点になってしまいますが、当面はまあこれで宜しいかと…)を、頁数を明示した脚注形式で入れさせて頂こうと思っております。--Kinno Angel 2011年2月5日 (土) 05:47 (UTC)
- コメント(インデント戻し)すみません、具体的にどの箇所にどの参考文献を使われましたか?
- 内容は聖書の記述内容のまとめが殆どであると思いますが。もし対立箇所があるとすれば、該当するヨハネ福音書2章の内容を「はじめての奇蹟」とすることについて、自由主義神学やキリスト教徒関係ない歴史学といった辺りから異論が出る程度かと思いますが。なお、数を揃えても、「そうでない見解もある」と出典つきで書かれる蓋然性もありますし、それはJAWPで阻止することは出来ません。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 10:15 (UTC)
- 項目名称、内容、Wikipedia:特筆性、Template:単一の出典の要求に対応するために用いています。聖書の簡単な解釈程度でも場合によっては独自研究になりえます。基本記事については「聖書物語」程度の記述でいいと考えています。カナの婚宴でローマ・カトリックとプロテスタントで解釈の対立があるのはヨハネ2:4の個所です。プロテスタントは2:4をマリヤ崇敬否定の根拠にします。しかし、あえて書いていません。「聖書物語」にとどめておけば、両論併記が肥大することもないでしょう。ヨハネこれが「聖書のエピソード」、「聖書物語」であることについては、誰も異論がないはずです。自由主義神学や歴史神学が理論を展開するには、このようなエピソード単体で使うことはなく、複数のエピソードを使います。私は細かい出典を付ける必要性があるという事について私は反対しないどころか、私の力の及ぶ限りは協力します。--イザヤ 2011年2月7日 (月) 10:37 (UTC)
- 百歩譲っても「Template:単一の出典の要求に対応するために」であれば、二冊あれば十分でしょう。で、私から具体的代案を三冊申し上げた訳ですが…。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 10:41 (UTC)
- 項目名称、内容、Wikipedia:特筆性、Template:単一の出典の要求に対応するために用いています。聖書の簡単な解釈程度でも場合によっては独自研究になりえます。基本記事については「聖書物語」程度の記述でいいと考えています。カナの婚宴でローマ・カトリックとプロテスタントで解釈の対立があるのはヨハネ2:4の個所です。プロテスタントは2:4をマリヤ崇敬否定の根拠にします。しかし、あえて書いていません。「聖書物語」にとどめておけば、両論併記が肥大することもないでしょう。ヨハネこれが「聖書のエピソード」、「聖書物語」であることについては、誰も異論がないはずです。自由主義神学や歴史神学が理論を展開するには、このようなエピソード単体で使うことはなく、複数のエピソードを使います。私は細かい出典を付ける必要性があるという事について私は反対しないどころか、私の力の及ぶ限りは協力します。--イザヤ 2011年2月7日 (月) 10:37 (UTC)
議論「参考文献の無秩序な列挙に何らかの歯止めが必要なのでは」提起報告
[編集]Wikipedia‐ノート:出典を明記する#参考文献の無秩序な列挙に何らかの歯止めが必要なのではを提起しました。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 02:48 (UTC)
本項目の発展可能性
[編集]上記議論より4年ほど経った上で内容的な拡充がほぼ見られないんですが、単独項目として残しておく価値がありますか?上で追記するという人も動いておらず、他におられるだろうクリスチャンの人も触らないとなると発展可能性がないんじゃないかと思うんですが--126.0.234.196 2015年7月16日 (木) 10:01 (UTC)